2003年2月28日 (金)  やられた…

やられた…


 朝のことである。ニッキの排尿を済ませてから室内に収容してもう一眠りとベッドに潜り込む。…ゴリゴリゴリゴリ、サクサク…。ミルクボーンを噛んでいるのだろうと思って安心し、リズミカルに刻まれる音を子守唄代わりにウトウトとしていた。ややあって、「ゴトン」とフローリングに響く音。半睡状態ではあってもそれがミルクボーンを落とした音ではないことは明らかだった。もしや?…と思って枕もとをまさぐる。携帯電話のあるべき場所を。

 ない。この時点で、携帯を持って行かれたということのあきらめはついていた。問題は被害の程度だ。たしかバリバリという音は聞こえなかったように思う。この間ほんの数秒の判断だったと思うが、ベッドから跳ね起きてニッキが手で覆い隠している物体をもぎ取る。思った通り携帯だった。ただ、幸いにも折り畳まれた形のままであり、展開して噛み砕くというようなところまでは行っていなかった。液晶画面のある側の縁に牙で穿った穴がいくつか刻印されていた。最悪のケースはバラバラにした携帯をニッキが飲み込んでしまうことであり、その手前は携帯が使用不能になることである。それにくらべればまぁ軽微な損害であったと思わねばなるまい。少しずつ価格が下がるのを店頭でチェックしながら漸く手に入れたカメラ付き携帯。使い始めてから3ヶ月。自分は物は結構大事に使う方で、今までも細かい傷はついたもののほぼオリジナルのまま維持してきた。そう思うと少々残念だが、ちょうど良い使用感のある状態になったと思い、あきらめることとしよう。これからは就寝時の携帯の置き場所には注意しよう。

2003年2月27日 (木)  遣り残したこと

遣り残したこと


 時々学生時代に戻った夢を見る。楽しい夢なら良いのだが、決まって単位を取り損ねたり、当日の試験科目を間違えてパニックになったりという夢だ。予告もなく訪れたピンチの渦中にあっていつも、「あぁ、しまった。もっとしっかりと準備しておけばよかった…」と悲嘆に暮れているのである。実にいやな夢だ。ところが、目が覚めてしばらくすると「あぁ夢で良かった」という気持ちとは裏腹に、あのような酷い状況でもいいから戻ってみたいという気持ちになってくるのだから不思議だ。

 なぜ、こんな夢を続けて見るのだろう。別段不満の多い日常を送っているというわけではないのだが、もしもあの時、という局面が何度かあった。恐らくは誰にでも訪れるチャンスというものであろう。もちろん、その選択や僥倖が長い目で吉と出る保証などなく、下手をすればいい気になってトンデモナイ人生を送っていたかもしれない。だが、たしかに当時の自分を信じていなかったために思い切った決断ができなかったという後悔の気持ちはある。過去の失敗という夢はそういった煮え切らない生き方への無意識の反動のようにも思えるのだ。それにしても夢は神秘に満ちているが、何故に自分自身を苦しめるような内容を持つのだろうか。徒に自身を傷付け、苦しめるような無意味な機能を脳は維持したりするのだろうか。必ずや積極的なメッセージが含まれていると確信するのだが、未だ明確なヒントは得られない。

2003年2月26日 (水)  お引越し

お引越し


 昨年度からの勤務先となっている教室が移転することになった。内装や備品の搬入などの都合で移転期日がハッキリしなかったのだが、本日「3月3日からは新教室での授業となります。お間違えなきよう」との案内が配られた。移転先はピカピカの駅ビルの2階ワンフロアである。家からは歩いて3分ほど遠くなるが、それにしても10分かからないのだから贅沢は言えない。

 今までは駅近くのノッポビルの2階から5階を使っていたのだが、各フロアには2教室しか設置できず、父母会や子ども会を打ち抜きのスペースで行うことができなかった(何度も同じ話を繰り返さなくてはならなくなる)。また建物も築後10年を超えており、排水やエアコンの運転能力の面でも限界が近付いていた。さらに、事務室からの生徒の監督も行き届きにくく、近年の生徒増もあって、ついに駅ビルの2階ワンフロアに移転することとなったのである。ただ、エレベータを使わずに、外階段を使って4階、5階と上って行くと、遠くに丹沢の山並みが見え、早朝や夕方などには元気をもらうことができた。その景色とお別れしなければならないことは少々残念ではある。

 塾は設備ではなくスタッフの熱意と授業の質だというのは尤もであるが、同じ系列塾でも設備や交通の条件が教室選びの決定打となってしまう。自身、新築の建物(マンション)にオープンした新規教室を1年間担当したことがあるが、エアコンの温度調整も均一であり、トイレもホテルの化粧室のようで快適だった。当然、机や椅子も最新型が投入されるので、実績に拘らなければ設備だけで(他に問題がなければ)入室する生徒も多かったと思う。

 さて、これで資料の置き場やプリントのトレーも充実させられるし、壁には今まで以上に面白いトピックを貼り付けることができる。少し早めに教室に入って、仕事をしよう。でも、教室もピカピカ、設備も最新鋭となって、実績が出なかったら何としよう? 言い訳のできない立場に追い詰められたのかもしれない。

2003年2月25日 (火)  リンク訪問

リンク訪問


 新しくオープンしたホームページ、そして縁あってめぐり合った方のページへと2つのサイトに本日サモエド共和国からリンクを張らせていただいた。リンクを張ることにより、友人として、またその人の飼っている犬やネコに対して今までよりずっと親しみを感じるようになる。たまに訪れて工事中だったり、冬眠中(笑)だったりするとBBSに一言おせっかいな辞を残さずにいられなくなる。Not FoundやForbiddenの真っ白いメニューが出るとその方の安否を気遣ってしまうこともある。こうしてみるとリンク張りは決して形式的な儀礼ではないように思う。

