蓮沼旅行
2001年09月13〜14日(木〜金)

成東駅にて


 我が棒術部が年に2回行う合宿のうち、春合宿は1999年3月から2001年3月まで、3年連続で同じ宿で行っている。千葉県蓮沼にある小川荘なる宿である。私が実務統括者だった2年生のときに、渉外と共に自ら出向いて下見をし、そして決めた宿だ。食堂は広く、大部屋を含めた収容人数は大きく、雨天時には専用の体育館があり、屋外には九十九里という巨大な稽古場を利用できるこの宿は、大人数となった棒術部にとっては、数少ない合宿条件に見合った宿である。
 今回、その宿に私的に行こうというのが、この旅行の趣旨である。私とП氏(仮名)、参謀長(仮名)の3名で安く一泊旅行するのには、あまり選択肢もなかった。いっそのこと過酷な合宿を行った場所で酒を喰らい、タバコをやるというのも一興であろう。


 合宿は冗談も例外も通用しない禁酒禁煙。食事は1日2食。稽古は1日6時間かそれ以上で、2日もすれば足腰が立たなくなるという苛烈さ。自由時間などなく、監督の道着・足袋の洗濯乾燥、監督の接待、時間の進行管理ととかく多忙。寝る時間も慢性的に不足する。そして、新入生勧誘に向けたミーティングをとにかく繰り返し、新勧に向けた気勢と結束を高め、そのための知識と技術を高める。それが春合宿だ。まあ、春合宿は、合宿としては愉快な部類に入り、絶望の声しか聞かれない合宿に於いて、いい評判も少なくない。だけれども、日常を大きく逸脱した体験であることには相違ない。人生には血ヘドを吐く経験も大切である。
 そして今回、その合宿場で夜更かしして酒を喰らい、タバコを吸いまくり、うまいメシを喰って長風呂し、惰眠を貪る。想像するだにたまらんわい。稽古場だった海岸で遊ぶというのも一興であろう。稽古人として来ているわけではないので、今回、あの海岸は稽古場ではなく、ただの砂浜だ。


出発、通勤電車を乗り継いで

 午前9時に京王線某駅に集まり、そこから出発。前日そのように連絡したところ、参謀長は「チェックインが夕メシまでなら、昼過ぎに行きましょう」とのこと。疲れたとっつぁんやババァの温泉旅行ではないのだから。そんな遅く行っても、メシ喰って、風呂入って、寝て、起きて、それで終わりではないか。1泊旅行なんぞ、使える時間はとても少ない。なれば、少しでも早く行って、時間を有効に使うのが我らの道であろう。と強引に午前9時出発を強行した。
 多摩/八王子から成東までは、通勤電車を乗り継ぎだいたい3時間。昼メシを成東かどこかで喰って、そこから宿にチェックインし、海岸やらを遊んで回る。あるいは、駅から宿までも寄り道しながら行く。これが大まかの計画である。
 予定通りに某駅に集まったとき、私とП氏は棒持参であった。別に持ってくる必要はないのだが、持ってくるのが棒術部員たる者の性(さが)。小川荘の主人の、度肝を抜かされる顔が見たいものである。


