2003年4月30日 (水)  夏一番?

夏一番?


 朝からの雨混じりの強風で、排泄のために表に出したニッキも落ち着かないようである。外は涼しいのだが、仕事場に入るとPCの余熱と自分とニッキの出す熱でムッとする。とはいえ、窓を少しでも開けると余計な雨粒が吹き込んできてしまう。ちょっと気は進まないもののエアコンを入れることにしよう。

2003年4月29日 (火)  手を伸ばせばそこに犬がいて…

手を伸ばせばそこに犬がいて…


 犬をなぜ愛しく感じるのか。自分の中にある様々な気持ちを確かめながらニッキと語り(多くの場合は無言で…)、彼のコートをなでている時、ニッキの中に自分が、自分の中にニッキが入り混じっているような感じになる。マッサージ椅子に寄りかかって体をほぐされるという、一方通行の関係ではなしに、互いに心が還流し合って温まっていく(ニッキにそれを確認する術はないが)感覚なのである。今まで暮らしてきた犬たちとの生活を思い出すと、たしかにそういうことが言えるのではないかと思う。

 自分の求める時にニッキが傍にいてくれるのであれば、やはり彼が求める時にはできるだけ自分がそこにいるようにしたいものだ。ニッキとの付き合いの原点を時々確認できるだけの余裕が欲しい。

2003年4月28日 (月)  新緑の中を

新緑の中を


 このところ天候が不安定なので心配していたが、今日の相模原は快晴だった。ニッキを待たせてしつけ教室に向かう準備を進める。外出時にはニッキの足を拭いたり、荷物を持ったりと付随する行動が増えるので、出発前の興奮状態を少しでも鎮めてから外に出たい。自分の服装を見て、やった、外出するんだと大喜びのニッキは屋上を駆けずり回り、水をガブガブ飲む。この状態のまま家の中に入れると大変である。スワレ、フセをさせるのにも普段より時間がかかるが、足を拭かせ、静かにしていれば確実に外に出られるということを早くわからせたい。500ml入りのペットボトルに給水して出発。

 車中に篭もる熱気を窓を全開にして追い払い、いつもの道を行く。ゴールデンウィークの最中とあって、津久井街道に合流するあたりから城山湖へと向かう道への分岐まではいつもより混んでいた。前の車との車間に気を付けながら、ノロノロ運転の時に遅れる旨のメールを先生に宛てて打つ。2週前には山を彩っていた桜のピンクもさすがにもう見られない。満車の駐車場から少し離れた所に車を止め、ニッキを下ろす。山腹に巻き付くような道をゆっくりと進みながら堰堤に向かう。遠く新宿方面は霞んでいるが、近くの緑がきれいだ。

 今日は先生のイチ君はお休み、前回から一緒に学ぶ8歳のジョイ君、ゴールデンレトリバーのマック君、コーギーのマリーちゃんに加え、今日はマリーちゃんの娘、ジェイドちゃんが参加。オーナーさんがニッキの写真を何枚も撮ってくれていた。

草を食む

 教室終了後、ニッキとダムの堰堤の斜面に下り、30分ほど遊ぶ。いつも堰堤への往復で眺めていた場所だったのだが、きれいに草が刈り取られ、山菜を集めに訪れる人が踏み固めたような道も付いている。ニッキはスタスタと下っていくが、こちらはどうしてもカニ歩きになる。目に入る緑、足もとの野草の付ける花に癒された気分になる。晩春というより初夏の装いに心を打たれているのを他所に、ニッキは文字通り道草を美味そうに食っていた。いろいろな煩いを忘れることのできる時間となった。

瞳キラキラ

2003年4月27日 (日)  仕事を終えて

仕事を終えて


 日曜日の特別授業を終え、いつもよりペースを上げて添削作業に打ち込んだ。横浜市は菊名まで足を伸ばしてベトナム料理を食べに行くためである。昨年はこの町の教室にも週に1回だけ出講していたのだが、今年は地元教室ばかりになってしまったこともあり、店に顔を出す機会も減ってしまった。いったん家に戻り、ニッキの機嫌を取ってから出発する。

 新しくメニューに付け加わった前菜をいくつか頼んでから、最高に美味いベトナムカリーを食べる。やや辛めの味付けだが、頬張るほどに汗を掻き、汗につられるようにしてまた、下味の染みこんだ鶏肉とご飯を頬張る。節酒中の身の上ゆえウーロン茶で我慢したが、ベトナム料理にはやっぱりベトナムビール333(バーバーバー)が欠かせない。年内中に完全復帰と行きたいものだ。

2003年4月26日 (土)  掃除など

掃除など


 少し仕事がはけると、ちょっと身の回りの整理でもしてみようかという気になる。夕方から夜にかけては涼しくなることもあって、仕事が早く上がった日など、古い資料を整理したり、机の上に溜まってきた埃を拭き取ったりするにちょうど良い時間ができる。何も考えないように意識するのは難しいことだが、こうやって資料の来歴などを考えながら紙袋に詰めこんでいくような作業をしているとき、案外に無我の境地でいられるものだ。

