前編『砂塵の吹き荒れる街』

◆◆◆1◆◆◆

 それは一冊の本に綴られた物語。

 その本は古びた造りをしており、微かにかび臭い香りがした。

 セピア色の本の表紙には大空に向かい力強く羽ばたくドラゴンと、その背にまたがる少年がレリーフとして彫られている。作者は不明。何時の時代に作られた本なのか、今では知ることもできない。刻まれた文字は古い時代の文字。

「Load of Destiny〜Dragon's Story〜」

 風も無いのに、静かにページがめくれた。パラパラとめくれて……そして、ある所で止まった。

 古びた机の上で、本はランプの明かりに煌々と照らされる。チリチリと時折音を立ててランプが燻った。他には何の音も聞こえない静寂。そのページの挿絵には……雄大に羽ばたくドラゴンが描かれていた。

◆◆◆2◆◆◆

 永遠に止むことの無い砂嵐が吹き荒れる砂漠。そこにそびえる銀色の塔。

 塔の主は美しき魔女ミレイア。

 銀の魔女とも称される彼女は銀色の毛並みの狼を自在に操る魔性の力を持つ。永遠の美しさを求める彼女を人々は恐れた。

 オアシスの都、輝ける城の王女オズリックは聡明な瞳と美しさを称えし者。だが、魔女は彼女の美しさが妬ましかった。魔女は願った。王女の永遠の眠りを……。

 止むことの無い砂嵐の中を駆け抜ける氷の矢。魔女の放った氷の矢に撃たれた王女は呪いにより、永遠の眠りに就いてしまった。

「王よ、この呪いを解くためには……呪いを掛けた銀の魔女を倒す他、手は残されてませぬぞ」

「な、なんということよ……」

 王宮は激しく揺れた。

 王の叫びを聞き、豊かな水源を抱える砂漠のオアシスの都には兵たちが集まった。

 だが、一人……また一人と、その命は散っていった。幾度も魔女に戦いを挑んだ。だが、彼らは魔女の元にすら辿り着けなかった。魔女の放った銀の狼たちに悉く敗れていったのだ。

 そして今、一人の少年が立ち上がろうとしていた。

 不意に砂嵐が吹き荒れ、視界が遮られる。飛び交う砂から目を守るように、手で顔を覆う。

 少年の名はキリー。勇敢な志を持った少年。ドラゴンの背にまたがる少年を人は尊敬と畏怖の眼差しを持って見つめるのであった……。

◆◆◆3◆◆◆

 幼い少年、ジョンはこの本を宝物のように思っていた。

 ジョンは生まれたときから体が弱かった。そのせいか、いつしか冒険に夢を膨らませるようになった。

 ある日、屋根裏部屋で偶然にも出会うことの出来た一冊の本は、彼を雄大なる冒険の世界へと導いた。

 ジョンは夢中になって本を読んだ。

 少年キリーに自らの姿を重ね合わせ、雄大なるドラゴンのバロークの背にまたがり、大空を羽ばたく姿を思い浮かべたのだ。

「エルア。バロークはね、とっても大きなドラゴンなんだよ?」

 ジョンは子犬のエルアに、得意気に物語を語ってみせるのであった。

 何度も、何度も繰り返しジョンは本を読んだ。いつも繰り返しエルアに聞かせてやった。

 ジョンの傍らには、いつもエルアが控えていた。まるで兄弟のように二人は育ったのだ。

 エルアは、雪の降る寒い冬の日に拾われてきた子犬。拾われてきた、その日から、何時もジョンの側に控えていた。柔らかな毛並みと垂れた耳。愛らしい顔立ちに聡明な目を称えた賢そうな子犬。

