非公認サークルの反社会的行動
2001年04月11日(水)


1.泥酔者多発のため、大学当局ついに動く

 入学式である7日、そして月曜9日・火曜10日、例年のごとく構内の桜広場にて新勧花見が各サークルによって催された。そこに於けるゴミサークルどもの狂乱のために、今年も救急車が来る事態となり、翌日まで意識の回復しない重体者までもが出た。地域の救急病院に運び込まれたり、大学の介護施設にて手当を受けた人数は2桁。
 重体者の発生や、地域救急機関への多大なる負担から社会的責任を痛感した大学当局は、この11日の花見を「午後6時まで」と限定して規制に乗り出した。異例の事態である。しかし、この11日も泥酔者多数。大学の介護施設には泥酔者がかつぎ込まれ、さらにはクズサークルの花見場所で放置された泥酔者も職員によって発見・保護された。
 そして翌日12日、ついに学内での12・13日の全面禁酒令が出された。我が棒術部の花見は、7・9・10・11日だけだったので実害はなかったのだが、クズサークルの暴挙は看過しえない。大学当局の禁酒令は当局も責任と体面からそうせざるを得なかったと理解はできるが、今後も新勧や学祭に於いて禁酒令が出されたらたまったものではない。我々のように無理なく飲み、部員の生命・健康と部の名誉を守る部会にはいいとばっちりだ。
 ちなみに、4月12日付けの大学当局による公示はこちら


 クズサークルでは、飲み会というものは、すなわち大声で全員が「一気」だの「粗相」だのと叫ぶことによって一体感を得て、酒を手に持った者は、一気飲みを見せることによって名と顔を売ることができらしい。語ったり話したり、そんなゆっくり酒を交えての人間同士の交流など期待できない。騒音ですぺてをかき消されるか、誰かに一気を勧められるかのどちらかで終わる。
 しかもこの一気、必ずしも「強要」しているわけではなく、名前を売るために自発的に行われたり、先輩が率先垂範して「飲み会の在り方」を新入生に見せるために一気したりもする様も見られる。もちろん新入生にも上級生にも、一気の事実上の強制は頻繁に行われる。
 どういうプロセスをたどろうと、泥酔していいことは何一つない。今までバカ飲みしてぶっ倒れて大丈夫だとしても、これからも大丈夫だという保証などない。死ぬときは死ぬし、臓器や神経に取り返しのつかないダメージを受けることもある。酩酊して大暴れすれば犯罪行為を起こすことさえもある。ゴミサークルの連中は、そういうことをまるで認識していない。漠然と大丈夫だ、としか考えていないのであろう。慎重論を語る者は、いつでも世間知らずか臆病者と見なされるが、結果はどうだ。救急車に重体者。死人が出なかったのは運が良かったのと大学当局や学生組織の努力のおかげだ。


 こうした愚衆サークルは、失うもののない寄り合い所帯だ。大学非公認ゆえに、名誉も義務も権利もなにもない。ただ人々が集まっているだけの集団なので、大学当局や学生組織も彼らにペナルティを与えることができない。公認部会ならば、予算カット・設備の利用制限・無償労働などのペナルティを与えられるのだが、失うもののないクズどもの意識は向上などしない。
 第一、「次、オレが一気するから、お前盛り立てろ」などと根回しした上で、造られたノリの中で一気をし、それでしか名前を売れない、存在をアピールできない集団なんぞに、帰属意識があろうはずもない。組織などという上等なものはなく、構成員に仕事意識もほとんどないため、泥酔者は放置される。新入生が帰り道を知らなくても、上級生は何も顧みずに勝手に帰る。これではいつ死人が出てもおかしくない。
 こうしたクズどもが酒をおもちゃにし、中央大学の名を貶め、大学当局や学生組織に負担をかけ、地域の医療機関までをも騒がせるのは到底看過できない。こういうクズのせいで、新入生や一般人に「サークルとは、とにかくバカ騒ぎして、一気させるバカの集まりだ」というイメージを持たれるのは看過できない。こうしたクズが反社会的行動をとることによって、まっとうな部会がとばっちりを受けるのを看過できない。
 だが、対抗手段はなかなかないわけだ。大学の名に於いて、重度泥酔者を出したサークルを名指して批判し、新入生にそれを公示してもいいんじゃないかねえ。失うもののない非公認サークルは、名前だけ変えて何も変わらないかもしれないが、それでもダメージは大きいはずだ。サークル名などをプリントしたジャンパーを交換するのは相当な労力とカネがかかるし、アホサークルなりに学内や他大学で売ってきた名が使えなくなるのはそれなりに痛い。その年の新入生の流入をカットできると、滅亡への契機となる。


