登校開始
1999年10月18日(月)
そうそう休んでいたら留年するので、ムリを押して登校。一限は体育。しかも空手。
武道経験者である私にとって、体育程度の稽古は体力的には屁でもなく、技術的にも多くの受講生とは腰の入りが違う。しかし、先日まで寝込んでいて大丈夫なのだうか。
高熱と腹痛のために、母親がわざわざ上京してくれていた。それほどまでに病状はしんどかったのだ。だが、体育は出席重視の上に、先生と顔なじみの私は休むわけにはいかない。月曜は語学にゼミと、休むわけには行かない講義が多すぎる。
今日は蹴りがメインの稽古だったのだが、私は蹴りが苦手だ。腰を入れて、体重を蹴りに乗せるのがどうもうまくいかないのである。しかし、体育に於いてはそこまでは求められない。いや、体育だろうがなんだろうが、武道は自己鍛錬なのだが。
しゃがんでから立ち上がりつつ蹴りを繰り出す稽古(うちのサークルでは本式タッチングと呼んでいる)、立ったところからリズムに合わせて蹴りを繰り出す稽古(タッチング)、立って腰を落とした姿勢からその場で蹴りを繰り出す稽古を行った。
それぞれ10本か20本だったのだが、私にとっては楽勝である。普段の稽古に於いて10本や20本などウォーミングアップにもならない。しかし、5本6本と続けていると、受講生達のうめき声と、号令よりも遅れて脚が床に着く音がまばらに聞こえてきた。
なんと体力・根性がない連中だ。昨日まで腹を抱えてうめいていた人間にも及ばないとは。しかし、普段乗り物に頼り、豊かな生活に甘んじて根性を入れるようなことを一切していない人間に、体力・根性を求める方がムリというものか。
昨日まで私はふとんにてのたうち回っていたのだが、あまりの受講生との体力差に、今まで仮病でも使っていたかのような気分になったものだ。
忘れていたのだが、今日はゼミコンの日であった。アパートには親が居るし、腹が炎症を起こしている私は酒など飲むわけにはいかない。
「胃が炎症を起こしている。昔潰瘍をやったこともあるが、それが再発したのかも」と飲みをことわり、ダメ押しに「今親が家にきている」とも言った。
飲みは断ることが出来たが、ゼミ生の反応は予想外であった。「親が家に来ているから飲みに来られない」という事態を理解できないようなのだ。ほとんど自宅生しかいない連中だが、下宿生のアパートに親が来るという事態がどういうことかぐらい、少しは想起して欲しいものだ。
遠路はるばる親が来てくれているというのに、親をアパートに放っておいて飲んだくれることなどできるか。第一、身体の具合がわるくて親が来たというからには、私がいかに身体を壊していたか想像に難くないはずだ。音に聞こえた中大の学生と言えども、この程度の想像力もないのか。いやはや。
■後年記■ |