戦え!何故叩き殺さぬか!
2000年05月04日(木)
多摩動物公園ツアーを終え、その次に控えているAC合宿開催のために、私と2名の後輩は、私のアパートにて「アーマードコア」の微調整を行っていた。
それにも飽きはじめた4日深夜、画面をゲームからテレビにしてみると、バスジャックの事件が。目的はよくわからんが、1人の男が包丁を持ってバスを乗っ取ったらしい。
辛くもバスから逃げた乗客によると、犯人は1人。
目撃証言が「ジーパン」だの「若い男」に終始しているからには、巨漢でも何でもない、ただの男のはずだ。
凶器は刃渡り20pの包丁。
これを聞いて私は思った。
何故、戦わん!やれ!そんなクズ野郎、叩き殺せ!
凶器は刃渡り20pの包丁。かなり凶悪な武器だ。
刺されたら、まず死ぬ。
殴って人間を殺すのには、専門的な訓練でもしていない限り、数十分かかる。しかし、刃物ならば、一刺しでいい。
だが、刺されるか、重要な部位を切られるかしないかぎり、即座に行動不能にすることは出来ず、打撃力がないために、防がれたりかすめたときには、相手に対して効果がほとんどなく、攻撃者に隙をつくることとなる。戦いに於いては、鈍器かもっと重い刃物の方が、包丁やナイフなんぞよりも有利である。
年寄りや女には期待しない。しかし、男も乗っているんだろう。
戦え!
確かに素手ではかなり厳しいが、包丁相手にはカバンか何かで対抗すれば、五分の戦いが出来る。
実際、私がその場にいたら、どんな行動をとるかはわからない。
安全なところからテレビで事件を観ているから、戦え云々と言えるのかも知れない。
しかし、次々と乗客が傷つけられ、しかも死人まで出ている。
黙っていても、助かるとは限らない。
ならば、やるしかない。
自己の安全を確保するためには、戦うしかない!
普段、伊達に筋トレしてないし、曲がりなりにも武道をやってもいる。
さすがに徒手空拳で立ち向かうような技術も度胸もないが、なにか武器があればやるしかない!
と言ったら、「誰もが、鍛えてるわけじゃないッスよ」と後輩に言われた。そりゃそうだ。
もちろん強がってみても恐ろしい。
血を流す犠牲者や、文字通り刃物を手にしたキ@ガイを前にして、恐ろしくないわけがない。
だが、恐ろしいからこそ戦うということが人間には出来る。
私の経験上(どういう経験かはネットでは書かない)、そういう場合は終わってから足が震え出すものだ。ことの最中は、多少切ったり刺さったりしても、痛みさえもさほど感じない。私自身、朝起きてから自分が血まみれになっていて、ちょっと動こうとしただけで鋭痛が走ることに気づいた、なんてことがあったものである。
警察がどう出るかな。
豊和工業ゴールデンベアの.308win弾で射殺だ!
日本警察の銃と狙撃手は、それが可能なはずだ。
と言っても、出来ないだろうな。
犯人射殺して、それ以上乗客に犠牲者がでなかった。よかったよかった・・・というわけにはいかないからなぁ。
函館空港のときのように、突入して犯人拘束、人質無事、というのが実際問題としてベストな解決なのだろう。
すでに死人が出ているけど。
後日補足
犯人は、人質の女の子に、常に包丁を突きつけていたそうな。
しかも、男性乗客に対して警戒し、乗客の配置を慎重に指示していたそうな。
これでは、対抗は難しいね。
というか、出来ないわい。
自分が攻撃されでもしない限りは。
また、犯人を射殺しなかったのは何故か、という「議論」を某所で聞いたときは失笑を禁じ得なかった。
このときは「子供がなぜ凶行に走るか」「現代の社会の〜がわるい」といった話に論点がズレてばかりで、肝心の射殺の是非については「それでは根元的な解決にはならないじゃないか」で一蹴されて、彼らは本来の議題とはまったく別の「議論」に熱中していた。いや、これは「議論」なんてものではないのだけれども。
「根元的な解決」、まずそんなものがあれば誰も苦労しません。いつの時代も社会には問題はあり、またそのためにおかしくなる人間がいるのは当然のこと。これを指摘するだけでは、大した意味はない。テーブルを指さして「これはテーブルだ」と言っているのと、何ら変わりはない。まったくもって生産性がない。ただ「世の中がおかしい」と不満を解消しているだけである。
そして「犯人から乗客の生命を守るために、犯人射殺すること」と「世の中の問題を変革していくこと」との間に、どのような関係があるのか。別問題でしょう。犯人を無傷で拘束して更正させ、今後同種の事件が起こらないようにする研究材料とする、という意味に於いては、犯人を射殺しないことは「根元的な解決」とやらを模索する手段にするかもしれないが、この「議論」をやっていた人々はそこまで考えていまい。「緊急回避」と「構造的な問題の解決」の区別もつかない。なんて知的レベルの低い人々だろうかね。
■後年記■ |