急遽帰釧
2001年07月28日(土)


 本来、帰省は8月2日〜8月8日の予定であった。
 お盆を避けているかのような妙な日取りなのは、有明で行われる祭典に出席するためである。
 だが、諸事情により急遽28日に帰省することとした。飛行機の予約変更が27日の夜という有様。


 前日の夜に決まった急な帰省だったため、準備やアパートの片づけはいい加減にしかできなかった。
 持って帰る物としては、ノートパソコン+カードモデム、PS本体(ACの二画面対戦のため、地元の友人から持って帰れとの達しが)、その他ヒマ緩和用のビデオ数本に書籍類。あとは着替えに携帯の充電器程度。別に身一つで帰っても実家で生活は出来るのだが、持って帰る物は少なくなかった。
 京王線・山手線・モノレールと乗り継いで羽田空港に至ったが、肩に背負った荷物は20キロにもなった。基本的に電車の床に置いて移動したのだが、それでも乗り換えなど徒歩での移動の際は、腰と背骨で持ち上げて一歩一歩踏みしめて歩いたものであった。


 そして羽田に至る交通費はかなり際どかった。あらかじめ調べた交通費と所持金との差は数十円。パスネットカードの60円分の残高を合わせても、缶飲料1本買えるかどうかという有様。カネを下ろしていなかった上に、出発時、近所のATMはまだやっていなかったのである。そのためメシを喰わず、それでいて20キロの荷物を背負って羽田まで行くハメになった。
 新宿で降りれば銀行もやっているのだが、この大荷物を背負って銀行まで行くよりは、羽田まで一気に行って、搭乗手続きをし、荷物を預けてからカネを下ろした方が得策に思えた。羽田空港でカネをおろし、やっとメシにありついたときはよくやったものだと我ながら感心したものであった。カネは余裕をもっておろさんとな。


 羽田−釧路間のフライト時間はおよそ1時間半。この日の天候はよく、快適な乗り心地であった。
 機内持ち込みしたのは専用ケースに入れたノートパソコンだけ。パソコンのような精密機器を預けるわけにはいかないのだが、このパソコンケース、他に物を入れる余地がないため、このケースだけ持って歩くのは不便である。ロビーでマイレージの仮カードを手に入れたのだが、入会書をカバンにしまうことが出来ない。手に持って歩くわけにもいかず、パソコンの裏に無理矢理ねじ込んだ。またカメラも本当は預け荷物に入れると破損の危険があるのだが、手荷物に入れることが出来なかったため、預け荷物に入れたままにしてしまった。無論、厳重に衣類で包み、壊れないようにはしておいたが。


 飛行機の中というのは、けっこうヒマなものである。話す人間もいない。
 アメリカに行ったときに比べれば1時間半などすぐだが、手荷物に本の一冊も入る余地はなく、ヒマ緩和グッツもない。
 そこで気になるのが時間なのだが、私は腕時計をあまりしない。この日もしていなかった。
 時計がわりは携帯なのだが、飛行機上で電源は入れたくない。
 そこで私はノートパソコンを取り出して、電源を入れた。
 地上待機中と離着陸時はダメだが、巡航時はパソコンを使用してもよいのである。
 電力消費量は「エコノミー」に設定してあるので、立ち上がるのが遅い。
 やっとWin98SEが起動し、時間を確認。
 一応「こみパ」をインストールしてあるのだが、CD-ROMがなければ起動しないらしく、シャットダウンした。
 あとは寝るだけである。


 釧路に到着して飛行機を降りたとたんに、天然の冷房に迎えられた。
 東京は猛暑であるが、釧路は低温注意報が出る冷夏なのである。その気温差は約20度。東京でクーラー入れるよりも涼しかった。というよりも寒い。周囲の観光客は「寒い」を連呼していたが、私は「寒いときに寒いとしか言わない奴は芸がない」と思いつつ、押し黙って預け荷物の受け取り場所まで黙々と歩いた。
 20キロの荷物を受け取り、出迎えに来てくれた母と合流。母は駐車場の端に車をとめたようで、かなり長いこと20キロの荷物を背負って歩いた気がする。ちなみに釧路空港は市内とのアクセスが非常に悪く、しかも相当な距離が離れているため、いつも空港へは父か母が迎えに来ることになっている。