 今日も雪が降っている。エルアは窓の外の景色を見つめていた。

 雪は嫌いさ。だって、ご主人様は、雪の降る寒い夜に……天国へいってしまったのだから。いつか、犬のぼくと一緒に冒険しようと言ってくれたんだ。

 大好きだったご主人様。もっと遊びたかったのになぁ……ドラゴンにまたがって、大空高く羽ばたくのが夢だったんだよ? でも、ご主人様を連れていったのは冷たい天使たち。

 テーブルの上には、今もご主人様の大切にしていたあの本が置かれている。

 しっかりとした木製のテーブルの上には古びたランプは、煌々と明かりを称えている。

 ご主人様が亡くなられた後も、この部屋は何も変わってない。この、古びたランプも、木製のテーブルも冒険好きなご主人様が気に入っていたもの。

 エルアはそっと亡き主人のベッドに飛び乗った。静かに、その懐かしい温もりを感じていた。不意にランプの明かりが揺れた。子犬の影も大きく揺れ動いた。

「え?」

 不意に目も開けられない程に強烈な光に包まれた。次の瞬間には、激しい風に体ごと巻き上げられた。エルアは思わず悲鳴をあげた。凄まじい力で舞い上げられた体はまるで捻じ曲がってしまいそうな感じさえした……。

 ゆっくりと意識が遠退いて行く。ぼくは……このまま死んじゃうの?

◆◆◆4◆◆◆

 揺れる灯火の様にゆらゆらと揺れる心。微かな想いを力強く支えながら、エルアはそっと立ち上がってみた。

 ここはどこだろう?

 見たこともない景色だ。目の前は一面広大な砂地。空は巻き上げられた砂と同じ、黄色い色を称えていた。

 風が吹くたびに笛の様な、何かの鳴き声の様な音が響き渡る。

 砂嵐の隙間から覗く、遥か彼方に見える塔は鈍い銀色に輝く不思議な輝き。静かに立ち上がろうとした瞬間、エルアは異変に気付いた。

「あ……あれ?」

 自分がいつも見ている目線とは明らかに違う高さであった。

 それに、この手は? ご自慢のシッポも無いし、何よりも、この感触は……?

 エルアは自らが人間になってしまっていることに気付いた。一体何が起きたのだろう?「あ。人が歩いている……」

 そうか。ここは街だったのか。

 一年中雪に覆われている街で生きてきたエルアには、この街は不思議に思えてならなかった。吹き荒れる砂嵐。黄色い空。何よりも、この乾燥した空気と皮膚を焦がす様な暑さ。

「ここは一体どこなんだろう?」

「あら、あなた……見かけない顔ね」

 不意に通り掛かった少女に声を掛けられて慌てて振り返れば、そこには一人の少女が立っていた。エルアは思った。そうだ。今のぼくは人間の子供なんだ。人間の子供らしく振舞わなければ。でも、どうやって振舞えば良いのだろう?

 考え込むエルアを怪訝そうな眼差しで少女が見つめる。しばし考え込んだところで、唐突に口を開いた。

「あなたも、お姫様を救うためにお城へ向かうの?」

 お姫様だって? エルアは少しずつ事実が見えてきた気がした。

 いつもご主人様が自分に聞かせてくれた物語。古い香りのするあの本に描かれていた物語。その香りがどこからか感じられた。

「悪い魔女……ミレイアを退治しにいくのさ」

 エルアは思い切って応えて見せた。亡き主に教えられた物語の中に登場する銀の魔女の名を。

 戸惑いながらも少女は、大きなため息をついてみせた。ついでに首を横に振りながら哀しそうに微笑んで見せた。

「あなたも勇敢なる戦士様なのね。命知らずで勇敢な人たちがたくさん、この街に訪れたわ。魔女を退治しにいこうとしたけど、みんな魔女の呪いに掛かって、石にされてしまったわ」

 やはり、そうだったのか。エルアは、その瞬間全てを確信した。

 どういう理由で、本の世界の中に居るのかは判らない。でも、ぼくがいるこの場所は……まさに、あの物語の世界。

 ぼくは今本の中の世界にいる。でも、一体どういうことなのだろうか?

 エルアはそっと空を見つめてみた。

 どこまでも続いている果てしない空は、砂漠と同じような黄土色の虹彩を称えていた。

 行き交う人々も異国情緒あふれた服装だった。

「気をつけて行きなさいな。魔女はあたし達の想像よりも、遥かに危険な力を持っているわ」

「……ありがとう。気をつけるよ」

 親切な少女に短く礼を告げるとエルアは歩き出した。

 どこへ向かうのかなんて判らない。

 ただ、確かなことは物語の流れに従って行動すれば、何か見えて来る筈だろう。逆に……物語から外れた行動をすれば、一体どんな結末が待ち受けているのか想像することはできなかった。

