HOME > SDG Library
HOME SDG WORKS ABOUT US PUBLICATIONS LIBRARY


□ LIBRARY
□ 運営について
□ 渡辺邦夫「図書舘日記」
□ 図書カテゴリー(2011年)

□ 渡辺邦夫「図書舘日記」

渡辺邦夫「図書館日記」-162   2017年7月9日

今日は日曜学校の札幌講座の最終日。札幌講座の幹事役は山脇克彦さん、それに小谷卓司さんが引き受けてくれた。

札幌まで徐光さんが来てくれた。僕の最後の講義は「結局、構造デザインとは何か」であるが、徐光さんの話はまったく関係ない、いつもの話で受講生は話を聞いて唖然としていた。僕はいつもと変わらない徐光さんの話に微笑ましく人は変わることができないこいとを実感していた。


渡辺邦夫「図書館日記」-161   2017年7月2日

台湾に久しぶりに行った。
昔からの友人と会って、僕が参加するこれからの仕事をお願いに回った。今日と5日までの4日間を費やす。


渡辺邦夫「図書館日記」-160   2017年6月25日

今日は先週に引き続いて僕の日曜学校の沖縄講座の最終日である。
講座の後ろ半分に広島の新田貴太男さんが来所。最後に彼の話も聞くとができたが、いつものように「裁判所での多くの建築のもめごと」に終始一貫しており面白かった。

夕日が傾くころ、この沖縄講座の幹事役の福村俊治、具志好規、中本克二さんのご厚志でビーチパーティーを開いてくれた。
沖縄の独特の白い砂浜、海水浴場、その先に広がる青い海の地平線、風と残照、なにもかもが自然との調和が美しい。


渡辺邦夫「図書館日記」-159   2017年6月18日

日曜学校の東京第Y講座が今日、最終日になった。この塾の会場を東大の生産技術研究所の腰原研をお借りしているのだが、どうも居心地がいいのか余計な仕事も研究室に頼むようになってきた。

今日は第Y期講座の最終講義に「結局、構造デザインって何のなの?」を話したが、最後になって受講生の全員のご意見や感想を聞くことができた。

最後ということもあり、研究室で懇親会を開いてもらったのだが、腰原研の中村美穂さんと修士1年生の國江悠介、内田早紀さんの両君の2時間に亘る名調理の食事にありついた。


渡辺邦夫「図書館日記」-158   2017年3月10日

昨夜(3月9日)僕の愛犬、リンリンが静かに眠るように安眠した。享年17歳。リンリンの相棒のタンタンは一昨年の7月に一足早く他界した。

最近2年間は、僕も家に居ることが多くリンリンと昼間からよく遊んでおり、彼女の個性も解ってきたところで残念だが年齢には勝てない。


渡辺邦夫「図書館日記」-157   2016年12月10日

大分、古い話で恐縮だが、僕が「飛躍する構造デザイン」を出版したのが2002年のことである。京都の「学芸出版社」の出版。第1版であまり評判が良くないので、第2版は印刷しないという通知が2005年ごろに僕の手元に来た。だから今は絶版になってしまったが、初版のときに出版に協力してくれたのが学芸出版社の越智和子さんである。

その後「飛躍する構造デザイン」を見た中国の「中国建築工業出版社」から中国語で出版したいという連絡があり2008年に出版した。
すっかり忘れていたが、つい先日、12月4日に越智さんから久しぶりのお手紙を頂きそれに同封されていたのが中国建築工業出版社の2016年9月の「飛躍する構造デザイン」の第二次印刷本であった。表紙だけが刷新されて中味は以前の通りだ。

この本を見ていて久しぶりというより、この本の内容を想い出して本当に嬉しくなった。この本には当時の僕の構造設計を基軸とするデザイン論が満載されており、類似の書物は世界中に存在しない・・・と自負している。だから中国の出版社が再録に挑戦したと思われる。
しかし、続編を現在企画中で「飛躍する構造デザインー渡辺邦夫の未完の軌跡―」というタイトルであらゆる僕の作品が未完成だという論証を通してデザインの宿命を論じる・・・ことに挑戦したいのだが、僕の癖を考えると後5年位は必要だろう。


渡辺邦夫「図書館日記」-156   2016年12月2日

今日で僕は77歳となる。
永い歳月をよく生き抜いててたもんだという感慨と多くの方々に迷惑を掛けてきたものだという反省とが交差する年月だ。


渡辺邦夫「図書館日記」-155   2016年11月30日

僕の日曜学校は、今年になって漸く7月から新講座を開いた。東京と札幌、沖縄の三ヶ所の各々で毎月一回、順調に開催している。

先週の日曜日は沖縄講座で、午後1時がら6時まで講演会を行い、同じ会場で受講者相互の懇親会を夜9時半まで開いた。講演会の最初から那覇市内のホテルタイラで、このホテルは建築家・仲宗根宗誠さんとSDGが設計したもので、1975年2月に竣工した。地下1階、地上10階、基準階400m2のとても小規模であるが全層がRC構造のシャフトと無梁版で、40年経っても健全である。
沖縄講座の幹事役を建築家の福村俊治さんとSDG・OBの中本克二さんが面倒を見てくれている。特に福村俊治さんは地元新聞社「タイムス住宅新聞」に「構造デザインを求めて」というテーマで12回の連載を執筆してくれていて、僕も毎回この記事を見るのを楽しみにしている。

二週間前の土曜日には東京第Y期の皆さんを横浜港の大桟橋に案内して、夜の懇親会には大桟橋から海岸通りに出たところのレストランScandiaの北欧料理の予約が偶然に成功して20名のミーテイングを楽しむ。翌日の講座は東大の生研の腰原研を借りたいつもの研究室で「PCの構造デザイン」を6時間かけて講義した。

三週間前のやはり土曜日は、札幌講座の見学会と懇親会を幹事役の構造家・山脇克彦さんにお願いして開催をした。山脇さんとは1年以上前からお会いして幹事役を頼んできたが、その時に案内してもらった札幌市内に建つ「ナカヤマビル」で、その時に印象が強く記憶に残り、今回改めて見学会をお願いした。建築家・中山眞琴さんと構造家・山脇克彦さんのユニークな作品で、鉄骨造だか家具を構造材とし50mm角の柱と組み合わせている。外壁と床材にはコルクを多用している。
「ナカヤマビル」から歩いて直ぐのところに敷地が傾斜して山崩れを防止するという住宅を山脇さんと建築家・日野桂子さんが設計しもう直に竣工する現場を拝見した。RCスケルトンと木造のフレームを組み合わせた構造で中々面白い組合せであった。
翌日の日曜学校は、これも面白い企画を山脇さんが立案してくれて、札幌市内のJSDの徐光さんが設計したPC構造のビルに設営してれた。今日の僕のテーマ「PCの構造デザイン」とピッタリである。


渡辺邦夫「図書館日記」-154   2016年11月25日

昨日(11月24日)は早朝から雪が深々と降りだしていた。この季節の東京での降雪は何年振りだとテレビが繰り返し騒いでいたが、実際の雪景色は実に素晴らしい。真っ白に変わった民家の屋根、小道と植栽、街路樹、バス停、全てが真っ白に輝き別世界。視界はせいぜい300mぐらいで淡い霧で包まれいる。

今日(11月25日)は一転して秋晴れ。空はどこまでも真っ青。向こうの地平線のビルまで広がっている。東京の街が広がる、そして西の空には山々の間に富士山の美しいシルエットを望み見ることができる。

東大の生研の7本のイチョウの木はもっと神秘的だ。3本だけが黄色く落葉しているが残りの4本はまだ夏のままで真っ青の葉をつけたまま。多分、秋の微妙な空気と湿度、気温と風の悪戯の性だと思のだが、自然の織りなす風景には人知未踏な世界がある。


渡辺邦夫「図書館日記」-153   2016年4月20日

先週4月14日に熊本県熊本地方で発生した地震は、マグニチュードM6.5、震度7の巨大地震であった。震源地が活断層にあることから地震の規模はそれほど大きくはないが、震源地周辺では横ずれの断層面に沿った被害を生じた。

翌々日の4月16日にこの震源地から数km離れた場所で、M7.3、震度7が発生し、現地は大被害を受けた。

こういった規模の地震は、「双子地震」と呼ぶらしいが僕ははじめて聞いた名称で、もしM6.5からM7クラスの地震が連動すれば「三子地震」、「四子地震」となり想像を絶する現象を引き起こすだろう。

震度階は日本の気象庁が独自に制定したものであるが、現在では体感とか現像を現すものではなく、地表面の加速度を現すものとして地震の大きさを定量的に表現できるようになった。震度7は最大の地震をしめし、烈震より大規模な「激震」を示すから、滅多に震度7を観測することは無いのだ。

今回の地震では震度7の揺れを連続して観測したという前代未聞の出来事である。


渡辺邦夫「図書館日記」-152   2016年3月30日

今日、たまたま用事があって東大の生研に行った。桜が満開、見事な桜並木を拝むことができた。仕事場のホームレス状態になって早くも3年が過ぎた・・・ことを桜を見上げていて急に想い出した。

桜はどこにでも咲いているが、それに身近に慣れて親しむ人々にとっては、その桜が特殊な意味をもつ。今日の帰りに東京駅の八重洲口の細い路地を歩いていたらそこの商店街の親父さんが「この桜並木は東京を代表する名物で、外国人にももっと見せるようにしたい」 僕「ハーそうですか」

中目黒の目黒川の桜、南麻布の慶応幼稚舎の桜並木、広尾の広尾公園の、浅草雷門の隅田川公園、いままでSDGの本拠地を移し替えるときに桜を意識したことは無かったが、結果的には桜の風景と深い関わりがあった。不思議なことである。


渡辺邦夫「図書館日記」-151   2016年3月26日

この前のこの日記に、新国立競技場のコンペのやり直しについて僕の考え方があるので準備をしていた・・・のであるが予期せぬ出来事、2015年9月29日に「脳梗塞」を患い右半身が不自由となった。

それから半年、ほとんど何もやらずにゆったりした時間を楽しむことができた。いままでは僕はやたらと走りまわっていた、それも全力疾走の走りだ。この半年間は、それがピタリと止まって毎日毎日の時間が悠々と流れていた。

いまでも僕はやりたいことが山ほどある。古い話では「朱鷺メッセ連絡デッキの事故真相」についてJSCAは何故、虚偽の報告をでっち上げたのか、耐震偽装事件(姉歯事件)の真相解明、などに端を発する僕たちの仕事に関する社会的問題について、日曜学校の継続、SDGの膨大な借金の返済の方策、海外ネットワークの再構築、などなど。

天から与えてくれた貴重な半年間の憩いの時間は今日で終わりだ。また、混沌とした現実に走りだそう。


渡辺邦夫「図書館日記」-150   2015年9月7日

オリンピック・エンブレムが盗作疑惑で白紙撤回に追い込まれた同じ日に、迷走していた新国立競技場のコンペやり直しのための要項が発表された(9月1日)。今度は世界に斬新な案を募集するのではなく、国内でしかも設計施工一体のチームしか応募できない、ますます混迷を深めるばかりである。

これだけ大規模で記念すべき公共施設を設計施工一体型のコンペにしたのは、世界中でも僕の知る限り2002年日韓ワールドカップのときの韓国のソウルワールドカップ競技場が最後だろう。このときは韓国の建築家、異空の柳さんが頑張って成功に導いた。

主催者、日本スポーツ振興センター(JSC)はすっかり自信を喪失して、ただオロオロするばかりである。コンペに募集を呼び掛ける「募集要項書」もやめて「説明書」という表題で、ダラダラと法律の条項を並べているだけ。肝心の「新しいコンセプト」の記述もない、主催者に夢と希望が喪失した瞬間に、もはや建築としての国際的な斬新性とか大会後の活性化は失われたともいえる。

やたら気にしているのが工事費1,550億円を上限にし2020年4月には完成させること、だけどIOCから文句を言われたので、できればこの年の1月にできないか? と自信がない。応募する方にとっては4月までに完成と書くバカはいない、全員が1月と書くに決まってる。

応募案の審査に当たり審査基準とあり、そこに評価配点表が付いている。どんなコンペでも審査の公平性を保証するために付ける表だが、その内容がひどい。「コストと工期」について50点、工事の実施体制が15点、肝心の建築計画が35点、だからとにかく「安く、早く」つくるゼネコンはすでに65点を獲得できることになる。どこかのゼネコンが980億円でできます、工期は36ヶ月で問題ありません、と提案すれば採点上、そのゼネコンが当選ということになる。一般の工事の競争入札は、設計者が描いた建築図、ある一定の質が提示されて、それに対してゼネコンが値段をつけて最低額の会社が受注する。同じ建築図をもとにして各社が値段の競争をする、だから成り立つわけで、このコンペのように設計施工一括方式では、建築の質は放棄したも同然となる。神宮の森の環境をまったく無視した案でも−7点で「安くて早い」のであれば93点を獲得できて当選できる。

主催者がまったく自信のない証拠に、この配点以外に評価点をつけて、最後の審査の点数にするという。これでは昔の「談合」を許容する、というかむしろ「官製談合」を仕掛けているとしか理解できない。このコンペの「審査委員会」が置かれたが、審査委員会が配点数を決め、あとで主催者が評価点をつければ最後の点数は自由にコントロールできる。

いろいろと問題は沢山あるけど、僕が一番、不可解なのはこのコンペの審査委員長を村上周三さんが引き受けたことである。僕たちの世界では村上さんは真面目で優秀な工学者として尊敬させている人物である。何故、村上周三さんが委員長を引き受けたのかが最大の謎だ。オリンピックにとって最も好ましい結論など出せる環境ではまったくないから、どんな審査結果であれマスコミから袋叩きにあうことは今から想像できる。

今日になって、かのザハさんと日建設計とが組んだチームもこのコンペに参加するというニュースが流れた。これに大成建設とか竹中工務店がのっかたら、安倍首相の「白紙撤回」とは一体、何だったのか・・・と迷走の度合いは深まるばかりだ。

あるいは、頭のいい官僚の誰かが、迷走の先を読んでいて、横浜の日産スタジアム(7万人観客席)と話をはじめているかも知れない。


渡辺邦夫「図書館日記」-149   2015年8月10日

新国立競技場の建設に向けての迷走の止まるところが見えない。

オリンピックの祭典が政治の世界に引きずりこまれたのは昔からのことだが、ここでいう政治とは「国際政治」のことである。いま、迷走しているメインスタジアムは「国内政治」の政争の道具と化してしまった。

安倍首相が「白紙撤回」をしたのは大英断だと思うが、彼も深く考えていなかったから、何を「白紙にもどす」のかが判然としない。どうも単純にザハさんの案をやめればいいということしか考えていなかったようだ。

安倍首相の取巻き連中に、「建築する」ことに精通した人物が誰も居ないのだろう。建築は、クライアント(発注者)がいて設計者を決めて施工会社に工事を発注する、敷地と予算を決めるのはクライアントの仕事である。途中でなにか根本的なトラブルが発生したときも究極的にはクライアントの責任である。この場合は文部科学省とJSCがクライアントだから、「白紙撤回」とは文部科学省の大臣とJSCの会長をまず更迭することからはじめるのかと僕は思っていたが一向にその気配がない。それをやらないと「白紙撤回」せざるを得ない状況に追い込まれたことに対する責任の所在が不明確になるから、野党の政争の道具に引きずりこまれてしまう。

なのだが、僕は、これは政治家の資質の問題ではなく、いまの日本の建築家の問題だと思う。コンペの審査で建設「コスト」と「工期」を無視して案を選定すること自体がきわめて異常だ。安藤忠雄さんの言い分を聞いていると審査員が建築家である必要はまったくない、逆にいえば安藤さんは「自分は建築家ではありません」と言っているのだが、テレビを見てる市民は「建築家は信用できない」という印象しかない。

建築界の長老的存在の槇文彦さんも神宮の環境問題での提言は貴重なものであったが、いざ具体論になると専門家としての発言から外れてくる。ザハ案のアーチを止めれば大減額ができるというのはかなり怪しい。聞くところによれば有名になったキールアーチは約2万トンの鉄骨を要するという。建設費になおせば約80億円である。最終見積りの全工事費の中では微々たるものに過ぎない。問題はアーチにあるのではなく、設計内容そのものなのだ。
「規模を小さく」という提言もおかしい。もともと神宮に建設することを「白紙撤回」するべきで、僕は8万人スタジアムの実現を優先する方が将来の資産として生きてくると思う。キチンとしたサブトラック、できれば二面ぐらいは欲しい、露天でいいから緑に囲まれた大駐車場も必要だろう。

もともと万国博覧会とかオリンピックの会場づくりは「建築の祭典」でもあった。僕たちの建築構造技術はこの二つのイベントを契機にして歴史的に躍進してきた。それは「建築文化資産」として後世にも大きな影響を与えるもので、そのチャンスを失ってはならないと思う。


渡辺邦夫「図書館日記」-148   2015年8月1日

酷暑日がつづく。空気が重い。
酷暑だけでなく日本列島のどこかで落雷やドシャ降りの雨、土石流など同時多発している。明らかに地球環境破壊に起因する異常気象だ。

「IPCC」という国際機関がある。日本語でいえば「気候変動に関する政府間パネル」で、地球環境破壊問題を総括的、さらに詳細に研究している国際組織で、世界中の優秀な学者や研究者が参画している。研究成果は6年ごとにとりまとめて発表されるが、最近の報告書(第5次報告書)は2013年だから、次回は2019年ということになる。

この問題が顕在化したのは、産業革命以後だといわれている。人類が科学技術を進展させてきたことが悪いのではなく、それを産業と結びつけて工業を急速に拡大したことが原因のようだ。そして、現在の僕たちは工業力の恩恵に浴して毎日を過ごすことになったから、地球環境破壊問題は政府や企業の問題であるばかりでなく、僕たち、いまこの地球に生息している一人一人の問題でもある。

昨秋、ブラジルのアマゾンに残る大自然を見に行ったときに実感したが、自然のつくりだした生態系の中に人間の居場所がすでにないことを知った。共存とか共生などの考え方は人間が勝手に描いた妄想に過ぎない。もはや「人間」対「人間以外のすべて」の対立軸しかないのだ。恐るべきことである。あらゆる生命体が平和に地球上で生息するためには、人類の絶滅しか方法がないことを去年になってようやく悟った。

この大きく深刻な問題に、僕のような建築の「ものづくり」を職業としている者は、どう取り組めばいいのか? 僕の結論は、長持ちする建築をつくるしかない、自分が設計した構造物は200年とか300年はそのまま利用する、できれば500年はもたせたい。500年というと15世代以上だ。できるかな? 要は、資源消費量を徹底して少なくし、建設時に発生する公害の量を、スパンをできる限り長くしてトータルとして減らす、かなり消極的対処法だがいまややれるところから始めなければならないだろう。


渡辺邦夫「図書館日記」-147   2015年7月22日

今日、愛犬のタンタンが死亡した。
眠っているうちにそのまま永眠。いつもの愛くるしい安らかな寝顔がそのまま。15年と4ヶ月をともに暮らした。

犬の寿命は短い。僕は、犬が好きで小さいころから犬とともに生活してきた、何度も悲しい目に合うのだが、いつも懲りずに飼いつづける。いまはタンタンが向こうの世界に行ってしまったがリンリンというもう一匹の犬が家中を走り回っているがこの子も同じ15歳で結構ヨタヨタしてきた。

今日は、リンリンも喪に服するかのように静かで、僕の足元に寄り添っている。

人間社会のバカバカしいほどの喧噪とはまったく無関係な犬たちの無邪気な毎日に、どれほど多くの心の安らぎを感じてきたことか。ただひたすらタンタンの冥福を祈るばかりである。


渡辺邦夫「図書館日記」-146   2015年7月17日

新国立競技場が急に大迷走を始めた。僕も50年近く設計活動をやってるけどまったく前代未聞の迷走ぶりだ。

3年前にコンペをやってザハさんの案が当選したが、スタジアムとしてはまったくナンセンスな案で、これを当選させたのが当時の安藤審査委員長。しかし、その案を僕が見ても要項で提示されていた1300億円の工事費では実現不可能であることは判然としていた。

その後、東京オリンピックの開催が決まって、ザハ案は予算とあまりにかけ離れているので、当然、再コンペがあると思っていたが、そのまま実施するという。そこで槇文彦さんが神宮の森の環境破壊も甚だしいというクレームを建築家協会の機関誌に掲載したが、政府は一顧だにすることなく計画を推進してきた。

こういったナンセンスな案に協調する日本の設計事務所があることも不思議だ。日本設計や日建設計などである。構造事務所ではアラップ・ジャパンが設計に参加している。規模を縮小した基本設計が終わって積算したら1625億円でできるという。僕はこれはデッチ上げた金額で、建築におけるナンセンスさは2割や3割の予算増額でできるはずがないと思っていた。

そのまま実施設計に移り、先週の最終見積もりで2520億円になり、JSCの有識者会議でこの金額が了承された。騒動は具体的にこの金額がマスコミに流れたときから始まった。「お金」の話になると誰にでもわかりやすく、そんなにかかるのか、と袋叩きにあう。

不思議なのは、昨日、安藤さんが記者会見してザハ案は国際信用上守るべきだとわざわざ言っている。今日になって安倍総理大臣がお金がこんなにかかるのでは困る、計画を白紙に戻せとテレビで演説。安藤さんは政府にまったくコケにされたという図式である。テレビのモノ知り顔の解説者によれば安保法案で人気が低迷している現内閣の人気取りのための決定だという。

これだけ大規模な施設の実施計画で、建築論も環境論も都市論も構造論もなしに政治的な迷走は珍しい。現在の日本の建築界が低迷している証拠だろう。

僕は、いまからコンペをやり直しても2020年のオリンピックには十分に間に合うし、1300億円の予算で開閉式屋根をつけることもできると思う。ただ、いまの神宮の建設地があまりに狭く必要な機能を収容するには相当に無理がある。建設工事上のデメリットも多い。

すでに解体された旧競技場の跡地の航空写真を見ればわかるように、ここでの8万人スタジアムの建設には根本的な無理がある。ここは改めて植林し緑の森に造成し、スタジアムの建設地は臨海部の旧13号地などにかえるべきだ。そうすれば、斬新な設計をやって工期的にも楽勝だ。


渡辺邦夫「図書館日記」-145   2015年7月7日

札幌の空気は乾燥していて清々しい。
今日は、札幌に来てまず山脇克彦さんの新しいアトリエを訪問した。日曜学校・札幌講座を開設するための相談。

市内の円山公園に近いナカヤマアーキテクツの新しいアトリエを山脇さんが連れて行ってくれた。徹底した鉄の建築。外壁面に一様にはめ込まれた鉄の本棚、これが主構造の一部になっており、机も椅子も鉄板を組合せ、もちろん階段もスカスカの鉄製、これだけ鉄が多用されているが実際の空間は重量感がまったくなく軽快でさわやかな雰囲気をつくりだしている名建築。

建築家の中山眞琴・ひとみご夫妻にお会いすることもできた。北海道で活躍する中山さんの、この地の空気を吸い上げ建築化するお話は、感銘深いものであった。

夜は、北海道日建設計の小谷卓史さん、竹中工務店の有竹剛さん、それに山脇さんと夕食を共にした。僕はいまは酒を飲むのを止めたのでノンアルコールビール(全然、おいしくない代物)で我慢するが、やっぱり北海道に来たらビールがいいことを改めて実感した。気候がビールなのだろう。


渡辺邦夫「図書館日記」-144    2015年7月4日

羽田に帰るために那覇空港出発カウンターに着いたら、妙な電光板掲示があった。結構大きな電光板で、たて2m、よこ5mぐらいの目立つもの。
「宮古行き1723便ご利用のお客様 ANA」というタイトルで次のような案内文。

「11:35発 宮古行き1723便は満席のため、座席が不足することが予想されます。ご予約のお客様で搭乗便の変更にご協力頂けるお客様を募集しております。振替便は1725便 12:50発です。ご協力頂いた場合、ご協力金としてお一人様10,000円をお支払い致します。ご協力頂けるお客様はカウンター係員にお知らせください。」

なにか緊急事態が発生した雰囲気でもなく、振替募集する理由も書いていない。ANAのそこいらにいる係員にどういう意味か聞きたいが、羽田への出発時間が迫っているので聞き損ねた。次に行ったとき聞こう。

沖縄らしい大らかな掲示でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-143    2015年7月3日

今日は終日、福村俊治さんの作品を見学させてもらった。一昨日に中本さんに案内してもらった平和祈念館も福村さんの代表作の一つだが、もう勝手に見学してきたのでこれは省略。

「那覇市役所・首里支所」、「沖縄県総合福祉センター」、「胡屋バブテスト教会+愛星幼稚園」の三か所を丁寧に案内してもらった。どれも細かい気配りのいきわたった心温まる作品で、福村さんのお人柄がよくわかる。

しかし、半日で三つの建築を観察するのは、結構、疲れる、少し欲張りすぎたと反省している。知りたければ何回も来ないとダメだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-142    2015年7月2日

建築家の福村俊治さんのアトリエ(チーム・ドリーム)を訪ねた。那覇市曙にある4階建てビルの4階。階段しかない。アトリエの室内に入ると、まさに40年前のアトリエの雰囲気がそのまま生きている。デカいベニヤの製図版が何枚も雑然と置かれその上や周辺に図面や模型がところ狭しとおかれ、僕にいわせれば散らばっている。僕にとっては古巣に戻ったようで心が落ち着く空間。

このアトリエで働く具志好規さんともお会いする。ここには阿波根昌樹さん(木村事務所のOB)も来てくれた。やがて建築家の仲宗根さんも現れ、この人とは40年ぶりの再会。まさかお会いできるとは思ってもいなかったが、福村さんのご配慮で、約半世紀ぶりの再会ができた。僕がSDGを創設して間もないころに仲宗根さんのアトリエでデザインしたガソリンスタンドとかホテル、小さな医院などこの沖縄で僕が構造デザインするチャンスをつくってくれた恩人。

夜は国建の国場幸房さんと50年ぶり。年齢は僕と同じ。彼は質実剛健で心やさしいかっての沖縄を代表する建築家で、復帰する前から活躍していた。

いま、僕が東京や前橋、名古屋でやっている「日曜学校」は9月に終講するので、その後の日曜学校をここ沖縄でも開講したいと考え地元の方と相談するためにノコノコとやってきたのである。お会いしたみなさんが「日曜学校・沖縄講座」の開設に大賛成してくれて僕の方が感激した。