 ここでは、リンク集は「サモエド国際空港」という名でまとめているのだが、実は自分自身でこのページを利用したことはあまりない。というのも、ここに登載されているものはすでに「ショートカット」や「お気に入り」に登録されており、五十音順になど整列されていなくても、日々一定の順路でアクセスすることができるようになっているからだ。そうではあっても、「サモエド国際空港」のページを増補し、コメントを入れ、ときに覗きに行くのは楽しい。この人とはどこでどのようなキッカケで知り合ったんだっけ、最近会ったのはいつだったかな、と懐かしい顔や会話を思い浮かべることができる。標題をクリックすればその人の心の中に飛び込んでいける、友人のリストなのだと思って眺めるとつらい時、悔しい時にも勇気が湧いてくるのである。

2003年2月24日 (月)  屋内トレーニング

屋内トレーニング


 朝からの霙混じりの雨。前回のトレーニングは関西旅行のためにお休みしたので、今日トレーニングを受けないと1ヶ月以上のんびりしてしまうことになる。そうすると怠け癖が付きそうな気がして、雨の中のトレーニングでも構わないのでお願いしようと思っていた。だが、先生も午後の部(小型犬の部)のレッスンがあるので負担もかかる。どうしようかと思っていたら、幸い今日の、大型犬の部の参加者が自分とニッキだけとなったこともあり、クッキーさんの店内を使わせていただけることになった。

 今日トレーナーさんから出された課題は、行動範囲が限定される中で、他の犬(今日はクッキーちゃんも参加)が近付いてきても誘惑に負けずに「マテ」を徹底させることと、他の犬との遊ぶ上でのルール遵守させることだった。ニッキにもクッキーちゃんにも普段の遊びの時間とは違う時間なのだということは直感的に理解できるようで、精一杯コマンドを受けようとする姿が健気だった。それでも広場でのトレーニングとは異なって、ニッキのクッキーちゃんと遊びたい気持ちが逸るのだろう、禁止した行動を制止するときには抵抗も激しく、いつもより噛み方も強かった。トレーニングの根気が続かなくなってニッキがグズり出した後もなお、午後の小型犬の部開始ギリギリまで「マテ」と「フセ」のトレーニングを続け、こちらも汗でびっしょりになった。ニッキとの長旅などを通じて、関係も深まっていることもあるのだろう。以前より自分の表情を気にしてくれるようになったという進歩をトレーニングを通じて確認した。とはいえ、本当に必要な時、緊急の時に「マテ」のコマンドが有効なのか、パブリックスペースで静粛を保っていられるかと言えば自信がない。時にはニッキを押し倒し、ニッキに手ひどく噛まれる時間を通して達成せねばならない課題もある。

お古のベスト
      雨の日はベストに身を包み…

 お店からの帰り道、雨は雪に変わっていた。家に着いてニッキの体を拭き、たっぷりと水を飲ませる。風呂に湯を張り、着替えを済ませて入浴する。小太郎と遊んでできた切り傷や噛み傷のチクチクする痛みとは違って、赤紫に内出血しているところに鈍痛を感じる。だが、これもニッキとのコミュニケーションの痕と思えば痛みも気にならなくなっていく。

2003年2月23日 (日)  ヘンな先生

ヘンな先生


 昼から夜までの特別講習。いわゆる「ダブル」といわれる出講組みで、冗談半分に、何人かの先生が亡くなるといわれる講習時の連発終日授業に次いでハードな授業である。今日は普段受け持っている教室ではなく、電車で10分ほど乗ったところにある大きな街の教室に出かける。近隣の教室から選抜された「腕に覚えのある」生徒たちが集まってくるクラスを、夏までほぼ1月に1回のペースで担当する。

 初めて会うメンバーたちはそれなりに自信に満ちたというかナマイキな表情をしており、授業が始まる前から講師溜まりの近くに現れては、担当者の名前を問う「強行偵察」を繰り広げる輩がいる。例年の光景だ。出席を取り、配り物をしながら40人を超える生徒たちの動きを観察する。こちらが何かを話す時の彼らの注視の度合いや、騒がしさの中から耳がキャッチする軽口やジョーク、机の上の状況なども実は授業を展開する上で、しかも初回の授業に臨む際の重要な情報源となるのである。活発そうな数名を座席表で位置確認して、別の話をしながら名前を覚えてしまう。もちろん、急に指名して嚇かすためではなく、アンカーとなるようなキーパーソンに、まず勉強以外のことで話しかけて雰囲気作りをするためである。その際に、名簿を見てではなく、名前を呼べばニヤニヤしている自分と真正面から向き合わなければならない。子どもたちのペースに迎合するような方法は自分の性格からしてできないことだが、子どもの息づかいに耳を傾けることなしに授業は成立しないのである。「講義」という言い方より、小学生の場合「授業」という言い方がしっくりするのは、おそらく、授け受け取るという対応関係が必須のものだからに違いない。

 漸く授業に入れるような状況になり、何か特別なテクニックを教えてもらえるのだろうと期待している生徒に対して、毎年最初に述べるのは「読む」ことの意味、「書く」ことの意味である。それらの行為は心により裏付けられているのだから、読むのにも書くのにも思いやりの気持ちがなければならない、と。進学塾の講師としてはあまり多くないタイプかもしれない。が、何回か授業を続けているうちにそれが決して入学試験の解法と無関係ではないことが、わかる子にはわかってくるのである。今日、初めて自分と会った少年少女はヘンな先生がヘンなことを言っていたと感じていることと思う。結構なことである。

2003年2月22日 (土)  大納戸攻略戦

大納戸攻略戦


 少しずつ暖かくなってきた。ぼんやりと過ごすにはちょうど良い季節になろうとしているが、今年は例年より早く大納戸の整理に取りかかっている。古いエアコンや昭和50年代のステレオセットなど、捨てるに捨てられないものが場所を占めているのだが、別に懐古趣味を満足させるような部屋を作ろうという気もない。今年は思い切って捨てることに決めていた。幸い、エアコンは伊東の小春の受け入れ先で小春用に引き受けてくれることになったが、木材やら植木鉢やら捨てて良いものか迷うものは多い。余剰品をちょうど欲しがっている人がいればいいのだが、現在は余剰品はどこの家庭でも増殖する傾向にあるようで、この点の需給関係は偏っているようである。

