地元にて旧友と
2001年07月31日(火)
高校時代。それなりに友人が居て、日々バカなことを話し、毎日のように放課後友人の下宿に溜まったり、ゲーセンやカラオケを闊歩したりしたものだ。彼らとは、今でも連絡は取っているし、たまに会うこともある。高校卒業後の友人連中の居住地は、見事なまでに散った。私以外の者はほとんど全員が今や社会人であり、移動にはさらに拍車が掛かっている。そのため、会うのはせいぜい1年に1回か2回。少ないと2〜3年ぶりに会うことも。そして今日は、そうした数少ない再会の日であった。
地元釧路に居るのは、くさかりべとけんしろう(いずれも仮名)の2名。
まずは連絡を取って、くさかりべの仕事が休みの日に彼の家を尋ねることとした。
けんしろうは、午後に仕事が終わるとのことなので、後で会う約束である。
時間を惜しみ、くさかりべ宅訪問は午前8時。
彼の自宅には高校時代何度もお邪魔したのだが、さすがに5年以上経つ。だいたい近所までは来たのだが、どうやって彼の家に辿り着いたものか。とりあえずわかりやすい目標としてコンビニに行き、そこから電話を掛けてくさかりべに迎えに来てもらった。
実家をこの時間に訪問するのはどうか、とも思ったが、ご家族は留守のようであった。
早速私が担いで持ってきたプレステと、くさかりべのプレステとをつなぐ。
「アーマードコア・マスターオブアリーナ」の二画面対戦だ。このゲームは二画面対戦が面白い。一画面を二分割すると、相手に自分の位置・行動がバレて興ざめな上に、一台のプレステで同時に処理しているのでどうしても動作スピードが遅い。二台のテレビ、二台のプレステ、そして二人以上のレイヴン。これらが揃う状況はそうそうあるものではない。この対戦は貴重なものである。
対戦ケーブルは東京で探せば比較的容易に見つかったのかもしれないが、急いでいたため、買うヒマはなかった。そこで釧路で探すこととなったのだが・・・釧路でこんな生産終了している上に、タマ数も少なく、あまり使われない代物が手にはいるのか。と不安になったものであった。
私は数軒ゲーム屋を探したが、まったく見つからなかった。こんなコード一本のために、またとない機会を逸することになるのか。そう思っていたら、くさかりべからデパートの玩具屋で発見したとの連絡が。こうして、この対戦は実現したのである。
この対戦、結果は私の惨敗である。
長距離のレーザー・スナイパーライフルと、長距離用FCS搭載のマシンでは、くさのマシンを一瞬で火だるまにした。次に用意したのは、プラズマ・ディスペンサー装備のバラ撒きマシン。空中からの爆撃を試みたのだが、一発も当たらない。敵機の頭上を飛び回っているうちに、次々とくさかりべ機のレーザーライフルを喰らい、あえなく敗退。地雷搭載機も、相手を地雷にかけようと試みていたら、白兵戦に持ち込まれて追いつめられ、二連装レーザーライフルの速射を浴びて惨敗。このように、奇策を試そうと珍妙なる機体で出撃を重ねたのだが、正攻法の前には通用しなかった。くさかりべは正味で強いので、まずはオーソドックスに強い機体で挑むべきであった。
1時間ちょい対戦し、これにて終わり。外出することに。
まずはメシだ。メシ屋にて定食を食う。
10時すぎという、店は開いているが昼飯には程遠い時間。客は我々の他にはほとんどいなかった。
ここでのメシはくさかりべのおごりとのこと。
なんか、彼には会うたびに何かしら世話になっているような。
だが、プレステの対戦ケーブル代だけは折半とのことで、カネを請求された。
まあ当然なのだが。
そしてゲーセン。
「KOF2000」なる格闘ゲームやる。
我々が高校時代に白熱して、湯水のごとくゲーセンで硬貨をつぎ込み、NEOGEO-CDで徹夜でやり通したのが、「KOF'94」と「95」。すでにここまで新しいゲームが出ているとは。しかし、巷ではそれほど新しいゲームではなさそうだ。「KOF2000」の筐体はわりと隅の方に置かれていた。
技なんぞは、昔ながらの代物しか出せぬ。それも昔とコマンドが変わっていなかったら、の話だ。
くさかりべと数度対戦したが、小キック・小パンチ・大キック・大パンチの組み合わせで戦ったような。まあ、防御さえ丁寧にやっていれば、どんな技を出そうが勝てないことはないのだが。勝率は半々くらいか。