渡辺邦夫「図書館日記」-141    2015年7月1日

昼過ぎに沖縄の那覇空港にたどり着いた。気温は32℃だけど強烈な太陽の輝き。空港にSDGのOBの中本克二さんが迎えに来てくれた。彼と会うのは20年ぶりだが、なんだか昨日会ったような錯覚をおぼえ親近感がわくのは、この南国の明るい風土とおおらかな人柄のゆえだろうか。

空港からそのまま糸満の沖縄県平和祈念公園を見に行く。公園の中の建物は「記念館」ではなく「祈念館」であることに最大の特徴がある。建物の外観も周辺のランドスケープも室内の展示もなにもかも「祈念」であることで統一されている。糸満の大地に見事に同化して太平洋を包み込む迫力には圧倒された。

夕刻、中本さんの浦添の事務所に行き、彼のお兄さんの克正さんともお会いし最近の沖縄の建築事情の話を伺った。その後、近くの小さなレストラン、外国人住宅(RC造の平屋の一戸建て)をレストランが借りて店にしているユニークな雰囲気。ここでも最近の沖縄建築界の動静について教えてもらう。

日が暮れてもまだ暑い。空気が重い。だけど時折吹く微風がさわやか。やっぱり沖縄でなければ味わえない気候風土を実感する。


渡辺邦夫「図書館日記」-140    2015年6月20日

僕の場合、自分の職業や職能を、いろいろな方々に簡潔に説明するのが難しい。「私は構造家です」などと言っても相手は「それ、なに?」という顔つきで面倒だからそれ以上質問しないし無視する。「私は構造設計の仕事をしています」もたいていの相手にとっては意味不明。

「私は大成建設の構造設計部で働いています」とか「日本大学の教授をやっています」などの所属組織名を言えば、大抵の人は納得するし、わかりやすい。僕の場合、まったくの無位無冠を押し通してきたからそういったレッテルがない。

ギーディオン著の「空間 時間 建築」という本の中に、19世紀の初頭、建築家と構造家の葛藤があったことの記事が出ている。この本が和訳されて出版されたのが1955年であるから翻訳した太田先生は「構造家」という呼称が既に日本にあることを知っていたのだろう。同じ記事に、「構造家」以外に「構造設計者」とか「技術者」という呼称も何度も登場するが、構造家、構造設計者、技術者、この三つの呼び方で何が違うのかは書かれていない。太田先生に聞きに行きたいけどすでに故人となられている。

産業革命の最盛期であった19世紀、イギリスが生んだ偉大なる構造家・イサンバード・ブルネル(1806-1859)が「エンジニア」という英語を発明したらしい。この言葉を明治時代の日本人は「技術職人」と翻訳した。後年、誰かが「技術者」と変えてしまったのでブルネルの真意がうまく継承されていない節がある。もともと「構造家」の職能は「職人」の一つとしてあったのだ。「職人」が修業を積んで腕を磨くと「匠」となる。その中でも突出して優れた匠を「巨匠」という。コトバとやっている仕事の中味がピッタリである。僕も「設計の匠」です、と言いたいがモノを直接つくっていないのでかなりチグハグな表現になってしまう。

先週、週刊新潮に建築家・渡辺邦夫という記事がのり、それを僕の奥さんがみて、「あなたは建築家ではなくて構造家じゃないの?」と聞くので「そんなのどっちでもいいんじゃないの」と応えたら彼女はもの凄く不満そうな顔をしていた。「あなたが構造家だから私は結婚したんで、建築家だったらしないわよ」という顔つき。それ以来、僕は猛反省した。

一人でも「構造家」の職能を認めてくれている人がいるのだから、これから「私は構造家です」と言った方がいい。理解するかどうかは相手の問題で、自分の問題ではない! ことがようやくわかった。


渡辺邦夫「図書館日記」-139    2015年5月31日

一級建築士という国家資格がある。この資格をもっていないと建築設計の仕事ができないが、実は、実際は二重構造になっていて、個人としてこの資格をもち、なおかつ事業所が一級建築士事務所として国家に登録されてないと設計の仕事はできない。

しかし、この資格は建築基準法を守ることだけを使命にしているから、本当の建築の、あるいは構造の設計能力とは関係ない。
建築基準法は大別すると「集団規定」と「個別規定」とからできている。「集団規定」は社会的ルールを指しており、たとえば建蔽率とか容積率の制限、斜線制限とか緑地規制とか街を形成するためのみんなが守った方が快適だ、という法律でこれはあった方がいいし、守るべき法律だろう。一方の「個別規定」の方は構造設計のほとんどがこれに該当するが、その時代の技術工学に関する規定で、その時々でコロコロ変わる。ほとんど意味のない法律だがたとえ設計上のミスがあってもこの法律に適合さえしていれば設計者は刑務所に入らなくて済む。どちらかというとアホな設計者を保護するための法律といえる。

で、この法律に賛同しない設計者も現れることになり、資格なしでも第一線で大活躍している設計者は大勢ではないが、僕の知り合いでも結構いる。みなさんとても優秀な設計者である。

ズ〜と昔からこの一級建築士の資格について、「足の裏にできた豆」と形容されてきた。とらなくても日常生活に支障はないけど、とらないとなんだか落ち着かない。

こんなことを書くのは、先日(29日)この一級建築士の資格定期講習会に行く羽目に陥ったからである。3年に一度、講習会に出なければ資格停止処分になるという法律があるらしい。それは困るというので出席した。

講習会場ではまずテキストを配り、やがて講習が始まるというので誰か講師が来るのかと思ったら、なんとビデオの中のオジサンがテキストに従ってその通り延々と一方的に喋るだけ、これにはビックリした。質問はできないし、ヤジもとばせない、朝9時から夕方の5時まで、延々とビデオが映しだされるだけ。8時間の強制的「拷問」にすぎない。これで講習といえるのか? 建築基準法という国家の法律の考え方とまったく同じだ。

会場の周囲を見渡すと、ゆったりと寝てる人が多い。そうか、一級建築士の多くの方々が普段は「超ブラック企業」に勤めて超多忙な毎日を送っているから、3年に一日ぐらいはゆっくり休んだら、という国土交通省の温情なのだとわかった。

しかし、国家「資格」の運営上、どれもこんなことをやっているとすれば、費用と時間の膨大な損失だ。


渡辺邦夫「図書館日記」-138    2015年5月22日

ドローンが茶の間の話題になっている。僕はこういうロボットが以前から欲しかった。もし、浅草の事務所が継続していたら多分、3台ぐらい購入して遊んでいたかも知れない。

建築はヒトの視点でしか見えない。いろんなコンペに参加すると必ず鳥瞰パースの提出が義務付けられる。建築を鳥の視点で表現した透視図のことである。これだとその建築の全貌を表現できるからだろうが、決してヒトが見ることのない風景だ。それがドローンなら簡単に見ることができる。

大分前、6年ぐらい前のことであるが、上海に上海建工、タワーとか橋、それに大規模な建造物の施工をする会社で、そこの技師長の呉さんの誕生パーティに招かれたことがある。彼は施工計画をたて実際の現場で職人さんたちを指揮する仕事をやっているので、お祝いにラジコンのヘリコプターをプレゼントした。結構大型なので東京から運ぶのが厄介なので上海市内の模型屋で購入したもの。これにカメラをつけて呉さんの監督する現場で上空から監視すれば仕事の能率が急上昇するじゃないかと考えたからだが、本人はとても喜んでくれたが、実際は安定性が悪く使えない。

こんなときにドローンがあったらなーと悔しく思うのである。

多分、近い将来、ドローンは建設現場で大活躍すると思う。タワークレーンを使って重い荷物を地上から空中の場所に移動する、タワーの頂部に居るオジサンがコントロールするのだが大抵の場合、その荷物は見えないので地上にいる別のオジサンが無線をつかって連絡し合う。クローラークレーンの場合はクレーンを運転するオジサンはなんと地上に居るのだ。セットすべき空中の場所には沢山の職人さんが群がって危険この上ない。ドローンが一台あれば的確な情報が把握でき作業効率は格段に向上する。

などなど、建設現場で活躍するドローンがこれから楽しみだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-137    2015年5月5日

今日は「こどもの日」だからというわけではないが、DVDで映画「汚れなき悪戯」を二回も繰り返して観た。1955年のスペイン映画であるが、スペイン映画の名作中の名作といわれ、1957年に日本でも上映されたちまち大ヒットしたことで知られるモノクロの美しい映画である。

監督は、ハンガリー人のラディオラス・バホダ(1905-1965)、マルセリーノ役の6歳のバブリート・カルボの愛らしさが人々の心に深くしみ込んだ。
僕がこの映画をはじめて観たのは高校生のころで、こんなにヒトの動きや風景を美しく撮れるなら、心に沁みわたる音楽、自分も将来は映画監督になりたいと刺激を受けたことを憶えている。


渡辺邦夫「図書館日記」-136    2015年4月20日

東京で開催している第X期日曜学校も昨日の講座で折り返し回を迎えた。今回のテーマは、「RCの構造デザイン」で僕の講座の中では最も難しいテーマである。「RC」というのは日本語では「鉄筋コンクリート」だから、世界中で最も多く使われている構造材料で、それを使った構造デザインだからその本質を解き明かす話の組み立て方がむずかしい。

かの姉歯さんもRC構造を対象にしていたし、建築基準法の根底もRC構造に置いている。RCについての研究者は山ほどいるが、RCの設計論、デザイン論ということになると意外といない、というか多くの建築家や技術者は日常的に当たり前の建築材料と理解してその本質を深く考えずに適当に利用してるに過ぎない。

僕のテキストの前半で、スイスのロベール・マイヤール(1872-1940)、イタリアのルイジ・ネルヴィ(1891-1979)とメキシコのフェリックス・キャンデラ(1910-1997)の三人の構造設計者を紹介している。RC構造に内在する夢と希望、美しさ、合理性、耐久性、経済性、などなど建築に求められる基本的な性能を実現してきた人たちであるからである。この三人の設計活動を「RCの構造デザイン」のルーツととらえれば、いま、世界中のどこの街にも建っているRC構造の「四角い箱」にサヨナラするきっかけになる。

構造設計にとって、「創意工夫」こそが最も重要なことなのだというごく当たり前のことも理解できるだろう。「四角い箱」にサヨナラできる構造技術者は、現在のがんじがらめの建築法規にもサヨナラできるのだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-135     2015年4月18日

今日、東大・腰原研にあるSDGミニ図書館で本を見ていたら、随分変色した「空間 時間 建築」を見つけた。ギーディオン著、太田實訳、丸善(1955年初版)が発行した二冊のなつかしい本。この名著は建築設計を志す学生はほとんど全部の方々が読んでいると思うが、近代建築のルーツからその発展過程を鋭く深く評論している。

著者のジークフリード・ギーディオン(1888-1968)はスイスの建築都市史家であり建築評論家であるだけでなく幅の広い美術評論家でもある。1928年結成の近代建築国際会議(CIAM)に参画し最後の1956年の第10回までCIAMの書記長を務めた。CIAMを主導した建築家はル・コルビジェ(1887-1965)であるが、第4回会議での宣言「アテネ憲章(1933)」などではコルビジェとギーディオンの合作ともいわれている。

訳者の太田實(1923-2004)は福岡県出身で、東京帝国大学を卒業後、1948年、北海道大学の建築工学科の新設にともない赴任し、1986年に退官するまで建築教育に重点を置いた異色の建築家。退官後も北海道工業大学教授を務め終生、教鞭に努め徹底している。

この「空間 時間 建築」を僕が購入したのが1962年2月で大学3年生のころである。僕がライフワークとして構造設計の道を選んだことにこの本からの影響が一番大きかったかもしれない。

その後も何度も読んでいたが、今日これを見つけて多分、20年ぶりかもしれないが再読する気になった。以前も、なにか悩み事があると必ずこの本を引っ張り出して読みふけっていたが、75歳の節目に再熟読して僕の「構造デザイン論」の再発見につながれば面白い。


渡辺邦夫「図書館日記」-134     2015年4月16日

ようやく陳舜臣著の「小説十八史略」を最後の一行まで読み終わった。この小説の最大の特徴は、ここに登場する人物がやたら多いことである。さらにその沢山の登場人物について一人一人克明に調べ上げて簡潔に紹介している点だと思う。ヒトが歴史をつくりだし、ヒトの個性が歴史のヒダを鮮やかに彩る、ヒトとヒトとの愛憎と協調とか葛藤が思わぬ方向に歴史を捻じ曲げる、あらゆる階層のヒトを主人公にした小説。

どこでもいいのだが、どこのページを開いても人名だけで5人〜10人が登場する。例えば。あるページを拾ってみよう。裴偓(はいおく)、王仙芝(おうせんし)、黄巣(こうそう)、王郢(おうえい)、柳彦璋(りゅうげこしょう)、尚君長(しょうくんちょう)、もう6人が登場してきた。

この大著の最後の一行で、陳舜臣はいう。「『十八史略』は曾先之の著作の一つである。独創性よりも啓蒙に重点を置いたもので、多くの人がこの本によって中国史に親しんだ。とくに日本では、江戸時代から学生の必読書とされてきた。」

確かに、僕も熱烈な中国ファンであるが、この「小説十八史略」を学生のころから読んでいてこれから受けた影響は大きい。中国ファンというより中国人ファンといったほうが正確かもしれない。


渡辺邦夫「図書館日記」-133     2015年4月13日

ここのところ日曜学校のために毎月第二日曜日には前橋を訪れる。前橋は群馬県の県庁所在地だがJR新幹線は行っていない。東京から行くのに高崎まで新幹線で行って高崎から両毛線という昔懐かしいローカル電車にのっていく。

前橋の駅前から、見事な「けやき並木」の大通りを歩き、日曜学校の会場がある石井設計の会議室まで約20分を散策する。これが毎回楽しい。
この「けやき並木」の中央は往復6車線で、けやきを挟んだ両側の歩道は約7mの幅があるとても快適な散歩道といえる。けやきは落葉樹だから毎月ここを歩くと季節感を満喫でき、いまは新緑の芽が出そろって淡い緑の壁ができている。

僕の日曜学校は極端に貧乏で寺小屋みたいなものだが、前橋の石井設計さんの好意で無料で会場を提供してくれて、前橋工科大学の長谷川一美先生がマネージメントをやってくれているのでうまく運営できている。

鉄道交通の便が悪いと、街全体がなにか「ゆったり」とした空気に包まれている、前橋の魅力だろう。
そういえば僕の先輩に前橋出身の斎藤公男先生がいるが彼は決して怒らないし悠々と生きていく秀才であるが、何度も前橋を訪れているとこの斎藤先生の性格も理解できてくる。

僕は、しょっちゅう「怒る」し、自分よりはるかに強い者に対して「喧嘩」を売りまくる性癖がある。東京で生まれ育った江戸っ子だから遺伝子的にそうなる。「喧嘩」をしてないときはまるで死んだように静かになる。

いろいろな街を繰り返し訪れる、ということは本当に勉強になるものだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-132     2015年4月11日

今日は津山から帰京したが鉄道の関係でいうと岡山経由である。津山―岡山間は津山線。この路線の利用者は車社会に移るに合わせて年々減少して本数も減るし車体は古いものを使っている。

これが滅法よかった。古い車体でしかも水色、黄色、オレンジなど車体の塗装もいろいろなボディがつながって単線の上をゴトゴトと走る。車窓の景色を心いくまで楽しむことができ、一挙に疲れが癒される。

津山線の場合は、これしかないから選択肢はない。だから否応なく旅行者はこのゴトゴト列車にのって、結果的に旅を満喫できる。
いつも利用している東海道新幹線には選択肢が三つある。「のぞみ」か「ひかり」、「こだま」のどれでも利用できる。鉄道における技術革新は「便利さの追究」にあるが、これは単に交通時間の短縮を意味してるに過ぎない。早く、早く、早く、を追究した結果なのだろう。

東京から大阪に行くとき、「のぞみ」なら約2時間半、「ひかり」だと3時間、「こだま」で4時間かかる。たいへんな時間の差と考えるのか、まあおおむね同じじゃないかと捉えるのかでまったく異なる行動パターンが生まれる。
僕はときどき「こだま」を利用する。新幹線は東京から大阪まで全部で17ヶ所の都市をつないでいる。「のぞみ」にのると早いけどその内6ヶ所の町しか止まらない、静岡とか、浜松、米原などの町がどう変化しているか観察することができない。
数年後に走り出すリニア列車は、時間の短縮はできるがその他の旅のいいところをすべて消し去ってしまう。

「時間」は確かに大切な要素だけど、列車にのるということの多面的なメリットを考えた方がいいと思う。いまの技術革新のすべてにいえることだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-131     2015年4月2日

草加はマンションやアパートも建ってはいるが、基本的には一戸建ての閑静な住宅街である。玄関先に大きな桜の木を植えて今日は丁度満開であった。

気分のいい散歩から家に帰って、そういえば去年の今頃はどうだったかな?と考えてこの日記を手繰ってみたら、実にいやな気分になり後悔している。去年の4月5日の記事に新潟県知事から僕にあてた返書、「・・・貴社に引き渡す法的義務はない・・・」。

政治家や役人が何かを正当化するとき必ず口に出す「法治国家」だからすべて法律に従います・・・の文言だ。はるか昔、秦の始皇帝が編み出した統治法だが、法をつくるのは政治家や役人だからどうにでもなる。僕らのような一般市民はただひたすら「おそれいりました」という以外にない。もし反抗すれば別の法律を持ち出して刑務所に入れられる。

でもなにもかも法律で律することは不可能なので、そこにその時代と社会の「市民感覚」があるはずだ。それを封じてしまういまのわが国の風潮が恐ろしい。新潟の件で言えば、新潟県は裁判所から「あなた方の落下原因調査はなにも証明されていない」と断じられたのだから、知事の僕宛の返書は「原因を明確にするために再調査しましょう」というのが「市民感覚」だと信じていたが、「法的に本件は終焉した」というのだから恐れ入る。

最近の報道に同種のものが多いが、イスラム国どころじゃなくて、この国はだいじょうぶなのかな?


渡辺邦夫「図書館日記」-130     2015年3月24日

やっぱりそうかという報道があった。国土交通省が免震装置の製造26社に対して「大臣認定」した積層ゴム支承に関して大臣認定数値が守られているかの密告調査、あるいは自首勧告を行った。167件も認定したというから免震建物はどんなに少なく見積もっても2,000件に上るだろう。免震装置の数でいえば40.000基ぐらいであろうか。

現在のコンピュータの威力を考えると微々たる数量だ。全数を管理して生データを入力しておきさえすれば、適否は10分ぐらいで判別できる。国交省は何もしていないから半世紀以前の手法で調査を始めたらしい。名目だけは仰々しくもあり畏れ多い「大臣認定」だが、実物に対しては何のデータも持っていないのだ。

「大臣認定」の建築関係製品は免震装置などはごく一部で、滅茶苦茶に乱発して膨大な量がある。

この妙な制度ができる前は、設計者はメーカーの技術者とかなり頻繁にその品質、性能、価格、納期について打合せをして、クライアントとも相談の上、その製品を使うかどうかを決めた。だからどんな分野の製品であろうと、今回の東洋ゴムのような問題が発生すれば、当然、設計者が全責任をもって対処しなければならない。クライアントは十分に管理できるよう設計者に監理費を支払う。

その好循環を断ち切ったのが「大臣認定」の制度であり、明らかな制度欠陥である。


渡辺邦夫「図書館日記」-129     2015年3月20日

約1年前のあの事件が今日終わった。2014年春の「小保方事件」である。

理化学研究所に対して「運営・改革モニタリング委員会」が今日「評価書」A4で39頁を提出し、事件終焉を宣言した。理化学研究所は小保方さんを懲戒免職にしたかったが、ズ〜と前に小保方さんは嫌気がさして退職してしまっているからできない。

当初は「捏造」、「改竄」、「不正」と刑法用語を使って小保方さんを攻撃した理化学研究所だが、今日は刑事告訴はしないと宣言した。研究費6万円の返還を求めたらしい。6千万円あるいは6億円の間違いではないかと思ったが6万円らしい。

科学の世界はさまざまな仮説をたてて徐々に立証し、やがて一つの真理に到達する。しかもその真理と思われたことがさらに時間の、歴史の経過の中で真理ではなくなり新しい事実が発見される。その繰り返しなのだ!
STAP細胞の有無がどうあれ、そういった仮説をたてることに意味がある。小保方さんの間違いは、その仮説をマスコミに発表したことなのだ。周囲の無能な学者たちがやっかむことは目に見えている。

僕は、ずいぶん前に建築家の谷口吉生さんから「マスコミだけは避けた方がいい」と忠告され、それ以来ズ〜と守っている。


渡辺邦夫「図書館日記」-128     2015年3月19日

「東洋ゴム」についての報道では、東洋ゴムは設置した(55件の)免震装置の性能で建物そのものが安全かどうか再検討すると言っている。多分、真意は大臣認定の許容誤差値からはずれていても免震効果は十分にあると技術的に証明すれば一件落着だと考えての発言なのだろう。

僕の想像では、東洋ゴム工業は国土交通省の陰険な体質を知らないのだろう。彼らは「大臣認定」で決めた数値を金科玉条に振り回す種族で、技術的な正しい評価など問題外なのだ。やっぱりなんだかんだと因縁を付けて全部取り替えろと強要するだろう。膨大な金銭と労力の無駄を、かれらの建前と体面を維持するために要求する種族なのである。
そうしなければ「大臣認定」の権威が地に落ちる。かれらの心配事はただこの一点に尽きるのである。

姉歯さんの事件と酷似している。
確かに姉歯さんの耐震計算はまったくの出鱈目であるが、だからといって市民の所有物を即刻解体しろ、と命令するのは構造技術上はナンセンスである。大地震でも安全なような補強の方策をまず模索するべきである。
このときも国土交通省は「大臣認定」した計算方法を誤魔化されたので、作意的な一方的数値を掲げて解体命令をした。

現在の僕たちの高度な構造技術を駆使して、安全性を検討すべきだ。「大臣認定」という妙な制度を改善する方向で考えた方がはるかに建設的だ。

僕は東洋ゴム工業の応援団ではないが、僕たちの構造技術上の問題で世の中に妙な誤解を生むのが困るのである。僕たちの構造技術は安全な構造物の創造を目指しており、そのための技術を磨くという作業をしているのであり、決して法令を守れば安全性が保障されるものではないことを世の中に周知させたいたいからである。


渡辺邦夫「図書館日記」-127     2015年3月18日

今週のマスコミ報道で、「東洋ゴム工業」の不正免震装置の問題が大きく扱われている。大臣認定の製品性能誤差範囲が大幅に異なっており数値を偽装したというのだ。

僕は、数年前の姉歯偽装事件を即座に思い出した。この事件は耐震設計について大臣認定した一貫計算プログラムを誤魔化して入れるべき鉄筋量を大幅に減らしたので震度5強程度の地震で姉歯さんが計算した建物は壊れる、という事件であった。国土交通省が告発し建築学会もJSCAもそうだ、そうだと大騒ぎして姉歯さんを刑務所に送り込んで終わりにしてしまった。その後、国土交通省は再発防止策として建築基準法と建築士法を大改悪して事件処理は終わったとした。

いまの東洋ゴムの問題と共通しているのは「大臣認定」。
そもそも大臣認定とは何なのだ? 国土交通省の大臣は政治家だから、もちろんこんな技術的なことは知らない。
2000年ごろまでは、建築基準法の第38条に、この基準法に適合しない技術でも建設大臣の認定を得れば設計し建設してもいいですよ、という条項があった。それで当時の財団法人「日本建築センター」の中にいろいろな分野の専門の委員会をつくり、この専門委員会で評価、あるいは評定を審査の結果で取得すれば、自動的に大臣認定のハンコが得られる仕組みをつくった。建築界の大きな技術革新のうねりのなかで新しい技術を援助、促進するのが目的であった。建築基準法は国法であるから法治国家としては、法にないモノゴトについては何らかの法的カバーをしなければ体制が維持できないので「大臣認定」という制度をつくったのである。

それが僕の記憶では1990年代の終わりころアメリカの貿易自由化の強力な圧力が建設関係にも及んだとき、ときの橋本内閣がこの条項をやめてしまったのだ! 法律が二重になり法体系としては不合理だからである。本質的には技術工学の世界を法律で整理しようとすること自体に無理があるのだが、法治国家である以上なんでも法で支配しなければ矛盾を起こすのだろう。
現在の建築基準法の条文を見ると、面白いのは第38条に「削除」と書いてある。これは当時の官僚の無能さの表れで、なにか巧妙に技術革新のみちをつくるべきであった。国家の法律の条文に「削除」というのは他に、たとえば民法、商法、刑法などにあるのだろうか? 考えるのも面倒くさいし反対も多いし議論もいやので憲法第9条の下に「削除」と書いておしまいにする姿勢である。

第38条を削除して「大臣認定」の制度だけを残したのである。建設官僚の浅知恵という以外にないだろう。

38条認定のころはほとんどが個別認定である。個々のプロジェクトごとに技術審査してそのプロジェクトに限ってOKですと評定した。万一、それでも何か事故が起これば審査委員には責任は発生しない、すべて評定を申請した設計者の責任になる。
一般認定というのもあったが、きわめて稀であったしその新しい技術を使った例が増えて問題が完全に出尽くしたときに一般認定するというルールがあった。

姉歯さんの一貫計算プログラムも今回の東洋ゴムの免震装置でも同じだが、設計者であれ製造技術者であれ、学者(丸山教授が実例)でも、何かを誤魔化して平然としている人は世の中に沢山いるのだから、固有の技術を誰でも使えますと大臣認定することが間違っているのである。個別認定であれば完全に防止できる。

だから、東洋ゴムの教訓は、「建築行政の欠陥」を今後どうするかの問題であり、そこに着目しないとこれからも同質の問題が無限に発生することになる。

やっぱり中国の官僚の方が頭がいい。かれらは38条に相当するものを「限度外審査」という制度をつくり、網の目のようなこまごました建築法規をチャラにする制度を創案した。


渡辺邦夫「図書館日記」-126     2015年3月13日

時の流れにのって事件も流れ去る。ときどき誰かがその流れに竿をさせば、周りの人もそうだったな、そんな事件があったなと想い出す。

当事者は「余計なことするな!」と叫び出したくなるだろう。
長岡技術科学大学の丸山久一教授が当事者である。去年(2014年)3月31日に大学を定年退職して、いまは何をしているのか僕は知らない。この人の調査報告書が裁判所に全面否定されて、結局、新潟県は賠償金をとれなかったことの責任者である。県所有の歩道橋が落橋事故に遭遇するが、その損害賠償金もとりっぱくれ、被害者が全額負担というナンセンスな物語のことである。

丸山教授は終始一貫して知らんふりをして、多額の退職金を手にして悠々と引退した。いまどきの大学の教授の模範生として尊敬されるだろう。

僕はやたらと正義感が強いから、こういう輩を野放しにするのは面白くない。どうすればよいのか? 計算書偽装事件のときはお上はさっさと姉歯さんを血祭りにあげた。お上は弱い者に対しては極端に強い手を打つ。
ちょっとした地位のある者、出身大学とかその人物の所属団体とかにお上は極端に気を遣うから客観的に事件を観察することができない。

最近の大学の不正論文多発事件とこの丸山事件とは全く別である。不正論文は公的助成金を受けながらという前提があり、大学の教授が不正論文を出すのはいつの時代でも当たり前のことであり、この場合は研究助成金を拠出した官僚の方に責任がある。

丸山事件は、官僚の書いたストーリーでいけると本人が請け負ったのである。その背景には自分がコンクリート工学についてはいまの日本で最高の権威者なのだから自分が書いた報告書に異論を唱える奴はいるはずがないという権威主義の塊であったから自信がある。確信犯ではなく単純な権威主義者であっただけである。

定年退職した権威主義者はそのポジションを失うとどうなるのだろう?


