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05/03/30(水) 嘘つきアーニャの真っ赤な真実
05/03/27(日) 水滸伝の世界
05/03/22(火) バイナリー・システム
05/03/21(月) 次元がいっぱい
05/03/20(日) 花粉症デビュー
05/03/16(水) 模様替え
05/03/05(土) ポーランド人ジョーク/水戸の一日
05/02/28(月) 助太刀屋助六
05/02/27(日) ぼんくら(上下)
05/02/26(土) 黙示録論
05/02/20(日) 手芸フェスティバルIN川越
05/02/13(日) ステップフォード・ワイフ
05/02/12(土) (エロポンあらため)覚書:ブログについて
05/02/04(金) 犬との不倫/獣姦文学館
05/02/03(木) Mr.インクレディブル

2005/03/30(水)嘘つきアーニャの真っ赤な真実

Amazon米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)読了。

著者の米原万里は国際会議ロシア語同時通訳者にして、大宅壮一ノンフィクション賞を本書で受賞したエッセイスト。週刊文春の読書欄でその名は知っていたが、日本共産党の幹部だった米原昶の娘だということは本書を読んではじめて知った。

著者がまだ小学生だった一九六〇年代、父親はソ連が指導する国際共産主義運動の機関誌的雑誌の編集局に日本共産党の代表として派遣されていた。著者もプラハのソビエト学校で中学まですごすことになる。学校はもちろんロシア語だが、同じような境遇の同級生は学校全体で実に五十ヶ国以上の国から集まってきていたという。

本書に収められた三編のノンフィクションの主人公は三人とも、このプラハ時代の著者の親友だった同級生の少女たちである。

なんていうと、けなげな少女たちのご立派な生き方を綴った、いかにも堅苦しい随筆を想像するが、これがとんでもない。苦笑微笑爆笑を禁じ得ない、実に面白い読みものになっているから不思議だ。三話目の少女たちと厳格な先生のジョークのようなかけあいのエピソード(かなりのシモネタ)など、作ったのではないかと思うぐらい面白すぎる。実際そっくりの話をジョーク集で読んだことがあるが、もしかしたら著者の体験が元ネタかもしれない。

なにより三人の少女たちの個性がきわだっている。

ギリシャ美人のリッツアは勉強はてんで駄目だが、スポーツ万能。シモネタ大好きでやたらませていて、思春期のクラスメートの中にあってはセックス知識と男の見極め方の権威である。彼女に言わせると「男の善し悪しの決めては歯」なんだそうだ。そんなリッツアの夢は映画女優。「贅沢して、いい男と片っ端から寝てやるつもり」――これがギリシャ共産党闘士の娘の科白だろうか。

表題作にもなっている、ルーマニアの要人(あのチャウシェスクの側近だ)の娘のアーニャの話はさらにすごい。同級生を堅苦しくも常に「同志」と呼び、共産主義思想の教科書のような科白が口癖なのに、本人はブルジョア以上貴族並みの暮らしを満喫している。著者もふくめ同級生はみな結構な住居(百平米のアパートメント)をあてがわれているのだが、アーニャの一家はそれさえも「狭く」て、自分たちだけ城のような館を借りて住んでいる。家事をまかなっているメイドをも「同志」と呼んでいるが、彼女が屋根裏部屋に起居していることに全然矛盾を感じない。

もちろんそんな彼女たちも決してイヤな人間ではなく、著者は彼女たちと友情をはぐくみ、それぞれが帰国しても親友として文通をしばらく続けたりする。しかしそれもだんだん間遠になり稀薄になっていく。日本人同士ならそのまま「やがてすべてがいい思い出になりました」で平穏に終わるのだろうが、幸か不幸かそうはいかない。やがてくる世界情勢の激変が彼女たちをそのままではいさせてくれなかったのだ。

いわゆる「プラハの春」でチェコスロバキアはソ連の戦車に蹂躙され、ベルリンの壁は崩壊し、チャウシェスクは殺され、ソ連さえも消滅し、ユーゴスラビアの内戦でさらにおおぜいの人々が死ぬ。かつての親友たちは完全に音信不通になり、連絡先はもちろん生死さえもわからない。

いてもたってもいられなくなった著者は三十年ぶりにかつての親友たちをさがす旅にでる。再開にいたるまでの過程も結構サスペンスフルなうえ、再開は少女時代には知り得なかった(ちょっとほろ苦い)真実を露にする。

