ちょっと滞ったが日記を続けます
1999年09月09日 02時55分34秒

 帰省・飲み会などによって、日記が滞ってしまいました。これは忙しく続けてなんぼの代物なのですが、ついついまとめて書くことになってしまいました。

9/4
 釧路から東京へもどる。帰った時期がズレたために、釧路には旧友もほとんど居らず、実家ではなかなかヒマな日々を過ごした。金銭的には楽だったが。

9/5〜6
 早速先輩宅で飲み会。私の凱旋記念、及び先輩の出征(帰省)壮行会というのが口実である。ウオッカ引火事件というシャレにならない事態が発生(※)。

9/7〜8
 高校時代からの友人が、我がアパートを訪問。何故か私が友人の「合宿報告書」をパソコンに入力。「戦前の偉い人」風の文体で、あらゆる事象を「北」の策謀とする怪文書は、書いていて結構愉快であった。


※私が、先輩宅へアルコール度数96度のウォッカ「スピリタス」を持参したのだが、これが引火した。最初の頃はオレンジジュースで割るなどしつつも、半分に割っても50度という事実に驚きつつ飲んだり、微量ストレートで舐めてみて、味蕾が死ぬような苦みを味わったりして、普通に飲んで楽しんでいた。
 だが、誰がはじめたのか、やがてマグカップにウォッカを注いで火をつけて喜ぶという危険な行為がおっぱじめられ、私が北海道土産として持参したトバをナイフで切って炙って食うという蛮行が展開された。そしてアルコールを燃やし尽くして下火になってきたとき、1人がスピリタスの瓶つかんでマグカップに補給しようとした。その瞬間、目の前が真っ白になり、周囲のゴミが赤々と燃えていた。


 未だ燃え続けるマグカップにスピリタスを注ごうとしたとき、瓶の中のウォッカに炎が引火し、瓶の中で一気に気化・燃焼したウォッカは、そのエネルギーを一気に瓶の口から噴出させた。ジャイアンの対面にいたF氏(仮名)に炎が吹き付けられ、同時にウォッカの飛沫が燃えながら周囲に飛散した。
 F氏の腕の毛は焦げて無くなっていた。飲み会の最中で食い物の袋が散乱していたのもあるが、家主の先輩は掃除という概念を持たない方なので、床に座って飲んでいる回りには、読み捨てた新聞やゴミが散乱していた。猛烈な燃焼によってウォッカが恐るべき照度の光で皆の視界を奪い、そして視界が戻ったとき、そのゴミがここそこで燃えていたのである。


 数秒だったとは思う。しかししばらくの間、誰もが黙って燃えさかる炎を眺めていた。何かとんでもないことが起きている。だけれども夢を見ているような気持ちだった。冷静に考えれば、ゴミが燃えており、火事に発展しかねない非常事態なのだが、それを認められないというような。黙っていれば夢から覚めるように、何事もなかったことになると期待するような。非常時においては、人間は努めて非常時であることを否定したがるというが、そうした精神状態だったのだろうか。
 誰もがうなるような微かな声をあげたきり静止した中で、真っ先に動いたのは私だった。金縛りから解けたようにぎこちなく。あたかも恥ずかしいことをするような抵抗を感じながら。緩慢で不自然な動作ながら、立ち上がって流し台に取り付き、コップに水道水を注いで、振り返って燃ゆるゴミに水をぶっかける。


 水をかける際、燃焼するアルコールに水をかけると却って事態が悪化しないか、という躊躇もあった。しかし、このままでは悪くなるばかり、として思い切って水をぶっかけた。もちろん燃える天ぷら油や化学薬品と違って、燃えるエタノールに水をかけることに問題はない。だけれども、もし水をかけるとより悪化する事態だったとしても、「何もしないよりは、した方が自体が改善されるはず」という思いから、思い切って水をかけたかもしれない。
 その意味では、一番最初に立ち上がって行動した私に危機管理能力があるわけではない。私が最初に立ち上がり、躊躇しつつも水を掛けたのは、震度6を二度経験し、日頃から防災について考えシミュレートしてきた経験もあるが、それよりも、私が災害に対して臆病な人間だから、それを恐れを払拭するために真っ先に行動をしたのかもしれない。


 私がぶっかけたマグカップ一杯の水は、新聞紙や食い物の袋を燃やす炎を若干弱め、熱せられた菓子袋か何かが水を蒸発させる音が響き渡った。この蒸発音で、他の人々も気がついたように立ち上がって行動を起こした。
 私は1番大きなコップを選んで水をかけたが、そんなものでは埒があかない。流し台にやってきた家主の先輩が、米を炊いて水に浸してあった鍋を手に取り、その水をぶっかけた(飲み会の最初の頃、炊飯器がないのに米を買ってきて鍋で炊き、納豆で食っていたのだ)。私は大量の米のこびりついた鍋の汚水を他人の家でぶちまけることを躊躇し、マグカップを選んだのだ。火事になれば汚水どころじゃないというのに。非常時において小さな事を気にしたものである。そして先輩は、最大までひねった蛇口から猛烈な水圧で鍋に再び水を満たし、炎にかけた。これでほぼ完全に鎮火した。あとはダメ押しに水をかけて、それからは掃除であった。上記リンクを観て貰えばわかるが、主に床に置かれたゴミが燃えていたので、フローリングの床自体の損傷は想像した程ではなかった。もちろん原状回復しなければならないが。


 酔って、別室で何人かすでに寝ていたが、「目の前が真っ白になった」と言って、寝ていた課長(仮名)が起き出してきた。戸を閉めた別の部屋なのに、ウォッカが爆発的に燃焼した光が、引き戸のわずかな隙間から部屋に入り込んだのだろうけれども、寝ている人間をも起こすとは、凄まじい照度である。
 火は床とF氏の腕の毛を焼いただけで、大事に至らなかった。瓶に残っていたウォッカが少なかったのと、運が良かったのだろう。ウォッカがもう少し多ければ、瓶が圧力に耐えきれず破裂して、破片が人々を傷つけ(特に失明の恐れがある)、燃えさかるウォッカが衣服に飛び跳ね、人間を火だるまにしたかもしれない(もちろん私がそうなったかもしれない)。もっと広範囲に炎が飛び散れば、水を汲んで撒いたぐらいでは対処できなかったかもしれない。火事になっていたら、先輩や他の住民の大切な財産や持ち物を損ない、夜間ということもあり、死者が出た可能性も高い。酔って先に寝ていた面々は、「光で目が覚めた」課長はまだしも、より深く酔って眠っていた面々は、確実に逃げられなかった。


 無事に済んだからこそ、こうして笑い話であるかのように語ってはいるが、本当に恐ろしく、愚かな出来事であった。バカはやっても、反社会的な行動をとってはならない。まさにその通りである。


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