渡辺邦夫「図書館日記」-125     2015年3月10日

僕は本を読むのが好きであるが、同じ本を何度でも読む。妙な癖であるが何かの時にフッと思い出すとまた読んでみたくなるのである。

今日も手にしたのが、陳舜臣著・毎日新聞社刊の「小説十八史略」。1,500頁の大著でありやたらと重いが、多分読み終わるのに一ヶ月以上はかかるが、大抵は電車の中で読みふける。自分の車を持っていない大きなメリットだ。

この本の出だしがすばらしい。最初のページの出だしが、
  「人間。
   ただ人間。
   ひたすら人間を追究する。
   ・・・・」
五千年にわたる中国の歴史を1,500頁に亘って紐解くこの大著の最初の三行にいつも惚れ惚れとする。この大著の基本コンセプトをわずか三行で表現している。そしてこのコンセプトは全編にわたり貫かれている。

僕は単なる構造設計者であるが、こういった基本コンセプトの打ち立て方がものすごく参考になるというか勉強になる。どんなに複雑な設計を展開していてもその底辺にある基本コンセプトを明快に設定して構造物の隅々までそれを生かしていく・・・。なのだが意外と難しい。

相当に鍛錬、修練を積まないとできない。こういう本を読んでいると自分の年齢を忘れる。自分もまだまだこれからからだと体の底から意欲が湧いてくるからだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-124     2015年2月20日

帰国の途につくべく、早朝からバクーの新国際空港に行ったがイスタンブールが豪雪で向こうからの航空機が来ない。3時間遅れでようやく来たのが、B737型。昔はこれに搭乗するのも感激したが、いまはその小ささに不安を憶える。

イスタンブールは雪、ダイヤが乱れて成田行きのフィンガーが直前まで決まらない。空港は人、人、人の大混雑。この混乱の中で不思議なのは乗客はなにもかも承知しているという動きを見せ機内に入るといつの間にか満席。国際線の航空機がもう大衆の移動機関としてすっかり定着していることを窺わせる。

翌21日午前9時成田着。10日間にわたるアゼルバイジャン訪問でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-123     2015年2月19日

Quaqux・・・このスペルでコーカサスと読む。コーカサス地方というと何か詩情あふれる想いがあるが、具体的にはアゼルバイジャン、アルメニア、クロアチアの三国にまたがる山脈である。世界で最も多様な少数民族が居住することでも知られる。

コーカサス地方で最大のモスクがここバクー市内で最近できたという話を聞き見に行った。近代的な新しいタイプのモスクだろうと勝手に期待していたが、誰が設計したか知らないがトルコの片田舎にあるようなモスクのコピーで全然面白くなかった。まだ工事中だということで内部の礼拝堂も見せてくれなかった。残念でした。

夜は高橋日本大使の邸宅で、見事で本格的な日本料理(懐石料理のような)をご馳走になった。高橋さんは単なる大使ではなく「特命全権大使」だ。かなり別格で権限が大きいらしい、その分、責任も大きいのだろう。邸宅は3階建て、300坪はある広々とした、部屋もやたらと多い、庭園も広く、バーベキューパーティーもできる。そこに単身赴任しているという、優雅な外交官の生活の一端を拝見することができた。感謝!

高橋大使はロシア語が堪能で、ロシアについての勉強も十分にしてきた外交官。だから、アゼルバイジャンについての分析も、ロシア時代に遡り、現況の分析を3時間にわたり教えてもらうことができた。僕にとっては新しい発見も多くあり、これも感謝!感謝!


渡辺邦夫「図書館日記」-122     2015年2月18日

今日は終日どんよりとした曇り空でときおり粉雪が舞う、しかし、こちらの人は傘をささない。雨が年間を通してほとんど降らないので、傘を持っていない人が大部分だという。

カスピ海に面する敷地に古い体育館があり、3,200人収容の卓球会場に改装していた。内装だけをやり直し、外装はそのままだからRC造の重厚な装いをそのままにしていてちょっとホッとする雰囲気。

オリンピックスタジアムの向かいに去年できた体育館がある。そこを体操会場として使うというので見に行った。客席が馬蹄形に配置されており客席の無い面が巨大な可動式スクリーンで覆われている、その裏側が練習場になっており大会の時にはそのスクリーンが開いて客席が移動してくるという、随分、手の込んだ体育館。

市内にあるソ連時代の円形体育館は、これを改装してレスリング会場にするという。屋根は放射状の張弦梁で当時としては最先端の構造。レスリングはアゼルバイジャンも得意の種目で金メダルが期待できるので、大がかりな改装をして豪華に、たとえば選手の数だけ個室サウナを用意するなど仕上げている。外装も妙なスクリーンを張り巡らしてソ連時代の重厚な外観を隠しているなどやりすぎの改装だ。

三つの体育館を大急ぎで巡回したが、オリンピックだということで妙に頑張っている風景は、どこの国も同じだなという印象。オリンピックが終わったらまた見にきたい。その後のことも十分考えていると関係者はいうが、どう考えているのか具体的には話してくれない、建前だけはどの国にも共通している。


渡辺邦夫「図書館日記」-121     2015年2月17日

午前中、アゼルバイジャン日本大使館に行った。現在の日本大使は高橋二雄さんで山形の高橋邦雄さんの兄弟、一昨年、山形日曜学校に行ったとき高橋邦雄さんからご兄弟がアゼルバイジャンの日本大使に赴任したと聞き連絡をお願いして今日の面会が実現した。

アゼルバイジャンでの日本大使館との関係は6年前に遡る。僕の通訳を最初にお願いしたのは先日イスタンブールで偶然会うことのできたケナンだが、彼は学生なので常時の勤務はできない、それで僕が最初にアゼルバイジャンに来たとき、日本大使館に行き通訳を紹介するよう頼んだら当時の大使が早速、日本語学校(アゼルバイジャンにもあったのだ!)の先生を紹介してくれて、面接の上、現在のギュナルさんを見つけ出した。

明後日の夕方に大使のご自宅に招待してくれたので、ゆっくりこちらの状況を教えてもらう・・・。なにかと因縁が深い。

夕方はエイカンさん(今回、僕をアゼルバイジャンに招待してくれた人)の夕食会に招かれ古いレストランに行った。石造ヴォールトの高い天井をもつ伝統料理の店で、この店のご主人のコレクションが凄い。ソ連時代以前の上流階級の生活道具を、衣服、敷物、ミシン、電話、レコード、テレビ(高さ10cm、幅15cm)などを展示した部屋が立ち並ぶ。ソ連時代のものも多くありレーニンやスターリンの絵や古びた写真も見せてもらった。総じてソ連時代のものは暗く、それ以前の展示品は華やかで明るい。

現在が長い過去の歴史の延長線上にあることを実感できる展示会場でした。もちろん伝統的な食事もおいしい。


渡辺邦夫「図書館日記」-120     2015年2月16日

ヨーロッパオリンピックのために建設中の施設を見せてもらった。僕はアジアオリンピックというイベントがあることを子供のときから知っていたから、同じ意味のヨーロッパオリンピックが長い歴史を持っていると勝手に考えていたが、今日、聞いた話では、このイベントは今年が最初ではじめてヨーロッパの端っこにある国が開催国になったことを知りビックリした。

第一回ヨーロッパオリンピックをここで開くというのだ! 競技種目は夏季オリンピックとまったく同じらしい。全施設をわずか2年間でつくりあげたというから驚きである。

オリンピックスタジアムは、65,000人収容の大規模なもの。付属施設も充実している。屋根は中央リング型のシンプルなトラス構造で美しい。外壁面はドイツで開発された膜でおおわれ、夜間照明でさまざまな模様と色彩を演出するという。

オリンピックプールは6,500席をもつ豪華なもの。練習用プールも同一平面上にあり使いやすいことを重視している。敷地がやたら大きいのでこういうプランができるのだろう。飛び込み台のデザインが斬新であった。屋根は張弦梁構造を応用したもので軽快な雰囲気をつくりだしている。

広大なカスピ海に面する敷地には、バレーボール、バスケット、水球、ビーチバレーなどなど、専用会場が立ち並ぶ。バクーの6月は極端に雨が少ない、雨天の日がないといえる、だからこれらの施設には屋根がない、おのおのの会場の周囲に15mぐらいの高い囲いがあって客席を支えていると同時に風を遮っている。

どの会場に行ってもその建設現場の所長さんが出てきて、ていねいに案内してくれる。ここでも近くにある小さなレストランに行きアゼルバイジャンの伝統料理をご馳走になる。メインは骨付きの羊料理で、これを連日ご馳走になるので僕はもう2kg程度は太ってしまった。


渡辺邦夫「図書館日記」-119     2015年2月15日

アゼルバイジャン共和国の現在の人口900万人の約半数400万人が首都・バクー市に居住し、一極集中型の国家であるらしい。

この国の歴史は僕たちの理解を超える複雑さである。もともと紀元前後にはアルバニア人の国家がつくられていたらしい、その後、紆余曲折を経て19世紀の初頭には国土の大部分をロシア帝国の支配下におかれ、それがかえってアゼリー人の民族意識の高まりを誘発し、1918年、アゼリー人民族主義者たちがロシアの十月革命後のドサクサの中でアゼルバイジャン共和国を打ち立てることに成功した。しかし、直後にイギリス軍の侵攻がありそれに反発する赤軍がバクーを占拠、ソビエット政権が誕生した。1936年、ソ連邦を構成する共和国の一つになった。

ソ連邦の崩壊後、1991年に共和国独立宣言。だから55年間にわたりソ連邦の中に閉じ込められていたことになる。そして不思議なのは、1993年以来、アゼルバイジャン共産党書記長だったイダル・アリエフが大統領として政権を掌握し専制強権的な政治を展開、2003年に引退して長男のイルハム・アリエフが後継大統領として世襲し、いまは独裁的国家として運営されている。なんだか外から見ていると結局、アリエフ家がこの共和国を乗っ取ったようだ。

僕の仕事と政治の問題とできる限り交差しないよう気をつけているが、それでもこの国が経てきた長い歴史がさまざまに顔を出す。どうにも面倒なことであるが面白い側面でもある。


渡辺邦夫「図書館日記」-118     2015年2月14日

バクー市内に建つ「文化センター」を見に行った。ザハ・ハディットの設計、構造設計は誰がやったのか公表されていない。白いうねった外観で最高部の高さが70mという巨大なかたまり。

館内をこの施設の専属の職員がていねいに案内してくれた。主要な機能は、展示会場が二ヶ所、960人収容のカナダ産の木装の劇場、1,000人収容できるバンケットホール、これは三つに区切ることができる、などでこれらを最頂部まで吹き抜けた広々としたエントランスロビーで連結されている。壁面、手すり、椅子類まですべて妙な曲面で構成されて共通して白色。壁面のもつ曲線はそのまま床に変化するから、壁に近寄っても触れることはできない、床面がせり上がっているからで、非日常的な空間を演出している。

案内してくれた職員さんは、この建物は「どこにも直線とか直角のない生物のような有機的な空間をつくりあげた世界でも例のない建築です」と説明し、どうもそう教育されているようだ。

展示の内容は、現大統領の偉大さを礼賛することに主眼が置かれ、おおむね現大統領賛美宣伝パビリオンという印象。

建物の全面はゆるやかな傾斜をもつ広大な広場で、200mx300mほどの広さがありそうだ、この広場の下が全面的に4層の駐車場で1万台が駐車できるという。だから広場は白色の石と芝生で覆われている。樹木が一本もない。

で、この施設の裏側に回ってみたら、ここでは昔から育ってきた樹木が結構な本数で残っていた。木々の隙間からみえる白いうねったこの造形物は実に美しい。
そうか、ザハの建築は自然の環境が残る大きな公園の中に建てれば結構イケるじゃないか、と気が付いた。


渡辺邦夫「図書館日記」-117     2015年2月13日

どんよりとした曇天でときおり小雨がバラつく、バクー市の中を駆けずり回った、というより引きずり回された。会議センターの建設を管理している役所が沢山あって、そこの関係者と面談するのにまる一日がつぶされた。

まる一日を最善を尽くすのだが、しかし、建設の実態がなかなか把握できない。この施設の発注者はアゼルバイジャン政府財務省だが、建築設計をオーストリアの、構造設計をトルコの設計事務所に発注している。工事全体の監理(PMあるいはCM)をドイツの会社に、建設(ゼネコン)をトルコの大手会社、鉄骨を製作から建方までオーストリアのこれも大手の会社、みなさん一生懸命に仕事をやっているのだが、自国の都合もあり、これ全体を束ねるのは至難のわざだ。関係者の間の接着剤を果たす役割の技術者が居ない。

時間がやたらかかる責任の一端は僕自身にもある。いままで英会話の訓練を徹底的にサボってきたツケが出てきた。僕がなにか話す「ここはどうなっているのですか?」、それをギュナルがアゼルバイジャン語に直す、向こうの通訳がそれを英語なりドイツ語に翻訳する、相手のドイツ人は返答する「そこの接合部は・・・」、それが僕に戻ってくるまで同じ翻訳の経路をたどる。このもってまわった会話を経験したことがある人は、精神的に過大な負担を強いられることを知っているだろう。過度の疲労現象を誘発するのだ。

仕事の多国間にわたるシステム上のコミュニケーションの困難さと、「ことば」の障害の二重苦に苦労した一日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-116     2015年2月12日

昨日の連続ショックの後、現地の関係者と打合せして、いまバクー市内で建設中の「会議センター」(収容3,600人の大会議場)の構造が心配だから見た上で渡辺さんの意見や考えを欲しい、ということになった。国の施設だという。

で、今日は午前中から建設現場に行き、まず現場で働いているいろいろなエンジニアからヒアリングを行い、その後、現場内を一巡した。構造体は完成しておりいまは外装工事、内装工事をやっている。一巡といっても広い現場だから5時間ぐらいかかってしまった。

想像を超えて急変貌するバクー市。ここの活気ある現場内でも世界中から有能な人材を集めている。ドイツ人、トルコ人、イタリア人、パキスタン人、もちろん、誇り高きアゼルバイジャン人、総勢2,500人。日本人は僕一人しかいない。

僕の通訳をしてくれているのがギュナルさん。もちろんアゼルバイジャン人で、6年前にSDGに入社し、いまはバクーの科学センターで働いている2児の母親。
こういう大きな現場で、美しく知的な女性の登場はめずらしいから、どこからともなく次々と沢山の作業員が集まってくる。みなさん、表情が明るく何だかんだと彼女に質問する、何を言っているのと僕が聞いても、通訳するに値しないくだらないことです、と言って彼女は教えてくれない。こういう朗らかさがある国は健全だ。


渡辺邦夫「図書館日記」-115     2015年2月11日

朝4時、ここイスタンブール国際空港に着いた。粉雪が降る寒い早朝。広いロビーには旅行客も点在しているだけで、大抵の免税品店やレストラン、コーヒーショップもシャッターを下ろして閑散としている。上の階にある喫煙コーナー(ここは屋外で屋根がかかっているだけ)に行ったら、いつも愛煙家でごった返している広いテラスもこのときは5人しかいなかった。

開いてるレストランで簡単な朝食をとりながら本を読んでいて、フッと気が付いたら7時になっていて、ロビーはもの凄い数の旅行客でごった返していた。僕がいるこの広いレストランもいつの間にか満席。
若い男が近寄ってきて「渡辺さんですか?」、「エッ、誰だっけ」と聞き返したら「ケナンですよ、忘れちゃ困りますよ」

丁度、6年前に僕がはじめてアゼルバイジャンに行くことになったとき、通訳を探していて苦労の末に見つけ出した、彼は当時早稲田大学の機械科の学生だったケナン・アフマドヴだ。早大を卒業後、ロールスロイスジャパンに就職しいま航空機のエンジン部門の設計、製作、販売、メンテを手掛けるエンジニアリングをやっている、と言う。このたった6年間の間に一回りも二回りも人間的に大きくなったケナンと話していて、若者の成長の早さにビックリした。これから故郷のアゼルバイジャンに帰るところだが休暇の都合で向こうに着いても一日半しか滞在できず、直ぐに東京に戻ります、と大企業のサラリーマンらしい実直さ。

バクーの空港に着いたのが午後1時半、ここでもう一回、びっくりした。大きな広々とした国際空港が出来上がっていたのだ! 去年、竣工したらしい。設計はトルコのRIAらしい。古い空港は国内線用に使っているが外装、内装をやり直し新築みたいな顔をしている。ターミナルが新しくなっただけでなく、ここで働く従業員の態度が大きく変わった。入国審査のときのあの陰険で疑惑の目つきはまったくなくなり、ハンコを押したあとにニコニコしながら「ウエルカム、ウエルカム」と二度も言った、隔世の感。ようやく旧ソ連時代が終わったことを実感した。

町に行く車の中で、三回目のビックリの話を聞いた。今年の6月からアゼルバイジャンで「ヨーロッパオリンピック」が開催されるというのだ! なんと3年前に誘致に成功し、いまはスタジアムや体育館の建設中、選手村はほとんど出来上がっているという。

やがて車窓から、ザハ・ハディットの既に竣工した市民センターが見えてきた。巨大でグロテスクな真っ白な化け物! 四回目のショックだった。これは後日、見に行く。

最初のショックはケナンとの偶然の出会いで、心も晴々する痛快なショック、二回目ショックは新空港の実現、三回目は今年のヨーロッパオリンピックの開催国になったこと、最後のショックがザハの市民センター、これは痛快とは程遠い。
これからのアゼルバイジャンでの活動が自分でもかなり心配になってきた。


渡辺邦夫「図書館日記」-114     2015年2月10日

夜の10:30の成田発のトルコ航空でイスタンブールに行く。空港に着いたら出発時刻が10:00に変更になりましたと表示されている。カウンターの女性に聞いたら、成田空港は24時間空港ではないから、早く出発できる便は繰り上げて出ます、と平然としている。
これではギリギリに行った利用客は乗遅れる可能性が大きい。たまたま偶然的に僕は今日は2時間前に成田に行ったから問題なかったが、空港側のこういう常識を知らない旅客(僕もその一人だが)はどうしているのだろう?

これからイスタンブールを経由してアゼルバイジャンの首都・バクー市に行くのだが、向こうに着いたら何が待ち受けているのか知らない出張で、とても珍しいことだ。アゼルバイジャン政府の方が、渡辺さん、是非、バクー市に来てくださいという要請に応えてるだけで、こういう非常識的なときも行動に移すのが僕の得意な点でもあるので、きっと面白いことがあると考えてこの飛行機に乗ることにした。


渡辺邦夫「図書館日記」-113     2015年1月5日

年末から年始にかけて少しまとまった時間があったので、渡辺邦夫日曜学校の講座テキスト(いわば構造デザインの教科書)の見直しをやっていた。全12章からなるテキストで内容は多岐にわたる。

見直しをはじめて直ぐにわかったことだが、あまりに問題が多い。このテキストは正確性とか客観性を無視して、僕の設計論を中心にしたものだが、記述にもっとも留意したのが「権威主義・商業主義・官僚主義」を排除することである。

価値観の多様性が、こういったテキストづくりにとって、大きな障害になる。ある事象を自分が高く評価するか、あるいは低く評価するかでテキストに記述される内容は大きく異なってしまう。科学技術にとって真実は一つであるという古典的価値観が否定された現代では、最早、何が真実であるかを記述することはできない。「こうではないか」と主観的判断を繰り広げるだけだ。

この作業は面白いけど、まさに終わりの無い、エンドレスの作業だ。これからの一生にわたりこんなことをズ〜とやっていくのかと思うと、ちょっとウンザリしてきた。僕の本業は、「設計すること」なのだ!


渡辺邦夫「図書館日記」-112     2014年12月25日

昨日24日は亀尾保さんの二周忌で、彼の遺骨が自宅に祭られているので東久留米市のご自宅にお参りに行った。彼はPC建築の工事の神様みたいなエンジニアで、僕自身が多くのPC建築を設計してきたがそのほとんど全部について工事上のコンサルタントをしてくれた人物。僕のPC建築の実現は、亀尾保さんの強力なエンジンニアリングのおかげであるといえる。

今年の9月にブラジルに行ったときも、いまのブラジルは鉄骨建築は少なく超高層から平屋の住宅までRC建築であるので、僕はこれからはPC建築の普及が重要だと、いろいろな場面で講演してPC建築の特質を説いて回った。そしたら、ブラジル政府の方々は、「渡辺さんがPC技術の教育をブラジルでやってくれるなら普及は可能だ、PC設計者だけでなく施工図作成技術者、鋼製型枠作成エンジニア、コンクリート調合エンジニア、蒸気養生エンジニア、脱型から運搬に関するエンジニア・・・さまざまな実際の職人を育てる教育がブラジルでは必要だ、それをやってくれればブラジル政府は協力します」と好意的なのだが、亀尾保さんが居ないいまではこの魅力的な話にのることができない。

自分が歳をとるのに並行して、貴重な人材もいなくなり新たな建築活動も思うように展開できない。これからどうしようかな?と今日も終日、考え続けた。


渡辺邦夫「図書館日記」-111     2014年12月8日

12月2日が僕の誕生日で、75歳になった。75歳を越えると「後期高齢者」というらしい。実にいやな呼称である。もうそろそろあなたは居なくなる年齢ですよ、といわれてるみたいだ。自分では肉体的にも精神的にもまだまだ健全だと思っていても妙な烙印を押されるとかなり弱気にならざるを得ない。

そういえば、昔、同じような状況に陥ったことを想いだした。僕が50歳になるころ、当時の構造家懇談会(JSCAの前身)の矢野克己さんから、「渡辺君は若手のホープだから」と言われたことがある。自分ではもうすかっりベテランの域に達していると思っていたから、「エッ、なに?」と戸惑い、結局、矢野さんの真意を聞くことをしなかったが、先輩たちの見る目はそんなものかと落ち込んだのを覚えている。

もう一つ想い出した。大昔のことだが、徐光さんに僕が「いい歳をして、そんなこともわからないの?」と聞いたことがある。そしたら徐光さんは「自分の年齢から10歳引いて下さい」といわれ僕はピンときたので「わかりました」と応えた。徐光さんが、あの悪夢のような「文化大革命」の真っ最中が丁度、彼の青春時代と重なっていることを想いだしたからである。

徐光さんの話を想いだして、そうか、僕もいま65歳なのだ、と気をとりなおした。国交省や新潟県と丸山久一教授の陰謀に巻き込まれた「朱鷺メッセ連絡デッキ事故裁判」に僕はまる10年を無駄に費やしてしまったのだ。
まだまだやれると、急に元気が出てきた。


渡辺邦夫「図書館日記」-110     2014年11月23日

津山から岡山まで岡山の原憲詞さん(この人の実家が津山にある)に車で送ってもらった。三島の岡本憲尚さんも同乗しての楽しいドライブ。日曜日だということもあり、朝8時に津山を出発して9時半過ぎには岡山に着いた。その後、新幹線で名古屋に行くのだが、まだ出発まで時間が少しあるので後楽園に行きましょうと原さんが誘ってくれた。

園内に入って直ぐのところで作業服を着た係りの人が、遊歩道に綱を張り「これから丹頂鶴が散歩に出ますから道を開けて下さい」、やがて向こうから二羽の気品に満ちた丹頂鶴が悠々と優雅に歩いてきて池の近くから青空に向けて飛び立ち公園の上を旋回する、これには僕もびっくりもしたしあまりの美しさに感動した。まったくの偶然のタイミングである。あるいは原さんは知っていたのかもしれない。

あとで調べたら、ここ岡山後楽園では8羽のタンチョウを飼育しており、タンチョウを人工孵化させ人工飼育し成鳥に育てる技術が確立しているのは地球上で岡山県が唯一だということらしい。

その後、新幹線で名古屋に行き、日曜学校名古屋講座で5時間の講義を行った。丹頂鶴のおかげで気分は最高にいいので、講義にもいやに熱が入り3時間の予定が5時間におよび受講生の方が迷惑だったかも知れない。

明日の朝には帰京する。四泊五日の楽しい旅でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-109     2014年11月22日

米子での講演を終わって、折角ここまで来たのだからと広島の照井清道さんと相談して、日曜学校の受講者にも声をかけて総勢26名で岡山に帰る道すがら銘建工業の集成材工場と津山市の津山文化センターを見学することにした。

銘建工業の集成材工場は鳥取県と岡山県の県境に近い山に囲まれた静かな農村に二カ所ある。一つの工場は大断面集成材の製造・加工工場で、もう一つは小断面集成材の工場でこちらは完全に規格化した部材をオートメーションで製造し、まさに木材の工業化に挑戦した工場。二つの工場の製造ラインのシステム化にあまりにも大きな違いを直接見学できて、大いに勉強になった。今後の耐火集成材の製造ラインについても大いに参考になった。

