カップ麺にNICOSカード
親からの仕送りであろうと、バイトで稼いだカネであろうと、あるいは奨学金であろうとも、手元にある現金は使ってしまう。そういう人間はいるものだ。公共料金は払わずとも、電気や電話が止められるだけであって、死ぬわけではない。日常雑貨や本が買えなくとも、死ぬわけではない。酒が飲めなくとも、死ぬわけではない。しかし、メシを食えないと死んでしまう。
家中探し回って菓子やつまみを探し当てて食らい、最後の生命線の米を炊いて塩か醤油でもかけて食らい、糊口をしのげるうちはまだよい。本当に何もなくなってしまい、ポケットには小銭さえもほとんどなくなってしまったとき。ここからは空腹の苦痛もさることながら、体力が磨り減っていく。やがて日雇いバイトに出かける体力さえもなくなってしまい、次の仕送りまで水をすすって寝込むしかなくなる。
だが、複雑な信用と法制度の下で成り立つ現代社会には、クレジットカードという武器がある。学生にも限度額が小さい「学生カード」なるものがあり、中央大にも「中大アクルスカード」がある。親のカードの家族員カードを持たされていることもある。
現金なんぞ一円も持ち歩かなくても、これ一枚でメシも食えるし、欲しいものも買えてしまう。もちろん後で使用した額は請求されて、しかも手数料も加算される。ただの先送り、借金にすぎない。しかしながら、高額の現金を持ち歩く危険を冒さずに済み、手持ちがないとき、思いがけずカネを使う必要があったときにも便利である。特に旅行では重宝する。そして飢え死にするぐらいならば、カードを切ってメシを食らうことぐらいはする。
カードというのは恐ろしいもので、「支払いは後でどうにかなるだろう」と軽く考え、高額な買い物をしてしまう場合もある。だけれども、金欠の人間はカネがないことの恐ろしさと、カネがない原因(自分の無計画さ)をよく知っているので、そこまでバカなことはしない。だから、飢餓状態のときにカードで切る額は、極めて小額である。
常日頃金欠の■■が、財布から出したレシートの数々。それを見せられたとき私は、マジかとつぶやかざるを得なかった。■■のレシートは、コンビニでカードを切ったときのものだが、どれも「日清カップヌードル カレー味」。ときどき「シーフード味」。たしか143円程度ではなかろうか。■■はかくして、金欠時にはカードで140〜150円程度の食糧を切り、それで飢えをしのいでいるのだ。そして仕送りやバイト代が入ると、湯水のように使う。そしてまた困窮。まあそれでも、生活が崩壊していないだけまだよしとするべきであろうて。
ちなみに中大の学食は、二階のカフェテリアならばカードでメシが喰えるとのことで、重宝されている。