 度々触れているようにも思うが、整理にあたって考えることがある。新しく欲しいものもいくらかあるが、これからは既存の物を十分に生かしつつ、できるだけ浪費をしないようにしていきたい、ということである。そして、そのためにも使わない物、徒に貯め込んでいる物を一層してやる必要がある。今までに耳掻き綿棒やドライバー、カッターナイフ、シャープペンの芯、ガムテープにテーブルタップ…、いざ使おうとする段になって見つからず、やむなく間に合わせで近くの店から買ってしまったことが何度あっただろうか。お金のムダということよりも、愚かな生き方を繰り返す自分に嫌気が差してしまう。必要なものがどこにあるか、それを把握しておれば無駄な出費も品物の重複ということも防げたはず。ところが、整理というのも次第次第にいい加減になっていき、手の届くところ、部屋を出ないで済むようなところに適当な意味をこじつけて物を置いたり収納したりという安直な形に流れていってしまう。口の中が不快でない程度に、歯磨き粉の香りが漂えばヨシとなっていく歯磨きの過程にも似ている。

 ただ、多少面倒でもそれに逆らって物事に処置を付けるためには、ストレスのない、活き活きとした心の状態を必要とするものだと思う。単純にキレイ好きかどうかということに加えて、時間的な余裕はもとより、精神的な余裕がなければ満足のいく整理や清掃はできないのではなかろうか。生き方や考え方というのは日常生活のこんなひとコマにもさりげなく、あるいは容赦なく顔を出すものなのだ、とそんなことを思う。

2003年4月25日 (金)  仕事中〜

仕事中〜


 溜まってきた添削を教室で片付け、少し前倒しで作業を進めておこうと思い立ち、一咋日の添削に着手。この4月から添削答案の取扱いの事務手続や、子どもの定例テストの答案の取扱いが変更になったこともあり、今日はちょっと残業。新しい仕事が増えること自体は嫌でないのだが、それが1週間のリズムとして定着するまでは多少面倒に感じてしまう。時間さえかければ片付いていく問題だというのが救いでもあり、家も近いので苦にならないが、これで勤務地が遠かったら大変だと思う。さて、もうちょっと仕事をしたら帰ることにしよう。早くニッキの顔が見たい。

2003年4月24日 (木)  ぽっかぽか

ぽっかぽか


 朝は寒かったが、昼前になって陽射しが強くなってきた。ニッキのトレーニングと自身の柔軟体操をしているうちに汗ばんでくる。我が家から南の方角、すなわち大山の麓にあたる方向にクレーンが2本屹立しているのが見えた。また新しい工事が始まったようだ。目塞ぎにならないような低い建物であって欲しいと祈るばかり。さて、これから歯医者。

2003年4月23日 (水)  人間には寒いけど

人間には寒いけど


 昨日に続いて今日も寒い。ニッキにとってはグッドコンディションのようで舌を出さずに全速力で屋上を駆け回っている。スワレ、マテ、コイを数本繰り返してからツケのトレーニングにかかる。寄り道をせずに呼ばれた方に真っ直ぐに来させるというのが現在の課題。今日は本当にすっ飛ぶように走ってきてくれた。嬉しいものである。だが、まだ「ツケ」の言葉を十分に理解していないようだ。一緒に歩きながらの「ツケ」と遠くから呼んでの「ツケ」。こちらは同じものと考えてしまうが、たしかに犬の視点からすればどうして同じ言葉なのだろうと迷ってしまうかもしれない。ニッキと一緒に楽しく悩むことにしよう。

2003年4月22日 (火)  空と日と寝息

空と日と寝息


 昨日訪れた城山湖の方面の山々の緑がクッキリと映えるほどに空気も澄み、青空に雲もほとんど見られないような良い天気だった。涼しいというより肌寒いくらいの気温で、秋のような1日であった。一昨日のような蒸し暑さに比べれば文句なしに快適なのだが、これから暖かくなっていくことに体が慣れたこともあって、水を差すような涼しさには正直違和感もある。

 移ろい行く太陽の運行と影の変化を感じ、程好い室温の中で転寝するニッキの安らかな寝顔に平和を感じた。久々に美しい夕焼けと日の入りを見た。

2003年4月21日 (月)  みるみるちゃんと

みるみるちゃんと


 隣町に住むサモエドみるみるちゃんの飼い主さんと連絡を取って、城山湖まで遊びに行った。家からおよそ30分の距離。目的地に着いたのは11時頃だったのだが、結構深い霧に包まれ、どこかの高原地帯に来たような感じだった。車をいつもの駐車場に停めているとちょうどみるみるちゃんの乗った車がサイドミラーに映った。ニッキがワンワンと吠える。車から降りたみるみるちゃんは去年の秋、あいかわ公園で見たときと比べてぐんと大きくなり、正月に会った時よりもふっくらとして見えたが、表情にはまだまだ子犬時代の面影が強く残っている。

 湖の堰堤へ向かう道でニッキは、定例の場所で排泄を済ませ、その後はみるみるちゃんと寄り添うように、追いかけ合うようにして歩いて行く。同じ方向を向いているのでなかなかよい写真が撮れない。ニッキも以前に比べてかなり落ち着きを見せ、こちらの歩調を無視して引っ張るようなことは少なくなってきた。堰堤に着くと2匹は付かず離れずという距離を置いてお互いを観察しているようだったが、警戒心のようなものは会ったときからほとんどなく、少しずつ挨拶をしたり匂いを嗅ぎ合うようになってきた。みるみるちゃんは人懐っこくもあり、低い姿勢でカメラを構えると近寄って来て、顔を舐めてくれた。サモ飼い冥利に尽きる気分だ。