津山文化センターは、津山市を象徴する城址に50年前に建てられた斗供構造の美しい建築である。設計は川島甲士さん、構造は木村俊彦さん、施工は三井建設、クライアントは津山市だが当時の市民の寄付金で企画された、見事なコラボレーションの結果、産みだされた建築。僕は当時、木村俊彦さんの事務所におりこの仕事を担当したので格別に想い出の深い建築。50年の歳月を感じない迫力と端正なたたずまいはいまも生きている。

インターナショナルな技術を駆使して、ここにしかないローカリティ(風土と歴史)を100%表現し得た建築、あらためて見学し当時の建築人の素晴らしさを再発見した、だけでなくいまもきれいにメンテナンスされ生き生きと利用されていることを知り、津山市役所の方々に感謝の意を表したい。


渡辺邦夫「図書館日記」-108     2014年11月21日

もともと米子に来たのは、蟹を食べるためではなく、JSCA鳥取地区の技術交流会で講演をするためであって、この交流会がJSCA法人化25周年記念大会であったので講演を引き受けた。

この講演会には米子高専(国立米子工業高等専門学校)の学生さんが80人以上参加してくれるというので僕も大いに張り切っていた。午後1時半の開場に行ったら高専の学生さんを含めて150人以上の大盛況であった。

講演テーマはいつもの「コラボレーションの時代」であるが、いつもと違うのはコラボの事例として紹介するプロジェクトを日本のものだけでなく韓国、中国にまで範囲を広げた。コラボの時代が到来したことを国際的に共通の概念として紹介したかったからである。講演の最後に、今日の主催がJSCAなのでそのお礼のつもりでコラボの時代にJSCAはどうあるべきか・・・も話した。

どうも僕はこういう地方に行って講演するのが苦手である。僕自身、東京で生まれ育ち東京で仕事をする、というパターンに根本的なコンプレックスがある。建築は本来、ローカリティの要素が大きいはずだが、それを見つけだすことが僕の環境ではできない。だから地方に行って講演しても、聞いてる方はなにか空虚感が漂うのではないか、東京からきて何を勝手なことを、と思われるのでないか、妙な負い目を感じるのである。
年齢と修練を経て、早くこの負い目の感じから抜け出たいものだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-107     2014年11月20日

岡山から伯備線で米子に行く間の列車からの景色は、おとなしいが心休まるものであった。なだらかな山々の落葉樹が赤茶けて群生するが、ときに真っ黄色、真っ赤な樹木も点在し、常緑樹がそのおかげで鮮明な緑にみえる。

落葉樹と常緑樹は各々が小さく群生するが、見事に共存する風景は見ていて頼もしい。ずーと小山の連続だったが、米子に近づき突如、大山(標高1,800m、火山)が現れる。山頂はすでに雪がかぶっており列車の進行に合わせて大山を見る角度が変化し、ときに富士山のような美しいプロポーションが現れる。中国山脈の中でも孤高を誇る。

今日はこの短い旅の終わりに、米子の日本海沿いにある皆生(かいけ)温泉でいままさに旬の松葉蟹をご馳走になった。鳥取の門脇昇・美鈴ご夫妻のご厚意にあまえて松葉蟹を堪能した。料理は、蟹の刺身、蒸す、煮る、焼く、揚げる・・・など10種類の調理の仕方でおなじ松葉蟹だが味も香りもまるで魔法のように変化する。
自分の設計上での変化の領域があまりに小さいことを反省した夜でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-106     2014年10月14日

僕は、古いビデオ映画を繰り返し何度でも見ている。多いときは10回以上、一ヶ月とか半年、一年など期間を置いて同じものを観る。何度も見ているうちにその映画の「起承転結」を読み取ることができ、さらにストーリーの幹の部分と枝葉とが区別できる。やがてその映画をつくった監督とか演出家の心を読めるようになる。

小説や映画に限らず何事にも「起承転結」は重要だと思う。建築の設計でも重要さは変わらない、平坦な設計は面白くないし進歩がない。ちょっと概念的な話だが、構造設計も同じで設計を受注してから竣工するまでには多くの人たちのドラマがあり、やがてそれ自体が空間のドラマとなり「起承転結」を経て結果が産まれる。

昨晩、たまたま「13デイズ」というビデオを観た。ケネディ大統領時代のキューバ危機を描いた映画で、その構成の「起承転結」の巧みさに再び驚いた。この映画の画面はモノクロとカラーを使い分けている。これも観る人に感動を呼び起こす手法としては抜群である。こんなことは一度見ただけではわからない、何度も何度も同じビデオを観ていてやがてわかってくるのである。

自分の設計行為にも、ものすごく役に立つので、深夜とか明け方になって古いビデオ映画をときどき見ている。僕の奥さんは、「あなたバカじゃないの?」という顔で僕をみるが、こんなに手近で「起承転結」を分析でき習得できる道具が他にあるだろうか。


渡辺邦夫「図書館日記」-105     2014年10月10日

先日、若命善雄さんの強い勧めで、僕の単行本を出版することになった。建築技術社の橋戸編集長も乗り気で一気に一年以内の出版が決まった。東大の腰原先生や研究室の藤木さん、末廣さんも応援してくれるということで、なんだかもうできたような錯覚を覚える。

実際には本を出すまでには結構なエネルギーがかかるし、出したところで売れるわけでもない。もう10年以上前に「飛躍する構造デザイン」という本を京都の学芸出版社から出したことがあるが苦労した割には成果?がない。でもときたま、一年間に一人か二人の若者があの本は面白かったですよ、という話を聞くたびに、やっぱり出版してよかったと思うのである。

僕は自分が設計に参加した建築が竣工したときに、「自己採点」を行う。なかなか75点を上回ることは滅多にない、どこかに反省点と失敗点とがあり十分に満足したことがない。建築は多くの専門家との協働作業だから僕が勝手に採点しても失礼になるので、いままでこの建築は何点などと言ったことがないが、いずれにしても完成度からいって100点満点は経験したことがない。

で、いま企画している本の表題の副題として「未完の軌跡」としたらどうだろうと考えついた。100%の完成度というのはないわけだから、減点対象を拾い出せば「構造デザイン」の新たな問題点を抽出できるのではないか?と思う。

など、一冊の本を書くということは大事業だから、そのプロセスをこの日記に記しておけば一年後に出版したときに読み返してみれば面白いかも知れない。


渡辺邦夫「図書館日記」-104     2014年10月2日

先月のブラジル旅行で、いろいろな方々から「SDG Library」に書籍を寄贈いただいた。これから熟読しようと思うのだがほとんどがポルトガル語で写真と図から想像するしかない。想像力の修練にはなる。

「BRASILIA 50ANOS」Sylvia Ficher, Andrey Schiee共著 ブラジリアに建つオスカー・ニーマイヤーの建築作品の50点を紹介した本。

「JKMF」Jurio Kassoy, Mario Franco共著 ご両人ともブラジル構造設計界のボス。この二人はパートナーとして活動していたらしい。ご両人の頭文字を並べて本の題名にした。二人の作品が数多く紹介されている。

「Sao Paulo Concert Hall」Anita Marco, Ruth Zein 共著 サンパウロの終着駅の一つのジュリオプレステ中央駅舎の一部を大改造してコンサートホールにした。その歴史的変遷を詳細に記録してある。

「Lina Bo Bardi」Olivia de Oliveira著 英国の女性建築家・リナバルディがブラジルに渡り名作を造り挙げた。その数は少ないがブラジル建築界に多大の影響を与えたという。彼女の作品集。代表作がMASP美術館でこれも詳細に紹介されている。

「O Concurso de Brasilia」Milton Braga 編集 新首都ブラジリアの建設に当りコンペが行われルシオ・コスタの案が当選し実施されて現在のブラジリアの骨格ができているのだが、僕はこのコスタの案があまりに完結してしまって都市の膨張を考えていなかったのではないか、事実、コスタの案は人口50万人を対象にしているが今現在は250万人に膨れ上がっている。で、コンペのときの他の案はどう考えていたのかと話したら、フランクが苦労してコンペのときの本を捜して手に入れた。コンペに応募した8人の建築家の案がすべて詳細に記録されている。コンペのときの敷地はまったくの荒野だからそこでの都市計画は全く自由で、8案とも独自性に関して格別に面白いが、コスタ案が当選したのもうなずける。

「Ruy Ohtake – Arouitetura E A Cidade」Ruy Ohtake著 ルイオータケの作品集。彼は現在のブラジルを代表する建築家の一人で、大胆だが詳細に考えつくされた作品を次々と発表している。


渡辺邦夫「図書館日記」-103     2014年9月30日

昨日(29日)、ブラジルから帰国した。帰りも長い旅で、サンパウロを出たのが27日、途中でアメリカのヒューストンでトランジット、成田に着陸したのが昨日の正午ごろ。

午後4時ごろ帰宅、そのまま就寝、で、目が覚めたのが深夜の1時。ただひたすら眠りに耽った。のそのそと起き出しパソコンでメールを見たら建築技術誌編集長の橋戸さんが今日、会いたいというメール。橋戸さんにはいつも僕の方から滅茶苦茶な無理をお願いをしている引け目があるから、いいですよ午後5時にお会いしましょうと返信。

そんなことでブラジル旅行の話をしたのが橋戸さんが第一号。僕も異常に熱が入り橋戸さんの話よりブラジル談義にとんかつを食べながら熱中した。

今回のブラジル旅行は、僕にとってとても有意義だった。過去をもたない巨大人工都市・ブラジリアと悠久の大自然の中に育まれたアマゾン、両極端を同時に見聞できた成果は大きい。

ブラジルでお世話になった多くの方々に感謝するとともに心からお礼の意を表したい。


渡辺邦夫「図書館日記」-102     2014年9月26日

昨日(25日)マナウスからサンパウロに戻った。ほとんど一日がかりの移動。

今日は午前中、86歳のベテランエンジニアのDr.Mario Francoに会いに行く前に、彼の作品のサンパウロ市内にあるMUBE美術館を見学してから事務所を訪問した。すごい活気のある元気なお爺さんでちょっとした質問に対しても喋りまくる。ブラジル人特有の明るさで圧倒された。

午後は、75歳の現在のブラジルを代表する建築家・Rui Ohtakeさんにお会いすることができた。彼の30歳台から現在に至る多くの作品について話を伺うことができ、僕にとっては大きな収穫であった。会談は3時間にわたりとても有意義で充実した時間をもてた。

夜は、サンパウロ新聞のインタビューがあり、その後、フランク一家を交えての夕食会となり夜中の12時までの6時間にわたるお喋り、もうヘトヘトになって力尽き果てた。


渡辺邦夫「図書館日記」-101     2014年9月24日

ジュマロッジから時速7〜80kmの猛スピードではしる小船にのってマナウスの町に戻った。

国立アマゾン研究所を訪れた。マナウス市内の広大な原生林にこの研究所はあるが、前日まで実際のジャングルの中で生活していたのでその規模の小ささにガッカリした。中途半端なのである。街中に原生林を保存する意味が不明だ。実際のジャングルの中に本格的な研究所を建設すべきであったし、もし街中につくるのであれば、6,500kmのアマゾン川の模型をつくりその場所場所ごとの問題点を再現すべきであった。

ジャングルの生態系に触れることのできる立地を選ぶか、あるいは、超巨大なアマゾンの全体像を紹介するか、どちらかを選ぶべきであった。

マナウスにもこの前のワールドカップのためのサッカースタジアムが建設された。それを見に行った。町の人たちの評判は凄く悪くてスタジアムだけを建設して町の整備は何もしていない、町そのものは昔のままで忽然とスタジアムだけを建設した、膨大な予算はどこに消えたのか? 

スタジアムの内部は見学できなかった。何故、公開しないのか? と聞いて回ると、まだこのスタジアムはFIFAのもので市当局は手を付けられない、FIFAに借金を返したら市としては直ちに市民に開放する予定だという。ジャングルから帰ってきたばかりなので人間のやることのスケールの小ささにうんざりした。


渡辺邦夫「図書館日記」-100     2014年9月23日

ロッジで朝、5時半にたたき起こされた。小船に乗ってアマゾンのご来光を見に行くためでやがて密林から太陽が顔を出す。澄み切った空気のお陰で燃える太陽が数分で赤く丸く浮かび上がる、あまりの輝きに目をあけていることができない。

ジャングルツアーに出かけた。案内人の大塚さん(57年間アマゾンに生息する男)が詳細に解説してくれた。もちろん、案内人なしには生還不可能なうっそうとしたジャングル。

完全な静寂の中で鳥の鳴き声だけが響き渡る、鳥の種類もやたら多い。
ピュー ピュー ピュ〜ル
チュー チィ チィ チッ
キュー キュー キュー、クック クック クック、ピー ピー ピー
チャ チャチャー
ヒュー ヒュー ヒュ〜〜
ヒュル ヒュル ヒュール、キュル キュル キュール、ピッ ピッ ピュール
キュ キュ キュー、グルッ グルッ グルッ
ピ ピュ ピール、チッ チッ チッ チッ、ピュ キラー、オー オー オィン
クォー クォー
キョン キョン キュオーン、ゴォーン ゴォーン ゴ〜ン
単独で、あるいは複奏して鳴きわたる。

ジャングルで生息するもの凄い種類の生物たち、植物、樹木、昆虫、小動物、それに多くの鳥たち、生物以外の登場者、太陽の光、空気、雨、風・・・それらが各々の役割を演じながら全生命の尽きることのない生命の循環をつくりだしている。ここには絶対的強者はいない。巨木でさえ数十年の歳月をかけて絞め殺し木に巻きつかれやがて倒されて太陽の光が密林の大地に降り注ぐ、その倒れた巨木は無数の蟻の食物となり巨大な堆肥となって新しい生命の誕生に貢献する。ありとあらゆる循環が自然の内に見事に繰り返されるのでありそれは自然の生態系であるが、自分(人間が)がこのジャングルに足を踏み込んでもこの生命の循環に寄与する役割はなにもない。破壊者でしかないのだ。

本来、自然のごく一部であった人間が、科学技術を手に入れたときから自然の一部ではなくなり、むしろ強力な自然の破壊者となった。だから、人類が絶滅しない限り地球環境は破壊され続ける・・・ことをジャングルの中を観察していてわかったのである。


渡辺邦夫「図書館日記」-99     2014年9月22日

早朝、マナウスのホテルから車で30分も走るとアマゾン川の船着場にでる。小船に乗って上流に向かうと二つの川が合流する地点に出合う、向かって右側が白く濁ったソリモンエス川、左側が真っ黒なネグロ川、合流してアマゾン川となるが二つの濁流は約20kmに渡って比重の違いで混合しないで並行して流れる。目を見張る光景である。

小船は白いソリモンエス川をさらにのぼり小さな港でまた車に乗り換える。アマゾン川は無数の支流で構成されるから、また小船に乗り換えて支流を約1時間上流に向かってのぼる。目的地は支流に面したジャングルの中のジュマロッジ。そこに行くまでの船旅は絶景の連続で1時間がアッという間に過ぎ去った。

川面は鏡のように光り川岸の濃い緑と青い空を映し出す、川の色も変化し最初は淡いブルーがだんだん濃いブルーに、ロッジに到着する頃には真っ黒な水が満々と溢れる。川幅もゆるやかに変化し100m〜200m、ところによっては広い湖のようになり、また、緑の木々が川中に立ち並び幽玄な空間をつくり出す、まさに大自然の神秘を実感する。

この流域は国の自然保護区になっており、一本の木を切るのにも政府の許可がいる。ところどころに監視所(木造の瀟洒な小屋)があり、この船の交通にも許可が必要で監視されているそうだ。アマゾンには乾期と雨期とがあり水位も年間で6m近くの変位があるから村々の家屋はすべて高床式の造りで、それもこの風景と見事に一致している。

どうも旅行者には美しい景観のところしか見せないという一般的な側面があるが、それにしてもとてもこの世のものとは思えない見事な風景の連続で、そのための膨大な努力を実感できる。

夕方になってピラニアを釣りに出かけ、数匹を釣り上げて夕食にはその唐揚げをご馳走になった。川中に立ち込める木々の間に船を出し、ここで釣るのであるが、ピラニアは群れをつくり日中は雄大な川を遊泳するが夕方になると全員が木々の根っこの住処に戻るのでそこが釣り場として最適だと教えてくれた。地元の人々はピラニアを食べない、結局は観光客が興味本位で自然の生態系を破壊している実態の一部だと、なんだか妙な矛盾を味わった一日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-98     2014年9月21日

全長約6,500kmのアマゾン川の丁度中間あたりに位置するマナウスにたどり着いたのは深夜の12時であった。ブラジル国内でも時差があるから今日の午前中にいたサルヴァドールの時刻で言えば深夜の1時。

サルヴァドールからマナウスへの直行便はなく、一旦ブラジリアに出て2時間のトランジットを経てマナウスに来た。実に3,500km以上の飛行機の旅であった。

マナウスはほぼ赤道直下の大都会で海抜40mであるが、想像していたより暑くない、どういう仕組みなのか明日から調べよう。アマゾンの自然生態系の破壊が進行中で気候変動も大きいと聞いていたが、その実態も知りたい。地球環境問題を解き明かすヒントがアマゾンにはあると期待してこのマナウスに遠路はるばるやってきたのだから。


渡辺邦夫「図書館日記」-97     2014年9月20日

サルヴァドールの中心街にあるサン・フランシスコ教会は、ファサードは砂岩に覆われ地味な外観であるが、一歩、内部に入ると金箔に覆われた精緻な彫刻に覆われた豪華絢爛なバロック建築の代表作であった。中庭の回廊はタイル壁であるが、15cm角のタイルは一枚一枚が精緻に描かれた宗教画になって白地に淡いブルーの美しい壁画を楽しむことができる。

富と権力がまさに集中していた時代を物語る。この種の教会が30数ヶ所、市内に建てられているらしい。十字架が物語るキリスト教が支配しているさまがよくわかる。ブラジルそのものがキリスト教国でありヨーロッパとの深いつながりを町の隅々まで感じとることができる。

町のはずれ、海岸縁にバーハ要塞があるというので見に行った。サルヴァドールの街を守るために1598年に造られた軍事基地で、大西洋に向かって2台の砲門が残されていた。この要塞の内部はバーイア海洋博物館(サルヴァドールはバーイア州の州都だから)として公開されており航海日誌や船具、それに大航海時代の船の模型などが展示されており、その内容は結構密度が高い。中央の灯台の頂部まで急勾配の螺旋階段を登り切ると、一望にサルヴァドールの市街地と海岸線、それに大西洋の全体像を見渡すことができる。水平線は大きな弧を描いていた。

サルヴァドールの町は海岸線から直ぐに急勾配の丘になり起伏に富んだ地形をなしている。で、海岸とソウサ広場を直結するために高さ73mのエレベータが設置されている。料金は0.15レアル(約6円)で町の人々の日常的な交通機関であると同時にシンボリックに建つエレベータシャフトもなかなか優雅。


渡辺邦夫「図書館日記」-96     2014年9月19日

今朝、ブラジリアからサルヴァドールに移動した。
サルヴァドールは1549〜1762年の200年以上にわたりブラジルの首都であった町で、1570年代以来サトウキビ農業を支えるために沢山の黒人がアフリカから奴隷として連れてこられた。いまでも人口約250万人の内、80%が黒人と言われている。彼らがアフリカから持ち込んだ音楽と芸術は数世紀を経て脈々と生きており、ブラジルのルーツを知るためには、この古都に来なければならない。

僕が宿泊したホテルは、大西洋に突き出した岬の先端に建っており、その眺望は抜群である。太平洋と異なり波が静かな鏡のようにダークブルーに光る大西洋の、この先にあるアフリカ大陸との歴史的略奪と暴力の時代を考えるだけで大きな時代の変遷を感じ取ることができる。

それにこの大西洋を媒体にしてのヨーロッパ諸国との交流、プラスとマイナスが交差する長い歴史も、同時にこの町には残されている。

街に一歩でると、車やバイクからはガンガン音楽が流されるし、レストランの前では楽団が大きな音を振りまく、まー、うるさい町なのだが、この町の人たちは一向に気にしない。人々の会話の声もやたらでかい。街の中でお巡りさんに道を聞くとまったく一方的に大きな声でしゃべりまくる。ポルトガル語だから何を教えてくれているのかサッパリわからない。英語で教えてよ、というとまた機関銃のようなポルトガル語、相手のことなど気にしないで自分の信じていることを猛烈に喋るようだ。

最後に、タクシーに乗れというので、僕はバスがいいというと、サッと道路際に行き手をあげて走ってきたバスを止め、これに乗れという。本当かなと思って乗るとちゃんと目的地に着けた。まか不思議な人たちだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-95     2014年9月18日

IASS2014-ブラジリア大会に朝から出席した。
午前中はサンパウロ大学教授のMario Franco先生の講演を聴き、講演終了後に先生に挨拶に行った。86歳になる先生はとても気さくな方でロビーの椅子に座り僕のインタビューを快く引き受けてくれた。話の最後には先生のサンパウロの事務所は35人のスタッフが働く小さな事務所だけど、是非、来て下さいと招待してくれた。

午後になって僕のスピーチをした。テーマは「ハニカム構造の魅力」、わずか30分の時間しかくれないのでほんの概要しか話ができず、多分、聞いてくれた40人の方々はほとんど理解できなかっただろう。その代わり他の出席者のスピーチを聞いた。

そこで気が付いたことなのだが、ブラジルでの主要な建築活動はドイツ、イタリア、イギリス、フランス、もちろんポルトガル、スペインを含む「西半球」での結びつきが強い。日本を含む「東半球」諸国との結びつきは希薄である。日系ブラジル人が活躍しているとの風聞もサンパウロ近辺のエリアだけのようだ。

いままで無意識の内に、「北半球」と「南半球」という区分をしてきておりどちらかというと「北半球」は先進国が固まりその結果、交流が活発に行われてきた、「南半球」には発展途上国が多く、日本から見て「地球の裏側」という認識があった。赤道近辺で地球を水平に二分した考え方であった。

しかし、それが実際にはそうではなく「西半球」と「東半球」という地球を縦割りに捉えた方がさまざまな事象を理解しやすいし、ブラジルを理解する上では重要なことであることをいまごろになって発見した。


渡辺邦夫「図書館日記」-94     2014年9月17日

首都ブラジリアのシンボルともいえる国会議事堂で、屋上にお椀を伏せたようなドームと深いお皿のような逆さ円錐とは対になって、この建築をひときわ際立たせるものになっているが、その内部がどのように構成されているのかあまり紹介されていない。

で、事務局に見学を申込んだがあっさりと拒否、折角ここまで来たのだからと粘りに粘ったら相手のブラジル人もうんざりしたのか結局、見学を承諾してくれた。事務局が、一旦、承諾するといろいろな人たちが現れて懇切丁寧な4時間に及ぶ議事堂の見学が実現した。

お椀を伏せたほうが上院、議席約100席の円形平土間式で一段と高い舞台がつきそこが議長席、傍聴席が同心円でバルコニ状に取り囲む、傍聴席の方が多い。ドーム状の天井面には無数の小さなアルミ片が吊り下げられて音響をコントロールしている。確かにブラジル人はやたらデカイ声で延々とまくし立てる人が多いから吸音効果は最初からかなり重要視したようだ。

お皿状の方は下院で議席約300席、外から見えるお皿の斜面部分は傍聴席で、議場は円筒状に掘り込まれて平土間の議席配置、同じレベルに記者席も設けられている。ここも議員席数より傍聴者席数の方がはるかに多い。天井面はゆるやかな下凸状のシェル。コンパクトだが上に向かって広がる開放感にあふれる。

傍聴者のための議場という空間構成は、設計者ニーマイヤーの主張するところで市民のための市民参加の議会を実現するために彼は大変な精力を傾注したらしい。確かに、上院、下院とも権威とか権力をまったく感じない親近感が溢れるホールであった。その結果がこの建築の外観にも見事に表現されていた。


渡辺邦夫「図書館日記」-93     2014年9月16日

正午過ぎにブラジルの首都・ブラジリアの空港に降り立った。
1960年であるから僕が大学の1年生の頃ブラジリアの新首都建設がほぼ完成したニュースを聞いて、是非、行って見たいと思っていて54年が過ぎ去ったことになる。ここの大地を踏んで感激ひとしおである。

フランス生まれのルシオ・コスタ(1902-1998)が1917年にブラジルに渡り、1956年の新首都計画のコンペに当選し飛行機型(あるいは翼を広げた鳥型ともいえる)都市のパイロットプランを実現することになった。そのなかの主要な施設はオスカー・ニー・マイヤー(1907-2012)が設計し工事が完成したのが1960年であった。

三権広場を囲むように国会議事堂(上院と下院)、最高裁判所、大統領府がほぼ直角三角形で配置され、立法・司法・行政の三権がバランスよく配置されている。いずれも純白の大理石で覆われており夜間照明に浮かび上がる姿が美しい。国会議事堂の向いにパンテオンがあり内部はブラジリア建設の歴史が壁一面に彫り込まれている。

そのレリーフによると、ブラジルの海岸線にある都市は相応に発達してきたが内陸部の発展が遅れ、首都を内陸部に移す遷都構想は1870年代からあったようだ。いろいろな候補地が挙げられておりその時々の政権は真剣に検討を繰り返してきたが中々、案がまとまらない、ようやく1955年にクビチェック大統領(1902-1976)の決断でブラジル中央高原の荒野(標高は1,100mだが地下水位は高いから湿原であったのかも知れない)に新首都建設を決定、さらに彼の任期5年以内に実現するという壮絶な計画を立案し、また実行した。

さまざまなドラマを経て、世界遺産にも登録されたブラジリア、その中心となっている三権広場に立つとあらためて建築の面白さと奥行きの深さを実感する。


渡辺邦夫「図書館日記」-92     2014年9月15日

僕はリオに初めて来たのでリオだけでなくブラジルのシンボルといわれるコルコバードの丘に建つキリスト像を今朝見に行った。生まれて初めてパリに行ったときにまずエッフェルタワーを見学したときと同じ感覚である。

海抜700mの丘の頂上に建つこのキリスト像は兎に角巨大なモニュメントである。像の高さ38m、左右に腕を広げた長さ30m、総重量1,100トン、表面はブラジル産の蠟石貼りで純白さを長年保持している。まったく風化の痕跡が無く昨日、竣工したかのようで、2012年に世界遺産に登録された。

ブラジル独立100周年を記念して、1922年に着工、1931年に竣工。とても80年におよぶ歳月を経ているとは思えない純白さ、真青な天空に起立する姿は美しい。鳥もこの高さまでは来ないのか糞跡もまったくない、あるいは蠟石は雨水で浄化する性質があるのか?

