北陸旅行
2000年09月04〜6日(月〜水)

帰路・東名を走る
2000年09月06日(水)朝〜夕方


 関市のビジネスホテルを出た我々は、高速で名古屋に至り、名古屋の地に降り立つことなく東名へと乗り入れた。
 東名は初めて走ったが、その混みようといったら。なかなか疲れました。やはり先日休んでおいてよかったわい。特に、不良トラックには散々嫌がらせをされたものであった。「危」「毒」など有らん限りの標識を付け、ナンバーはヤスリをかけて見えなくしているという、あからさまな不良トラック。何度もガスペダル全開で引き離したのだが、渋滞で進行速度が停滞するたびに追いつかれて、そのたびに手で触れるぐらいの距離まで煽られたものであった。何回、引き離し、追いつかれをしたものであったか。同一の車両にここまでしつこく嫌がらせをされたのは初めてである。さすがは東名。


 PAにでも止めようものなら、そこまでついてきて乱闘か?車両同士が接触したならデミオと10トン・トラックでは勝負にならないし、一瞬でこちとら即死だが、素手ゴロ、ヤゴロ・・・肉弾戦ならばまだ分があるというもの。××××も×××も積んである。催涙ガスも持っている。ついでにカメラもある。来るならきやがれ!
 と、私も恐怖を覚えながらも怒り狂っていたのだが、やがてそのイカレトラックはいなくなった。東名の前半半分はそのトラックにちょっかい出されて終わったような気がする。
 後で裁判になろうと、キチ@イ運転手がいかなる罰を受けようと、デミオと10トンとでは質量がちがいすぎる。悪意がなくても、ちょっと触れただけでふっ飛ぶし、それだけでこちらは十分に死にうる。一方10トンは、乗用車が相手である限り、人間も車両もなかなか致命傷にはなりにくい。私が思ったことは、トラックを一撃で破壊できる強力な武器が欲しいということで。40mmのグレネード・ランチャーか72oLAWがあれば・・・。いや、9oルガーの自動拳銃でもいい。もちろんトラックは破壊できないが、せめて手の届かぬところに位置する運転手を殺傷することは出来たかも知れない。
 道路というものは、むき出しの武器がせめぎ合う、物理的な優越な幅を利かせる空間なのだと、改めて思い知らされたものであった。


 途中で我々は静岡の御殿場ICで高速を下りて、ゆっくりと景色を見物しつつ帰ることとした。

 途中高速を下りて、静岡の海へ。
 灌木なんぞをたたき割り、不良トラックへのウサを晴らす。

 と思ったら、火を付けようとしているのであった。

 海岸と言ったら、準備稽古。
 海岸と言ったら、棒術部の合宿風景そのものなのだ。

 このカップラーメンを買うために、交通量の多く流れの速い、狭い国道の真ん中で停車して右折し、同じ経路をバックして車道に躍り出るハメになった。

 課長がどうしてもラーメンを食いたくなったからなのだが・・・。実はかなり危険な立地のコンビニであった。


 さて、我々は東富士五湖道路を北上して中央道に至り、そこから再び国立府中ICに至る経路で帰った。
 レンタカー屋は、メーターの走行距離数を見て腰を抜かしていたが、擦ったバンパーについては一言も触れられなかった。よし。


 帰途に特筆事項としては、この東富士五湖道路。
 ここでは、濃霧という悪天候に遭遇し、その中で出くわしたトンネルは、非常に急な下り坂が長く続いた。しかも、深いわだちはデミオの車幅に合わず、不安定な運転を余儀なくされた。長いトンネルというのは、壁が自分に迫ってくるような錯覚を覚えやすく危険なので、私は常に前方のわだちの真ん中を意識し、ハンドルを取られないように保持して運転していた。
 そのとき、私の眼前に突然縮れた髪の毛が出現し、しかも鼻孔をくすぐった。課長である。課長が、助手席から後席へと手を伸ばし、ペットボトルを取ろうとしていたのである。
「邪魔じゃ、ボケ!飲み物なんざ、後で取れい!」
 一喝したところ、課長はそのままの姿勢で笑った。冗談だと思ったのだろうか。それとも、この状況が滑稽で笑えたのだろうか。まあ、確かに滑稽で笑えるが、この危険なトンネルで、ちょっとやってほしくない行為であった。もちろん、止めさせたけど。カップヌードルの件といい、まったく・・・。


 免許を持っている人間と持っていない人間とが長距離ドライブに出かけると、必ず意識の齟齬や、運転常識がないためにトラブルが起こるものである。この旅行でも、様々なことが起きたものであった。
 だが、「痕」の鶴来屋を見に行こうというわけのわからぬ目的で旅行に出かけ、割り勘でも2万はかける。そんなことを実行するアホは、私と課長以外に存在しなかった。道々での奇行・蛮行・犯罪・・・。これは学生生活の象徴であるだけに止まらず、私の人生にとって、記念すべき1コマとなって残ることであろう。課長にとってもそう位置づけられているようである。
 なかなか得難い旅行をしたものであった。

■後年記■
 このとき東名では、異常な至近距離まで接近されてトラックに煽られた。何度引き離しても、バックミラーには、猛烈なスピードで前方の車を次々を蹴散らすように道を譲らせて突進してくるトラックが見えたものだった。煽られたら、車線を譲った方が平和的解決だったのかもしれない。そうでなくとも、煽られて出したのは非常識なスピードである。特にデミオの車体性能ではふとしたことで吹っ飛んでしまうし、ぶつかったら助からない。もちろん無辜の第三者を巻き添えにする恐れをもある。
 まったくもって愚かな運転をしたものである。課長氏の運転への無理解ぶりに怒る記述が散見されるが、しかし自分自身の運転振りも省みなければならない。


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