おべんとついてる

 みるみるちゃんがいる場でも基本のトレーニングをしたのだが、みるみるちゃんに近付けば近付くほど、気もそぞろになっていくようだ。いつの間にか、それまで湖をすっぽり覆っていた霧が晴れ、日が差してくる。みるみるちゃんとの楽しいデートの余韻を残し、満ち足りた気分で駐車場への道を歩いて行った。

2003年4月20日 (日)  ピカピカの中学生

ピカピカの中学生


 雨の降る夕方、この春中学生になったばかりの卒業生たちが遊びに来てくれた。日曜日は仕事が入っていることが多いのだが、もしかしたらと期待を込めて遊びに来てくれたらしい。幸い、正午から手を付けた持ち帰り仕事の処理も結構進んでいたので、4人を家に上げて、一応シンプルに片付いているリビングに通して「どうだい中学は?」などと紋切り型のサワリからとなるが、この辺は計算しているわけでないから授業のようにはなかなか行かない。知った間でも話を切り出すのはなかなかに難しいものである。

 コーヒーや炭酸は苦手の子も多いので、半ば定番となった彼らをもてなすためのリンゴジュースをめいめい飲みながら、最初のうちは、晴れて中学生となって買ってもらったカメラ付き携帯でシャパシャと自分や友人の写真を撮ったり、塾の同級生のことなどを話していたが、彼らは皆動物好きで(大きな犬ちょっと怖い、ネコちょっとダメという子はいた)、連れて来た小太郎とニッキとあっという間に打ち解けた。フセやマテ、ハイタッチ、バンザイなどとコマンドを出しながら(但しトリーツ有り)小太郎やニッキと、あるいは彼ら同士で、手と足と声と、とにかく体全部を一杯に動かして楽しいね、幸せだねという気持ちを表現していた。最初はバリバリの犬派でネコが苦手だった子(終始ニッキと相思相愛で、ニッキに言い寄られていた)も、小太郎を抱けるようになり、また子どもの頃犬に追いかけられてからというもの犬が苦手になってしまった子も、ニッキの挨拶を受け、なでることができるようになった。これはまったくニッキと小太郎のお手柄としか言いようがない。

 犬ネコと相乱れて1時間ほどドタバタしてから「失礼しまぁす!」と爽やかに挨拶をして彼らが帰る頃、朝から降り続いていた雨は上がっていた。

フカフカだねぇ

2003年4月19日 (土)  夏だね、まるで

夏だね、まるで


 いつもと同じ服装で外に出て、しまった!と思った。我が家は高いビルに囲まれて日蔭になっているため、建物の中は外の気温より若干低めになる。暑い。スーツが秋冬の合服であるといったことはすでに問題外で、駅に向かう通りを上着を着て歩いている人間なんてほとんどいない。普通の人にとって休日であるということもあろうが、きっちりとネクタイを締めて毛織りのジャケットに身を包んでいる自分が場違いに思える。せめて夏用のジャケットに着替えようかとも考えたが、今日から4週連続の特別講義が入っており、家に帰って服を着替える余裕はない。駅に着くまでに額は汗ばみ、階段を上るのがつらかった。さすがに授業はジャケットを脱いで行った。留守を預かるニッキの居室は東西の窓を開け放して風が入るようにはしてきたが、室温もこれからはぐんぐんと上がっていくだろう。そろそろエアコンの連続運転のテストをしておかなければならない。もうそんな季節なんだな。



2003年4月18日 (金)  誘い

誘い


 現在、まさに日付が変わろうとする時間の仕事場の室温は28℃。気温が上がってくるとコンピューターの排熱がそれに拍車をかけるようにして室温を上げていく。隣のマンションに面した窓を少しだけ開けると涼やかな風が頬に心地良い。

 我が家のすぐ近くを東京環状道路(16号線)が走っており、耳を澄ませば車が走る音、トラックが風を切るような音が聞こえて来る。だが、さすがにこの時間になると交通量が減り、信号の影響もあるのだろう。突然住宅地の真ん中にあるかのような静寂に包まれることもある。そんなとき、耳に入ってくるのは決まって寂しさを紛らわせようと、ニッキに面会に来る小太郎の首につけた鈴の音と、暑さに耐え兼ねて口から漏れるハッハッというニッキの吐息である。時々思い出したように水を飲み、残ったドライフードをボリボリとつまみ食いする音。時々退屈そうにフーッと長いため息も漏れる。

来たね

 今夜もまた同じように時が流れていく。今、ニッキを見ると、後足を舐めて湿らせてから、その部分を不器用そうに耳穴に突っ込み、恍惚とした表情で「グヴゥ〜」と呻いている。夜になって益々目の冴えた小太郎もニッキのテリトリーへの侵入を図ろうとして、「ぅニャン」と妙な声を上げる。結構大きな声だ。遊びの誘いだろうか。そして、その挨拶代わりの声と共にストッと着地を決め、すでにニッキの足元を当たり前のようにゆっくりと通過していく。こうなるともう、PCを前にゆっくりと作業などしていられない。キーボードを打っていた手はすでにデジカメを握り締め、夜のパーティに参加させてもらうことになる。かくて魑魅魍魎ならぬ獣たちに魂を奪われ、宵っ張りの深みにはまっていくのだ。


