河原にて七輪
2000年10月08日(金)


 何故このようなことになったのかは、いまひとつ覚えていない。
 両津勘吉に憧れ、泥臭い学生生活をモットーとする男・課長(仮名)が、なぜか安売り店ドン・キホーテにて七輪を買ったのが、ことの始まりであった。そして、その七輪をもって、魚を河原にて焼いて喰おう。それが今日の集まりの趣旨である。

 

原付で七輪を運ぶなんざ、なかなか見られる光景ではない


 東京に於いて、今時七輪を使用できる場所など、そうそうない。
 住宅地でやろうものなら近所迷惑。
 ヘタをすれば消防車が駆けつける始末になるは必定である。
 そこで我々が会場に選んだ場所は、河原である。
 しかし堤防の内側の土手は枯れ草が密集しており、危険であるばかりか、ものを喰うには適さない。
 そして、河原と言えそうな場所はほとんどなく、唯一の選択として、川の中洲に於いて七輪を焚くこととした。
 もし、上流に大雨が降り、一気に水位が上がれば、全滅は必至。
 住宅地を流れる川なので、大丈夫だとは思いつつも、水位のわずかな変化に、以後神経質になることとなった。

バケツリレー方式で石を運び・・・ 中洲に至る橋を構築


 中洲に至るのには、手頃の大きさの石をかき集めて橋を作り、不安定かつ細い道を通って、中洲と買い出しとを行き来することになった。誰か川に特攻するのでは、と思ったが、大した大惨事にならずにすんだのは我々の悪運ゆえか。
 課長は、米を炊いて持ってくると言い残し、自宅へと消えた。
 この間に炭をおこすことになったのだが、我々はろくに炭などいじったこともない。ガキのころ、キャンプや野外活動で炭を使ったことはあった。しかし、七輪を使ったことなんぞは、生まれてこの方、一度たりともありはしない。
 七輪に点火補助剤(油か)をぶち込み、うちわで扇ぐなどして悪戦苦闘していたが、なかなか炭に火が移るに至らない。私はП氏(仮名)とともに、中洲の枯れ草を集めて火をつけ、石を積み上げてかまどを作り、そこで炭をおこそうとムダな努力を続けたものであった。

この後、七輪相手に悪戦苦闘することに ムダな努力に邁進中
冷蔵中。 米到着


 我々が炭相手に悪戦苦闘している間、酒(安価に発泡酒)は袋に入れて川に沈めておいた。
 市街地を流れる人工的に管理された川。
 そこを流れる水にはかなり不安があった。しかし、缶の中に川の水が侵入することはあるまい。酒と川の水を混ぜて飲むわけではないので、大丈夫であろう。


調理開始

 米を携えて課長が到着するとともに、七輪問題は解決をみた。
 炭の量をへらし、炭を踏んで砕き、そしてうちわで扇ぐ。
 課長の迅速な行動によって、炭は魚も肉も瞬時に調理できてしまうのではないかと思えるほど、赤く高熱を持つに至った。
 あとは、飲んで、魚を焼くだけである。


 サンマとホッケ、ホタテ、ニジマス、シシャモ。
 醤油と酒を垂らして七輪で焼く。
 たとえ場所が、対岸にはホームレスが住み着き、反対側にはヤンチキ連中が酒をかっくらって談笑していようとも、そのうまさと言ったら!米も魚も消費し尽くすと、貪欲に次々とスーパーあたりに出向いて食材を買い足す。
 堤防を散歩する人々の奇異の視線なんぞは問題ではなかった。

ホタテに酒と醤油を垂らして、それを喰い、汁を飲む。


 数度もの買い出しを経て、酒を喰らい、魚介類を喰らっているうちに、周囲は徐々に暗くなり、最後には七輪のほのかな赤さしか見えなくなりつつあった。こんなに中洲に居座り続けるとは、我々は言うまでもなくアホである。

4秒のシャッタースピードで、無理矢理撮影 同じく4秒。日は落ち、中洲は暗くなってきた
危険。七輪輸送中 完璧に日は落ちた


 もはや何も見えなくなりつつある橋の下から、橋を照らす該当の光が漏れる位置に七輪を移動。
 そして、再び食材を調達して、またまた喰う。
 なんとも、貪欲に食材を喰い漁った日であった。
 この日、炭を冷やして処分し、ゴミと機材一式とともに橋の下を後にしたのは、20時をすぎたころであった。


