母よりJPG画像届く
2001年08月19日(月)
私の母親は、GHQ/SCAPにマッカーサー元帥が君臨し、米兵がコルト.45を吊して日本の街を闊歩していた時代に生まれた。
母の幼少期の生活は、電気こそはあったものの、電話もガスもなく、水道さえも通っていなかった。
水は井戸からポンプで汲んで水瓶に汲み置きし、調理は石炭ストーブ。夏でも汗だくになって、ストーブを焚いて調理した。
電灯はあるが電力供給は安定しておらず、補助的にランプが常備されていた。
電球の他に電気を使うものと言えば、ラジオくらいしかなかった。
コンセントは電灯のソケットについていた。
時計はゼンマイ式で、毎朝決まった時間にネジを巻いた。
電話は駅や役所や商店にはあったが、多くの家にはまだ引かれていなく、しかも通話の際には人間の交換手を通した。
歯磨き粉は事実上粉で、ブリキの缶に入れられていた。
モノをどこかに送る場合は、国鉄か郵便しかなく、時間はあいまいな上に数日かかり、しかも定型の荷物以外は引き取られなかった。
家には隙間があり、虫から身体を守るために、夜間は蚊帳を張って寝た。
自動車は個人所有どころかまだまだ存在自体が珍しく、進駐軍のジープや金持ちが乗るフォルクスワーゲンが、あたかもスポーツカーのごとく少年や若者の目を引いた。
鉄道は蒸気機関。ディーゼル機関車が線路を走るときは、村中の大人も子供も見物に集まった。
食事は米に納豆、あるいは卵か漬け物、それにみそ汁ぐらいしかなかった。
ごちそうと言えば、赤飯であった。
学校には弁当を持って行けない子もいた。
運動靴を履いている子供など、何人もいなかった。
これらの項目の時代は錯綜しているかも知れないが、母は概ねこのような時代を生きていた。
母の家は別に貧しかったわけではない。祖父は駅長であったのだから、階層は決して低いわけではない。日本全体が貧しく、そしてインフラの整備は遅れ、食糧物資は慢性的に不足していた。私には想像するしかない時代である。
私は1977年生まれ。気がついたときには親父が自動車を乗り回し、家にはカラーテレビもダイヤル式電話も全自動洗濯機も電子レンジも当たり前のように存在した。蛇口からはいつでも飲用できる水が流れ、調理はガス。便所も水洗であった。食事は豊富なメニューから選ぶことが出来、調理も買い物も簡単であった。スーパーには数百種類を超える品が並び、空にはジェット機が飛び、ごく一般的な人間がそれに乗ることが出来た。なかなか見ることはなかったが、コンピューターという概念はいつ覚えたのかわからないほど昔から知っていた。私の幼少期と母の幼少期とは、恐るべき格差がある。だが、日本はたかだか40〜50年前まで、地方へ行くと電話も水道もない程度の生活水準の国であった。もっとも、水道は母が僻地に生まれ育ったせいであるのだが。
私はこうしてパソコンも扱えるし、ネットも日常的に使っている。
だが、母はビデオの留守録も、説明書を取り出して長時間掛けなければ出来ない。
新しいテレビやコンポを買っても、私は説明書を読まなくてもだいたいの操作はわかる。だが、母はできない。
生きてきた時代が、環境が違うのだ。
SF作家、アーサー・C・クラークは言う。
「もし中世の人間が1000年後の現代にタイムスリップしたならば、その人間は気が狂ってしまうであろう。だが、現代社会に生きる我々が1000年後の世界にタイムスリップしても、おそらくは適応できるであろう」
私は生まれたときから電気製品に囲まれて育った。だから、多少は機器を感覚的に操作できるし、どういう動作・原理なのかも考えてみれば想像できなくもない。しかし、母は電灯とラジオと交換手経由の電話しかない時代の人間だ。今現在電気機器を使えなくはないし、それなりに現代社会に生きている。しかし、基本的に母にとってはそうした電気機器はブラックボックスも同然なのだ。基本的に、不思議な存在なのである。なんとか操作を覚えて電気機器の恩恵に預かっているが、その原理なんぞは想像もつかない。だから操作も決まった結果の出ることしか出来ないし、予想外の事象には対処できない。
そんな母が、今日、私のパソコンにJPG画像を送ってきたのである。
写メールとかいうデジカメ付きの携帯からだが。
これは画期的な事象であるので、つい日記に書き上げてしまった。
散々に書いたので、少し母の名誉のために書き足す。
母は同世代の主婦としては、時代に適応している方である。
確かにブラックボックスかもしれないが、携帯でメールのやりとりはするし、CD・ビデオは日常的に使っている。また、自分専用の3ナンバー車を所有して、買い物など日常の足に使っている。40代ならば車に乗っていることなど珍しくもなんともないが、50代の女性では、免許を持っていない、持っていても車などほとんど乗らない人は相当数存在する。しかも3ナンバーの大型車。それにクレジットカードやキャッシュカードも当然のごとく使用しているが、ある程度の年の人には、カードでカネをやりとりすること自体が理解できない人も少なくない。そうした年輩の人にはATMなど恐怖の空間でしかない。
年輩の人の中には、急速に変化してゆく社会に、とっくの昔に取り残された人がけっこう居ます。
それから観たら、携帯で画像を送るうちの母親は、まだまだ健闘している方でしょうね。