第1話『Blue Sky in his Eye』

◆◆◆1◆◆◆

 短い夏が終わると、すぐに長く厳しい冬の訪れる。

 ここは北の果て、雪と氷の街アルラム・ランド。寒い冬は長く純血の雪を大地にささげ、湖には透き通るような青い氷を創り出してみせる。その幻想的な美しさとは裏腹に、長く、寒い冬は時に険しく、時に厳しく、人々の心にも、雪を降らす。

「兄ちゃん、待ってよぉ〜っ!」

「ったく、お前はいつも鈍くさいんだから……」

 鳥人の少年は、苛ただしげに髪を掻き上げてみせた。

 思い切りふくれた顔で、そんな兄に反抗する弟。

「重いんだよ、これ? だいたい、この缶詰だって、クッキ−だって、兄ちゃんが食べたいって言って買ったんじゃないか?」

 弟の主張はもっともだ。だが、ここで素直に認めるのも、兄貴として、少々悔しい気もする。少年は、少し考えると、意地悪そうに笑ってみせる。

「ああ、じゃあ、オレが持つよ。その代わり、お前は、食っちゃダメだ。いいな?」

「兄ちゃんの意地悪っ!」

 ますますムキになる弟を見つめて兄はケラケラ笑って見せた。

 兄の名はパ−ン。やんちゃで、ケンカ早く、気の強い所もあるが、何よりも弟を大事に思う心優しい一面もある。

「あ。兄ちゃん、あのアップルパイ、すごくおいしそうだねぇ。あ、ボクが持つモン。その代わり、兄ちゃんには分けてあげないからねーっだっ!」

 弟の名はレヴィ。花と動物、自然を大切にする心優しい少年。絵を描くのが、なによりもの楽しみな彼は、しばし、道ばたに咲く、名も知れぬ花と一時の言葉を交わすことを幸せに感じる。

 息巻く弟を見て、兄はそっと静かにため息をこぼすのであった。

 レヴィは鳥人でありながら、空を飛ぶことが出来なかった。何時まで経っても飛ぶことの出来ないレヴィは、良くいじめられていたのだ……。

◆◆◆2◆◆◆

「やぁ〜い、やぁ〜い、弱虫レヴィ!」

「……ううっ。ひっく、ボク、弱虫じゃないモン……」

「じゃあ、あの木の上まで、飛んで見せろよ〜」

「……ううっ、ううっ。出来ないモン……」

 泣きじゃくるレヴィの耳に、兄の声が聞こえた。

「こらっ! 弟をいじめる奴は、オレが相手になるぞっ!」

 小さく肩を振るわせ、泣きじゃくるレヴィを何も言わずに、背におぶるとパ−ンは、じっと空を見つめたまま歩き出したのだ。沈み行く夕陽を睨み付けるような目で、パ−ンは夕焼け空を見た。

「……ひっく。兄ちゃん、ありがとう……」

「気にするな」

 言葉少なに返す兄は、妙にぶっきらぼうな感じがした。

 だが、口を真一文字に結んで、キッとした表情でただ黙々と歩く兄は、弟には心強くも、頼りがいがあるとも感じられた。

「ねえ、兄ちゃん?」

「何だ?」

「ボク……弱虫なの?」

「気にするなって言っただろ。お前は弱虫じゃない。お前をいじめたあいつらの方が、ずっと、ずっと弱虫なんだ。だから、もう泣くな」

 力強く返す兄を見つめながら、レヴィは恐る恐る尋ねてみた。壊れ物に触れるように……。

「ねぇ、兄ちゃん……どうして、ボク、飛べないの?」

「っ!」

 兄からの返事は無かった。

 夕陽を見つめたまま兄はただ黙々と歩くのであった。その頬を一筋の涙が伝った。

「すまない……レヴィ……」

◆◆◆3◆◆◆

 その日の夕食は珍しく豪華だった。

 レヴィとパ−ンが街まで買い出しに出掛けたのもあって、寒い冬の夜にあって、食卓は春のような暖かさであった。

「ママ、おかわりっ!」

「……良く食べるわねぇ、あんたは」

 苦笑いしながら皿を突き出すパ−ンから皿を受け取ると、たっぷりのス−プをよそってみせた。

 寒い冬にあって、体の温まる料理は兄弟の好物であった。

 しかし、どうしたことか、レヴィは食欲が無さそうに見えた。

「どうした、レヴィ?」

「……ボク、もうごちそうさまする」

 スプ−ンを握りしめたまま、ス−プを覗き込むレヴィ。机の下で足を弄ぶようにぶらぶらさせていたが、不意に椅子からヒョイと飛び降りると、スタスタと外へ出ていった。一瞬、身も凍るような冷たい風が吹き込んできた。

「……レヴィ。ママ、オレ、ちょっと見てくる」

「あっ、ちょっと、パ−ン! スープはどうするのよ?」

 だがパーんは何も応えることなく走り去っていった。

「……勝手な子なんだから」

◆◆◆4◆◆◆

 寒い冬空は一点の曇りも無かった。透き通るような空は、遥か彼方に見える月までも

 きれいに透き通らせていた。ポチャン……池に投げ込まれた小石が静かな波紋を残して沈んでいく。湖をそっと覗き込めば、波紋で歪んだ顔が見えた。

「……どうしてボクは空を飛べないんだろう? みんな、ボクと同じ年くらいなのに、飛べない子はいない。ボクだけ、赤ちゃんのままなの? なんでだろう……ううっ」

 静かな夜空にレヴィの涙を啜る声だけが聞こえた。

 弟を心配して見に来た兄は、思わず目線を落とし、小さな吐息を就く。吐く息は白く、暗い夜空に静かに消えていった。

「あの山の向こうには何があるんだろう? 空を飛べたらあのきれいな満月にも、もう少しだけ近づけるかも知れない。わたがしみたいな雲だって、ホンの少しだけかも知れないけど、かじってみれるかも知れない」