 エルアは主から聞かされた物語を思い出した。

 そっと目を閉じれば、熱心に語ってくれた亡き主の笑顔がありありと浮かんでくるようだった。

「え?」

 不意に巨大な影が走り抜けてゆくのが見えた。

 慌てて頭上を見上げれば巨大なドラゴンが滑空していく。

 その青々と輝くうろこは、まさしく物語に出てくるブルードラゴンのバロークではないか。そして、その背にまたがる少年は、恐らくはキリーに違いない。

 憶測が確信に変わろうとした瞬間、唐突に街中に激しい喧騒が響き渡った。

 エルアは耳を澄まし、微かに聞こえてくる音を懸命に拾ってみた。

「この唸り声は……狼? まさか!?」

「逃がすなっ! 追えっ! 追うんだっ!」

 鋭い声が聞こえてきた。どこか金属音染みた不思議な声の主は、銀色の毛並みも美しい人狼だった。

「うわぁ!?」

 凄まじい勢いで駆け抜けてゆく銀色の狼達。その群れに跳ねられてエルアは、派手に転倒しまった。

 黄土色の砂漠に吹き抜ける狼の群れは、一陣の銀色の大河となり突き進んでいった。

 その光景に呼応するかの様に、不意に空に雲が立ち込めた。

「こ、これは……?」

◆◆◆5◆◆◆

「……愚かなことを。私から逃げられるとでも思っているのか?」

 水晶球を眺めながら魔女は、冷たく微笑んだ。

 静かに目を閉じると、古来の禍々しい呪いのルーンを詠唱し始めた。指先に紫色の電光が終結する。

「……ラーン・ゾ・グルバ・ザ・アーク……静かなる夜の息吹よ、我がもとに集え……汝を銀の剣と化し、永遠の眠りに!」

 刹那、大空が轟いた。激しく唸る雷雲は渦を巻きながら大空を覆い尽くしてゆく。

「まずい……ミレイアの奴に見つかったか! バローク、振り切れ! あの雲は、銀の魔女の呪いの力で生み出されたものだ。なんてことだ!」

 キリーの叫びが響き渡るのと雷鳴が轟くのは、ほぼ同時であった。

「なにっ!? うわあああああ!」

 雷鳴に撃たれたキリーが悲鳴をあげる。悲鳴は風に消えて行く。

 静寂が訪れた時、キリーは電光の中を落ちる一振りの剣にその姿を変えられてしまった。

 銀色に輝く美しい剣は、バロークの背を落ち、彼方へと……。

「た、大変だ……あの森の中に剣は落ちたぞ」

 エルアは目の前で起こった恐ろしいまでの出来事に、ただただ呆然としつつも走り出した。

 剣は街の北、オアシスの広がる森の中に落ちた。銀色の狼たちも、慌てて森へと向かい方向転換していく。

「あいつらよりも先にキリーを見つけなきゃ!」

 エルアは走り出した。雷に撃たれたバロークも、森へ向かい不時着するような動きを見せている。今、あの銀色の狼たちに襲われたらどうすることも出来ない。

 助けなくては。エルアは街を走る道をひたすら走った。

 狼たちが通り過ぎたあとには無残に壊された壺や置物も見られた。

 エルアは恐怖を隠し切れなかった。だが、今はキリーを助けることが先決だ。銀の狼たちは恐ろしい奴らかも知れないけど魔女にやられてしまったキリーを救出せねば。

 エルアは改めて、大きく深呼吸すると走り出した。

 再び風が吹き始めた。再び砂嵐が舞い始めた。ターバンで口元を覆い、目を手で守りながら必死で走った。

◆◆◆6◆◆◆

 そこは神聖な場所なのか、見慣れない石像が門の隣に佇んでいた。背中に翼を生やした不思議な生き物の姿を象った石像が、風の中に静かに佇む。

 どこからか鐘の音が聞こえてくる。

 長い石段を登った先に黄色い世界に一際映える、淡い緑色の葉を称えた森が広がる。

 砂漠において水は非常に貴重なもの。だからこそ古き時代から人は水を神の産物として、称えてきたのかも知れない。

 石造りの神殿は高貴な香りを抱いていた。

 だが今は、そんなのどかな景色に親しんでいる場合ではない。

 急がなくては。神殿を後に、エルアは森へと入っていく。だが、肝心のキリーは一体何処に落ちたのだろうか? バロークはどこに向かったのだろうか?

