第1話『Wild FANG』

◆◆◆1◆◆◆

 賑やかな空港を一人の男が歩む。

 グレーの毛並みに、透き通るような青い髪の男……青年と呼んでもおかしく無いほどの、若さの男は静かに歩んでいた。その容貌からは想像も着かない程の鋭い目をした男であった。男の名は、リオン……リオン・マクレーン。北方の国ロシアの名門一家に生を受けた刑事。

 不意にリオンに男達が近づいてくる。彼らは警戒するような素振りも見せずにリオンは微笑んだ。

「……ああ、Nice to meet you ? 」

 巨漢の刑事が慣れないアクセントで、舌を噛みそうになりながら男に向かって語りかけた。

「大丈夫だ。日本語は判る」

「おおっ、それは助かります」

「……くだらない挨拶は後だ」

「はっ、お心遣い感謝します。リオン警部……」

 言い掛けた瞬間、静かにリオンの突きが巨漢の刑事のみぞおちを突き上げた。

「……私が警部だと言うことは内密にしろと伝令が伝わっているはずだが? 獅子渡に私達の動きを捕まれてはならないのだ。良く覚えて置け……私は同じ事は二度言わぬ」

 小柄ながらも逆らいがたい威圧感を醸し出すリオンに、刑事達の表情が一気に険しくなる……。リオンは相変わらず涼やかな表情で、ただ静かに歩み去っていった。

◆◆◆2◆◆◆

 新宿駅。東京の中心地に位置する犯罪の渦巻く都市……。

 多くの者達が一攫千金へ夢を託し、集う街。この街には多くの人々が集まる。その中には悪しき心を持つ者達も少なくは無い。犯罪も渦巻くだけに、この街の警備は厳重であった。

 新宿駅北口派出所――そこに彼はいた。

「ふぁーあ」

「おーおー。虎さん、でっかいあくびだね」

 可笑しそうに笑う狐を眠たそうな眼差しで、ちらりと見つめる巨体の警官。力一杯伸びをすると制服がはち切れそうになる。彼の名は川原虎次郎。下町生まれの、下町育ち。どんな時でも愛用のゲタをはき続ける生粋の江戸っ子。

「あっ! ボタンが……弾けた!」

 軽快な音と共に制服のボタンが勢い良く飛び跳ねた。酒好きが祟ってか、生来の巨大な体躯が災いして、ますます貫禄ある腹に成長している。最近では、本人も気にしているらしく、苦笑いしてみせる。

「こりゃあ、いよいよダイエットを真面目に考えねぇと駄目かぁ? へへっ」

「まずは、食生活を改善することだね。お酒を控えて、野菜を取る。それから、もっと規則正しい生活を……」

「はいはい。まったく、耳が痛てぇことをベラベラと……」

 苛立ち混じりに立ち上がりながら、虎次郎は手元にあった湯飲み茶碗の茶を含んだ。

 その瞬間であった。

「お巡りさんっ!」

「ぶーっ!」

 不意に背後から甲高い声で呼び掛けられて、思わず飲みかけのお茶を吹き出す虎次郎。モロに顔面に直撃された狐が悲鳴をあげる。

「ちょっと、虎さん! 何てことするのさ!」

「い、いきなりでっけぇ声出すんじゃねぇよ。びっくりするじゃねぇかよ……それで? なんでぇ、姉ちゃん? 痴漢かい?」

 妙に水商売系の女性を見て、虎次郎は下品な口調でヘラヘラ笑って見せた。その反応に苛立ったのか、女性が声を張り上げる。

「違いますっ! 失礼ねぇ……そうじゃなくて、爆弾テロですよっ! 大変なんですっ!とにかく早く来てくださいっ!」

 半分冗談で聞いていた虎次郎は、戸惑った表情を浮かべる狐に豪快に笑って見せた。

「わはははは。いくら何でも爆弾テロなんざ、そうそう転がっているもんでもねぇだろ? なぁ? お前もそう思うだろう?」

 だが、次の瞬間、バッグで後頭部を力強く強打された。

「痛ってぇ……おいおい、幾らなんでもそりゃあやり過ぎだろう?」

「良いから、早く来てください!」

 虎次郎は、女性に強引に引っぱり出されて慌てて走り出すのであった。何が何だか判らない狐はただただ呆然と立ち尽くすばかりであった。

「いててててっ!……おいっ、こら! 腹の肉を掴むなってっ!」

「……い、今のは一体何だったのだろう?」

 嵐のように訪れた、突然の事態にも動じることなく、狐は虎次郎が吹き出したお茶を拭き始めるのであった。

◆◆◆3◆◆◆

 夕暮れの新宿駅前は妙に静まり返っていた。

 この場には不釣合いな硝煙の香りが鼻をつく。思わず顔をしかめる虎次郎。

(おいおい、マジかよ? こいつぁ本物か?)

「ん?」

 虎次郎の視界には、電柱の影に佇む一人の男が飛び込んできた。携帯片手に、誰かと口論している様子であった。明らかに一般人とは異なる、どこかきな臭い雰囲気を称えた男であった。

「なんだとっ!? 話が違うじゃないかっ! あんたの指示通り、銀狐のヤローの書類は処分したぜっ! あん? 始末に失敗したからだと……フザけるなっ! あっ……くそったれ、切りやがったなっ!」

 男の後ろに静かに回り込むと、虎次郎は力一杯男に抱きついた。

 巨漢のクマの男。黒いスーツに黒いシャツ。ヤケに派手な金のネックレスにブレスレットが、いかにもギャングの様な感じを表していた。

「うぉっ!?」

「現行犯逮捕だ……お前は熊田。指名手配中の爆弾テロリストか……」

 どこかで見覚えのある顔だとは思ったが、まさか本人に出会うことになろうとは、想像もしなかった。やはり交番前のお尋ね者写真は日々、目に焼き付けておくことが肝要だな。そんなことを考えながらも、虎次郎は尚も腕に力を篭めるのであった。

 だが、虎次郎の腕を力強くはね除けると、熊田は豪快に笑って見せた。

「あんたみたいな、ヘボ警官に掴まるオレじゃないさっ!」

「だ、誰がヘボ警官だ!」

「へん。これでもくらいなっ!」

「おおっ? なんだこりゃ?」

 不意に熊田に何かを手渡されて、虎次郎は思わず受け取ってしまった。手のひらの中に置かれた、何やらヒンヤリとした感触の金属の固まり。恐る恐る手を開いてみれば、思わず背筋が凍り付くようなブツが鎮座していた。