 後日、某所にて耳にした寝言を付記する。
「あれは救急車呼ぶほどのことじゃあないんだよ。俺も意識なくしたことあっけど、翌日はケロっとしてたしな。ただ大学とかが騒いでいるだけで、それほど大事じゃあないってぇのに」
 アホか。昨日大丈夫でも明日も大丈夫との保証などない。
 所詮クズの意識などこの程度のものなのである。

注意:
 公認をもらっていないサークルの中にもすばらしい活動をする部会や、無理のない飲み会を心がける部会も少なからず存在する。それを勘違いしないでほしい。発覚していないだけであって、公認をもらっている部会でもクズと同様のところもある。一概には言えないのであしからず。
 ただ、非公認・人数だけは大規模・愚衆的寄り合い所帯・貧弱な組織力・活動内容がいいかげん。こうしたミーハーサークルともナンパサークルともよばれる非公認部会は、ほとんどが上記のようなクズサークルであると4年間の大学生活で実感している。

2.希少資源の暴力的独占

 中央大学は、日本一の規模を誇る学食を持つ。それはあくまで中大多摩キャンパスが「市街化調整区域」に位置するため、大学周辺に商店・飲食店の建設が制限されており、自前の食堂が必要であったという事情がある。つまり、他に食糧を調達する場所がほとんどないため、規模が大きな中大の学食と言えども、メシ時には大混雑となる。特設の弁当販売所やパン・カップ麺の自販機、モノレール駅のファミリーマートなどもなくはないが、座れる場所やテーブルがあるわけでもなく、また広大な多摩キャンパスを移動するのはホネだ。講義の合間に食事をとるのには、学食が事実上唯一の選択肢となる。


 この混み合う学食にて、個人が単独で場所を確保してメシを喰うのは困難だ。だから、というわけでもないが、サークルなどの部会が「たまり場」を設営して、部員が順々にメシを喰っていくシステムは重宝する。入学式の次の日から棒術部に入り、OBとなった今も棒術部の周辺にいる私は、メシ場所に困った経験はあまりない(あくまで、あまり、だ)。
 こうしたサークルの「席取り」は、サークルに入っていない学生にとっては、実に迷惑・目障りなものであろう。それは自覚しているが、棒術部のたまり場などささやかなもので、混み合う時間には必要以上に席を取らず、部員が減れば自然消滅させる。その程度のことは心得ていますよ。
 一方で、非公認のオールラウンドサークルの席取りは極悪非道だ。学食の一区画をまるごと占拠し、サークル名が書かれた看板や荷物をまき散らして占有権を主張し、他者を寄せ付けない。番人はほんの数人だったりしても、テーブルはその何倍もの人数分をとっていたりする。希少資源の暴力的独占そのものである。
 サークルに入っていない人間に恨まれ、目障りに思われる「サークルの横暴」とは、我々のような公認部会ではなく、非公認の大衆的大人数サークルである場合がほとんどだ。前項で取り上げた泥酔といい、そういう失うモノのない寄り合い所帯の愚衆サークルが反社会的行動を起こし、とばっちりを喰らうのが学友会や所属連盟に対する義務を果たし、守るべき名誉と権利を持つまっとうなサークルなのである。
 今日出くわしたサークルを「甚だしい場所取り」の例として取り上げたい。

