2003年7月31日 (木)  5kgを超えた小太郎

 自分の体重を量るついでに小太郎の体重を量ってみた。近頃長い間小太郎を抱き上げていると腕が疲れてくるので相当重くなっただろうなとは思っていたのだが、はたして5kgを超えていた。体重差約5倍のニッキに体当たりして跳ね返されないために食べては寝て食べては寝ているのかもしれない。ネコの体重管理にはあまり意識を向けていなかったのだが、1歳ちょっとで肥満になることのないように好き放題に食べさせることのないように戒めたい。

2003年7月30日 (水)  前後不覚

前後不覚


  これは何?

 ニッキに8時間の留守番をお願いして仕事に出た。朝8時20分から夕方16時までの5コマ授業。ニッキはしっかりとサークルの中で待機してくれていた。教室の生徒に後を尾行けられながらまだ日のあるうちに帰って来たのだが、ごちゃごちゃやっているうちにすぐに暗くなってしまう。夏至からすでに1月以上経過している。ふと感じる日の長さの変化に1年の移ろい行く速さを感じる。ニッキにとっての1年、そして8時間というのはどのような長さとして捉えられているのだろうとそんな考えが浮かんだ。授業でパワーを使い果たしたのだろうか。夕食の素麺をごまダレで食べ、朽ちくなった腹を休めるため、22時になる前に少し横になったところそのまま前後不覚に寝入ってしまった。

2003年7月29日 (火)  しとしと雨におもう

しとしと雨におもう


     ほらね、ボク専用の洞爺湖だよ

 仕事に出るまでニッキと寝室で過ごす。仕事部屋に引っ込むとニッキの姿を見ることができないので、寝室にも簡単な書き物のできる机―前からあるものだが―を設置した。雨の帳に包まれて部屋の中はしっとりと静かだ。時々ニッキのため息や舌を出し入れする音が聞こえて気持ちが和らぎ、書き物も進む。近頃はサークルの扉を開けておくと手持ち無沙汰のニッキが自発的に入っていくことが多くなってきた。ソファの上のクッションにもとくに関心を示さない。サークルの中も決して悪い場所ではないぞということがわかってきたのだと思う。言葉に出さなくてもわかりあえる、もっと良い関係をニッキと結んでいきたいと願う。


2003年7月28日 (月)  パソコンも歳を取った

パソコンも歳を取った


 愛用のパソコンはバイオPCV-L330というデスクトップタイプの機種。漸くISDNが普及し始める2000年(これはニッキの生誕年でもある)6月に、それまで3年間使ってきたSHARP製メビウスノートMN-5100Dの後継マシンとして手に入れた。熱を持つとフリーズ、ちょっと印刷を頑張らせるとフリーズ…と、Windows95搭載133MHzのメビウスのスペックではストレスが多くなってきたのだ。新マシンは、プロセッサの処理速度がそれまでの約3倍、ハードディスクの容量がほぼ10倍になったことから、俄成金なったような気分で面白そうなアプリケーションがあればジャンジャンインストールし、メモリを馬鹿食いするマイクロソフトの統合ソフトもストレスなく使っていた。それまで気に入っていたシャープ製スケジューラPowerPIMMをわざわざインストールして、スケジューラが2本同時に走るという非合理もお構いなしだった。PCの世界の進歩は著しいが、向こう5年は陳腐化せず、多少の手直しで余裕で使えるだろうと高をくくっていた。

 だが、程なくしてアプリケーションの巨大化により、増設した外付けHD(60GB)への一部アプリケーションの引越し、そして常駐ソフトの増加による起動速度低減防止のためのメモリ増設(64M→192M)などの手直しが必要となった。外付けHDDのクラッシュ等の周辺機器における事故はあったものの当面それで凌げたのだが、さらに、回線のADSL化、FTTH化によって処理能力は限界に達したようで、システムリソース不足のメッセージが頻発するようになってしまった。MS社の巨大な統合ソフトをいったん起動するとあとはテキストファイルすら開けなくなってしまう。これでは仕事にならず、192Mから256Mにメモリを増設する作業を本日行った。128Mで4,500円と安くなったものだと感心はしたものの、肝心のパフォーマンスは従前とほとんど変わらず、あ〜、やんなっちゃう…である。

 古いマシンも捨てないで適度に改造して使ってはいるが、そろそろこのバイオにもメインマシン引退の時がきたようである。現役を引退したら通信と画像処理をメインに据えた専用機としたい。思えばメビウスが3年、このバイオも3年ちょっとになる。次世代機、お金に余裕が出たら手に入れたいところだが、最低5年は持って欲しい。

2003年7月27日 (日)  新しいプール

新しいプール


      にくこた!(mpeg動画232kb)

 本日は全休なれど、体は朝からの目覚めに慣れてしまった。眠さに抗して起きるのもつらいが、眠くもないのに床に入っているのもなかなか難しいものである。午前中は涼しかったのだが午後からぐんぐんと気温が上昇し、夏らしい雲が空いっぱい占めるようになった。散歩のタイミングを逃した罪滅ぼしにニッキ用の新しいプールを出してやる。前のプールのように、さすがに100円でとはいかなかったが、1480円が380円にプライスダウンされている値札が付いていた。やはり安さに引かれて買ったのは否めない。新プールは側板が硬質ビニールでできていて丈夫そうだが、床面はやっぱり相当に薄い。人間の足ならプールの底に爪が食い込むということは通常ありえないが、ニッキはスパイクを履いたままプールに入るようなものである。大事に使ってくれよという願いを他所に早速ジャンプして飛び込んで水をバッシャンバッシャン掻き出している。これじゃたまらない。底を余ったビニールカーペットで補強しようとしたが、ビニールカーペットは水に浮いてしまいうまくいかなかった。取り出しやすくて洗いやすい補強材を考えることとしよう。小太郎もプールに入れてやったがこいつはいつものように何の感動もなく水の中でじっとしている。このプールがダメになったら次は、通信販売のパンフレットで見た、自分も入れる大きいのを買ってみようかな。


2003年7月26日 (土)  監視カメラ

監視カメラ


 ニッキの留守番の状況を外部の端末から確認するため、@niftyが提供しているテレビ電話システム(Eyeballパティオ)を利用した簡易ライブカメラを導入した。これによって、インターネットに接続した端末ならどこからでも、ログインしてニッキの様子をチェックすることができる。夕方から家の中で何回かテストを繰り返した。