 巨大なバロークを探すのでさえ大変だというのに、小さな剣を探すのは簡単な話では無い。

 未だ人間の体に慣れることができずに、エルアは気を抜くと、つい四足で走りそうになっていた。

「ん?」

 どこからか微かに声が聞こえる。助けを求める声? エルアは耳を澄まして音を聞き取った。

「こっちだ!」

 大きな大木のそばから声は聞こえてきた。

 木のまわりをぐるりと回ってみれば、そこには銀色に輝く一振りに剣が大地に深々と突き刺さっていた。

「ああ、ちょうどいい所にきた。助かった。さぁ、早くぼくを抜いてくれよ。苦しくてたまらないよ」

「け、剣が喋った!?」

 エルアは思わず飛び上がってしまった。

「シッ! あいつらに見つかっちゃうだろう? 君しかいないんだ。さぁ、お願いだ。ぼくを抜いてくれ。さぁ、早く!」

 急かす剣……もとい、キリーの柄の部分を握ると、エルアは力一杯剣を引き抜いた。

 スルっとした感触と同時に剣は大地から抜けた。それは美しく輝く銀色の刀身の剣であった。

◆◆◆7◆◆◆

「ああ……苦しかった。助かったよ。ぼくはキリー。まぁ、こんな格好で挨拶ってのも締まらないけど、今は事情が事情でね。君には感謝するよ。ありがとう」

「ぼくはエルア。バロークも探そう。きっと、君のことを探しているはずだからね」

 剣の姿に変えられたキリーを手にするとエルアは急いで走り出した。

 キリーが声を掛ける。バロークが不時着しようとしたのはオアシスの周辺のはずだろうと。

 エルアはキリーの言葉を信じ、ひたすら走った。茂みを駆け抜けて、道を阻む枝を避けながら、ひたすら走り続けた。

「気をつけろ、エルア……あいつらが近くに潜んでいるぞ」

「おやおや、こんな所に隠れていたとはね……」

 さっきの人狼だ! エルアは不意に遭遇してしまった強敵に思わず身が引き攣りそうになった。真っ赤な瞳の人狼は、長い爪を自慢気に輝かせてみせた。

「エルア、ぼくを使え。剣にされてしまったとはいえ、お前たちごとき使い魔共の相手をするには、支障はない!」

「ほざけ! その姿で一体何ができるというのだ!?」

 人狼が不敵に微笑む。高らかに笑いあげた瞬間、その懐に完全な隙ができた。この好機を逃すわけもない、エルアは掛け声も掛けずに、いきなり激しく斬り掛かった。

「ぐぁあ!」

 激しく斬られた腕にひびが入った。金属を叩く様な音色が響き渡った。どう考えても生物の感触では無かった。一体、この人狼は何者なのだろうか? 考え込むエルアを、人狼の鋭い眼差しが射抜く。

「おのれ……子供だと思って甘く見ていたか。野郎共、出番だぜ……このクソ生意気なガキを捕らえろ!」

 不意に地面から次々と、銀色の毛並みの狼たちが浮かび上がってきた。

「状況は圧倒的に不利だな。バローク! どこにいるっ!?」

 キリーの声が届いたのか、オアシスに不時着したブルードラゴンのバロークは、そっと目をあけた。大空に向かい首を高々と上げると、精一杯の声で応えた。

「この声はバローク!? 待っていろ。すぐに行く! エルア、聞こえただろう? バロークは生きている。無事だ。はやく彼を見つけてここを脱出しなければ……このままでは君まで、魔女の力によって石にされてしまうかも知れない!」

「逃がすな! 追え!」

 吠える人狼を後にすると、エルアはバロークの声を頼りに再び走り出した。狼たちの執拗な追撃を打ち払いながらも、必死に走り続けた。

◆◆◆8◆◆◆

 砂漠北部。荒野を流れるカンザス川の豊かな流れの恩恵により、この一帯は砂漠でありながらも豊かな生活と実りを与えてくれる。

 人々は大河の女神アルバを祀り、祈りを欠かすことはない。この地域の人々の心に根強く残る自然への感謝と畏怖の心は古い時代から語り継がれてきた。

 ここオアシスの都ファルハは輝ける城と称されるほどに栄えた都市。

 黄金や数多の装飾をあしらった王城は古くから砂漠を支えてきた。

 土で作られた豪華な宮殿の一角には女神への祈りを捧げるべく教会が設けられていた。静かに歩むのは砂漠の王都を治めるメフィナ王。

「おお、おいたわしや。我が愛しの娘、オズリックよ……」

 美しいステンドグラスも煌びやかな祈りの間。王族用に造られたベッドに横たわった姫は、静かな寝息を立てている。だが、それは安堵の眠りではない。忌まわしい永遠の眠り……。