  

ここ以外の空間は、凄まじい大混雑


 棒術部の「たまり場」が完全満員だったため、私と棒術部の後輩の二人で別の空席を探してメシを喰うこととした。そこで見つけたのが上記の「テーブル1〜8」のテーブル群である。
 図の通り、「テーブル2」と「テーブル3」にわずか3人が存在したいるだけなのだが、荷物を目一杯並べ立て、看板などを出して某非公認オールラウンドサークルが「テーブル1〜8」を占拠していた。テーブルは4人掛け。「テーブル1〜8」で32人分の席となる。存在する人数の10倍を占拠するとは何事か!
 時間は12時40分、メシ時のピーク時間である。しかも入学式から数日という年に数度の大混雑時期に、そんな暴挙を私は認めない。見たところ、荷物は番人「A」「B」「C」の3人分+α程度。誰かがメシを買っている最中でこれからトレイを持ってくるとしても、多少我々2人がテーブルを占拠したところで、困る者はおるまい。私は「テーブル5」に置いてある物品と看板を「テーブル6」にずらし、そこで平然とメシを喰った。


テーブル5から撮った写真。

 そんな我々のすぐそばの「テーブル6」に、番人「A」が荷物を追加しにわざわざ歩み寄り、座ってメシを喰っている我々を見下ろしてガンなどつける。圧力をかけているつもりか?
「おう、何か用か?」
 少しドスを利かせて、こちらもガンをくれて対抗した。すると「A」は無言で立ち去っていった・・・。
 たぶん、「A」にとってみたら、我々は彼らが「占有」している場所を侵犯し、侵犯に対する抗議行動に悪態までつく「ならず者」なんだろう。だが、勘違いするなよ。公共の場所である学食で、誰も使っていないテーブルにトレイを置いてメシを喰い、いわれのない圧力をかけられたのでそれに対抗してやっただけだ。私はそんなに悪いことはしていないぞ。



 (彼ら非公認オールラウンドサークルと同格に見られたくはないが)私もサークルに長年関わってきた者として、席取りの必要性はわかっている。それが「仕事」であり、番人「A」が任務を遂行しているだけにすぎないことも容易に感じ取れる。
 だが、3人の番人に対して32人分の席を占拠し、それがわずか12時30分から13時20分までしかない昼休みの大混雑時に無用に空席を「占有」し続けるなど、それは暴力であり、資源のムダ以外の何者でもない。しかも学期始めという最大混雑時期だ。
 新入生の接待や、各種作業、そうした目的で場所をとる必要があるのもわかる。だが、彼らは「テーブル1〜8」の大部分を、何にも使っていなかった。人数の倍程度の席をとることは、サークルに関わっている者として黙認しよう。これから大規模な食事会や作業や接待があるというのならば、大規模な席取り見て見ぬふりをする。だが、ここの日の昼休み、「テーブル1〜8」を使った人間は、番人「A〜C」の3人と、あとからやってきた3人の6人だけであった。6人は「テーブル2〜3」に全員収まり、我々が占拠している「テーブル5」以外はすべて奴らの荷物や看板の置き場でしかなく、「死に席」のままであった。昼休みが終えても、この状態に何ら変化はなかった。


 なんて奴らだ。どんな時期でもどんな時間でも、ただ機械的に一区画を占拠することしか能がないのか。例えその席が必要であろうとなかろうと、ただ「いつもやっているから」今日もやるのか。くだらない組織だ。いや、「組織」などという上等なものではない。ただの寄り合い所帯、集団だ。
 我々棒術部ならば、そんなマネはしない。
 確かに、必要があって一時少なくない人数分のテーブルを不当に占拠したことはある。しかしこれはスケジュールに基づいた厳密な行動で、すぐにすべての席が無駄なく部員と新入生で埋まり、そこ食堂で本来の目的通り食事をとった。終わったらすぐに解散し、はじめるのも最低限だ。第一、こうしたことを行う時間はメシ時などではない、すいた時間だ。昼休みにそんなことをやるほど、うちの部員は反社会的な人間ではない。
 それに「たまり場」の確保は、あくまで周囲の状況と必要性を見ている。無意味に惰性的に、大人数分の席を占拠し、「死に席」とするようなマネなどしない。消えるときは消えるし、人数に合わせて縮小もする。上記のごとき愚衆サークルと、我々棒術部のような組織力のあるサークルとを、一緒くたにはしてほしくないものである。

