「水にカネを払うなんてわからない」


 外出中にノドが乾いたら、自販機かコンビニで缶飲料やペットボトルを買う。これがここ最近の、一般的な生活スタイルと言えよう。私も例外ではない。ノドが渇いたらかう飲み物、あるいは弁当と一緒に買う飲み物としては、私は水を好んで買う。ある日、棒術部員が何人か部室に集まって何かをしているときもまた、私はモノレール中央大学明星大学駅構内のファミリーマートで、弁当と水を買った。そして、部室で部員連中とともに、メシなんぞ喰っているとき、私に対してある後輩が言った。
「うちの親父もよく言いますけど、水にカネを払うなんてわからないッスよ」


 私が水を飲んでいると、しばしば現れるのである。「水にカネかける奴はバカだ」とか、「水を買おうなどという発想がわからない」と言ってくる奴が。どこの団体やどこの仲間にいようとも、こう言ってくる奴は高い確率で出現する。
 別に上下関係ひけらかす気はないけれど、先輩に対してケンカ売っとんのか、このアホは。おそらく、まったく私を挑発する気などなく、彼は本当に「ペットボトルの水を買う」という発想が理解できないのだろう。そのことは、次の問答からも明らかだった。
「ノドが乾いたら水を飲むのは当たり前だろう。人類開闢以来の、古来からの常識だ。人体には水分が要る。その重要物質をカネ払って買うということの何が不思議なのかね?」
 私はわざと挑発的に聞いた。
 すると彼の答えはこうである。
「いやあ、ノド乾いたならコーラとかジュースとか、茶とかコーヒーとかあるじゃないですか。それに水なんて水道があるじゃないですか」
 言うと思った。私に「水を買う奴は云々」と要ってくる人間は、水と清涼飲料水の区別がついていないのだ。さらに、水道というコトバも出てくる。
「別に糖分とかよけいな味などいらん。私はただ純然たるH2O、水分が欲しいんだ。ノド乾くたびにジュースやコーラを文字通り水代わりに飲んでいると、デブになって糖尿になるぞ。それに水道があると言うが、ノドが乾いたときにいつでもどこでも水道があるというのか?あったところでその水が飲用できるというのか?部室には水道がないが、お前は私に、便所に行って手洗い用の蛇口から水をすすりつつ、弁当を食えというのか?」
 ただでさえ1食あたりのエネルギー過多な現代人が、ノド乾くたびに糖分を大量摂取していてはどうなるか。今この部室で、水代わりにコーラやジュースを流し込んでいる連中の、10年後20年後の健康状態が楽しみである。また、水道が危険だ安全だ、などという面倒なことを言う気はないが、外で水道水を飲む気にはなれない。


「ならば、茶があるじゃないですか」
 さらに後輩が聞いてくる。しつこい奴だ。ここまで来ると、彼は水を飲むという発想が理解できる理解できない云々など大した問題ではなく、自分の論を引っ込めることが敗北で、私の言に対して黙ることが恥だと思ってコトバを続けている。ただでさえ、水を買って飲むというどうでもいい私の生活スタイルにケチをつけられ、気分悪い私は、いい加減しつこい後輩に対して、怒が沸き上がってきた。
「私はカフェインは嫌いだ」
 私は短く応えるにとどめた。
 すると後輩は・・・。
「かわってますね」
 彼は、今までの問答を冗談めかして言っていたのだが、ここにきて本当に理解できない、異常な存在を相手にしているかのような面して、言い放ちおった。


 私の水を買う買わないもさることながら、カフェインを忌避することを、変人異常者奇人の類であるかのように捉えて、珍しい動物か超常現象でも目にしたかのように、人のスタイルへの理解・許容を拒絶するとは何事か。
 世の中にはカフェイン・アレルギー体質の人もいる。こういう人は、カフェインを摂取すると呼吸器・循環器の機能不全が起こり、重症の場合は死に至ることさえもある。また、宗教的な理由によってカフェインを摂取しない人も世界的には相当数存在する。私がユタに行ったときは、モルモン教徒用にカフェイン抜きのドクターペッパーさえ売られていたほどだ。こうした身体的理由や宗教的理由でカフェインを拒否する人がいたら、彼は「茶もコーヒーもやらないなんて、変わっていますね」と言うつもりだろうか。ヘタしたらぶん殴られるし、そうでなくても相手を人知れず深く傷つけることになる。
 些細な生活スタイル、自分と違おうとどうだろうと理解なんかしなくていいさ。だが、そういう人も居るんだ、と軽く認識するぐらいの度量は持って欲しいものである。他者の趣味嗜好やスタイルなんて、突き詰めてもなかなか理解なんてできないんだから、「あいつのスタイルはわからない」→「あいつはおかしい奴だ」という短絡的な思考回路は改めて欲しいものである。「そういうスタイルをとる人もいるんだろう」と受け止めるだけでいいのだから。
 いや、私がカフェインを取りたくないのはもっと単純な嗜好の問題なのだが。


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