中編『孤独な旅立ちと出逢いと』

◆◆◆1◆◆◆

 差し込む木漏れ日だけが森の中を照らしていた。

 エルアは慎重に森の中を探索していた。きっと、この森にキリーは落ちているに違いない。エルアは確信に満ちた想いを胸に抱きながら丹念に森を探索していた。自慢の鼻でキリーを必死で探そうと試みていた。

 吹き抜ける風は微かに冷気を孕んでいるような感覚がした。微かにではあるが、キリーの匂いは感じるのに、その姿を発見するに至らない。だが、近くにいるのは間違い無い筈だ。エルアは必死で探索をしつづけた。探索を続けて、どれ程の時間が過ぎたのだろうか? 不意に視界に光るものが飛び込んできた。

「あ! あれは!」

 木の根元で何かが光るのが見えた。エルアは慌てて駆け寄った。

 そこに佇むのは銀色に輝く刀身……間違いない。キリーだ。

 木の根元に倒れるように横たわる剣をそっと拾い上げた。だが、何かが違う……。

「キリー、ぼくだよ。エルアだよ」

 だが剣は何も応えなかった。冷たい感触……どうしちゃったんだよ、キリー。なんで応えてくれないの?

 エルアは哀しくなって、そっと木の根もとに腰掛けてみた。

 不意に何者かの気配を感じ取った。

 何者かが歩む音。渇いた木の枝が踏み砕かれる音。

 何時の間にか、周囲には無数の気配が漂っていた。エルアはキリーの剣を構えると身構えた。

「誰だっ!」

 不意に辺りから物音が消えた。立ち込める静寂。

 その危険な静寂は不意に、恐ろしい物音へと変わっていった。

 あいつらだ……エルアは警戒しつつ、剣を構え周囲を伺った。

「ガルルルル!」

「きたなっ!」

 エルアは力強く剣を振るった。だが、銀の毛並みの狼たちの数は圧倒的に多数。このままでは、明らかに不利。そう判断したエルアは防戦体勢のまま、なんとか活路を開こうと試みていた。

 だが、狼たちの動きは敏速でエルアは次第に追い詰められてゆく。

 こんな時、バロークがいてくれれば……。だが、今はとにかく逃げ切るしかない。

 木々に阻まれ、森の中は走りにくかった。それでも狼達は大群で襲い掛かってくる。執拗な攻撃にエルアは防戦するだけで精一杯であった。激しい牙と爪とで執拗に攻撃を仕掛けてくる狼たち。必死で斬り付けても、金属のように硬い毛並みにはじかれて傷一つ付けられない。

 このままでは、数で有利な狼たちにジリジリと体力を削られて、やられるだけだ。どうしたものか……内心焦りを隠し切れないエルアはやがて、それが絶望に変わって行くのを感じていた。

 その時であった。不意に足元がぐらつくような感覚を覚えた。

「うわぁっ!?」

 どこかに落ちるような感触……。次の瞬間、激しく腰を打って思わず悲鳴があがる。

 ここは一体どこなのだろう?

 辺りはやけに暗い。不意に足元に開いた穴。その穴に落ちてしまったのか? エルアは微かな光を頼りに状況を確認した。

「奴めっ……どこに消えた!? 探せ、探すんだ!」

 人狼ブレイドが声を張り上げる。狼たちが慌てて散り散りになりながらエルアを探し始める様子が聞こえてきた。

◆◆◆2◆◆◆

 上手いこと逃げ切ることはできた。だが、ここはいったい何処なのだろうか?