丘の上に登る登山電車に乗って頂上付近からエレベータとエスカレータを使ってキリスト像の足元にでる。その展望台からリオの街並み、海岸線、隆起した奇岩群を一望のもとに眺めることができ、ぎっしりと観光客で埋まっていた。

この昼景に感激して、夜景も見ようと登山電車の下の駅に夜6時半ごろ出かけたが、6時が最終電車でもう登ることができなかった。見上げると真っ黒な天空に照明された純白のキリスト像が浮かんでいた。


渡辺邦夫「図書館日記」-91     2014年9月14日

KAPの萩生田さんが折りにふれてリオのマラカナン・サッカースタジアムの話をしていた。それを想い出してマラカナンに行った。

今日は日曜日でちょうど試合が午後4時からあるというので3時半ごろマラカナンスタジアムのゲートまでバスで行ったら、見渡す限りの群集で老若男女、フアンらしい同じユニフォームを着た群衆にアッという間に取り囲まれた。

チケットゲートは長蛇の列でとてもチケットを買うのは無理だと思い、スタジアムの裏側に行ってみたらヤッパリ、ダフ屋のお兄さんが近寄ってきて「チケットあるよ」、で、「いくら?」と聞いたら「50レアル(約2200円)、正規に買うと35レアル(約1500円)のチケットです」とダフ屋にしては丁寧な説明付きなのでこれを買うことにした。

現在のマラカナンの観客席は8万人だが、サッカー専用なのでそんなに大きいとは感じなかった、コンパクトで観戦しやすい気持ちのいいスタジアムであった。屋根はリングのテンション構造にテフロン膜を貼った軽やかで明るい。

もともとこのスタジアムは1950年のワールドカップのために建てられたもので収容観客者数20万人といわれてきた。2007年、2013年の大改修で8万人スタジアムになったが、もとの20万人のときの痕跡を探したがどこにもそれを発見することはできなかった。

2016年のリオ・オリンピックの開会式と閉会式をこのマラカナンスタジアムで開催されることが決定しているが、サッカー専用スタジアム(フィールドがあまりに狭いのに)がこれに使われるのは初めてのことで、どういう風に入場選手団を整理するのだろう?


渡辺邦夫「図書館日記」-90     2014年9月13日

今日はサンパウロからリオデジャネイロに移動した。ブラジル人はあまり「リオデジャネイロ」とは言わない、「リオ」で済ませる。その語感に親しみが沸く。

リオのコバカバーナ海岸は世界有数の観光地であるが、3kmにわたり緩やかな弧を描く海岸線は実に美しい。夕方、この浜辺を散歩した。粒度の極端に小さい砂浜はまるで絨毯の上を歩く感触、しかもゴミは一つも落ちていない。太陽の沈んだ真っ暗な7時ごろになると市の清掃車が数台、砂浜を巡回する光景に出会い徹底した清掃作業を行う(みたいだ)。

砂浜とそれに隣接するアトランチカ大通りの境界のところに沢山の出店が並ぶ。ほとんどが飲食店なのだがその風情が高級レストラン風で屋外にあって音楽とともに食事を楽しむ風景も絵になっている。

2016年にはリオでオリンピックが開かれるが、リオの空港でもここの浜辺でもまったくオリンピック開催の熱気は伝わってこないというか存在しない。観光客はもちろんだが地元の人たちもオリンピックには無関心みたいだ。オリンピックが政治家と金儲けだけを考える大企業のイベントになっている現実を垣間見ることができる。


渡辺邦夫「図書館日記」-89     2014年9月12日

ジュリオプレステスという終着駅がある。その駅舎の端っこにあった乗降客のための大ホールを大掛かりに改造して音楽ホールにしたのが、サンパウロコンサートホール(Sala Sao Paulo de Concertos)である。駅舎全体の約1/3のエリアの改造で、残りの2/3は現在も駅舎として利用されており、この日も多くの乗降客がホームを埋めていた。

ホールは約800席で平土間式、二層のバルコニー席がある。舞台の後ろにも客席がありオーケストラの背面から、指揮者の真正面からも鑑賞できる独特のホール。舞台を広げるときはこの背面客席は後退する可動式、さらにビックリしたのは天井面全体が可動式で上下に約10mは演目に応じて移動できる。

内装は木調の落ち着いた、美しい気品のある音楽ホール。天井の上下可動ホールという大胆なものを僕は見たことがなかったので本心、感動した。

日本で売ってるサンパウロのガイドブックにはこのホールを紹介していない。僕のブラジル旅行の手助けをしてくれているFrank Zenji Hidaさんのお母さんがつい一昨日、ここだけは見に行ったほうがいいとアドバイスしてくれて急遽、今日になって見に行った。

この改造計画の発案者が誰で、資金提供者は、設計者は誰なのかまだ僕は知らない。改造工事のプロセスなど興味津々ではあるが、いきなり今日になって現地を訪れたので造り手側の詳細は何も知らない。これから時間をかけてゆっくり調べようと考えている。


渡辺邦夫「図書館日記」-88     2014年9月11日

サンパウロ市のほぼ中心にあるイビラブエラ公園の中に建つ施設をオスカー・ニーマイヤーがまだ40歳代で設計した。中心になる施設は1954年竣工の近代美術館(MAM)で、ニーマイヤー独特の空間構成に引き込まれて飽きることなく歩き回ることができる。

今日は木曜日だが、小学校の子供たちが10〜15人のグループで近代美術の展示を引率している先生の説明を受けながら移動、あるいは車座に座って写生するグループ、各所に配置された映像を見ているグループ、ザーと見渡しても10〜15ぐらいのグループである。もちろん、大人の見学者も多いが、他の美術館では見られない子供たちの数の多さにびっくりした。

まさに美術館を教育の場として活用しており、それに見事に対応した内部空間の変化と多様な質を発見できる。

一歩そとに出ると広がりをもつピロティの連絡デッキが施設間を連結しており、そこでローラースケートやスケートボートを巧みにあやつる沢山の子供たちに出会う。周辺は樹木が延々と広がり、とても爽やかな風と鳥の鳴き声が吹きぬけて実に爽快である。大都会の真っ只中にいることを完全に忘れてしまう半日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-87     2014年9月10日

サンパウロの郊外に巨大なコンベンションセンターがある。そこでNUTAU2014の国際セミナーが開催された。開幕の基調講演に僕が指名されて2時間の講演を行った。テーマは最近、僕がいろいろなところで講演しているものと同じで「コラボレーションの時代」にした。

簡単に言えば、さまざまな専門家が協同作業するときに、契約関係とか命令関係で専門家間を連結するのではなく、はるかに人間的なあるいは個性的な創造力をベースにした協働関係の中からのみ豊かで健全で斬新な建築が生まれる、それが21世紀の時代を形成するのではないか・・・という主張を実例を紹介しながら話すのである。

この話の前段に、「ブラジルが産んだ英雄的建築家のオスカー・ニーマイヤー(1907-2012)の時代は終わった」ことを言わなければならず、もしかしたら多くの反発があるかも知れないとちょっと心配していたが、意外と出席者のほとんどの方々が賛同してくれた。

地球の裏側まで行って喧嘩を売りにいく必要はまったくないのだが、自分の考え方がインターナショナルなものかどうかを試すという意味では、僕にとっては大きな成果であった。

僕の次に登壇したのはブラジルワールドカップのブラジリアの会場を設計した建築家で、彼のサッカースタジアムは矩形のスタンドに対してそれとは無関係に外側に直径300mの円形の支点上に屋根をかけたもので明解なスタジアムであった。しかし、その円形屋根を支える柱列の密度が高すぎるので「こんなに沢山の柱がなぜ必要なのですか?」と質問したら、「エンジニアリングをドイツの設計社に頼んだので彼らは何かの合理性で判断したと思う」というあいまいな説明なので、僕は大いに満足した。

どこに行っても喧嘩好きな自分の性格に少しうんざりした一日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-86     2014年9月9日

「サンパウロ大学」は、市内の中心に近い場所に広大な敷地をもっている総合大学。ここの都市建築学部のProf. Dr. Bruno Roberto Padovanoに会いに行った。彼はNUTAU/USP(建築国際セミナー)の責任者で、僕のブラジル行きを歓迎してくれて明日のNUTAU2014セミナーのオープニング基調講演を企画してくれた先生。

明日の講演会のスケジュールは簡単に済ませて、広いが学内を案内してくれた。彼の校舎は平屋建てでところどころに中庭をもつ研究室の集合体で、「Honeycomb」と命名されている。その由来を聞いたら「ここの教授たち全員が働き蜂だから」というので「じゃあ女王蜂がどこかにいるのですか?」と聞いたら「います、サンパウロ州政府です」と明解。州立大学の仕組みをうまく表現していた。

授業料は無料でヨーロッパ諸国から著名な教授を集めており入学競争率はきわめて高いことでも有名な大学。敷地内を一巡するのに車で約2時間かかった。

その後、市の中心のパウリスタ通りに面したMASP美術館(1968年竣工)を見に行った。この建築はイタリア生まれの女性建築家・Lina Bo Bardi(1914-1992)がサンパウロに移住して完成した力作。地下の幹線道路をまたぐために60mスパンの大架構3階建てRC造で1階はまったく邪魔のないピロティ、上部二層が展示場の端正なプロポーションで、いまではサンパウロを代表する建築の一つ。

1960年代に世界各国で近代建築のさまざまな試みが同時多発していたことを理解できる。


渡辺邦夫「図書館日記」-85     2014年9月8日

サンパウロ市内にある建築家Nivaldo Fu Nozoieの事務所を訪問。彼の最近の歩道橋を含む建築作品を紹介してもらった。彼はサンパウロを中心にブラジル全土に設計を展開している新進気鋭の建築家。

その作品群の中にサンパウロ市内に建つソーシャルハウス(市と州政府による低所得者のための共同住宅)があったのでその建築を見学に行った。市内の各所に広がる貧民街を再開発して(たち退かせて)、新しいアパートを造りそこに住んでいた人たちを入居させる方式で、細分化した街区ごとにこれを繰り返して居住環境を整備しようというもので、ブラジルに限らず世界中の発展途上国がやっている都市改造の手法である。

実際に完成したソーシャルハウスを見ると、通りの左側は昔のままの貧民街、右側は新しく建てた四角い5階建てのアパート群、直接的に風景を比較できる。一目瞭然で、昔からの2階〜4階のぎっしり詰まった貧民街は人人の生の生活の声が聞こえてくるしでこぼこの配列は街並みとしても豊かさがる、一方のソーシャルハウス群の方は四角い箱の連続体で無味乾燥、人の生活の気配、においが全く消された刑務所のような雰囲気、それをFuさんに話したら「そうなんだ、問題は何も解決されていない、市政府も州政府もキチンと考えていない」と賛同。

都市改造についてのソフトもハードもいずれも未完成のままの計画が行われている実態を話してくれた。どうすべきか、この議論には際限が無い。

ホテルへの帰り道、見上げると中秋の満月が輝いていた。


渡辺邦夫「図書館日記」-84     2014年9月7日

朝、サンパウロは晴れ渡る青い空、気温20℃、今日から3週間にわたるブラジル旅行の初日で快調な天候に恵まれた。

地球の裏側に行ってみようと考えたのが今年の早春のことで、準備に半年かかった。成田を出てからここサンパウロに着くまでに途中のニューヨークでのトランジット時間を含めると27時間50分を要した。家を出てからこちらのホテルにチェックインするまで実質的には35時間の重労働、やはり地球の裏側まで行くのに交通機関が発達したとはいえものすごく時間が掛かる。出発したときの東京も途中で立ち寄ったニューヨークもどんよりとした灰色の雲に覆われていたのでこの晴天には大いに感激した。

サンパウロのグアルーリョス国際空港は今年のブラジルワールドカップのために大幅に整備されたもので、新鮮で清潔、広々とした空港である。入国審査も単純簡潔で女性の審査官「ブラジルは初めてですか?」、僕「はい、初めてです」、「ブラジルの旅行を楽しんで下さい」、「はい、ありがとう」で、ハンコを彼女が押すまで約10秒。この国にはテロの脅威がないのか平和的、親近的、正しい入国審査。

空港にはフランクが出迎えに来てくれてホテルまでの道中、二人は2年振りの再会なので話に夢中になって前方の車が徐行したのに気が付かず追突事故発生。しかし、前の車のお兄さんはバンバーが少し凹んでいるのを見て「問題ないよ」との一言で握手して走り去った。フランクも車満杯のサンパウロではいつもこんな調子ですと平然としている。

今日は、たまたまブラジルの独立記念日で日曜と重なり、街中には自転車専用レーンがつくられ沢山の家族連れ市民が休日を楽しんでいた。平和そのもの。


渡辺邦夫「図書館日記」-83     2014年8月27日

今日は、鉛色のどんよりとした空模様の中を散歩した。肌寒い風が全身に当たる。日本海側の冬景色がこの草加の町にも現れたようだ。やがて霧雨が降りしきり極端に寂しい風景の中をなぜか一人で散歩し続けた。

この寂寞とした寒さは、単に今年に限った異常気象なのか、地球規模での環境破壊の結果として産まれた気象なのか、僕にはわからない。科学者も発言しない。

昨日、日本の総理大臣が広島の土砂流災害の現場を訪れて、「このような災害が二度と起こらないよう法整備を迅速にします」というようなことを言っていた。事故や災害が起こるたびにいつも同じことを言う男だ。法律の問題ではまったくなく、科学の力不足だということに気が付いていない。

家に帰って本を読んでたら、「昔の学者は自らの学問を深めるために学問に専念したが、いまの学者は自らの学問を世に知らしめるために学問を道具としている」という意味のことが書いてあった。

本物の科学者はどこにいるのだろう?


渡辺邦夫「図書館日記」-82     2014年8月25日

昨日(8月25日)は日曜学校広島講座の最終回。この講座には広島市の方々だけでなく、岡山、呉、遠方では鳥取、四国の愛媛からも出席してくれた。広島大学、広島工業大学、福山大学の学生さん、1年間、本当にご苦労さまでした。

ちょうど1週間前の広島市内で発生した記録的な土砂流災害(今日の時点で死者53名の大災害)について被災地の近くに住んでいる照井清道さんに、この災害の状況について、講義の最初に話して頂いた。災害の起きた第一報では僕も「天災」に近いと思っていたが、状況が判明するに従い結果的には人命保護という観点では「人災」であることが明らかになってくる。

広島講座を開設する当初、またその運営には、広島の新田貴太男さん、照井清道さん(とそのご子息たち)にすっかりお世話になった。会場は広島工業大学広島校舎のゼミ室をお借りしたが、喫煙所が外階段の踊り場にあり、ここで新田さんと一緒にタバコを吸っているときも新田さんは喋り捲る、尽きることのない話題の豊富な人で、新田さんが「構造デザイン」の講師をやった方がずーと面白いと思い続けた。

昨日で今期の日曜学校、山形、東京W期、広島の三講座がすべて終講した。来季は、前橋、東京X期、名古屋で10月から開講する。「構造デザイン」という世界もその奥行きは深く終わりの無い、エンドレスの広がりがあり疲れ果てるまで続けようと考えている。


渡辺邦夫「図書館日記」-81     2014年8月18日

昨日(8月17日)は渡辺邦夫日曜学校の東京第W期講座の最終回で、最後は教室での講義ではなく横浜港国際旅客ターミナルの現地見学会にした。15ヶ月間、毎月第三日曜日に東京、千葉、神奈川、静岡、福島の各地から集まった受講生、東大の腰原研の学生さんたち、毎月、受講するのも大変だったと思う。

何の拘束もない私塾だから出欠自由、宿題もない、課題もない、試験もない、学校の体をなしていないこの日曜学校は、ひたすら「構造デザイン」の魅力を論理的に解き明かし、この設計手法の普及を目指したもので、その主旨は面白いが、受講生あってのことだから僕はひたすら受講生に感謝するばかりである。

一方で、設計手法を伝授するのに「ことば」とか「文字」ではいかに難しいかも実感している。SDGで働いていた方々には徹底した「徒弟」的教え方をした。「ものづくり」の伝授には私塾には限界があることも痛感した。だから「ものづくり」ではなく、「思想」の伝授に力点がおかれるからちょっと宗教ぽくならざるを得ない。その点は今後、改良する必要がありそうだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-80     2014年8月11日

昨日(8月10日)は渡辺邦夫日曜学校の山形講座の最終回であった。1年間毎月第二日曜日に山形県(山形市、酒田市、鶴岡市など)の方々、仙台の東北大学の学生さんたち、多くの方々が毎回熱心に講座に参加してくれた。

この日曜学校を支援してくれたのが「山形構造設計研究会」で、今年の8月に30周年を迎える全国でも歴史のある珍しい研究会で、その会の創設者である高橋邦雄さん、現会長の富樫弘さんの全面的バックアップのおかげである。大抵の会は建設関連企業から金を巻き上げる賛助会員をもっているが、この研究会は会員の会費だけで運営しているのも特徴的だ。僕も数年前に地元の皆さんの研究会活動に共鳴してこの会に加入させてもらったので正規の会員。

山形講座を成功裏に終了できたのはもう一人の支援者がいたからである。山形が産んだ巨匠の建築家・本間利雄先生である。日曜学校の企画を「面白いですね」と最初から言ってくれた。

「組織」が無くても、純粋に「個人」的活動でもこのように支援してくれる個人が何人かいれば、まだ日本でも活動できることを証明した有意義な山形講座でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-79     2014年8月8日

難しい問題を「難しく解く」のではなく、難しい問題を「単純明快に解く」のが僕たちの世界の原則だ。

その観点で考えると、福島の原発廃炉の問題はいまテレビで報道されているのを見る限りなんだかナンセンスだと思う。核燃料を全部取り出して建屋を解体し更地に戻す計画らしいが、まず取り出すのに何年もかかりしかも取り出した核燃料は地下300mの廃棄保管所を建設し何百年も保管して半減期を待つ、それらに必要な費用は何兆円もかかる。苦労して整地してその場所は何に使うのだろう?

簡単に言えば、現在の原発施設全体を厚さ5mぐらいの壁と屋根で最小限を覆いその上と周辺を厚さ20mぐらいの土砂で盛り上げ植林する、小高い丘をつくればそれで放射線を遮断できるはずだ。沢山ある周辺の放射線廃棄物もすべてこの中に入れる。このためにかかる費用はせいぜい500億円ぐらいだ。
原子炉の墓をつくればいいわけだ。古墳を参考に美しい景観をつくりだせば福島に全く新しい緑の起伏のある公園をつくりだすことができる。

「原子炉墳」の築造案をいままで誰か考えて検討してきたのだろうか?


渡辺邦夫「図書館日記」-78     2014年8月3日

原子力規制委員会の田中俊一委員長が九州電力の川内原子力発電所の再稼働の安全基準適合審査結果を発表し、「審査は合格した、しかし、本当に安全かどうかはわからない」とし、全国民を唖然とさせた。彼は自分は行政官であり科学者でも学者でもないことを白状しただけ。

いま、原子力発電の是非に関してこの国の将来を大きく左右する超重大局面にありながら、肝心の科学者や学者がその高度な能力を発揮することなく、ひたすらお上のご機嫌取りになってしまっている。

本物の科学者や学者は、全員、海外に流出してしまったのだろう。

僕も、長岡科学技術大学の丸山久一教授の偽装報告書のおかげで10年間、辛酸を舐める苦労した経験があるだけに、原子力発電所を抱えた地元住民の戸惑いがよくわかる。この問題に決着をつけるには、本物の科学者を海外から呼び戻す以外に手がないと思う。


渡辺邦夫「図書館日記」-77     2014年7月31日

僕は「構造設計」以外に全く趣味のない無粋な男だが、「囲碁」は好きなので最近はコンピュータ相手に時間があるときに戦う。コンピュータのプログラムは10段階で、最初は全くの「初心者クラス」、最後は「最強クラス」で、僕はいつも「最強クラス」を相手に戦うが大抵30〜50目の大差で必ず勝ってしまう。

大分以前だがあるとき、人間は「集中力持続時間」に限界があるが、コンピュータにはそれがない。コンピュータはある一定の能力を仕込まれると永久にその能力を一定レベルで発揮できることに気が付いた。この特徴を利用すれば自分の直感力とか集中力がどれだけ持続できるかを調べることができ、自分自身を再発見できるのではないか、で、試してみたことがある。

「囲碁」を一局打つのに約1時間程度はかかる。三局連続して打ってみたが僕は勝つことができるが若干疲れを感じる。四局目になると勝ったり負けたりで五局目になるとほぼ大差で負ける。この遊びを通して僕の「集中力持続時間」は3時間であることを発見した。仕事上の会議とか打合せ時間は3時間以内であることが僕にとってはもっとも好ましいことがわかる。

三局連続して戦ったあと何分休めば自分の能力を復元できるかも重要なのでいろいろと試してみた。最初は30分休憩してコンピュータと対峙したがやっぱり勝ったり負けたりで思わしくない。結論的には2時間の休憩を挟むとその後はまた3連勝することを発見した。

だから僕の個性では、3時間仕事に集中しその後2時間休憩する、一日の内を3、2、3、2、3、2、3・・・の時間リズムにのせると、ものごとを考えるとき相応の成果を産むことができるのである。


渡辺邦夫「図書館日記」-76     2014年7月5日

今日、SDG Libraryに行って棚を見ていたら、チモシェンコの本を見つけた。随分古い本で、表題は「THEORY of PLATES and SHELLS」、STEPHEN P. TIMOSHENKO著、出版社はMcGRAW-HILL, BOOK COMPANY, INC. でNew York Toronto London 下段にKOGAKUSHA COMPANY, LTD. Tokyoとある。裏表紙の裏に1963.5.11.と僕が購入した日付が入っていた。もう50年も前に購入した本である。

もうほとんど忘れていたが日付けからすると僕が大学を卒業して横山建築構造事務所に入社したばかりで、多分、横山不学先生から「チモシェンコの力学ぐらいはマスターしてなければ事務所に来ても無駄だ」とか脅かされて、慌ててこの本を購入したのだろう。僕は若い時から英語が苦手なのだが、この本に限っては内容が面白いので無理やり読んでいたことを覚えている。

新田さんが推奨してくれた「チモシェンコの自伝」を読んだ後に、あらためてこの力学の本を読み直すと、あの戦乱のさなかに研究を途切れることなく継続したチモシェンコの凄さに深く感動した。

それに日本の工学に関するどん欲さにもあらためて敬意を表したいと思った。チモシェンコの「版とシェルの理論」をニューヨーク、トロント、ロンドンで発刊すると同時にKOGAKUSYAという出版社が東京で英文版を出版していたのである。それを横山不学先生らは若者にこれだけは読んでおきなさい、と指導する熱意に敬意を表したい。


渡辺邦夫「図書館日記」-75     2014年7月3日

広島の新田さんの推奨でステファン・プロコーフィエヴィチ・チモシェンコ(随分長い名前だが)の自伝を1ヶ月以上をかけてようやく読み終わった。最後の一行を読み終わったとき頭がクラクラするほどの「重厚長大」な内容である。本は「チモシェンコ自伝」(チモシェンコ著・田中勇訳 東京図書株式会社発行)で1978年に出版された。

チモシェンコ(1878-1972)はロシア生れだがヨーロッパ各国、アメリカと広域にわたって活動した近代「材料力学・応用力学・振動力学」の元祖。彼の理論は、橋梁、鉄道、車輌、航空機、建築構造などありとあらゆる構造物に適用され各分野の発展に多大な貢献をしてきたことで知られる。

彼の生きてきた時代は、まさに「戦乱の時代」で、ロシア革命、第一次世界大戦、ソ連の共産革命、第二次世界大戦、ヒットラーやスターリンの暗黒の時代にあって、日常生活は困窮をきわめながらも、彼は一貫して力学の基礎理論、応用理論の研究に邁進する。驚嘆に値する精神力だ。

チモシェンコの研究方法の最大の特徴は、「力学理論の研究」と「実験的研究」それに各国での大学での「教鞭」を三大柱として並行して活動していることだ。最初の「理論」と「実験」の並立は誰でも理解できるが、最後の「教鞭」をとることが彼のユニークさを現している。力学理論は平易で簡明でないとさまざまな分野への応用、実践ができないのでそのフィルターとして大学生を相手にして教鞭をとることで自らの理論の平易さを確かめる作業を行うのである。そのことが彼の「弾性理論」を世界中に押し広げる原動力になったのであるが、この自伝を読むとその実像を知ることができる。


渡辺邦夫「図書館日記」-74     2014年6月5日

今日は、「建築家の使命」(本間利雄著・建築ジャーナル発行)を久しぶりに丸一日かけて再読した。山形の風土が産んだ先駆的建築家の本間利雄先生の名著で、自然風土とともに生きる、あるいは環境に溶け込む建築、心が洗われる内容だ。

そのごく一節だけでもこの名著がわかる。
「マンサクの花が雪国の野山に春の訪れをやさしく、控え目に告げる。その淡い黄色の縮れた紐のような花びらが澄んだ冷たい風に揺らいでいる。雪解けの頃、少年たちは連れ立って村の裏山に登った。早春賦の歌も知らない田舎の少年たちの息が弾む。」

考えてみると、僕たちのような東京人は子供の頃から大気汚染の空気の中で育ち、すでに脳細胞が破壊されているのかも知れない。人間が自然と共に生きる、その人の職能が地域とともに生きる、あまりにも当たり前のことを実感としてもっていないばかりかそこに執着しない、大いに反省すべきことを教えてくれる。


渡辺邦夫「図書館日記」-73     2014年6月2日

このSDGのホームページに長い間、連載してきた朱鷺メッセ連絡デッキ事故の「終章」を昨日、書いた。いろいろなことがあったが結局、この事件は官学産民が一致した「事故原因調査偽装事件」であったことをようやく発見して、「終章」とした。偽装を見抜いたのは「裁判官」であった。今晩は、このホームページの長文の記事を読み直してみた。