「こ、こいつぁっ!?」

 慌てて、遠くに放り投げようとした瞬間、爆弾からは真っ白な煙が吹き出した。勢い良く吹き出した煙が、辺り一面に立ち込めた。

「くそっ!」

「あばよっ、ヘボ警官さんっ! わはははは!」

「この野郎……逃がすかっ!」

 煙に翻弄されながらも、虎次郎は慌てて追い掛けた。煙を手で振り払いながら、必死で熊田の後を追いかけた。

「ちっ! もう追い付いて来やがったかっ!」

「こらーっ! 熊田っ、待ちやがれっ!」

「ゲタのクセに、なんであんなに速いんだよっ!」

 ゲタのけたたましい音が新宿の街中に響き渡る。

 時間帯は夕方。時刻は六時になったばかりである。

 冬の六時はすでに暗い。丁度ラッシュの時間帯でもある。当然のことながら交通量も多く、人通りも多い。そんな喧騒をさらにかきまわすかのように、大男二人が追い掛けっこを繰り広げるという、中々にシュールな構図がそこにあった。

「待てーっ!」

「はぁっ、はぁっ……なんてしぶてぇおまわりだっ!」

 赤信号の横断歩道を駆け抜ける熊。

 避け損なった車が急ブレーキを掛ける音が響き渡る。そのままハンドルを切り損ねて、道路わきの街灯に衝突した。驚いた表情でドライバーが叫ぶ。

「ば、ばかやろーっ!」

 それでもなお、虎次郎はさらに追い掛け続けた。

「ばかものっ! 赤信号は止まれだろうがっ!」

「アホ、言っているぜっ!」

 車のドアから顔を出すリオンが、そこにいた。

 丁度、空港から移動する最中であったリオンは、偶然にも虎次郎達と遭遇したのだ。

「どうかしましたかな、リオン警部?」

「その信号を、急いで右折しろっ! 爆弾テロリストの熊田だっ!追えっ!」

「何ですと? 畏まりました」

◆◆◆4◆◆◆

 どれだけ走り続けたのであろうか? 二人は何時の間にか建設中のビルに迷い込んでいた。

 鉄のパイプで骨組みだけがなされた形ではあるが、熊田はそこに逃げ込んだ。

「くっ! よりによってやっかいな所に……」

 文句を言いながらも追いかける虎次郎。恐る恐る階下を覗き込んだ熊田が驚く。

「うげぇっ! しつこすぎるぜっ!」

 熊が焦る。だが、虎は歩を緩めない。

 無我夢中になっていた虎次郎は、自身が高所恐怖症であることを、すっかり忘れていた。

 執念深くにじり寄って来る虎次郎。そこには、警官として犯人を追い掛けると言う気持ちは無かった。『ヘボ警官』と言われた事に対する怒り、侮辱された事への怒りしか無かった。

「もう、後はないぜ?」

 虎が笑う。そう。ここはビルの頂上部。背後にはクレーンと、街の明かりと、ビルの警告灯だけが佇んでいた。自信に満ちた虎次郎に向き直ると、熊田が不適に笑ってみせる熊。

「しつこいおまわりだぜ……だがなぁ……あんたに捕まるわけには、いかねぇんだよっ!」

 熊が拳を構えれば、虎がニヤリと笑う。

「ほう? 望むところだぜっ……」

 今、二人の男の戦いの火蓋が切って落とされた。

「おらぁっ、このヘボ警官っ!」

 熊のストレートが虎を直撃する。虎がゆっくり振り向きながら笑う。

「なんでぇ……ぬるいなぁ……」

 熊もニヤリと笑う。次の瞬間、虎のストレートが、熊を直撃する。

「へへっ……やるじゃねぇかよっ……うおぉっ!」

 熊のボディが炸裂。呻く虎。にやりと笑う。熊も、また、ニヤリと笑う。

 そして、虎のボディが熊に決まる。お互い、再び顔を見合わせて笑うと、おもむろに殴り合いが始まった。

 冬の空は透き通っていて、冷たい空気が張り詰めていた。今夜は満月。時折、吹き付ける北風は冷たく、乾いていた。そして、半刻後……。

「はぁっ、はぁっ、あんた……へんなおまわりだなぁ……」

「けっ!……おまえこそ、へんなギャングだぜ!」

「下駄はいた、珍妙なおまわりに言われたかぁねぇぜ」

「わはは。余計なお世話だ」

 熊が笑った。虎も笑った。ビルの屋上で二人、大の字になって寝ていた。

 熊がタバコを出せば、虎が火を出す。「ありがとよ」と言わんばかりに、熊が笑う。

 一服すると、熊田は不意に真剣な顔になり語り出した。

「なぁ、おまわりさんよ……」

「オレは虎次郎だ。皆からは『虎さん』と呼ばれている」

「オレは熊田だ。もう知っているよな?」

 妙によそよそしく笑う熊の瞳に虎次郎は何かを見た気がした。

「なにか、言いたいことがあるようだな?」

「!?……へへ。判っちゃうモンなのかなぁ……。やれやれ。あんたになら話してもいいかな。そもそもオレはよぉ、こんな世界から足を洗いてぇんだ……獅子渡、奴さえいなければな?」

「獅子渡って、あの……」

 そう言いながら虎次郎は、高層ビルの群のなかにひときわ高くそびえるビルを見た。近代的なガラス張りのビル。不意に熊が険しい表情を見せる。

「そうさ。あいつがいけねぇんだ。涼の……ああ、オレの息子だ。今年……五つになる」

 遠くを見つめる熊の体が小さく震えている。握りしめるこぶしに力が入る熊の頬を涙が伝った。

「生まれつき、体の弱い奴でな……奴のかかぁも、涼を生むと……すぐに逝っちまいやがった」

 熊は静かな笑みを称えながら空を見つめていた。

「へへっ。虎さんよ……この世によぉ、神様なんていねぇのさ。涼は……涼はな……」

 言葉に詰まる熊を座らせると虎次郎は横に並び肩を抱いてやった。勇気付けられた熊田は顔を上げると、さらに続けた。

「医者に言われたよ……よく覚えてねぇけど、舌を噛んじまいそうな名前の病気でな。生まれ付きの病気らしくてな。手術をするためには、目の玉がぶっ飛んじまいそうな金が必要なのさ」