ひさしぶりに知らない世界を垣間見た感のある上質のノンフィクションでした。

倉橋由美子『よもつひらさか往還』(講談社文庫)、吾妻ひでお『失踪日記』(イーストプレス)購入。


2005/03/27(日)水滸伝の世界

Amazon高島俊男『水滸伝の世界 』(ちくま文庫)読了。

水滸伝との出会いは40年以上前、親に少年向けの『三国志演義/水滸伝/聊斎志異』を買ってもらったときだった。少年向けとはいえなかなかの名文で挿絵もすばらしく、夢中になったものでした。どこかへ失くしてしまったのがかえすがえすも悔やまれる。

三国志は登場人物が偉い人ばかりでもう一つピンとこなかったが、水滸伝にははまった。主人公の名前も九紋龍史進くもんりゅうのししんとか豹子頭林沖ひょうしとうりんちゅうとかなかなか粋でかっこいい。登場人物は盗賊や人殺しといった乱暴者ばかりで痛快きわまりない。はじめて読んだ頃は、ちょうど漫画の世界でははじめて?行儀の悪い乱暴者を主人公にしたちばてつやの『ハリスの旋風』がはじまったときだった。時代の気分にも合ったのかもしれない。

ひさしぶりに読みたくなって、岩波の抄訳の方の水滸伝を読み終わったのだが、もう一つ物足りない。完訳水滸伝を読もうかどうしようかというところで、まずは本書を読んでみることにした。著者が週刊文春で連載している国語に関する辛口コラムも愛読していることだし。

目からうろこの話がたくさんあったのだが、詳細は読んでいただくこととして、いくつか箇条書きにしてみよう。

ということで、完訳水滸伝に挑戦することに決定。ただし期日未定。

朝青龍というのは水滸伝の登場人物のあだ名にありそうだが、本人の面構えも梁山泊の豪傑に入っても全然おかしくなさそうだ。しかし。横綱が優勝を決めた相撲に座布団を投げるような奴に相撲を見る資格はない。というか、座布団を投げられないような構造にしろよ>相撲協会。


2005/03/22(火)バイナリー・システム

昨日の続き、アシモフ博士の『次元がいっぱい』からの問題の答えを……まずは1(グラム)から順々に組み合わせを考えていく。

  1. 1gは1gでしか測れないから1g
  2. 1g×2でもよいが2gを選べば、1gと合わせて3gも測れるので効率的。よって2g。
  3. もちろん、2g+1g。
  4. 3+1、2+2、2+1+1、色々な選択肢があるが、2gの時と同じ理由で4g
  5. もちろん、4g+1g。
  6. 4g+2g。
  7. 4g+2g+1g。
  8. ここで手持ちがなくなったので、新しい錘を追加。8g

……ここらへんでパターンが見えてくる。8gを追加したことにより、今まで測れた7gを足して15gまで測れるようになる。よって次に追加しなければならないのは16gだ。つまり次々と倍の錘を選べばいいんですね。

ということで、答えは次の10個の錘の組み合わせになる。

g、g、g、g、16g、32g、64g、128g、256g、512

たとえば200gを測るには64+32+4の組み合わせだ。1000gなら512+256+128+64+32+16+8。10個全部を使えば1023まで測ることができる。

10組の数字を2の累乗で表わすとより簡単に書くことができる。

20、 21、 22、 23、 24、 25、 26、 27、 28、 29

これを逆順に並べて加算記号でつなぐと

29 + 28 + 27 + 26 + 25 + 24 + 23 + 22 + 21 + 20

この10の項目のそれぞれを使ったり使わなかったりすることで、0〜1023までのすべての整数を表わすことができる。「使ったり使わなかったり」というのは、要するにゼロをかけるか1をかけるかということだ。ということで、この数列は二進法そのものだったんですね。

上の例でいくと、200を二進法で書き表わすと、1100100だ。1000なら1111111000、1023はもちろん1111111111だ。

私のようなソフト造りを生業をしている者でも日頃二進法を意識しているわけではない。それでも一応コンピュータの基本が二進法であることは十分にわきまえている……つもりだったけど、こうわかりやすく説明されると、素直に感心してしまう。

二進法(バイナリー・システム)の原理を発見したのは300年も前の人、ライプニッツだそうだ。コンピュータにうってつけであったけれど、コンピュータのために考え出されたものではないのですね。