2003年4月17日 (木)  熟した1日

熟した1日


 普段からもっとていねいに歯を磨いていれば歯医者さんにご厄介になることはなかったかもしれないし、手を付ける時期がもっと早ければ、生徒から預かった答案の添削作業に頭を悩ませる時間も少なくて済んだだろう。でも、その日の歯の治療が終わった後の喜び(歯医者さんの重いガラス戸を中から外に向かって開けるときの清々しさよ!)は、歯が悪くなければ決して味わうことのできなかったものだし、添削もその日のうちに完了していたら、ああ終わった!という開放感を今日味わうこともできなかったのだ。

 だから…と続けようとして、何かとっても都合の良いまとめに入ろうとしているのに気付いた。いやいや、やっぱりそうじゃないよ。ちょっとした油断とずぼらな心構えが、しなくてもいい苦労を背負い込ませることになるんだよ、と本来そう括るべきなのだろう。本音と建前の調和を保ちつつ、「青年よ歯を磨こう!でも、虫歯にはたまにはなってみた方がいい。歯の大切さ、煩いが消える小さな幸福が経験できる」「仕事も早く手を付けたい。でも、早く片付けることが大切なのではない。やり終えた自分を誉めてあげられるような、そんな心意気こそ大切なのだ」と自分に言い聞かせて今日のところは切り上げよう。

女子中学生

 今日、歯医者の治療を終えて仕事場に顔を出したら、この春、晴れて中学生になった卒業生の女の子たちがワイワイと遊びに来ていた。帰り際の「先生どうもありがとうございました」という言葉が嬉しくて、それを真っ先に書こうかと思っていたのだが、ちょっと照れくさくなって余計な埋め草を書いてしまった。

2003年4月16日 (水)  平凡に過ぎ行く1日

平凡に過ぎ行く1日


 体調の不良や突発的な事件などで、頭を悩ますことがあるとその日の終わった時、精神は不調和なまま1日を総括するようなまとまった感想を得ることができない。ともかくもその日床に就いて寝つくことができるまでは、生起した問題をたたくこと、解決しようともがくことで必死だからだろう。

 とすれば、平凡な日であった、と振り返ることができるだけでも煩いが少なかったことを感謝すべきなのだが、なかなかそれができない。のっぺらぼうみたいに何にも素晴らしいことがなかったじゃないかとやや失望と侮蔑の意味を持って「平凡」とその日を括ってしまう。何かすばらしいことを当たり前のように期待しつつ、それが裏切られた時に用いる「平凡」の語ではなしに、波風立たない時間を持てたこと、そしてその中にどれだけ多くの小さな幸福を見つけ出せたかということの意味を平凡の語に与えたいとは思う。「平」の字も「凡」の字も一字ごと見てやれば真に懐の深い字なのだが、一緒になるとどうしても語感が膨らまない。それに、こちらがこれだけ一生懸命、豊かな意味を与えてやろうとしているのに、まったく嬉しそうな顔をしない熟語である。やはり平凡は平凡で良いのかもしれない。つまらないことを考えてしまった。

2003年4月15日 (火)  ダラダラ雨

 朝から晩まで雨がだらしなく降っている。強くはないので時折ニッキを出して遊ばせることはできる。近くのコンビニまで足を伸ばすのも億劫な気分にさせるような春の雨に風流を感じるほど粋ではないが、ゆっくり体を休めろという天からのサインと心得てありがたく恩恵に浴すことにしたい。

 それにしても、体を休めようとすると気付くものだが、余計なことを考えないというのは難しいものだ。昨日処置した前歯の根の痛みも落ち着き、首の上に残る違和感も今はない。痛みをやり過ごしたエネルギーが今日は余ってしまっているのか雨で気分が晴れない鬱憤を晴らそうとして頭の中で無用の考えが飛び跳ねる。まことに風雅の欠片もない。


ダラダラ雨

2003年4月14日 (月)  城山湖へ

城山湖へ


 今朝も早く目が覚めた。このところ続いた粘っこい、学生風に言うならヤバい頭痛は去ったようにみえたが、昨夜は右耳が詰まったような感じになり、その違和感がまだなんとなく残っているように思えた。が、今日はニッキとの外出、久々のしつけ教室ということもあって、何とかして元気を取り戻したいと願っていた。朝の6時過ぎ、外は嵐の前のように厚ぼったい雲が張り、風が強く、雨の降らないことを願っていたが、ニッキに朝食を与え、家を出る頃になって漸く、普通の曇り空と呼べる程度にまで回復した。

 多少山がかっていることもあって、城山湖を上る道の沿道は桜の花にまだ勢いが残っており、山肌を桜のピンクが華やかに彩っていた。すでに葉桜になっているものの遠目にはなお美しい。ニッキはそろそろ目的地を察したらしく、思い切り駆けることができるぞ!と興奮した声を出し始める。

 展望の利く駐車場に車を停め、山桜の花吹雪を浴びながらしつけ教室の会場となっている城山湖の堰堤へ。今日は先生の預かりの子、MIXのジョイ君も一緒だ。笑顔と雰囲気がサモエドっぽい。全く人に慣れない8歳の子ということだが、犬との挨拶はさせて構わないという。こういうガウガウの子が先生の元で少しずつ社会化されて、優等生になっていくのを何回も見ているとプロってすごいもんだなと感心する。