「それで、この世界に?」

 熊は深く頷くと、さらに続けた。

「あぁ、オレは息子の……涼との約束を果たしてぇんだ。元気になってよ、そんでもって、キャッチボールしてぇんだとよ。このオレとさ……」

◆◆◆5◆◆◆

「パパ、ぼく元気になれるのかな?」

「ああ、なれるさ。」

 涼の手を力強く握りしめると、熊田は力強く笑ってみせた。

「元気になったら……パパ、キャッチボールしてくれる? この前、テレビで野球の試合見たんだ。野球選手格好良いよね。ぼくも、ああなりたいな」

 ベッドに寝たまま涼は、野球選手のマネをしてみせた。

 遠い目で、そんな息子の姿を見つめる熊田の目には、いつしか、涙が称えられていた。

「どうしたの? パパ?」

「ああ。なんでもない……涼は、きっと野球選手になれるさ!」

「わぁ? ホントに? 嬉しいなぁーっ!」

◆◆◆6◆◆◆

「無邪気に笑うんだよ。こんなオレの息子なのかって位、良い顔でさ。親バカだけどよ、本当に可愛い奴なんだよ」

「……」

 いつしか、虎の目にも涙が讃えられていた。

「だが、それもかなわぬ願いさ……」

 熊は両手を突き出すと、虎の目をじっと見つめた。命乞いするような目ではなく、自分の意志を、強い意志を称えた目であった。

「爆弾テロとしてじゃあねぇ。涼の……一人の息子の、父親として、あんたにお願いする。

 ありがとうよ、話に付き合ってくれてよ。逃げることには、もう疲れた。オレも、父親らしく素直に……ん?」

 突き出した熊の手には、手錠ではなく、虎次郎のでっかい手が添えられた。思わず虎次郎の顔を見上げる熊田。

「熊……逃げろ。今はとにかく逃げろっ!」

「はぁ!? お前、正気かっ!?」

「オレはここで夜景を眺めていただけだ。仕事をさぼってな? 爆弾テロには逃げられたんだ。オレは心優しい父親しか目にしてはいない。爆弾テロ、熊田には逃げられちまったよ。なにしろオレは、ヘボ警官だからな。早く行け……もうじき、仲間が来るだろうからな」

 虎の言葉を受けた熊の顔に、自信に満ちた笑みと、確固たる意志を告げる表情が戻った。

「お、恩に切るぜ! この借りはきっとどこかで!」

「あぁん? 何か騒がしいな。まさか……もう来ちまったのか? 何時に無く動きにキレがあるじゃないか……」

◆◆◆7◆◆◆

「ここに逃げ込んだ訳だな? まったく……近頃の警官は、仕事が出来なくて困るな」

 静かに微笑してみせるリオン。警部としての顔になった途端に気迫が変わる。リオンは注意深くビルの中を見回していた。

「随分と埃に満ちた場所だな……空気が悪い」

「リオン刑事! いましたっ!」

 時計にちらりと目線を投げ掛けると、リオンは冷たく言い放った。

「……キミは、十五分もかけて仕事をするのかね? 私の故郷、ロシアの部下は同じ仕事を十分で終えるぞ?」

 リオンは、やれやれといったような表情を浮かべて見せた。その表情からはエリート独特の冷たさを感じられる。

 まだ、二十代前半という若さではあるが、その才能を買われ、今の地位を得た。ある男を狙って来日した。

 リオンは不意に立ち上がると、何も言わずにビルの中へと進んで行った。

「ああっ、リオン刑事。一人では危険ですっ!」

 その瞬間、リオンの表情が険しくなる。

 声を発した部下に向けられた凄まじい眼差し。睨み付けられた部下は、思わず背筋が凍りそうになった。

「大声を出すな。気付かれるではないか……一体どういう教育を受けてきたのだ? 貴君らの上司の顔を見てみたいものだな」

「し、失礼ですが、今回のプロジェクトに置いて、自分の上司はリオン刑事でありますが……」

 部下の言葉にリオンは苦笑いを浮かべながら、振り返って見せた。

「そうであったな。キミ達は出口を固めておいてくれたまえ」

 冷たく言い放つと、リオンはにこりとも笑わずに静かにビルの中に入った。相手は手練れの爆弾テロだと言うのに、まるで怯む様子すら見せない。何の防備もない。それにも関わらず、凄まじいまでの自信と気迫を放つリオンに、再び部下達が固唾を呑んで見守る。

◆◆◆8◆◆◆

「いいか? オレに追われているフリをしながら、逃げろ! いいなっ!?」

「すまねぇ……この借りはきっと返すぜ!」

 ビルのなかは静寂に満ちていた。

 リオンは周囲を警戒しながら、一歩、一歩、慎重に歩を進めた。

「こらーっ! 待てーっ!」

「ん?」

 突然階上から響き渡る罵声に、慌てて上を見る。リオンの視界に飛び込んで来たのは、熊のギャングを追いかける虎の警官の姿であった。

「……下駄? なんと、美しくない男なのだ。私のような美的センスを持ってほしいものだな」

 不敵に微笑みながら、リオンは静かに銃を構えた。

「……へ? マジかよ?」

 驚きを隠しきれない虎次郎であったが、リオンは躊躇うこともなく、静かに銃口を向けた……。

「うそぉっ!?」

 静まり返ったビル内に、軽やかな銃声がこだまする。

「うおっ!? なんて無茶苦茶な野郎だ……オレまで殺す気か?」

 銃声に驚いた熊が振り向く。

「大丈夫かっ!?」

「バカっ! オレのことは構わんで良いから走れっ!」

「この色男め。これでも……喰らいなっ!」

「!?」

 熊の手から投げられた何かに向けて、反射的にリオンは銃弾を放った。次の瞬間、もうもうと真っ白な煙が立ちこめた。

「くっ!? 煙玉だとっ!? Shit! ジャパニーズ忍者めっ!」

 その隙を突いて熊は一気に逃げ切った。

 熊は目の前を固めるリオンの部下達に、軽やかに手榴弾を手渡した。

「お前ら達には、こいつをくれてやるぜっ!」

「……ああ、これはどうも……へっ!?」

 手渡された物の正体に気付き、部下達は大慌てで空高く、手榴弾を投げ上げた。

「うわーっ!」

 リオンの部下たちも手榴弾で一掃し、熊は颯爽とビルを逃げ去った。

「Good Luck !」

「くっ!? なんと言うことだっ! この私が……この私ともあろうものが……獲物をのうのうと逃がすことになろうとは……くっ!」

「うへぇ……ひでぇ煙だぜ。あーあー。真っ黒になっちまったぜ」

 爆風の中から出てきた虎次郎は満足そうに熊田を見送ったが……リオンは突き刺すような凄まじい目で虎次郎を見つめていた……。

◆◆◆9◆◆◆

「ばかものぉっ!」

「うへぇっ!」

 落雷を思わせる様な怒号が部屋に響き渡る。

「何なんだっ! この始末書の枚数はっ!? 器物破損、信号無視、通行人からの苦情その他諸々……」

「すんません、猪巡査部長……」

 苦々しく笑いながら、虎次郎は頭を掻いてみせた。

「笑い事ではないわっ! バカものっ!」

 怒鳴り散らす猪巡査部長と虎次郎とを行ったり来たりしながら、狐が苦笑いした。

「ん?……はぁっ!? あ、あなたはっ!」

 唐突に、時代劇さながらの仰々しい驚き方を見せる猪巡査部長。そっと顔を上げた虎次郎も驚きを隠し切れなかった。

(げげ!? あ、あいつは……あの時の、偉そうな若造じゃねぇかよ!?)