*

二進法小咄

「世の中には10種類の人間しかいない。
二進法が理解できる人間と二進法が理解できない人間だ」

「それじゃあ2種類しかいないじゃないか?!」

「きみはもちろん後者だね」

10種類を10進法で表わすと……

2005/03/21(月)次元がいっぱい

Amazonアイザック・アシモフ『次元がいっぱい』(ハヤカワNF文庫)再読了。

仕事がたてこんで疲れているときは、感情移入の必要な小説を読むのは結構しんどい。社会系のノンフィクションでもおなじだ。

意外と楽に読めるのが科学エッセイ。それも生物学や天文学などより抽象度が高い数学がいい。ただし、むずかしいのはだめ。高校生、できれば中学生程度で習う内容を楽しく解説している、なんてのがぼおうっと読むには最適だ。

ということでアシモフ博士の『次元がいっぱい』を再読。こういう風に楽しく悠揚せまらざる筆致でユーモアたっぷりに解説してくれる科学者はなかなかいない。物理学の分野ではガモフ博士という先達がいたが、こちらも名前からわかるとおりアシモフと同じくロシア系だ。なにか才能というか伝統があるのだろうか。

たとえば円周率「π」について。

πはごぞんじのように3.1415……と無限に続く小数だ。それも10÷3=3.333333……のような循環性は一切ない、分数であらわすことのできない数=無理数である。この「πが無理数である」という事実がドイツの数学者によって証明されたのは16世紀。それ以前にも多勢の数学者によってπの値は求められていた。

古代ギリシャの時代にすでにアルキメデスが3123/994=3.14185……というかなりの近似値を算出しているという。17世紀には小数点以下35位、無理数証明の直前には72位まで求められていたらしい。

その後ももちろん算出競争は続いたけれど飛躍的に伸びたのはコンピュータの出現からだ。元祖コンピューターENIACは70時間かけて小数点以下2035位まではじきだした。現在のオーダーはたしか10億桁以上に達しているはずだ。

それに比べて17世紀の小数点以下35位というのはずいぶん不正確な感じがする。正確な建築や科学計算にはまるで使えなさそうだ。実際にはどうなのだろう。

本書では太陽系をまるまる囲む円を描くという壮大な例をあげている。直径160億km、円周は500億km近い。これほど巨大な円を描いても、小数点以下35位のπ(ルドルフ値というそうな)を用いれば、その誤差は原子一つ分よりはるかにちいさい。陽子の実に100万の1だという。既知の宇宙(というのがなんなのかは私に聞かないように)を包む円を描いても誤差は1万分の1ミリよりもっと小さい。

現在はおろかはるか未来でも科学・技術が要求するだろう正確さを、17世紀で証明されたπの値がすでに上回っていたということだ。21世紀に至ってそれを「およそ3で良し」と子どもに教えるなどと、17世紀人に申しわけないというものだ。

この項、明日も続けますが、ここで問題。

いくつかの錘(おもり)を組み合わせて1から1000までのすべての整数のグラム数を表わすのに、もっとも少ない数の錘の組み合わせを求めよ。
【条件】
1グラムの整数倍のどんな重さの錘も選べる。
あるグラム数を表わすのに何個の錘を使ってもかまわない

おひまなときにでもどうぞ。


2005/03/20(日)花粉症デビュー

今冬は鼻炎もでず、調子いいなあと思っていたのもつかのま。ここ2週間くらいくしゃみ鼻水が止まらない。そのうえ、いままでなかった目のかゆみまで勃発。ついに私も花粉症デビューとあいなったようだ。

たまらず土曜日に耳鼻科に行って薬をもらってきたが、これが利きすぎたのか眠くてしかたがない。今日も遅くずるずる起き出して食事をし、かたづけものをしたあとちょっと一休みして本を読んでいたらいつのまにか眠っていた。クロロフォルムを嗅がされて誘拐される神戸美和子もかくやと思われる強烈な眠気。せっかくの休日ほとんどなにもできなかったのが口惜しい。

こんこんと眠り続けるだけ。美しい女性ならば眠り姫だが、きたない中年親父では絵にならないことおびただしい。ゴミと一緒である。

しかし「花粉」だからあまりきたないイメージがないが、正体は結局スギやヒノキの精子だと考えるとなんですな。日本の春の空気中には精子が満ち満ちていて、それが私やあなたの目や鼻の粘膜に入りこんでアレルギー反応を誘発しているのだ。外出から帰ってきた私やあなたの衣服や髪の毛にはびっしりと精子がこびりついていて、ちょっと体を動かすとそれが目や鼻に入りこむ。これはかゆいはずである。

まったく、スギやヒノキの性行為というのははた迷惑なものだ。そんなに盛大に巻きちらさなくてもいいではないか。スギのめしべにたどりつかずに私の鼻粘膜に着地してしまったスギの精子にはまったくご愁傷さまだが……こっちだって迷惑なんだよ!