 もっとも、実際にはモニターに映るのは大人しくサークルの中で寝そべるニッキとは限らない。もしそうだとすれば監視カメラの意味はないわけだ。職場からの癒しを得るという副次的な目的はあるが、何かあったらすぐに自分が戻るか、家族に連絡を入れられるようにするためのシステムである。目にするのは脱柵の決定的瞬間かもしれない。または柵を越えてWebカメラの方に黒い鼻が近付いて来るシーンかもしれない。その直後にガリガリッという音でもしたら…。そういうこともあり得る、という覚悟だけはしておかなくてはならないだろう。いずれにしても、安心を得るためのシステムがもしかすると不安を煽る道具になってしまわないように、出かける時の注意を万全にしたいものだ。ニッキにストレスがかかっていないか、鼻をキュンキュンならすような時間がないものかどうか。そういったチェックも怠らないようにしたい。

 現行システムでは、先ほど触れたEyeballパティオの会員しか見ることはできないのだが、カメラの設置位置や放映時間、メンテナンス手法など、不特定多数の方に見せても問題ないコンテンツというところまで熟してきたら、次はサモエド共和国でのライブカメラ公開を考えたいと思う。旅行先からの、オフ会現地からのライブ。これも実現するのはさほと遠い未来ではないかもしれない。

2003年7月25日 (金)  信じてやれば…

信じてやれば…


 いままで、自分がいるときでもニッキの行動範囲は目の届く仕事部屋前の廊下前と限っていた。何かしでかすのではないかという不安感があったからである。この度、寝室の家具の配置換えに伴って、廊下とはドアで隔てられた寝室を開放してやることにした。思いの外、こちらの期待するルールを守ってくれている。部屋の中に、ニッキにとって心地良いと思われるスポットを数ヶ所作ったところ(ほとんどは自分と共用の)、早速それを利用してくれている。目の届かない仕事部屋で自分がクシャミをするとすっ飛んでくるが、無事を確認してからまた寝室方面に引き上げて行く。塾で教えている子ども達を心から信用すると彼らは期待に応えてくれる。ニッキに対してもそれは当てはまるのかもしれない。

 昨日の日記にも書いたことだが、いずれは室内 ―といっても自分の生活圏だが― を留守中にも開放してやりたい。現在の状況は、自動車教習で言えば、仮免にまで至らないが、実地で車両感覚や交通事情を学ぶ路上教習というところだろうか。今年の夏は昼間も冷房を入れなくても過ごせるのでトレーニングがしやすい。そして、例えばクッションをずり落として振り回したり、激しく床を引っ掻くような行動があればその都度「ダメっ!」と叱ることができる。そして、電源ケーブルの露出や興味を示すような危険物があれば予め目立たないように、あるいは配置換え、忌避剤を塗り込むなどして対応していく。そんな風に考えている。が、幸か不幸か思った程にはイタズラはしない。意外と早くサークルは役割を終えるかもしれない。

 それでは不要になったサークルはどうするのか…。今はまだ状況が整わないが、いつかはニッキの(犬の)弟分、妹分を迎え入れるかもしれない。きっとまたすんなりとは行かず、手を焼くことになるだろうが、ニッキと小太郎という教育係が自分の手助けをしてくれることと思う。そんな夢を残しながらサークルは大切に大納戸に保管しておきたい。仕事が退けて予想していなかった大雨の中を急いで戻ると改良型サークルの中から「お帰り〜!」の挨拶があった。ニッキ、良い子だ!

2003年7月24日 (木)  緊急対応

緊急対応


           ニッキ砦

 昨日、Yさんご夫妻を家の前まで見送るため、興奮冷めやらないニッキをサークルに入れた。すぐに吠えなくなったので、サークルから解放してやろうと自室に戻ろうとしたところ、階段の上り口まで迎えに来ていた。そう、脱柵したのだ。以前も何度か脱柵したことはあったが、バリケンとサークルの柵の間に楔のように自分の体を打ち込んで、浮き上がった上半身から体をねじってソファに軟着陸するという、いわばベリーロールのスローモーション方式だった。だが今回は違う。すでにバリケンと柵の間には隙間がなく、ベリーロール作戦は使えない。かといって、サークル内の面積は1.5m四方の正方形に過ぎず、ほとんど助走なしのジャンプによる柵越えということになる。もう1度ニッキをサークルに入れ、少し離れたところから観察すると、思った通り軽く柵に手を添えた後、勢いよく跳び越した。

 3歳を過ぎ、メチャクチャなイタズラはしなくなってきた。ソファの上に乗っているクッションも以前のようにブンブン振り回すことはない。また、電源ケーブルもサークルの台座部分とクッションを乗せたスノコの下を潜らせてある。自分が同じフロアにいるときであれば、お互いが見通せる範囲になくても自由にしている。ただ、どうしても仕事に出るときは危険の少ないサークルに入れてからでかけたいと思う。今朝、出発前の悩みはこの脱柵防止の工夫だった。急いでいる時はロクな知恵が回らず、畳サイズの籐マットでサークルのぐるりを取り巻いてみた。が、結局あっさりと突破され、授業開始時刻も迫っていたのでやむなく自室を開放して仕事に出た。今日は扱いの難しい3年生の授業も入っており、仕事に没入することによって不安を追い払った。仕事が退けて家路を急ぐ。ドアを開けるとすぐにニッキの声が響いてきた。異音は聞こえない。ニッキの姿を認め、彼の行動する範囲を目で浚う…異状なし。

 多少逆説的ではあるが、たとえサークル越えが可能でも、サークルの中に留まるべきときには、その状況を理解して大人しくしてくれるようになれば、サークルは無用の長物となるだろう。だが、家具・備品の破壊はともかくとして彼自身に危険が及ぶ可能性はサークルの外に出た途端飛躍的に高まる。まだ、サークルには頑張ってもらわねばならない。できるだけ家にある資材を生かしつつサークルの改良作業を完了した。

2003年7月23日 (水)  我が家に蘭ちゃんがやって来た!

我が家に蘭ちゃんがやって来た!