 叶うことの無い願いを口にするレヴィの頬を一粒の涙が伝って、落ちる。

「どうして……どうしてっ! ボクは、空を飛べないのーっ!」

 哀しみに満ちたレヴィの叫び声が夜空に散ってゆく。

 掛ける言葉さえ見つけられない、自分の弱さを憎みながらパーンはそっと、踵を返した。弟に気付かれないように、静かに、玄関の戸を閉めるのであった。

◆◆◆5◆◆◆

 カンカンカンカン。授業の終わりを告げる鐘の音が響きわたった。

 アルラムの学校はに賑やかな笑い声に満ちていたが、冷たい北風が吹き抜ければ、生徒達が思わず震え上がってしまう。

「うぅー、今日は寒いなぁ。雪でも降るのかなぁ……」

 そっと空を見上げて見れば、どんよりとした空模様であった。どこまでも続く鈍色の厚い雲に、身を切るような冷たい北風。冬の訪れを告げるかの様に思えた。

 騒がしい教会の道を歩いていたレヴィは、ふと耳に入ってきた興味深い話に、思わず耳を傾けていた。

「……渡り鳥? 何のお話だろう?」

「それでですね、こうして冬が来て寒くなるとですね……」

 熱心に子供達に話を聞かせているのは、教会の神父様。

 長い間この街に住み続けている物知りで心優しい神父様は、子供達の人気者であった。

「ずっと南にある、春の街ポ−シャに、海を渡って、出掛ける鳥達もいるのですよ」

「へぇー、ボク達も行けるのかなぁ?」

「ええ。行けますとも。その代わり、長い、長い海を飛び続ける事が出来なくてはなりませんけどね。毎年、飛空に自信のある若い方々が出掛けるそうですよ。私も、若い頃は良く遊びに行ったものでした」

 おかしそうにクスクス笑ってみせる神父様に、ますます興味深そうに話しかける子供達であったが、レヴィにはそんな喧騒は聞こえていなかった。春の街? 海の向こう? ああ、行ってみたい! きっと、ボクみたいな、子供は未だかつて、行ったことが無いような素敵な世界なんだろうなぁ。

 春の街……春は好き。きれいなお花がいっぱい咲く季節だから。

 甘い香りのする花、暖かい気分にさせてくれる花。道ばたにそっと、小さく咲き誇る、名前も判らない可愛らしいお花。ああ、ボクの大好きな花が、たくさん! きっと、きっと、ボクの大好きな絵がたくさん描ける。

「おい、レヴィ?」

「あ、兄ちゃん! 春の街、ポ−シャだよっ!」

「は?」

 興奮して、いきなり手を握られ賑やかに踊り出す弟に、思わずきょとんとしてしまうパ−ン。妙に希望に満ちた嬉しそうなその表情が、何を意味しているのかパ−ンには判らなかった。

「ああ、こうしちゃいられないっ! がんばって、がんばって、空、飛べるようになるんだっ!」

 賑やかに笑いながらレヴィは走り去っていってしまった。

 弟が何を考えているのか悟ったパ−ンは、慌ててレヴィの後を追いかけるのであった。

「おいっ、レヴィっ、待てよっ!」

◆◆◆6◆◆◆

 飛ぶんだっ! そうさ、きっと飛べるさっ!

「やぁっ!……うわぁっ!」

 低い木の上に登って、なんとか羽ばたこうと試みるレヴィ。

 だが、翼は開き掛けるのだが、大空を羽ばたくには遠い。

 しりもちをついて、イテテと土を払い、また木に登る。その真剣な眼差し。信じて疑うことを知らない幼く無邪気な瞳は、ますますパ−ンの心を深く、冷たく傷付けるのだ。

「レヴィ……」

「あ、兄ちゃん! ボクね、今度こそがんばってね、空飛べるようになるんだよっ!」

 木の上から無邪気にパ−ンに語りかけるレヴィ。

「うわっとっ! もうちょっとなのになぁ……」

 パンパンとおしりをたたけば、土煙が舞い上がる。

 パ−ンは険しい顔で弟に向き直る。

「止めろよ、レヴィ……」

「どうしてさ? ボク、空飛べるようになって、兄ちゃんと一緒にお散歩に行くんだよ? あの山の向こうに、何があるんだろうねって、二人で話したじゃない? きっと、一緒に見に行こうねっ!」

「止めろよっ、レヴィっ! やめてくれよっ!」

 ついに堪えきれなくなったパ−ンは手にしたカバンを投げ捨てると、叫んでしまった。

 思わずハッと我に返るパ−ン。きょとんとした表情のレヴィが、苛ただしげに返してみせる。

「どうしてやめなくちゃいけないの? ボク、空飛べるようになったら、もう弱虫なんて言わせないよ。兄ちゃんだって、ボクの心配をしないで、いっぱい、遊べるんだよ? どうしてさ? どうしてそんなこと言うの?」

 幼いレヴィの言葉は、あどけないが故に冷たく、辛く、そして痛々しくさえ感じられた。

「……レヴィ……ダメだ。お前は……」

 言いかけたパ−ンを遮るように、レヴィが返す。

「兄ちゃん……ボクが空飛ぶの、兄ちゃんより上手になって、ボクが、春の街に遊びに行っちゃうのが悔しいから、そんな意地悪するんでしょう? ひどいや……」

 拗ねた態度で、木の枝を乱暴に蹴ってみせるレヴィ。パラパラと木の葉が、舞うように落ちていった。

「お前は……お前は飛べないんだよ!」

「え?」

「空を、飛ぶことは、レヴィ……お前には出来ないんだよ……」

 まだ年端もいかない、兄パ−ンにとってその一言を口にすることは、どれほど辛かっただろうか……。

「え?……兄ちゃん、何言っているの? まだ、そんな事を言って意地悪するの?」

「違うっ! 忘れたのかっ! お前がまだ、ろくに歩くことも出来なかった頃……オレも、まだやっとこさ、飛べるようになったばかりのあの冬の日を忘れたのか……思い出せ!」