けんしろうとの約束の時間まで、まだまだ時間がある。
そこで、「House of the Dead」のフリープレイを二人でやることに。
フリープレイとは、30分間クレジット無制限でゲームを出来るというサービス。二人プレイで800円だそうな。
時間内ならぱ何度死のうが、コンティニューしようがOK。だから・・・というのも妙な話だが、無辜の民間人は発見して即座に射殺した。ゾンビに追われ、扉から掛けだした子供をくさかりべが即座に射殺したのは見事であった。私もゾンビに迫られ、逃げ出せずにいる男を早めに楽にしてやる。これが射撃ゲームの醍醐味なのか・・・100円ずつ入れての通常プレイだったら、とてもではないが、こんな暴挙はできないが。
30分という時間は、射撃ゲームをやるのには結構長い時間である。私は中学高校時代、I.S.I.(米国西海岸で最大の射撃学校)の教本を元にエアガンで射撃姿勢・握り方を随分と練習した。所詮玩具を使った遊びなのだが、それでも適切と思われる射撃の形は、今でも身に染みついている。そのため、30分構えたり撃ったり、腕を緩めたりしても、それほどは疲れない。だが、30分緊張がほとんど途切れることなく、撃ち続け、構え続けるのは正直しんどい。実銃で短時間にこんなに撃ったら、フレームにガタがくるのではなかろうか。そして30分のフリープレイ時間は終わり、強制的にゲームは終了した。ラスボスまではまだ到達していなかった。このゲームをクリアするのは、かなり過酷である。
このゲームの途中、けんしろうから私の携帯に電話があって(この間は、左手で片手射撃)、「三時に仕事が上がる」ことを告げられ、「今どこに居る」と聞かれたのでゲーセンの名を答えておいた。このときは昼の12時である。けんしろうは仕事の昼休みであったのだろう。
それまで三時間も何をしろと言うのか。
私とくさかりべは、本屋・レンタルビデオ屋・ゲーム屋をうろつき、途中茶やドリンクを補給し、ヒマ潰しに入ったミスタードーナッツでパンを喰ったり。余談だがこの時に入ったミスタードーナッツは、高校時代の悪友である伊佐坂(仮名)が好んで入り、友人のHH氏におごらせていたとか。くさかりべのこの話ははじめて聞いた。伊佐坂が高校時代、そんな行動をしていたとは知らなかった。親しくしていても、知らないことの方が圧倒的に多いものである。
けんしろうは小学校に勤務している。
もちろん、夏が短い釧路でも、今日は夏休みの真っ最中(それでも内地の学校より夏休みは短い)。
けんしろうは部活の顧問として、グラウンドどガキ共と戯れていた。
ヒマなので、私とくさかりべはけんしろうの勤務する小学校まで見物に行ったのだ。
学生服を着て、共に授業を受け、下宿に溜まり酒をやっていたけんしろうが、先生様ですか。
ガキから見れば一端の大人、先生に見えるのだろう。
我々もそんな年になったものか。
そういや、高校時代の友人・ナイワン(仮名)は、大学在学中に見知らぬガキに「おじさん」と声を掛けられて衝撃を受けたそうな。一浪一留の私と違って現役であるナイワンは、当時、最高でも22歳。多分、もっと若かったであろう。そして私も、先月ついに見知らぬガキに「おじさん」呼ばわりされてしまった。ショック・・・とは言わないが、意外な言われようをした気がするとともに、妙に納得したものであった。
そんな風体の男が、小学校の回りを回り、フェンス越しにグランドを凝視している。どこぞのクズが小学校を襲撃してガキどもを虐殺し、各地の小学校で警備体制の強化が叫ばれている今日日、あまり小学校の周囲をうろつくのはよくない。離れなければ。
とっとと部活終わらせろ、と悪態をつきつつ私とくさかりべは小学校を離れる。
また本屋、ゲーム屋をうろつき、茶店を探したり。
とにかく同じような場所を歩き回った。
あたかもWRだが、WRならばこんなに殺風景ではない。
三時を回った。私とくさかりべは再び小学校へ。
グラウンドにはガキ連中も、けんしろうもすでにいない。
校舎の職員駐車場に回るが、奴の車はまだある。
職員室でまだ仕事があるのか、部活のミーティングか何かか。