 今日の生徒犬はコーギーのマリーちゃん、ゴールデンのマック君とニッキの3頭。お互いに待つ役、通行する犬の役と役割を替えてマテのトレーニングが中心になる。トレーニングの時間はあっという間に過ぎ去り、予約を入れてある歯医者に向かうため、おそらく桜の見納めとなる城山湖園地を後にした。

2003年4月13日 (日)  病気は授業で治す

病気は授業で治す


 期待に反して朝になってもまだ頭が痛かった。激しくはないのだが、頭の奥ににねっとりと根を張ったような痛みだ。痛みによいも悪いもないのだろうが、これは手強いなと思わせるタイプのものだ。布団の中で結構早くから目が覚めたのだが、再び入眠することもかなわず、結局仕事に出るまで不快感が続いた。安楽イスにだらしなくもたれかかって本日実施予定分の過去問に目を通す。体力があれば行いたいと思っていたO校の問題を避けて、E校の問題に変更する。我ながらちょっと軟弱に思ったが、「出し物」はその日の体力で十分カバーできるものでないと熟した授業にならないのである。

 今日は、日曜日の特訓授業なので、メンバーも異なり、いつもにも増して気合いを入れなければならない。レギュラーのT先生だからという「保険」の効かない勝負なので、病で弱っているところなど子どもに見せたら「食われて」しまう。そうかといって今日はちょっと具合が…などとは言いたくない。とはいえ、休憩を入れながらも7時間近く講義を行うことを考えると授業の開始前は多少の不安があった。本鈴前に教室に飛び込み、他教科の答案返却で少しずつリズムを作ることにした。とにかく初めはしんどかったが、汗を出し、かわいくも小生意気な子どもたちとの掛け合いで熱を帯びて話しているうちに、気分が乗ってきて頭痛もどこかへと消えてしまった。講義時の教室に静寂が呼び込めれば安定飛行に入っている証拠なのである。



 体調不全の時の授業は何度もあるが、無事に乗り切った後の充実感はなんとも言えないものだ。外の空気を思い切り吸いこむ。このまま治れば明日はニッキとしつけ教室に行ける。その後は歯医者が待っているのだが、明日の今ごろ日記を付けている頃には充実した気分のはずだ。今がつらい時は未来を先取りしてしまうに限る。必ず良い方向に向かうのだと信じて。

2003年4月12日 (土)  痛た…

痛た…


 一昨日は耳の痛みで昨日は歯痛。今朝は頭痛から始まった。そして授業中には激しい腹痛。ただの風邪だとは思うが、まだちょっと頭が痛い。ひどい病人のようだが、単なる不摂生の結果なのだろうから同情はしてもらえない。頭痛の渦中にあってもやっぱり一番痛く感じるのは歯痛の激しいやつだと思う。頭痛はなんとか凌げるし、腹痛(胃痛と腸の痛みでは前者の方がツライ)も波があって、波状的に襲ってくる峠を越えればある程度意識で飛ばせる。ただ、歯痛は非常に自分勝手に痛みを主張してくるので処置に困る。それにしても風邪の用心はしていたつもりなのだが、なんでこうも脆いのだろう。昨日歯医者のイスで流れた冷や汗と脂汗が冷えて風邪を引いたとすればあまりにも滑稽ではある。だが、体調が良くない割には良く動いたし(授業に関しては一応「プロ」なのだし…)、やらなければならない個人の雑務もこなした。だったら体調が万全になればバッチリだね、というとそうはいかない。今度は行き先を決めていないエネルギーが自分を調子に乗せて、余計なことをあれこれやりたくなってしまうから。少なくとも具合の悪い日には、ホームページのデザインを変えたり、ニッキとの旅行の計画なんかは考えたりはしないのだ。いつもどこかに違和感があるくらいが、ちょうど良いのかな。

2003年4月11日 (金)  歯医者〜

歯医者〜


 放っておけば自然に治癒するかな、という甘い考えと裏腹に夜明けになって愈々前歯が痛みだした。最初は奥歯が痛かったので、耳掻きをしていてヘンな菌が侵入したかな?と思っていたのだが、前歯の付け根に患部があった。歯医者さんが指の腹で歯や歯茎を擦っても痛みを感じなかったところ、前歯をゴツンと打診したらビックリするような痛みが走った。今日のところは応急処置と詰め物をしての上がりとなったが、月曜日は麻酔をかけて神経を処置する。幸い腐っておらず、炎症を起こしているだけだとのことだが、歯の神経に触れる痛みは堪え所のないイヤなタイプのものだ。昔はもっと大変だったのだろう。江戸時代あたりに生まれなくてよかった。

 歯医者。自転車でサッと行って、待合室ではマンガを読んで余計な想像を排除し、治療が終わったら好きなものを見てサッと帰ってくる。これ最強! 次は月曜日なんだけど、今はそんなこと考えない。

2003年4月10日 (木)  暖かい

暖かい


 今日も良い天気。ニッキも小太郎も元気すぎるくらい健康である。自分も左上の奥歯の付け根が痛いことを除けば、体調もまずまずである。もちろん、「これみつは何の問題もなく気楽でいいですね」と言われれば、「いやそんなことはないですよ」と答えるだろう。実際に、大から小まで探そうとしなくても難題は随所に転がっている。考え出せばキリがないが、考えてもそれだけで問題が解決するわけでもない。時間の流れという見えないもう1つの軸に相応していずれ展望が見出せることもあるだろう。過去がどうだったかと言えばまた考えるだけでもいろいろと面倒だし、また未来がどうなっていくのかなどもとより全く検討がつかない。だが、それが一瞬であっても、今が幸せである、というこの事実を素直に喜び感謝できる心を持っていたい。「どうせ…」という物の見方は考えを小さくするだけでなく、自分自身を不幸にしてしまうようにも思える。犬やネコは現在の瞬間を楽しんでいる。見習いたいものだ。

 それでは、仕事に行ってきます!