◆◆◆7◆◆◆

 ああ、そうさ。あの日、オレは仲間達と、雪山の動物達を見に行ったんだ。

 真っ白な雪原を、ちょこちょこ走り回る雪うさぎ、まるで、風の流れのように白く輝く毛並みの銀きつね。雪山には、幻想的な愛くるしい動物達がいっぱいだ。そんな、可愛らしい動物達を見に行ったんだ。

「うわぁ。可愛いなぁ……」

「あれは雪うさぎだな。小さくて可愛いなぁ」

「見えないよ〜っ! ボクにも見せてよっ!」

 木陰に隠れて雪うさぎの、その愛嬌に満ちた身のこなしを見つめる少年達の背後で、幼いレヴィが喚く。

 なにしろ、頭二個分はちいさなレヴィには、他の少年達が見える高さでも、何も見えないのだ。自分だけ見えないなんて悔しい。レヴィは必死でおねだりしてみせた。やれやれと言った表情のパ−ン。

「おい、パ−ン……なんで弟を連れてきたんだよ?」

「しょうがないじゃないか。付いて来たいって言うから……」

 ぶつぶつと文句を言い出す少年に向き直るレヴィ。雪玉を投げつけてみせる。

「うわっ!」

「へへ〜んっ。ボクの事悪く言ったばつだよっ!」

「レヴィっ! 悪さをするなら、連れてこないぞっ!」

「……うっ……うっ……兄ちゃんのバカぁっ!」

 いつもは優しい兄に叱られた事が……自分を連れてきたがために、仲間に悪く言われた

 兄が悔しかった。自分をかばってくれなかった事が悔しくて、哀しくて、なんだか、大好きな兄ちゃんが、どっかに行っちゃって、変わりに、怖くて、意地の悪い兄ちゃんに変わってしまった気がして、レヴィは無性に悲しくなった。

 悲しくて、悲しくて、気が付いた時には走り出していた。

 だが、雪深い山には意外なところにガケもある。雪山は危険に満ちていた。まだ、幼いレヴィは空を飛ぶことはおろか、翼を広げることさえままならないのだ。

「うわぁっ!」

「っ! レ、レヴィっ!」

 あの時、レヴィはガケから足を滑らせて真っ逆さまに落ちてしまった。その時に、あいつ、鳥人の命とも言うべき、翼を大きく傷つけてしまった。まだ、まともに開く事さえできない翼を深く傷つけてしまったのは、後に大きな痛手となった。

「うわぁん! 痛いよっ! 痛いよっ! 兄ちゃん、助けてっ! 痛いっ、痛いっ! うわぁんっ!」

 泣き叫ぶレヴィを見たオレは、目を疑った。

 柔らかな毛並みに包まれたな、弟の翼は、真っ赤な血に彩られて、まるで別の翼と付け変わったみたいに思えた。医者に言われたさ……。

「お前はもう飛べないんだって。その翼を、広げることは出来ないんだって。ごめんよ……レヴィ……あの時、お前を、無理にでも家に置いて帰れば、こんな事にはならなかったのに……」

 レヴィは頭から氷水をかぶせられたような表情を浮かべていた。冷たい北風が、そっとレヴィの髪を掻き上げた。

「……ウソ。兄ちゃんはウソつきだよっ! ボクが飛べないなんて、そんなのウソだよ。ダメだよ……ボク、春の街に行くんだもん。がんばって海を渡って、暖かい春の街で、いっぱい、絵を描くんだ……いっぱい……いっぱい……ひっく……ぐずっ……ううっ……ううっ……兄ちゃんのバカぁっ! 兄ちゃんなんかっ! 兄ちゃんなんかっ! だいっきらいだよっ! うわぁああんっ!」

「あっ! レヴィっ!」

 幼い兄弟には、あまりにも過酷すぎる現実だったのかも知れない。泣きながら走り去っていったレヴィをパ−ンは必死で追いかけた。ひたすら、追い掛けた。

◆◆◆8◆◆◆

 どれだけ走り続けたのだろうか? レヴィは街を抜けて、ずっと北の……鉱山の採掘場に迷い込んでしまったのだ。

「……ひっく……ううっ、飛べないなんて……そんなの、絶対! ウソだもん! きっと、ボクの練習が足りないから、羽根が開かないんだよ……そうだよ。そうに違いない!」

 レヴィは、力一杯羽根を広げてみようと精一杯の力を込めてみた。刹那、ミシっという嫌な音がした。

「痛いっ!」

 翼に激痛が走る……。やっぱり兄ちゃんの言うとおりボクの翼は……?

 また、涙がこみ上げてきた。ふと足下に目をやれば、そこには冷たい雪の中、ひっそりと咲き誇る小さな花が佇んでいた。

「……わぁ、小さなお花」

 レヴィは小さな花に興味を惹かれたのか、腰を落とすと花を撫でてみせた。

「……この花、こんな冷たくて、水もない場所でがんばって咲いているんだぁ」

 ようやく我に返ったレヴィは周囲を見渡した。見慣れない景色に背筋が寒くなる。

「あ、あれ? ここ……どこなんだろう?」

 見慣れないような、どこかで見覚えのあるような不思議な景色。レヴィは過去の記憶を必死で手繰り寄せてみた。

「あ。ここはいつか兄ちゃんと一緒に望遠鏡で見た、えっと……そうだ。街外れの鉱山の採掘場だ。昔は、ここで宝石を採っていたって聞いたことある」

 周囲は静まり返っていた。無機的な採掘場は、打ち捨てられて長く経つのだろう。ただ、風の吹き抜ける微かな音だけが響き渡っていた。

「この小さなお花、なんて名前なんだろう? 可愛い花だなぁ……こんな、寂しい所に一人でひっそり咲いているなんて、なんか寂しそう」

 妙に親しみを覚えたレヴィがクスクス笑い出す。

 涙を拭うと、ポケットから鉛筆を。カバンから小さなノ−トを出してみた。

「このお花、気にいっちゃった。なんて名前なのか、後で調べてみようっと」

 レヴィは、もうすっかり自分が泣いていた事を忘れていたのであった。

 グランドキャニオンを思わせる、その壮大な光景は、今まで見たこともない様な景色だった。

 切り立ったガケは、赤茶けた土でいっぱい。遠くまで見渡せば、壮大な山々が見える。冷たい風に混じって、小さな雪が舞い降りてきた。

「わぁ、雪だ。くしゅんっ! ううっ、寒いなぁ」

 一方その頃、レヴィを追ってパ−ンは必死で走り続けていた。

 自分の一言が、弟を深く傷つけてしまった。そのことを兄は多いに後悔した。だからこそ、鉱山のガケの端に座り、楽しそうにスケッチをしているレヴィを目にしたパ−ンは、安堵からか思わず、ヘタと座り込んでしまった。