 周囲は薄暗く、殆ど光も差し込まない。辺り一面から感じられるのは土の香りばかり。

 エルアは辺りを見渡してみた。良く見れば、所々でキラキラと緑色に光る石が見え隠れしていた。

「うわぁ……きれいだなぁ」

 エルアは、そっと立ち上がると、美しく輝く石を覗き込んでみた。

 土で作られた洞窟に埋まっている美しい石は、透き通るような緑色の虹彩を放っていた。

「気に入っただか?」

「えっ!?」

 不意に背後から声を掛けられてエルアは飛び上がった。

 慌てて振り返れば、エルアの腰よりも低い身長のモグラたちが興味津々な目つきで見つめていた。

 敵意が無いことを知り、エルアはそっと胸を撫で下ろすのであった。

「……もしかして、さっきの穴は君たちが?」

「んだよ。あいつら……魔女の操る狼たちさね。危ないところだったでな。大急ぎで穴ば掘ってお前さんを助けてやろうと思ってな。無事で何よりだ」

 小さな手で握手を求めてきたモグラに、エルアも手を差し出した。

「助けてくれてありがとう。感謝するよ」

「なぁに。礼なんてエエさ。ま、せっかくだ。オラ達の村に来てくんな。なぁに、遠慮はええだよ」

 気の良いモグラたちがひょこひょこと歩き出す。モグラ達に案内されてエルアは、エメラルドの洞窟を抜けて地底人たちの街を目指すことになった。

 キラキラと輝くエメラルドの緑色の輝きは美しく、日の光こそ差し込まないものの、地底を柔らかく照らしているように思えた。

◆◆◆3◆◆◆

 どれほど地底を歩き回ったのだろうか。途中、激しい唸りをあげる地下水脈を目にした。滝の流れを思わせる様は、荘厳であった。

 鍾乳洞のような洞窟を歩むエルアとその一行。気のいいモグラたちはひょこひょこと歩く。

「すごい流れだね」

「これは地下水脈というでな。この流れに乗っていけば、遥か遠い場所でも、ひとっとびさね」

「へぇー。すごいんだね。遠い場所でも行けるの?」

「んだ。この水路が走っている場所ならどこでもいけるべさ」

 モグラ達は胸を張って、自慢気に応えてくれた。その言葉にエルアは何かを感じ取った。

「それなら、北の砂漠にも行ける?」

「ああ……確か、砂漠のオアシスの近くにも通じているはずだや」

 ますます自慢気に語るモグラにエルアは喜びを隠せなかった。

「そうさ。地底を伝って移動すれば、あの銀の狼たちにも見つからない。安全に移動ができるはずだ。あとは、キリーさえ何とかなれば……」

 銀色に輝く剣を手にするとエルアは寂しそうに微笑んだ。

「あや。きれいな剣だね。ん? こいつぁ……」

「魔女にやられちゃったぼくの友達なんだよ」

「はて……魔女とな? ああ、指輪の守り神のことを言ってるだな?」

 しばし考えた後、答えに行き着いたのかモグラが微笑む。だが次の瞬間怪訝そうな表情で、仲間に向かって語りだす。

「……今、銀の狼と言っただな? ふむ銀の狼……そうか。そういうことか」

 エルアの言葉に、不意にモグラ達の表情が曇る。どういう関係かは定かでは無いが、どうやら銀の狼達のことを知っているような口ぶりに聞こえた。

「地上人め、何をやらかしたのか知らないが、守り神を怒らせてしまったのだな? さて、これは厄介なことになっただね。どうするよ、皆の衆?」

 ざわざわと、慌てたような口調で語りだすモグラたちに、エルアは戸惑うばかりであった。

「え? 魔女って……悪い奴じゃないの!?」

「へ?」

「魔女の呪いで……砂漠の街の王女様が、眠ったまま目覚めなくなってしまったんだ。ぼくらは、王女を救うために魔女に戦いを挑んだんだ」

 困ったような、突き放すような口調でエルアは語ってみせた。その言葉を耳にしたモグラ達が、慌てた表情で飛び上がった。

「なななな、なんて罰当たりなことを! ええか? お前さんたちが、銀の魔女と呼んでいるあいつは、水の守護者なんだべ。あの砂漠に豊かな水源があるのは……みぃんな、あの守護者のおかげなんだべさ。そいつが王女に呪いを掛けるたぁ、地上人どもめ、どんな悪さをした?」

 少々興奮した口調のモグラにエルアは驚きを隠せない。モグラが聞かせてくれた話は、自分が聞いていた話とも、街で聞いた話とも全然違っていた。

「もしや……誰かが守護者の塔に浸入して……?」

 別のもぐらが静かに語りだす。

「いやいや。これは厄介なことになったやもしれぬ。とりあえず街へ戻ろう。長老ならば何か良い知恵を貸してくれるやも知れぬだな。とにかく街へ戻ろう」

「んだんだ、それがええ。長老は何でも知ってるだ」

 モグラたちはそれが良い。それが良いと一様に口ずさみながら、再びひょこひょこと歩き出すのであった。余程慌てていたのか、エルアのことをすっかり忘れているかの如き早さでモグラ達が歩み出す。エルアは置いて行かれない様に、急ぎモグラの後を追い掛けた。

 何でも知っている長老様……もしかしたら、キリーを助ける方法も知ってるかも知れない。とにかく、このモグラたちに着いていくことにしよう。この状況を脱するには、必ず彼らの力が必要になるはずだ。

◆◆◆4◆◆◆

 モグラたちに案内された街は、洞窟の中にあるとは思えないほどに立派な街並みであった。

 深く円筒状に掘り下げられた広場の、横壁には無数の穴が空いていた。まさにモグラたちの住処と呼ぶに相応しい街並みだ。

 土で固められた建造物は、まるで遺跡がそのまま沈んでしまったかのように立派で、荘厳な造りであった。

「すごい……なんて立派な街なんだろう」

「だろう? オラたちの街ば、気に入ってくれて光栄だべ」

 建造物の一つ一つが、実に緻密な細工が施されていてモグラたちの建築技術を物語っているように思えた。

 エルアはモグラに案内されるままに、らせん状の階段を下っていく。

「長老は、何でも知っているだ」

「んだ。オラたちよりも、ずーっと物知りだ」

「じゃあ……ぼくの友達を助ける方法も知っているかな?」

 不安そうに尋ねるエルアに、もちろんだと、モグラが力強く答える。

 やがてエルアは、立派な参台に灯された炎も荘厳な建物に案内された。

「この中に長老様はいるだ」

「ささ、エルアどん。遠慮せず入られや」

 少々の緊張と、限りない希望を胸にエルアは案内されるままに長老の家の扉を開けた。

 何かの香を炊いているのか、神秘的な香りが漂っていた。

「んん? お客人かのぉ?」

 立派な造りの椅子に腰掛けたモグラは長いひげを称えていて、貫禄たっぷりであった。

 シッカリとした樹木の杖を片手に、長老が静かに立ち上がった。

「ほえほえ、こんな所までよう参られたのぉ。さては、お主、地底名物の石ころ団子が目当てじゃな?」

 とぼけた笑いを浮かべる長老に、エルアは思わず苦笑いを浮かべる。

 そうじゃなくて……エルアがそう、言い掛けた瞬間、長老が振り向いた。

「ふむ……。その剣、守護者の怒りを受けしものと見受けた……」

「えぇ!?」

「……ほうほう。なるほどな。地上人たちが魔女と呼んでいるのは守護者のことであったというわけか。銀の狼の存在も納得できる。眠ったまま目覚めぬ姫の謎もな……お若いの……まぁ、そこに座りなさい。この年寄りが守護者の話を聞かせてやろうではないか」