黒沢建設の黒沢亮平さんはこの裁判の最初から調査報告書は「偽装だ」と言っており、彼の事象を見抜く卓見にあらためて感心した。しかし、彼は一審の後半になって「SDGの設計ミス」を唱えだし結局この偽装に加担することになったのだが、多分、彼の取巻き連中の助言に騙されたのだろう。

いまになって考えてみると、国土交通省の森川さんにはずいぶんと気の毒なことをしたと思っている。彼は優秀な官僚で彼の「常識」からいえば裁判にもちこめば「和解」して一件落着するということで筋書を組み立てていたのだろうが、僕はそういう常識を知らないから裁判を判決まで粘ってしまい「非常識」が「常識」を覆す結果になってしまった。

この事件でのもう一つの発見は、行政、立法、司法の三権分立の問題で、行政府と立法府の癒着は知っていたが、司法府の独立性だけはキチンと守られていることであった。この事件を通して知った最大の収穫であった。


渡辺邦夫「図書館日記」-72     2014年5月27日

ここのところ不可解な事件が連続して起こっている。一か月も経過すると忘れられてしまうが、何も解決していないところが共通している。
● 福島原発事故の汚染水処理事件・・・もう三年以上が経つがなぜ問題を解決できないのか?科学者はどこに消えたのか?
● 中国全土の大気汚染事件・・・工場を破壊してどうするの?
● 韓国旅客船沈没事件・・・なぜ救助できなかったのか?
● マレーシア航空行方不明事件・・・なぜ捜索できないのか?
● STAP細胞小保方事件・・・論文捏造とはなに?
● 新国立競技場不正コンペ審査事件・・・誰が募集要項をつくったのか?
● ウクライナクリミヤ半島事件・・・ロシアの不可解な挙動?
● 大飯原発再稼働禁止判決(福井地裁)事件・・・政府は徹底した司法無視?
どうも各国の政府のやっていることが怪しい。ナショナリズムの台頭と政府の右傾化が極端に進行している。


渡辺邦夫「図書館日記」-71     2014年4月9日

今日は、小保方さんの記者会見テレビを見ていた。この事件もどうにも不愉快な話で、日本の伝統的な「出る杭は打たれる」のパターンそのままだ。理化学研究所は小保方さんのレポートに「捏造」や「改竄」、「不正」があったとしているが科学的論争ではこんな言葉を使わない。刑法上の犯罪者と断じている。理化学研究所がいつのまにか検事局に変身してしまっている。

小保方さんもまだ若くこういった騒動のときには終始一貫して自分の考えをキチンと押し通すことが最重要だと知らないから、周囲のモノ知り顔の誰かの助言で弁護士を付けたり、いまはやりの「謝罪記者会見アドバイザー」に頼んでしまったのだろう。記者会見の中で、弁護士と妙なアドバイザーの考えだろうという部分を頭の中で消して編集しなおすと、なかなか立派な記者会見だったと感心した。

小保方さんは調査の不服の申し立てをしたが、理化学研究所はこの事件をウヤムヤにするために時間稼ぎをすると思う。すでに文部科学省の官僚がからんでいるので、再調査の結果「もとの調査は間違いでした」ということは、これも日本の伝統的な「面子」上、100%言わない。多分、小保方さんに「捏造でないことを証明しろ」、「改竄でないことを証明しろ」と迫るのだろう。いつもの官僚と頭の悪い学者の常套手段だ。

しかし、テレビで小保方さんの眼光を見てると、人生の最後には小保方さんが勝つと思う。大きな歴史の流れの中で科学技術はとどまることなく進展するのだから。


渡辺邦夫「図書館日記」-70     2014年4月5日

朱鷺メッセ連絡デッキ落下事故の賠償裁判が終わって名目上は「和解」であるが実質は、新潟県が敗訴となった。新潟県の主張してきた事故原因について裁判所は立証されてないと判定したから賠償責任を追及できないが、「本当の事故原因は何か?」は10年を費やした裁判にも関わらず明らかにならなかった。

で、僕は新潟県知事に「要望書」を送り、県が保管している鉄骨残材をSDGに引き渡してください、そうすれば真の落下原因を僕は立証することができます、とお願いした。そしたら予想とおり、知事さんから「・・・貴社に引き渡す法的義務はない・・・(裁判は和解により終了しているから)部材はしかるべき時期に処分する・・・」と返事があった。

なんともむなしい政治家と官僚の技術工学に対する姿勢である。ずーと僕はこの空虚な対応は新潟県特有のことだと考えていたが、最近のニュースで流れるさまざまな事件を見ていると、これはわが国すべてに共通のことじゃないかと恐ろしくなってきた。


渡辺邦夫「図書館日記」-69     2014年3月28日

久しぶりにパール・バックの「大地」(河出書房世界文学全集第34巻)を読破した。前に読んだのは20年前のことだから本当に久しぶりである。このときは登場人物の生き生きとした人間性と生命力の描写に感動したのを覚えている。

この小説は中国の大地をテーマにしているがその時代とか場所はどこにも書かれていないが、いま読み進めていくと明確にその時代と書かれている場所をイメージできる。パール・バック(1892-1973)の文章の底知れぬ表現力、説得力に身が震えるほど敬意を感じた。

僕たちの仕事も「創造すること」をメインにしているが、パール・バックの計り知れない創造力を読み取ると、自分の努力不足を痛感しまだまだ修練しなければと励ましになった。


渡辺邦夫「図書館日記」-68     2014年3月11日

今日はあの3.11.から丁度3年が経った。テレビを見てたらまったくイライラすることの連続で、途中でテレビを消した。東電にも政府にもちゃんとしたエンジニアが居ないことがよくわかる。

地下水が建屋に入ってくるので汚染水の量が毎日毎日膨大な量になる。だから地下室の手前の山側で地下水をポンプアップして海に流したいのだが周辺の漁民にその計画を説明している画面が延々と続く。そんなことは事故発生直後の第1番目の対策、最優先の対策でやっておくのが当たり前だ。3年も経って何で今頃?

原発周辺地域の汚染された土砂や枯れ草、建屋など膨大な量の汚染処理をこれからも延々とやらざるを得ないのだが、本格的処理場の建設には時間がかかるので中間処理場をつくってそこに貯めている。露天の原野に積んであるだけだ。この中間処理場に約30年置いとくらしい。30年も露天で!
大雨も降るし台風も来る、竜巻も起こるし、場合によっては洪水、地盤変動もあるかも知れない。キチンとした建屋をつくるべきだ! 本格的で大規模な倉庫が必要だ! その建屋の中にはこの汚染物を監視、計測するシステムを完璧につくるべきだ! 

「拙速と安直」、そして「無能」とがやがて二次災害、三次災害と連鎖する。


渡辺邦夫「図書館日記」-67     2014年3月3日

先日、cannonのポータブルスキャナーを購入してこの小さな書斎がますます窮屈になったが、いまはこの機械を愛用している。さまざまな資料をパソコンに記憶させ、並べ替え比較し新たな思考を展開するのに役立ちこの作業も面白い。

個人的に蓄積してきたあらゆる情報が、一台のパソコンに集約されて再構築されて眞實を発見することに役立つ。朱鷺メッセの連絡デッキ落下事故の裁判は10年間の長い年月を費やしてきたが、ようやくこの事件の本質が見えてきた。僕は事故発生当時から「何故、落ちたのか?」の技術工学的なテーマに集中してきたが、全データを再構築してみると、実はこのテーマの設定が間違えていたことがわかった。

整理された資料をもう一度見直してみると、この事件の本質は、「事故原因調査偽装事件」であったことを発見した。姉歯偽装事件の丁度裏返しで、偽装を大規模に官学産の集団で行ったところが特徴的だ。裁判所だけがこの偽装を見抜いたところも面白い。


渡辺邦夫「図書館日記」-66-     2014年2月24日

昨日23日は渡辺邦夫日曜学校の山形講座の第6回講座であった。山形講座を開設して丁度半年も経過した、この山形講座の会場は本間利雄設計事務所の1階レセプションホールを毎回お借りして開いている。本間利雄先生のご好意によるもので、僕は深く感謝している。このホールはとても落ち着いた空間で100人程度は収容できる「大広間」。

僕の講座が終わった後、本間利雄先生がソバでも食べに行きましょうと誘ってくれたので8人ほどで市内の蕎麦屋「七日町御殿堰」に残雪の中を行った。

僕も学生の頃は友達とよくソバ屋の2階(大抵の場合2階は畳敷きだから)に行き、飲みながらワイワイと建築論を交換していたが、昨日行ったソバ屋は料亭のような高級感、上品なところだが、話題は学生のときとそんなに違わないのが面白かった。

本間利雄先生はもう84歳だとおっしゃるが、体力健強にして頭脳明晰、声はやたらでかいし周囲に遠慮会釈なしにしゃべりまくる。話のなかの登場人物も面白い。“辰野金吾”“松本与作”から“佐野利器”“佐藤武夫”“松田軍平”“久米権九郎”“吉村順三”“横山不学”・・・“武藤清”・・・延々と登場してきては消えてゆく。実に楽しい時間を過すことができた。

“佐野利器”は山形の人だと聞いてビックリした。こんなに山深い東北の田舎から日本の近代構造学の祖が産まれたとは!

僕の日曜学校より、本間先生のソバ屋での「日曜塾」の方がはるかに充実した一晩でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-65-     2014年2月21日

ロシアのソチで開かれている冬季オリンピックのボブスレーの競技をテレビで見ていた。ボブスレー(雪そり)競技は大自然の中でやる競技だと先入観とロマンがあったから、大きな競技場(体育館)の中でジェットコースターのような架台の上を突っ走ることを見てなんだかガッカリした。

テレビを見ている限りどうもその架台は木造みたいだ。それに雪と氷を貼り付けてその上を台車が猛烈なスピードで滑降するのだが、どう見てもその台車の下のソリに塗るワックスの性能で勝負が決まる。雪や氷との摩擦係数を限りなくゼロに近い塗布材を開発すれば簡単に好成績が出そうだが、テレビの解説者はそういった科学的なことは何も言わない。こんなのスポーツなの?と思ってテレビを消した。

「オリンピックは金儲けの商売だ」となったのが1984年のロサンゼルス大会だといわれている。オリンピックのショービジネス化のはじまりだ。2020年の東京オリンピックは、もうそろそろ素朴なスポーツの祭典に戻したほうがいいと思うが、テレビによる1億総白痴化がほぼ完成したいまの日本ではできそうもない。ソチばかりでなく北京やロンドンの教訓を議論することさえタブーとされるのだから。


渡辺邦夫「図書館日記」-64-     2014年2月18日

このホームページにも記録しているが、僕は10年間にわたる新潟の連絡デッキ事故裁判を経験してきた。この裁判を通して一番面白かったのは、あまりに長引く裁判なので僕はあるとき裁判長に「どんな手順で裁判を終わらせるのですか?」と聞いたことがある。

そしたら裁判長は簡潔に教えてくれた。「まず“事実経過”を調べ、原告、被告の“主張の整理”をします、その後“争点の整理”をして裁判所が“証人喚問”を行い“判決”します」
実に理路整然としているので僕は、「最後の“判決”はどうやってやるの?」と聞いたら、裁判長「裁判官の“五感”で判断します」

これには僕もビックリした。こんなところで“五感”でというコトバが出るのは想像を絶する、“直感”でというのと大差ないじゃないか!

で、この話をいままでいろんな方々に機会があるたびに話してきた。しかし、みんな反応がほとんどなく、「へー」とか「ハー」とか「冗談だろ」とかの反応だけなのでしばらくの間この話を止めていたのだが、先週の14日に大阪に行ったとき話したら安井建築設計事務所の辻英一さんだけが「判決を五感でするというのは究極的にはそうなんでしょうね」と反応した。

これには僕は再びビックリした。“関西人”独特の解釈があるのだ、あるいは辻英一さん固有のセンスなのか!


渡辺邦夫「図書館日記」-63-     2014年2月17日

一昨日も東京も大雪。ザクザクと歩き難いけどそんなに寒いとは思わなかった。昨日は一転して快晴。しかし滅法寒かった。強風が吹いていたからなのだが、そのときの気温と風速(もちろん風向を含めて)の相互が体感温度を決めるから、天候とはあまり関係ない。

僕の感じだと、もっとも鈍感な方だからあてにならないけど、1m/secの風速当たり-1℃ぐらいだと思う。昨日は5m/secぐらいの風が吹いていたから気温は3℃だけど体感温度は-2℃かな?
これは、もうすぐやってくる夏場のことを考えると当たっているような気がする。気温が30℃の酷暑のときでも5m/sec程度の風のある日は25℃程度の体感温度で結構快適である。

体感温度は人によって大幅に違うのかも知れないが、天候、気温、湿度、風速、風向の5つのファクターから実際の体感温度を算出できる方程式があれば面白い。


渡辺邦夫「図書館日記」-62-     2013年11月18日

ここのところ僕の容貌は大変化(大変貌)を果たした。経緯を忘れるといけないのでここに記録しておくことにした。

先々月、9月の初旬に体調を崩し病院に行った。内科の先生が酒の飲みすぎでこういうことになるからしばらく禁酒しなさい・・・、僕は素直に「わかりました」と応えたところ、脇に居た看護婦さんが「渡辺さんは先生の前ではおとなしいけど、病院から帰るとまた直ぐに飲み出すでしょう、飲んではいけないことをいつも思い出すように私が頭を丸坊主にしてあげます。」その場でバリカンを持ってきて丸坊主。それが9月5日のことだ。すばらしい実行力のある看護婦さんだ。

先月、10月30日に長谷川一美さんが前橋工業大学の教授に就任した内輪の祝賀会で久しぶりに長谷川さんにお会いした。彼の立派な髭の容貌を見ていて、僕も真似してみようとひそかに考えていた。

しばらく忘れていたが11月11日に突然思い出して、この日から無精髭を伸ばし出した。

これからどういうことになるのか楽しみだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-61-     2013年10月22日

アッという間に寒い季節に突入した。猛暑と寒冷の中間に日本の場合は毎年、台風がやってくる。

3.11.のときに僕たちの構造設計は、耐震設計はやっているが耐津波設計はやってなかったことを専門家として反省していたが、今度は台風に対して耐風設計は考えているが、「竜巻」や「土砂流」についてそれに対処する設計を考えていなかったことを後悔している。

局地的な問題ではあるが、「安全」を保証しようとする僕たちの構造設計の基本理念からいえば、その構造物の立地や環境の特殊な条件を荷重(外力)として組み込むべきであった。

構造設計の体系がまだまだ未完成であることを痛感する。


渡辺邦夫「図書館日記」-60-     2013年8月21日

一昨日、SDG Libraryに「JIA MAGAZINE 295号」を寄贈していただいた。その中に、槇文彦先生の特別寄稿「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という長文のレポートがあった。

卓越した見解を示されたもので、近年にはない名文であった。建築に関係する人も関係しない人も「東京を愛する市民」を自称する方々全員にまず読んでもらいたいと僕は思った。

昨日になって中田琢史さんから、早速、「精緻な分析を交えた知的な文章の中にウィットあり、怒りありの渾身の筆だと感じました」とのメールを頂いた。


渡辺邦夫「図書館日記」-59-     2013年8月12日

連日の猛暑の中で、自分の活動が鈍り苦労している。日本の伝統的な木造家屋のつくり方を忠実に学び実践してこなかったツケが一挙に吹き出た感がする。たとえアパートであっても、住宅の設計は根本的に「夏」をメインにすべきであった。

部屋の周辺はわずかであっても植栽のできるスペースを、小さくてもいいから水盤をつくる、直射日光を入れないわずかの庇、反射光を防ぐテラスの仕上げ材、そして徹底した通風、誰が腰壁を考えたのだ、窓際の散霧装置・・・自然と共に生きるわずかの工夫を怠ってきた。

僕は、小さな犬、二匹と一緒に生活している。彼らは賢い。猛暑の中で彼らはどこかタイル敷きのところを探して寝転んでいる、風が通る場所を探して涼んでいる。おまけに時折テラスに出て日光浴もする。ご飯よりも水を少しずつ間断なく飲んでいる。猛暑とともに生きてることを実感できる。

エアコンとかプライバシーなど、早めにさよならしよう。


渡辺邦夫「図書館日記」-58-     2013年7月6日

今日は東京でも猛暑の一日だった。36℃だから人の体温と同じ空気の温度だ。これをテレビでは「異常気象」とは呼ばない。何か、そう言ってはならない気象庁のお達しがあるみたいだ。太平洋側に発達した高気圧の影響で、などと呑気なことを天気予報士は繰り返すばかりだ。

1970年代のテレビの陳腐なお笑い番組の氾濫時代に、テレビは結局、1億総白痴化を目指した情報媒体だという批判が生まれた。しかし、その声はどこにも反映されず、いまになってもテレビは客観的報道で国民の意識や生活を守ってきたと言い張る。実は、もう1億総白痴化はでき上がってしまったのではないかと、僕は感じることが往々にしてある。毎日毎日の殺人事件が異常に多い。子供をナイフで傷つけることなど1980年代以前は、あり得なかった事件だ。

僕は、北極海の現象を見ても、地球環境問題がすでに極限にまで来ていると思う。こういった異常気象のときに、「熱中症にご注意ください」などよりはるかに重要なことを国民に呼びかける必要があるのだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-57-     2013年6月29日

昨28日、広島に行ってきた。日曜学校の広島講座を開設するための打合せで、照井さん、新田さんと久しぶりにお会いした。この会合には、広島工業大学の清水先生、広島女学院大学の松井先生も出席してくれた。

夕食のときに、清水先生が「結局、新田さんや渡辺さんのやっていることは“場外乱闘”じゃないか」と言い出し、僕は電撃的なショックを受けた。

考えてみるとあまりにもその通りだからである。僕は正規のリングの上に立って闘っているのではなく、まさに「場外乱闘」を演じていたのだ! 実にピッタリである。観客は「場外乱闘」の方が面白いし、時として試合の本質は「場外乱闘」にある。普通は「場外」は秘密裏に行われるのだが、正々堂々と観客に見えるように「場外」で闘う。

僕は、いままで自分は構造設計界の保守本流を自認していたが、実は、そうではなく「場外乱闘」の場にいたことを本質的に理解した一夜でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-56-     2013年6月24日

先週日曜日の6月16日に日曜学校第W期講座の第1回講座を開催した。これから15ヶ月にわたる講座の初日だった。

その前日、15日に自分もこのW期講座を受講したいという若者から僕のところにメールがあり、もう5月10日に応募者を締め切ったのに今頃になって何だ! と内心思ったが、本人にはルール破りは僕も大好きだから、是非、参加して下さいとメールした。

そしたら、なんと当日になって私も参加したいという別の若者が登場した。実に躍動感あふれる若者たちに敬意を表したい。

そんなことで充実した初日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-55-     2013年6月10日

この構造デザインのためのミニ図書舘「SDG Library」を浅草から駒場の東大に移してから、もう半年が経つ。整理も大分できたので、腰原教授のご好意で、再開のささやかなパーティーを以下で開くことになった。

日時:2013年7月13日(土)午後3時〜8時 来場時間自由
場所:東京大学生産技術研究所 C棟 Ce406(目黒区駒場4-6-1)
   当日は土曜日のため建物が施錠されているので来場者は電話で連絡
電話:03-5452-6842

このパーティーは、SDGのOBだけに案内状をお送りしていますが、この「日記」を見た方で興味のあるかたは、是非、ご参加下さい。

準備の都合上、出席を希望される方は、下記連絡先までメールまたはファックスで、7月8日(月)までにご連絡下さい。
連絡先
東京大学生産技術研究所 腰原幹雄
E-mail : kos@iis.u-tokyo.ac.jp Fax : 03-5452-6841

「日記」を「掲示板」にしていいのか、かなり疑問があるけど、図書館を活性化したいので、お忙しい人もお暇な人も、子供も老人も、男女を問わず、是非、ご来場ください。


渡辺邦夫「図書館日記」-54-     2013年5月20日

昨日、5月19日で「渡辺邦夫日曜学校」の第V期講座が終了した。15ヶ月にわたる講座を20名の受講者が最初から最後まで、熱心に付き合ってくれたことに感謝感激である。

もう5年前からはじめた「構造デザインのための日曜学校」だが、第T期と第U期は、僕の仕事を中心にしてどこかに出張となると、学校の方は直ぐに休校にしてしまい、トビトビの講座で何だかまとまりのない学校だった。

第V期を始めたのは去年の3月からであるが、僕は一大決心をして、講座の日には絶対に他の予定を入れない、各回の講座用にテキストを必ず用意する、この二つを守ったのが良かった。自分にとっても充実感があった。

しかし、その途中では浅草の事務所を解体するという事件が起こり、去年の11月に学校の会場を、東大生研の腰原研に移した。丁度、前半を浅草で、後の半分を駒場で講座を開催することになった。

こういった非常事態を快く受け入れて頂いた、腰原教授に対しても感謝感激である。


渡辺邦夫「図書館日記」-53-     2013年5月6日

今年の大型連休は10日間にわたり、産まれてはじめて自宅の書斎に閉じこもりどこにも行かなかった。書斎といっても三畳の小部屋で、机が二台と本棚があるから、ようやっと椅子に座れるだけで後は何もできない。瞑想のための空間といってもいいだろう。

流石に、10日間にわたり瞑想に耽っていると頭がおかしくなるので、ときどき作業もやる。主に、昔のパソコンで使っていた「一太郎」、「LOTAS」、「Stan-3D」に記録されている膨大な記録を整理して、図書舘で閲覧しやすくしようという作業である。

それで気が付いたのだが、通信手段で記録は残るものと消失するものが歴然としてあるという事実だ。僕は1960年代から設計活動を始めたが、この頃の通信手段は電話しかないから記録としては何も残っていない。1970年代の初期にはテレックスが登場したが僕は操作が煩雑なので使っていない。やがてFAXの時代を迎える。しかし、手書きの紙をFAXするのだから原本はすぐに捨ててしまう。身近にパソコンが手に入ったのは1980年代の後半である。「一太郎」で文章を書く、表計算を「LOTAS」でつくりFAXする。やがて「Word」と「Excel」に取って代わることになるが、いずれも記録としてパソコンに蓄積されて、いま見ても実に当時を鮮明に再現できる。記録の黄金時代は約10年間に過ぎない。

1990年の再後半に、メールが登場してFAX通信は激減した。メールの文章はパソコン内に記憶されているが、あまりにも錯綜しているのでこれを整理する気にならないから死んだ記憶ともいえる。

そして、いまは携帯電話が主力の通信手段だ。これも記録性が薄い。昨日、携帯で喋ったことは今日になると大抵忘れる。ベルが発明した電話機から巡り巡って極度に短縮された携帯に移り、記録性という意味では元にもどってしまった。

重要な話は、携帯電話で話すのをやめよう。


渡辺邦夫「図書館日記」-52-     2013年4月5日

今日は、弁護士の世戸孝司さんに久しぶりにお会いした。新潟の裁判の件でお会いしたが、新潟の話は直ぐに終わり、いつもの楽しい雑談になった。

欧米の弁護士は、弁護士資格をベースにして政治家、経営者、大学教授などさまざまな職業につく。要は、どんな職業が自分の能力を生かして社会に役立つかの問題なのだが、日本の弁護士はいつまでたっても弁護士という職業から抜け出せない・・・世戸さんの悩みだ。僕は、これは面白い話だと感心した。構造設計の専門家が構造設計という範疇に止まる理由は全く無いのだ。自分の能力を生かして船舶設計でも航空機設計でも建築家でも、社会が必要とするのであれば、どんどん展開した方がいい。

戦争で人殺しをしても何で殺人罪に問われないのか? を世戸さんに聞いてみた。「戦争での殺人は国際法で認められているからだ」、「では、テロって何なの?」、「戦争は宣戦布告をすることが条件なのです、宣戦布告のない殺人はテロだ」、「じゃ、イスラム過激派は自分たちの信念のためにキリスト教徒に宣戦布告すればテロでなくなるね」、「いや、宣戦布告は国家じゃなければできないと思うよ」・・・終わりのない話に陥っていく。


渡辺邦夫「図書館日記」-51-     2013年4月4日

韓国のMIDAS ITの社長の李亨雨さんからメールを頂いた。先日、お会いしたときに出た話題で、「エンジニアはどこまで頑張れば一人前になれるのだろう」の議論で、彼の信念を送ってくれたメモだ。

 技術者の道

 技術者とは
 自身の専門的技術によって
 世界の幸福を追求するものである。

 技術者とは
 停滞せず変化を追い求める改革者であり
 安住せず世界を切り開いていく開拓者であり
 現在よりも未来を考える先駆者である。

 技術者とは
 人生の理に対し絶えず思惟する哲学者であり
 未知の現象を研究し糾明する科学者であり
 創意性により美しい世界を創造する芸術家である。

 技術者とは
 世界の中心から世界を先導し
 世界を変化させる世界の主役である。

あまりにも名文なので、この日記にそのまま転記させていただいた。


渡辺邦夫「図書館日記」-50-     2013年4月2日

今日は終日、自宅の書斎にいた。余りにも天候不順で寒いのと雨がときおり激しく降るので。

テレビの天気予報を見ていると日本の予報しかしない。この天候不順は地球環境問題と深く係わっていると思うのだが、他の国々の詳細な予報はしないから(当たり前だ!)、地球規模での天候不順はわからない。

日々、刻々と変化するこの地球の環境問題を即座に理解できるメディアが現われるといいな・・・。

自宅に終日いると、僕の奥さんが「あなた病気なの」と心配するから出かけたいけど天候不順は苦手なので書斎にいて、地球の将来を考えていた一日でした。


渡辺邦夫「図書館日記」-49-     2013年3月31日

今日も東京国際フォーラムに行った。韓国MIDASの李社長と韓国のテレビ局の対談をするためで、東大の腰原先生と一緒に行った。

いまは、MIDASの解析ソフトは世界中を席巻しているが、フォーラムを設計している頃は、まだ韓国にしかないけど、丁度、この頃にソウルで李さんとお会いし意気投合した想い出がある。フォーラムの工事中にMIDASのソフトを使って検証した記憶があるので、対談にこの場所を選んだ。