 時間を見つけ、自分と母が2交代制で整理を進めていく。この作業の間は食堂というよりは飯場という趣を呈する。人が2人、犬、ネコとバラバラに食事を取っている。現在は落盤のあった炭坑のような感じなのだが、夏までにはバックヤードと呼べるようなお洒落な空間に設えたい。人間も腸にしこたま溜め込んでいると肌が荒れるという。難所の大納戸が美しくなれば、他の部屋も、そして生活姿勢まで整うのではないかとそんな気がしている。

2003年2月21日 (金)  春の匂い サイレン

春の匂い サイレン


           白ライオン

 冬至を遡ること2ヶ月、10月の末には随分と日が短くなってきたものだと思ったものだが、冬至から2ヶ月を経過しようとするこの2月の下旬、今度は逆に随分と夕方が明るくなったなと感じるようになった。日の当たる時間には足元暖房だけで事が足り、朝の定例となっているニッキの排尿に付き合っても、体がキュッと締まるような感じではなく、外気に暫らく身を当てていても震えは訪れない。雪の残る山々を照らす日の光もほんのりと暖かい黄色を帯びているようにさえ見える。暦では依然として冬のままだけれど、最も冬らしさを感じる2月という月の終わりは早春の3月につながっているのだということに気付く。頭からではなしに体がまず気付くのである。

 仕事も終わろうとする時、教室の外からけたたましい消防車のサイレンが聞こえてきた。何台も何台も通り過ぎていくようである。どちらの方向に向かっているのかわからない。仕事を終え、今日は急ぎ目に教室を退出した。駅前通りの渋滞から判断して、幸い、消防車の向かう方向は我が家とは逆の方向だったが、それでも早足で自宅に向かった。我が家近くのブロックは平穏のようである。自室でスヤスヤ眠るニッキを見てやっとホッとした気持ちになった。

2003年2月20日 (木)  壁飾り

壁飾り


 米子にお住まいの犬友だちOさんから素敵な壁飾りが届いた。毎年1〜2作程度、ニッキの表情や姿態をモチーフとして制作をお願いしている。特殊な粘土で整形し、それを焼き物のように焼成するらしい。毛の1本1本までを優しいタッチで表現され、ニッキの特徴を実に良く表している。Oさん自身、ボルゾイ、そして今はボーダーコリーと暮らしている方である。ニッキの写真数枚だけでこれだけ的確に特徴を捉えることができるのはおそらく犬への深い愛情あってのことと思う。一番最初の作品もすでに1年以上経過するが、退色のないのが見事である。今回は第3作目としてニッキのヘソ天ポーズをお願いし、昨日それが到着した。それにはかわいいオマケも付いていた(下画像参照)。凛とした目の表情は実物よりも賢げにも見えるが、遠くの音に耳を澄ます時のニッキの表情そのものである。

かわいいオマケ

 たった今も、今回の壁飾り同様、ウラメシヤ〜ポーズで口をパクパクさせて寝ているニッキがいる。次作はどのようなおもしろいポーズをお願いすることになるだろうか。今年の秋に予定している九州旅行の途中、往路か復路かはわからないけれど、ぜひOさんのお宅、あるいはボーダーのバロン君の遊ぶ散歩道にも立ち寄りたいと思っている。そして第4作目はできれば直接受け取ってみたいなと。

2003年2月19日 (水)  小太郎はまだ0歳

小太郎はまだ0歳


 小太郎もだいぶ我が家に慣れ、半家ネコから家ネコに出世した。ニッキとの関係も良好で、お互いに害意はなく、遊び相手であるとの認識が固まってきたようだ。考えてみれば小太郎が我が家にやって来たのは昨年の7月。とすれば、当時の大きさから考えるとその年の4月頃の生まれということになろう。すでに我々から大人のネコとしての扱いを受けてはいるが、まだ1歳にもなっていないということに驚く。まあ、人の定めた時間の区分にネコの成長を当てはめてみることは意味のないことなのかもしれないが、少なくとも1年というネコにとっての期日が人とは相当に異なるものなのだということは発見できる。

 時間というものが動物の種によって別々の意味を持つというだけでなく、人として数十年生きていると自分の頭の中にあるできごと同士の時間の距離感、相関というものが次第に緩やかになってくる。この国道をついこの前も雨の日に走ったなぁ、いつだっただろうと思い出してみるとそれが20年以上も前だったり、「懐かしい」という感情がたかだか4ヶ月の時を置いて生じたり…と。そしてまた、心の中にはっきりと浮かぶ、コタツに入って見上げた安っぽい照明器具、煎餅布団の隙間から見た曇り空など、決して人生の決定的瞬間でも何でもない光景があるのだが、そういった印象が時間という次元を無視するかのように、当時の五感までが立体的に再現されていつでも頭の中に貼り付いている。そうした心象風景が、もしかしたら自分の性格の根幹をなしているのかもしれないとふと考えることもあるが…。もし、意識すれば可能であるのなら、今この時、ニッキや小太郎がいたこの時を、自分の最後の日にも優しい気持ちで温めることができるように、そう願いたい。

