大学院一次試験終了飲み会
2000年10月05日(木)


 本日は、私の一つ上の先輩(すなわち5年生)が大学院試験の一次を終えた。
 その専攻における中大の大学院入試は採用人数が少なく、早稲田や慶應の大学院試験よりも難関とされている。
 はたしてうちの先輩が受かるかどうか。
 それはともかくとして、大学院試験まで禁酒を誓っていた先輩は、ここぞとばかりに自宅を開放して大宴会を催すこととなったのである。禁酒と言っても、試験前日も飲んでいたような気もするが・・・。


 最初はごく少人数であった。
 件の先輩、私、.32グラム(仮名)、Wild(仮名)、参謀長(仮名)の5人ばかり。
 この5人で1〜5年生の全学年がそろい、全員法学部でそのうち4人は政治学科である。
 こんな顔合わせで飲んだことは今までなかった。
 法学部のゼミや教授のことをネタに話を繰り広げ、笑いを交えつつも社会科学や大学院のことで盛り上がった。なかなか有意義な時間であった。しかしその合間も、我々は「この静寂の飲みもあと30分だよな」などと後からやって来る部員連中が引き起こす嵐について怯え、そしてそれをネタに笑った。


 後からやって来た部員連中が一気にやってくると、先輩のうちは一気に三等客席と化した。
 最初からいた5名と後から来た部員連中を足した総勢は、18名。
 先輩のマンションは2LDKだが、全員が飲み会の会場であるリビングに集結したため、身動きも出来ぬほど人間が1部屋に詰め込まれた。玄関の靴は、2重3重に積み上げられた。
 その混乱の中で、私は裸の膝に根性焼きを入れられた。2年生の鰹(仮名)が吸うマルボロが、テーブルの下で私の脚に触れたのだ。幸い、ズボンをかなり上までまくり上げていたので、服に穴が空くことはなかった。ならば一瞬の熱さなど大したことではない。この程度の小さな火傷、放っておけばすぐに治る。私は必死で詫びを入れる鰹を快く許した。
「まあ、別にいいって。一生忘れないけど」
 などと冗談なんぞも交えたくらいだ。


 この先輩の家には、何故か珍妙な衣装がいくつもある。
 昔の学祭で使った代物や、追コンで贈られた品だったりするのだが、第三新東京市立第壱中学校の制服(当然女物)、得体の知れないセーラー服、酒瓶やトナカイの着ぐるみなんぞがある家は、そうそうあるまい。
 酔っぱらい連中が早速それらの服に着替えだした。
 しかも、その衣装でわざわざ追加の酒の買い出しに行く始末。

夜道を闊歩する変態ども


 買い出しに出たのは、綾波と酒瓶と水兵(セーラー服の上だけを着て下はGパン)。
 ヅラまで被って綾波に扮したアホがビールやつまみをレジに出した。
 コンビニの店員は、苦笑いさえもせずに会計を済ませる。
 そりゃあ、端から見たら関わってはいけない人々に見えるだろうからな。
 警官に職務質問されることよりも、同伴した私が怖かったのは街角にたむろするヤンチキに絡まれること。こちらがヤンチキを殴り倒しても社会的立場上、こっちの方に「勝ち」はないし、殴られてもまったくの損だ。無用な戦闘は避けた方がよい。コンビニを出るとき、原付に乗ったガキどもがこちらにガンをつけていたが、なんとか何事もなく帰還することができた。
 ささやかな奇行であった。

綾波もどきが買い物を


 この飲み会に於いては、私の同期■■が「場に於ける責任者」であったが、その意識は微塵も感じなかった。これは大変な問題である。敢えてこの場に於いて■■の有様を記述する。
 無名(仮名)とトーマス(仮名)が酔って、寝込んだ。
 無名の体温は低下していた。
 トーマスは数時間に渡って便所とフトンとを往復した。
 二人とも酒好きで、今までもひどく酔ったこともあり、そして今まで生きてきた。多分放っておいても死にはしなかっただろう。だが、そうした油断が人を殺すことを忘れてはならない。今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫だという保証などどこにもない。人が泥酔したときには、それ相応の対応が必要なのである。
 今回祝われるはずの5年生I氏は、泥酔者の出現に気づき、その様子を見、水分や糖分などを与えた。
 しかし、■■は1年とのバカ話に夢中になっていた。
 この無責任さに腹を立てたI氏は、「飲み会の場に於ける責任」について■■に説教をした。後輩の手前、声は小さかったが「生命がかかっているんだぞ」と、強い調子であった。それに対する■■の「反論」には、私もブランデーの瓶を手にとって、■■の頭をカチ割りたくなった。


