「何ガンたれとんじゃ、ワレ」
2001年01月12日(金)
昼飯時、学食に行ったときのこと。下の図を参照していただきたい。
私がメシを喰おうと、棒術部員と知らない人「A」の間にいる空席に座ろうとした。
そこには、知らない人「A」「B」が食い終わった定食のトレイが置いてあり、私はそのトレイが置かれている席を使いたいので、「これ(トレイ)いいッスか?」と、トレイをどかしてくれるようにAに声をかけた。
そのときのAのツラ。
Aは私の方に首を向けるとともに、口をゆがませ、眉間にシワをよせて私を見た。
何だ、オイ。
Aの対面にいるBを見ても、同様にBは「不快」という表情を作って私を凝視していた。
ここで引き下がる私ではない。
私が使いたい場所を食い終わった食器トレイで占拠しているのはAの方。私はガンをつけてくるAの歪ませた目を見下ろし、座っているAに対して立っている高さから圧力をかけ続けた。
何秒の間そうしていただろうか。
AとBとは、私に対しては何も言葉を発せずに、自分たちのトレイを自分たちのテーブルに引き寄せた。
もう少しこの状態が続いたのならば、「何ガンたれとんじゃ、ワレ」という言葉が私の口から出ていたかも知れない。
私は、彼らA・Bに対して、不当な要求をしただろうか?
市街化調整区域に立地する中央大学周辺には、メシ屋など皆無に等しく、公称3万とも言われる学生は、学食にてメシを喰わねばならない。中大の学食が階数4階・テナント数9つの日本最大の代物であると言えども、昼食時の混雑恐るべきものがある。
その混雑時に於いて、食い終わった食器トレイなどという片づければそれで済む代物によって、希少資源である席を潰していたのだ。それをどかすよう言われたことが、それほど不快だというのか?どう考えてもこの時点に於ける正当性は私にある。ケンカを売ってきたら、引き下がるつもりはなかった。
AとB、そしてCの3人は何かの仲間で、学食にて試験勉強をしていたのである。
いくら学食の席が希少資源と言えども、メシ以外の目的によって席を占有することを責めるつもりはない。この広大な学内には、座れるところ、勉強できるところ、くつろげるところが学食しかないのである。
そして食い終わった食器トレイが目の前にあると勉強ができない。だからこそ、彼らは私の要求に対して反発したのであろう。
しかし、食器トレイなんぞは返却コーナーに片づければそれで済むこと。
そんなことでいちいち人にケンカ売るなや。
暴力沙汰は、ヘタすると社会的に大きな傷を残す行為。
私もケンカを売られれば笑って引き下がるほど人格者ではないが、無用にそんな危険を冒したりはしない。
これが先日述べた、「現実認識の甘さ」である。
他者にケンカを売っても、何事もなく日常にもどれる。
もしケンカになっても殴り倒せる。
さらに相手を倒しても大事にはならない・・・といった、根拠のない楽観。
そういう調子だけこいた軽佻浮薄な根性なしこそ、見ていて最もハラが立つ。
そうしたクズが私に軽い気持ちでケンカなんぞ売ってきたら、私は私の全人格と全人生を賭して相手の認識を、行為を破壊しかねない。この世の中には、こういう危険人物も跳梁跋扈していることを、A・Bらアホ学生はもっと本気で認識した方がお互いの幸福のためというものであろうに。