飲みの場に於ける責任者の態度
2000年10月22日(日)
この日行われた飲み会に際して、興味深いレポートが後輩から寄せられた。
これを掲載することによって、この日の飲みの責任者の態度を弾劾したい。
名前はすべて私が記号や仮名に置き換え、敬語・敬称等もある程度省略する。
一人称はすべて記述者を指す。私ではない。
中盤では泥酔しだした@@がタリン(仮名)に抱きついたりキスを強要したりといった暴挙をはじめた。1番テーブルでは酒に酔った4年■■などが何やら騒いでいた。そんな中、@@が1番テーブルで飲んでいる最中ついに倒れてしまう。テーブルの下に転がった@@をカロッゾ(仮名)が起こそうとしていた・・・これはいかん・・・それを見た私と課長はすぐさまそこへ飛んでいき@@の介抱をしようとしたそのとき、酔った4年■■と4年●●は我々にこう言った・・・。
4年●●「そんな奴、ほっとけほっとけ」
4年■■「君たち、そいつを甘やかしちゃいかん!」
私・課長「・・・・・・・・・・・」
ちなみに、その場所は個室ではなく周りには他の客であふれている。床は靴で歩くところ、しかもこの飲み会は××部の主催、我々のグループから出た泥酔者をどう扱うべきだか分かりそうなものだが。
この後@@はトイレでゲロを吐いた後、イスの上で寝た。私は@@の横に座り、奴が落ちたりゲロを吐かないようにと見張りつつ酒を飲むことになる。
それを見た歳三(仮名)は私に向かい「僕が見てますからいいですよ」と言った。
おぉ!なんて気の利く奴だ。そういう方にはぜひ飲み会を楽しんでもらおう。私は気持ちだけ受け取った。
その後、4年■■が私のところにきて何やら中大は英語ができないとかかんとか、GTR(仮名)を交えて喋った。・・・となりで@@が倒れているが、気にはならないようだ。そして4年■■と4年●●は飲み会を大いに楽しんだとさ・・・。
飲み会は19:30に終了した。みんなが早々と退場する中で、@@のアホはまったく動ける状態ではなっかた。仕方がないので奴を飲み屋の迷惑にならぬよう、非常階段に運搬し、しばらく様子を見ることにした。その場で待機したのは私、課長、××部の2人・・・。
えっ!××部の2人がなぜ?彼らには、当然下に下りるように(会場は5階)言ったが、我々についていてくれるという。その時4年■■と4年●●はどこへ行ったのやら・・・。
この後異変に気づいたタリン、みう(仮名)がやってくる。そしてようやく4年●●がやってきてこう言った。
「2人もいれば平気だろ、あとは下に行こうぜ!」
・・・いったいどういう計算をして2人と言っているのか理解に苦しむ。中大近辺で飲み会が行われ、近くに収容所があるならよいが、ここは横浜である。収容所がないのだからこの泥酔者は自宅(都内)まで送らざるをえないのだがその人員、2人で足りるか?4年●●は続ける。
「こいつ(@@)どうする?やっぱ送らねぇとなぁ。誰にする」
「俺(記述者**)、やりますよ」
「そうだな、課長は普段やってるからな、**頼むわ。じゃあみんな降りようぜ!」
本当は@@のアホなどほっといて2次会に行きたかったが、万一事故でも起こると我々の部の存亡にかかわる。奴が倒れた時すでに送る覚悟はしていたが・・・それにしてもなんという言い様か、「課長は普段やっている」とは私が普段何もしてないみたいではないか。自慢ではないが、飲み会で崩れない私は飲み会後、必ず酔っ払いの面倒を見ることになり、事実それを行ってきた。むしろ幹部の立場でありながら何も行ってこなかったのは、4年●●本人ではないか。全く心外である。いったい何を見ているのか!