「何故Iさんは僕を信用してくれないんですか」
 誰が何を信用するというのか。泥酔者が出ているときに、それに気づきもせずに、バカ話をし続け、あまつさえ酒を勧めていたのはどこのどいつだ。バカを無条件に信用する奴などこの世にいるか!すべて皮膚感覚と稚拙な情で判断する人間に、誰が信用を与えるというものか。
「Iさんは、僕にコピーを求めています」
 I氏の影響力と存在のデカさに対して、取りあえず反発することしか出来ない■■。I氏に自己を批判された悔しさは、取りあえずI氏批判に転嫁された。自分のやっていることを否定されたら、その感情の行き先はこの場に於いてはどうでもいい方向に流れ込み、自分の非を認めたり、相手の言を認めたりはできなくなるらしい。いかに自分に正当性がなかろうとも。
 なんて空虚な。彼は、I氏だけではなく、同期の全員と2〜3年の大半からも信用されていないということに、気づいてもいないのか。右も左もわからない一部の1年生に影響力を行使できていることで満足し、すべてに対して盲目になっているのではなかろうか。


「僕が(泥酔者やそれに対する責任のことを)見えないと(I氏が)思っていることが悔しい」
 見えてないんだろう?お前が何に気づいていた?気づいていたとして、何をした?
 クソくだらない話をしていただけであろう。
 その後、■■は寝ているトーマスの頭を撫でて帰った。
 アホか。
 トーマスの頭を撫でて「気遣っているつもり」なのだ。
 そんなのが何の足しになる。
 そうして自己満足した■■は、夜中の午前3時だというのに、新聞屋にカネを払うという意味不明な理由で帰った。あとは任せた、と。これが責任者というものなのか。
 こういうバカが、自分が責任者としての責務を果たし、充実した学生生活を送ったという満足感と自負とともに大学を卒業していくことは、どうも気にくわない。追いコンまでに自己に対する絶望を味合わせてみたいものだが、バカは自己がバカだと認識できないからこそバカ。
 ムダだろう。


 ■■が好き放題言って空虚な自己満足とともに帰宅した後、部員の過半数が寝静まり、酔いすぎた奴の世話も一段落ついていた。世話は■■ではなく、この場にいた責任感ある人間たちが行っていたのだ。これだけは強く書き記しておきたい。
 この頃、もはや2LDKの先輩宅に寝るスペースは乏しかった。私は残った連中に後を頼み、Wildと黒天使(仮名)の3人で午前4時頃に帰途についた。3人はだいたい同方向の住民である。3人の見解としては、やっぱり飲み会は大人数が来ればいいというものではない、ということだ。重要な話や愉快な話というものは、少人数のときにされるもの。あまりに大勢だと、正気な者がキ@ガイの管理・監視・介護などの世話をするのが大変な上に、やはり棒術部に於いても騒音のノリが発生して、会話やなんかが表層的に終わるからな。
 たまには騒ぐのもいい。
 しかし、大人数は疲れるッス。


 このときの酒代・つまみ代は、試験終了を祝われるはずの先輩がすべて出して下さった。
 持つべきものは気前の良い先輩であるが、あまりに巨額の出資。
 言葉で感謝するだけではなく、先輩を楽しませてあげなきゃならないね。
 そういう気遣いの類までもが、ノリという名の迷妄が盲目にしてしまったのは残念であった。

■後年記■
 当時先輩がいかなる専攻を受け、他大学のどのような専攻を競合相手として考えていたのかは不明だが、中大の院が難関なのかどうかは、正直疑問である。身内贔屓かもしれない。


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