3.混み合う往来でキャッチボール

 新入生勧誘のための出店が立ち並び、ガイダンスや各種手続きのための、新入生やその他の学生、職員が途切れることなく流れていく。ペデ下、つまり中大多摩キャンパスのメインストリートは、この時期、学祭に次いで最も人々で混み合うと言える。
 そんな中で、まさかキャッチボールなんぞをするバカがいようとは。ある大学非公認サークル(あえて団体名は出さない)のバカが、入れ替わり立ち替わり新勧のための出店から出てきて、このペデ下にて周囲を何一つ伺うことなく、キャッチボールなぞおっぱじめていた。


 往来での球技は大学当局によって禁止されているのだが、それ以前にこんなにも人が行き交う中でボールを投げ合う神経が気にくわない。彼らがボールを投げ合っているすぐそばに、右も左もわからない新入生が行き交い、テーブルやパイプいすを抱えたサークルの人間が物品を移動させているのだ。その人の群の隙間を縫うようにボールを投げ合い、あぶなっかしくも誰かの後頭部にボールが当たる寸前にそれを受け止めるなど、その様は下等生物かならず者そのものであった。
 彼らは周囲の人間に自分たちのボールが当たらないという自信でもあるのだろうか。それとも、見知らぬ第三者にボールが当たっても、何事もなく済む考えているのだろうか。おそらくは、何も考えていないのだろう。彼らにとって自分の目に映る眼前の他者とは、テレビに映っているエキストラのような、自分とは関係のなく、また自分と関係を持つ可能性さえもない、空気と大差ない存在なのだろう。


 何で私が彼らのことをこんなによく覚えているかというと、彼らは我々棒術部の出店の裏でキャッチボールをしていたからだ。最初はバカに関わっていても得るものはないと割り切り、無視していた。だが、奴らのボールが思いがけず私の脇腹にぶち当たった。
 硬球と言えども、遊びのキャッチボールで投げ合うボールの威力は、大したことはない。それでも後ろからいきなりボールを当てられ、一瞬呼吸につまり、脇腹の鈍痛はしばらく取れなかった。
 私が後ろを振り向くと、ボールを受け損ない、私の脇腹に当たってどこぞに転がるボールを追いかけるアホの姿があった。


「痛ぇな、この野郎!」
 当然怒鳴りつけたが、ボールを受け損なって、転がるタマを追いかけているバカは、私の方を一瞥さえもせずに、ただ笑みを浮かべてキャッチボールの相方と得体の知れないアイコンタクトなどしていた。
 Japanese smile。私の最も嫌う感情表現のひとつだ。
 都合の悪いとき、バツの悪いときに笑うのを見ると、こちらとしても怒りが加速されるというもの。奴の笑みは、おそらくは「自分がタマを取りこぼした失敗に対する恥ずかしさ」「お前の投球がわるいんだぞという責任転嫁」「第三者にタマが当たるという不測の事態に対して、そうすれば何事なく今までの日常に回帰できるという、第三者(つまり私)に対する甘えの表現」のいずれかであろう。