 荷物を車のトランクにぶち込み、久々に乗用車に乗る。
 乗用車に乗ったのは、去年の北陸旅行以来だろうか。
 そして釧路に帰ってきたのは、1999年の末から2000年の正月に帰省したとき以来。つまり約1年半ぶりの帰省であった。
 釧路に戻って車の助手席から景色をながめていると、必ず違和感というか居心地のわるさを感じる。
 目に入る景色は、ほとんど草と木と遠くにある山しかなく、その中を一本道路が走る。
 人造物はほとんど目に入らず(注)、遠くまで見渡せ、そして空が広い。
 18年間暮らしてきた釧路郊外の風景なのだが、東京からいきなりこの景色の中に飛び込むと、何か落ち着かない。おそらくは、視界に広がる景色が広すぎて、密度が低すぎて落ち着かないのだろう。アホな例を挙げれば、ただっ広い便所の真ん中で、1人用を足しているような・・・。この感覚は、市街地に入ってからも続いた。市街地もやはり密度が低く、広すぎるのである。目が慣れるまで、しばらくかかることであろう。


 実家に帰ると、1年半ぶりにうちの猫・レオと再会。
 うちの歴代の猫の中では唯一の血統書付きとやらで、光沢のあるシルバータビーが美しい猫であった。だが、レオも大分年を取ったようだ。毛の光沢がマット(つや消しの意)になってきたような。そして凶暴で、機嫌が良くても人間に噛み付く恐るべき猫であったのだが、久しぶりに会ってみると寝てばかりいるような。だが、私は猫はすべからく愛好する。初老の域に入った猫も、これもまたよし。
 1年半ぶりの実家に足を踏み入れた私に対して、レオはさして関心を示さなかった。警戒はしないし、なつきもしない。嫌な人間に対しては、家にやってきただけでどこかへ隠れてしまう正直な猫なのだが、私に対して逃げも嫌がりもしないということは、友好的であるということであろう。猫が人間を無視するのは、人間が人間を無視するのとは違い、「警戒していない」ということである。だが、もう少し愛そうがよくてもいいのだが・・・。


 夕食にはおかずが何品目かついていた。ごく一般的な家庭の夕食なのだが、これだけおかずがあれば、何食分になるだろうか・・・。実家ではメシもでるし、風呂も沸くし、車もあるし、なかなか快適である。だが、いつも帰省するたびに落ち着かない、ヒマと違和感を覚えて気が狂いそうだとほざいていたものである。今回はパソコン持参なのでネット禁断症状にはならぬとは思うが・・・とりあえずは、風呂に入って寝ることとする。
 風呂上がり、私の肩を見て親が驚いた。内出血をして変色していたのである。
 20キロある荷物を肩に背負って八王子から羽田まで根性でやってきたのだが、そうとうな負担がかかっていたらしい。まあ、3日もすれば内出血も痛みもとれるであろう。

注・・・
人造物はほとんど目に入らず

 釧路空港から市街地へと向かう道が通るのは、基本的に放牧地である。
 そういう意味においては、人の手が加わった景色なのだが。
 「自然」と都会人が呼んでいるものは、「材木の畑」だったり、放牧地だったりすることがよくある。植物が生えて、人が住んでいなければ「自然」というわけではない。人間が手を加えて成り立っている生態系もあるし、「人間が手を加えない」という意味に於ける「自然」のままで滅びる生態系もある。「自然」というコトバを、意味が不明瞭なままであんまり神格視してほしくはない。


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