サイト開設2周年
2001年06月11日(月)
▲龍の鍵さんからの1万ヒット記念イラスト
この日、サイト開設から2周年を迎え、また7日には1万ヒットを達成した。
サイト開設日は1999年6月11日。棒術部の実務を統括者する唯一の主体者として忙殺される日々から一転、自分のために大学生活を使うこととしたのが1999年。この年の新勧指揮の終了を待って実務から引退し、余った時間を使って開いたのがこのサイトである。
それから2年。一般受けする内容ではないゆえ、訪問者は多くはなく、私自身来訪者を拒むかのように入口を二重にし、トップページを画像で重くし、カウンターも回りすぎないようにした。あくまでmoralist(注)のつもりで、日々思うことを書き記し、発散してきただけなのだが、それでもついに1万ヒットを達成することが出来た。聞けば、私の文章を読んでくれている人間も、それなりにいるようである。あくまで「誰かが読んでくれる可能性」があることのみにやり甲斐を感じてきたのだが、実際に読む人間がいるというのは予想外の事態である。
そうした人がいるということは、励みであり、やり甲斐にもなり、そして恐ろしくもある。まがりなりにも情報発信者としての、自分の社会的責任をも自覚せざるを得ない。だが、これぞ自称moralistとしての本懐である。
そしてこの1万ヒットには龍の鍵氏より記念イラストなども頂いた。2年間サイトやってきて、自分のサイトに対してイラストなどを新訂されることはこれが初である。まことに感謝に堪えぬ。
注・・・
moralistとは、「道徳家」としての意味もあるが、フランス文学に於いては「人間論者」。人間研究家である。人間性と人間の生き方とを随筆的、断片的に書く。ロマン主義が流行った一部の時代を除けば、フランス文学は基本的にmoralistが担っている。自分自身を研究してそれを書き記し、また他者についても限りない関心を示す。
その方法としては、秩序や権力、政治などの社会に着目し、また人間と人間との間の関係に着目する。社会も権力も法も政治も人間と人間集団が作ったものであり、社会への関心はすなわち人間と人間集団への関心である。そのため、フランスの文学者(すなわちmoralist)は法学部出身者が非常に多く、法律家・政治家・官僚出身者も少なくない。
moralistの人間への興味関心は、単純に情緒や感情にとどまらず、権力や秩序といった人間同士が理知によって作り上げたものにも及び、社会を忘れることがない。合理性よりも情緒を優先し、あるいは合理性よりも情緒を優れたものとする人間が跳梁跋扈する中で、私は無論行動の出発地点として、到達地点として情緒を重視はするが、その手段としての合理性・理知を忘れず、またそれらを重視したい。人間ないし人間集団の理知・合理の動きと成果を知らずして、社会を人間集団を模索することは生産的ではない。故に私はmoralistでありたい。
ちなみにmoralistの語源はmoeurs(ムルス)。「風俗、風習、しきたり。人間の素行、品性、生活態度、宗派、礼儀作法」など、そういう意味である。それがさらにmoral(モラル)になり、これは「道徳」という意味もが、ムルスをより抽象化したものである。そしてmoralist(モラリスト)が、上の二つ両方を扱う者である。人間の全般、あらゆることを。