「……ああ、レヴィ。やっと、見つけたよ……」

◆◆◆9◆◆◆

 一心にスケッチをするレヴィには、パ−ンの姿は見えなかった。遠くから呼びかけているのだが、吹き始めた風は強く、その声は流されてしまった。

「……レヴィの奴、気付かないのかな?……それとも、オレの事を怒っているのだろうか?」

 不安げに考え込むパ−ン。

 無理に呼び戻して、ますます傷つけるわけにもいかないし、このまま放っておくのも、また問題といえる。パ−ンは必死で考え込んだ。

「……っ!?」

 不意に足下がガラガラと言う音と共に崩れだしたのだ。

 長い時を放置され続けてきた鉱山の地盤は、脆くなっていたのだ。

「うわぁっ!」

◆◆◆10◆◆◆

「えっ! 兄ちゃんっ!?」

 ようやくパ−ンの声はレヴィに届いたのだ。

 一瞬、風が止まった瞬間、彼の耳に届いたのだ。

「ああっ! に、兄ちゃんっ!」

 ガケから落ちそうになっている兄を発見したレヴィは、何を思ったのか、スケッチブックを投げ出すと、勢い良くガケから飛び降りたのだ。弟の突然の行動にパーンは酷く驚かされた。

「れ、レヴィっ!」

 ガケから飛び降りたレヴィは、必死で……必死で! 力一杯、背中の翼に力を込めたのだ。

「お願いっ! ボクの翼、開いてっ!」

 兄を受け止めると、不意に……背中が浮くような感触……。

「兄ちゃんっ!」

「うわっ! ちょっと、離せっ! 飛べないだろうっ!」

「うあっ、おちる〜っ!」

 咄嗟に飛び降りたレヴィは、大慌てで羽ばたいてみたのだ……。

 そう。その時、レヴィの翼が……。

「お、おい。レヴィ……お前……」

 震えた声で、パ−ンがレヴィを見つめる。

「あ、あれ? ぼ……ボク……飛んでいる?……うわぁっ!」

 驚きのあまり、バランスを崩したレヴィは、パ−ンを抱きかかえたまま、見事に落下してしまった。

◆◆◆11◆◆◆

 ちょうど、鉱山の外れのゴミ捨て場跡地に落下した二人。

 使い古された枯れ枝や、薪のカスがさながらクッションの様に二人を受け止めたのだ。

「痛ったぁ……ああっ! おしりが破けているっ!」

 すりむいたおしりに気付いて、思わず飛び上がるレヴィ。どうしよう!? またママに叱られるっ! ああ、なんて言い訳しよう……わぁ、しかも真っ黒けになってるし……。

 レヴィは母への言い訳を必死で考えてうんうん考え込んでいた。

「レヴィ……お前……飛べたじゃないかっ!」

「え?」

 いきなり兄に抱きつかれて、ついでに耳元で、わんわん泣かれて、レヴィは何がなんだか

 ワケが判らないと言った表情できょとんとする。

「に、兄ちゃん……ど、どうしたのっ!? な、なんで、泣いてるのっ!? え? え?なに、なに?」

「お前……翼を見てみろよ……」

 涙を拭いながらパ−ンが、ゲラゲラ笑う。

 そう、なんだか様にはなっていないが、立派にその翼は開いていたのだ……。

 試しに、力を込めてみせる……

 バサバサ……レヴィの小さな翼が、賑やかな音を立てて羽ばたいたのだ。そのまま、ふわりと浮き上がると、バランスを崩して、またしても落下してしまった。したたかに腰を打ち付けたレヴィは目を丸くして驚いていた。ススのかすやら、ゴミやら、いろんなモノが