 エルアは長老に進められるままに、重厚な造りの石の椅子に腰掛けてみた。ほのかに暖かい感触さえする石造りの椅子に、エルアは驚かされた。

「……古い時代。ずーっと、ずーっと、昔の話じゃな。砂漠に降りたった女神アルバは、この砂漠に豊かな豊穣を願い、水源を作られたのじゃ。お前さんたちが魔女と呼んでいる者、ミレイアは魔女などではない。ミレイアとは女神が遺した宝を守護する守護者なのじゃ」

 先ほどモグラ達から聞いた話と同じ内容だった。ミレイアは魔女では無く、守護者であると。

「砂漠が豊穣を得るために、女神は二つの宝を遺したのじゃ。それは――月の指輪と、太陽の指輪じゃ」

「……指輪?」

 怪訝そうに目を細めるエルアに、長老が静かに頷く。

「左様。月の指輪と太陽の指輪。二つの指輪が均衡を保っている限り、砂漠のオアシスは繁栄し続けるのじゃ。じゃが……万が一、その均衡が崩された時、守護者は眠りから目覚め……宝を荒らした者たちに裁きを与えるのじゃ」

 長老の話が本当なのだとしたら、一体誰が宝を荒らしたのだろう? 考え込むエルアを後目に長老は、なおも静かに話を続ける。

「察するに姫君殿は、その指輪を手にしてしまったのじゃな。だから、眠りから覚めぬ呪いを受けてしまったのやも知れぬ。元来指輪はオアシスの神殿に安置されているもの。何者かが、指輪を盗んだに違いない。だからこそ……ミレイアは銀の塔にて目覚め、指輪を返せと地上人たちに警告しているのじゃろう」

 そうか。だから、魔女は戦うのか。守護者だから、指輪を探すために。だとすれば、王女様が片方の指輪は持っているに違いない。だからこそ呪いを受けてしまったのだろう。

 これで、王女を救うためには何をしたらいいか判ったぞ。

「地上の少年よ、急ぐのだ。二つの指輪の均衡が崩れれば、やがて……水は枯れ果て、地上を天変地異が襲うことになるであろう。急ぐのじゃ。急ぎ指輪を探すのだ」

「長老様、もう一つ教えて下さい。魔女の……いえ、守護者の怒りによって剣に変えられてしまったぼくの友が……応えてさえくれなくなってしまったのですっ」

 エルアは剣となったキリーをそっと差し出して見せた。長老はキリーを手にとると、静かに目を閉じて、その刀身を探るように触れ始めた。

「ふむ。いかんな。だいぶ弱っておるな……誰か、いかだを用意するのじゃ。地上の少年よ、青の館に住む導師殿を訪ねるのじゃ。彼女の力を持ってすれば、その者を救うことも可能なはずじゃ」

 キリーを救い出すことが出来る。エルアは親切な長老に改めて礼を告げると案内してくれたモグラに着いて、大慌てで走り出すのであった。

 目指すは先程の激流。地下水脈。いかだも用意されているはずだ。

◆◆◆5◆◆◆

 親切なモグラたちが用意してくれたいかだを目指しエルアはひたすら走った。

 ようやく戻って来た地下水脈の前には、既にモグラたちが佇んでいた。

「これを、持っていくといいだ。導師殿への手土産だべ」

「導師殿は、キラキラ光る石が好きだべ」

「きっと、お願いは聞いてくれるはずだ。そいじゃ、気ぃつけていけよ? しっかり掴まってるだよ? 用意はいいか?」

 エルアは素早くいかだに乗り込んだ。

 激流の中で振り落とされることのないように、自分の足とキリーの剣を足場に括り付けた。

「うん。オッケーだよ。ありがとう、いろいろと。本当に助かったよ」

「なぁに。困ったときはお互いさまだべ。ほいじゃ、いくだよ。達者でなぁー!」

 モグラがいかだを繋ぎ止める綱を切った。すぐにいかだは激流に乗って凄まじい勢いで走り出した。ぐんぐんと速度が上がってゆく。

 エメラルドの光を称えた洞窟の中を、激流にのったいかだが突っ切っていく。水しぶきを舞い上がらせながら、激流の中をいかだは凄まじい速さで突っ走る。

 エルアは振り落とされないように、しがみ付くだけで精一杯だった。

 地下水脈の流れは激しく、容赦なくエルアを振り落とそうとした。そのたびにエルアは必死でいかだに掴まり身を守ろうとした。

 自分だけの命じゃない……キリーを助けるんだ。バロークを探すんだ。だから……だから、こんなところで負けるわけにはいかない。激流の流れに身を任せながら、エルアは張り付いた髪を避けた。

 冷たい水しぶきと、激しい衝撃。何度となく振り落とされそうになった。水の流れは冷たく、流れは険しく、終わりが見えなかった。

 何度目かのカーブを曲がったところで、不意に水の流れが勢いを増してきたような気がした。川幅も広がってきている。遥か彼方から聞こえてくる唸り声のような音。ゴウゴウと響き渡るその音は、洞窟の中で乱反射しまるで生き物の唸り声のようでさえあった。水の香りが一層強くなってきた。流れが緩やかになり、やがて、水量が一層増え始めたところでエルアは大変なことに気付くのであった。目の前で唸るもの……。

「た、滝っ!? 嘘でしょう!?」

 逃げようにも、逃げる場所など何処にもない。

 エルアは振り落とされないようにただただ、ひたすらいかだにしがみ付いていた。そんなことがいったい何になろうか? だが、エルアは必死でしがみ付いた。生きなくちゃ……みんなを助けるために、みんなを守るために。

 最初は、良く判らない世界に迷い込んでしまったと戸惑いを隠し切れなかったけど……今は違う。応えてくれないキリーを助けるために……行方の知れないバロークを見つけるために。