 銀の魔女の放った呪いにより、オズリックは眠りに就いたまま、眠りから醒めることは無かった。

「王よ。姫は少しずつ……衰弱しつつあります」

「なんと!? それは、まことなのか!?」

 司祭の言葉に耳を疑う王。王杓を掲げて、王は嘆きを込めて叫んだ。

「おお、慈愛深き女神アルバよ、どうか我が願いを聞き入れてくだされ! このままでは姫が……オズリックの命の灯火が消えてしまいます。ああ……忌まわしい魔女めっ!」

 静かに寝息を立てて眠る王女は、純白のレース織りのドレスに身を包んだまま眠っていた。輝ける城の名に相応しい、その神々しくも謙虚な姿に憧れる女性も多い。

「おお、ドレイア。そなたも参っていたのか」

 ドレイアと呼ばれたトカゲ族の騎士が静かに頭を垂れる。厚いうろこに長いシッポを持った緑色の体。物静かな男だが一度剣を握れば鬼神の如き強さを見せる。

「口惜しいことにござります……本来ならば我らが騎士団を率いて、あの忌々しい魔女を討伐に出向きたいところではありますが、姫の身を案じれば……」

「左様。我らが挑めば、あの魔女は姫の命を奪うと申してきたのだからな」

 目を伏せる司祭。暗く沈む王の表情に不意に何かが見えたのか、そっと顔をあげてみせた。

「そうであった。あの少年は……確か」

「キリー殿でござりますか、王よ?」

 ドレイアが表情を変えることなく返せば、おお。そうだそうだと王が頷き返してみせる。

「……かつて、剣の勝負であれほどまでに、私を苦戦させたのは、あの少年が始めてでしょうな。飛竜の背にまたがる勇敢な戦士……少年ではありますが、その腕は確かであります」

「不思議な少年であった。異国より参ったとしか自らのことを語ろうとしない。だが、あの澄んだ瞳……まさに、女神が遣わした使者であるとしか考えられぬ。おお、少年よ……どうか、あの忌まわしい魔女を討ち取ってくれ……」

 教会には静かに歌声が響き渡った。

 空を覆う雲は静かに過ぎ去ってゆくばかり。

 美しい空の下、静かに日が沈んでゆこうとしている。

 夜が来る。砂漠に夜が来る……暑い昼が過ぎ、寒い夜が訪れようとしている。

◆◆◆9◆◆◆

 茂みをかき分け、そっと首だけ突き出しながら様子を窺う。

「よし。奴らはいないようだな……さすがに、もう追っては来ないだろう」

 剣の姿のままキリーが微笑んで見せた。

 一安心したのか、エルアはそっと胸を撫で下ろした。

 この森は古くから神殿を守るために様々な仕掛けが為されている。その一つに神殿を守る「命無き石の騎士たち」がある。

 石像のように黙して語らないが、侵入者が近づくと唐突に襲い掛かる。

 キリーは、広大なオアシスへの道を守る仕掛けを巧みに利用したのだ。おかげで、銀の狼たちは石の騎士たちに阻まれ、足止めを食っていた。

「……水の香りがするね。水辺は近いよ」

 茂みの向こうに微かに水の波紋が見えた。

 エルアは急いで走り出した。どこからかかすかにバロークの息遣いが聞こえてきた。

 近いぞ。キリーが応える。茂みを抜けて、まぶしい日差しに目を覆えばそこはオアシス。湖のような広大な水源を称えたオアシス。大空が遥か彼方まで果てしなく続いているのがわかった。