 男は無言で静かに手帳を取りだして見せた。

 大きな金の星の飾りのついた手帳は、明らかに彼の身分の高さを示していた。

「……川原虎次郎は、キミかね?」

「ああ。オレが虎次郎だが……」

「私の名はリオン。リオン・マクレーン。ロシアから、ある人物を狙って来日したのだが……」

 リオンは手櫛で髪をときながら、大きなため息を就いてみせた。

 新宿駅北口派出所の狭い空間に、不釣合いなまでに途方もない圧迫感が押し寄せる。

「……あ、あの……ウチのバカが、な……なにか?」

 おどおどしながら尋ねる猪警部に向き直ると、リオンは不敵に微笑んで見せた。

「今度の仕事のパートナーに、虎次郎君。キミを起用させて頂いた。いやとは言わせない……」

 リオンは「いやとは言わせない」の部分をやけに強調して見せた。皮肉たっぷりの視線で自分を見下すリオンに、虎次郎は多いに反発を感じていた。

「なんだよ、このクソ生意気な西洋かぶれのガキは? 最近の若造は礼儀も知らねぇのかよ……」

 小声で呟く虎次郎の声に気付いていたにも関わらず、リオンは相変わらず不敵な笑みを浮かべるばかりであった。ゆっくりと虎次郎に詰め寄ると

「キミのおかげで熊田を逃がしたのだからな……私の完璧な経歴に『失敗』の二文字を刻んだのは、キミがはじめてだよ、虎次郎君。光栄に思いたまえ……」

 リオンの挑発が気に触ったのか、虎次郎の表情が険しくなる。そんな虎次郎とは裏腹に、青褪めた表情を浮かべる猪巡査部長。部長の心配も他所に、虎次郎はリオンの前に立って見せた。

「おいおい。坊や、口の聞き方ってモン知らねぇのかよ? 人様にモノを頼む態度には……あてっ!」

「ば、バカものっ!」

「大きいのは、図体だけではないようだな……態度の大きさも人並みはずれているということか。ふふ、実に興味深い」

 苛立ち混じりに噛み付いてきた虎次郎とは対照的に、リオンは目を大きく見開きながら虎次郎の表情を見つめていた。

 そんな二人の間に、猪巡査部長が慌てて割って入った。

「……わはは、す、すみません、なにぶん礼儀作法のなっていないバカたれでして……」

 だが、猪巡査部長の想いとは裏腹にリオンは腕組みしてみせた。冷徹な一瞥を猪巡査部長に送りながら、リオンは含み笑いを浮かべて見せた。

「ご機嫌取りのような態度はやめたまえ。不愉快だ……」

 リオンは不敵に笑いながらも、虎次郎に向けて手を差し出して見せた。

「それで、虎次郎君……一応、キミの返答を聞かせて貰おうか?」

 虎次郎はでかい手で、リオンの手をしっかりと握りしめて見せた。

「その可愛げのねぇ態度は気に入らないけどよ、なんだか、お前とは仲良く出来そうだぜ。よろしく頼むぜ。」

「ふふ。私に真っ向からぶつかってきたのは、キミがはじめてだ。どこに行っても皆私を

 特別視する。実に不愉快だ。私は偉くも無ければ、特別でも、何でもない。キミ達と何ら変わらぬ同士だ。キミは他の者達とは違うようだな」

 リオンがはじめて笑ってみせた。二十歳過ぎの、まだ若い青年らしい笑顔で。

「何だよ? 可愛らしい顔で笑えるんじゃねぇかよ」

「か、可愛らしい……? わ、私は……」

 虎次郎の言葉に、動揺した素振りを見せるリオンの肩に腕を回しながら、虎次郎は豪快に笑って見せた。

「さっさと事件片づけてよ、飲みにでも行こうぜ、坊やっ!」

「私の名はリオンだ。坊やと呼ぶな……」

 ゲラゲラ笑いながら、妙に親しげにリオンの背中をバンバン叩いてみせる虎次郎に、猪巡査部長は顔面蒼白になるばかりであった。

 なんでぇ。ヤな奴かと思ったけど中々話の判る面白い奴じゃないか? 猪巡査部長の驚いた顔を思い出して、虎次郎は再び豪快に笑い声を響かせるのであった。

◆◆◆10◆◆◆

 獅子渡ビル――都心に位置する超高層ビル。獅子渡の権力を象徴するかのような壮大な敷地面積を誇る、規模の大きなビル。王者の威厳と気迫を十二分に見せつけている。

 そのビルの一室、ベッドで戯れるは獅子渡……獅子渡剛三。その強引な事業展開で、みるみる力を付けていった企業。

 だが、その影には表沙汰に出来ない裏の取引が隠されているのであった。

 百獣の王を象徴するかのような立派なたてがみ。赤く光る瞳は、獲物を狙う獣のものであった。

 静寂を破って、突然電話が鳴り響いた。

「あんっ……」

「ちょっと待ってなさい……はい。私ですが」

 電話で報告を受ける獅子渡の表情が険しくなる。

「それでは……熊田は無事に帰ってきたわけですか。そうですか……わかりました。今、そちらに向かいます。後のことは任せましたよ。では、後ほど……」

 少年があどけない瞳で見つめる。大人と呼ぶにはあまりにも無邪気な瞳を持つ少年。獅子渡の一人息子――竜助。

「パパ、行っちゃうの? もっと、遊んでよ?」

 シャツを着ながら、振り向く獅子渡の表情はどこか憂いを孕んでいたが、やけにおかしそうに笑って見せた。

「すまないですね、竜助。行かなくてはならないのですよ。」

「それじゃあ、キスして?」

「ふふ。しょうがない子ですねぇ……」

 そう言うと、獅子渡は、竜助のくちびるに自らのくちびるを重ねた。竜助の頭をなでながら獅子渡は笑った。

 赤いスーツに、赤いパンツ。しゃれこうべを象った模様のネクタイが凄みを見せる。血のような赤一色に、金色のたてがみがなびく。

「パパ、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 竜助にそっと手を振ると獅子渡りは扉を閉じた。

 その瞬間、彼の表情から笑いが消えた。大会社の頭領としての……そして、マフィアのボスとしての顔になっていた。そこには憂いも、優しさも無かった。

◆◆◆11◆◆◆

「しっかし、お前、日本語達者だよな」

 リオンに連れられるままに、虎次郎は新宿の街を歩んでいた。南新宿を抜け、都庁の側を

 通ったあたりで不意にリオンが歩を止めた。

「目標は……獅子渡だ」

「へ? マジかよ? 冗談だろ?」

「ふふ。残念だが冗談は好きでなくてね。それに令状は出ている。今の所は麻薬の密売だけだが……いずれ、殺人罪、殺人未遂罪、銃刀法違反、不正取引、偽造文書作成罪など、裏取引の全てを叩きつけて奴を裁くさ」