2003年2月18日 (火)  休憩という名の誘惑

休憩という名の誘惑


 ある程度の集中力でよい仕事ができたというときは腹が減る。また、ちょっと気持ちにゆとりができ、手付かずだった細かい仕事にも気持ちが向かう。空腹を満たして周囲がすっきりすると、あれ不思議。今度は「本業」に着手する踏ん切りがつかなくなっている。少し気晴らしに、という気持ちでHPを巡回していると、そうだ、そろそろファイルのバックアップを取らなければ、溜まった画像をCDに焼いておかなくてはクラッシュしたら大変だぞ…、とどんどん脇道に逸れていく。そんな感じで、初めて買ったデジカメで前の犬を撮影したときのコンパクトフラッシュの行方が心に引っ掛かってしまった。別に今すぐに見つけなくても良いものなのだが、心が暴走を始めるとそれを抑えるのはなかなか難しい。一種の神経症のような気配を感じながら、その衝動に飲み込まれてしまっては人間として負けになる。頭も体も、まったくその気がないのを承知で無理やり机に向かう。自分の行動をコントロールすることができたら、世の中の大概の望みは叶うのではないかとさえ思う。

2003年2月17日 (月)  散歩、大納戸の整理

散歩、大納戸の整理


 午前中の雑務を済ませてからニッキと一緒に表に出た。家を出る段階からニッキはいつもにも増して興奮している。「静かに」「ゆっくり」などのコマンドをかけながらリードに繋ぐ。いつものように、自転車に乗ったまま「ツケ」「マテ」「フセ」の訓練をしながら馴染みの横山公園へ。ぽつぽつと梅も咲き出していたが、梅の木が養生中の芝生の中にあるのでニッキとの記念撮影は見送った。いつも入れないような場所ではないので、次の機会を狙おう。公園の中の最も距離の長いコースを取って好きなだけ匂いを嗅がせながらゆるゆると移動する。旅の途中とは異なり、自分の匂いの確認をするような安心した所作である。

 公園を出て、クッキーさんに立ち寄り、関西から戻った旨の挨拶を済ませる。サモ友のAさんが昨日お店に立ち寄ったという。またもやニアミスだ。お店の方のご好意でクッキーちゃんをカウンターから出してニッキと遊ばせてくれる。決して大人しく遊んでいるわけではないが、ニッキのクッキーちゃんに対する強い想いを理解していただいている。久しぶりで彼女に会えたニッキはやや興奮気味で、後ろから抱き付くのを制止しようとした自分の手をかなり強く噛んだ。本気ではないものの「人の恋路を邪魔をするなよ!」という意識が見て取れた。これ以上昂ぶると良くないと思い、フセとマテをさせてからお店を出ることにした。

 家に戻り一息付いてから、まだまだ先の長そうな大納戸の整理に着手する。今年1年でどこまで進むだろうか。スチールラックを組み立て、雑然とした周囲を見渡しながら整理の基準を定立する。基準は粗くても細かすぎても意味を持たない。それにしても人は常にいろいろな思いを抱えて前に進む。少年時代を含めて、何の悩みも持たずに頭の中を空っぽにできた日というのは果たしてあったのだろうか。物心つくということは同時にまた様々な煩いを常に心に帯びるということなのかもしれない。

2003年2月16日 (日)  雨よやんでよ

雨よやんでよ


 ニッキとの散歩の計画が空振りに終わり、手持ち無沙汰だった午後に賑やかな来客があった。塾で1年間教えてきた卒業生たちだった。彼らは皆第1志望の中学への合格を果たし、天気とは裏腹に日本晴れの笑顔であった。自宅にあっては、教室の中ほど自分がうるさくないことを、何度か我が家を訪れていた先遣隊の数名は知っている。初めて我が家を訪れるクラスのリーダー的存在が、「家の中では帽子を脱げよ!」とやんちゃな子をたしなめている。「まあ、いいからいいから」とリビングに通す。ちょうど退屈していた小太郎に良い遊び相手ができた。小太郎に餌のカリカリを与えたり、手製のネコじゃらしを使ったりと小太郎と遊んだり遊ばれたりと忙しい。訪問客は5名と結構人数が多いため、ニッキの「お目見え」は、自分がカラーを軽くつかんでの10分程度だったが、彼らは代わる代わる、時には一度に「お手」や「おかわり」を命じて微笑ましいコミュニケーションを取っていた。犬、ネコのどちらが好きか聞いてみたところ、犬派が3、ネコ派が1、とくになしが1名だった。

 かつて、ちょっとした過ちで夜の間にリードが引っ掻かっているのに気付かず、首を吊るような形で愛犬の命を落としてしまった一人の子が、「あれは自分たちが殺してしまったようなものだ」と寂しそうに呟いていた。単なる過失と片付けることができず、きっと悲しい心の傷となって残っているに違いない。その子はニッキの背中を何度もさすり、お腹に顔を近付けるように愛しい気持ちを表してくれた。「そのうち、また犬を飼えるといいね」とそんなことを話し、少しでもつらい罪の意識から解放されることを祈った。そして、そういう純粋な優しさを持つ子どもたちに1年間接することができたことを幸せに、誇りにも思った。

 まだ降り止まぬ雨の中、賑やかな一団は、その中の一人の家に遊びに行くのだと言って元気に我が家を後にした。

2003年2月15日 (土)  3年と1日目の寝顔

3年と1日目の寝顔


 飼い主を無条件に信頼して安んずる。そんな気持ちを絶対に裏切れない…。そういう人がこのHPに、そして他の友人たちのサイトに集ってくれることがどんなに嬉しいか!