 舞い上がり、思わずレヴィは咳き込んでしまった。

「んんっ!? 飛んだ? ね、ね? ボク……今、ちょっとだけだけど……飛べたよね?ねっ!?」

 興奮醒めやらぬレヴィは上擦った声で、自らの奇蹟に驚きを隠せないような表情を見せた。

「ああ、飛べたよっ! レヴィっ!」

「わぁ〜んっ! 兄ちゃんっ! ボク、ボクっ! 飛べるんだねっ!一緒に、山遊びに行けるっ! 一緒に、春の街にも、行けるかも知れないっ!」

 嬉しそうに笑うレヴィの言葉にパ−ンは思わずハッとなった。

 そうか……それで、レヴィは必死で飛ぶ練習をしようと……オレと一緒に、こいつは

 冒険したかったのか。……弟は、自分と、旅をしたかったのか……。

 やっと、レヴィの思惑の判ったパ−ンは、また、涙が溢れてくるのであった。

「レヴィっ、おめでとうっ! そして……ありがとうっ!」

 もう嬉しくて仕方がない兄弟は、必死ではしゃいで、ついでに、踊った。いつしか

 冷たい北風はやみ、代わりに、真っ白な雪が降り始めた。レヴィが、パ−ンが、空を見上げる。

「雪だね、兄ちゃん……」

「ああ、きれいだなぁ。今年はじめての雪だな」

「この雪、どこから降ってくるんだろう? 春の街に行けたら……判るかなぁ?」

 空を見上げてレヴィはポツリと呟いた。

「ああ、判るかもしれないな」

 パ−ンも空を見上げたまま微笑んでみせる。

「な、なんか、お尻がス−ス−する……」

 妙にひんやりした感触に、レヴィが青ざめる。

 ま、まさか?……そっと、お尻をさわってみれば……。

「きゃっ!」

 さっきの着地の衝撃で完全に擦り切れてしまったのか、冷たい雪空の下、レヴィはむき出しになったお尻を抱えて真っ赤になるのであった。

「わぁっ! お前、おしり破けてるぞっ!」

「に……兄ちゃんがっ! ちゃんと飛ばないからっ!」

 レヴィは真っ赤になりながら抗議してみせた。

「な、何を言っているんだよっ! お前がしがみつくからっ!」

「あーっ、ひどいっ! ボクは兄ちゃんをっ!」

 思わず二人睨み合ってしまう。だが、レヴィのむき出しの、しかも摺れて真っ赤になったお尻を思いだしパ−ンが吹き出す。

「ぷっ! 真っ赤なおしりのレヴィちゃん? あははっ!」

「っ!?……に、兄ちゃんのバカぁっ!」

「うわっ!」

 レヴィに突き飛ばされ、パ−ンはススだらけになった。

 やったなぁと、レヴィを突き飛ばせば、レヴィもススだらけ。ススだらけの、雪だらけで、真っ黒になりながら、二人の兄弟は大笑いした。どこまでも、どこまでも、響くような

 賑やかで、楽しそうな笑い声で。もっとも、その笑い声は家に帰り着くまでであったが……。

◆◆◆12◆◆◆

「……ただいまぁ」

「あら、おかえりな……!?」

 兄弟を出迎えた母の顔色が一転する。手にしたおたまを握りしめたまま、小さく肩を震わせていた。

「……あんた達、覚悟は出来ているんだろうねぇ?」

「わぁっ! ママ、話せば判るっ!」

「暴力反対っ! きゃーっ!」

 その場で母に、身ぐるみひんむかれると二人は、そのまま沸き立てのお風呂に投げ込まれるのであった。冷たい雪で冷えた体に風呂の湯は、とても暖かく感じられたが、レヴィは、翼の傷跡と、真っ赤なお尻の痛みに、再び悲鳴をあげるのであった。

「……兄ちゃんの、バカぁっ!」

「な、なんでオレが出てくるんだよっ!?」

「おしりが滲みるんだもーんっ!」

 賑やかな雪国の夜は、いつもよりも一際賑やかであった。

 降り積もり白い雪の盛大な歓迎ぶりに、兄弟は窓から見える景色に、いつまでも時間を忘れて見とれていた。

◆◆◆13◆◆◆

 その日から、レヴィは兄と空を飛ぶ練習をした。

 レヴィが空を飛べた。その事実は、母を、父を驚かせた。だからこそレヴィとパ−ンは必死で練習することにしたのだ。

「レヴィっ! もっと気合い入れろっ!」

「うんっ!」

 バサバサと小さな翼をはためかすレヴィ。

 最初の頃に比べて、だいぶ上達したのはパ−ンの目にも、レヴィにとっても、明らかであった。

 健気に大空を羽ばたくべく練習に明け暮れるレヴィは、たちまち街中の人気者になった。少女達にご丁寧に挨拶までしてみせる妙に礼儀正しい弟に、兄も苦笑いがこぼれる。

「チェ。レヴィはモテモテだな?」

「あははっ、兄ちゃんはモテないねー。」

「な、なんだと!? 大きなお世話だよっ!」

 パーンは苦笑しながら大空を羽ばたくレヴィめがけて雪玉を投げつけてみせる。

「きゃっ!」

 顔面を直撃。視界を遮られたレヴィはそのままモミの木に頭から激突した。

「ひゃ〜っ!」

 次の瞬間、轟音を響かせながらドサドサと雪が降り注いだ。

「お、おいっ!? 大丈夫かっ!? レヴィっ!?」

「頭くらくらするー」

 レヴィは大きなたんこぶを抱えて痛そうに笑ってみせるが、次の瞬間……。

「兄ちゃんのバカぁっ! これでもくらえっ!」

「ぶっ!」

 パ−ンに、特大の雪玉をぶつけると、レヴィは再び颯爽と舞い上がるのであった。

「あはは、兄ちゃーん、ここまでおいでーっ!」

「やったなぁっ!」

 青空に舞い上がるレヴィには、もはやぎこちなさは無かった。

 静かに日差しが差し込んできた森の中に、二人の兄弟は軽快に飛び込んでいった。

 レヴィの上達はめざましく、日に日に、その翼は力強さを増していた。青い空を羽ばたく、小さな少年の姿は輝かしかった。

◆◆◆14◆◆◆

「え? 春の街っ!?」

「ああ。そうさ」

 いよいよ冬の寒さも厳しくなってきた頃、レヴィの翼も傷跡がきれいに消え掛けていた。

 唐突に話を切りだしたのは、兄パ−ンであった。

「レヴィも、だいぶ上手に飛べるようになった。それに、オレも、今まで一回も行ったことないんだ。せっかくの冬休みだし、いいだろう? ママ?」

 熱心に語るパ−ンに、レヴィは驚きを隠せなかった。兄ちゃん……ボクのために?