その後私とみうを残し、みんなは2次会に参加すべくそこから去った。タリンはこの後同窓会に参加しなくてはならず、帰宅。二次会に三年生が誰も参加しないのは好ましくない。そのため課長がその義務を負うことになる。ちなみに4年●●は一次会でとっとと帰ったそうな・・・
さて、普通に帰ればすぐ自宅に着くところを、わざわざ都心を回って帰ることになる。激しい稽古後というのもあってげっそりとしてきたが、いつまでもだらだらしていては終電に間に合わない。20:45、@@を強制運搬することを決める。
私は自分よりもでかい@@を半ば担ぎ上げ、みうは3人分の荷物と棒を持つという過酷な状態で階段を降り、横浜駅へと向かった。
せめて2年生があと2人参加してくれればなぁ・・・。
ゲロ袋を手に持ちながら@@を運ぶ私。
三人分の荷物と棒に四苦八苦するみう。
無事に電車に乗ることはできたものの、他の乗客の視線が痛い。品川まではみうに柄ではないが上級生の義務について語った。その中でこんなやり取りがあった。
「下級生が危険な状態になったら安全が確認されるまでは、上級生が最後まで責任をもたないとね」
品川〜新宿間は、@@を座らせ私とは向かい合って立っていた。極度の疲労で私は何も話さず下を向いていた。一時の静寂。
新宿に到着、さらに××駅でまで行き下車。この時点で@@は多少口を聞けるようになるが、そうしたらそうしたらそうしたで駅の壁を殴っては「くそうくそう」と言う始末。私は@@の右腕をひねり上げて動けないようにして運搬した。@@の家までは予想以上に長い。後で地図で調べると約1・5キロ、往復で40分ほどかかった。@@の家から駅へ向かう時、課長から電話が入る。@@の様子の確認だ。さすがは課長、責任感のある男だ。さすがの私も疲労で気が滅入っていたが、ちょっとしたねぎらいの言葉をかけてくれるだけでも随分ぶん変わるものだ。
その後、駅についた時、今度は4年■■から電話が入った・・・。
ようやく任務を終え、ほっとしながら××駅構内で電車を待つ我々に4年■■から連絡が入る。なんと4年■■のかばんがないと言うのだ。そして我々が@@のかばんと間違えて持っていったのではないかと言うのだ。我々は飲み会終了後、@@のかばんはどれかと呼びかけ、渡されるままに持ってきたので中身の確認はしていない。ひょっとしたらそうなのかもしれない。そして、なんと4年■■は我々にもう一度@@の家に行って確認してほしいと言ってきた。そんなことできる訳がない。すでに22:30、そんなことをしたら間違いなく終電を逃し、私は都内で一人路頭に迷うことになる。
みうは毅然としてそれを断り、後日自分で@@に連絡を取るようにと言った。当然である。そもそも自分の荷物をしっかり管理しない方が悪い。ただ上級生だからといって、泥酔してはいけないということはない。泥酔してアホになるのも大いに結構。だが、それなら同学年として4年●●が4年■■のフォローをすべきであろう。2〜3年は各自がそれぞれの義務を負っていて手一杯の状況なのだ。当の4年●●はとっとと帰宅し、4年■■はそんな時間まで自分の荷物の所在に気づかない。そんな幹部の不手際までわれわれは責任を持てというのか。
念のため私はみうに聞いた。
私「4年■■は、@@のことなんかいってた?」
みう「そんなこと一言も言いませんでしたけど」
さすがのみうも呆れかえっていた。あまりよいことではないが私も思わず不満をぶちまけてしまった。余計な疲労を感じつつ私とみうは電車に乗り込んだ。
新宿でみうと別れたのが22:40、その後私は空腹で吐き気がしていたので、サラリーマンと女子高生(?)が集う立ち食い蕎麦屋でたぬきそば(390円)を食べ、電車に乗ったのは23:05である。週末の終電間際の車内は半ばラッシュ状態、自宅最寄り駅近くまでの起立が課された。
自宅到着は0:40、その後すぐにパソコンを立ち上げメールのチェックをすると4年●●からメールがきていた。まさか@@の様子の確認か・・・と思ったら、単なる稽古の案内。私や@@のことは一筆もなし。発送時間は21:36・・・ずいぶんお早いおかえりですなぁ・・・。
以上が、この日の責任者、私の同期にして棒術史上有数の愚鈍なる幹部の様子を記した、貴重な文献である。私ともう一人の同期は、この日は参加していなかったが、私やもう一人の同期が参加していたら、このような凄絶なことはしでかさなかったと自信をもって言える。と言うよりも、■■と●●は当然の行動をしなかったのである。
このようなことは、決してこの日だけのことではない。日常茶飯事であった。
まったくもって、いいかげんな連中であった。