 サモエドパンチ君の「処分」を巡る衝撃はただ自分一人だけのものではなく、多くのサモ友の日記そして書き込みに、やり切れない心情が吐露されていた。厳しく飼い主の姿勢を弾劾するものもあれば、穏健にパンチ君の死を悼むものもある。表面的には矛盾する意見であるようでいて、いずれもパンチ君への深い哀悼の意が看て取れる。多くの方が言葉を飾らず、ありのままの気持ちをぶつけていたのは恐らく、「我が子にもし…」の気持ちがあってのことと思う。サモエドのブリーダーさんの家の書き込みでも「その子がもし、我が家出身の子だったら…」という沈痛な気持ちが言葉になっていた。しかし、仮定の話ではなしに、現実にこの地上に生を享け、信頼する飼い主に微笑を振りまいていたパンチ君が帰ってくることはもうないのだ。

 一緒に暮らす犬と別れなければならない事情は様々であろうし、やむを得ない背景もあることと思う。ただ、命、それも共に仲間として、家族に準ずる形で暮らしてきた命への接し方には細心の意を注ぎ、なしうる限りの手段を尽くして欲しいものだと願う。自分の立場からただ願うことしかできないが、パンチ君以外にも以前雑誌に掲載されていた虐待されるサモエドの話なども未だに忘れることができないでいる。犬やネコの虐待の話を聞くと悲しく、全てのことがつまらなくなってくるのはなぜだろう。自分を慕い、頼ってくる存在は守ってやらねばならないという人間の持つ健全な本能に根ざすプログラムに違反しているからなのではなかろうか。理と情、この2つの微妙なバランスの調和を取ることを放棄しないことが人としての務めであるように思う。

2003年2月14日 (金)  ニッキ3歳になりました!

ニッキ3歳になりました!


 ニッキへのたくさんのバースデイ・メッセージ、ありがとうございました。1通1通に込められたニッキへの温かさを感じることができ、嬉しさで一杯でした。ニッキ、今日は朝からチャーシューまんの端っこやチーカマを貰ったり、室津のWさんから届いた新鮮な煮干を食べたりとご満悦です。先ほどリビングで小太郎と遊ばせ、近所の洋菓子屋のケーキを一緒に食べました。自分の誕生日なんてこれっぽっちも嬉しくないのに、ニッキの誕生日だとウキウキしてしまうっていうのは妙ですね。4歳のバースデイを迎えるまで、新しい充実した1年をニッキと作っていきたいと願っております。

 そうそう、次のキリ番、参参参参参カウントももうすぐですね!

2003年2月13日 (木)  嬉しいものです!

嬉しいものです!


 旅行中、十分な通信速度が確保できず、接続時間等の関係でノートPCから覗けるコンテンツは限られていた。本日、仕事を終えてからBBSへの返信やお礼のメールを送り、またフォトアルバムのアルバムへのコメント付けを行ってから画像掲示版を覗いてみた。自分が留守の間に、数枚のホッと心を和ませてくれる、ほんわかした画像と文章が綴られていた。多くの方々のオアシスとなるように、との願いで作成したページに、管理人自身が慰められている。

 そしてまた0時の日付が変わる頃に、ニッキ3歳のお祝いメッセージが次々と届けられた。嬉しさで気持ちが昂ぶってくる。溢れだした思いに独り言のように呟く。ニッキ、もっとみんなに愛されるようにしっかりと育てなければ…。サモエドの愛らしさに応えられるようにならなければ。

 「冬の関西紀行」へ

2003年2月12日 (水)  ただいまっ!

ただいまっ!


 霧の立ち込める中央道を疾走し、恵那峡SAを経由して駒ヶ岳SAに0時過ぎに到着。睡魔に襲われる前に大事を取ってここで夜を明かすことに決める。そして、夜の高速ほどつまらないものはない。明るい中をニッキとアルプスの山並を眺めなら走りたいものだと思った。6時過ぎまで身体を休め、冷水で顔を洗ってしゃんとする。

 逆光の太陽に目を細め、諏訪SA、双葉SA、談合坂SAと順調に東に向かう。そして10時40分に無事相模原の自宅に到着。夕方からの仕事に備え、旅装を解き、運転の都合で昨日は恋焦がれた泡の出る麦茶で喉を潤して一眠り。

諏訪湖を眺めるニッキ
       諏訪湖ってきれいだねぇ

 ☆パセリさんには奈良で、ホワクロさんには室津にて大変お世話になりました。そしてともぴーさん♪、ブーママ。さん、みさとさん、権ままさん、マグプリさん、shilphさん、レモンちゃんご一家さん、エド君のご一家さん、しろメリー親子さん、デメタンさん、楽しいお時間をありがとうございました。また後ほどアルバムや記録の整備をいたします。

2003年2月11日 (火)  奈良生駒から室津へ

奈良生駒から室津へ


 今日もまた5時台に目が覚めた。ただ、昨日のうちに車のナビで調べたところ、今日の第1目的地である相生駅までは、泊めていただいたPさんの家から2時間ほどの距離であり、あまり早くから動き出してもしょうがないため6時30分まで寝直すことにした。ニッキもカーぺットの上でゆっくりと臥せて旅の疲れを癒しているように見えた。

 7時過ぎにPさんがモーニングセットを運んできてくださる。カリカリのトーストと卵のサラダがとっても美味しい。忘れ物がないように荷物を車に載せ、Pさんご夫妻と挨拶を済ませてから生駒を離れる。雨の降るグレーの景色の中を第2阪奈道路・近畿道経由で山陽道に乗る。大阪近辺は東京圏よりも斬新な建物が目立つ。中国道池田を過ぎる頃からポツポツと雨になってきた。9時過ぎに山陽道三木SAに到着。ニッキの排尿を済ませ、水を飲ませるために小休止を取る。車に乗ってホッと一息ついていると隣に黒い車が滑り込んでくる。犬が乗っているようだ。ゲートから出てきたのはなんとサモエドのレモンちゃんだった。ここのSAは本日のイベントの第1待ち合わせ場所になっているのだった。レモンちゃんご一家のNさんと挨拶を済ませてから雨をやり過ごすために白鳥PAでメールをチェックし、ナビの示すほぼ定刻通りに相生駅に到着。

 11時20分の新幹線で到着したSさん親子を車に乗せて、相生湾に沿って車を走らせる。第2待ち合わせ場所を経由してWさん主催の室津港のバーベキュー会場に向かう。生憎の雨ではあったが、犬たちが吠え、楽しそうに遊ぶ様子は最高だった。美味しい牡蠣、穴子、海老に舌鼓を打ち、16時過ぎまで楽しい宴が続いた。

