注3・・・
物事がうまくいっていないことを、自分への不満や意見具申を、他者が自分に害をなしている、自分を貶めようとしているとしてしか捉えられないのである
誰しも、自分の方法や考えの通りにやれば物事がうまくいくという感情は、多かれ少なかれ持っている。そして自分に意見を批判を出されると、気分が悪い。不愉快だから、相手のコトバが正当なものであったとしても、それを謙虚に認めることには抵抗はある。そこで、相手が間違っているのではないか、相手が自分に言われなき誹謗中傷をしているのではないか、などと感じたりもする。
だが、こうした自分にとって快い感情に溺れ、謙虚に自己を省みることをせず、物事を冷静になるべく情を排して見ることが出来ないと、人間は社会生活を営むのに支障が出てくる。6月9日の日記で述べている●●は問題の多い男だったが、最大の問題は、問題に対する意見を一切聞かず、逆に怒り狂うことである。必ず。故に、彼は後輩に「ブチギレキ@ガイ」と呼ばれていたものである。
凡俗なコトバでいう「逆ギレ」。
こんな習性のある人間に、まっとうな社会生活は困難である。無論、それなりに生きて、それなりに稼ぎ、そして犯罪も犯さずに人生をまっとうするとは思うが、大して仕事もできず、また大した信用もされまい。
社会が、端的に言うと企業などの職場や自分の周囲の個々人が求める人間の条件として、問題があるときにそれを謙虚に認め、そして問題を打開できる人間であることが上げられる。無論、議論の技術として非を認めないということはあるが、自分自身が心底「自分に非はない」と信じ込む人間には用はない。