けんしろうの携帯に電話を入れるがつながらぬ。
昼電話したとき、ゲーセンにいると行ったものだから、ゲーセンに向かいはしないだろうな。
もう三時間も前に出ておるのだが、けんしろうならばやりかねぬ。
小学校のまわりを何周もしても、やはり不審者としてパクられそうなので、学校から離れて歩き出した。
すると、後ろからクラクションが。
けんしろうである。
けんしろうの車に我々は乗り込んだ。ちなみに私もくさかりべも車なんぞ所有していないので、今日のここまでの道程は、すべて徒歩である。けんしろうは、これからゲーセンに行くところだったと。案の定である。小学校の近くで合流できたのは幸運であったかもしれぬ。
そして車で遊ぶ場所に移動。行き先はバッティングセンターである。
なぜか釧路でたまに友人と出会うと、バッティングセンターかゴルフの打ちっぱなしに行っているような気が。
けんしろうの車は、前に見たときはMTのトレノであった。
心なしか車高が低く、マフラーが太かった気がしたが、やはりアレで学校に通勤するのは問題があったのか。
今私が乗っているのは、日産のエクストレイル。AT、パートタイム4WD。新車だそうな。
新車を買うとはやるじゃねーか。公務員だとローンも組みやすいだろうしな。
来年の私は、車を買うのだろうか。買うとしたら何になるのかのう。
今まで自分が車を買うとは本気で考えたことはなかったが、けんしろうが給料で買った車を乗り回す姿には、触発されましたぜ。
バッティングセンター。
ただ打つだけではなく、競って打つこととした。
500円で15分間打ち放題のコースを頼む。
一番遅いボックスを使うこととした。
ここを5分交代で使い、空振りの数をカウントして、もっとも空振った者が300円、他が100円を払うルール。
私は自慢ではないが、球技が苦手だ。特に野球なんぞは小学校のときに数回やった程度で、人生に於いてほとんど経験がない。これは空振りの連続で無様な醜態をさらし、笑いのネタとして語り継がれるか・・・と覚悟を決めていた。
最初の1〜2球は、タイミングが合わずに見事に空振り。しかし3球目から、少しかするようになってきた。このゲームのルールは、かすりでもすれば空振りとは見なされない。かすったり、ファール、ゴロを繰り返す。目が慣れてきたのか、とりあえずは当たるようになってきた。こんなガキ向けの遅い機械で、とりあえず当てるだけならば、アホでも出来る・・・と人は言うかも知れない。しかし、野球の訓練などなく、前回バッティングセンターに来たのが2年前という私が、とりあえず当て続けられることは驚きだった。
当て続けなければならない、ということはプレッシャーになったが、それでもそれなりに当たった。空振りは結局6回であった。
次にチャレンジしたのはくさかりべ。
特別球技に秀でているわけではないが、私よりはマシであろう。
・・・しかし、スタートから空振りの連続。
本人曰く、ゲームの開始前に速いボックスで打っていたので、タイミングが合わないとのこと。
それでも何球目からは打ちはじめ、何発か空振りを交えつつも、打ち続けた。
くさかりべのミスは7。私よりもひとつ空振りが多い。
とりあえず私の安全は確保されたが、自分でも負けないとは意外な結果であった。
けんしろうは、小学校でも部活の顧問(但し野球部ではない)をやり、球技との距離が3人の中でもっとも近い人物である。
しかし、彼とて最後に野球をやったのは遠いのことであろう。
小学校の体育で野球があれば話は別だが。
そんなけんしろうも、最初の何球かは派手に空振った。
しかし、それからは、ほとんどミスもなく、快調に撃ち続けた。
時間の経過を見ながら、くさかりべは言う。
「これからだって。これから連続して空振りするんだよな」
しかし、けんしろうはほとんど空振りをせず、結果は4空振りであった。
ゲーム代を立て替えたくさかりべに、私とけんしろうが100円ずつ支払う。
くさかりべは、300円の出費。1人100円が参加代金と考えると、200円の損失か。
次はもう少し速いボックスでゲームを。
今度はヒット数を競うというもの。何回、空振りしようとよいが、正面のネットにボールをぶちかまさねばならん。