「うわぁ!?」

 不意に襟を捕まれて、そのまま勢い良く空中に派手に放り上げられた。突然の出来事に、思わずエルアは悲鳴をあげる。

「バローク、待たせたな!」

 キリーの言葉に思わず戸惑うエルア。

 良く見れば、深海のように青い何かの上に自分が乗っていることに気付いた。

 すぐに、それが探し求めていたブルードラゴンの背中であることに気付いて、エルアは再び飛び上がった。

「うわぁ……」

「バローク、彼はエルアだ。ゆっくりと紹介したいところだが、今は状況が状況だ。急いでここを離れるぞ。あの忌々しい狼たちが来る前にね」

 キリーの声を受けて「了解した」といわんばかりに大空に向かい力一杯、咆哮を轟かせた。そのまま地面を蹴り付けると、バロークは巨大な翼を羽ばたかせ、力強く空に向かい羽ばたいた。

「ひゃー!」

 それは生まれて初めて見る光景であった。

 空を飛ぶ鳥にでもならなければ、決してみることの出来ない光景をエルアは目にしていた。

 遥か彼方まで続く大空、砂漠のなかにそびえる銀の塔。眼下には広大な森林が広がっている。森の中で、銀の狼たちは未だに石像の戦士達との攻防戦を繰り返していた。忌々し気な顔で見つめる人狼を後にし、バロークは悠然と空高く羽ばたいた。

「バローク、魔女の塔を目指すぞ。こんな姿にしてくれた御礼もしてやらなくてはいけないからね……」

 キリー達は、一度は魔女の住む塔に乗り込んだ。だが、魔女の放つ妖しげな幻術に惑わされて、危ういところで逃げ出してきたのだ。

「銀の魔女は様々な妖しい魔法を使う危険な奴だ。ぼくらも一度は奴を追い詰めたのだが、見事にはめられてね」

 大空を羽ばたくバロークの雄大な姿を間近に見つめながらエルアは空を眺めていた。

 日が沈めば、じきに夕焼け空が訪れる。

 魔女は危険な存在だ。だが、キリーをもとの姿に戻すにはやはり、魔女を退治するしかないのだろうか? それとも何か、別の方法があるのだろうか?

 ご主人様から聞かされた話とは、明らかに異なる展開を歩んでいた。だからこそエルアは戸惑いを隠し切れなかった。知っている話とは異なる展開は判らないことだらけであった。

 眠ったまま目覚めないお姫様を助ける方法も、その姿を一振りの剣に変えられてしまったキリーを助ける手段も判らない。何よりも、なぜ自分が本のなかの世界にいるのかも判らない。

◆◆◆10◆◆◆

 銀の魔女は静かに空を眺めていた。

「……ブレイドめ。逃がしたか」

「所詮は役立たずの使い魔、頭悪いワンコロだもんネー」

 ケラケラと甲高い声で笑ってみせる漆黒のカラス。魔女の肩に舞い降りると水晶球を指差してみせるのであった。

「ほぉら、見てご覧ヨ? この塔に向かっているぜー」

「ほう? 勇敢なことだな。良いだろう、今一度……」

 魔女は静かに水晶球を指差すとルーンを詠唱しはじめた。

 不意に空を覆う雲が晴れ渡りはじめた。静かに空気が張り詰める。

「な、なんか……急に寒くなってきたね」

 不意に急激な冷気に包まれて、エルアは震えが止まらない。

「まずいな。魔女め……空を飛ばれては、自慢の狼たちも使えないことは判っていたようだな。見てみろ、エルア」

「あ、あれは……?」

「魔女め。近づけようという気はまるで無いというワケか……」

 銀の塔のそびえる方角から強烈な冷気が吹き付けてきた。

 大空の彼方にキラキラと輝く何かにエルアは気付いた。

 それは青く輝く氷柱であった。翼を生やした無数の氷柱がこちらに向かい飛び掛ってくる。エルアは剣となったキリーを手にするとバロークの背の上で、振り落とされないようにしつつ構えてみせた。

「バローク、全力で突っ込むぞ。このまま魔女を討ち取ってやるっ!」

 息巻くキリー。それに応えるようにバロークも力強く羽ばたく。十分に速度をあげると、今度は滑空するような形で流線型の体を活かして、翼ある氷柱たちに向かい突っ込んでいった。

