ロシア語Tbにて
2000年11月10日(金)
私は故あって、1年生の語学であるロシア語Tbを履修している。
この教室の連中とは、たかだか3年前後しか年齢は違わないのだが、どうもジェネレーションギャップというか、私が1年だったときの教室とは空気が異なるように感じる。
この日の講義中、ある1年生の携帯に着信があった。マナーモードにしてあったようで、着信音こそは鳴らなかったものの、携帯のバイブレーションが机を叩いて、そこそこ音が響いた。まあ、こんなことはよくあることである。別に、マナーモードにしていた携帯が振動しようとも、この段階で咎める者はいなかったであろう。
しかし、この電話の持ち主は、あわてて携帯をぶった切るものと思いきや、電話をつかむと顔に当て、机に隠れるように身を屈め、口元を手で覆いつつも電話に出おるではないか。
「もしもし」じゃねーんだよ!
20人もいない小教室。普段温厚な先生も、このときは激怒しましたよ。
まあ、講義の最中に電話に出るバカなどは、私が1年生だった1997年から存在した。講義中に電話に出るアホを見て、「最近のガキは〜」などと現在だけを特別視するつもりはない。ただ、1997年と異なるのは、この講義中に電話に出たガキが、わりとマジメな奴だということである。あくまで「わりと」だが。
彼は別に、優等生などとは思えない風体のガキで、流行りの服装でキメて、講義が終わると女の周囲にまとわりつく。それでも講義中に当てられれば見事に解答を示し、黒板に解答を書かされても、難解なロシア語の練習問題をそこそこ的確に書いてしまう能力を持っている。そして「自主休講」なんぞ当たり前の大学に於いて、彼がロシア語Tbを休んだのを見たことがない。
講義中に携帯に出るのは極端な例だったかも知れないが、彼は毎度講義中には隣の女と私語なんぞしているし、いちいち態度がナメた奴だ。それでも、先生の講義内容は把握しているようで、ノートを覗いて見たら、要点は十分に書き留められていた。
何なんだ、このガキは。
不マジメ | ←→ | マジメ |
講義に出ない | ←→ | 毎回出る |
私語にふける | ←→ | 沈黙を守る |
ノートはいい加減 | ←→ | 的確にノートを取る |
講義が終わるのをひたすら待つ | ←→ | 講義に集中 |
講義内容についていけない | ←→ | 講義内容を理解できる |
ステレオタイプ以外の何者でもないが、上記の「マジメ」軸と「不マジメ」軸とは、だいたい一致する人間の方が多数派ではないか、と人は考える。実際に目にするクラスで落第する連中や、落第して再履修を繰り返す連中は、「不マジメ」軸で概ね一貫性があるように見える。だからと言って、及第点を取る奴、一見マジメそうに見える奴が、首尾一貫してマジメなわけではないということだな。
人間、そうそう行動に首尾一貫などしておらず、相反する複数の要素を内包しているものだ。そんなことはわかっている。しかし今年度の1年生は、「わりと『マジメ』なのだが、思いがけないところで極端に抜けている奴」にしばしば出くわすね。
入学式から時間が経ち、夏休みが空けても、今年度はいつまで経っても構内の人間が減らない。講義の出席率は高い。だがその一方で、大学には来て講義に出るが、私語、携帯電話、彷徨とナメた行動は枚挙にいとまがない。
1997年には、こういう人種は決して多数派ではなかった。
これは大学が高校化しているということかのぅ。
講義を受けたくないのならば、他に優先すべきことがあるのならば、出なくていい。
もっと人生の時間を有効に使えるというものだろう。その程度の取捨選択の自主性もないのか。
出欠等で講義に出なければならず、それでいてさして役にも立たない講義だというのならば、寝るなり、本を読むなり、することはあるだろう。講師だけではなく、周囲の学生の神経までをも逆なでする行動。そんなリスクある行動をする必要はないだろう。周囲の学生や、教壇に立つ講師はテレビの画像ではない!ナメた行動とる以上、講義終了後に便所でボコられる覚悟はあるんだろう?その程度のことも想起できないのか。
これぞジェネレーションギャップというものかね。
私が1年2年だった頃にも、腐るほどクズはいた。
だが、そのクズの性質・在り方の違いにしばしば戸惑うことがある。