「く、来るぞっ……」

 エルアは覚悟を決めて目を閉じた。

 一瞬浮き上がるような感触。不意に凄まじい勢いで水しぶきの中を落下していく感触がした。まるで空を飛んでいるみたいだ。そんなことを考えながらもエルアは勢い良く滝壷へと落下していくのであった……。

 次の瞬間、全身を襲う激しい衝撃。高い所から一気に落下したのだ。体が粉々になってしまう程の衝撃を感じた。続いて水の中に勢い良く潜り込む感触。ゴボゴボと吐息が漏れる音が響き渡った。

 何て冷たい水なのだろう……このままぼくは死んでしまうのだろうか? ご主人様のもとへ行けるのだろうか? エルアは静かに遠のく意識の中で、ただ、冷たい水に抱かれていた。

◆◆◆6◆◆◆

 涼しい風。何かの良い香りが立ち込めていた。

 ここは何処だろう? エルアはそっと起き上がってみた。

 そこは見覚えの無い部屋だった。淡い花の香りが漂う部屋。薄いレースのようなカーテンがひらひらと風になびいている。コポコポと音をあげる不思議な置物からは、盛んに蒸気がふきだしている。

「君は?」

 部屋を見回すエルアの視界に、不意に一人の少女が飛び込んできた。

 淡いグリーンのショールを被った可憐な少女。伏目がちな目は、水を称えているような青々とした瞳。長い髪は、流れるように豊かな輝きを見せる。

 少女は静かにこちらを向いて見せた。まるで、どこかの国の王女様みたいだ。なんて綺麗な子なのだろうか……。

 優しい微笑みを浮かべて少女は、哀しげな目で手を振って見せた。その指に填められた淡いブルーの指輪がきらりと輝く。

 不意に目の前に、眩いばかりの光が立ち込めた。あまりの眩しさにエルアは目を覆った。だが次の瞬間何事もなかったかのように、辺りは静けさを取り戻していた。

「あ、あれ? ここは……どこなんだろう?」

 どこからか涼しげな鈴の音色が聞こえてくる不思議な庵。

 柔らかな音色。一定のリズムで響いてくる心地よい音色。

「目覚めたようだね」

 不意に背後に人の気配を感じ、エルアは慌てて飛び起きた。

 そこには水色のローブに身を包んだ、不思議な雰囲気を放つ女性が佇んでいた。紗をあしらった目元がきらきらと光る。年老いているのか若い女性なのか、それすらも判断しづらい不思議な威圧感を放つ導師は、エルアの目を見て笑った。

「遠路はるばる、良くぞ参られたな」

「ぼく、確か……滝に飲まれて……」

「左様。そなたは激流に呑まれてここまで流れ着いたのさ。ここは青の館。叡智を求める者たちが集う館さ。さて……少年よ。お前はどんな叡智を求めて、あたしの元へ来たんだい?」

 導師は可笑しそうに笑いながらエルアの応えを待った。

 エルアは真剣な眼差しで彼女を見つめた。そのまま、腰に携えた小物入れのポーチから、地底人に貰った輝く石を取り出して見せた。荘厳な雰囲気の導師の表情が緩む。

「ほう? 地底人達め。随分と気が利くようになったではないか? して……幼い少年よ、どんな叡智を求めて参られたのかな?」

 導師は笑うような、唄うような口調で語りかけてきた。

 花の香りが、その髪から漂ってきた。甘く、穏やかな気持ちになれる良い香りだ。

 一瞬、視界が揺らいだが、エルアは慌てて首を振って幻想を振り払った。

「剣にされてしまった友達を助けたいんだ」

 エルアは哀しい表情で、背に括り付けた銀の剣を差し出した。

 美しい導師の表情が不意に険しくなる。エルアの手から剣を受け取ると、険しい表情で剣を見つめて見せた。静かに手で触れながら、何かを考え込んでいる様に見えた。

「……ふむ。これならば……あたしでも直せそうだ。あんたのお友達は眠っているのさ」

「眠っている?」

「ああ。守護者は争いを嫌う。だから幻術に長けているのさ。みてくれだけの幻覚で、相手を傷つけることなく争いを避けようとする。もう一つの能力が眠りに誘うか、この剣みたいに……石に封じるという技さ。だが、守護者は争いを望んではいないのだよ。指輪さえ戻ればな?」

 どうして、この人はこんなことまで知っているのだろう?

 不思議に思うエルアであったが、導師は可笑しそうに笑うばかりであった。

「あんたが持ってきてくれた石。その石は……いうなれば手紙みたいなものさ。地底人の長老があたしに寄越した手紙ってわけだ。だから、何があったかを知ることができた。それだけのことなのさ」

 相変わらず飄々とした態度で、青の導師は微笑んでみせる。

「だけど……あんたのお友達を助けるには道具が必要だね」

「え?」

「あいにく切らしちまっていてね。ここから、ずっと南にいくと砂漠が見えてくる。その砂漠の中に遺跡が佇んでいるのさ。その遺跡には、古くから花が咲いている。女神が地上に降り立った時に、遺して行ったとされる花でね……安らぎの露草っていうんだ。そいつがあれば、あんたのお友達も助けて上げられるし、あたしの研究にも大助かりってわけだ」

 青の導師はエルアの反応を、興味深そうに窺いながら話を続ける。

「だが……遺跡には、おっかない化け物がいるのさ」

 導師の言葉に、エルアは思わず背筋が寒くなった。だけど、ここで引くわけにはいかない。キリーを助けてあげなくちゃ……それに、このままでは魔女……いや、守護者ミレイアの怒りによって大変なことになってしまう。