2005/03/16(水)模様替え

といっても、直近の日記をホームにも表示するようにしただけなのであまり変わりばえはしない。

方法は頭3件だけ出力するシンプルなCGIをSSIでホームページに埋め込んだ。日記をリンクから呼び出した場合と相対アドレスが違うので、そのままだと画像がリンク間違いで表示されない。解決策としてIMGタグのアドレスを変更して出力するのにちょっと手間取ってしまった。

今後の変更予定

  1. CGIデータと別に記事ごとの固定HTMLを出力。
  2. 1に対してのコメントを投稿できる機能。
    できればコメントがあったらメールを受け取れるようにしたい。
  3. 1を基準にしたトラックバック受け入れ機能
  4. 更新をRSSで公開する機能。

と、これだけやればWebLog(ブログ)の機能をほぼ満たすことになると思うけど、できるころにはブログも時代遅れになっていたりするかもしれない。

2005/03/05(土)ポーランド人ジョーク/水戸の一日

刃渡り12cmのナイフが頭に刺さっている事に全く気付かない男

頭痛と食欲不振に悩まされていたポーランド人男性(63歳)は頭にナイフが刺さったのに気付かず、しばらくそのままで生活していたという。

ある日、あまりにも長く続く頭痛を何とかしてもらおうと、とにかく医師の診断を受けるため病院へやってきた。そこでようやく医師が頭に刺ささっているナイフを発見したとのこと。

この男性は以前酔っ払って台所にあった踏み台から足を滑らせて転落したことがあり、その衝撃により、おそらく落ちていたナイフが頭に刺さってしまったと考えられている。「その瞬間は血も出なかったし、大して痛みすら感じなかった」と男性は話している。

後日、お気に入りだったナイフの握り部分だけ落っこちているのを男性は発見。刃の部分はいったいどこにいってしまったのか不思議に思っていたという。

診断によると、ナイフは右耳のモミアゲ辺りから突き刺さっており、そのまま口蓋付近(頭蓋底部分)にまで進入、顎骨にあたって止まっていたとのこと。普通なら動脈、神経組織が傷ついてしまって当然な状況にもかかわらず、まるでそれらを避けて刺さったかのように全く損傷はなかったという。

(AZOZ BLOG)

エスニック・ジョークの世界でポーランド人といえば、なぜか知能が足りない民族ということになっているのを思い出してしまった。

電球一個の取り替えに何人のポーランド人が必要か?
五人。
一人がテーブルの上に立って電球を天井のソケットに合わせる。
あとの四人がテーブルを持ち上げてグルグル回す。

ある男がバーに入ってきて言った。
「よう、とっておきのポーランド人ジョークを仕入れたんだ。聞いてくれ」
バーテンは男に顔をよせて言った。
「よく聞け若いの。俺はポーランド移民だ。それから、お前の両隣、そいつらも そうだ。それから向こうのテーブルに座ってる奴、入り口の近くでお前を にらんでる奴、みんなポーランド人だ」
男は、ニコニコしながら言った。
「だいじょうぶだよ。わかるようにゆっくり喋ってやるから」

親戚の法事があって水戸に行く。帰りに雪の偕楽園で観梅。三分〜四分咲きというところか。公園内では水戸黄門ご一行の扮装をした一座が歩いていて、一緒に写真を撮ってくれる(無料)。

天下の副将軍ではあるが、水戸光圀公はたまたま副将軍だったわけではなく、水戸様はもともと将軍になる資格はないから「副将軍」なのだ、というのはトリビアネタにはなるのだろうか。同じ御三家の尾張と紀伊は大納言、水戸は藩祖が徳川家末弟だったこともあって格下の中納言なのだからしかたがない。そんな水戸藩が最後の将軍慶喜公(一橋家に養子にいった)を生むのだから皮肉なものだ。