 鋭い冷気と氷柱が身を切る。エルアは必死で剣を振るった。バロークが必死で身を守りながらも氷柱たちの中を突っ切る。

「済まない、バローク。もう少しだ。もう少しだけ耐えてくれっ!」

「なんて攻撃だっ!」

 エルアは必死で剣を振るった。だが塔が近づくに連れて冷気はますます厳しく、氷柱たちの攻撃もますます激化してゆく。あと少しだ、あと少し! 魔女の住む、銀の塔を目指してバロークが一気に滑空しはじめる。

 だが、それに伴い不意に冷気の流れが変わった。周囲に無数に漂っていた氷の槍たちが不意に消滅した。辺りには恐ろしいまでの静けさが漂う。

「キリー。奴らが急に姿を消したね」

「ミレイアが攻撃を諦めるなど考えられない。魔女め……何を企んでいるというのだ? エルア、気を抜くな」

 バロークは慎重に高度を下げて着地地点を探そうとした。

 その時であった。どこからか鈴が鳴るような音色が響き渡った。

「え?」

 不意に凄まじい吹雪が吹き荒れた。

 目の前が見えないほどに凄まじい勢いの吹雪と激しい風に吹かれてエルアは、身動きが取れなくなった。

「わあああああ!」

 指先から感覚が失せてゆく。冷たく、鋭い冷気が身を凍えさせる。なんて寒さなんだ。このまま凍ってしまいそうだ。遠退く意識の中でエルアは、必死で剣になってしまったキリーを手放さないように慌てて腰に括り付けた。凄まじい冷気にバロークが悲鳴をあげる。

 吹雪の遥か向こうに静かに微笑む美しい魔女が見えたような気がした。

 刹那、さらに激しい吹雪に煽られた。

 窒息しそうになるのと、気を失うのとがほぼ同時であった。

 吹雪と突風に巻き上げられてエルアは自分がどこかに飛ばされていくのを感じていた……。

◆◆◆11◆◆◆

 砂漠の昼は暑い。砂漠の都ファルハも昼下がりになれば涼を求めて人々も街にでてくる。

 御座を引いては行商に励むのは街の人々だけではなく、時には異国から訪れる行商人も同じであった。

 大柄な体躯の男が声を張り上げて客引きをしてみせる。

「さぁさぁ、よってらっしゃい、みてらっしゃい。こいつぁ珍しいぜー、地底人の街で掘り出された宝石さ。なんていってもこんなにでっかいルビーは、そうそうお目に掛かれるモンじゃねぇぜ。そこのお姐さんどうだい?」

 陽気に声を張り上げる男の傍らでは小柄な青年が愛想良く微笑む。その様子を見た男の表情が不意に変わる。巨大な手でげんこつを喰らわせれば青年は、思わず悲鳴をあげてしまう。驚いた顔で見上げてみせる。

「バカヤロウ! お前も客引きするんだよっ!」

「いってぇー、アニキぃ、殴らなくたっていいじゃないかよ」

「うるせぇ。ごたごた言っているともう一撃かますぞ!」

 アニキと呼ばれた男――彼の名はカシム。

 表向きは異国の行商人を気取るこの男は、実は砂漠のチンケなコソ泥であった。弟分の名はジョニー。兄弟でこそ泥という、なんとも冴え無い奴らである。

「宝石のほかにもね、いろいろ取り揃えていますぜ。この織物なんかは、この街でも、ちょいと腕利きの婆さんが丹念に織り込んだ逸品なんだぜ。さぁさぁ、見てってくれよ」

 カシムとジョニーは愛想良く声を張り上げていた。

「……あ。アニキ。まずいよ、あの騎士だ」

「やかましいんだよ、お前は!」

 もう一撃げんこつを食らわされて、半泣きのジョニー。

「ん? 誰かと思えばいつぞやかの行商人か……」

 トカゲ族の騎士ドレイアが静かに歩み寄れば、厄介な奴に出くわしてしまったと、カシムが舌打ちをしてみせる。

「そなた、商人であろう? 我らが姫の呪いをとけるような宝なぞ、持ってはいないものか? あの魔女を退治できぬ限り姫を助けることはできぬと聞いているが、もしや……他に手立てがあるというのであれば……」