 
  神戸から駆け付けてくれた凛々しいプント君

 17時50分に室津漁港を出て帰途に就く。吹田近辺でGさん、Mさんと別れ、名神から中央道に入り、この日は雪の残る駒ヶ岳SAで車中泊となる。

2003年2月10日 (月)  嬉しかったこと そしてあまりにも悲しすぎること

 起床時間は5時。入試応援以来の早起きである。朝霧高原の名の通り、霧の立ち込める誰もいない夜明けのドッグランでニッキを思い切り駆けさせて7時30分に朝霧のロッジを後にした。夜明けまで降っていた雨も止み、富士も顔を出した。牧之原SAで朝食にそばを食べ、順調に東名を西下して昼前に養老SAに到着。この後の計画を立てようと、メールをチェックした時、あまりにも悲しすぎる事件に接した。詳細をここで触れるのもつらいが、子どもができて邪魔な存在になったサモエドを処分したという、身勝手で腹立たしく切なくなる事件だ。「人間」ってそんなものなのだろうか。人として生きていることが嫌になってしまうくらい無力感に苛まれるできごとだった。処分されてしまった(夜になって判明)サモエドの名前はパンチ君。自分が生きている間、せめて彼の名を記憶したい。

 養老から直接奈良方面に入ろうと思っていたのだが、かねてから一度琵琶湖を見たいと思っていた。断片的には見たことがあるのだが、夜が多く、また全体を展望できるような形で見てみたい。そう思い立ち、八日市場ICを下りて30分程の場所にある安土城址に行くことにした。13時に駐車場に着き、石垣の間を縫うように石段をニッキと歩く。天主閣跡からは西の湖、そして琵琶湖を見渡すことができた。

安土城址
    安土城からの見晴らしは良かったよ

 曇りかけた気分も少しは晴れやかになり、今日の目的地奈良へと向かった。待ち合わせ場所のけいはんな記念公園には、今日泊めていただくPさんの他に、Mさん、Bさん、そしてTさん(なかなか思い出せなくてごめんなさい!)が自分たちを迎えてくれた。公園を散歩し、Pさん行きつけのPITTというドッグカフェへ行き、楽しく食事を取った。今日泊めていただくPさんの用意してくれた部屋はニッキと自分のウェルカムカードが掲げられていて、人の心の温かさを感じた。人間に失望し、また希望を持てた、そういう1日になった。ニッキは終始ご機嫌でいろいろ笑わせてくれた。


嬉しかったこと そしてあまりにも悲しすぎること

2003年2月9日 (日)  西に向かって走れ!

西に向かって走れ!


 午前中は出発前の整理と雑務の処理。せめて気持ちだけでも立つ鳥跡を濁さずの境地で旅立ちたい。

 何とか雑務を処理して、12時45分に家を出る。久しぶりに通る国道413号線は所々雪が残っていたが、スタッドレスタイヤを履いている安心感もあって順調に行程を消化する。途中渋滞もなく14時に道の駅「道志」に到着。ニッキに冷たい水を飲ませ、美しい富士を見ながらさらに西へ向かう。山中湖と河口湖をパスし、道の駅「なるさわ」へ。初めて立ち寄る道の駅で、ここには「ゆらり」という日帰り入浴施設が併設されている。見事な富士をバックにニッキを写真に収め、16時過ぎに本栖湖に到着。時間が限られていない旅というのは非常に心地よい、ナビに表示される到着予定時刻も経路も無視して湖岸の駐車場に車を停める。ウェルッシュコーギーの男の子と挨拶をしたり、本栖湖の水を飲んだりとニッキもリラックス。今日、高速に乗ってどこかのICで仮眠を取るという選択肢もあったのだが、朝霧高原のドッグランで会員証の更新手続きをする際に、ロッジに空きがあるか訪ねてみた。ちょうど今日は休みの谷間になり宿泊することができた。全体の行程からすれば出発地からほとんど離れていないのだが、ニッキとコミュニケーションを深める絶好の機会だ。レストランでビールを頼み、ニッキにはミルクを頼んでこれからの旅の計画をじっくりと立てることにした。

2003年2月8日 (土)  最高の贈り物!

最高の贈り物!


 新6年生の授業がスタートした。季節講習時には顔を合わせた連中だが、おちゃらけた5年の時とはさすがに違う面持ちである。サモエドではなく、柴犬みたいな目をしている。オープンスペースに張り出されている、卒業生の名前と合格中学の書かれた「祝合格」の短冊を見て、来年の自分の姿を重ね合わせているのだろうか。1年中この緊張感が続くとも思われないが、まずはよいスタートを切ることができた。

 休み時間に今年の合格者たちが続々と親御さんと一緒に合格の報告にやってきた。自分の名前よりも友人の名前を見つけることに気持ちが向かっている。さて、この合格の報告を兼ねてのご挨拶。「合格祝酒」なるものを携えて嬉しい報告に来るというのが慣例となっている。生徒の中には、授業の中でポロリと口にしてしまった自分の好きな日本酒の銘柄を覚えていてくれて、それを探して買って来てくれた子もいる。ありがたいことだとしみじみと思う。そんな中で、とりわけ嬉しかったのがS君が自ら手渡してくれた缶ビールだった。お小遣いの中から買ってくれたと聞き、じーんとなってしまった。彼もまた自分の担当する国語の苦手な子で、それを克服するために秋から冬にかけての特訓にしっかりと食らい付いてきてくれた。その甲斐あって、本番では国語が合格への力になってくれたようだと今日お母さんからのお話があった。

 授業中、姿勢が悪いと何度も叱ったT君、見事に第1志望に合格したNさん、Kさん。入試期間中に倒れながらも第2志望への合格を果たしたY君、そして、塾のテストは振るわなかったけども、合格の嬉しさを実感したであろうO君(怪我ばかりしていたね)…。漢字の勉強の大切さがわかったTさん。彼ら、彼女らの無条件の微笑みは冬の青空のように清々しかった。その表情を見ながら、うん、たしかに今年も春が来たのだと一人、心の中でニンマリしていた。

2003年2月7日 (金)  関西行き

関西行き
 関西まで犬1枚!