「……行くよ。ぼくは、行くよ。キリーを助けるんだ」

「そうかい。それじゃあ気をつけていくんだよ。良いかい? 遺跡の化け物は……力で挑んだって決して勝つことなぞできないよ? 知恵を絞って戦うんだよ……」

 導師の言葉に戸惑いながらも、エルアは青の館を後にした。目指すは砂漠の中に佇む遺跡。

 再び風が吹き始めた。砂塵嵐が吹き荒れた。だが、エルアはターバンで顔を保護しながらも必死で走った。

 空が泣いている……どんよりとした空は、鈍い灰色を示していた。エルアは、何故だか判らないが無性に胸騒ぎがしていた。

◆◆◆7◆◆◆

 慣れた靴で歩く道は徐々に草が減っていき、遂には砂利道へとなりつつあった。その道の色合いも土色に変わっていった。

 空は相変わらず、どんよりと重い空気を放っていて、不穏な気配を漂わせていた。

 やがて吹き荒れる風は、砂を孕んだ砂塵嵐となっていた。

「あれが遺跡だな……」

 砂漠の遥か彼方に見える土色の建造物に気付いた。古い時代の空気を感じさせる遺跡であった。

 砂漠に近づくにつれてエルアは不思議な異変に気付いた。砂漠だというのにまるで暑さを感じさせない。それどころか妙な寒気さえ感じる。

「……砂漠だというのに寒いだなんて。一体この砂漠はどうなっているのだろう?」

 エルアは不思議な表情で足元を見つめてみた。

 確かに砂漠だ。砂の流れ。渇いた風。砂漠の空気であった。

 良く目を凝らせば、砂漠の砂に紛れて、何かがきらりと光るのにエルアは気付いた。

「鏡? それも真っ黒な鏡だ……」

 割れた鏡の破片が砂に埋もれていた。そっと取り出してみると黒光りする鏡であった。試しに鏡を覗き込んでみれば、やはり黒く写る自分の姿があった。

「……至る所に落ちているのか。一体、これは何だろう?」

 至るところに埋もれている黒光りする鏡に、不穏な気配を感じつつも、エルアは遺跡を目指して歩き出そうとした。

 相変わらず渇いた風と、冷たい空気だけがそこには残っていた。

 不思議な砂漠だ。エルアはそんなことを考えながらも歩き出そうとした。その時であった「え……?」

 足元に、何者かの足と思われるものが飛び出した。だが、それはすぐに消えてしまった。

 何かが潜んでいる……エルアは直感的に危機的状況にあることに勘付いた。何か大きな生き物が足元をうごめいている。それが、いったい何者なのかエルアには判らなかった。

「わぁ!」

 今度は確実に攻撃を仕掛けて来た。

 それは昆虫であった。それもかなり巨大な昆虫だ。

 毛の生えた太い足が、エルアに向けて飛び掛ってきた。

「このぉ!」

 エルアは力一杯、不気味な生き物の足に斬り付けた。

 キリーの銀色の刀身に、昆虫のネバネバした不気味な体液が付着した。

「……わああああぁぁぁぁ!」

 不意に巻き起こる振動。続いて、足元がぐらつく感覚を覚えた。

 見れば、自分のすぐ後ろに大きな渦巻きができているではないか。渦巻きの中から勢い良く突き出されたのは、巨大なハサミであった。その姿は、蟻地獄そのものであった。

「何て大きな蟻地獄なんだ……」

 エルアは渦巻きの飲み込まれないようにしながら必死で踏ん張った。

 蟻地獄は巨大なハサミを振りかざし、憐れな獲物が呑み込まれて来るのを待っているように見えた。こんなところで……こんな気色の悪い昆虫に、やられるわけにはいかないっ!

 エルアは力一杯跳躍すると、今まさに襲いかかろうとするハサミのど真ん中目指して力一杯剣をつき立てた。

 蟻地獄の体に突き刺さる剣。次の瞬間、激しい振動が伝わってくる。

 蟻地獄は激しく暴れながらも、砂の中へと沈んでいった。

 エルアは額の汗を拭いながら、胸を撫で下ろした。

 この砂漠にはこんな危険な奴がいるなんて……気を取り直してエルアは静かに歩き出した。

 砂塵嵐が、また吹き始めた。こんなところで道草食っているわけにはいかないんだ。静かに、そして力強くエルアは歩き出した。

◆◆◆8◆◆◆

 遺跡へと辿り着いたエルアは、その驚くべき光景に目を張った。

 それは土気色の建造物からは想像も尽かなかった光景であった。至るところに咲き誇る淡いブルーの花。甘い香りを称えた美しい花。

 歴史を感じさせる遺跡の入り口には見たことも無いような生き物を象ったレリーフが刻まれていた。

 その生き物に守られる様に大きな杓杖を手にした偉大な女神の姿が掘り込まれていた。

 その緻密なレリーフの細工は古い時代の神話を物語っているのだろうか。所々風化してしまってボロボロになっていたが、その壮大なスケールと荘厳な空気はエルアにも肌で感じ取れていた。