「……ま、まだレヴィは、七つなのよ? パ−ン、あなただって、まだ九つじゃない? そんな、子供達だけで……春の街に行ったなんて話は、今まで聞いたこと無いわ。ねぇ、パパ?」

 戸惑いを隠せない母は、父に救いを求める。だが、父はニコニコ笑いながらレヴィとパ−ンを抱きかかえてみせる。何事かと母が驚けば……

「レヴィ、お前もだいぶ上手に空を飛べるようになったし、パ−ン、お前も良く弟の面倒をみている」

 にやにや笑いながらキセルを吹かせてみせるパパにやれやれと言った表情のママ。ドキドキしながら事のなりゆきを見守る二人の兄弟。ニヤリと笑うとママは、二人に特大のケ−キを差し出して見せた。

「ほら、おっきなケ−キでしょう? がんばるのよっ、レヴィ、パ−ンっ!」

「なぁんだ、ママ達の仕掛けたワナだったのぉっ!?」

 ヘナヘナと力が抜けるレヴィ。苦笑いしながら、ママの顔を見上げるパ−ン。

◆◆◆15◆◆◆

 月明かりのきれいな夜、寝付けないパ−ンはレヴィの部屋の戸をノックした。

「……レヴィ、起きているか?」

「兄ちゃん? うん、起きているよ」

 妙に嬉しそうに微笑みながらレヴィが戸を開けてみせる。

 枕を手にしたまま、パ−ンが部屋に入っていく。

 雪の夜は妙に寒かった。部屋の中は、冷たく静かであったが、どこか暖かな空気が漂っていた。

「明日、出発するぞ。いいんだな、レヴィ?」

「う、うんっ! 兄ちゃんと……冒険に出るのは、ぼくの長い間の夢だったんだ。明日、やっと夢が叶うんだねっ!」

 ウキウキして、もう抑え切れないと言った表情のレヴィ。そんな弟を見つめるパ−ンも、緊張の高ぶりを隠しきれなかった。

 何しろ、この街で……いや、鳥人史上、まだ年端も行かない、幼い兄弟が、海を渡り春の街に行くと言う快挙を成し遂げる。歴史に名を残すことになるのかも知れない。そう考えれば気持ちが昂ぶらない訳が無かった。

 パ−ンは、そっと、二本の編み込まれたグリ−ンのミサンガを差し出して見せた。「受け取れ」。パ−ンは目で伝えて見せた。レヴィは、恐る恐る受け取ると、そっと右腕に巻き付けて見せた。パ−ンも、手にすると右腕に巻き付けたのだ。

「オレが作ったおまもりみたいなものさ」

「うんっ! きっと……きっと! 春の街に行こうねっ!」

「ああ。さ、そろそろ寝ようか?」

「うんっ。兄ちゃんと一緒なら、怖くないよっ!」

 兄弟は固く握手を交わすと、寄り添い、頭まで布団を被って眠りに入った。

 寒い夜は静かな雪の音だけが響いて行くように思えた。シンシンシンシン……静かに雪が降り注ぐ音がする。静かに雪が降り積もってゆく。森に、山に、草原に、白い帽子をかぶせるように雪が降り積もっていく。静かに、静かに、どこまでも白く、白く、世界を染め上げていくように……。

 レヴィは夢を見ていた。一面銀世界の雪原の上を、兄と一緒に、どこまでも、どこまでも、羽ばたいていく。そんな幻想的な光景を。

 冷たい雪原を、雪狼達と一緒に走り、輝くオ−ロラを求めて、大空高く舞い上がり、氷海をイルカと一緒に飛び回り、巨大なクジラの背中で温かい紅茶でクッキーを食べるんだ。

 ペンギンと一緒にダンスして、氷の上でみんなでスケ−ト勝負をするんだ。

 ああ、素敵な、素敵な世界だなぁ……どこまでも、白と青と、輝く雪と氷、冷たく純潔な世界を飛ぶんだ。

 いつしか、レヴィは深い眠りに入っていた。

「う〜ん……」

 寝返りを打った拍子に、レヴィは毛布をはぎ取ってしまった。

 冷たい風が吹き込みパ−ンが大きなくしゃみをした。窓の外には白い雪がどんどん積もっていった。

「ううっ、寒いっ! まったく、寝相の悪い奴だなぁ」

「う〜ん、兄ちゃんのバカぁっ……えへへ」

◆◆◆16◆◆◆

 幻想的な朝は、冷たい風が吹き荒れていた。

 寝坊助兄弟は、母に起こされるまで、ぐっすりと眠り続けていたのだ。

「くぉらっ! 起きろぉっ!」

 フライパンをガンガンおたまで叩く、豪快すぎる音色が響き渡る。あまりの驚きに、飛び起きる兄弟。ついでに、驚いた拍子に、ベッドから兄弟仲良く転げ落ちた。

「ほら、朝だよ?」

 寝ぼけまなこで窓から外を見たパ−ンが驚く。

「うわぁ。一面銀世界だ……」

「むにゃむにゃ……どうしたの、兄ちゃん?」

「お前、半分寝ているだろ……」

「うわぁ……すごい雪だね。随分と積もったんだね」

 窓の外から飛び込んでくる一面銀世界の世界に、思わず飛び上がるレヴィ。

 嬉しそうに外へ飛び出すと、真っ白なキャンバスに精一杯の絵を描き始めた。一面積もった銀世界の雪の上にレヴィの小さな足跡だけが点々と色付いていったのだ。

「あぁっ、ズルいぞっ、レヴィっ!」

「……やれやれ。あんた達、やる気あるのかい?」

 失笑する母であったが、やかんの鳴り響く音を耳にして、慌ててキッチンへと走り込んでいく。忙しく走り回るママを見ながら、パパはクスクス笑った。

「おいおい、もう少し落ち着けよ」

「あの子達ったら、まったく……さぁ、パパも朝食出来たわよ。」

 熱々のミルクティ−をテ−ブルに置くと、忙しくバタ−を塗り始めた。

 ちょうど兄弟もお腹が空いたのか、乱暴にドアを開けると飛び込んできた。

「……ほら、朝食にするよ。はい、レヴィ。」

「わぁー、おいしそうなス−プ。この香りはトウモロコシのス−プだねっ!」

 嬉しそうに笑うレヴィのス−プにスプ−ンを突っ込むと、パ−ンは味見してみる。

「うわぁ。甘いなぁ、これ」

「あー! ボクのス−プでしょ! つまみ食いしちゃダメー」

「ほら、パ−ンも受け取っておくれよ。」

 今年の秋に獲れた、新鮮なコ−ンは大粒で甘みたっぷり。夏の間に一生懸命お日様の光を

 受け止めて、見事に成長したコ−ンのス−プ。二人の兄弟は、ペロリと朝食を終えると満足そうに笑ってみせた。

 地図を調べるパパがおかしそうに笑いながら、兄弟に語りかける。

「春の街は、ここから、ずっと西に行ったところさ。広い海だけに目印になるものはない。いいかい? 力尽きないように気を付けるんだぞ。何しろ海の上だ。疲れても、誰も助けてくれない。いいな?」