 某所で「そろそろ」という文字を目にして、Wさん主催(Gさん幹事)の牡蛎オフ参加のため関西行きの準備を調えなければと気付いた。前回も万全を期したつもりだが無駄な荷物があったり、いざ使おうとすると役に立たなかったりという物もあった。また、移動中の取り出しやすさや参照のしかたというのも結構重要な要素となる。

 今回は9日の日曜日の昼前に家を出て、往路はできるだけ高速を使わずにニッキと土や風の匂い、景色を楽しむ予定である。まず甲州街道に出て、都留を折れて朝霧高原のドッグランに向かい、ついでに会員証を更新してから東海道方面に下って行こうと考えている。そして10日は瀬田から南下して奈良のPさんのところに立ち寄り、シュナウザー軍団に挨拶。奈良はなかなか訪れる機会のないところなので、前からぜひ行ってみたかった地なのである。そして、11日は朝早く奈良を出て…と大体こんな旅程を組んでみた。

 今、実際の旅を前にして描いているイメージは、旅を終えると跡形もなく吹き飛んでしまうことだろう。それほどに旅というものは印象の深い体験となるものだ。逆説的ではあるが、事前に抱いたイメージを裏切ってくれることを期待して人は旅に出たがるのかもしれない。

2003年2月6日 (木)  小春に会いに

小春に会いに


 小春用のケージを届けに、そして小春に会いに母が伊東まで出かけていった。今回は小太郎も一緒だ。ネコは移動に慣れていないのだろう。行く道でニャアニャア鳴いて非常にうるさかったそうである。脱走防止に皮紐をケージに結び付けてはあるが、そそっかしい母のこと、小太郎を野良猫にしないように祈っていた。

 仕事を終えて家に帰り、母の話よりも先にデジカメの画像をチェックしようと「デジカメは?」と問うと「うっかりしていて持って行くの忘れちゃった」という返事が帰ってきた。デジカメ初心者ではあるが、何枚か撮った写真の中には今日のトピックとして使えるものもあるだろうと、画像スペースを空けておいたというのに…(しょうがないから小春(当時は五右衛門)捕獲作戦の画像でも貼っておこう)。

 結局母の頼りない話だけで小春の様子を想像するしかなくなってしまったが、体が少し大きくなったものの足は短いままらしい。毛の色はやや拡散したように白っぽくなり、鼻筋が通って美人顔になっていたとのこと。こう聞くと写真がないのが一層悔やまれる。すでに、母のことは忘れてしまったようで、ネコとはそんなものかと少々寂しい思いもしたが、連れて行った小太郎に威嚇されて久々に追いかけっこを楽しんだというのを聞くと気持ちが明るくなった。

 嬉しいことに非常に大切にされていて、小春のために6畳の空き部屋を当てがってもらっているとのこと。食事も豪勢で、小太郎は小春の夕食に出されたマグロの赤身をごちそうになってきたということだ。そのせいか家の食事には手を付けない。内心あっちの家に残りたかったニャ、と思っているのかどうかはわからない。

2003年2月5日 (水)  少しずつ晴れ間が

少しずつ晴れ間が


 朝の重い雲が消え、少しずつ陽射しが強くなってきた。屋上でニッキと思いっきり体を動かし、昨日から今日にかけてニッキが排泄した物をキレイさっぱりと片付けた。雑務の処理は比較的スイスイと進むのだが、逆にまったく筆が乗らない。頭の中でモードの切り替えが行われているのだろう。体か頭のどちらか一方がきちんと働くだけでもよしとするか。

 夕方に教室へ。今日は新4年生・新5年生のガイダンス。新しいメンバー組みになった先生方と雑談をしながら入試結果の報告を待つ。超難関と言われるTK中の2名合格ももちろん嬉しかったが、昨日に比べて全滅の子がずいぶんと救われていたことが何よりだった。多摩地区の人気校として名を挙げているE中の1回目試験でチャレンジして破れた子たちが、2回目の試験で続々と星を挙げてくれた。また、授業中「コタロウ(本名は虎太郎)」と呼んでいた明るい子、この子が昨日までなかなか結果がでずしょぼくれていたのだが、見事なタイガージャンプ!(合格手拭いに書かれたお母さんからの言葉。自分はこれが気に入り、彼に会う度にそう言って励ました。本人は照れていたが…)で横浜のS学院中に合格を飾ってくれた。ネコ大好きなOさんも縄文柴と暮らすT君も、そして算数のずば抜けてできたH君も! そうそう、Mさんもだね。それぞれ、合格の一瞬に素晴らしい笑顔を輝かせたことであろう。そこに辿り着くまでの過程を、ことあるごとに振り返り、ご家族への感謝の気持ちを忘れないでもらいたいと願う。

 家に帰って小太郎をだましてからニッキと一息付いていると直通電話がなった。K君からだった。第1志望のM大M中に合格したよ、ありがとう!という報せだった。国語が苦手で一生懸命に付いてきた子だ。「いや、こちらこそありがとう!」頓珍漢な返答をするのが精一杯だった。

2003年2月4日 (火)  一寸一息

一寸一息


 今日は久々の休み。午前中は税務署に出す書類を作成し、ニッキと一緒に屋上で遊ぶ。午後、PCの前に座っていたら猛烈な睡魔に襲われた。座ったままの姿勢で寝てしまえばまた風邪をぶり返すことになる。ニッキと一緒に寝室に入り、2時間ほどの仮眠を取った。