 関西を訪れる折、いつも一方ならぬお世話をいただいている兵庫のYさん夫妻が愛犬、サモエドの女の子蘭ちゃんを伴って我が家に遊びに来てくださった。Yさん一家は普段大変お忙しく、なかなか遠出をするチャンスに恵まれない方なのだが、偶々仕事の予定の谷間となる休日が3日続いて得られることとなり、ご主人の決断で旅に出られたという。ご主人からの急な提案にYさんも多少戸惑っただろうが、思い立った時の旅立ちにはどれほど心沸き立つものがあろうか。

 昨夜のうちから東名道と中央道を東上され、休憩スポットごとにYさんのHP上のBBSへの書き込みがある。どこに向かうのだろうか…。興味を持ちながら新しい書き込みをリロードする。信州駒ヶ根のSAから「これから信州へ向かうかもしれない」とあるのを見て、関東にはいらっしゃらないのかなと少々残念に思ったが、天候が冴えず、甲州方面にハンドルを切ったということが次の書き込みで判明した。期待が高まる。今日は仕事が早く退けるので、どこか、山梨県内あたりで会合できるかもしれない。

 午後2時過ぎに携帯に着信があった。すぐに電話口に出ることができなかったのだが、留守電には立川の昭和記念公園にいるとのメッセージ。ははん、これはKさん家のマーヤちゃんと遊んでるな、とピンと来た。Yさんの携帯にメールを入れる。すでにYさんはこちらに向かっているという。立川から相模原にかけての経路案内を次々に携帯に打ち込み、すぐ近くの小学校の交差点を通過したとの返信を見て、我が家直近の交差点に立って直接誘導。

 16時過ぎに、蘭ちゃんを乗せたYさんの1BOXが我が家に到着した。今日の宿泊地の関係もあって、1時間足らずの再会ではあったが、今度は関東のこの地で蘭ちゃんがニッキそして小太郎に会ってくれる。相変わらず、ニッキは蘭ちゃんに怒られ、小太郎は蘭ちゃんに対してフーッと興奮していたけれど、それはそれで素晴らしい出会いだった。今日は山中湖に投宿し、明日は伊豆、千葉方面に出かけられるとのこと。道中の安全と素晴らしい出会いを祈っている。

2003年7月22日 (火)  時差調整

時差調整


 夏期講習も早番、遅番がある。講師単位のシフトというよりは担当学年のコマ割り(3・4・5年は主に午前、6年は主に午後)の影響を受けてのものだ。それゆえ、朝から晩までの8連発出講を希望すればシフトの影響を受けることはないのだけれど、家には3歳の息子が独りで留守番をしているためそういうわけにもいかない。本日午前中はニッキと十分のコミュニケーションを取りつつ溜まってしまいそうな個人事務を処理する。午後からはいつも見ている6年生。まだまだ伸びる、逆に言えばまだまだ緊張感のない個性豊かな子ども達である。

2003年7月21日 (月)  千鳥カムバック

千鳥カムバック


 昨日の夜のこと、千鳥が帰って来た。玄関先でネコ同士のケンカの声が聞こえるので出てみると手前に千鳥が、向こう側にはまだ若いと思われる茶トラのネコとにらみ合っていた。自分が来ても対峙したまま動こうとしない。引っ提げてきたデジカメで数ショット撮影したところで、茶トラの新顔が隣の敷地に越境していった。千鳥が庭の置き餌に手を付けるのを確認してから引き揚げようとすると玄関脇のコーナー窓の内側から小太郎がこちらを眺めていた。ニブイやつだ。外界のネコたちの情勢にも日々変化があるようだが、不当な介入を避けて見守ることとしたい。

 さて、本日から夏期講習。普段の生活と朝夜が逆転した形になるので体が慣れない。逆転した形が本来の社会人のあるべき生活パターンなのだからこちらを本則にしていくべきだろうとも考えるのだが、深夜の時間の甘みもまた捨てがたい。普段あまり見ることのない低学年のクラスの生徒の授業に対する心構えを説くところから今年の夏期講習はスタートした。学習というものはただ机に向かって鉛筆を走らせるだけのことではないのである、ということを理解してもらいたいのだ。自分が昔行くのがイヤだった塾のイメージを壊しながら授業をしているのだが、頭ではなく心に訴える授業というのは相当に難しい。だが、見えない部分での動機や継続力を与えることができなければ実りのない「巧い授業」に終わってしまうであろう。

 授業の終わる頃、昨日の九州の大雨が関東に引っ越してきたかと思われるほどの強い雨がアスファルトの路面を叩いた。程なくして雨は上がり、洗濯には嬉しい元気な太陽が顔を出した。

2003年7月20日 (日)  前期最終授業

前期最終授業


 本日はT(前)期最後の特別授業。すでに前期の本科授業については全学年にわたって終了し、今日の授業が終われば休む間もなく、明日からの夏期講習に突入ということになる。例年に比べて、朝から夜までの連投授業は少ないが、夏期は知らず知らずのうちに疲れが溜まる体力勝負である。体調管理を普段以上にしっかりと行い、無事に乗り切りたいと思う。夏が終われば秋。ニッキとの九州行きのための軍資金もしっかりと稼がなければならない。良い授業をしてくるからニッキ、留守番をよろしく頼むよ。

 それでは行ってきます。

2003年7月19日 (土)  なぜ、だろう?

なぜ、だろう?


 今日も例のごとく整理作業を進めている。年内中には家のどこであってもそれなりの趣が生まれるようにしたい、友を招いて飲みながら雑魚寝をしたい、という願いのためである。だが、それと同時に、心のどこか深い所では、不意のできごとに備えようとする用意が忍びこんでいるようにも思う。

 先週10日に伯父が亡くなった。若い頃は不動産会社の営業職として、寝る間も惜しんで猛烈に働き、やがて独立して一身代築いたものの、事業発展の夢はバブル崩壊で空しく散った。苦しい生活が続いたことだろうが、その後も決して夢を諦めず、かつて伯父を信頼して取引してくれた人たちが再起に力を貸してくれようとした。ちょうどそんなときだった。検査入院の際に病魔に命を断たれた。様々なコンプレックスを撥ね返そうとしてがむしゃらに働いた当時のムリが祟ったのだろうか。昔から決して健康体ではなかったものの、六十歳台での死は誰も予期していなかった。思えば自分の父も突然死と言えるような最期だった。現代といえども命は依然として人の意志の下にない。

 家の中が雑然とした状態で不意の試練に襲われたとき、それが自分の身に起きようと、家族の身に起きようと、残された者は大きな戸惑いに動揺してしまうだろう。そんなときに、誤りのない判断など下せようはずはないが、本質的な問題、核心に至る問題に精神のほとんどを充てたい、または充てて欲しい…。そしてまた、自身の営為が日常生活に刻印する範囲をある程度剪定して、自覚でき始末できるサイズとして把握しておきたい…。恐らくそのような観念が整理を促すのだと思う。周囲に物が溢れていれば便利ではあろうが、日常というものに自分が溶け出して消えてしまう。あくまで自分の場合ではあるが、自我を日常と相対化するために、一人になって旅に出るか環境を簡素にしていくことになるのだと思う。自分にとっての片付け作業は難しい理論も要らない、先達の教えも請わない、実益を兼ねた内観法なのである。

