「桃源郷」を訪問す
2001年05月19日(土)


 本日、参謀長(仮名)の誘いによって、「桃源郷」を探索して歩いた。
 この「桃源郷」とは、多摩丘陵の某所にあるうらぶれた団地のことである。高度経済成長にさしかかった頃から、都下には数多くの団地が建設され、そこから数多くの会社員が都内の職場に出向き、家族を養い日本の発展に寄与してきた。
 この「桃源郷」と参謀長が名付けた団地も、そうした団地の一角なのだが、あまりにうらぶれており、かつてモーレツ社員が家族を養い、生活の基盤として根を下ろした面影は薄れている。居るのはかつてお国のために尽くしたお父さんお母さんの年老いた姿と、さらに彼らの父母たる余命幾ばくもない老人の姿だけである。


 利便性を考えて作られた、団地の1・2階にある商店は半分が潰れ、残っている半分も商売が成立しているのが不思議なくらいだ。何故かそうした店は、八百屋と床屋ばかりが密集し、少ないマーケットで競合している。しかしこうした店に客は少ない。洗濯物や生活感から判断するに、この団地そのものに人はそう多くない。しかしその少ない購買力は、団地の1階にある個人商店ではなく、大資本によるスーパーに向けられているのであろう。
 若者の姿はほとんどなく、たまに通りかがる原付に2ケツした田舎ヤンチキも、団地や商店街に見向きもしないで通り過ぎる。歩いているのは年寄りと、それよりさらに年を召した人々ばかり。周囲の空間とは隔絶された穏やかなる楽園、天国に近い場所、まさに「桃源郷」だ。


 参謀長と私とは、こうした個人商店に少しでも投資しようと、昼飯をここで調達しようとの計画だ。
 買ったのは、ラムネとウーロン茶(抱き合わせで98円)、磯辺焼き(150円)、ふかし芋(100円)、握り飯5つ(150円)、フライドポテト(100円)。よくこの値段で採算がとれるものである。もしかしたら店主の婆ちゃんが趣味・生き甲斐でやっているだけの店なのかもしれない。
 そしてこの値段でいて、量は多く材料もいいものを使っている。磯辺焼きには化学調味料臭さが一切なく(別に化学調味料を使うのがわるいとは言わないが)焼き上がりは上等であった。ふかし芋も上質なサツマイモを使用している。握り飯の具もコンビニやスーパーの量産品と違って、焼きたらこや梅干しは質が良く、食紅も毒々しい色をしていない。フライドポテトも無駄な油はない。
 あの店主の婆さん、なかなかの腕と仕入れをしているものだ。どういうルートの仕入れか知らないが、よく店を維持できるものである。この値段と量と味ならば、駅前に出店するなりスーパー委託するなりすれば、結構売れるのではなかろうか。まあ婆さんがほとんどライフワークとしてやっている少数生産の店、そんな気はないだろうけれども。
 「ミスター味っ子」ではないが、うらぶれたところにも名店というものはあるのであった。


 一方、別の店で買った、市価の半分以下の値段で売られていた焼き鳥。これはちょっと困った。
 材料はいいものを使っているのに、焼き具合が明らかに足りない。生焼けで当たりそうな予感がした。持ち帰り=電子レンジという発想なのだろうか?しかもこの店、焼き上がるのを待っているとき、風で「焼き鳥」の上りが私の脳天に降ってくるなどのアクシデントもあったり。


 今日はなかなかいい体験をした。この「桃源郷」はかなり遠い場所にあるのだが、たまにはここでメシを調達するのもいいかも知れぬ。なにしろ安いし、過度に油や塩分・砂糖が使われていない。まあ、次に行ったら潰れていたり、婆さんがいなくなっていたりしたらナンだが。
 それにしても、参謀長の誘いを受けずに、このままいつものように山に行っていたら、突然の雷でどうなっていたことか。それも感謝しないとならない。  


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