2003年4月9日 (水)  春の空

春の空


 嵐の次の日には決まってクッキリと見えた丹沢の山々も、霞がかかって柔らかい輪郭に映る。我が家から見える裏丹沢に相応しい、峻厳な秋冬の鮮明な濃い山影が好きなのだが、間の抜けたような、優しい丹沢の姿もまた悪くない。春の暖かさと相俟って気持ちをのんびりとさせてくれる。空の色も雲も、もはや冬のそれではない。空色と言っても何種類もの空色がある。色相だけでなく明度や彩度も季節によって明かに異なる。今日の空色は…、と説明しようとしてもなかなか的確に表せない。まあとにかく写真のような、ある春の日の空色なのである。

 そして漸くサモエドっぽい形の雲が見え出した。言い出しっぺの割にはまだ、これは!というサモエド雲を収めていない。サモエド雲は我が家から西から西南の方角に良く現れる。もう少し具体的に言えば高尾山から加入道山にかけての空である。山までの高さまで視線を上げても、雲の浮かぶ空を視線が捉えるということは意外に少ないものである。これからの季節、山々を見るついでにちょっと視線を上げてみることにしよう。素晴らしいサモエド雲に出会えるかもしれない。そんな時に限ってちょうど手許にカメラがない、などということがないようにしたいものである。

2003年4月8日 (火)  棚から牡丹餅

 風が強い。昨年何度も来襲した台風の時にも問題のなかったステンレスの物干し竿が脱落して階下のバルコニーに落ちてきた。時折笛のように聞こえてくる風の音にニッキが反応する。が、風が強かろうとニッキの便意はいつもの通りである。外へ行こうと目で合図を送る。

 屋上に出るドアを開けた途端、ニッキが猛然とダッシュした。小太郎ではない。金色に光る豆腐大の物を咥えている。サンダルを突っかけて、自分も急ぎニッキを追い取り上げると金色のメッシュに覆われたスポンジだった。おそらく近くのマンションのベランダあたりから飛来したものだろう。まだ新しい。ニッキにやってもどうせすぐにバラバラにしてしまうだけなので、屋上用に備え付けることにした。ちょうどこれから暑くなり、水飲みのタライに藻が生えやすくなる。それをこそぎ落とすのにちょうど良い。今まではタワシかプラスチックのブラシを用いていたが、もう少し軟らかいものが欲しかったところだ。いずれ、スポンジではなく、そのうちもっと良いものが飛んできてくれるとありがたいのだが。

 昼まではこの後晴れるだろうと期待していたのだが、夕方から暗くなり嵐の様相を呈してきた。朝方、サモ友の住む兵庫の天気が荒れだとあったのでその低気圧が関東に押し寄せたのだろう。桜吹雪も洗い流されてしまうとすれば少々残念である。


棚から牡丹餅

2003年4月7日 (月)  春の時間

春の時間


 昨日の狂犬病予防注射の影響だろうか、朝から食事には手を付けず、夜になって漸く食べ始めてくれた。

 午前中からどうも気だるそうだったので、リフレッシュと排泄を兼ねて普段より頻繁に外に出した。今日はあまりうろちょろと歩き回らず、駅前通りの展望にも興味がない。昼過ぎに屋上に出した時には、虫干しを兼ねた小太郎と顔を突き合わせるようにしてのんびりと日向ぼっこを楽しんでいたが、急に立ち上がり、コーナーに移動して2度ほど黄色いムース状の胃液を吐いた。空腹時によく見られるものだ。朝食を抜いたことによる影響だろう。これをそのまま放置しておくと防水のために塗った下地塗料の部分が変色する。相当強い酸を含んでいるのに違いない。ホースから勢い良く出る水で吐瀉物を洗い流すと細かい白い泡がサッと立つ。

 吐いた後、落ち着いたのを見計らって一緒に部屋へ戻り、片付けなければならない細かい仕事を進めながら傍らでひと眠りさせる。ぐっすり寝入った後はやや元気を回復したようで安心した。もちろんのこと、元気な時のニッキが一番なのだが、たまにはこうして変調を来すこともあるのだろう。回復のためゆっくりと体を横たえているニッキとそれを見守る自分の上を温かい春の時間が過ぎて行く。明日は元気になっていることと思う。



2003年4月6日 (日)  予防注射と観桜と

予防注射と観桜と


         水、うまいっスね

 日曜日なので休みだろうと思って、いつもお世話になっている動物病院の診察券を見たら、日曜も午前中は診察しているとのこと。先憂後楽。痛いことや面倒なことは少しでも早く済ませておいた方がいいと考え、急ぎ支度をして明日行く予定だった狂犬病予防注射のため家を出た。相模原でも集合注射は広く行われているものの、健康診断も兼ねて、そして注射1本にしてもやはり信頼の厚い先生に診ていただくことにする。いつもながら、ニッキは針が刺さる時少しも体を強張らせないので、いつ注射が終わったかわからない。体重は24.15kgとやや減ったもののほとんど横ばい。狂犬病の予防注射とワクチンは同時接種も可能だと聞いたが、念のために、8種ワクチンは来月頭に接種するということにして病院を出た。

