理論と概念を学ぶということ
2000年07月11日(火)

 今期私の履修した科目はレポートがほとんどなく、テストが14個も密集するという特異なスケジュールとなった。先日ロシア語を始末し、本日は政治社会学である。


 政治社会学。
 それは文字通り政治と社会との関係性と連関とを分析・研究する学問であり、その理論と概念は、とても抽象的で観念的である。
 事実関係の分析や具体例に基づく理論の研究ならば、それを捉えるのはまだ簡単である。しかし、政治社会学で取り扱うつかみ所のない観念は、なかなかその内容を把握し、その意味するところを認識するのは一筋縄ではいかない。


 理論を学ぶにあたっては、その理論が如何様な事象と時代背景から導き出されたか察する想像力と、その理論を具体例に当てはめる応用力。そして、その理論の視点と目的を把握した上で、複数の理論を組み合わせて政治的現実を想起する能力。これらの思考努力と能力が必要となる。なかなか脳ミソを鍛えられる。
 このような理論は、実際の国家や政府と社会との現状だけでなく、部活の運営や家族・交友集団などの身近な人間集団の構造性を分析し、認識するのにも役立つ。下手な小説なんぞよりも、よほど面白い。


 私はこの政治社会学の試験対策として、理論成立の時代背景・その視点と目的を把握し、理論が分析しようとしている対象とその分析の在り方について、あいまいなイメージではなく具体的に文章化して明確化し、予想される問題に対する答案までをも作成した。ホントに応用力と思考努力を問われる科目である。


 それにしても、試験が始まる前に目に入った「テスト対策」には笑った。
 講義で配られたレジュメに蛍光ペンでマークする者。こんな奴が何人いただろうか。
 アホか。
「次の空欄に入る適切な語句を記せ」
「答え:フィードバック」
 なーんて、問題を予想しているのか!?アホか!中学高校の期末試験か!
 いや、別に私は現在の学校教育や暗記について批判するつもりはない。中学高校の勉強内容も有用だし、暗記も必要なときは必要だ。しかし、この政治理論と社会学の融合科目・政治社会学に於いてはそんな勉強法はクソの役にも立たないわ!


 それに、自分であらかじめ答案を用意してきた奴が必死こいて読み直しているルーズリーフが目に入ったときも笑ったよ。
「トクヴィルの『大衆社会』と『国家』との関連について述べよ」
 この問題に対する解答として、丸暗記したトクヴィルの言う「大衆社会」と「国家」をそれぞれ別々に書き記し、それだけで解答としていた。どこに「関連」があるんだ?この問題の聞きたいことはただ一つ、大衆社会と国家との「関連」だろう!個別の「大衆社会」や「国家」の意味なんておまけに過ぎないんだよ!
 しかも、それぞれの「大衆社会」「国家」の解説も笑ったよ。
 トクヴィル的意味に於ける「大衆社会」「国家」のキーワードをいい加減に散りばめているだけで、全然意味内容をないしねーや。時間的順番も完全に逆転していたし・・・。


 中大は一般に、学生が勉強熱心な大学だとされる。
 しかし、ただ機械的にとったノートや人脈で集めたノート、それにコピーしたレジュメを眺めて、暗記してその内容をテストに目一杯書いてそれでよしとするアホ野郎がちらほらと見えるね。まあ、出来る奴は、私なんぞよりもよっぽど出来るんだろうし、そういう奴も目立たないだけでそれなりの割合で存在するだろう。
 しかし、人間は目立つ奴、ここに於いてはアホ、が優先して認識される。
 日本の学生の知的レベルなんぞこんなものか、なーんと思いますよ。
 私ももっと学びたいッス。  


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