「さすが国際警察は違うねぇ……でもよ、なんでまたオレみたいな、役立たずを連れてきた? 自慢じゃねぇが腕力しか取り柄はないぞ?」

「ふふっ。獅子渡はありとあらゆる格闘技に精通した凄腕の男さ。いかに私とて容易く銃撃戦に持ち込むわけにはいかないだろう?」

「良く言うぜ……」

 微塵の迷いも見せずに銃を構えた彼の表情を思いだし、虎次郎は思わず身震いしていた。

「その話はするな。上から散々搾られたよ……キミと同じように、たっぷりの始末書と共にね?」

 リオンは虎次郎の表情を覗き込んだまま、静かに微笑んで見せた。

「キミを連れてきたのは、獅子渡と立ち向かえるほどの能力を持ったのは、他に

 いないと察したからだ。それに……奴は難攻不落だからな」

「まぁ、熊田の犯行手口を見ても、余程派手好きと見える」

「真っ赤なスーツに、ドクロを象った真っ黒なネクタイ。それに金髪。見るからにど派手な男だな」

(いや、リオンよ……その「派手」とは意味が違うんだけどなぁ……)

 苦笑いする虎次郎の前に、良く似た容貌の三人の男が立ちはだかった。虎次郎は思わず身構えた。

「……やる気満々だな。安心してくれ。彼らは、私と同じ国際警察の者達だ。皆にも紹介しよう。川原虎次郎君だ。見ての通り、私の援護を担当して貰っている。諸君らも彼の働きに恥じないように、しっかりやってくれたまえ」

「はっ!」

 格好良いな! 映画みたいな展開になってきたな。例えるならば、ハリウッドの凄腕刑事と、パワフルで男気たっぷりの良い男って役か。悪くないな。

「虎次郎君、行くぞ?」

「おおっ、気分はハリウッドだぜっ!」

 一人盛り上がる虎次郎に、リオン達は怪訝そうな眼差しを浮かべた。

「……ハリウッド?」

「あ、い、いや。なんでもない……さ、行こうぜっ!」

 目の前にそびえる巨大な獅子渡財閥の所有するビルに、虎次郎達は吸い込まれるように入っていった。

◆◆◆12◆◆◆

「おかえりなさい、熊田。よく戻って来ましたね」

 豪華な椅子に深々と腰掛けながら、獅子渡は熊田を見つめていた。穏やかな表情とは裏腹に、凍えるように冷たい眼差しであった。

「ああ、戻ってきたぜ。地獄の底からな……今までのギャラをもらって、こんな世界には、さっさと見切りを付けさせて貰うぜ。涼の為にもなっ!」

 獅子渡は不敵に笑いながら、リモコンを差し出して見せた。

「このリモコン、なんのリモコンだと思います?」

 弄ぶように掌の中で、リモコンを頃がしてみせる。

「ふざけるなっ!」

「……キミの体内にはねぇ、いくつか爆弾が埋め込んであるんですよ? トラン博士を御存知でしょう? 彼に依頼して超高性能の爆弾を仕掛けたんですよ。キミの、とっても……とっても、大好きな爆弾をね? ふふっ」

「でまかせをっ!」

 怒りに燃える熊の表情を見たとたん。不意に獅子渡の表情から笑いが消えた。

「……私は、嘘は嫌いなんですよ。信じていただけないみたいですね。それでは……これならば、私の話を信じて頂けますか?」

 不敵な笑みを浮かべたまま、獅子渡はリモコンのスイッチを押した。次の瞬間、熊の右腕から黒い煙が吹き出した。

「ぐあああああっ!」

 熊は右腕を抑えて転げ回っていた。

「あーはっはっはっ! どうやら本当だってわかってもらえたようですね? それに……キミは私から逃げることは出来ないんですよ」

「くっ……この、くされ外道がっ!」

「……何とでも言いなさい? さて。次の仕事です……侵入者を駆除して貰いましょうか」

 獅子渡の背後に置かれた巨大なディスプレイに、虎次郎達の姿が映った。熊田は大きく目を見開いたまま、硬直していた。

「どうしたのです? 出来ませんか? 息子さん――涼くんでしたっけ? 可愛い、可愛いあなたの息子さんを、手術して助けてあげたくはないのですか? 約束しましょう……これが最後の仕事です。銀狐の件は竜助にやらせましょう。如何です?」

「わかったぜ……」

 熊田は険しい表情を浮かべながら部屋を後にした……。

◆◆◆13◆◆◆

 ビルの中は奇妙な静まり返り方をしていた。広大なビルにも関わらず、人の気配が殆ど感じられなかった。

「奇妙な静けさだ。どうなっているのだ?」

 周囲を見回しながらリオンが怪訝そうに呟く。

 静寂に包まれたビルの中に足音が響き渡る。

「虎さんよ……あのときは世話になったなぁ……」

 突然、目の前に立ちはだかった熊田の変わり果てた姿に虎次郎は戦慄した。

「おまえ……どうしてここに、それに、その右腕! どうしたんだっ!? 何があった!?」

 虎の返事には応えず、熊田は銃を構えた。

「感謝するぜ。虎さんよ……」

「危ないっ!」

 熊田は躊躇うこともなく突然、銃を構えた。

 危険を察知したリオンは、虎次郎を突き飛ばした

「ぐあっ!」

「リオンっ!」

 熊田が放った銃弾がリオンの腕を貫通した。

「ちっ! 外したかっ!」

 くるりときびすを返すと熊田は逃げ出した。

「わ、私なら大丈夫だ……奴を追うんだっ!」

「判ったっ! お前ら、リオンの傷の手当てを頼むっ!」

 虎次郎は熊田を追い掛けて走り出した。

 何故だっ!? 何故あいつがここにいるっ! あの時交わした約束は! あの時見せた涙は、一体何だったんだ!