 そしていつものようにクッキーさんでフードを注文してから桜の満開の横山公園へ。どこにこれほど多くの桜の木が植えてあったのだろうと驚くほどに桜花がその存在を顕わにする。駐車場もすでに満杯で、ビニールシートを広げて宴会をする家族連れの姿が目立つ。

 小町通り公園 スター気分

 今日は出掛けに診察券と市役所から配達された狂犬病のお報せはがきに注意が行き、うっかりしてデジカメを忘れてしまった。それゆえ携帯のカメラだけが頼りである。少しでも良いショットを狙おうと画質の設定を行い、桜をバックにニッキを撮影しようとしていたら、観桜に飽きた花見の見物客がニッキの周りに集まって一躍人気者になってしまった。ニッキにも何となくそれがわかるようで桜吹雪に負けないサモエドスマイルを振りまいていた。昨日の風と雨に負けないで咲き誇る桜の花を愛でて家路についた。

   花見 横山公園ロータリー

2003年4月5日 (土)  桜色は元気色

桜色は元気色


 普段ならば土曜日は午後からの仕事なのだが、別教室での特別選択授業が入っているので9時に家を出る。学校が休みになることイコール子ども達の休みにはなるとは限らない。子ども達も大変なのだ。PCを前にしてうだうだする朝の1時間を20分に短縮してから叩きつけるような雨の中を駅に向かう。骨が1本曲がったままの愛用のボロ傘は強風の影響をモロに受け、拉げた骨が今にも折れそうになる。旧態依然とした傘製造業界に、風に煽られても抵抗のなくなる新素材の傘が彗星のように登場するのではないかなどとどうでもよいことを考えながら歩いているうちに漸く駅に着いた。いや、つらいとき苦しい時はこのどうでもよいことが大きな救いになるものなのだ。靴はぐっしょりと濡れ、服には雨滴の後が斑点状に広がっていたが、冬物の毛織物の上下なので、吸水しても地肌まで水は染みこまないのがありがたかった。

 タイミング悪く上り電車が出たばっかりなので、10分ほど駅で待つ。雨にミゾレが混じっているようだ。寒い。携帯の着信をチェックしているうちに電車が入線してくる。車内の中吊り広告にはビッグサイトで開かれるドッグショーの案内があった。今日はサモエドの出陳のある日だ。行きたかったなと思いながら窓の外を見やると神奈川県と東京都の境を成す境川の土手に桜が咲いていた。車窓を流れるように彩る薄いピンク色に励まされ仕事場へと向かった。桜は老いも若きもその中間も、それぞれの感懐をもって眺めることのできる花だと思う。

2003年4月4日 (金)  チラシショッピング

チラシショッピング


 新聞の折り込みチラシが好きだ。ことに金曜と土曜は新聞と同じくらい厚い束でドサッと来るので、じっくりとチラシを眺める。日曜日は求人広告ばかりなのでつまらない。もちろん、化粧品や保険、不動産のチラシなどは最初に選別して折り畳んでしまうので、すべてのチラシに隅から隅まで目を通すようなことはない。近所のラーメン屋などが特集されているような時にはタウン誌もなかなか興味深いのだが、それほど当たりはない。県や市の広報誌の中にも希に面白い記事があるが、「ほらね、仕事をしています」というような内容のものが多く早めに選別される方に回ってしまう。

 チラシセンサーがまず反応するのは、東急ハンズの折り込み。これはざっと目を通してからトイレのマガジンラックに備え付けておく。我が家のトイレは真夏以外はそこそこ快適で「第2書斎」的な位置を占めている。とはいえ、本を読んだり調べものをしたりするメディアはやはり持ち込みたくはない。そんなときの無聊を慰めるために、この東急ハンズのチラシは打ってつけなのである。これはもうかなりのバックナンバーが溜まっており、その中には、こんなものがあったらいいなと想像していたものが形を取っているようなものもあって知的なワクワク感を高揚させてくれる。次に来るのがホームセンターのチラシ。これも東急ハンズ的なワクワク感を掻き立ててくれるのだが、より実用的な意図で、つまり、何か欠品や必要品がなかったかをチェックする時のリスト代わりになる。また、思わぬ掘り出し物にめぐり合えるチャンスもある。第3位は家電の量販店のもの。ただ、これは実際に買い物に出る時に立ち寄れる店のもの以外はムダなので目を通さない。新製品の紹介や季節家電の入れ替えなどで結構フレッシュな感じを味わえるものなのである。第4位以下はいろいろとあって、酒のディスカウントストアのもの(新しいビールをチェック)やホームダイレクトという工場直送品の通販のチラシ、カーディーラーのチラシなどが続く。

