渇望
2000年11月11日(土)
この日の夜11時、テレホタイム。
私はこのときを待っていた。
私は今月上旬からフレッツISDN化しており、ネットをやりたくて23時を待ちわびていたわけではなかった。
23時になると同時に、某所にあるチャットルームへと接続。
少しすると、1年生のП氏(仮名)がやってきた。
この週はチャットが盛り上がっており、彼も定期的に来ていたメンツの一人だ。
私の期待通りだった。
私はこともあろうか、23時15分という夜中に彼を飲みに誘った。
彼も内々で飲む機会を欲していたようで、快諾してくれた。
学祭の前夜祭、打ち上げと大衆的な飲みが続いていたが、やはりそのような飲みの場はエンターテイメントに過ぎず、財布と身体と肝臓が疲労していたのにも関わらず、小規模でゆっくりと酒を嗜む「大人の飲み会」を渇望している者は少なくなかった。П氏もまさにその一人であった。
宅飲みするに当たって、私がП氏のアパートに行ってもよかったが、すでに終電が危うい時間。П氏の方からチャリで出向いて来てくれた。ちなみに、私のアパートとП氏のアパートとは、2駅+α分の距離がある。私のチャリは消滅して久しい。
私は部屋に暖房を入れ、折り畳み式のテーブルと座布団をセッティングし、酒を何本か買ってП氏を待った。彼は感心なことに、酒とコーヒー、つまみといった手土産持参であった。なかなか気が利く奴だ。私も人の家に招かれるに当たって、手土産を携えて行ったことがないわけではないが、せいぜい水(H2O)か酒だけ。П氏といい、別の1年生である参謀長(仮名)といい、気の利く若い者には感心させられますわい。
そして早速、酒を酌み交わした。
最初は、趣味の話や他愛もない世間話。
それもささやかに盛り上がった。
ある程度の頃合いになると、日々の諸問題についての話となり、それは午前6時まで続いた。
そう、彼はこうした語る場を欲していたのだろう。
だからこそ、この日、夜を徹して話し続けたのだ。
彼は彼なりに、不満や鬱積するものを話したのであるが、実は、この夜の飲みで助けられたのは私の方であった。
連日の大衆飲み会。私は大人数の騒乱のうちに終わる飲みをよしとしない。また、個人的な宅飲みでは、老兵が遠慮会釈なく跳梁跋扈してはいかんと自戒し、ここしばらくまともな宅飲みを行っていなかった。そのため、私としても欲求不満で発狂しそうであったのである。
以後、私はП氏宅にもしばしば出入りして酒など飲んでおる。