「待ちやがれっ!」

 どんどん熊との距離が狭まってゆく。もう少しで追いつくという所になって、突然、熊が立ち止まる。

「悪りぃな。涼のためにも……消えてもらうぜ」

 熊田の目は虚ろであった。どこを見ているのか判らない目線で静かに銃を構えた。だが、虎次郎は動じない。

「撃てよ。撃てるもんなら撃って見ろよ?」

 虎次郎は大きく両腕を広げて無防備な姿を曝け出して見せた。わざわざ自分の左胸を指さしながら、笑ってみせる。

「オレの命でお前の息子が救われるなら……幸せになれるなら本望だぜ……さぁ、どうした? お前は心優しい父親だろう? 息子のために……オレの屍を乗り越えていけよ? どうした? 出来ないのか?」

 銃を構えたまま熊田は震えていた。熊田の頭の中を過ぎる、息子、涼の笑顔……

『パパ、キャッチボールしようね!』

 すまない、涼……

『野球選手になれるかなぁ?』

 オレには……オレには撃てない……。

 そんな二人のやり取りを、獅子渡は見つめていた。

「ふん。甘いですね。臭い茶番劇に、友情物語りのおつもりですか? 滑稽ですね……」

 ディスプレイを見つめながら、獅子渡は不敵に微笑んで見せた。机の横のスイッチを押した……刹那……。

「うおっ!」

 突然、足下の床が開くと二人は奈落の底へと落ちた。

◆◆◆14◆◆◆

「いてててて……」

「くそったれっ! 結局オレをはめるつもりだったんだなっ!」

 二人は石で出来た地下の牢屋に閉じ篭められた。

 石の階段を誰かが降りてくる。静かな音をたてながらそいつはやってきた。

「その通りですよ、熊田……」

 獅子渡は不敵な笑みを浮かべながら熊田を見下していた。

「獅子渡っ!」

 熊が怒りを露にする。

「てめぇが……獅子渡か? へっ! いかにも悪人面だな」

 虎が吠える。だが、獅子渡はおかしそうに笑うばかりであった。

「何とでも言いなさい? あなた達は、今や私の掌の上で踊る……そうですね、孫悟空なんですよ。そして、私はさしずめ釈迦でしょうか? ははは!」

「なにが孫悟空だっ! フザけるなっ!」

 吼える虎次郎の表情を見つめる獅子渡の表情が、唐突に険しくなる。

「……お言葉には気を付けなさい? そこにいる熊田もろとも爆死したいのですか?」

 熊田の表情が一転して青ざめる。どういう事かと、虎次郎が熊田の方を振り返れば、獅子渡が笑う。

「ははははは! それでは、ご機嫌ようっ!」

「てめぇっ! 待ちやがれっ!」

 去りゆく獅子渡の背を目がけて、虎次郎はありったけの言葉を投げつけてみた。だが、獅子渡は振り返らなかった。

「こんなことして、ただですむと思うなよっ!」

「すまねぇな。またあんたに……」

 言いかけた所で虎次郎は遮った。

「気にするな。そんなことより、ここから脱出する手段でも考えようぜ」

 困難の最中にあっても、虎次郎は動じることなく堂々とした態度で、笑顔までさえ見せてみた。

「虎さんよぉ、オレの……この体の中には、爆弾が埋め込まれているらしくてな」

「なんだと? 奴の仕業か?」

 何かを決意したのか熊田が無言で頷く。そのまま静かに、壁の亀裂を指指してみせる。

「強烈な衝撃を加えれば爆弾は破裂する……あの壁を!」

「よせっ! そんなことしたらっ!」

「あぁ。もう、涼をだっこすることも、高い高いしてやることもできなくなるかもしれねぇ。だがな、オレはもう一度……息子の、涼の! 顔を見てぇんだっ!」

 熊田の決意は揺らぐことはなかった。静かに虚空を見つめながら、哀しそうに呟く。

「すまねぇ、涼……父ちゃん、おまえとの約束やぶっちまうことになるかもしれねぇ。男と男の約束だって指切りしたのになぁ……へへっ。針千本のんで詫びるさ……行くぜっ!うおおおおっ!」

 熊田は迷うことなく、壁に向かって突っ込んでいった。

「よせっ! 早まるなっ!」

 だが、熊田には虎次郎の声は届かなかった。

 次の瞬間、響き渡る静かな爆音……火薬が破裂して、熊のからだから煙が吹き出す。血が吹き出し壁を赤く、赤く、真っ赤に染めあげた……。

「へへっ。やったぜ……」

「馬鹿野郎……お前は最高の馬鹿だぜ……」

◆◆◆15◆◆◆

 玄関ホール前。ちょうど獅子渡は外出する所であった。

「この書類を出して置いて下さい」

「はい。畏まりました」

「おい、何処へ行くんだよ。このクズ野郎が……」

 背後からの虎次郎の声に、驚く獅子渡。

「なにっ!? ど、どうやって脱出し……まさかっ!?」

「ひっ、ひぃっ!」

 虎次郎に抱きかかえられた熊田の変わり果てた姿を見て、獅子渡は凍り付いた。

「そうさ……そのまさかさっ!」

 虎の頬を大粒の涙が伝う。

「てめぇは……てめぇはっ! 最低のクズヤローだぜっ!」

 熊の肩を抱きながら虎次郎がいきまく。

 だが、獅子渡は悪魔の笑みを浮かべて見せた。

「はっはっは! 素晴らしい友情ですねっ!」

 高らかに笑いながら獅子渡は盛大な拍手をしてみせた。

「しかし残念でしたね。まだ最後の……特大のがひとつ、残っているようですね」

「な、なんだとっ!?」

「仲良く消え失せるが良いでしょうっ!」

 獅子渡がリモコンに手を掛ける。

 次の瞬間、静まり返ったビル内に微かな爆音が響き渡る。

「ぐあああっっ!」

 熊の体から吹き出した白い煙が玄関ホールを包み込む。

「はははははっ! はは……はぁっ!?」

 白い煙の向こうに虎の姿が写るのを見て、獅子渡は再び凍り付いた。

 血塗れになり、髪を振り乱した虎次郎の姿は、まさに怒りに燃えた鬼神であった。虎次郎が修羅の表情で睨み付ける。

「てめぇだけは……ゆるさねぇっ! 男っ! 虎次郎っ! 親友のためにも……てめぇを……この手で打ちのめすっ!」

 虎次郎の脳裏に、熊田との記憶が蘇る。

『現行犯逮捕だ!』

 熊田を追い掛けたこと……。

『おまわりさんよ、聞いてくれよ』

 ビルの上での殴り合い。

『もう、涼をだっこすることも……高い高いしてやることもできねぇかも知れねぇんだぜ?』

 そして、地下牢での勇士……。

「親友の為にも……きさまをこの手で殺すっ!」

「ひぃっ! なんて奴なのですかっ!?」

「逃がすかっ!」

 リオンの恨み、熊田の無念……そして、このオレ、虎次郎の怒りを受け取れっ!