2003年7月18日 (金)  千鳥の顔を見ない

千鳥の顔を見ない


 玄関脇の外ネコ用餌場に近頃ネコの寄り付きがない。茶味や新ネコはもちろんのこと、千鳥も現れなくなった。姿は見えなくとも、夜の間に餌がなくなっていれば安心なのだが、朝刊を取りに出るときにも餌が残ったままだとちょっと気になる。夜になると近くでネコの激しく争う声が聞こえる。みんな仲良くやってくれれば良いのだが、彼らにしてみればそうもいかないのだろう。今日も涼しい風が吹き、ニッキは手足を投げ出して幸せそうである。

2003年7月17日 (木)  空回り

空回り


 歯車がうまく噛み合わずに終わった1日だった。自分自身が納得できない終わり方をするのが一番疲れる。力を入れるべきときに力を抜き、リラックスすべき時に緊張に支配されてしまうとよくない。問題が次々に発生したとしても、全く疲れない日もあり、逆の場合もある。今日は早めに仕事を片付けて寝ることとしたい。

2003年7月16日 (水)  サモエド共和国の展望

サモエド共和国の展望


      大脱走!(mpeg動画232kb)

 去る14日にありがたくも50000カウントを突破することができた。感謝の気持ちとともに、マンネリ化していることを申し訳なく思いつつ、細々と運営しているサイト(番組)ながら、もう少し訪問してくださる方のリクエストにお応えしようと考え、10秒動画のためのスペースを確保した。本当に手慰みに始めた「にくこた劇場」は自分でも好きなコンテンツなのだが、動画は結構容量があり、立て続けにアップしていたらメインのプロバイダのサーバースペースを超過してしまった。そのため動画リリースを控えていたのだが、これからは面白いものがあったら躊躇わずにアップしたい。

 また、昨日から今日にかけて、家庭内の通信環境の整備を行った。独立した高速回線を確保したので、近い将来ライブ画像を提供できるかと思う。ただ、自分の寝室はニッキと相部屋なので24時間ライブというわけにはいかないためもう少し検討したい。「ニッキとお留守番!」というような内容になるかな。あと、オープンの遅れているサモエド美術館/博物館だが、テーマごとの展示室ごとにアルバムを設置する等構想もほぼ決まっている。だが、確保した領域に大きな画像でアップしたいので、写真の撮り直しを要するということもあり、このための時間を見つけたい。この他、小太郎コーナーも作りたい。そろそろ表紙だけでも作らないと小太郎が承知をしないだろう。これもある日一挙にといきたい。

 難題は掲示板だろうか。常連さんは不便ながらも使ってくれているが、初めて訪問される方は使いにくいと思う。サモ友の方のサイトを廻ると洒落た多機能掲示板が多く、とりわけ見劣りしてきた部分だと思う。無料掲示板にこだわっているわけではないのだが、うっかり更新を忘れてデータが消失することの回避、いままでいただいたアイコン用画像を転用できる有料掲示板の不存在といったことが桎梏になっていた。だが、これも無償で提供されているcgiを元に不足しているところを記述することで何とかなりそうな気もしてきた。トップは当面このままの形で、内容をちょくちょくと手直ししていきたい。

2003年7月15日 (火)  連絡会余聞

連絡会余聞


 今日は夏と冬の年2回ある会社の全体会。会議ではなく、原則として全講師が集まり、本部の方針を共有させることを目的としているので「連絡会」という名が付いている。本来今日は公休なのだが、欠席して同僚の講師に冷やかされるのもイヤなので、しっかりと出席した。とはいえ、座りっぱなしの3時間は辛い。冗談でなく尻の病になりそうである。準備を要する授業の時とは違って、会場での待ち時間がないように開始時刻直前に着くことを心がけている人が多いようで、電車の中で知った顔と出くわすこともある。

 今日は町田の駅で、このHPにも遊びに来てくれる祁答院小ももさんと一緒になった。彼女は主に湘南方面の出講で、教室のPCにもサモ共をお気に入り登録してくれている。打ち合わせをしたわけではないのだが、お蔭で新横浜までの車中の楽しみが増えた。話し相手を得たというだけでなく、彼女の友人が編みぐるみを制作している方で、かねてからニッキをモデルにしてコツコツと作ってくださっていたのだが、その作品を予定より早く車中にて受け取ることができたからだ。モデルも十分にかわいいのだが、編みぐるみもとっても愛らしかった。思っていたのよりはずっと大きく、身長20cmくらいある。制作者の弁によれば、未だ満足の行く出来ではないので、再チャレンジのものができるまで預かっておいてほしいということなのだ。だが、新しいものができてもこれは返したくない。ニッキのとぼけた表情をよく掴んでくれている。たしかに近時ニッキは太ったが、少年時代のスリムなニッキによく似ていると感心した。

 連絡会の間、サモぐるみをみんなに見せてやりたいという気持ちを抑えつつ、散会とともに帰路に就いた。留守番をしている編みぐるみのモデルに一刻も早く会いたい。家に着いて着替えを済ませる。東から西に抜ける涼風は結構強く、体の熱を奪う。疲れが和らいでいく。サモぐるみの匂いをニッキに嗅がせてから仕事部屋の飾り棚に置く。この部屋には壁の半立体のニッキ、白熊のぬいぐるみのニッキ、焼き物のニッキなどが先住している。サモに囲まれての仕事は幸せだ。新しくサモぐるみの加わった部屋にニッキが押しかけ、今日もどこかに連れて行けと催促する。PCのセットアップやトレーの文書整理などの雑務を処理せねばならず、チャンスはなかったが、屋上に出て追いかけっこをしてやった。こっちがバテた。

2003年7月14日 (月)  いろいろと

いろいろと


 ちょうど会社の始業時間にあたる午前9時あたりから、建物機器の保守点検、通信関係の工事、その合間には宅配便の受け取りなどで午前中は流れていった。自分はただ居るだけで何もしないのだが、それでもやはり落ち着かない。それは、決して自分の時間を自由に使えないからではなく、「監視」するような感じで背後に貼り付いていては仕事もやり難かろう、かといって必要以上に話しかけたり、タイミングを計り損ねて「お茶など召しあがってください」などと言われても迷惑するに違いない。どうすれば気持ち良く作業を進めてもらえるだろうかとあれこれ考えるからだと思う。午前から午後にかけての数時間、とにかく、いつでも応答できる態勢にだけはして、ニッキと小太郎が邪魔をしないように保父の仕事に徹することにした。しっかりとプロの仕事をしてくれた業者さん方に心からお礼を述べ、午後に備えた。