 不意に小鳥達の歌声が聞こえてきた。慌てて上を見れば、鮮やかな色合いの小鳥達が優雅に舞っている。

「ここは……砂漠とは思えない場所だ。美しい遺跡だ。いや、遺跡というよりも……むしろ、古い時代の王朝が栄えた街であると考えたほうが良いのかも知れないな」

 エルアは不思議な景色に見とれつつも、長く続く石段へ向かい歩き出した。

 高い石段の上には神殿のような造りの建物が見えた。おそらく、あの場所が王様の住んでいた場所なのだろう。

『その通りだ。この遺跡は、かつて王朝が栄えた時代のもの……』

 不意にどこからか聞こえてくる声にエルアは驚いた。

「誰だっ!?」

『あたし達はこの遺跡を守る者……』

『さぁ、石段を昇っておいで? 神殿で待っているよ……』

 笑うような、唄うような声が周囲に漂うと、静かに声は消えた。

 エルアは高鳴る胸を抑えて、石段を昇り始めた。ゆっくりと、一段、また一段昇っていくのであった。

 ようやく頂上部まで上り詰めた。振り返れば、遥か遠くに青の館が見える。その先にはゴウゴウと唸りをあげる滝が見えた。

 ここまで来たんだ。エルアは、そっと息を飲むと、力強く神殿へと入っていった。空気がひんやりと沈む……。

◆◆◆9◆◆◆

 煌びやかな輝きを放つ石で作られた、石の神殿は威厳に漂う世界であった。

 不意にエルアの耳に声が飛び込んできた。

『良く来たね。待っていたよ……』

「姿を見せろっ!」

 エルアは、怒りに身を任せて吠えて見せた。

『ほう? 言うじゃないか? 良いだろう。見せてあげよう……』

 突然、目の前に激しい光が立ち込めた。

 次の瞬間、神殿を覆い尽くさん程に巨大な生き物が佇んでいた。

 その大きさ……バロークと同等の大きさ。黄金色に輝く体に神秘的な色合いを放つ、その瞳と、美しい姿にエルアは驚いた。

「……私はスフィンクス。この遺跡の守護神。この地を守りしもの……勇気ある少年よ、何故にこの地に参られたか応えられよ」

 逆らい難い威厳を放つ、守護者スフィンクス。

 その姿は遺跡の入り口にレリーフで彫られていた不思議な生き物であった。獅子の体に、女王のような高貴な美しさを称えた顔。

「ぼくは……キリーを助けるんだっ。バロークも、お姫様も、みんな助けるんだっ! だから……だから、ここまで来たんだ。それだけのことだ」

 不敵な笑みを浮かべながら、スフィンクスはエルアを見定めていた。その表情は、猫がネズミをからかうような表情であった。

「ほう? それは面白い。では、その心が真のものであるかを確かめさせて貰おうではないか? 良いな?」

「……あ、ああ。いいさっ」

 不敵な笑みを浮かべるスフィンクスに恐怖を隠し切れないエルアであった。だが、ここで退く訳にはいかない。ここで退いたら、何のためにここまで来たのか判らなくなってしまう。

「お前に謎掛けをする。見事答えられたのならば、お前の望むものをくれてやろう。だけど……いいかい? 答えられなかった時は……お前を八つ裂きにするよ?」

 思わず背筋に冷たいものが走るエルアであった。だが、それでもエルアは必死で立ち向かおうとした。

「覚悟は……出来ているよ」

「それじゃあ、謎掛けだよ? 朝は四本、昼は二本、夜は三本……さて。これはなんだい? なんだい? さぁ、答えて貰おうかね?」

 スフィンクスは美しい眼差しを歪めながら、不敵に嘲笑って見せた。

 エルアは困った。一体これは何を言っているのだろうか? それは……どんな生き物なのか? はたまた道具とかなのだろうか?

 エルアは必死で頭を絞った。だが、どうしても答えが見つからない。いざとなったら、こいつを倒してでも……こんなところで倒れるわけにはいかないんだ。その時は……止むを得ない。

「どうしたんだい? 答えられないのかい?」

「……答えてやるさ。その答えは……友達だ」

 エルアの答えにスフィンクスの表情が不意に険しくなる。

 だが、エルアは動じることなく続けてみせる。

「ぼくは犬だから四本足だ。キリーは人間だから二本足だ。そして、最後の……三本ってのは……ぼくと、キリー、それからブルードラゴンのバロークだ。ぼくらは大事な、大事な友達だ。友達であり、仲間でもあるんだ。だから……こんなところでお前にやられるわけにはいかないんだっ。やるならやってみろっ!」

 力一杯吠えて見せるエルアに、スフィンクスは一瞬戸惑った表情を浮かべたが、次の瞬間、嬉しそうに笑って見せた。スフィンクスの甲高い声が神殿に響き渡る。石壁を揺らさんばかりの衝撃が響き渡る。

「あっはっは。中々に面白い回答じゃないか? 本当の答えは……人間さ。赤ん坊は両の手と足を使って歩く。年をとって大きくなれば両の足だけで歩く。そして……老人は杖を使い歩く。判るかい?」

「あ……」

 スフィンクスの答えに思わず驚くエルアであった。だが、スフィンクスは、なおも嬉しそうに微笑んでみせる。

「だが、お前の出した答え。それは、間違いではあったが……お前の友を思う心は偽りではなかったのだな。良いだろう……剣にされてしまった、お前の友を救ってやろう」

 再び眩しい光が立ち込めたかと思われた瞬間、そこには、良く似た外見の二人の女性が佇んでいた。赤い服に身をまとった女性と、紫の衣を身につけた女性。まるで巫女のような、踊り子のような神秘性と美しさを称えた女性たちであった。

 そして、その後ろから現れたのは、青の導師であった。

「……ど、どうしてここに?」

「あたしらは三姉妹なんだよ。この遺跡を守る、三人の巫女とでも言っておこうかね……まぁ、そんなことは、どうでもいいことなのさ。さ、助けてやるよ。約束だ……お前は、無事に叡智を振り絞り、知恵で勝ったのさ」