 妙に神妙な顔で語りかけるパパに、兄弟に緊張が走った。

 そう、レヴィもパ−ンもその辺りの事は考えていたのだ。だからこそ、長い間飛び続けられるように、体力作りと練習を兼ねて、上昇気流を上手に乗りこなす飛び方を体得したのだ。

◆◆◆17◆◆◆

「それじゃあ、パパ、ママ、行ってきますっ!」

「がんばるんだよっ!」

「お土産は、ぶどう酒でいいぞー」

 兄弟は、にこやかに笑うパパとママに嬉しそうに手を振ると、ふわりと舞い上がった。やや寒いながらも、いいお天気の空模様。小鳥達に歓迎されながら、兄弟は颯爽と羽ばたきだしたのだ。

「……暖かくなってきたから、空気が舞い上がるな」

「うん、これなら楽だね。あ、見て、海だよ」

「遠くの方に流氷が見えるな。疲れたら流氷の上で休憩と取ることが出来るかもな」

 これはありがたい発見だと、幸先良いスタ−トに兄弟はご機嫌な気持ちで、はしゃぎながら大空を舞った。

「春の街は、どんな所なんだろうねぇ」

「判らないさ。でもさ、きっと、辿り着こうなっ!」

 にこやかに笑いながら、昨晩のミサンガをレヴィに見せつけるパ−ン。レヴィも嬉しそうに見せ返す。

「あ、見て、兄ちゃん! イルカさんだっ!」

「ホントだ。行ってみようぜっ!」

 高度を低めに取ると、兄弟は海を飛び回るイルカの群に併せて飛空してみせた。

「こんにちわ、イルカさん」

「あはっ、仲間だと思っているみたいだなっ。」

「あはは、可愛いなぁ。またねぇっ!」

 再び高度をあげると、兄弟は広大な青空に向けて力強く羽ばたいた。

 家を出てからどれくらい経ったのだろうか? 疲れてきた兄弟は、手近な流氷に乗ると、一時の休憩を過ごすのであった。

◆◆◆18◆◆◆

「……もう、半分くらい来たのかなぁ?」

「う〜ん、どうなんだろう? 判らないなぁ。でもさっ、涼しくて気持ちいいな。この流氷もなかなか座り心地いいもんだ。記念になるよ」

 二人の兄弟は流れ行く雲を見つめながら流氷の上に、そっと寝転がってみた。ヒンヤリと冷たい感触が、心地よかった。

「なんか、空模様が妖しくなってきたな……」

「ホントだ。雲が出てきたし……風も出てきたね……」

 風になびく髪を払いあげると、パ−ンが立ち上がる。

「行こう。嵐になったら厄介だ」

「うんっ!」

 しかし、パ−ンの悪い予感は、数時間後に現実のものとなってしまうのであった……

◆◆◆19◆◆◆

「な、なんか、すごい風だねっ……」

 横殴りの凄まじい突風に、雪まじりの冷たい北風は、二人の行く手を遮るように吹き付けてきた。時間を追うごとに風は冷たく、強く、情け容赦なく吹き付けたのだ。

「大丈夫かっ、レヴィっ!」

「ボクは大丈夫だよっ! 兄ちゃんこそ、大丈夫っ!」

「ああ、オレは大丈夫だ。よし、がんばるぞっ!」

 だが、兄弟のがんばりとは裏腹に空を覆う雲はますます厚くなり、昼なのか夜なのか、自分の進んでいる方角があっているのか、間違っているのかそれすらも判らないほどに、凄まじい風が吹き荒れていた。

「……ううっ。はぁはぁ……なんて、強い風なんだ……」

 凄まじい風に、幼い兄弟は瞬く間に体力を削られていった。一瞬、目の前が暗くなったレヴィが、ふわりと力が抜けると、急降下していった。

「レヴィっ!」

 慌てて追いかけるパ−ン。あわや、海に転落しかかった所で、レヴィは救助されたのだ。

「……バカっ! しっかりしろっ!」

「兄ちゃん……ぼ、ボク、負けないもんっ!」

「そうだろう? その為に、一生懸命がんばってきたんだっ! 一緒に行こう! 春の街へっ!」

「うんっ!」

 時に兄が弟をかばい、時に弟が兄を元気付ける。そんな、二人三脚で兄弟は、必死で飛び続けた。

◆◆◆20◆◆◆

 出発してから、一体どれほどの時間が経ったのだろうか? 凄まじい大嵐に兄弟は、すっかり体力を削られてしまった。もはや、のこされたのは気力だけの戦いとなった。

「……うぅっ……ま、まだ見えてこないのかな……」

 虚ろなまなざしのレヴィが力無く羽ばたく。

「……泣き言、言っているヒマはないぞ……」

 兄は、ただひたすら前を見続けていた。

 レヴィも、また無言で、その小さな翼をはためかせた。

 兄弟には、言葉はなかった。だが、つなぎ止めたその気持ちは一つであった。

 よたよたと力無くはばたくパーンは時折、強烈な睡魔に襲われていた。一瞬、ぐらりと体勢が傾くと、急速に落下しだした。

「兄ちゃんっ! ダメだよっ!」

「あ、危なかった……ふぅっ、だいぶ休息を取っていないからな。春の街に近づくにつれて流氷が見えなくなって来てしまったからな……ん?」

 恨めしそうに広大な海を見つめるパ−ンの視界に、不意に何かが入ってきた。

「あれは……イルカの群? これだっ!これを使おうじゃないかっ!」

「ああ、兄ちゃん、危ないよっ!」

「いいから着いてこいっ!」

 パ−ンは旋回しながら、大海原へと飛び込んでいった。

「に、兄ちゃんっ!?」

 次の瞬間レヴィは驚くべき光景を目にしたのだ。

◆◆◆21◆◆◆

「ひゃっほうっ!」

「わぁっ、イルカさんに乗っているっ!?」

「あはは、こいつら、南の海へ行くらしい。ちょうど良いから、春の街まで乗せて行って貰おうぜ?」

 ニヤリと笑うパ−ン。ちょっとズルい気もするけど、青く透き通る海を、イルカにまたがって旅するなんて、それも素敵かも知れない。恐る恐る、レヴィは、一頭のイルカに近寄った。