 睡眠を取り、身の回りを整理してから教室に向かった。休みといっても落ち着かないのはやはり合否の状況が気になるからだろう。初めて合格の花が咲いた子の名前が少しずつ上がる。台帳に書かれた「(合)」という赤い字が大輪の花のように見える。満開の子もいるが、今はその初花こそ胸を打つ。心配していた子からの電話で合格を告げる声を受ける目には自分を含めて涙が溢れる。

 まだ、苦しい戦いを続けている子もいるが、励ます側が消耗してしまっては情けない。仕切り直しの意味も込めて、近所の名店「村田屋」で久々にラーメンを食べた。

2003年2月4日 (火)  2月3日分記録

2月3日分記録


 このところニッキと外に遊びに行けないことを申し訳なく思いながら入試問題を解きに朝から本部へ。いくつかの設問で釈然としない思いを残しながらも一応の解き合わせを終えて、待機のために担当教室へ。超難関と呼ばれる学校への合格が堅調なのを確認してから今日になっても勝ち星を上げられない子ども達のために、入試で実際に解いた問題を一緒に振り返りながら、疑問点に対する詳細な解説をする。学校の合格可能偏差値と言われるものと問題の難易度は決してリンクしない。子どもの力を素直に試すというよりも、学校が面子にこだわって作成したような問題に子ども達が苦しめられるのを見るのはつらい。そうではあっても、彼らは問題を選べない。再現答案に家で読んでもわかるように詳細なコメントを付していくと紙面が真っ赤に染まっていく。説明も授業の時とは異なって、くどいくらい丁寧に、しかも子どもの表情を見ながらゆっくりゆっくりと進めていく。

 心身の疲労が極度に達し、倒れてしまった子もいる。が、今は「かわいそうに」の一言で片付けるわけにはいかない。弱った体を回復させる重湯のように、彼らの頭に自分の解説が徐々に染み込んでいくのを待ち、置き火に赤々と勢いが戻るのを確かめてから「明日、元気に行ってコイ!」そう元気に送り出さなければならない。励ましが単なる言葉のレベルに留まっているとすれば、教えるという行為に責任を持つことなどできない。とはいえ、果たして自分の励ましが、彼らの苦しい心に届いているかどうかは確かめる術などない。とにかく教室に顔を出して少しでも安心したい、そういう生徒からの電話があれば何時まででも留まって、反攻のキッカケをつかませてやろう。それが自己満足だとしても。

2003年2月2日 (日)  喜びと…

 入試の真っ最中のこの時期には新学年の授業は無く、1〜2名の講師が本年度入試問題の模範解答作りと、子どもたちの2次対策を兼ねて教室に待機している。合否の連絡が引きも切らず、本当に休む暇もない運営方の職員の受ける電話口からは「よかったねぇ!おめでとう!」と「う〜ん、…明日はがんばろうな!」の声が半ばしている。講師テーブルでコーヒーを啜りながら問題を解いている自分としても、教室を訪れる子どもに対する表情を意識しなければならない。もう明日は受けないで済む子もいれば、心の中まで寒々しい思いで受けに行かなくてはならない子もいる。各種情報に本心は動揺しながら、笑顔でも沈痛な表情でもない、口元に何となく微笑をたたえたような、やや不自然な表情筋の張りを感じながら問題文に視線を食いこませようと努力する。

 自分で選んだとはいえ12歳で経験するここ数日の過酷な道のりに、今は精根も尽き果てるような消耗を感じるかもしれないが、今感じるつらさ、唇を食い破ってその場から消えてしまいたいような口惜しさは、必ずや生涯を貫く大きな拠り所となるとそう信じている。受験戦争がいじめの温床であるというような短絡的な議論は、目の前で彼らの闘いぶりを見ていたら力を失うに違いない。12歳にして、ギリギリのところで勝つための方法論を考え、反省を次の機会に生かそうと心身をフル回転させている。自分の能力と感情の限界にまでチャレンジした人間には真の思いやりと痛みが理解できるはずなのだ。


喜びと…

2003年2月1日 (土)  2月1日到来!

2月1日到来!


 暦に載っている日付は必ず巡って来る。教えてきた6年生の子たちが本日、受験本番を迎えた。受験の当事者ではなく応援するだけの気楽な立場とはいえ、自分の教えてきた子たちの試練の日にはやはり特別な感慨が伴う。5時前の起床もそれほどにはつらく感じない。ニッキに排尿と軽い運動をさせながら、天候を確認する。まだ曙光の気配すらないが、雲間から冴えた星が見える。快晴までいかなくても大きく天気が崩れることもないだろう。ニッキの水飲みタライに張った氷も薄い。

 この時間から仕事に出るとわかったニッキは、導かれて入ったケージの中から穏やかに送り出してくれる。心身の引き締まる浄暗の中を、入試応援のため5時30分に家を出る。途中宇都宮線の事故による遅れがあったものの、7時前に石川町のF女学院前の坂になった階段脇に到着。すでに各塾の応援の先生たちが陣取っており、ソフトに割り込む。例年曇り空が多いのだが、今年は快晴で遠く雪を頂いた丹沢がくっきりと見えた。7時30分頃をピークに、今年、去年、一昨年、そして特別講座で自分の担当した子たちが続々と坂を上ってくる。顔面蒼白な子、それとは逆に顔を紅潮させた子、掌の冷たい子、温かい子、握手した手をしっかりと握り返してくれる子、だらんとさせたままの子。いろいろな思いが伝わる。1時間以上吹き上げてくる寒風を浴びているのはやはりしんどい。生徒の気配がなくなると急に寒けを覚えた。

 集合時間の8時20分に応援を終え、溜まり場のファミレスへと引き上げる。去年挨拶した艀の上の2頭の白犬は1年の間に3頭に増えていた。紀州犬だろうか。非常によく手入れされている。ずっと3頭の姿を見守っていたかったのだが、そのうちの1頭がけたたましく吠えるので、別れの挨拶をして駅の方に向かった。