そんなことを思い出した雪景色の一日。

2005/02/28(月)助太刀屋助六

NHK-BS映画劇場『助太刀屋助六』。

岡本喜八監督の追悼放映をしたのは結局NHKだけか。民放はみんなホリエモンにでも乗っとられてしまえ。

映画館で見損なっていた(当たらなかったらしくとっとと終わってしまった)のがいまさら口惜しい。

快適なテンポ。快調の音楽。山下洋輔林英哲のコラボが時代劇なのにモダンモダンにしている。この粋さは黒澤明山田洋次にはない、岡本喜八ならではだね。

クライマックスからラストにかけてちょっとテンポが落ちてぐだっとなるが、それをさっ引いても77歳の監督の作品とは思えません。真田広之が全編にわたって披露する身のこなしがまた秀逸。見てるだけで心地よい。(二十四歳という設定はさすがに苦しいが)

至福の90分をありがとう。合掌。

2005/02/27(日)ぼんくら(上下)

Amazon宮部みゆき『ぼんくら(上下)』(講談社文庫)読了。

数年前ハードカバーが出たときにすぐ借りて読んでいるのだが、最近出た続編『日暮らし』を読みはじめてみると、ほとんど前作を忘れている。加齢による記憶力減退をなげいてもしかたがない。文庫になっている本書を買って再読した。

宮部みゆきの時代小説である。私がレビューするまでもなく、うまいし面白い。決して明るい話ではないのに読後感がいいのは、人物造型がうまいせいだろう。

魅力的な人物像の書き手として山田風太郎が一番と思っているのだが(忍法帖が苦手な向きは例えば『エドの舞踏会』などをお読みになるとよいと思います)、宮部みゆきの腕前は山風に匹敵する。

本書では、まずは少年たち。

超記憶術を習得した人間レコーダーのデコ、なんでも計らずにはいられない計測マニアの超美少年弓之助など、実にキャラが立っている。

宮部みゆきは『ステップファーザーステップ』をはじめ少年を描くのが実に上手だ。ただしリアルだというのではない。はっきりいって、こんないい子は現実にはいないだろうと思うような少年ばかりだ。独身の女性がこんな甥っ子がいたらいいなあと思い描くような(たぶんに妄想的な)少年たちだ。ショタコン的だといってもいいかもしれない。

(あわてて付け加えるなら、これは性別が逆でもよくあるパターンだ。独り者の男性がこんな姪っ子がいたらいいなあと思い描くような(たぶんに妄想的な)少女たちだ。ロリコン的だといってもいいかもしれない、てな具合)

しかし、そんな少年像が全然いやみではなく、こんな小僧が身近にいたら楽しかろうと思わせるのは、これはもう筆力以外のなにものでもないですね。

ただ、リアルでない分、少年たちは戯画的である。(戯画的なのが悪いわけではない)

「魅力的な人物」はむしろ大人たちだ。

特に主人公の八丁堀同心井筒平四郎がいい。神仏も信ぜず手柄にもあくせくせず長屋の人々の日々に気を配る。別に高邁な理想を持っているからではない。ひとえに生来の怠惰のためである。

もう一人の重要な登場人物、長屋の重鎮、煮売り家のお徳さん。四十過ぎのおばさんなのにキュートである。映像化するなら、藤山直美に演じてもらいたいものだ(どこかのサイトで泉ピン子と書いていた人がいたが冗談は勘弁してほしい)。

平四郎には阿部寛、悪役の湊屋総右衛門には平幹二郎を配役希望。


2005/02/26(土)黙示録論

AmazonD.H.ロレンス『黙示録論』(福田恆存訳/ちくま学芸文庫)読了。

あの『チャタレイ夫人の恋人』のロレンス最晩年のクリスト教(特にアポカリプス=黙示録)論。

第七の封印や海から上がる獣や悪魔の数字666など、アポカリプスには派手なイメージがあるが、本書はさすがにてごわかった。ロレンスの思想の深さもあるだろうが、キリスト教にまったく無知な私が読むのはさすがに無理だったかもしれない。

ただし、巻末には「黙示録論」全編が付録として載っている。福田恆存の訳者の域を超えた熱のこもった序文・解説・訳註もついている。難解だとばかりはいっていられない。

ロレンスは『チャタレイ…』の舞台にもなった英国の炭坑町に生まれ育った。両親はもちろん、住民は敬虔なプロテスタントばかり。当然、幼少の頃からキリストの教義にどっぷりひたって育った。しかしロレンスはおのれの血肉となった宗教思想(特に黙示録)に嫌悪感を抱く。「私の本能が聖書に憤りを覚えるのだ