 深い哀しみに満ちた目の騎士に思わず貰い泣きしそうになるジョニー。だが、カシムは踏ん反り返るような笑みを浮かべてみせた。

「なぁに。あの魔女さえ退治しちまえばイイってワケだろう? 簡単なことだ。どっかの英雄さんが退治しちまえば、それまでさ」

 カシムは声をあげて笑ってみせた。

 静かにため息をつくとドレイアは、再び歩みだした。吹き荒れる砂塵嵐の中、砂に隠れて、その姿はすぐに見えなくなった。

◆◆◆12◆◆◆

 夢を見ているのか? 妙な感覚だ。

 何時の間にか金色に輝く宮殿の中を歩いていた。何度目かの角を曲がると、そこには透き通るような青い衣に身を包んだ王女が佇んでいた。

「君は……誰なの?」

 エルアはそっと問い掛けてみた。

 だが、王女は寂しい目で、静かに首を横に振ってみせた。

 不意に凄まじい冷気が吹き付ける。冷気の中で王女は、あの美しい魔女に姿を変えるのであった。

「わああああああ!」

 自分の悲鳴に驚き、エルアは目が醒めたことに気付いた。

「……あれ? ここはどこだろう?」

 良い香りのする部屋であった。甘い花の香りと柔らかなベッドは、木の香りで満ちあふれていた。

「まぁ。気がつかれましたの?」

 優しい目をした女性が歩み寄ってくる。

 黒い服に、黒い布を頭に被っている。修道女は質素な衣服に身を包み、神を崇める人々。本棚には、びっしりと本が詰め込まれている。

「近くの森で、あなたが倒れているのを見掛けてここまで運んできたんです。ケガの手当てはさせて貰いましたが。未だ痛むところはありますかしら?」

 優しい目の修道女は静かに微笑んで見せた。

 そうか、ここはどこかの修道院か……いったいどれほどの距離、ぼくは飛ばされてしまったのだろう?

「ねぇ、ここから砂漠までは遠いの?」

「え? 砂漠ですか? ここから北へ数十キロ……けして近いとはいえない距離ですわ。まぁ。砂漠から来たのですか?」

 驚いたり、微笑んだり、表情が豊かな修道女を見つめながらエルアは大変なことに気がついた。

 無い!? 腰にしっかりと括り付けたはずの剣が!

「ね、ねぇ……森の中に剣は落ちてなかった?」

「いいえ。私どもが発見したときには、あなた以外何も……」

「ということはバロークまで? ああ、どこに行ってしまったのだろう?」

 不意に襲い掛かってきた孤独の恐怖と寂しさにエルアは沈んでしまいそうであった。

 心配そうに見つめる修道女に静かに向き直ると、エルアは元気にベッドから飛び降りた。

「ああ、まだ無理をしてはなりません!」

「ぼくは大丈夫だよ。それよりも友達を探しにいかなくちゃ……銀の魔女に剣にされてしまった友達と青いドラゴンをね」

 窓から外をそっと眺めれば眼下には広大な大海原が広がっている。

 切り立った崖の上に静かに佇む修道院。

 岬の修道院はこの辺りを旅するものたちも、時には宿がわりに訪れることもある場所でもあった。

「お友達を探しにいかれるのですね? お気をつけて……何か困ったことがあったらいつでも来て下さいね。女神様はいつでも私たちを見守っています。どうか、あなたの進み道にご加護がありますことを」

 人の良い修道女に見送られて、エルアは静かに歩き出した。

 砂混じりなのは、砂漠の近くの土地だからなのであろうか?

 それでも健気に咲き誇るあざやかな花にエルアは勇気付けられた。

 大丈夫さ。きっと……キリーも、バロークも無事だよ。

 エルアは気付いていた。亡き主人に教えられた物語とは明らかに話の内容が違うことに。だからこそ、エルアは自らの進む道さえ判らなかった。

 そっと振り返れば修道女たちがにこやかな笑顔で手を振っている。岬にそびえる真白な修道院とその背後に広がる広大な海。

 手掛かりは森にあるに違いない。

 エルアは、自分が発見されたという森を目指して歩き始めた。目の前には広大な森林が広がっている。この森のどこかにはぐれてしまったキリーがいるのかも知れない。待っていてね、きっと見つけ出してあげるからね。

 ドラゴンの物語は……いつしか、子犬のエルアの冒険物語となりつつあった。遥か彼方に見える銀の塔を目指しエルアは、そっと歩き始めるのであった。そっと、そっと、静かに大地を踏みしめるように……。