基礎としての学校英語
2000年04月22日(土)
今日も語学学校に行って来た。
やはり思うのは、学校の英語教育だけでは会話はできないが、中学高校の英語教育程度の知識がないと、会話するのもままならないということだ。
中学高校の教育は批判されがちであり、「学校の勉強は役に立たない」というのを「通説」と捉えている者も少なくない。
批判は結構だが、決して学校の勉強は役に立たなくはない。
現に、私は語学学校で楽に英会話を学ぶことが出来ている。
英語を身に付けるのならば、「関係代名詞がどうだの、単語の暗記などしないで、ネイティブと渡り合うのがいい」。そういう意見は、あらゆるメディアにあふれ、実際にそのように考えている人間にも数多会った。
その、ネイティブと渡り合うのを実践するのが私の通う語学学校である。
語学学校の教師はネイティブである。
日本語などしゃべらないし、日本語の呼びかけなど通用しない。
まあ、外国人教師が日本語を理解しているような気がしてならないが、彼らは英語でしかしゃべらないし、英語でしか物事を聞かない。
私はそんな環境で英会話を学んでいるのだが、やっぱり受験勉強で培った力が役に立っている。そして、学校でさして英語を勉強していなかったであろう人は、見るに堪えないレベルである。
単語を全然知らないから、何も話せない。
教師に何を言われているのかも、教師が言葉を言い換え、角度を変えて説明しなければ酌み取れない。それも、どれだけ的確に解釈しているのか疑問である。
今日、同じ教室の男性が、"a lie"とは何か聞いてきた。
まあ、「ウソ」という言葉なのだが、そもそも単語をほとんどしらないこの男性に、単語の意味を教えるのは一苦労だ。
先生も、
"I am Japanese.It's falth."
"I am Canadian.It's truth"
などと例文を出して説明したが、"false"という言葉もわかっていないようだった。結局、その男性は最後までよくわからなかったようだ。
ホントの基礎の基礎がない人間は、会話なども身振り手振りレベルから発展するのが難しいし、正式な文法や単語力を知らない以上、複雑な会話など出来ない。学校教育も役に立つものだ。
その点、私は大学受験で養った英語力がある。世間のアホどもは「無味乾燥な、意味のない丸暗記」などというかも知れないが、意味のない暗記などありはしない。物事は、覚えているうちに「無味乾燥な記号」ではなく、「意味のある情報」として再認識することができる。
それができないヤツは情報戦争の敗者である。