反撥したのはロレンスだったからだろう。普通は素直に敬虔なプロテスタントが再生産されるだけだろう。その憤懣とはなんなのか。ロレンスは詳細に、しかし熱情をこめてアポカリプスを分析していく。

人類は永遠に貴族主義者と民主主義者との二つの陣営に分裂してしまった。民主主義はクリスト教時代のもっとも純粋な貴族主義者が説いたものである。ところが今ではもっとも徹底した民主主義者が絶対的貴族階級へ成り上がろうとしている。イエスは貴族主義者であった。使途ヨハネもパウロもそうだった。

宗教は、殊にクリスト教は二元的相貌を具えることとなった。強者の宗教は諦念と愛を教える。が、弱者の宗教は強きもの、権力あるものを倒せ、而して貧しきものをして栄光をあらしめよと教えている。世界にはつねに弱者の方が強者より多数である。爾来第二のクリスト興が勝ちを制してきたし、なお今後も勝ちを制しつづけるであろう。弱者は誰かがこれをして支配しないならば、みずから支配者の側に廻る。

ただし、本書は反宗教や無神論の書ではない。訳者もロレンスが反逆したのはプロテスタントでありピューリタニズムであって、クリスト教そのものではない、とあとがきで読者に注意を促している。

のちに栄光のうちにあって統べ治らさんという大望こそはつねにクリスト教の根底に巣食っていたものであり、いうまでもなくこれこそ、この世で現在ただちに統治の座につかんとする野望の惨めに打挫がれた表れにすぎないのである。ユダヤ人は容易にはぐらかしうる存在ではなかった。彼等はこの地上に統治の権を振わんものと固く決意していたのである。

たとえいまは殉教の業苦を忍ばねばならないとしても、そしてこの目的実現のためには全世界が壊滅されねばならぬとしても、おお、クリスト教徒たちよ、なんの怖れることがあろう、君たちだけは王者としてこの世を統べ治らし、かつての暴君たちの首根っこを土足にかけることもできるというものだ!

これが黙示録のご託宣である。

暴君たち」とはイスラム世界のことではなく、黙示録が書かれた時点ではローマ帝国のことである。

ロレンスは自身の思想の突破口として、キリスト教が抑圧し無視してきた異教の精神にも目を向ける。

時間とは、無限に真直ぐな線に沿った持続なりという吾々の観念は、無惨にも吾々の意識を不具にしてしまった。それに反して、円環的に運動するものという異教徒たちの時間概念にはもっと自由闊達なものがある。

終末思想対輪廻思想ですな。

断片的な引用ばかりでなさけないが、残念ながら私の言葉で書けるほど咀嚼していないのだ。副題にもなっている「現代人は愛しうるのか」という命題が最後の章に出て来るが、なぜここにたどりつくのかさっぱりわからん。

正直いって大好きなロレンスのあの緊張感あふれる小説世界のうしろにはどんな思想があるのかという興味がなければ読み切れなかったろう。

ただしアポカリプスそのものはなんだかわからないが謎めいていておどろおどろしくて面白い。四匹の獣や二十四人の長老、あまたの獣のヴィジュアルな描写はなかなか絵心をさそわれます。


2005/02/20(日)手芸フェスティバルIN川越

私のつれあいと娘のパッチワークの師匠である遠藤亜希子先生が出展している「NHKおしゃれ工房『手芸フェスティバル』」をつれあいのおともで見に行く。遠藤先生は同番組常連の美人講師なのである。

パッチワークキルトも見るのは絵と同じ。先生の作品は年代ごとの代表作が出ていたが、デビュー時の落ち着いた配色、あるときから原色を生かした強い配色、最近の華やかで楽しい色使いと変遷が楽しめる。黒糸のステッチを生かしたイラストっぽいデザインのくずし方が面白くて好きだ。ちょっと旧い連想だが「暮らしの手帖」の花森安治の装画を思い出した。アメリカンモダンライフ。

*

川越の街は戦火を浴びなかったようで、旧い蔵屋敷が沢山残っていてそれを利用して街おこしをしている。「小江戸」がキャッチフレーズだそうな。

たしかに江戸時代風蔵造りの町並みも大正モダン風洋館の町並みも美しく面白い。そういった建物が思い出したようにポツリポリツあるのではなく、揃っている(すべて二階建て)のがいい。比べて(川越だけでなくどこもかしこも)戦後以降の町並みは汚いねえ。もしかしたら私たちは日本史上もっとも美的でない建築環境に生きているのかもしれない。

