ウォッカボヤ騒ぎ


 我が棒術部では、ウォッカは禁じ手となっている。ポーランド産のアルコール度96度ものウォッカは、1瓶でわずか980円。各種のジュース、炭酸飲料を用意すれば、これ一本で随分と飲めるものだ。だが、このウォッカが用意された飲み会では、必ず惨事が起こった。1回目は、参加者の圧倒的大多数が記憶を失い破廉恥行為をするという大惨事となった。そして2回目は、会場となった部屋でウォッカに引火してボヤ騒ぎが起き、下手をすると本物の大惨事になるところであった。


 江川氏(仮名)のマンションにて、いつものように飲み会が行われていた夜のこと。ここに馳せ参じる途中に私は、酒屋で96度のウォッカを購入して持参した。他にもビールやワイン、ウィスキーなど数々の酒が用意されたのだが、このウォッカも特に注目されて活用された。
 まずはストレートで飲んでみて、その死の味・・・舌の神経が死ぬような恐るべき感覚におののいて、慌てて半分に割る。それでもアルコール度約50パーセント。水道水あたりで割ったものだから、ただひたすら不味い。そうした顔をしかめつつも飲んでいるうちに、ウォッカは燃料として使われ始めた。高いアルコール度の酒があると、燃やしてみたくなるというもの。マグカップに少量のウォッカを注ぎ、ライターで火をつける。蛍光灯の下では見えにくいが、青い炎が燃え上がる。その上で、鮭のトバを焼いて食らうなどしていた。
 鮭トバは、北海道出身の私や別の者が、頼まれて大量に買ってきたものである。鮭の身長とほぼ同じだけの長さのトバが、この日江川氏宅に20本以上集まっていた。鮭トバは、焼くと脂がにじみ出て美味い。私のツールナイフでトバを適度な大きさに切断し、私やジャイアン氏(仮名)、F氏などでマグカップに燃え盛るウォッカの炎であぶって喰らう。ウォッカは、燃料としてはなかなか優秀であった。


 ウォッカが燃え尽きると、またウォッカをマグカップに注ぎ、そして火をつけた。トバは何本もある。コンビニあたりで買うと、薄くスライスされたトバが20キレ程度入ったパックが何百円とする。しかし今夜は、スティックのまま貪りつけた。いくらでも喰い、酒も進んだ。
 そしたまた火が弱まってきたとき。ジァイアン氏が継ぎ足そうとウォッカのビンを持ち、マグカップに傾けたその刹那。鈍い音がし、目の前が真っ白になった。そして視力がもどったとき。江川氏宅にはいつでも堆積している新聞や紙ごみが、ここそこで赤く燃えていた。ジャイアン氏もF氏も、江川氏も私も、しばらくここそこで燃える赤い火をただ眺めていた。なにやらとんでもないことが起きた、という気がしたが、何が起こっているのかわからなかった。
 まず私がぎこちない動きながらも流しに向い、テキトーな容器に水道水を目一杯注いだ。床にこぼれたアルコールの水溜りも燃えている。ここで水をかけたら、はじめて余計火が広がるのでは、などと一瞬考えたが、それでも躊躇を振り切って水をぶっ掛けた。音を立てて火が小さくなる。けれども、消火するのにはまだまだ足りない。江川氏も流しに駆け寄り、水に漬けていた鍋(飲み会の前半で、この鍋で米を炊き、銀シャリパーティーをやっていた)をひっ掴んで、中の残飯ごと水をぶち撒いた。これで火は大分小さくなった。この頃には皆燃えていないゴミを隔離し、手に手に容器を持って水を掛けにかかっていた。時間にすれば、1分だったのか10分だったのかもわからない。火はなんとか消し止めることができた。


 奥の部屋で寝ていた課長(仮名)も起き出してやってきた。戸をしめて奥の部屋で眠っていたのに、真っ赤な光といきなり流れてきた熱で起きた、とのこと。バックドラフトかと思ったとも。戸を閉めていても、そこから漏れた光と熱は、相当なものであったようだ。
 無事に早期消火できてよかったが、このまま燃え広がっていたらどうなっていたか。起きてトバなんぞ焼いていた面々は、なんとか逃げおおせることは出来ただろう。しかし、奥の部屋で酔って寝ていた課長やタリン(仮名)は、逃げ遅れて一酸化炭素中毒で死んでいたかもしれぬ。恐ろしいことだ。
 そして、ウォッカのビンを傾けたジャイアン氏の対面にいたF氏は、ウォッカの炎で腕の毛が焼けてなくなっていた。まだ燃えるマグカップの炎は、傾けられたビンの中の気化したウォッカに引火。火はビンの奥−つまりビン底まで広がっていき、行き場を失った燃焼するウォッカがビン底でUターン。そうしたビンの口から勢いよく噴き出したのか。だからビンの口が向いていた方向のF氏が炎の洗礼を浴び、その方向に燃え盛るウォッカの飛沫が飛び散ったのか。
 一歩間違うと、F氏は大やけどを負うところであった。そしてビンに残っていたウォッカの量がもう少し多かったら。ビンの強度が堪えられず、ビンは四散。その破片でジャイアン氏や周りの多くの人間が傷つき、もっと広い範囲に燃え盛るウォッカが飛び散っていたかもしれない。とんでもない大惨事になっていたところだ。


 数々の幸運と偶然が重なった結果、この程度のことで済んだ。
 これ以来、棒術部では、ウォッカと酒を燃やすことは禁じ手となった。

 


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