鎌倉にて。買い出しと射的
1999年11月21日(日)

 

 今日は、OBのГ氏(仮名)の買い出しにお供して、鎌倉へと行くことになった。1998年2月14日にもГ氏と共に行ったことがある店だ。鎌倉の大仏へ向かうコースに位置し、外国人観光客が訪れることも多いその店、我々は単に「武器屋」と呼んでいる。なぜ鎌倉の大仏近くでそのような店を営んでいるのか甚だ疑問ではあるが、その店では刀剣類のレプリカ、鉄ではないが殺傷力抜群のモーニングスターやウォーハンマーなどが並べられ、壁にかけられ、天井から吊り下げられた、あたかも「ウィザードリィ」の武器屋のごとき店なのである。地震があったら、確実に死ねる場所のひとつである。
 そこへГ氏はまたしても刀剣類の買い出しへ行くとのこと。棒術部員というのは、基本的に武器マニアか武道経験者が多く、Г氏や私は前者に入る。武器が山とある場所に連れて行けば、私が喜ぶことをГ氏は知っておられる。だから声をかけてくださったのであろう。


 私のアパートとГ氏の自宅との中間地点で待ち合わせ、Г氏の車で鎌倉へと向かう。途中、私が運転を代わったりもしたのだが、ガソリンエンジンのマニュアル車に乗ったのはこれで2度目(教習所ではディーゼルだった)。フルタイム4WDの車体は重く、トランスミッションは割とタイトで、何度かエンストしたものであった。ま、それでも問題なく藤沢までは至ることが出来た。
 藤沢で昼食をとってから、Г氏に運転を代わって鎌倉へ向かう。駐車場事情のよろしくない大仏周辺を避けて、少し遠くに車を置いて、歩く。1年半ぶりの鎌倉か。大学1年次の終わり頃にも、連んでこの道を歩いたものである。外国人向けの般若や日章旗のTシャツを、同期の義盛氏(仮名)と共に買って着たりもしたものであった。さらには私が日本刀、義盛氏がハルバードを買って、その帰りに酒を飲んで(以下省略)。ま、今回はあくまでお供。金銭の持ち合わせもそんなにないので、今回は大した買い物は出来ないが。
 今回Г氏が買ったのは、「エクスカリバー」と称する長い両刃の直剣。西洋で銃器が普及する前に、騎士が実際に持っていたのはこんな感じの剣なのかも。けっこうな値の品なのだが、惜しげもなく大枚を叩く。カネとは、ここ一番という時に使うためにある。「社会人になったら、結構カネの自由が利くようになるが、これは悪い例だ」とはГ氏の弁。大学を卒業して以来、すばらしい買い込みぶりである。


 さて、エクスカリバーを肩からぶらさげて車に戻った我々は、いきなり各々の持ち銃を取り出し、射的をすることにした。昼に落ち合ったときから、どこかで撃ちたいという話をしてはいた。日が暮れ、人の少ない場所にいる今この時が、決行の時である。
 周囲を見回しても人気は全くない場所故、流れ弾が誰かに当たる心配もない。

 

 チオビタの空き瓶を置いて、撃つ。この瓶は、Г氏がわざわざ持参してきたもの。

 S&Wのオートをズボンに差し、ワルサーPPで瓶を狙う。ワルサーPPでは、瓶には傷ひとつつかなかった。

 STIイーグル。コルト.45系のカスタム・ガン。これで撃つと、一撃で瓶がこの有様。凄まじい威力だ。

 何発も持っていると、首が落ち、瓶の胴体も削ぎ落ちていく・・・すばらしい威力だ。

 イーグルを手に現れた変質者。

 最後に記念撮影を。下が白いのは、ストロボの反射。


 この射的が終わった後は、「子供がケガをするといけない」と言って、Г氏はやはり持参したビニール袋に瓶の破片を集める。小さな破片の一つ一つまですべて丁寧に拾い集めて回収。


 余談ながら、瓶が割れるような威力であろうとも、エアガンの弾丸が人間の皮膚を破って食い込むなどということはあり得ない。もちろん当たれば焼いた鉄棒でも突っ込まれたかのように痛いし、赤く腫れ上がる。でも、それだけである。腫れとて、次の日には引っ込む程度だ。大した代物ではない。人体というのは弾性があり、そして強靱なのである。すばらしく丈夫に出来ている。実際の弾丸でも、弱い弾薬や榴弾の破片を浴びても、あまり食い込まないことがしばしばあるぐらいだ。それに比べたら6oBB弾なんぞ、文字通り玩具である。ちょっと考えればわかることなのだが、それがわからない人が多くてねえ。
 高校時代にエアガンの弾丸がボロな土壁にめり込んだのを見て、「人間に当たったらめり込むんじゃないか」と抜かした友人、狩猟・競技用のエアライフルと玩具のエアガン(より正確に区別すればエアソフトガン)の違いもわからない文筆屋、危険そうなものはとにかく規制すればいいと考えている人々。鎌倉からの帰途、車の中での話題は尽きなかった。


 さて・・・道に迷った。Г氏は普段そんなに運転する人ではないので、まあ仕方がないのだが。藤沢から海老名へと向かっていたはずなのだが、何か様子がおかしい。「戸塚警察署」との標識が。横浜ですよ、ここ。そう、目に見えて都市部に入りつつあったのである。神奈川県というのは、横浜市郊外を含めて意外と草木が多い田舎なのだが、我々が走っている道路は明らかに大都市のものであった。
 「東京まであと何q」「五反田・川崎方面」「大田区」の文字が見えたときは、どうしようかと思ったが・・・。逆ではないか。古の合宿でも、帰途に似たようなことがあったとか。
 Uターンして、コンビニで地図を確認しつつ、なんとか藤沢あたりまで戻り、無事に町田方面まで抜けることは出来たが・・・。


 帰りに少しハプニングがあったが、無事に我々は帰り着けた。
 大学を卒業した先輩と、今なおこうして付き合っていられるということは、実は希有なことなのかも知れない。こうした縁というものは、大切にしたいものである。


今日の衝突事故・・・
 屋内駐車場でバックしたとき、ポールに激突。
 屋内駐車場で内輪差のため、ポールに接触。
 屋外駐車場で、バックの際にサイドミラーが接触。 

 私がやったわけではないよ。念のため。


■後年記■
 誰1人いない深夜の辺鄙な場所での出来事。ガラス片は本当に小さなものまで持ち帰った。しかしエアガンを外で撃つことにはやはり危険があり、見通しがよく誰もいないように見える場所でも、思いがけず現れた通行人に危険や脅威を与える恐れがある。僅かでもそうした危険があるのならば、やはり外で撃つべきではない。Г氏とはエアガン道楽での付き合いが続くが、外で撃ったのはこれが最初で最後である。
 また、当時は撮影のたびにエモノを小道具に用いたが、ものによってはみだりに持ち歩くことは軽犯罪法に抵触する恐れがある。当時は気軽に使ったが、現在ではとても出来ないことである。


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