昔話をしていても面白くないなと思っていたら、腰原先生が木造3階建ての崩壊実験とコンピュータ上の崩壊解析のビデオを見せてくれて、少し時間差はあるけどびっくりするほどの解析精度だ。もの凄く面白い話題なのだが、ちょうど昼食をとりながらなのでテレビ局の人がちゃんと撮影していたか怪しい。


渡辺邦夫「図書館日記」-48-     2013年3月28日

今日は久しぶりに東京国際フォーラムに行った。アランバーデンと対談するために行ったのだが、テレビ局の対談はフォーラムのプラザに腰掛けて建物を見ながら始まった。

さまざまな想い出が走馬灯のように駆け巡るが、僕が、一番面白いと気に入っているのが「ガラスキャノピー」なのでこの話から始めた。今は、グローバリズムの時代と言われているが、国際協力はずーと以前からうまく機能しているからだ。

アメリカのヴィニョーリさん、イギリスのティムさん、日本の伊勢谷さん、この三人の強烈な情熱でこのガラスキャノピーは実現したが、その三人の中心に立って纏め上げたのがアランであった。グローバリズムの成果も所詮、個人の産物であることを実感した。


渡辺邦夫「図書館日記」-47-     2013年3月17日

今頃、姉歯さんはどうしているのかな・・・と今日も考えていた。僕の頭から姉歯事件を引き離すことはできない。僕たちの構造設計という職能の範疇で起きたあまりにも衝撃的な事件だからだ。

真相を知りたい! 僕はマスコミ報道をまったく信用しない。彼らはそのときどきで「ニュースを売っている」に過ぎない。売れなくなればニュースにしない・・・ことを繰り返しているだけだ。

真実は当人しかわからない、その真実を記録することは僕たちの仕事だと思うからである。マンション業界の問題ではない。建築基準法という国家の法律の妥当性というか合理性の問題である。それは建築界全体の問題であるが、誰もそれに触れようとしない。僕は、明日も考え続ける。


渡辺邦夫「図書館日記」-46-     2013年3月14日

昨日までの3日間、グァム島に行ってきた。あるプロジェクトを成功させるために現地での会議に参加してきたのだが、この会議の場以外は、「暑い」、「海が明るい」、「空が青い」、「風がさわやか」、「空気がおいしい」・・・いいことばかりだが、なんだか頭がボーとしてくる、あまりにも平和で刺激がないのだ。

グァムの産業は、観光と軍事基地の二つしかないらしい。基地を産業と呼ぶのは妙だが、島で暮らす人たちにとっては実感らしい。僕たちのような外来者には基地がどこにあり、なにをしているのかまったくわからない。多分、基地の中で暮らす戦争を職業としている人たちは、もの凄く緊張した日々を送っているに違いないと思うと、二つの次元の違う世界が同居していることに恐怖を感じた。

こちら側の世界がいつまでもボーとしていると、やがて向こう側の世界が大きく顔を出してきてこちらの世界を呑み込んでしまう。世界の戦争史をもう一度、調べてみよう・・・などと考えているとまたボーとして眠くなってきた。


渡辺邦夫「図書館日記」-45-     2013年3月4日

図書舘の整理をしていると、いろいろな重要なことに気が付く。まー当たり前といえば当たり前のことなのだが、僕にとっては新発見なのだ。

図書舘のスペースは限られている。図書そのものがオーバーフローしている。この二つの関係から問題を解決するには、広い図書館を探すか、図書を捨てるかのどちらかだ。僕は、いまの腰原研のスペースで満足しているから余分な図書を捨てることを選んだ。

捨てる基準は何か? どの本にも愛着があるから、これは悩ましい。

で、結局、決心したのが、哲学・思想であれ技術であれ、そのオリジナリティを重視することだ。要は、サラブレッドの図書舘にしたらどうかなと考えた。サラブレッドから出発したハイブリッドは、その時代と社会の中で誰でもが考え付くものだ・・・これが今日、発見したデキゴトでした。


渡辺邦夫「図書館日記」-44-     2013年3月1日

僅か1週間の間にすっかり暖かくなってきた。日本の四季は必ず巡ってくるから面白い。

中国の大気汚染が酷いようだが、僕たちの世代はこの状況を経験してきた。車と工場の排気汚染で、目がチカチカするし何か息苦しい毎日を送ってきた。

情報機能がどんなに発達しても、ヒトは同じことを繰り返し、その自分たちの経験で少しずつ問題を解決していく・・・ことを繰り返す。初心者は他人の経験は自分の経験にはならない。ところが、「達人」は他人の経験を自らの経験として取り込んでしまう能力がある。早く世界中の人々が「達人」の境地になればと願うのだが、それがなかなか難しい。


渡辺邦夫「図書館日記」-43-     2013年2月24日

今晩は本当に寒かった。東京の町を歩いているのだが冷凍倉庫に放り込まれて扇風機で煽られたような極端な寒さ。

普通の人はこんなに寒い時は下を向いて早く歩くのだが、僕は違う、上を向いてゆっくり歩くのだ。空を見れば満天にほぼ満月が異常に輝いている。湿度が低いから空気が透き通り、空がすぐそこにあることを感じる。

こんなに冷え込む寒さを人間に例えるなら誰かな、と妄想してると次から次へと役人の顔が浮かんできた。これは当人にとって誤解してるかも知れないからこの妄想はやめよう・・・などと何だか頭がポカポカしてくるから面白い。

5ヶ月後の東京の夏は、多分、酷暑になるだろうなどと想像していれば、この寒さを凌げる。


渡辺邦夫「図書館日記」-42-     2013年2月19日

今日も、腰原研に行って図書の整理をしていた。イタリアの構造家・ネルヴィの本が全部で7冊ある。彼の同じ作品を紹介しているのだが、紹介の角度が違うので、この7冊を通読するとネルヴィが考えていたであろうことのほぼ全貌がわかる。

彼の繊細なコンクリートシェル群は、驚くほどのローコストで実現している。彼自身も言っている。建築の創造性は、経済性を満足したとき、すなわち、クライアントの無謀なローコストを実現することができたときのみ発揮できる。そして、ローコストは設計だけで追究しても実現できない、工事そのもので実証する以外に道はない。

だから、結局、彼は設計施工一貫方式を実現するために自分の一族郎党を動因してそのシステムを造り出した、日本のかつての壮大で繊細な木造建築の棟梁の思想と活動とまったく同じだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-41-     2013年1月22日

今日、駒場を歩いていたら、桜がすでに小さなつぼみを付けているのに気づいた。

東京の桜は4月のよき日に満開となり。約3日間で散ってしまう。この3日間を咲き誇るために、今から準備を始めているのに感動した。

いまは、兎に角、拙速の時代である。何でもいいから早く早くといって都会の中を駆け巡る、インターネットで適当な情報を交換し合って適当な答を早く出さなければならない!

やはり、自然の力は人間には及びもつかないほど偉大だ。たった3日間の爛熟した満開をするために、3ヶ月におよぶ準備をするのだ。だから、あらゆる人々を魅了することができるのだろう。


渡辺邦夫「図書館日記」-40-     2013年1月16日

昨日も東大の腰原研でこの図書舘の書籍の整理をやっていた。この作業は遅々として進まない。なつかしい本を見つけ出すとそれを読み返すことに熱中してしまう。

「建築の滅亡」(著者:川添登、現代思潮社、1960年出版)を再読すると、建築評論家の川添登さんの凄さを再認識した。

「人間は、自然に対して戦いを挑むことによって、人間は自然から離れて人間になった。しかもなお、人間は自然の一部である。ここに人間の悲劇としての根本的な矛盾があるといわれる」

「“芸術のための芸術”とは、つまり“資本主義のための芸術”にほかならない」

「人びとは必ず自分の家に帰っていく。それは、近代化・合理化されているからではなく、小鳥が自分の巣に帰り、動物がねぐらに帰り、原始人がほら穴に帰ると同じものが“すまい”に対する人びとの心に訴えかけるのである。それは、人間性というよりも、はるかに強く、むしろ<生命の個体>として感じるなにか、なのである」


渡辺邦夫「図書館日記」-39-     2013年1月6日

昨年10月から12月にかけて、SDGの大移動を行った。大移動というのはちょっとオーバーだが、浅草の事務所を解体して新しい活動の場を模索し始めた。

SDG Libraryにある1万冊の蔵書は、東京大学生産技術研究所(駒場にある)の腰原研究室にすべて寄贈。再整理の上、今年の3月にはLibraryを再開の予定。

渡辺邦夫日曜学校も毎月第三日曜日に腰原研究室の会議室を借りて継続する。

SDGの設計活動をする場を、KAP(代々木にある)内に設営させてもらった。新しい事務所が決まれば、そこに再移動する。

猛烈にバタバタした三ヶ月間だったが、ようやく少し平静を取り戻したので、この日記も再開することにしました。


渡辺邦夫「図書館日記」-38-     2012年9月10日

「日記」が「週記」になり、いつの間にか「月記」となった。その内、「季記」となりやがて「年記」になるかも知れない。

しかし、SDG Libraryには寄贈本が増えている。

7月に紹介したロンドンのムサビさんから「The Function of FORM」を頂いた。B5異形版で515ページにわたる秀作で、建築の幾何学を解説したもの。

台湾のJen-Hwang Hoさんからは、「TAITOPIA」を頂いた。台北科学技大学の2011-2012間の学生さんたちの作品集で、建築アイディアが満載されている。

竹造建築が満載されているのが、「Building with Bamboo」(Gernot Minke著・Birkhauser)で世界の竹建築がほぼ集大成された本だ。誌面も美しい。何度、見ても飽きない。あ、これは6.950円で僕が購入した本です。


渡辺邦夫「図書館日記」-37-     2012年7月22日

7月17日、18日、20日の三日間にわたり、FOAのムサヴィさんと10年振りにお会いした。娘さんを連れての来日だった。

彼女と最初に会ったのは17年前にロンドンのFOAのアトリエで、そのとき彼女は脇に居たポロさんをさしおいて、一人で機関銃のように話しまくった。話の内容は、横浜市はけしからん、私たちは国際コンペで当選したのにいつまでたっても設計契約をしようとしない、設計者の権限を無視した難題ばかりを押し付けてくる・・・など同行したアランに文句を言っているようだ、僕は英会話ができないからボーとするばかりだが、ムサヴィさんがとても女性らしくチャーミングなのでそればかりを感心していた。最後に、「で、構造設計を僕に頼むの?、頼まないの?」と聞いたら、彼女は「是非、渡辺さんにお願いしたい」と即答。どうも理由が判然としないが、それ以後7年間にわたる横浜港国際旅客ターミナルの設計と監理を協働することになった。

7月20日はムサヴィさんが横浜国大で講演するというので拝聴しに行ったが、本心びっくりした。彼女は2時間をかけて現在教授を務めてるハーバード大学で何を教えているのか、最近の彼女の建築作品についてもの凄い勢いでしゃべりまくる。しかも、彼女のチャーミングさには衰えがまったくない。まったく17年前の再現だった。

有能でパワフルな建築家というのはこういう人物なのだ、と滅法、感激した。


渡辺邦夫「図書館日記」-36-     2012年6月23日

僕は、来週月曜日(6月25日)から二週間、アフリカのアンゴラ共和国(首都ルアンダ)に行き活動する。アンゴラは500年以上にわたるポルトガルの植民地時代を経て1975年に独立を果たした資源豊かな新興国家である。しかも独立後、内戦が起こりようやく2002年に終結したのだから、本格的に独立国家として活動を始めてからまだ10年だ。

この地球上で建築が必要なところに行って建築すればいい・・・という単純な発想が僕の活動の根底にある。

もう15年間も中国で建築活動をしてきたが、いまの中国の設計者や技術者は十分な実力を溜め込んできたから、僕が中国に行く必然性が無くなってしまった。だから、これからアフリカ大陸に行くことにしたのである。こういったシンプルな行動は、組織では絶対にできない。僕のような個人として活動する技術者の特権でもある。


渡辺邦夫「図書館日記」-35-     2012年6月11日

正多面体は5種類しかないことになっているが、もっとあるかも知れないと思って正多面体のルーツを調べるためにプラトン(紀元前427-347)の本を読んでいた。そのうち正多面体のことはすっかり忘れてしまい、プラトンの理路整然とした思考法はどこからきたのかに興味がいってしまい、その謎解きを始めた。

プラトンの師匠はソクラテス(紀元前469-399)である。ソクラテスは人類が産んだ偉大な生きた哲学者で、空論を言わない。その名言は沢山記録されていて「無知の知」とか「ソクラテスの弁明」とかであるが、彼が若者にアドバイスしたことばも面白い。「結婚してもしなくても、どのみち君は後悔することになる」、実に生き生きとした名言だ。

そういう師匠にくっついていたから、プラトンの実質的な思考法が産まれたことも理解できる。そのプラトンの弟子がアリストテレス(BC384-322)である。ソクラテスープラトンーアリストテレスと三人の男たちの哲学の継承で学問が発展してきた様子がよくわかる。

考えてみると、こんなことは自分が小学校か中学校で先生から教わっていたことで、すっかり忘れていただけだ。そうか、人間は70歳を越えたらもう一度、小学校と中学校の教科書を勉強し直す必要がある・・・ことに気が付いた。


渡辺邦夫「図書館日記」-34-     2012年5月30日

浅草の町からはどこでもスカイツリーを見ることできる。見たくなくても見えてしまう。これもちょっと厄介な問題ではある。だけどスカイツリーの夜景は、いつみても美しい。

照明デザインが実に優雅、きらきらと薄く輝く一粒づつの色合いも全体の落ちついた姿もエレガントなのだ。シリウスの戸恒(とつね)さんは、以前、貴婦人のような、ワイングラスのような・・・と教えてくれたが、まさに、ピッタリだ。

夏の隅田川の花火大会が今年から楽しみだ。多分、巨大な花火の華とスカイツリーの照明とはバランス良くお互いを引き立てると思う。

僕が帰宅する時間になると、貴婦人も家に帰ってしまい、空中の展望室の外周をぐるぐる回る白色だけになるが、この風景も落ち着いている。


渡辺邦夫「図書館日記」-33-     2012年5月13日

今日は「母の日」であることをgoogleで知った。最近、僕は個人メールでgmailを使っているので、メールを開くときgoogleから入っていくのだが、このgoogleの表紙が面白い。記念日にはそれに関連する記号メッセージの表紙になるからだ。多分、毎年、変えるのだと思うが行き届いたサービスだなと感心している。

ところで、メールが無料だということに僕はどうしても理解できない。広告収入で賄うと教えてもらったが、そんなことが長続きするのだろうか? テレビの民放は視聴料が無料だが、向こう側から一方的に流れてくる画面だが自分が欲しい情報もあるので一種の公共性をもっている。だから広告の意味があるのだと思う。

しかし、メールは自分の情報を相手に送るだけで、全くのプライベートな交信で、どこにも公共性はない。そこに広告が入り込む余地はないと思うのだが、どなたかそのカラクリを知ってる方は教えて下さい。


渡辺邦夫「図書館日記」-32-     2012年5月8日

昨夜、帰宅の途中で横断歩道を渡っていたら、向こう側の道路工事の警備員のおじさんがデカイ声で、
警備員「おい、おい、今、赤信号だろ、渡っちゃいかん!」
僕「あ、済みません。戻るの? そっちに行くの?」
警備員「・・・」
僕「早く決めてよ!」
警備員「・・・」

廻りを見渡すと人も居ないし、車もいない、ガランとした浅草の町。どぎつい赤信号だけが光ってる。
僕「はははは・・・」
警備員「はははは・・・」

今晩から、この警備員のおじさんも信号無視派になってると思う。


渡辺邦夫「図書館日記」-31-     2012年4月29日

今日も「姉歯事件」を考えていた。腑に落ちないことが沢山あるが、その中でも姉歯事件の結末がどうにも理解できない。

簡単に時系列で状況を整理すると次ぎのようになる。

2005年11月18日 「耐震強度を偽装」新聞報道
2006年 3月29日 姉歯の奥さんが投身自殺
2006年 4月26日 姉歯別件逮捕
2006年 7月 1日 耐震偽装捜査本部解散
2006年10月31日 検察が東京地裁に起訴
2006年12月26日 東京地裁・姉歯判決 求刑通り懲役5年、罰金180万円の実刑判決
2007年 1月 8日 姉歯控訴
   11月 7日 東京高裁・控訴を棄却
   11月12日 姉歯上告
2008年 2月19日 最高裁が上告棄却・実刑確定(懲役5年、罰金180万円)

何かが仕組まれてる様子が推察できる。東京地裁は2ヶ月の審議で求刑の懲役5年の実刑判決! いやに簡単に刑務所に送り込んでいる。姉歯さんはどういう不服の申立をして最高裁まで上告したのか? 


渡辺邦夫「図書館日記」-30-     2012年4月25日

いま、東大の腰原教授にメールしたのだが、同じことをこの日記に記録したくなった。知恵のある多くの方々と共に考えたいからだ。

僕は、いつまで経っても「姉歯事件」が頭から離れない。何かはわからないが、この事件に何かが隠されている予感がする。
ごく簡単にいえば、「戦争中に敵を射殺した兵卒は殺人罪に問われるのか?」である。兵卒は単純に上官の命令があったことを証明すれば無罪、そればかりか、殺人したことで勲章をもらったりしている。

いろいろな立場の人たち、違った価値観をもつ人たち、利権と利潤を追及する人たち、たくさんの人たちの思惑が絡み合うこの建築界で、どう考えても姉歯さんは末端の兵卒に過ぎない。それを血祭りにあげて、何故、多くの市民を恐怖に落とし込む必要があったのか? 国家の法を変えようと考えたのは誰か? 何のために?

姉歯さんを抹殺することに、何故、JSCAや日本建築学会は加担したのか?

僕は、素朴でささいな疑問の中に、意外とものごとの本質を見つけ出すチャンスが潜んでいると思う。


渡辺邦夫「図書館日記」-29-     2012年4月23日

建築設計をしたければ建築士の国家資格を取らなければできない。建築士は国家の法である建築基準法を遵守しなければならない。建築基準法に違反してもより豊かでより健全な空間ができることが往々にしてある。しかし、建築基準法に違反すれば建築士の資格が剥奪されて、建築の設計を業とすることはできない。より豊かでより健全な建築空間をつくりたいとき、どうすればいいのか。法治国家につきまとう矛盾だ。「悪法も法なり」とは古代中国からいわれてきたことだ。

ミャンマーの民主化運動の旗手、スー・チーさんは選挙で国会議員に選ばれたが、軍政時代に制定された憲法は初登院で議員に就任するときに「憲法を守る」と宣誓することが規定されているが、彼女は選挙公約に「改憲」を掲げているから国会に行くことができない。これも根本的矛盾だ。多分、彼女の英知とねばりで問題を解決すると思うが、その手法を僕たちも勉強した方がいい。

法治国家において法のあり方を議論することは国民の権利だ。特に、専門分野での法は、その専門家が発言することが重要だ。

渡辺邦夫「図書館日記」-28-     2012年4月22日

今日、日経アーキテクチャアの4-25号を受け取った。表紙に崩落した朱鷺メッセ連絡デッキのなまなましい写真が載っている。この写真は、8年半前の朝9時に撮影されたもの。実に鮮明でなんだか昨日撮影されたように見える。

コンピュータの威力には数々の要素があるが、僕はコンピュータは「記憶を失わない」ことがその威力の一つだと思う。10年近く前の写真だと昔ならちょと黄色ぽく色あせていて懐かしさを感じるものだが、この写真はあまりに鮮明すぎてかえって気持ち悪い。

確かに「コンピュータ革命」はどこに到着するのかわからないが進行中だ。普通は、一人ひとりの記憶は時間の経過とともにやがて喪失するから忘れる前に誰かに伝えておこうと思うのだが、いまのコンピュータの時代ではそんな必要性がなくなってしまった。これも友人とのコミュニケーションの手法を考え直さなければダメというヒントになった。


渡辺邦夫「図書館日記」-27-     2012年4月18日

昨夜、終電で帰宅する途中でいやに肩がだるいし少し痛みもある。でも、不快感はなく気分的には爽快。

何でかなと考えていたら50年前のことを想い出した。若造だった当時、朝から夜中まで図面を描きまくるのだがトレーシングペーパーに硬い鉛筆(3H程度)で指先にものすごく力を込めてT定規を動かしながら線を描いていく。一枚のA1のトレペを図で埋め尽くすのに4時間ぐらいかかる。それを一日に3枚ぐらいつくる。その図をもとにしてやがて現場で建築としてできあがるから、一枚一枚に精魂をこめる。終わると、大抵、肩に痛みを感じるのだが、精神的には充実感があって、その痛みも心地よい。

昨日は、一日中パソコンに向かってワープロを打ちまくっていた。原稿、メール、報告書、テキスト、文字の氾濫だが一字一字に心を込めてキーを叩きつける。50年前のトレペがパソコンに変わっただけだ。そして終わると全く同じような肩の痛みと快感が同居していた。

年を経ても人間のやることはみな同じだと実感した。昨夜も家に帰ってから本を読みながらウイスキーを大量に飲んだ。朝起きたら肩の痛みはなくなったが、ひどい二日酔い。これも50年前とまったく同じ。


渡辺邦夫「図書館日記」-26-     2012年4月6日

新潟の裁判で、今日、「新潟県が控訴する」という噂が流れてきた。控訴のデッドラインは4月9日だから控訴の意思表示は9日に新潟地方裁判所にしなければならない。新潟地方裁判所の判決文を読んだが、なかなか合理的な判決だから、何で控訴するのかなと思い調べてみた。

今年の11月に新潟県知事選挙があるらしい、いまの知事は再選に立候補することを決めているから、この判決が邪魔になる。で、控訴してまた延々と裁判をやって、4年間以上頑張ればまた同じように敗訴しても知事の任期中は凌げるということらしい。

それに調査委員長をやった某国立大学の某教授にとってはこの判決になんでもいいから異議を唱えないと「面子」がつぶれる。

「何故、落ちたのか」の技術工学上の問題が、「政治」と「面子」にすりかえられる。なんだかむなしいこの国の風土を感じる。


渡辺邦夫「図書館日記」-25-     2012年3月27日

昨日、3月26日(月)、新潟地方裁判所に行ってきた。朱鷺メッセ連絡デッキ落下事故の賠償請求裁判の判決が午後4時に言い渡されるので。この裁判は実に7年の時間が経過した。

判決文は185頁にわたり延々と書かれていて、僕はまだ読んでいない。でも7年におよぶ時間が何故、必要だったのかについては興味があったので裁判所の言い訳を捜してみた。

そしたら、ちゃんと言い訳していて、原告は本件事故原因を立証してないし、もう7年以上の月日が経過していて今後、さらなる審理をしても原告は立証できそうもないので、もう裁判を終わらすことが妥当だ、というような主旨が書かれていた。同じことが1年後、3年後でも5年後でも言えたはずなのに?