 午後からはかねてからの今年の卒業生T君が遊びに来てくれた。中学生活のこと、興味を持っていることなどを目を輝かせて話してくれた。ニッキも傍らで話を聞く。今日も1日中雨かと思っていたら15時頃上がったので、ニッキを伴って定例の散歩コースを自転車で廻る。彼の家もクッキーさんの常連さんである。当然のように立ち寄ってお店の方と談笑してから彼の家へ向かう。途中、彼の小学校や馴染みの深い建物を教えてもらう。駅前通りを挟んで我が家から1km足らずなのだが、遠い町を訪ねたように目新しく感じる。お母さん、お祖母さんと挨拶し、前から会いたかった縄文柴の冬美ちゃんと遊ぶ。サモ友のYさんの家のようにゆったりとした敷地にたくさんの草木が植えられている。藤棚の下に設えたコーナーで、瑞々しいトウモロコシをいただく。藤などは花房しか目が行かず、こうやって葉を見るだけではなんだかわからない。巨大なサヤエンドウのような実もぶらさがっていた。草花と野鳥には無縁の生活を送っているので名前も知らないものばかりだが、こうやって身近に咲く花々を見ると、友達になりたいと願う気持ちが強まるものである。YさんやJさん、Pさんの気持ちがよくわかる。生憎、今の家には庭がないのだが、ニッキを収容するはずだった屋上のサークルの中に空いているプランターや鉢を出して、野菜や花でも丹精してみたい気持ちになった。お庭から切花にしていただいたものをお土産にいただき、帰ってさっそく花瓶に生けた。

2003年7月13日 (日)  ぼんやりしながらも…

ぼんやりしながらも…


 涼しかったこともあって、のんびりとしたペースながら多くの雑事を処理することができた。信書や契約書、取説や保証書などは期限や要不要を判断するために1枚1枚に目を通さなければならず、結構時間を取るのだが、期間が切れた保証書、すでに本体が存在しない取説、更新のたびに溜まっていく約款等を大きな紙袋に仕分けしていくのは気分がよい。過去の日記を見るとヒマさえあれば整理をしているように思われるかもしれないが、本腰を入れると1ヶ所が他所に波及して戦線が拡大していくものなのだ。家の中でジグソーパズルをやっているような感覚だ。

 さすがに数時間機械的な作業を続けると気分が朽ちてくる。時々ニッキに促されて出た屋上で深呼吸するが、昼を回っても涼しく、幸い雨雲は出ていない。少し長めの散歩に出ることにした。定例のコースを周回してクッキーさんに立ち寄り、その帰り道、オープンしたばかりのペットショップ併設のトリミングサロンに寄ってニッキのシャンプーをお願いした。明るい若夫婦がニッキを大歓迎してくれる。トリミングルームが店の外からも見えるというのも具合がよい。先週もチャンスがあったのだが、その日はニッキが前足のパッドを痛めてしまい見送った。それからちょうど換毛期に差しかかったため、今日、ということになった。いつもの店に比べると所要時間は1時間多いが、家から1km足らずなので気がラクである。

 家に1度戻り、かつての旅行の記念資料を整理する。観光地を訪れて、パンフレットを持って帰ってきた時はいずれこれらをきちんとファイルして酒杯を傾けながら、旅の思い出に浸ろう…などと考えていたのかもしれないが、そうやって集めたものは膨大で、しかも10年以上経過したものも多く、時と場所の突き合せが非常に困難なため、丁寧にやったら神経衰弱に陥ってしまうに違いない。そして、観光地のパンフレットというものは個性に富み、サイズも区々なので決まった箱や袋にビシッと収納できないのも悩む。だが、少しずつ分類の基準も定まり、行き先となるスペースが決まってくると、パンフレットの説明を読んだり、当時のやや神経質な字で書かれた旅程表などを懐かしく眺めたりと尻込みしていた作業をそれほど面倒とも思わず、のめり込んでいる自分がいた。ふと時計を見やるとニッキを預けてそろそろ3時間が経過することに気づいた。作業を仕上げ、小雨の降る中自転車を飛ばした。

2003年7月12日 (土)  久々の飲み

久々の飲み


 会議終了後、同じクラスを教えている他教科の先生、そして教室のスタッフと飲みに行った。昔は、最後の人が仕事の終わるまで、ぼんやりと待つか、自分の仕事を片付けるかして、その後「じゃ、そろそろ」ということになって自然に飲みに流れるというのが普通だった。が、近頃は新しい人も増え、また組織自体も大きくなったためか、人間関係もドライになってきたようで、自分のなすべき仕事が終わり次第職場を引き揚げるというのが全社的にスタンダードになったようである。今はニッキにいち早く会うためにもその方が好都合な面もあるが、飲む機会が全くなくなるのも寂しい。

 今日は授業が終わってからいったん家に帰り、他の先生方の授業が終わる頃を見計らって再び教室に出向いた。自分が出ている間に母が家に戻ってくるので、ニッキもひとりぽっちにはならないので安心だ。教室に着き、普段着でいるところを生徒たちが物珍しそうに集まってくる。生徒が全員教室を出てから今月の模擬試験の結果を元に話し合いを持ち、その後近くの居酒屋へ。久々にたっぷり食べ、たっぷりと飲み、楽しい時間を持つことができた。子ども達に元気を与える側もたまにはリフレッシュして元気を取り戻さなければなるまい。

2003年7月11日 (金)  優雅なゲスト

優雅なゲスト


 朝の排泄は終わっているのに、PCに向かっていた自分の近くまで寄って来てニッキが激しく吠える。宥めてみたが、理由のないときの吠え方ではない。促される形で屋上に出た。散歩の催促だったのかもしれないが、今日は朝の7時台から激しい陽射しが地面を暖めていた。外に出て、またパッドを痛めてはまずい。気晴らしに少し遊べばおとなしくなってくれるだろうと思い、ニッキと屋上に出たのだった。空気は澄んではいないが、山並みはよく見える。南西の方向に建設中の8階建てのマンションはいよいよせり上がって無粋な姿を晒していたが、階段状に西に行くにしたがって低くなっていくので完成しても辛うじて蛭ヶ岳の山頂は望めそうだ。