 さて、七輪参加者7名のうち、2名は帰宅。
 残りは課長宅になだれ込んだ。
 家主である課長は、先に原付で帰り、我々は徒歩にて長い道のりを、七輪や炭袋を抱えて行軍した。
 そして、ようやく課長宅に到着したとき、いつも通り瓶・缶・ゴミ類が散らばっているのに加えて、机が部屋の真ん中に引き出され、家財道具のあらゆる物品が部屋中に散乱していた。
 寝るどころか、座ることもままならぬ。
 なんてことを考えつつも、部屋の入り口に立ちつくしていると、「さあ、これから皆さんで片づけて下さい!」との課長の声。
 つまり、奴は作業員ほしさに我々を部屋に招待したのであった。
 しかもただ単に片づけるだけではなく、部屋の模様替えが真意であった。
 私はパソコン・電話・テレビ・ビデオ類が絡み合う配線をすべてはずし、パソコン/テレビ台を移動し、落雷によって破壊されたテレビをП氏から譲られた中古テレビに交換し、さらにはあらゆる配線をつなぎ直させられた。SCSI・マウス・キーボード・ディスプレイ・ビデオキャプチャー・電源・電話線・テレビのアンテナ線・・・煩雑な配線のすべてをだ。先輩面する気はないが、人をここまで使うものが?SCSIのIDやターミネータの設定なんぞは元々いい加減に為されており、私がいなけれぱパソコンを再接続することさえもできなかったであろう。ちったあ感謝して欲しいものである。


 さらには、机を解体して捨てる作業も、私が一番工具の扱いに長けているという理由で、私がやるハメになった。その間、他の後輩たちはゴミをゴミ袋に詰め込み、物品を整理し、部屋のモノの在り方に秩序を構築するのに四苦八苦していた。
 さらに、私がゴミ袋にゴミを詰め込んで縛ると、今度は「まだ入るじゃないですか!このゴミ袋高いんスよ!何考えてんスか!」などとの課長の声が。ワシゃあ、なにか怒られなければならないことをしたであろうか。
「やかましい、このクズ!」
 などと言いつつも、私はゴミ袋をほどいてゴミを足で踏んで圧縮し、最大限までゴミをつめこみ、縛りなおした。
「いっちょあがりだ。このクズッ、これで満足したか!」
 その袋を玄関近くにぶん投げると、今度はゴミ袋が裂けやがった。このときは笑うしかなかった。まあ、ガムテープで補修してそのまま出すことにしたが。
 それにしても、なかなかに使われたものであった。
 部屋の模様替え・ゴミの掃除・物品の整理が終わったときには、午前2時になっていた。
 もはや、疲れて飲み直すどころではなく、ファミコンなんぞをしつつ眠りにつくこととした。


 「スーパーマリオ」でどこに何があるかを覚えているだけで「すげぇ」と言われるとは・・・後輩連中とは世代の差を感じたものである。しかも、マリオの動きと同時に、私自身も微妙に動いていたことを指摘されたのは、この日最大の汚点であった。
 「キューバ革命の英雄 チェ・ゲバラに捧ぐ」
 こういきなり表示されるファミコンソフト「ゲバラ」も、またまたプレイしてみたが凄絶。
 1Pがゲバラで、2Pがカストロ。よく見たら敵の爆撃機にアメリカのマークが付いておるような。
 さらに、ラスボスは大統領官邸とバティスタ大統領。
 なんという政治色の濃さ。
 こんなゲーム、よく出せたものである。当時のSNKには、学生上がりのゲバラのシンパでもいたのかもな。
 「スパルタンX」も競ってやってみたが、ミスターXにあえなく敗退。
 しかし、ただ単に主人公に抱きついてダメージを与える「つかみ男」。大抵は主人公のパンチ連打や跳び蹴り一発で塔からたたき落とさおるが、奴らはなんのために生きているのか?
 久々にファミコンやったら、ガキのころとは視点がより邪悪になっている興味深かったものである。
 まあ、すぐに眠ったので、ファミコンをやったのはせいぜい数十分のことだったが。

共同生活的食事 やはり共同生活的食事


 朝起きてからは、共同生活的食事をとった。
 ジャンケンによって、当番を決める。まさに乾坤一擲の負けられぬ勝負であった。
 米を研いで炊く。皿を洗う。また米を炊く。この三回は、T氏が立て続けに敗北した。気の毒だが、勝負は勝負。私は勝者の利益を享受することとした。
 そして、納豆とともに米を食った朝食第二陣の後かたづけ。
 これだけは過酷な任務であった。
 厳正なるジャンケンの結果、敗者は課長!!
 午前2時までコキ使われた雪辱を、午前10時に晴らした気分であった。
 敗者は失う。
 まさにその通りであった。


 余談ではあるが、七輪の翌日の天候は雨。
 帰りがけ、例の河原を歩いて見たが、川は黄色く濁り、件の中洲は水没していた・・・。
 決行が1日ずれていたら笑える結果になっていたことであろう。


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