でも、世俗を超越しているはずの裁判所でさえ、自分の仕事上の言い訳をしてるのが面白いと思った。


渡辺邦夫「図書館日記」-24-     2012年3月19日

昨日、3月18日(日)は、渡辺邦夫日曜学校・V期講座の初日。20人の参加者が全員、午後3時に集まった。第一回講座のテーマは、「構造学」と「構造デザイン」とは何か? そしてその集大成は、多くの専門家を集結した「コラボレーション」と「プレゼンテーション」によって実現していくという方法論を解き明かすことであった。

講義は2時間、意見交換を1時間、その後の懇親会3時間、全部で6時間の講座でした。これから毎月開いて1年間、来年の2月にV期講座は終了する予定。リラックスした6時間でとても楽しい時間を過すことができた。

参加いただいた20名の方々に感謝します。


渡辺邦夫「図書館日記」-23-     2012年3月13日

どうも年々、世の中が「窮屈」になってきた。制度とか社会ルールが細かくなり過ぎてきた。「窮屈」は、融通がきかずゆとりのないこと、不自由、きっちり詰まっていて動きがままならない、ことをいう。

オフィスや家庭でタバコを吸っちゃいかん、路上もダメ、赤信号は渡っちゃいかん、一年に一回は健康診断を受けなさい、建築士は3年に一回は講習を受けなければ資格剥奪だ、などなど、その内、二日酔いは厳罰、路上で走っちゃいかん、屋上にものを置いたらダメ、バルコニーに裸で出たら規則違反、ゴキブリを殺しちゃいかん、徹夜で働くことは禁止、などの規則になりそうだ。個人個人のモラルにまかせるべき部分を、わざわざ社会ルールにすることがナンセンスなのだ。

ここは「禁煙区域」だと書いてあると、そこでタバコを吸いたくなるのは僕だけだろうか。禁煙のでかい表示があっても、真夜中の人影のない路上では僕はゆったりとタバコを吸う。

「窮屈」の反語は、「無窮」だとしたら、「無窮」には人間のロマンが詰まってるような気がする。先進国で失われたロマンが発展途上国に行くと沢山ある。


渡辺邦夫「図書館日記」-22-     2012年3月7日

3月3日、雛祭りの日に中田琢史さんが、「Footbridges」(鹿島出版会・久保田善明・他4名共訳)をSDG Libraryに寄贈してくれた。Footbridgeは和訳すれば「歩道橋」であるが、この本の内容は副題にもあるように「構造・デザイン・歴史」それにランドスケープとの見事な融合と調和を果たした欧州の独創的な歩道橋がていねいに紹介されている。それから3日間、この本を熟読した。

著者は、ウルズラ・バウズ女史(ドイツの建築評論家)とマイク・シュライヒ(ベルリン工科大学教授・構造デザイナー)で、迫力あふれる写真はヴィルフリート・デヒャオ(建築写真家)の豪華陣である。

マイクは国際的に超有名な構造デザイナーであるヨルグ・シュライヒの息子さん。もう随分まえのことであるが僕はマイクと香港でお会いしたことがある。その頃は、マイクもまだ若造で父親のヨルグがあまりにも偉大だったこともありシュライヒ・ジュニアなどと呼んでいたが、この本、Footbridgesの内容を一頁づつ丁寧に読んで本心びっくりした。もうすっかり一流の構造デザイナーに成長したことを読み取れる。マイク・シュライヒにあらためて敬意を表します。


渡辺邦夫「図書館日記」-21-     2012年3月4日

3月になっても浅草の町は例年になく寒い。人間の体温は約37℃だから寒暑の感覚は、人間であることの証であり、寒くてもしょうがないと思う。

ところで、人間の体温が20℃以下、45℃以上になると生命機構が崩壊するらしい。だから37℃の体温は常に維持しなければならず、その維持のために人は食事をしてエネルギーを体内に蓄積するが、そのエネルギーのなんと75%が体温を37℃に維持するために消費されるそうだ。

ドイツのフリードリッヒ・エンゲルス(1820-1895)は1857年にかの有名なエンゲル係数(家計の消費支出に占める飲食費の比率)に関する論文を発表した。食費は体力維持のために極端な節約ができないから、エンゲル係数の値が高いほど生活水準が低いとされている。

最近の日本人のエンゲル係数は約25%であるから、体温を37℃に維持するために僕たちの総消費支出の約20%は使われていることになる。最近のひどい寒さを感じること自体にも、生命体維持の面白さを発見できる。


渡辺邦夫「図書館日記」-20-     2012年2月29日

人には年をとってくると「熟成」する人と「老朽」するタイプとがある。どうせなら人生を熟成させたほうがいいと思うがこれが結構難しい。

日経新聞の文化欄に「私の履歴書」という欄があり、ほぼ一ヶ月間毎日連載していろんな人が登場してくる。以前は建築家・磯崎新さんも連載していて、その「熟成」の過程がとても面白かった。

今月は、女優の佐久間良子さん。彼女の少女時代、映画女優としてのスタート、恋愛、結婚、離婚、子育て、スキャンダル、さまざまな人生の経過の中で、本人が主体的に「熟成」してくるさまを読み取ることができる。

もちろん、「熟成」のプロセスは人によって違う。しかし、共通項はどうやら「一途さ」にあるようだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-19-     2012年2月24日

今週は中国の江西省、贛州市に仕事で行ってきた。日本では、タングステンとか希土類の取引以外は、馴染みのない都市だ。とても美しい街である。贛州の贛の名は、大きくうねる南側の章江と東側の頁江とで囲まれた街なので文字を合成して贛州と名づけられた。北から流れ込む河を贛江と呼び章江と頁江に分かれる。2000年以上の歴史をもつ客家文化が栄えた古城壁を保存している。

章江にも頁江にも小船を並べてその上に木を並べた浮き橋が現存している。船が通過するときは、この浮き橋の一部が開く。開閉式の最も合理的なシステムで一部の小船が移動するだけで浮き橋は自由に開閉する。

大都会、北京、上海、広州などから一日一便の飛行機が往復している。しかし、大都会から先に贛州に来て、その後、贛州からその大都会に帰るのだから発着の時刻が大幅に狂う。僕が贛州から上海に戻るときも予定より4時間遅れた。上海空港が大量の雨で飛ぶことができず、ようやく飛ぶことができたのが4時間遅れだったから。贛州の空港で待っている約200人は静かにひたすら飛行機が来るのを待っている。あのせっかちな中国人も天候には文句を付けらない。

同行した王健さんはこういう“時”を絶対に見過ごさない。「飛行機が来るまでトランプでもやりましょう」、僕「そうね」。で結局、2,200人民元負けた。もし上海が雪になっていれば僕は全財産を巻き上げられていたと思う。



渡辺邦夫「図書館日記」-18-     2012年2月19日

僕は学生の頃、「野次」が好きで、退屈な授業のときに野次ることを楽しみにしていた。偉そうに一方的に講義している先生に対して、「へー、本当かな!」とか野次ると野次友達がすかさず「ナベ、うるさい!」と大声を出す。退屈な授業が少し面白くなる効果がある。

野次の語源は「野次馬」から来ており、野次馬も少なくなっている・・・。野次馬の語源は「おやじうま」だそうだ。「おやじうま」というのは「役に立たない老馬」のことだから、語源的には野次馬も野次も役にたたない人物とか単なる騒音ということになるのだが、僕には「野次る」、「野次られる」というのがとても楽しく感じられる。

日本に限らずイギリスでも国会の野次には、一種の文化があった。発言権のないものが短く発言するチャンスで、これを禁止してしまうとただひたすら眠くなる演説しか残らなくなる。

野次は英語に直せば「booting」で、そういえば外国ではブーイングは最近どうなっているのか調べる価値がありそうだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-17-     2012年2月14日

SDG Libraryには約1万冊の本があるが、単行本は3千冊ぐらいで、後の7千冊は月刊誌でその内半分が建築関係商業誌、残り半分が学会とか協会の機関誌だ。その7千の一冊ごとに発行時点での編集者と執筆者の執念がこめられていて、実に面白い。

例えば、「建築士」、日本建築士連合会の会誌であるが1984年8月号で、「日本の都市改造を考える」というテーマで、田中角栄と丹下健三が対談しており、司会は太田和夫さん。この異色の三人の会話が絶妙で、僕は、暇があれば何度でも読んでいる。

考えてみると、いまでも都市改造について大いに語ることのできる建築家と司会者は大勢いるが、このテーマで語れる肝心の政治家が一人も居ない。田中角栄が異色だったといえばそれでおしまいだが、都市問題は政治の分野でも重要なテーマの一つであり、政治家なら独自の意見を持っているはずだ。そういった人材が出てこないのも、建設界が低迷している原因の一つかもしれない。


渡辺邦夫「図書館日記」-16-     2012年2月12日

エーアンドエーブックスの熊谷さんが新しい本を持ってきてくれた。表題は「Juha Leiviska」、大きさはA4とA3の中間だがB4とも違う異型版で215ページ、清楚な編集で上質厚紙が使われている。内容はフィンランド・ヘルシンキの建築家Juha Leiviska(1936-)の建築作品集。作品も優れているが、それよりビックリしたのが、この豪華本がわずか100部だけの限定版であることだ。

僕が購入したのは16,800円で52番目の本。内表紙のスケッチは一冊づつ異なり、彼のサインや52という数字が手書きされている。もちろん出版採算なんてまったく問題にしてない超赤字だけど手の込んだ代物。

何を目的にこんな本を出版するのだろう? しかも100冊の内、20冊が日本に輸入されたと、熊谷さんは教えてくれた。何故?

来月、3月26日に朱鷺メッセ裁判の判決がでれば僕も少し時間ができるので、ヘルシンキの建築家にメールで聞いてみようと考えている。


渡辺邦夫「図書館日記」-15-     2012年2月9日

最近一ヶ月、SDGはもう設計活動を終了したんじゃないかと「弔問客」が沢山やってくる。僕は、説明の仕方が難しいし長くなるし、実際に面倒なので「いえ、大丈夫ですよ」としか言わない。

マイコンを操作していて、インターネットとか事務所内のネットワークとうまく繋がらないことが往々にして起る。こういうときは、大抵、マイコンの「再起動」ボタンを押す。そうすると一旦、「終了」状態になり一瞬、画面が真っ黒になるが連続して起動をはじめる。起動後は、大抵の場合、システムが健全に動き出すようになる。誰でも、経験していることだ。

僕は、この「再起動」ボタンは凄いとズーと以前から尊敬していた。記憶をまったく失わないまま、回路のシステムを修復する能力、これは凄い!

人生でも、いつかは「再起動」ボタンを押すことがあるんじゃないか、あるいは何か本当に困ったときは、解決するときに「再起動」ボタンは誰でも公平に持っているんじゃないか、想像するだけでも楽しい。

去年の後半に、僕の人生における「再起動」ボタンを押した。マイコンと違い複雑な人生における「再起動」だから結構、煩雑で手間取るし、時間もかかる。僕にとっては最善の方法なのだか、外部から見ていると渡辺は「終了」ボタンを押したとしか考えられないのだろう。「弔問客」の方が「人生の再起動ボタン」の存在を知らないだけだ。


渡辺邦夫「図書館日記」-14-     2012年2月1日

人間は長生きした方がいいということを、今日も実感した。想像を絶する事件が起こり、自分の常識の軽さを実感できるからである。

今朝、新聞を見たら「検査機関に賠償命令」という記事。横浜市のマンションの住民53人が、耐震強度不足を見落としていたとしてERIと下河辺事務所に14億3千万円の損害賠償を求めた裁判があり、横浜地方裁判所は昨日判決し、ERIと下河辺事務所に14億円の支払いを命じた・・・とある。

僕が直感したのは、国家権力の異常なまでの執念深さである。住民とERIや下河辺事務所とは、何の関係も無い。住民が損害賠償を提起できるのは販売会社のヒューザーしかない。そのヒューザーが既に破産しているから、対策としては耐震補強をして、その安全性を自力で回復するしか道はないし、4〜5千万でできるはずである。

しかも、ERIと下河辺事務所に14億円の賠償請求をしたところで支払い能力がないことは明らかだ。裁判所が判決してもそれが実行される可能性は限りなくゼロに近い。

こんなナンセンスな裁判を仕掛けたのは、「お上」以外に考えられない。


渡辺邦夫「図書館日記」-13-     2012年1月29日

もう30年前に亡くなったが、アメリカの生んだ卓越した構造家にバックミンスター・フラー(1895-1983)がいる。構造家という名称は僕が勝手に付けたのであるが、公的には、数学者、哲学者、技術者、建築家、発明家と呼ばれていた。しかし、この五つの能力をあわせもった人を「構造家」と一言でいえばピッタリである。

フラーの作品には個人住宅から自動車、バスユニットまで多様にして多数あるがその内でも最も有名なのが「フラー・ドーム」だ。これらの発明品は実は一つの哲学・思想で貫かれている。その理念をまとめた著書が最晩年に発行された「テトラスクロール」(めるくまーる社、芹沢高志訳)であるが、この本から学ぶことはやたらと多い。

僕は、随分、以前にこの本を買って夢中で読んでいたのだが、何時の頃か誰かが持っていってしまったので、もう一度購入しようとしたら既に絶版になっていた。いま、SDG Libraryにあるのは、丁度持ち合わせていた中田琢史さんのものをコピーさせていただいたもので、なんだかとても寂しいし、多くの方に読んで欲しいので、再版できる出版社がないか捜している。


渡辺邦夫「図書館日記」-12-     2012年1月27日

超大国アメリカの元首の今年の一般教書演説の要旨を読んだ。オバマさんの年頭演説。格調高く理念をうたい上げていると期待したのだが、なんだか彼の日記を読でるようでがっかりだ。後半の「米国が衰退しているとか、我々の影響力が弱まっているなどという人は、何も分っていない。」などは、最早、グチに過ぎない。

選挙の年は、大抵、こういうことになるようである。再選を果たしたいから自分の考えでなく、国民の大部分がこんなことを考えているだろうということを演説の骨子にするらしい。だから、まったく迫力の無い代物になってしまう。

そういえば日本の選挙でも、これからは政党ごとの「マニフェスト」が重要だなどとマスコミで大騒ぎしていたときがあった。日本語に直せば「政策を明らかにする」ということだが、当選してもほとんど守らない、あるいは、守れないマニフェストを言っていたに過ぎない。

僕は、落選してもいいから自分の理念をキチンと表明できる政治家が出てくるといいな、と思う。選挙民との格差があるから多分、落選する。だけど、時を経て、その積み重ねが国家の進むべき方向を浮き彫りにしてくるのではないか。
僕は政治には無関心だが、自分の仕事の上での相似性があるからそのシステムには関心がある。


渡辺邦夫「図書館日記」-11-     2012年1月24日

昨夜の浅草は久しぶりの雪。雪の小道を歩いていて、イギリスのウォーリック大学数学者のイアン・スチュアート(1945-)の著書「自然界の秘められたデザイン」(河出書房新社・梶山あゆみ訳)を想い出した。副題が「雪の結晶はなぜ六角形なのか?」である。

この本は実に面白い。雪の美しい結晶を軸にして自然界の造形を数学的に解き明かしていく記事が満載されている。勿論、いま注目されているフラクタル理論にも言及している。

彼は、神秘的ともいえる自然界の形や模様について、そこにひそむ規則性を探し出しその背後にある法則を数学で解き明かすことをやっている。
「構造デザイン」を実践したい方は是非、一読の価値がある。


渡辺邦夫「図書館日記」-10-     2012年1月22日

構造物は「安全」でなければならない、ということになっているが、その構造をつくっている材料には経年変化とか劣化現象があるから、竣工したときの安全度と10年、50年、100年経ったときの安全度は変化している。

高度な耐久性という意味で、これを定量的に把握することを僕たちの構造設計に組み込みたいのだが、意外とその研究が遅れている。いつも他のことに紛れてこの問題について忘れてしまうのでこの日記に書いておくことにした。

構造物にはそれ特有の「保有耐力」というものがある。材料の弾性域だけでなく塑性域まで考えたその構造物の保有する耐力のことだが、この優れた概念を誰がつくりだしたものか僕は知らないが、1980年代に実用化されたように記憶している。

この「保有耐力」と経年変化を組み合わせて、例えば「時代歴保有耐力」みたいな計算法をつくれればいいのかな・・・。


渡辺邦夫「図書館日記」-9-     2012年1月16日

3.11.以来、危惧していたことについてニュースで知った。岩手県大槌町赤浜地区の堤防が、以前から高さ6.4mあったそうだが、それを14.5mに直すというのである。国や県は、平和な漁村を巨大な刑務所にして津波対策ができたと思っている。

復興は国家的事業である。復興に関して、国や県は「金」だけ用意すればいいのであって、余計な基準とか口出しをしてはならない。地元の方々は一刻も早い復興を願っているだろうが、どう考えても復興計画には3〜4年はかかる。いつものような拙速はダメ。しかも国家的事業である以上、世界中のエンジニアから英知を集結すべきである。

そして大災害に遭遇した以前よりも、豊かで楽しい、美しく活動的な街並みに復興するべきである。これは政治や行政の問題ではなく、技術工学の問題であることを、当事者の官僚ははっきりと頭に描くべきだ。



渡辺邦夫「図書館日記」-8-     2012年1月13日

今日は、15年ぶりに「小山工作所」に行って来た。文字通り栃木県小山市にある鉄工所で、鉄工所というより工作所と呼んだほうがぴったり。規模の小さな鉄骨構造製作所だけど優れた職人さんを沢山、抱えていて「手づくりの鉄骨構造」をつくってくれる。

イギリスやフランスにはこういった鉄工所がまだまだ沢山残っているが、日本では本当にめずらしい存在になってしまった。大げさにいえば300年前の産業革命のころからの伝統を引き継いでいる。

鉄鋼に限らず、木工でもPCでもこういった「手づくりの・・・」を大切にしないと、僕たちの「構造デザイン」は実現できないことを実感しました。




渡辺邦夫「図書館日記」-7-     2012年1月10日

ここ浅草の町に事務所を移してもう5年ほど経った。実に活気のある町だ。観光客が毎日4〜5万人集まる。毎日、毎日だ。寒くても暑くても雨の日も雪の日も。観光客の表情は明るく、殆どの人々は笑っている。「伝統」のもつ圧倒的強さを実感できる。

朝は結構遅く、夜は早い。午前11時ごろから午後6時ごろまで雑踏の中で赤ちゃんから爺さん婆さんまで散歩、買い物、参拝、歓談、飲食、5年間で喧嘩を見たことない。

夜は早い。8時頃になるとほとんどのお店は閉店。11時過ぎると一人も居なくなる。仲見世通り(参道)約300mは一直線に照明だけがきらきら光り、雷門から浅草寺まで完全に見通すことができる。実に美しい。

浅草は不思議な町だ。浅草の昼の顔から夜の顔、夜の顔から昼の顔を想像することはできない。たまに事務所で徹夜して朝5時ごろ仲見世通りを散歩すると、静寂の別天地を楽しむことができる。


渡辺邦夫「図書館日記」-6-     2011年12月30日

「構造デザイン」のためのミニ図書舘―SDG Libraryを開設して、丁度、一週間経った。知り合いを除いて来館者総数、2名。この年末のあわただしいときに、二人しか来なかったのか、二人も来てくれたのか、開館の評価は定かでないが、僕は大成功だと来館者に感謝している。

いま、専門家間でも「構造デザイン」の定義はできてないし、多くの専門家は漠然としたイメージをもって勝手に狭義に解釈しているに過ぎない。
僕は「構造デザイン」がカバーすべき学問領域を極端に大きく捉えているが、専門家間ではそのような考え方は少数派でしかない。

その広大な領域を包含して一つの建築を創りだすための「構造デザイン」に興味をもち、しかも、わざわざ浅草まで出かける人は、常識からいえば、かなり異常であることは確かだ。でも、そこが面白い。


渡辺邦夫「図書館日記」-5-     2011年12月26日

「自縄自縛」の現象は、わが国に限らず世界中いたるところに発生する。

外国で仕事をするときに必ず言われる決まり文句がある。「あなたの構造は、私の国で造るのだから私の国の法規・法令に合ったものにする義務があります。」 表向き僕は「はー、そうですか」というのだが、内心は「あなたの国の法規法令どおり設計するなら自分の国のエンジニアに頼めばいいじゃないか、何で日本人に頼むのかな?」と思うのである。

で、設計が進むと大抵、大混乱が始まる。僕の設計する構造は、どの場合にもその国にピッタリ当て嵌まる法規法令がないから、役人たちは大騒ぎになり既存の法規法令を守る限り僕の構造は実施できない。悩むのは役人たちだ。これを「自縄自縛」という。

なんでこんなことを書くのかというと、さっき突然、台湾のことを思い出したからである。

現在の台湾は、世界195カ国の内、国家として認めているのは23カ国に過ぎないし、その23カ国も僕にはほとんど知らない国々である。
だけど、台湾政府は国家として体裁を保つために、やたらと厳密にして詳細な建築法規をつくりだし、しかも罰則規定が網の目のように張り巡らされている。だから、台湾の建築師も構造師も自由奔放な設計をはじめから諦めている。その風土にさまよいこんだ僕は、今年も滅茶苦茶に実りの無い苦労をした。

自縄自縛行為禁止国際条令をつくろう!



渡辺邦夫「図書館日記」-4-     2011年12月25日

昨夜は、NHKのことで突然、「シルクロード」を想い出した。全30巻もある30年前の録画ビデオで、本棚の奥に放置されているのを引張りだしてニッカウイスキーを舐めながら見出したら今日の朝8時になってしまった。

ティムール王朝(1370-1507)の画像が印象的。初代の帝王ティムールは、サマルカンドに首都を置き、各地に遠征してわずか20年足らずで巨大な帝国を築き上げる。現在のトルキスタンからイラン、イラクの全土を併合し、インドにまで侵略した。東はアフガニスタン、それにカスピ海周辺国、アゼルバイジャンも征服し、世界史上屈指の大帝国である。

ティムールという男は、その一生を遠征に捧げて領土をひたすら拡大することに熱心な「戦争好き」だが、一方で、大変な「文化人」でもあったらしい。首都サマルカンドは、シルクロードでの通商の自由を保証し物資の交流だけでなく、各国の文化と技術を取り入れて芸術的にも科学的にも独自の文化として成長させている。

宮殿も礼拝堂も、それに街並みも夢のように美しい。遊牧民特有の文化とイスラム文明が見事に融和した結果だと、NHKのディレクターは言っていた。

で、僕は気が付いた。僕の学問のカテゴリーに「イスラム文明」の研究が徹底的に欠落していたのだ。来年は「イスラム文明」とその背後にある「遊牧民文化」を勉強しよう。そして再来年の今頃は、サマルカンドに行こう・・・と決めた。

NHKの「シルクロード」に拍手喝采!


渡辺邦夫「図書館日記」-3-     2011年12月24日

昨夜、シリウスライティングオフィスの戸恒(とつね)さんからメールがあって、明朝9時半からNHK総合テレビの「課外授業 ようこそ先輩」の番組で、子供たちに照明デザインの面白さを伝えるから見なさいと連絡があった。

で、今朝は妙に興奮して8時に自動的に目が覚めた。
戸恒さんは世田谷区の三宿小学校出身で、6年1組の子供たちに戸恒流「照明デザイン」を教える、一体どうやって何を教えるのだろう? とても興味があった。

「街の中を少ない光でいかに気持ちよい環境にするか」、「東京スカイツリーのライトアップは“江戸らしい”ことを念頭においてデザインした」、「光のもつパワーを正しく認識すること、だから影を見せることが大切なのだ」、「光と影の演出こそが照明デザインの核心だ」、「3.11.で節電の風潮が生れたことを歓迎する」、「少ない光を使って最大の表現をする」などを本当にわかりやすく出演してる子供たちだけでなく、僕たち視聴者にも語りかけていた。

そして、卒業を控えた子供たちに小学校の「想い出を照明で表現する」ワークショップ授業で一夜だけの校舎やグランド、樹木、大すべり台の照明をやってのけていた。わずか30分の番組で、実に盛り沢山の照明デザイン授業でした。

戸恒さん、僕も大変勉強になりました、ありがとうございます!


渡辺邦夫「図書館日記」-2-     2011年12月23日

昨日、22日にSDG Libraryがオープンした。
開館にあたりLibraryの運営につてご意見を伺うために23人に招待状を送ったが、参加いただいたのは次ぎの方々。

徐   光さん
構造家、JSD主宰、最近は高松丸亀町商店街に全長約200mの大胆で美しいアーケードを完成させた。鉄骨やガラス、膜に限らず、PC建築の第一人者を自称。奥さんと次女のユナちゃんも来館。ちょっと遅れてJSDの若いエンジニア3人もワインを持って来館。

橋戸 幹雄さん
建築技術社/「建築技術」編集長、「建築技術」の創刊は1950年だからもう62年の歳月をかけて建築をとりまく技術論を継続的に提供している月刊誌で、その伝統を保持するために善戦苦闘している編集人。

A・バーデンさん
元関東学院大学教授、現在は「ストラクチャード・エンヴァィロメント」主宰、直訳すると「構造の環境」となるが本人に言わせると「現在の地球環境問題に挑戦する構造設計事務所」と訳するのが正しい。東京とロンドンに事務所を開設し毎年18往復している精力旺盛な構造家。

神田  順先生
東京大学教授、「建築基準法制定準備会」の会長。3.11.大地震に関して、釜石に青春時代に深い想い出があるので出かけて行き、街の方々と連携をつくり出し、今後、釜石復興に力を注ぐという貴重な話を聞いた。

岡村  仁さん
「空間工学研究所」主宰、ローマ字で「KKK」と略称している。英字に直すんなら、「STI」じゃないの聞いたら、違う、「Kuukan Kougaku Kenkyujyo」の頭文字をとって「KKK」だ、と言い張る。いま大活躍中の国粋型構造家。最近はどういうわけか「KAP」と称している。

腰原 幹雄先生
東京大学助教授、「team Timberize」主宰。僕が死んだらSDG Libraryに所蔵されてる全ての書籍と設計図書や工事写真を腰原研究室が引取ってくれることを約束してくれた。僕はいつでも安心して死ねるので助かった。

湯田 博哲さん
鋼構造出版/「鉄構技術」編集長。月刊誌「鉄構技術」の白鳥時代から飛躍的に発展させた鉄鋼技術と構造技術を愛する編集人。来年1月号から僕の連載記事を掲載することに快く承諾してくれた有力な「構造デザイン」ファン。

これらの方々に、僕とSDGの佐藤めぐみさんと王健さんが加わって総勢14名の本当に楽しいSDG Libraryのオープニング・パーティでした。

ご来館いただいた各氏に感謝感激!


渡辺邦夫「図書館日記」-1-     2011年12月22日

いま、僕は、雌伏のときを過している。
森羅万象の自然科学と人文科学の勉学に励んでいる。ここ数年、自分の「構造デザイン」を総括的に見直して、新たな発想を培養するためである。

建築界は混沌の真っ只中にある。

台北の国立台湾大学の学生たちに聞いた。
「建築学科の学生で建築分野に就職するのは三割です。残りは建築とは全く関係ない仕事に従事しています。」
ロンドンのエンジニア・ティムマックファーレンに聞いた。
「あなたの仕事は順調ですか?」
「私の仕事で新築の設計は3%ぐらいで、あとの97%は改築、増築のいずれかです。」
北京の建築家・楊さんに聞いた。
「あなたほどの才能がありながら、何故、外国の国際コンペに挑戦しないの?」
「いまの中国はやらなければならない仕事が山ほどあって、しかも想像を絶するスピードを要求されます。とても外国のことなど手が回りませんよ。」
トルコのイスタンブールで大規模な国際コンペがあって、応募59カ国、287チーム。当選したのは、
「一位 クロアチアのゴランラコ、二位 ベトナムのマニュエルハゴピア、三位 レバノンのユーセフモラ。」

今年の日本の大学生の就職率は60%以下。40%以上の学生が街に職を捜してウロウロすることになる。

SDGの書籍の整理を始めたら約1万冊の本があった。これらは全て僕が「構造デザイン」を実践する上での貴重な参考書である。これを公開して自由閲覧ができるようにすれば、将来、「構造デザイン」を目指す若者たちに役に立つのではないか・・・と考えて「SDG Library」を開設することにした。

雌伏する若者たちよ集まれ!


01 構造デザイン論
02 構造システム
03 自然界から学ぶ
04 幾何学・数学
05 美学・芸術
06 大空間・ドーム建築
07 ガラス建築
08 木造建築
09 アルミ・ステンレス建築
10 膜・空気膜建築
11 PC建築
12 鉄骨建築
13 RC・SRC建築
14 レンガ・石造建築
15 超高層建築・タワー
16 ディテール
17 設計資料
18 建築論
19 建築作品
20 コンペ作品
21 都市・ランドスケープ
22 建築史
23 案内書
24 事典・辞書
25 力学・解析学
26 地震工学・耐震論
27 風工学・荷重論・振動工学
28 免震・制震工学・耐久性
29 地盤・基礎構造
30 杭構造・山止工法
31 工法工学
32 設備工学・防災・環境工学
33 橋梁・土木工学
34 コスト
35 法規・法令・規格
36 その他
37 定期刊行建築誌
    国内で既に廃刊誌
    国内建築誌
    国内学会誌
    国内協会誌
    国内その他
    フランス建築誌
    イタリア建築誌
    ドイツ建築誌
    イギリス建築誌
    スペイン建築誌
    台湾建築誌
    中国建築誌
38 設計図書


SDG
Copyright 1997 Structural Design Group
Updated 16.December.2011