醜さの元凶はやはり、色彩、材質の不調和による配色の醜さだろうね。最悪は「看板」「POP」である。茶系、黄褐色系の柔らかな町並みに青赤黄白黒の原色の看板が無神経に加えられているのは、まるでゴミがぶちまけられているようだ。アジア的ではあるが、日本的だとは思えない。川越の江戸時代風蔵造り商家の屋根には美しい木目の看板が挙げられている。これは綺麗だ。ちゃんと目立つし。

川越の街、町並みは美しいが売っているものはたいしたことはない。なんでもかんでも芋づくしというのはちょっとなあ。地ビールもサツマイモ入りじゃないの?と冗談いったら本当に原材料に入ってました。鰻はうまかったけど。


2005/02/13(日)ステップフォード・ワイフ

ということで、六本木ヒルズのVIRGIN TOHO CINEMASへ『ステップフォード・ワイフ』をうちの女たちと一緒に見に行く。

う〜ん、ファッションとセットは楽しめるけど脚本はいまいち。出だしは快調だが、ミステリの底はすぐ割れる。謎そのものは陳腐(1972年の原作だからしかたがないが)なのだから、もっと伏線をばりばり張ってくれなければいけない。ステップフォードのそれぞれの住人の過去をヒロインが(元ニュースキャスターなのだから)記憶していたりすればもっと面白くなっただろうに。

ニコール・キッドマンベット・ミドラーグレン・クローズ他、役者はみな達者で演技は楽しめます。

*

原作はアイラ・レヴィン。映画化された作品では『ローズ・マリーの赤ちゃん』が有名だけど、デビュー作『死の接吻』を最初読んだときはどぎもをぬかれた。日本のミステリ作家の回想録みたいのでもよく出る作家で、弱冠二十三歳で「死の接吻」を書いたという事実にみなさん凹んだようです。「死の接吻」も映画化されたけど、これはどうしようもない駄作。「ローズマリー…」は作品も映画もよかったけど、次の『ブラジルからきた少年』は普通。あとの作品はずっと落ちる。そんな印象が強かったのでこの映画の原作は未読。だけどちょっと読んでみたくはなりました。

*

映画館のトイレで西城秀樹とすれちがった。渋い赤い革のジャケットの彼は「オペラ座の怪人」を見に来ていたようです。

2005/02/12(土)(エロポンあらため)覚書:ブログについて

前夜の『タモリ倶楽部』の特集「エロポン」にいたく興味をひかれ、「よーし、とーさんエロポン大人買いしちゃうぞ」などと宣言したのもつかのま、ひさしぶりに聞いた夏川りみの歌声に心洗われ「とーさん、もう悪いことしません。エロポンも忘れます」などと改心した冬の夕暮れ、いまはやりのブログとやらについて愚考してみる。

*

ブログのサービスサイトではトラックバッグやらRSSやらコメントやら色々特徴は列挙されているが、ユーザーから見た最大の魅力は(たぶん)オンラインで書込めるということなんだろうね。やはりFTPでアップロードというのはやや敷居が高いのだろう。

それと、どこでも同じような形式=標準化されていることも安心感をもたれるのだろう。そこそこ自分らしさを出せる程度にはカスタマイズもできるようだし。

他の商品でいえば、メーカーがあの手この手で「電子手帳」や「モバイルなんたら」をいくら出しても消費者は(一部の新しもの好きを除いて)乗ってこなかったのが、「携帯電話」になったらあっというまに普及した、というのに似ている気がする。

私はいわゆるプログラミングで口を糊しているが、その本業の業務用ソフトでは、まずメニューがあって各機能ごとのフォームを開くという形式が基本だ。しかし、少しこなれてくると最初から最も多用する機能のフォームが開いて、そこから必要が生じたら各フォームを開く、もしくは最初のフォームだけで全ての機能(レポートの印刷とか)も使えるような仕様の方が使いやすい(少なくとも私はできるだけそう造る)。

現在のブログの画面構成もその傾向が強いようだ。一画面でほぼそのサイト全部を見わたせるようなデザインになっている。そのためか、初期のころはサイトの一部にブログを追加したという形が多かったが、今はブログをホームにしたり、ブログだけで成り立っているところが増えてきたようだ。

