「未確認飛行物体」
2000年07月24日(月)

 国際政治史の試験会場にて、私は試験時間の2〜30分前から席に陣取り、国際政治史の事実関係を復習していた。そのとき、近くにいた二人に学生の他愛もない雑談が気になった。

学生A「お前、UFOを信じとるか?」
学生B「あ?何言ってんだ、お前。コトバの意味がわからない」
学生A「だから、UFOを信じるかと言うとるんや」
学生B「『UFO』と言ったら、『未確認飛行物体』のことだろう。それを信じるかどうかなんて、意味がわからん」
学生A「お前、おかしいんやないか?UFO言うたら、空飛ぶ円盤とか宇宙人の乗り物とかそういうモンやろ。それを信じるかと聞いとるんや」
学生B「お前の言う『UFO』ってのが、空飛ぶ円盤とかそういうものを指しているだろうってのはわかる。しかし、それを信じるかどうかってーのは意味が通らない」
学生A「お前変人やなあ。人からそう言われないか?」
学生B「『UFO』というコトバに意味なんかない。ただの『未確認飛行物体』というコトバだろう。それを信じるかどうか言う方がおかしいって」
学生A「お前の生まれはどこや?お前の回りで、UFOと言ったらグレイとか宇宙人の乗り物で、地球に来ているとか、そういう話はされんかったんか?お前のクニでは『矢追純一のUFOを追う』とかそんな番組は流れなかったんか?」
学生B「そういう番組もやってたし、中学高校とかでもそういう話はあったよ。しかし、『UFO』と言ったら『未確認飛行物体』を表すコトバでしかなく、別に宇宙人の乗り物とかそういう意味じゃないだろう。飛行機だってミサイルだって鳥だって、正体がわからないモノはみんな『未確認飛行物体』つまり『UFO』だろう。それを信じる信じないのって、まったく意味の通じない文章だろう」
学生A「お前なー、フツー『UFOを信じるか』っちゅうたら、『グレイとか宇宙人とかが地球に来ていることを信じるか』っつーことだろう。お前やっぱ、おかしいわ」


 どーでもいいくだらない会話である。
 しかし、私は友人に選ぶのならば学生Bだ。彼は少々頑固で少し意地が悪いかも知れないが、学生Aよりは知的レベルが高い。学生Aのような愚鈍な生きる屍の目には、学生Bは「変人」としてしか認識できないのだろうな。
 上記のような会話は、予備校時代、私と同じ寮生のTとの間で交わされたものとほとんど変わりない。もちろん私が「『UFO』を信じるかだって?何言ってんだお前」と言う側であり、Tが「だから、『UFO』の存在を信じるかって言ってんだ」と執拗に問う側であった。


 『UFO』というコトバが、すでに「宇宙人の乗り物」という意で使われ、「葉巻型」「アダムスキー型」だのという胡散臭い代物やコトバが次々と登場する一種のショーとなり、エンターティメントとなっていることぐらい、私とて知っている。
 だが、「未確認飛行物体」という大した意味もない分析概念を「信じるか」という問いかけには、私のプライドが断じて取り合わない。『UFO』の定義をさておいても、「信じるかどうか」などという愚鈍な問いかけにも応えたくない。
 「信じる」とは何か?
 「信用すること」なのか、「存在を確信すること」なのか。
 それに、「信じる」「信じない」という精神活動は、かなり極端。”believe”と”unbelieve”とは、ベクトルが反対を向いているだけで、認識・判断の仕方自体は全く変わらない。そんな白痴のごとき答えを私に強いると言うのか!


 多分、「お前、UFOを信じるか?」という人間と、「あ?意味不明な問いかけをするな」と応える人間とは、一生分かり合えないのだろうな。
 自分でもそう思うね。


戻る