 三人の巫女は、胸の前で手を組むと静かに歌い始めた。

 それは、唄であり、何かの祈りであり、不思議な余韻を称えていた。

 心が溶けてしまいそうな優しい歌声。力強い音色に心が揺れ動く。一瞬、目が眩んだような感触がした。カラン……金属が床にぶつかる音。

「えっ?」

 床に転がる銀色の剣と……そして、初めて目にする友の姿があった。

 長い髪を束ね、バンダナをしっかりと巻いた、その姿。少年は嬉しそうな表情でエルアの手を取って見せた。

「ありがとう、エルア。君のおかげで元の姿に戻ることができたよ。感謝する」

「……勇気ある子犬よ、もう一人の友は北の山に捕らわれている。良いかい? 急ぐんだよ。外に出て空を見るが良い。もはや指輪が均衡を失ってきているのさ……」

 急ぐんだよ……そして、守ってやってくれよ……。

 だんだんと、巫女たちの声が遠くなっていく。

 ゆらゆらと視界が歪むような、軋むような、妙な感触が漂う。

 再び気が付いた時に、エルアたちは青の館が立っていた場所に佇んでいた。だが、そこには、もう何も残されてはいなかった。不思議な香りを放つ巫女たちを思い出すと、エルアは心の中で礼を告げるのであった。

「エルア、急ごう。北の山……あの辺りは、険しい山岳地帯だ。大草原を抜けなくてはならないな……ヘタに草原を抜けていくよりも、ケンタウロス達の力を借りよう」

「判ったよ。急ごう」

 キリーの言葉に応じる様にエルアは頷いた。緑色の風の中、二人は足早に歩き出すのであった。

◆◆◆10◆◆◆

 胡散臭い香りを撒き散らしながら歩む兄弟はカシムとジョニー。

 何か儲け話はないものかと街を散策しているところである。

 不意に弟分のジョニーがうつむく。

「なぁ、アニキ……姫様、まさか、あの指輪の呪いで……」

「シッ! 声がでけぇんだよっ!」

 慌ててジョニーの口を手で覆うとカシムが吠えた。

「まったく……まぁ、確かに言われてみればだ。そんな気がしなくもないな。あの指輪は……遺跡の奥。それも祭壇に大事に安置されているようなものだ。なんか、ヤバいモノであることは確かなんだろうな……」

「どうするのさ? 姫様、眠っちまったまま起きないんだろう?」

 なおも食って掛かる弟分に業を煮やしたのか、カシムが苛立ち混じりに吼える。

「じゃあどうしろっていうんだよ!? いや……待てよ? 確か……あの指輪は、対になっているはずだよな。だとしたら……そうだよ。もう一つの指輪も手にすればいいってことじゃねぇか? そしたらよ、王様も大助かり。オレたちも褒美を貰えるぜ?」

「えぇ!? アニキ、それじゃあ、ますますマズイよ」

「うるせぇ。そうと決まれば善は急げだぜっ!」

 無謀な計画を立てる盗賊兄弟……悪知恵を片手に颯爽と歩き出す兄貴分のカシムに、困った表情のジョニー。そんな二人のやり取りを静かに見つめる者がいた……。

 水晶球を覗き込みながらミレイアは静かに微笑んだ。

「人間とは何と愚かな生き物なのだろう? あの指輪は、かの地に対にして安置してこそ意味があるというもの。それを……もう一つまで盗み出そうとはな。カルマよ、地上人どもはまだ判っていないようだな。どう……教えを施してやればよいものか?」

「なぁに、放っておけばいいさ。あのままにしておけば力を制御し切れずに、二つの指輪が暴走しだすヨ。ケケケ。その時になって女神様にお願いしたって、もう遅いってモンさ」

 黒光りする翼をはためかせながら、カルマは笑った。

「……それもそうだな。もうじき対になるものを失った太陽の指輪が……暴走するだろう。人間どもよ、何故自らの過ちに気付かぬ? 私を魔女と揶揄している場合では無いのではないか? 目先のものだけにしか気を配れないとは、まったくもって愚かな……」

 ミレイアは寂しそうに微笑んで見せた。

 自ら、裁きを受けようと願うのであれば、それも甘受すればいい。生きようと願うのであれば……指輪を戻せ。ただそれだけのことさ。さて……人間どもよ、どうするつもりなのかな? ミレイアは愚かな盗賊兄弟が向かった遺跡を見つめながら、不敵に微笑んで見せた。 「カルマよ、行くのだ。あの愚か者たちに裁きを……」

 未だに人間たちは私を魔女と恐れ、呪いで王女が目覚めぬと勘違いしている様子だな……。だがそれは大きな間違いだ。盗み出した月の指輪を返し、二つの指輪が均衡を取り戻せば、影響力も消える。

 もっとも、このまま滅びを見届けるのも悪くはないがな……静かにミレイアは微笑む。

「ふふん。せっかちなンだネ。了解したヨ。任して置いてヨ」

 淡い煙に包まれると、カラスの姿を持つ使い魔カルマは消え去った。

「さて、人間どもよ……お前たちの信仰と知恵を確かめさせて貰おうではないか?」

◆◆◆11◆◆◆

 オアシスの都ファルハの南に広がる広大な大草原は、砂漠地帯とは大きく異なっていた。

 この辺りは広大な穀倉地帯。砂漠の近くということもあって、比較的乾燥した地域ではあるが……遊牧民のような生活をするケンタウロス族がこの大草原には住んでいる。大草原のことを、良く知る彼らの力を借りることができれば、北の山までの遠い道のりも運んでもらえるかも知れない。

 バロークを助け、姫を助ける。

 二人の想いは一緒であった。もうじき大草原に差し掛かろうとする小高い丘の上で、ふとキリーは立ち止まった。

「風の流れがおかしいな。いやに冷たい……」

「既に異変が始まってしまっているのかも知れないね」

「一刻も早く魔女を退治せねば……」

 歩き出そうとしていたエルアは、ふと歩を休めた。

「違うよ、キリー。ミレイアは魔女じゃないんだ。ミレイアは守護者なんだ。この地域を守る守護者なんだよ。オアシスが繁栄しているのは、ミレイアが守っている二つの指輪があったからこそなんだ。そして、その一つを……王女が持っている。だから王女は眠ったまま、目覚めなくなってしまっているんだ」