 慌ててエレベーターに駆け込む獅子渡。その後を追いかけようとした、その瞬間、不意に目の前を遮られた。黄色のタンクトップにグリーンのスーツ。揺るぎ無い表情で虎次郎を見上げる少年。

「パパ、ここはぼくに任せてっ!」

「ははは。さすがですね、竜助っ!」

「てめぇっ!」

「キミの相手はぼくだよ? 虎さん?」

 不敵に笑う竜助は静かに両手にナイフを構えてみせる。

(この小僧、ただものじゃあ無さそうだな……)

「虎さん、ぼくが相手だよ? パパの邪魔をさせるわけにはいかないんでね」

「パパだと!? それじゃあ、お前は獅子渡の?」

「そうさ。ぼくの名は獅子渡竜助。さぁ、行くよっ!」

 小柄な体を活かして、身軽な動きで虎次郎を翻弄する竜助。両手に持ったナイフを変幻自在に振り回しながら、虎次郎の周りを跳ね回ってみせる。まるで、時間稼ぎをするように……。

「ちょこまかと、うっとうしい奴めっ!」

「あっはっは! どこを見ているの? かすりもしないよ!」

 竜助は可笑しそうに笑って見せた。まだ若いながらも、その確かな戦闘能力に虎次郎は圧倒されていた。腕力は無いが、素早さが竜助にはあった。素早い動きに翻弄され、ジリジリと体力を奪われていく。

「ははは。そんなんじゃあ、パパには勝てないよっ!」

 馬鹿にしたような口調で嘲笑う竜助の表情を見つめながら、虎次郎は何かを考えていた。

「なるほどなぁ。ふふっ、良く考えたら……てめぇは、あのクソヤローの息子なワケだろう? ガキだから手加減してやろうと思っていたが、てめぇには手加減は必要ねぇってワケだな……覚悟しなっ!」

 一気に虎次郎の形相が険しくなる。

「……容赦しないぜ、坊主?」

「ああっ!」

 いきなり虎次郎の放った豪快な突きが竜助の鳩尾を直撃した。呻く竜助。だが、倒れる間もなく凄まじい勢いの蹴りが竜助を跳ね上げた。喉の奥にこみ上げてくるモノを竜助は感じた。

「まだまだだぜ……クソガキっ!」

 一気に振り下ろされた虎次郎の剛腕は、竜助を激しく床に叩きつけた。

「う、うぅっ……」

「思い知ったか、小僧?」

「お、お前なんかパパに……やられちゃえ……ああっ!」

「黙れ、小僧? その小さな手を踏みつぶされたいか?」

 ニヤリと笑いながら虎次郎は竜助の柔らかな手を、ゲタで踏みつけて見せた。

「ああああああっ!」

「じゃあな、坊やっ!」

「うぐっ……お、覚えていろ……」

 竜助は、力無く沈んでいった……

 手間取ったが……いよいよ、貴様と決着を付ける番だぜ、獅子渡っ! 首を洗って待っていやがれ。虎次郎は獅子渡の後を追ってエレベーターに駆け込んだ。

◆◆◆16◆◆◆

「……これは驚きましたね。竜助を倒したのですか?」

 外の景色が良く見える見晴らしの良い部屋――そこに奴はいた。エレベーターの表示は地上六十階を示していた。

 虎次郎はその表示を追い、奴の私室を訪れたのだ。

 獅子渡は取り乱すことなく、真っ赤な血の様な色合いのワインを傾けてみせる。

「見てご覧なさい? 美しい景色ですよ。この風景、全てを自分のモノに出来たら、どんなに素晴らしいか? そうは、思いませんか。虎次郎君?」

「つまらんご託はどうでもいい。さっさと掛かってきなっ……」

「それにしても竜助も不甲斐ないですねぇ。ネズミの一匹も始末できないような、ダメな子供に仕立て上げたつもりは無いのですが……。ふふ、あの子は相手を見くびるクセがある。冷静に相手を見据えなくてはいけません」

 獅子渡は静かに立ち上がると、外の光景を目で追ってみせた。

「百獣の王、ライオンは、いたいけな兎を狩るにも、全力で挑むそうですね。息の根は……確実に止める必要があるんですよ。例え、相手が……どんな、相手であってもね?」

 不敵に笑う獅子渡は、胸ポケットから一粒のカプセルを取りだして見せた。

「……これ、なんだか判りますか? 私が独自に開発させたドラッグの一種でね。一時的にですが筋力を極限まで、上げる効果があるんですよ……」

「てめぇ、可哀想な奴だな……」

「ふふっ。そうですか? 最強の強さを私は得たのです。可哀想では無いと思いますがね?」

 不敵に笑うと、獅子渡はカプセルを飲み干した……

「……ぐああああああっ!」

 虎次郎は信じられない光景を目の当たりにした。

 目の前では獅子渡の筋肉が膨れ上がっていた。一気に膨張していく獅子渡の肉体に、虎次郎は、ただただ戦慄と驚愕を覚えていた……。

「……さて、はじめましょうか?」

 ニヤリと笑うと、獅子渡はいきなり飛びかかってきた。

「ぐあっ!」

 その凄まじいまでの重みのある一撃に虎次郎の巨体が吹っ飛ぶ。跳ね飛ばされた衝撃で、植木鉢に直撃した。

「ははは! 口だけですねっ!」

「なめるなよっ!」

 虎次郎の心の中に熊の笑顔が蘇る。

 あんな息子思いの気の良い親父を、あんな酷い目に遭わせた、こいつだけは許しちゃいけねぇっ! 心の中で、そう叫び自らを奮い立たせた。

「くたばれっ、化け物っ!」

 虎次郎の強烈な蹴りが獅子渡の腹に決まった。だが、獅子渡は全く動じた様子も見せるこることなく、不敵な含み笑いを浮かべる。

「ぬるいですね……。私が、別名『ブラッディ・レオ』と呼ばれている理由をみせて上げますよ……ご覧なさい?」

 いつのまにか獅子渡の両手には、熊手のような武器が装着されていた。まさに血のように赤い色をした爪が夕日を浴びて、不気味な光を放つ。

「はぁっ!」

「くっ!」

 避け損なった虎の胸に三本の横筋が走る。服の破片がひらりと舞うと、鮮血が吹き出した!