 出したてのニッキのおしっこを洗い流そうとして水場に近付こうとした。大きな黒いアゲハが舞っていた。ニッキが興味を持って近付いても逃げようとしない。久しぶりにニッキの姿を撮影しようとして手にしていたカメラで何度もシャッターを切る。コンクリートの床に薄く残った水に口をつけて飲んでいる。羽の動かし方が優美だ。動画にも収めた。この屋上にも虫のゲストは訪れるが、ハエであったり、コガネムシであったり、ある場合には小さなヤスデであったりと歓迎できない輩が殆どだ。てんとう虫やトンボでも来れば上客。こんなきれいなクロアゲハが来てくれて本当に嬉しかった。小太郎でもいたらゆっくりともてなしていることなどできなかったろうが、実に警戒心のない。実際、ニッキの背中に止まるかと思われるほど接近していた。

 クロアゲハの来訪を母に告げ、いそべ巻きで朝食を取っていたところ、母に電話があった。母の兄である伯父の死を告げる内容だった。こういうこともあるのかもしれない。

2003年7月10日 (木)  薄ら寒い相模原

薄ら寒い相模原


 この時期になると今年の10大ニュースというものの存在をふと考えてしまう。世界の部ではイラク戦争、そして日本の部では長崎の幼児殺人事件だろうか。皇室関係の慶事などの記事が第1位になるというのも、却ってそこには何かしらの作為が働いて不自然だと思うのだが、それはさておき、辛いニュースが上位にランキングされる場合、なぜそれが重大な事件とされるのかの意味を考えてみる必要があるだろう。10大ニュースなるものは殆どの場合、新聞購読者やテレビの視聴者からの投票によるが、過去の報道の大きさと正比例する形で結果が反映されていることが多いことに気づく。当然その時の大事件というものは新聞だけでなくワイドショーやニュースなどでも頻繁に、そして長く報道される。それゆえに、年の終わりに近付けば、最も強く印象に残ったものが10大ニュースとして祭り上げられることになろう。

 だが、この意義はどこにあるのだろうか。まさに、ただの「祭り」ないしは回想に過ぎないのではないのか。事件の人気投票に関心があるとすれば、自分の予想と一致していたかどうかの確認、さらには、忘れかけた事件の反芻ではないのだろうか。もっと言えば、このイベントは誰のためのものか。例えば、イラク戦争と長崎の事件ではその質が明かに異なることがどれだけ意識されるのだろうか。多数の人命でもたった一人の幼児の命でもそれが失われたことに違いがないではないか、というのはここでは筋違いの論である。ニュースの一報において自分が何に衝撃を受けたのかを思い出したい。見出しの大きさ、そして事件の規模の大きさだけではなかったはずである。先ほどの例でいえば、前者には、「戦争」というものが絵空事ではないということの、後者には「去年まで小学生だった子がそんなことをするはずが…」という自分の信じていた常識、社会観からの逸脱の大きさというものがあったはずなのである。自分を中心とした危機感、これを大切にしたい。身の回りの安全を担保するものがかけた場合の空恐ろしさ、この不安感を社会の改善に反映させたい。その認識なしに10大ニュースを云々すること、これはさらに不気味なことではないのか。

2003年7月9日 (水)  迷惑メール

迷惑メール


      どっからでもかかってきなさい(mpeg動画232kb)

 私の携帯のメールアドレスはいたって単純。氏名をそのまま利用したものである。氏名自体もどこにでも転がっているような単純なものなので(九条法印惟光とかだったら違うんだろうけれど…)当てずっぽうに流すようないかがわしい、そして時には悪質な迷惑メールがよく届く。アドレスの変更というのも1つの手だが、そのためには親疎を問わず知り合いに、いずれまた変えるかもしれないアドレス変更を告知せねばならず先方にとっても面倒であるし、この単純明快なアドレスは放棄したくない。NTTドコモも以前よりは本腰を入れてくれたようで、ドメイン名(@以下の部分)による選択受信ができるようにはなった。が、個別のメルアドごとに受信の許諾を与えるには指定できる数(最大20)は少なく、携帯から利用できるBBSの登録確認メールまでその都度設定しなければならないのは大儀に過ぎる。さらには、NTTドコモを初め、au等の携帯電話からの迷惑メールについてはドメイン指定による選択受信は防止できないようである。迷惑メールをせっせと出す方も、ころころとアドレスを変更して乱数みたいな無意味綴りで送信してくる。迷惑メール対策を行う第3者機関への転送にも協力してみたが、一向に効果があがっていないようである。敵も複数のサーバーを経由させたり、不正取得した足のつかないアドレスを利用しているのだろう。専門的な知識が不足するために具体的な対策はドコモさんに委ねたいが、メールアドレスの一定期間内の変更は直接窓口への出頭を要するようにして、迷惑メールの受信拒否ができるように(FOMAだけでなく)してもらいたい。何よりも不正メールを出す土壌を提供したのは他ならぬ通信会社である。「お客様のため」ではなく、不完全な通信環境を予測できなかったことを自らの判断ミスと断じてもらいたい。快適で安全な通信環境の整備は利益の帰する通信会社の責任であることをまず自覚して欲しい。自分は高いお金を払って迷惑メールサービスのオプションまで付けてもらったわけではないのだ。

2003年7月8日 (火)  素麺

素麺


 前にも書いたが、現在、物品のみならず食糧についても徹底整理中である。スーパーの終業時間に半額セールでせっかく安く手に入れても、食べるのを忘れて傷めてしまっては元も子もない。手を付けていない惣菜や和菓子が冷蔵庫の奥で悲しい姿になるのを見ると、罪深さを覚える。子どもの時だが、大切に取っておいたはずの水羊羹の存在を忘れ、カビが生えてしまったことがあった。生ゴミとして捨てるに忍びず、狭い庭に穴を掘って「供養」したことがある。この罪深さは決して世界の飢えた人に対してといったものから生じたのではない。食べ物それ自体に自らの怠惰と不注意を詫びていたのだと思う。飽食気味になってしまうとそういうことが起きる。しばらくは、閉店間際のスーパー半額セールはお預けだ。

 さて、その意味で保存の利く乾燥麺は重宝であるのだが、賞味期限というものを意識しない分、存在感が薄くなる。目下我が家に最も多く備蓄されている食糧は米でも餅でもない。素麺である。お中元としても結構いただくので、どんどん新しいものも増えていく。去年のものを含めると100把分くらいはあるのではないだろうか。我が家は人2人、動物2匹の小所帯であり、暑くなってくると炊き過ぎたご飯をその都度冷凍にしなければならない。そこで、素麺を毎日食べようということになった。大好きという程ではないが、高温多湿のこの時期、食欲をそそる。

