上京後2ヶ月でメガネをなくす
課長(仮名)は、両津勘吉と泥臭い学生生活にあこがれて上京した男。大学に受かり、東京にアパートを借りて引っ越してから、彼の泥臭い生活がはじまった。
弁当屋でカレーライスを買ってきたらスプーンがついておらず、まだ引っ越したばかりで自分の食器もない。やむなく彼は手でカレーを食った。引っ越したばかりのときは、何かと足りないものがあるもの。カーテンもその一つ。彼の部屋は道路のすぐ側にあり、中を覗き込む通行人と目が合ったりもした。そして、タバコを吸おうとしたらライターもない。コンロの火で吸おうと、くわえタバコでコンロに近づき着火した刹那、髪の毛に引火して燃え上がった。
・・・このように、泥臭い学生生活の第一歩を満喫していた彼も棒術部に入り、部員と酒を飲み歩くようになったある日。
居酒屋で遅くまで飲んだ後、課長を含む新入生数人と、2年生2人、3年生2年で南平の街を闊歩していた。南平は治安がわるく、バイク・原付の盗難・破壊、自動車を止めてのドライバーへの暴行などもしばしば起こる。私が中大に入ってからの数年間で、殺人も二件報道されている。だからと言って、そんなことは気にしない。私も数年間に深夜早朝も含め、何十回も歩いた道だ。その日も、課長を含めた数名は、終電がなくなって歩いてどこぞに向かおうとしていた。酔ってステ看板なんぞを破壊しながら闊歩していたその途中で、棒術部一団は南平のチンピラの一団と出くわした。手に手に金属バッドで武装した、底辺の地回りである。
非常にまずい事態である。このときの我が棒術部一行は、圧倒的大多数が入って間もない新入生。右も左もわからない。上級生はここではさし当たって、最優先で彼らを守らなければならない。そしてトラブルは結果がどうなろうとまずい。全員にとってまずいことだが、司法試験や国家公務員試験を目指している者もここには含まれており、彼らにとってはトラブルが記録に残ると致命傷になる。
私がこの場にいたわけではないので、具体的なことはわからない。ただ、誰かが突発的に「逃げろ!」と叫んだ。先頭では小競り合いの前兆が起きていたのだが、酒が入っていたこともあり、後方のグループでは何が起こっていたのかわからなかった人が何人もいた。「逃げろ」と言って誰かが走り出したのを見て、いきなり鬼ごっこが始まったと勘違いしてわけもわからず走り出した者も少なからずいた。まあ、おかげで新入生は無事に離脱できたらしいのだが、小競り合いの中心地では得物を振り上げる前哨戦として、蹴りを繰り出して挑発し合っていた。ここで最後まで踏みとどまって抵抗していた少数の人間は、「こんなところで死んだら両親に申し訳ない」と思いつつも、覚悟を決めていたという。だが、彼らのおかげで新入生は無事に離脱できた。
結局、残った人間が囲まれて圧倒的不利の状況にいるのに気づいて、走り出した人間の何人かは戻った。具体的なことは差し控えるが、とりあえずは本格的な殴り合いにはならずにことは収まったそうだ。しかしこの騒動で、課長はメガネを破損してなくしてしまった。
こんなことがあったのならば、この場にいた新入生が怖気づいて部を辞めてしまうのではないか。そう上級生は危惧した。そして事件が広がらないように、厳重な緘口令が敷かれた(それでも私は数日後に、複数の人間からこの話を聞いているのだが)。しかし、課長を含めた新入生の全員が、これまでどおり部に残った。
数年後にこの事件を振り返った課長は、上京してわずか二ヵ月後に武装した地回りに取り囲まれ、メガネまでなくした。東京はおっかねえところだとしみじみ思ったという・・・。
ちなみにこの事件を教訓にして、棒を持ち歩かないときのために特殊警棒を買い込む者が現れるのであった(みだりに鉄棒等を持ち歩くと、犯罪なのだが)。