我が家へのOBの訪問
2000年04月16日(日)
昨夜、サークルのOBが我が家を訪れた。
年齢にして3歳離れ、立場は学生と商社員。
この差異は、大きい。
見ず知らずの人間ならば、私など畏まり、気が休まらなかっただろう。
我が家を訪れた先輩は、忙しい時間の合間に大学時代の後輩である私のアパートを訪ねて下さり、他愛もない話や業界の話で盛り上がり、ファミコンや鉄砲で遊んで翌日の昼まで笑ってすごしたものだった。
やっぱり大学の人間関係は一生モノかな。
サークルは、人間関係構築の場である。私がサークルに於いて得た、もっとも大きなものは、友である。先輩であろうと後輩であろうと、友は友。こういう関係は、大切にしたいね。
当然だが、いくら親しかろうが、打ち解けようが、私は先輩には敬語(最低限、丁寧語)で話す。
これは最低限の礼儀である。
どうも巷では、ぞんざいな言葉で話すことを、「親しい」と勘違いしているボケが目につくが、正直に言って、私も立場的に目下のガキにそんな口調で話されたら気分わるいッス。
礼儀は、旧弊な形式でも、権威主義でもなんでもない。
立場の違いのある人間同士が向き合うとき、どうしても「目下」「目上」という関係性が存在する。例え、自分は開放的だ、礼儀なんてドブに捨てちまえ!などという人間でも、年の離れたガキや能力に劣る人間にぞんざいな口を利かれたら、やっぱ気に障るわけよ。例え本人がフレンドリーなつもりでも、無礼な意図のカケラもなくても、格差ある関係性の中ではこれは自然に感じるものだ。
で、形式上の礼儀というやつは、それを回避するための手段である。別に敬語を使うからと言って、必ずしも相手を尊敬しているわけでも、相手に従属の意を表すことになるわけでもない。これは、円滑な人間関係のための手段である。
まあ、この日我が家を訪れた先輩は、私の大恩人であり、尊敬に値する方であったがね。
私は、目下の人間に敬語を強要はしない。
序列と権威は、日頃の行動と実績で感じさせるものだ。
しかし、必要なときに敬語を使えない人間、敬語が必要な状況を判別できない人間はダメだと思うね。
これは、最近とみに感じる。
■後年記■ |