東京残留組の年越し
2000年12月31日(日)


 年末、東京の人口は流出する。
 私と同郷人である課長(仮名)は忘年会後に帰郷し、先日まで共に、泊まりがけで有明を跳梁跋扈していたП氏(仮名)も、大晦日の新幹線にて東北の郷里へと帰省した。
 だが、私は帰省せず、この年末年始を東京にて過ごすことに決めていた。
 別に、家に帰れぬ理由があるとか、親に顔を合わせられぬとか、そんな事情があるわけではない。いや、さすがに留年した年なんで、親戚連中の目が痛いという理由もあったが、実際のところは卒論の遅延と、1度ぐらいは東京にて新年を迎えてみたいというのがあった。

「妖子」・・・もとい「舞」プレイ中


 年の変わり目、別に世紀の変わり目ということに、特別な感慨を抱くでも意味を添付するでもないが、 私は先日まで有明にいたため、久々に家に帰ってきたら、「もう年越しか」と意表をつかれた気分であった。先日秋葉原で買った「魔物ハンター舞」なるゲームをやってみて、このままゲームなんぞして年越しするのは、さすがにアホだろうとほくそ笑んでみたりもしたものであった。
 棒術部の自宅外生で東京に残った者は、北海道人の私、私と同郷のWild氏(仮名)、九州人の参謀長(仮名)の3人。わずか3人だけ。さて、どうやって東京残留組が年を越したものか。さすがに自宅生はご家族水入らずで年を越すであろうし、あるいは親の実家にでも行くのかも知れぬ。特にすべきことも何もない、素寒貧の一人暮らしの学生同士が集まりて年を越すのは、自然な心理であった。
 参謀長が連絡係をかってくれ、Wild氏宅にて年を越すこととなったのは午後5時のことである。


 Wild氏宅近くのスーパーへ7時集合と決め、そこのスーパーにて年越しの食材と酒とを買うこととした。
 私がそのスーパー前に着いたは、午後6時50分。すると「大晦日の営業は、午後7時まで」との貼り紙が。やっぱり、スーパーの従業員も、大晦日はとっとと帰りたいわな。遅くまで営業していても、売り上がそんなに伸びるとも思えぬ。
 私は急いでスーパーに駆け込んで、年越しに要りそうな食材を買い込むこととした。参謀長のH゛に電話を入れ、何を買うべきか話したが、用意したいのは軽くおせちめいたもの、日本酒、そば。閉店時間寸前ということもあり、出来合いのおせちなんぞはすでになかった。かと言って、おせちの原料なんぞ私に知る由もない。おせちは断念して、酒とそば、めんつゆ、それに餅を買ったが、明らかに何かが足りぬ気がしてならぬ。年越しそばに入れるものや、雑煮に必要なものって何だっけか。しかし、店はすでに閉店を迎えつつあり、買い物はこれで済ませることとした。
 スーパーが閉まった7時すぎにWild氏・参謀長と合流。
 Wild氏宅へと向かった。 

素年越しそば調理中 東京に残ったバカ3人


 ただ、めんつゆにそばをぶち込んだだけの素そばを喰らい、これをもって年越しそばとする。
 酒はビールと安日本酒。
 そばの他に食い物もないため、腹にたまらぬ、
 空腹感。なんともわびしい年越しじゃ。
 例年ならば実家にて、どこぞのメシ屋に注文したおせちを腹一杯喰らい、上物の日本酒を浴びて、だしの効いた年越しそばをすすったものなのだが、学生同士の年越しなんぞはこんなものでしょう。これもまた一興。東京に残った甲斐があるというもの。
 軽く酒が入り、棒術部の無名氏(仮名)に借りた暴力ゲーム「G.T.A」なんぞをやっていたら、3年の黒天使氏(仮名)から電話が。これから初詣するとのこと。初詣はするつもりであったが、新年を迎えるか迎えないかという時分に行くとは。それもオツなもんじゃ。
 我々3人は、ヤンチキ・酔っぱらいが跳梁跋扈する道を歩みて高幡不動へと向かったが、いわゆる年越しは京王線の中であった。

多摩都市モノレール高幡不動に於いて


 午後11時半まで仕事をしていた黒天使氏と高幡にて合流。
 初詣へと向かったのだが、商店街のあたりからすでに人の渋滞が。
 警察官が人々の交通整理をし、入場制限がなされる始末。先日の有明が思い出されたが、酔っぱらいやヤンチキが少なからず押し合っていたのが大きな違いか。新年早々、ケンカにでもなってはいかんと思いつつ、無礼にも人を意図的に押しのけようとする者には、私は重心を落とした上で、ヒジを突き出し抵抗した。
 朝っぱらの京王線上り並の混雑の中、なんとか賽銭を投げ入れ、願い事らしきことをお参りして立ち去ることができた。
 黒天使氏が「その願い、かなえて進ぜよう」との声が聞こえたか、などと。
 これは「恋愛・知能・体力」の3つ選択肢があり、どれかを選ぶと聞こえる声らしい。
 ここにいた4人全員が知っているゲームのネタなのだが。


 さて、高幡不動尊での初詣を済ませた後、終日運転する京王線にてWild氏宅にもどることとした。
 その途中、思い立って棒術部某氏宅に寄ったが、案の定、鍵はかかっていなかった。
 家主に電話をしたところ、当然のごとく家主は東北の実家にて酒を飲んでいたものであった。なんという不用心な話か。我々は本人の許諾の上で某氏宅に上がり込み、金魚にエサなどやってWild氏宅へと出発した。


 Wild氏宅にて我々4人は、明け方まで酒を酌み交わして話などし、自宅生の黒天使氏は明け方に帰宅。
 残る下宿生3人は、昼まで寝た後に雑煮など食った。
 いや、雑煮というか、めんつゆで餅を煮込んだだけの代物なのだが・・・。
 新年早々、わびしい正月であった。


 これが私の年越しであったのだが、こんなアホな正月は、私の人生に於いてもそうそうあることではないであろう。 


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