「イルカさん、ボクを乗せてくれる?」

 一声鳴くと、イルカは海の中に潜って見せた。次の瞬間、すべらかな背を見せると、「ほら、乗りなよ」。そんな仕草をしてみせた。もうレヴィは嬉しくて仕方がなかった。

「わぁいっ!……きゃーっ! はーやーいーっ!」

「あはは、何やっているんだよ!?」

 兄弟の笑い声が響く中、晴れ渡った青空の遥か彼方に、陸地が見えてきたのだ。

「に、兄ちゃんっ! 見てっ!」

「陸地だ……ついに、到着したんだな……」

「に、兄ちゃん……ううっ、ボク達……ここまでさ、えぐっ……」

 思わずこみ上げてくる涙を抑えきれないレヴィ。パ−ンに向き直ると、精一杯笑ってみせようとした。だが、大粒の涙は、後から後から溢れてくる。

「……ば、バカ、泣くなよ……オレまで……うぅっ、涙が出て来ちゃうじゃないかよ……ひっく……」

「兄ちゃんっ! ボク、ボクっ! ここまで来たんだねっ!」

「ああ、レヴィっ! もう一頑張りだっ!」

 乗せてくれたイルカ達にお礼を言うと、兄弟は最後の力を振り絞って力強く羽ばたくのであった。青空に小さな二人の兄弟の、小さな翼と、小さな影を残して。

◆◆◆22◆◆◆

 春の街は賑やかで、何よりも見るものすべてが珍しかった。

 暖かな陽気につつまれた街はたっぷりのオレンジを積み込んだ馬車が走り抜けて行く。

 花壇に咲き乱れる花も、赤や黄色、紫にピンクと色とりどり。暖かな気候に、穏やかな街並み。時間さえも、ゆっくり流れている。そんな印象だった。

 上空から街の様子を眺める兄弟の間に自然と笑いがこみ上げる。

「兄ちゃん……着いたねっ!」

「ああ、レヴィ……お前が先に降りろよ」

「ダメだよ。兄ちゃんこそ」

「何言っているんだよ。レヴィ、お前が」

「兄ちゃんが」

 譲り合う兄弟であったが、不意にパ−ンの表情が険しくなる。

「弟は兄貴の言うことを聞くもんだぞ?」

「あーっ!また、そういう事言うっ!」

 ここまで来て、ケンカかと思われた瞬間、パ−ンはレヴィの手を力強く握ってみせた。

「よし、こうしよう。いっせいので、降りよう。な? 兄弟同時に降りれば、ケンカはないだろう?」

「うん、そうしよう。じゃあ……いっせいのっ!」

 ふわりと幼い兄弟は、高度を下げると港の一角に着地したのだ。

 久方ぶりに降り立った陸地は、なんだかヘンな感じがして、思わず、兄弟顔を見合わせて吹き出してしまうのであった。

「なんか、ヘンな感じだね、兄ちゃん」

「ああ。ずっと飛び続けていたからな」

 パーンは周囲の景色を見渡していた。

「暖かいなぁ。ここが、春の街か……」

 やっと辿り着いたんだ。ボクは、ちょっぴり手助けされながらも、ここまで来たんだ。もう、空を飛ぶことなんて出来ないのか……不安に思っていたけど、今、こうして春の街に辿り着いた。隣には、大好きな兄ちゃんがいる。誰よりも頼りになって、時々いじわるだけど、優しくて素敵な兄ちゃんなんだ。

「おやおや、坊や達、アルラム・ランドから来たのかい?」

「そうだよっ! 海を渡って来たんだよ。」

「えぇ? こんな幼い兄弟が海を渡ってきたというのかいっ!?」

「なんだ、なんだ?」

 次々と好奇心旺盛な街の人々に囲まれて兄弟は、驚いたり、照れたりしていた。

 レヴィは実感した。ボクは、念願の春の街を訪れて、そして、今ここにいるのだと……。

◆◆◆23◆◆◆

 あれから何年の月日が経ったであろうか?

「お〜い、レヴィっ、今日の夕食は豪華だぜっ!」

「ああ、兄ちゃん、お帰り。今日は何か、良いことでもあったの?」

「いやぁ、お前の描いた絵、飛ぶように売れてさ」

「ホントにっ? 驚きだねぇ。この街に移り住んできて、まだホンの数年なのにね」

 おかしそうに笑ってみせるのは、青年となったレヴィ。

 そう。今や彼ら兄弟は、この街の住民なのだ。

 春の街ポ−シャの暖かな気候を気に入った兄弟は後にこの街に、移り住んできたのだ。

 彼ら兄弟は、一躍有名となった。幼くして初の海を渡っての上陸と言う快挙に、医者ですら見捨てるほどの翼の傷をも克服して、ここまで来れた奇蹟。

 彼ら兄弟の活躍と、冒険に満ちた話はアルラム中に知れ渡ったのだ。

「……ああ、今日はいい空気だな」

「そうだね。気候がいいから、外で食事しようか?」

 素敵な春の香りのする街で、レヴィはその冒険に満ちた話と、暖かな絵で、今や人気の画家になったのだ。

 彼の自然に対する限りない想い、そして、長い間飛ぶことを忘れていた彼の目に映った「空の青さ」は多くの人々の心を掴んだのだ……

                             The End