「謝れよ、オイ!」
 頼むからワビ入れろ。笑って何か解決になるのか?テキトーにあいまいな態度を保留していれば、自分が遭遇した「不測の事態」が時間の経過と共に収束するとでも思っているのか?就職活動中でなければ、もう一言啖呵を切っていたところだ。
 往来でキャッチボールをやることの非はさておき、私とてちょっとタマが当たったぐらいで、そう根にもちはしない。彼がウソでも形だけでもいいから謝り、そして第三者にタマを当てた経験に基づいて往来のキャッチボールをやめていれば、自分のサイトにこんなこと書きはしなかった。
 私にボールを当てた後、彼らはバツの悪さからか、ボールとグラブを持って出店に引っ込んだ。おとなしく勧誘活動にでも精を出していればいいものを、奴ら、2〜3分したら何事もなかったのように再びグラブとボールを手に通路に躍り出て、再びボールを投げ合いはじめた。都合がわるくなったらとりあえずナリを潜め、時間が経てばまた何事もなくキャッチボールを続けられるってか?アホか!


 そもそも、往来の激しい場所でキャッチボールをする神経がおかしいことに、気づかないものかね。神経のシナプスにゴミでも詰まっているのか?私ならば、どんなにキャッチボールがしたくても、ヒマでも、そんなおそろしいことは出来ない。もし他者にケガでもさせたら、ケガがなくてもタマが他者に当たればどんな報復をされるか・・・。第一、自分に正当性がないのが恐ろしい。「自分が品行方正であるため」にキャッチボールをしないのではなく、自己防衛のためにやらないのである。
 私は怒鳴りつけた。
「キャッチボールすんじゃねーよ、手前ぇら邪魔だ!」
 すると、キャッチボール中のボケは、ふしぎそうな顔で何を言ったのか聞き返してきた。私にタマを当てたことさえも覚えていないのか・・・。そして何よりも、自分たちの行動に誰かが何か言ってくることをまるで想定していない愚鈍さに腹が立った。


「邪魔だっつってんだろーが!さっきもオレはタマ喰らったんだ。とっとと止めんか!」
 再度私は怒鳴りつけた。キャッチボールをしていた二人は、「邪魔だってよ」などと言いながら、とりあえずキャッチボールをやめて引っ込んだ。自分が不当な言いがかりをつけられたとは思っていないようだが、かといって自分たちが邪魔であることに納得もしていないようであった。とりあえず、面倒だから私のようなよくわからん奴に関わらないで退散しよう。それが彼らのマインドであろう。
 ちなみに柱の影に隠れていて、彼らからは見えなかったであろう。私が怒鳴っているのを聞きつけて、棒術部の後輩達が六尺棒を手に取り、迎撃体制をとりつつあったことを彼らは想像さえもしていなかったであろう。運のいい奴らだ。


 それから10分程度、再び何事もなかったかのように、グラブとボールを抱えて、アホ二人が通路に駆けだして来るや否や、さらに激しくなった往来の中で、人々の頭越しにボールを投げ合いはじめた。
 もはや私は何も言わなかった。関わるだけ自分の人生の浪費だ。ただ、今日のいらだちと腹立たしさは、忘れまい。だから、説得力を持たせるために写真を撮り、サイトにこのことを書くことに決めたのである。 

ガイダンスや登録に流れる新入生や、それを勧誘する上級生、作業をする職員。そんな人々が行き来するまさにその場所である。

▲見よ、このガイダンスや新勧活動で混み合う様を!

彼らのポーズを見ればわかるのだが、彼らは人が周囲にこんなにもいる中で、キャッチボールを行っています。これはまさに投げ終わった瞬間。ちなみに誤解のないようにモザイクかけたけど、左のポスター持っている人は無関係なのであしからず。

▲人の群の中にて、平然とキャッチボールをしているまさにその様。

 写真にモザイクを入れ、サークル名などの情報を書かないのは、このサイトの品性を汚さないための、せめてもの自己防衛策だ。私とて、一方的なサイトという場で自分自身が匿名で、内容の保証もない雑多な情報を流しているという自覚はある。そこに於いて名指しの批判はしないのが私の方針である。あくまで不特定の、「どこかの誰か」を批判するのにとどめるのが、私なりの理性であると解釈して頂きたい。


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