「ぐああああっ!」

「はははははっ!」

「く、クソヤローめっ……」

 虎次郎は痛みを堪えながら窓際に這っていった。

「鬼ごっこですか? 良いでしょう。でも……残念ですねぇ。鬼は、あなたですよっ! やああっ!」

 獅子渡が放った渾身の力を込めての突き。その行動を待っていたとばかりに、虎次郎は一気に身を翻した。

 超人的な腕力を身につけた獅子渡の前に、強化ガラスは薄氷同然のものでしかなかった。勢い任せの窓ガラスを突き破ると、そのまま転げ落ちた。

 それでもなお、獅子渡は左手を割れたガラスの破片に手を食い込ませながら、落下を免れようと試みていた……。

「ひ、ひぃーっ! た、たのむっ!助けてくれ!」

 形勢逆転。一瞬の隙が、勝利を確信した彼を一気に敗北へと導いたのだ。

 情けなく命乞いをする獅子渡を、軽蔑するような眼差しで、哀れみに満ちた嘲笑を浮かべて、虎次郎は見下していた。

「貴様にはプライドはないのか?」

「私を見殺しにする気かっ!? 欲しいものならなんでもくれてやる! 愛する竜助を残して死ぬ訳にはいかないのだっ! だからっ!」

「竜助は……てめぇの息子は可愛いか?」

 今度は虎次郎が悪魔の笑みで、微笑み返す。

「ああ、当たり前だっ! 私の、最愛の息子だっ!」

「……熊田に取っても、息子は……最愛の存在さ。だがっ! 貴様は……そんな、父親の命を奪ったワケだな……」

「な、何を言っているっ! あれはっ!」

「黙れ、腐れ外道! その自慢の肉体があれば、この高さから落ちても平気だろう? あんたが手にした、あんたの街に、精々気が済むまで……キスでもしてやりなっ!」

 虎次郎は不敵に笑うと、そっと彼の部屋を後にした。

「じゃあな。クソヤロー……」

「……あ……あ!……ああっ! お、落ちるっ! あああああっ!」

 獅子渡剛三は死んだ。地上六十階から地面に叩き付けられて。自らの居城で、王者は死を迎えたのであった。

 エレベーターに揺られる虎の頬を、涙が伝う。

「……熊田、お前のかたきは取ったぜ……。親友よ、短い時間だったが、お前と出逢えた事をオレは誇りに思うぜ。どうか安らかに眠ってくれ、親友よ……」

◆◆◆17◆◆◆

 まだ硝煙の香りの残る玄関ホール前に、リオンが立っていた。相変わらずクールに振る舞ってみせる。

「虎次郎君、ご苦労であったな。友が……キミの帰りを待っているぞ?」

「へっ!?」

 虎次郎の肩をポンと叩くとリオンが笑ってみせる。あろうことか、熊田は生きていたのだ!

「へへっ! オレがそうそう簡単にくたばるかってんだ……いててっ!」

 立とうとしてよろけて虎に抱きつく熊、、

「……ありがとよ、親友っ!」

 耳元でそっと熊田が囁く。虎次郎は彼を力一杯抱きしめると雄叫びのような声で、泣いた。

「ばかやろうっ! 死んじまったかと思ったんだぜっ! てめぇなんかな……てめぇなんかなぁ……こうしてやるぜ!」

 熊の唇に虎が唇を重ねた。

「うぐっ!……ぷはぁっ! ば、ばかやろっ! 窒息しちまうだろっ!」

「わはは! 気色悪いだろ!? ざまぁみやがれってぇんだ!」

◆◆◆18◆◆◆

 獅子渡の死後も様々なエピソードが残された。

 リオンがその人脈をフルに活かして、獅子渡の財産から熊田親子に多額の資金援助をしたとか、涼の手術が成功したとか、虎次郎は相変わらずダイエット出来ず仕舞いとか、リオンが日本にすっかり居着いてしまったとか。

 そう。今回の騒動でリオンは上の連中と多いに衝突したのだ。

 獅子渡の事故死……資金の勝手な流出に、熊田の犯罪を裏工作で帳消しにしたりと……。虎次郎は、そんな彼を最高の相棒と思った。

 そして事件から三年の月日が過ぎようとしていた……。

◆◆◆19◆◆◆

「ふぁーあ」

「うわぁ。虎さんでっかいあくびだねぇ……」

「こう平和だとよ、ヒマで、ヒマでしょうがねぇのよー」

「あのー」

「はいはい、なんでがしょ? おろぉっ!? お、おまえもしかして……熊田かぁっ!?」

「へへへっ! 元気だったか?」

 熊田の脇から少年が顔を出す。照れくさいのか、落ち着かない様子で虎次郎にチラチラ目線を投げ掛ける。

「こら、涼! 虎のおじちゃんにあいさつしろ!」

「ああ、あ、あの……こんにちわっ!」

「おお、キミが涼君かぁ……すっかり元気になったようだなっ!?」

 でかい手で、涼の頭をくしゃくしゃにしながら虎次郎は豪快に笑った。涼もつられて大笑いした。

「よーっし! 今日は天気もいいから、魚でも釣りに行こうかっ!?」

「え!? ちょっと、虎さん、仕事は……?」

「狐君、友達甲斐ないなぁ……後は、頼んだぜ」

 ニヤリと笑うと、虎次郎は熊田親子をパトカーに乗せた。そのまま、何を思ったのかサイレンを鳴らし始めた。

「お、おいおい……大丈夫なのか?」

 熊が苦笑いする。

「なーに、高速走るより速いぜーっ!」

「ちょっと! それは、まずいっって、虎さんっ!」

「堅いこと、言うんじゃねぇよぉ……んじゃ、出発ーっ! はーいっ! 目の前ちんたら走っている、板橋ナンバーの車ー! そうそうあんただよ! さっさと道を開けないと公務執行妨害で逮捕するぞー!」

「無茶苦茶なこと言っているぜ……良いか、涼? こういう大人になっちゃだめだぞ……」

「なんだとぉっ!?」

「わーっ! バカっ! 前見て運転しろっ!」

「うわーいっ、虎のおじちゃん、最高っ!」

「わっはっは! 涼君は話が判るじゃねぇかっ!」

「おいおい、涼……それじゃあ、父ちゃん立場ないぜぇ……」

 二千一年Tokyoシティ。春。今日も平和であった。そう、とっても平和であったと言うことに、しておいてあげよう……。

◆◆◆20◆◆◆

 だが、不穏な動きをする者達の姿がそこにあった。

「ボス、ブラッディ・レオからの連絡が途絶えました……」

「……何かあったのですか?」

 椅子に深く腰掛けた男が、怪訝そうに振り返る。

 不意に誰かが部屋のドアを勢い良く開ける。ざわめく部下達の声に気付き、静かに男が振り返る。

「お前は……竜助ではないですか?」

「伯父さん……パパの……パパの! 敵を取ってっ!」

「何があったと言うのですか? 話してみなさい?」

「ううっ、あいつらが……あいつらがっ!」

  THE END