SDG

朱鷺メッセ連絡デッキ落下事故の真相解明に挑む


第2章
事故発生以前と以後の組織上の相関関係

     本章は、SDGから見た事実の記述であるが、立場を替えればこの記述以外の沢山の事実がある。それら全体をまとめ直したときに、「事実」が「真実」へと成長するのだと思います。この事故の経緯に係わった方々で、新潟県当局や国土交通省を含めて、事実はこうだというご意見があれば、是非、お寄せ下さい。ご意見をここに掲載します。
ここに書き込むことはできません。メールを頂ければ転載いたします。
あて先:sdg@muh.biglobe.ne.jp


この連絡デッキは終始一貫して余りに妙なことが起こり続けた。
普通では信じられないできごとの連続であった。

1. 設計段階
 
設計は、新潟県が新潟県建築設計協同組合に2000年10月、発注契約をした。協同組合は、当時、理事長であった福地さんが主宰する福地事務所を設計担当事務所として委託。体制上結果的に、SDGは福地事務所の構造設計協力事務所として位置付けられた。

下表の実線は契約書が存在し、点線は契約関係に無かったことを示す。

 
2_01.GIF
 
以下は、設計契約における不可思議な書類の存在が、SDGにとっては事故後に判明したものである。

新潟県知事と協同組合の設計委託契約書は、2000年(平成12年)10月11日に締結されている。ここでは設計完了を2001年(平成13年)1月25日までの107日間と明記されている。委託業務は、「万代島再開発事業立体駐車場連絡デッキ設計委託」、と一行あるだけでその内容にはまったく触れていない。その契約書に附属する「設計委託特記仕様書」で、一枚の図が添付されており、この連絡デッキの平面概要図で、そこに12年度と14年度の区分の書き込みがあり、「上屋は本体工事に支障があるので平成14年度とする。」と記入されている。この不可解な図の前頁の特記仕様・第5条留意事項で、「設計書の作成は、年度別に作成すること。」という条項と共に、「12年度の設計書及び図面に関しては、平成12年10月20日までに納入すること。」と特記してある。

要は、一つの連続したデッキを3年度にわたり設計を分割することと、落下した工区の設計は、10月11日から10月20日までの10日間で完成させることが謳ってある。どのような事情で、こんな馬鹿げた契約が行われたのかは、いまだに謎のままである。

SDGは、1998年から槙事務所の協力構造事務所として、朱鷺メッセ本体の設計・監理に鋭意、取り組んでいた。この連絡デッキの設置の噂を2000年の春に知り、誰に頼まれたということは無いのだが、折角、苦労している朱鷺メッセの延長上にあるのだからと、SDGは勝手に計画案を立案していた。
この年の夏になって、連絡デッキの現実性の高い基本設計を開始していたが、設計契約の話もどこからも無いし、何時になったら工事を実施するという予定も無いので、この工事は実現性がきわめて小さいと、SDG内の作業をその年の9月になって中止した。
そしたらその翌月の10月になって、設計が新潟県から発注されたとの知らせを受け、SDGの案が採用されたということで、11月から実施設計に取り組み、設計が完了したのが翌2001年2月である。しかし、このときには次の項で示す工事は既に始まっているという、大混乱を起こすことになる。

一方、2000年(平成12年)10月11日に設計契約を取り交わした協同組合は、同日付で「設計業務担当者承認申請書」を県知事に提出している。その中で、担当者は建築、構造、設備とも福地事務所の所員の氏名が書かれているのである。この承認申請書に対して新潟県が承諾したとか、しないとかの書類は存在しない。

県と協同組合との関係も判然としない。設計契約を行った同日に、この設計を福地事務所に委託している。これでは協同組合は単なる設計料のピンハネ機関に過ぎないが、それを新潟県当局は知っていて容認している。こういったことが堂々とまかり通っていて、誰も咎めないのも不思議な世界だ。

SDGは、実体上、幽霊みたいな存在で、誰からも構造設計を行うことの合意を得ないままに、勝手に設計していたことになる。こういった経験は、SDGにとっては始めてのことであり、事故後に判明したことだが、心底、慄然とした。



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Updated October 02, 2005