 たかがチラシということなかれ、チラシを見れば世間がわかるし、アピールの巧拙も研究できる。それに何よりも自分の話題の10%はこういったチラシネタなのだから。

2003年4月3日 (木)  10分遅れルール

10分遅れルール


 仕事に出る時、必ずPCの電源を落とすようになった。PCが立ちあがっている時にはネットに繋ぎっぱなしのため、不正なアタックを防ぐ意味もあるが(情報の盗取だけでなく、システムにワルさをされるのもコワイ)、電源を入れっぱなしにして火災の原因になることを恐れて、というのが第1の理由である。留守番の際はニッキにケージの中に入ってもらう。「万が一」のことを考えるなら、心配し過ぎてもし過ぎることはないだろう。

 と、そんなわけで仕事に出る準備を始める前にPCを落とさねばならず、その日になすべき仕事(行き帰りの調達品や金融機関での出納事務も含む)の予定と記録・進捗を個人サイト(サモエド共和国ではなく仕事用に拵えたもの)に少し早めに書き込むことになる。これは外部の端末からも閲覧できるので、タスクの積み残しやミーティングの時間、レポート・資料の提出に関する期限などのタイムテーブルを一括管理できる。そして、仕事から帰って予定と実績を突き合わせて、自分の行動記録をまとめるのだが、イレギュラーが発生しない限り、当初打ち込んだタイムテーブルと概ね一致する。まあ予定なんだから大きくずれてしまっては意味がないのだが…。

 だがしかし、各行動について詳細に検分すると、予定していた時刻よりもそれぞれ10分ほど遅れて行動していることに気付く。たとえば「11時5分に家を出る」とあれば、実際には11時15分に家を出ることになり、帰宅時間も10分ほど遅れている。なぜこの10分という数値に収束するのかは未だもって謎であるが、10分というのは何らかの意味で余裕を持たせたくてはならない時間の幅なのかもしれない。あるいは、前もって予定を立てることにより、それまでに1つでも多くの仕事を片付けてしまいたくなる時間貧乏性の自分の性が反映してしまうものかもしれない。そう言えば、今日もまた、予定していなかったペットボトルの整理を出掛けに行ってしまった。そして行きがけにダイエーに立ち寄り、回収箱に入れるために要する時間との合計が大体10分になる。

2003年4月2日 (水)  入浴剤

入浴剤


 冬、出先から家へ帰る途中木枯らしに吹かれながら思うのは、温かい湯船の中の光景である。冬の入浴は冷えた体の芯まで温まって実に気持ち良く幸せを感じる一時だ。だが、自分が最後に風呂に入ることが多いのでお湯を落として浴槽や洗い場を流しているうちにまた体が冷えてしまう。そして、ちょっと一息、風呂上がりにPCの前に座ってしまうと下手をすれば洗ったばかりの髪が冷えて風邪を引く。逆に夏はベタベタした汗や頭の地肌に引っ付いたようなチョークの粉を早く洗い流したいという気持ちで勢いの良いシャワーを思う。念入りに髪を洗い、体の中からすべての悪い汗を出しきるようなイメージをしながら浴槽に長めに浸かる。が、今度は風呂上がりにいつまでも汗が出続けるので、エアコンの効いた部屋でニッキとゴロゴロしているとこれまた風邪のキッカケとなってしまうこともある。

 春と秋、風も爽やかで気温も程好い季節だと、とくに風呂を恋しくは思わない。だが、湯船に浸かり風呂を上がった後の快さが長続きするのはこの季節かもしれない。30分くらい湯船に浸かったり出たりしながらぼんやりとできる入浴時は手許に本も携帯もPCもないので、深く寛げる時間になっていると思う。目と耳が休まる代わりに少々物足りなく思う気持ちを満たしてくれるのが入浴剤だ。以前は無印良品のヒノキやレモングラスを愛用していたが、近所にあった無印の店が閉じてからはたまに町田に行った時に買い足すくらいで、現在は東急ハンズで買ってきた木酢液か湯の華のいずれかが多い。湯の華は入った後浴槽の内側がちょっと黄ばむので洗う時に面倒なのだが、箱根(強羅)の湯が好きな自分としてはこの硫黄の香りがたまらない。

 ニッキと旅に出て、日帰り湯に入る機会が得られなくなったのが少々淋しいが、目を閉じて今夜も温泉地の気分を味わいたいと思う。

2003年4月1日 (火)  待機

待機


 起きることすらハッキリしないようなことを待つというのはつらい。待つという行為自体が受身であって、積極的に立ち向かっていける性質のものではない。こちらが意気込んでみても事実が回避できるというわけでもなく、一旦引き締めた気持ちも徐々に消耗していくようだ。待っている事実の到来さえ定かではなく、さらにそれが喜ばしいものでないとすればなおさら気分も沈みがちになる。だからといって布団に臥せっているわけでもない。いつもとそれほど変わらず何とはなしに活動をしている。その方が気分も紛れるし、こうして1日が終わりかけてみると意外と仕事が捗っていることにも気付く。そうは言っても、留守をしている間は家の電話の着信音の度に胸がぞわっとする。かつて父が旅先で急死した時もその連絡は何気なく取った受話器からだった。その電話が鳴り止んですぐに自分の携帯が鳴動した。電話は勤務先からで、教材の送付に手違いがあったことについての丁寧なお詫びの言葉だった。携帯の着信設定は、サモ友に教えてもらった着メロ(ボイス)のサイトからダウンロードした実に馬鹿馬鹿しい着ボイスになっている。この設定にしておけば、変事を告げる報せを受け取らなくても済むような気がした。そんなことがあるはずもないことはわかっているのだが…。