 ただ、連日素麺、素麺とくると流石に飽きてきた。他の食べ方はないものかとネット廻りをしたり、知り合いのHPの掲示板に投げてみたりしてみた。すると、掲示板にレスがどんどん付き、団子にしたり、チャンプルにしたり、カレーを掛けたりという目の覚めるような情報を手に入れることができた。朝は2把普通にいただき、昼は1把をトムヤンクンに入れて食べた、そして夕食はカレーを掛けた素麺3把である。素麺6把、新鮮に感じながら腹に収めることができた。普通に食べる時も薬味をわさびと生姜と変えて見ると良い。物事に飽きてきたら、視点を変えてみる。これは広く応用できそうだ。

2003年7月7日 (月)  七夕は雨

七夕は雨


 七夕といってもとくに変わったことをするわけでなく、溜まっている添削の処理と整理等の雑務で1日が終わってしまった。少しばかりの自己嫌悪、である。

 今朝は変な夢をみて疲れてしまった。眠っているのに損した気分だ。不思議と記憶のはっきりと残る夢で、起きた直後に反芻したために克明に覚えているのかもしれない。夢のあらましは…どこかの大学だか短大だかの入試風景だった。普段地元に利益を還元できないからという学校関係者の説明を反映してか、やたらに社会人が多く(突っ伏して寝ているだけのオジサンや弁当を食べたり本を読んだりしている学生がいる)、どういうわけか自分も受験生の中に含まれていた。自分がなぜその学校を受験するのかわからないままに(まったく魅力を感じていなかったことまで覚えている)、自分の属する第2組の受験生たちは手際の悪い引率というか誘導で、とうに試験開始時刻を過ぎているのに試験場に入室できない(試験中の教室をぞろぞろと通過して他の教室に移動する)でいた。そのうえ、自分はコーギーを連れていて、雨の吹き込むような回廊(バス停なんかがあったようだ)で、偶然出会った犬の預かり業者に短期預かりの依頼をしている。そして試験が始まったようなのだが、問題冊子を捲ろうともせずに周囲の人達(振り返りさえして)を見渡している。最後の場面では、自分がいつの間にかその学校の試験監督になっている。顔を見知った教え子たちに「こんな学校入っちゃいかん」なんて説教をしている…。何だったのだろう?

2003年7月6日 (日)  七夕前夜

七夕前夜


 昨日のことだ。クッキーさんでニッキのフードを買ったのだが、その前にお医者さんに寄ってフィラリアの薬代を支払っていたことを忘れてしまい、金額不足となった。それで、フードの大袋を届けていただく時に精算する予定だったのだが、ちょうどその頃、自分は仕事で外出しており、また母はここ連日の大納戸整理のためにドアのチャイムが聞こえず、フードの袋だけを玄関の脇に置いていただくことになってしまった。

 そのようなわけで、今日は開店と同時にお店に行って残金を支払おうと思い、昼前であったが涼しいので、ニッキと一緒に行くことに決める。屋上で排泄と自由運動を住ませたニッキを促して搭屋に入れ、左前足を拭いている最中、ニッキが悲鳴を上げた。見ると肉球の一部が捲れている。昨日肉球火傷をさせてしまったのか、はたまた、砂利の敷かれた駐車場で駆けさせたのがいけなかったのか…。日曜日は獣医さんは午後休診なので、先に獣医さんに行こう。いつもの道を自転車牽きで進む。普通に歩いたり走ったりする分には痛くはないようだ。お世話になった歯医者さんの前の信号。いつもならここで道の向かいに渡るのだが、今日に限ってトラックが大回りして渡れなくなってしまった。走れるようだ、先にクッキーさんで支払を済ませよう…。これが良かった。

 クッキーさんに着く、ガラスのドアの近くまで今日の表番のミルクちゃんがニッキを迎えに来てくれる。今日は昨日のようなかわいいゲストさんがいるかなと店の奥を覗いたら…。覗いたら、いた! 1日違い、数時間違いという大昔のNHKドラマみたいにすれ違いでなかなか会えなかったサモエドのはなちゃんが! 「運命」なんていうものは人生を不景気にするだけだから信じたくはない。でも、偶然がこうやって素敵な、粋な演出をしてくれることに対しては、神様に「よっ、名監督!」と賛美の気持ちを惜しまない。そう、今日は七夕前夜。明日のリハーサルとしては格好の題材だったのだろう。はなちゃんは、ニッキより自分との再会を喜んでくれたようだけど…。

2003年7月5日 (土)  たじたじニッキ

たじたじニッキ


 午前中ニッキの定期検診。夏に入ってから少しずつ体重が増加。診察台に内蔵された体重計のデジタルメーターは25.2kgを表示していた。ニッキの骨格からして適正体重がどれくらいなのかわからないが、今後も体重の推移に付いては正確に記録していこうと思う。雨の日に散歩をサボったためウェイトコントロールができなくなったのだとすれば申し訳ないことだ。

 いつもであれば横山公園を廻ってからクッキーさんに立ち寄って帰るのがフルコースメニュー(約5km)なのだが、病院を出る頃には気温が上がってきたので、クッキーさんでフードの注文だけを済ませて戻ることにする。ドアを開けると9ヶ月になるコーギー娘のクーちゃんがニッキめがけて走り寄って来た。クーちゃん、ニッキのことを愉快なお兄さんと思ったか、ピョンピョンジャンプしてニッキの顔に好き好き攻撃の雨を降らせる。ゴールデンのクッキーちゃんやミルクちゃんには得意の押し倒しを試みるニッキも、クーちゃんのこのかわいい攻勢には「勘弁してよ〜」と逃げ回るばかり。クーちゃんのお父さん、そしてお店のSさん共々ニッキの姿に笑ってしまった。

 いつもであれば夏の散歩から帰った後に飛び込むプールなのだが、空気が抜けてしまって水も澱んでおり、新しい物にチェンジするまでしばし使用禁止。代わりに足を冷たい雑巾で拭いてやり、製氷機からできたての氷を振舞う。室温を昨日よりも1℃低い設定とし、留守番を頼んだ。散歩と食事の後であれば快く留守番を引き受けてくれる。バリケンの中に敷いてある余剰の大理石に腹をくっつけ、「しっかり働いて来てね」と笑顔を見せてくれる。最高の笑顔に勇気付けられて、生徒の待つ教室へと向かった。