当サイトの対応はというと、(できる限り)自前主義なのでブログサービスを使うことはまったく考えていない。このページでもオンラインでの更新やデザイン変更・コメント機能はついている。ない機能ではRSSとトラックバックはちょっと魅力なので使ってみたいが、しかけを調べるのも実装するのも今はちょっと時間がない。仕事の勉強にもなるので今年中にはなんとかやりくりして仕掛けてみたいとは思ってはいるのですが。

その前に「オンラインでの画像投稿」と「CGIで管理してHTMLで保存」を実装しなければ。やりかたはわかっているのだけど、やはり休みはスクリプトいじるより絵描きたいからあとまわしになってしまうのだよなあ。

八杉龍一編『ダーウイニズム論集』(岩波文庫)読了。小林信彦『侵入者』(文春文庫)購入。

2005/02/04(金)犬との不倫/獣姦文学館

犬との不倫現場を目撃され、新妻に「離婚してくれ」と嘆願する夫

新婚ホヤホヤだったにもかかわらず、夫(24歳)が愛犬とベッドでよろしくやっている現場を帰宅した妻(20歳)が目撃して驚愕、さらに夫が「こいつ(犬)を愛してしまった」と、この妻に離婚を申し出るという事件がカンボジアで発生した。

記事によると浮気相手の女性(雌)は2歳になる雑種犬。この夫は犬と性的関係を持っただけでなく、犬への愛を押さえきれなくなっていたのか、ついには「君よりも犬の方が好きなんだ」と妻に激白したという。

それを聞いた妻はますます激怒、最終的には警察が駆けつける騒ぎとなった。事実確認のため、警察官がこの夫に質問したところ、「え・・はい、あの・・確かに犬とやってました」と答えたという。

「幼女が好き」よりはずっと許せると思うけどね。奈良幼女殺しの小林薫のようなのはいかにも現代的な鬼畜だろう。あまり神話伝説でも聞かない。獣姦の方はというと、こちらはギリシャ神話から聊斎志異までネタにはこと欠かない。

リンク先の事件?は人間の牡(男)と犬の牝だったが、フィクションの世界では犬系の牡と人間の牝(女)という組み合わせが優勢のようだ。『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴)の八房(♂)と伏姫(♀)など、妖しい話がけっこうあります。

この手のカップルが登場する小説の、私のベストチョイスは次の5冊。犬好きでもそうでなくてもお勧め。

  1. 犬狼都市』(澁澤龍彦)【ファキール(♂)と朝倉麗子(♀)】
    カップルが結ばれる美しいシーンがクライマックス。
  2. シリウス』(オラフ・ステープルドン)【シリウス(♂)とプラクシー(♀)】
    これまた、カップルが結ばれる美しいシーンがクライマックス。
  3. 』(中勘助)【婆羅門僧(♂)と女(♀)】
    邪恋に狂った僧が犬に変身し女も犬に変えて思いを遂げるという、あの「銀の匙」の中勘助のファンなら腰を抜かしそうなお話し。
  4. 孤児』(ロバート・ストールマン)【バリー(♂)とレネイ(♀)】
    DON MAITZの表紙絵が素晴らしい。
  5. 狼の紋章』(平井和正)【犬神明(♂)と青鹿晶子(♀)】
    これが獣姦だというのはさすがに無理があるかな。狼男が主人公だがセックスするわけではないから。でも、愛はある。

人獣交婚というと、ずばり『人獣怪婚』なんてのもあります。同じシリーズ(ちくま文庫・猟奇文学館)には『人肉嗜食』や『監禁淫楽』なんてのも。人によってはお勧め。

2005/02/03(木)Mr.インクレディブル

映画:丸の内ピカデリー『Mr.インクレディブル』。

みなさんやあちらこちらの感想と同じ、映像もアニメートも脚本も全て完成度の高い傑作でした。

なので、感想は省略してちょっと気がついたところだけを少し書く。ヒロインのインクレディブル夫人は東ちずるに似ている。ライバルのプラチナ・ブロンドのミラージュはMEGUMIに(胸ではなく顔が)似ている。悪役のシンドロームはくりーむしちゅーの有田に似ている。……て、似ているリストだけかい。

政府のエージェントのおっさんはトミー・リー・ジョーンズにそっくりだけど、こういう場合、ギャラは支払うのだろうか。

この映画を見た後、『アンブレイカブル』を見ると、さらに趣き深く見られそうだ。おすすめ。

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