 エルアの話に、キリーは目を大きく見開き驚いた。

「どういうことなんだ? それでは、姫に掛けられたのは……ミレイアの呪いではない?」

「そうなるね」

「そんな話、信じられるものか。ぼくを剣の姿に変え、大事な親友まで捕らえてしまった魔女が守護者だって?」

 キリーはエルアの話に憤慨したような態度を示した。

 何故、守護する立場の者が自分をあんな目に遭わせたのか? キリーには到底理解することができなかった。

「ミレイアは争いを好まないんだ。だから、塔に訪れるものを追い払うために、そして、人間たちに危険を知らせるために行動で示した。キリー。指輪は二つ揃ってはじめて力を発揮するんだ。片方が失われれば、力を制御できずに暴走してしまう。そうなれば、この地域に大変な天変地異が起きてしまうんだよ?」

 なおもエルアの話に納得がいかないキリーは不満そうな表情を崩さない。

「良いだろう。ミレイアに逢って真実を確かめてみようじゃないか? よし、エルア、急ぐぞ」

 多少意見の違いはあったが、キリーもエルアも考えていることは一緒だった。バロークを救い出すこと……そして王女オズリックを醒めぬ眠りから解放すること。

 いずれにせよ、ケンタウロス達に逢わねば。

 二人は、妙な冷たさを孕んだ不思議な風に追われながらも道を急いだ。

◆◆◆12◆◆◆

 広大な大草原は見渡す限り一面の緑の世界。風が吹けば草達がサラサラとなびいてみせる。そんな柔らかな空気の漂う場所をエルアたちは歩んでいた。だが、そこかしこから漂ってくる妙な気配に不安を隠せない。

「……気付いたかい、エルア?」

「うん。どこからか誰かがぼくらを見ているね」

 キリーは静かに足を休めると、愛用の弓を手にして見せた。

 何をするのかと戸惑うエルアに、まぁ見ていろとばかりに微笑むと、声高々に空に向かって叫んでみせた。

「ケンタウロス達は弓の名手と聞く。志あるものはぼくと勝負しないか!? その腕を是非とも見せてくれ!」

 キリーの声に応じるように、どこからか笛の音が聞こえてきた。不意にざわざわと草が揺れ動くような音。次の瞬間、どこから飛び出してきたのか、次々と草むらから飛び出してくるケンタウロス達の姿があった。

 人間の上半身に馬の下半身を持つ種族。陽気で牧歌的。種族外の者たちに対して警戒心を抱くが、そこは陽気な彼ら。祭り好きな彼らは面白いことには目がない。部外者の来訪に戸惑っていたが、弓の勝負だなんて言われてしまえば、好奇心旺盛な連中は黙ってはいられない。

「面白そうじゃないか? 少年たちよ、歓迎するぞ」

「な、エルア? 上手くいっただろ?」

 クスクス笑ってみせるキリー。何時の間にかすっかり大勢のケンタウロス達に囲まれてエルアは緊張と警戒心を隠し切れない。

「君達に頼みがあるんだ。聞いてもらえるかな?」

 早速話しを切り出してみせるキリーに、ますます好奇心旺盛なケンタウロス達は嬉しそうな表情を見せる。

「頼み事だって? それは面白い話かい? 大草原は静かなところだ。退屈していたところだから、ちょうどいい。なにか面白い話、是非とも聞かせてくれよ。旅の話も聞かせておくれよ」

 好奇心旺盛な青年が親しみ深そうにキリーの手を握る。

 これは幸運な展開だ。キリーは嬉しそうにエルアに微笑む。エルアはキリーの強かな振る舞いに驚かされていた。

「ぼくたちの親友のブルードラゴンが捕らわれてしまってね。場所は北の山だ。だけど、ここから北の山までかなりの距離がある。そこで、良かったら力を貸して欲しい。持ち合わせはないが、礼はするよ」

 キリーの言葉に数名のケンタウロスが興味を示した。

 それぞれ顔を見合わせながら、なにやら嬉しそうに話している。

「ブルードラゴンが友達だなんて凄いじゃないか!? 今は旅の途中なんだろう? 無事に助けることができたら、是非とも、そのドラゴン君と一緒に遊びに来てくれよ」

「ドラゴンなんてみたことないから、是非とも見せてよ」

「判った。無事に旅を終えることができたら、その時は、きっと君達のもとへ彼を連れて遊びに来るよ。でも……覚悟した方が良いぞ? バロークは途方も無い大喰らいだからね」

「大喰らいのドラゴンか。ますます興味を惹かれるね。沢山の食事を用意して待っているよ」

 気の良いケンタウロスたちは嬉しそうに微笑みながら、キリーと堅く握手を交わした。

 キリーとケンタウロスたちは、すっかり打ち解けていた。

「長旅で疲れただろう? 今日は、ゆっくりと休んでいくと良い」

 エルアたちは、その言葉にありがたく従うことにした。

 日はゆっくりと傾き始めていた。

 やがて大草原に夜が訪れる。たくさんの食事と飲み物。そして、何よりも陽気なケンタウロス達との食事はまるで祭りの前夜祭のような賑わいを見せていた。

 気の良いケンタウロス達に囲まれてエルア達は、すっかり大草原の心意気に酔い痴れていた。

 少しずつ過ぎてゆく時の中で、エルアはケンタウロス達の気遣いに感謝するのであった。やがて訪れる大変な異変の前の……静かな前触れだとも知らずに……。