くさかりべが500円立て替えて、ゲームスタート。くさかりべ曰く、「この500円、もう二度と返ってこないような・・・」。
今度は打ち続けなければならない、外せない、という緊張感はない。
しかし、野球の練習などしたこともない、経験もほとんどない私は、バッティングの適切なフォームも技術もまったくわからない。うまく飛ぶのだろうか・・・。今度こそ、惨敗の覚悟を決めた。
まずは当たりもしない。球速が変わったので、目がついていかないのだ。振り遅れの連続。
タイミングは合ってきたような気がするが、今度はボールの下ばかり振っているような。
なかなか当たらない。当たっても、ゴロやファールばかり。
しかし、後半からは、たまにヒットが出るようになった。
当たると気分がいいものである。
最後の一球まで粘って、6ヒット。私にしては上々である。
次はけんしろう。真打ちと思われた男だが、空振りばかり。
やはり球速に目が慣れていないのであろうか。
それとも、改心打を狙って大振りしているのであろうか。
力み過ぎかも。
けんしろう、ヒット数1。
まさかにけんしろう撃沈に、またしても私は負けはなくなった。
最後はくさかりべ。
彼は何をやるにしても、何か技術的なセンスがあるように思える。
このときも、快調にヒットを何本も飛ばした。
開始数秒で、けんしろうの負けは確定した。
くさかりべのヒット数は、12。
普段野球の練習をしていない人間としては、いい数字である。
くさかりべは、私とけんしろうから400円を回収した。
ゲームはこれで終了。
私は二回とも負けなかった。勝ちもしなかったけれども、この場合は負けなければそれでいいのだ。
次に向かったのはボーリングである。
ボーリングは徹底的に私は弱い。
結果はこちらである。
ストライクを3回、スペアを2回出しているのだが、その次はガーターか1ピン程度。
冗談のようだが、別に意図的ではない。
2回目の最後など、ストライク、ガーター、スペア(つまり10本倒した)と、狙ってもなかなか出来ないことを。
我ながら、奇特なスコアであった。
無論、ボーリングは惨敗でした。
さて、晩メシである。
メシはくさかりべが昔から利用しているという焼き肉店にした。
店に入っても、誰も出てこない。
2〜3回呼んでようやく店員が。
席に案内されるが、他に客は1人もいないようだ。
昔は随分と賑わったらしいが、近年大型の焼肉店が新設され、客がそちらに流れているらしい。
味はわるくないし、店のつくりもいいのに、これだから大衆は・・・。
私は豚丼とサガリを。よく考えたら、焼き肉+白米でよかったんだよな。なんで似たような食い物を組み合わせたのであろうか。とにかく、私はサガリを喰いたかった。サガリという焼き肉メニューは、北海道にしかないらしい。牛のどこの部分かは知らないが、私はガキのころからこれが好物であった。
豚丼と軽くサガリを喰って、夕飯を終える。他の人間は何喰ったっけか。失念。
料金はもちろん割り勘にしようと思ったが、けんしろうが1人で50%を出してくれた。
社会人のおごりを学生が断るのも失礼というものであろう。ありがたく恩恵にあずかる。
さて、あとはけんしろう宅に直行である。
酒とつまみを少量買い、けんしろう宅に。
このとき買ったのは、1人につきビール/カクテル500ml程度。あまり飲めなくなった私としては、このぐらいでも十分だ。居酒屋でバイトしている棒術部の奴に聞いたのだが、「居酒屋でバイトしていると、棒術部の異常さがわかる。一般人は酒をあまりにも飲まない」とのこと。その通りである。だが、私としては湯水のごとか酒をあおるのは卒業だ。微量の酒と共に、しずかに話したりするのもよい。
その後、PSで「ストU」の対戦し、ナンタラという探偵ゲームを推理しあって夜を過ごした。
寝たのは午前1時頃である。
翌日はくさかりべもけんしろうも仕事がある。
この時間が限界であった。
けんしろうは布団まで用意してくれ、おかげでよく眠ることができた。
朝、けんしろうは私とくさかりべを車で送り、そのまま仕事へと出ていった。
高校時代の友人は一生モノだ、と高校時代から考えていたが、こうして短い時間を縫って遊ぶ様を鑑みると、まさにその通りであろう。