2003年7月4日 (金)  ちと蒸す

ちと蒸す


 大納戸の整理も山を越えたため、多少細かい作業をちょくちょく進めるだけの意欲が出てきた。大まかな仕分け―これは殆どラックの架設やダンボールの移動・開梱だが―も骨が折れたが、細かい作業は矛盾なく、決まった容量に収めなければならないので、今完全にピッチリとやってしまうのは得策ではない。砥石に荒砥、中砥、仕上げ砥とあるが、漸く中砥の段階に入ったというところか。ここに至って初めて、本格的に物を「捨てる」作業に入ることができる。整理は処分を伴わなければ単純な整頓で終わってしまうが、初めから処分できるわけではない。分類、検品といった過程がある。してみると、整理と整頓というのは対義関係になく、整理が整頓を包摂すると考える方が的確に思える。無論、整頓を含まない整理も考えられるけれど、最後の段階で見栄えをよくするための整頓作業を行わないというのは余程意思が強い合理主義者か、ひねくれ者だろう。

 それにしても、封筒(郵便番号5桁時代の)やら絵葉書、メモ帳などが出るわ出るわ。筆記用具もあるし、便箋もどっさり。懐かしい切手を貼り付けて電子メールでない手紙でも書こうか。今では電子メールが普通の手紙になってしまった感があり、その限りでペーパーレスは一応実現しているのだろうが、紙に肉筆の字を下ろす感触があるからこそ、モニター上の字にも愛着が生まれるのだと思う。電話の脇か車の中くらいにしか存在しなくなったメモ帳。とりわけ、すでに名前の消えた金融機関のメモ帳を眺めると物悲しくなる。当時は金融機関の倒産や再編成など考えもしなかった。奢る平家は久しからず、か。

 いい気になっていたわけではないが、文具は流行に乗った経験がある。中途半端な整理が、引越しの度に集積したという面もあるので、単純に浪費と割り切るのも不正確だろうが、戦後の日本人が必要最小限の物しか手に入れないといった拘りを持たなかったからこそ、経済成長がもたらされたのだと考えることもできるように思う。ただ、地球的コストを視野に入れて考える時、それは余りにも、杜撰な考え方だと言える。余っているから、場塞ぎだからというのでなく、今ある物品を役立てることができるような公の無料交換所のようなもの(会費はあってもいい)ができないだろうかと考える。

2003年7月3日 (木)  梅雨の趣

梅雨の趣


 シャーッと音を立てる激しい雨音が周囲の雑音を遮り、むしろ静けささえ感じる。初め強く、やがて衰えていく雨勢の変化も網戸に開け放した仕事場の窓から感じることができる。豊かだ。自然の運ぶ冷気には、エアコンによる管理された空気の持つ白々しさはなく、真にバランスが取れていて爽やかの一語に尽きる。近頃聞かなくなった「複雑系」といったタームとも関係するのだろうが、自然への畏敬、頼もしさを天体の運行や気象のみならず、このような人の肌に触れる細やかささの中にも見出すことができる。長い梅雨ではあるが、今年は雨が間断なく降り続くというわけではなしに、日中の晴れ間もありなかなか付き合いやすい。仮に家の周囲の気象を随意の下にコントロールできるのなら、自分は迷わず、今日の条件をインプットした「走り梅雨」モードを選択するだろう。昼は洗濯物もよく乾き、そして、雨上がりの家までの道の爽やかさは格別で昼にも日蔭であれば涼しい風を吹かせてくれる。

 今日は午前中からの2連発の懇談会、1度家に戻っての家の雑務。そして夕方からの授業と家と教室を行ったり来たりだったが、傘を差さねばならない事態には至らなかった。骨の半分折れた教室の置き傘の出番はなく、エアコンなしでニッキもしっかりと留守番を引き受けてくれる。願わくばこれが今後の標準的な梅雨とならんことを、何て言うのはちょっと虫が良すぎるだろうか。

2003年7月2日 (水)  タイムカプセル

タイムカプセル


         サラダバー?

 今日は母が主体となって大納戸の整理を進めた。仕事に出る前の時間を使って自分も手伝う。手付かずのダンボール数箱を開け、昭和54年にこの地に越して始めて家を建てたときの見積書や契約書などに大まかに目を通す。「もういらないね」と念のために確認の言葉を呟くようにし、登記簿の抄本やら測量図等をドサドサと処分する方に仕分けする。当たり前のことだが、今捨ててしまえば後になって見ることはできなくなる。だが、じっくり見ていると捨て難くなってしまいそうなので、敢えて紙のカタマリのままビニール袋に押し込む。それでも厚みのある紙の束からブック型になったパンフレットなどは抜き取って「保存」の側に積み上げたりする。煮え切らない気持ちをさほど女々しいとも思わない。

 作業が進んで箱を空にして平たく折り畳むのは快感である。箱が次々に開けられる。腎臓病からの快気祝に故郷を訪ねていたときに、大動脈瘤破裂で急死した父の死亡診断書などが出てきた。父と同道していた母にとってはその時のことを思い出すことは辛かったろうが、それから10年の時が過ぎていた。今まで整理ができなかった訳についても、ものぐさであること以外にも理由があるような気がした。父のパスポートや旅から帰ってすぐに出席するはずだったセレモニーのために用意した祝儀袋などはやはり、今回もまた処分することができなかったけれど、かなりの書類や物品を袋に詰め込んだ。10年という時の経過によって鎮まった感情を多少気恥ずかしく、寂しく感じながら…。

2003年7月1日 (火)  エアコン休止

エアコン休止


 相模原は1日中雨。憂鬱な天気ではあったが、予定していた事務を滞りなく処理することができた。梅雨空に、ついに性根までが深く腐ってしまったのかと思ったが、そうでもなかったようだ。湿気は多いが、気温が低く風があったのでエアコンは時折除湿運転をする程度。富士の氷穴にでも潜ったような、適度に湿気を孕んだヒンヤリした空気も良いものである。ニッキもそれがわかって網戸の前に体を横たえていた。

 数日前から冷蔵庫の中、そしてキッチンストッカーの中をスッキリと片付けようという目標の下に、食料品をしばらく買ってこない運動を始めた。家に帰れば何となく食べ物がある、というのも食べ物に対する堕落した気持ちを強めるように思う。今日に至って、冷蔵庫のメインの収蔵庫の中が見渡せるようになった。傷まないように丼によそってラップをかけた飯と4分の1ほど残るキムチ。夕食はカニ蒲鉾をメインにしたキムチチャーハンと大量にある素麺と相成った。大納戸の大整理も山を越え、今後は細かい仕分け作業が続く。食品についても1度は空っぽにしてからムダを排した生活を心がけたい。生活はつましく、愉しむ心は豊かに。現今の理想とするところである。