 京王線で新宿まで至り、中央線でお茶の水、総武線に乗り換えて錦糸町、錦糸町から快速に乗って千葉。そして千葉から成東へ。なかなかの長旅である。旅行の醍醐味は、移動時間にもある。何やら話し続けていたが、その内容はほとんど覚えていない。途中通り抜ける両国予備校のこと、千葉を越して、目に見えて田舎になっていく景色について話したような。
 そう言えば、成東が近くなると、野焼きやゴミ焼きの煙がやけに目に付いた。参謀長曰く「田舎の人間は、ゴミは燃やせばいいと思っている。うちの地元でもそうだった」とのこと。そういえば、釧路でも土管を縦にしただけの「焼却炉」に何でもぶち込んで、ゴミを処分していたババァやオヤジがいたものであった。ビニールやプラスティック、空き缶、空き瓶、何でもぶち込む。缶や瓶がその程度の火力で燃えるはずはないし、ビニールやプラスティックは有害なガスを発生させる。新聞やニュースや自治体の広報を見ていれば、どんなに無知でもこうしたモノを燃やしてはいかんことぐらいわかるだろうに・・・。参謀長曰く「田舎の人間は、ペットボトルも燃やそうと思えば燃えるから、燃えるゴミだと思っている」とのこと。化学的には、燃焼しない物体はないんだけどな。こういう意識の低い地方の人間が、生活環境を汚染しているのだろう。
 などと地元の人間も乗っている電車の中でしゃべるのも気にはならない。はじめて小川荘に下見に行ったとき、地元の勘違いしたヤンキー連中の対面に座っていた渉外■■は大笑いし、彼らが携帯電話を使うのを見て、「オイ見ろ!こんなとこでも、電波届いてんぞ!」と大声で怒鳴っていたのに比べれば、屁みたいなものだ。 


成東到着

私ばかりが2度写るのも恐縮だが、セルフタイマーを使えなかったので 後ろの奴、まだ電話しておるのう。


 成東駅に到着。記念写真なんぞ撮りつつ、今後どうするか考える。とりあえず、昼だということもあって、メシ屋を探すも、あまりない。あやしげなラーメン屋に入ることに。テレビは、アメリカで起きた大規模テロ事件のことを流しっぱなしであった。テロが起きたのは日本時間で11日夜。まだまだ燃えさかるビルとビルが崩落する模様、飛行機が突っ込む瞬間が繰り返し映し出され、先日から注目され始めた某人物に関する憶測がなされていた。
 ラーメンを注文し、しばしテレビなんぞ眺めていたときの参謀長のコトバにはまいった。
「このヒゲジジィ、何かやったんですか?」
 何かをやった、と断言するのは少なくともこの時点に於いては少々まずいが、参謀長はここ2日ほど、まったくニュースも新聞も目を通していないようであった。ま、学祭に於いて実務面で大きな役割を担っている参謀長が、日常生活に支障を来すほど多忙なのは想像に難くないが。この旅行とて、無理矢理時間をあけたのである。


 随分と待った気がするが、運ばれてきたラーメンを喰らい、カネを払って店を出た。午後1時過ぎであっただろうか。それから、酒屋を探して夜飲む酒を補給。モルツ・プレミアム3本と、ブランデーのカミュ1本。我々はカネを持っているわけではないが、酒には妥協しない。低質なアルコールは、同じ量の上質アルコールと比較しても、身体に毒だ。それにしても、プレミアムとカミュは高価な選択であった。旅には贅沢な嗜好品も必要だ。
 タバコも買ったが、3人ともいつもとは違ったものを買った。ま、そこまでする必要もなかったのだが、気分というやつで・・・。

戦争末期の事件に対する碑とのこと

 駅に戻る。駅にて終戦直前の碑文を見つけ写真など撮る。
 さて、これからどうしたものかな。私は3度、П氏と参謀長は1度小川荘に来ている。道順はわかりそうな気もした。いっそのこと歩いて行こうか?しかし荷物があるため、バスで行くことに。私は見知らぬ地でバスに乗ることに難色を示したが、タクシーではカネがかかるとの理由で却下された。П氏と参謀長は「成東海岸」で降りると駅前のバス停で確認し、バスに乗り込んだ。私は下見の時に1度バスに乗ったことがあるが、「成東海岸」との名称に引っかかった。П氏と参謀長は、何を根拠に「成東海岸」で降りると思ったのだろうか。私は疑問を持ちつつも、深くそれを考えないで、バスに乗り、「成東海岸」で降りればなんとかなるだろうと軽く考えていた。


「旅の楽しみはトラブル」、成東海岸を彷徨す


 随分とバスは距離を走る。そう、田舎のバスは鉄道同様、走行区間が長いのだ。昔、釧路に来た内地の人間が、「となり町」まで歩いて行こうとして、山の中で死にそうになった話を思い出した。歩かなくてよかった。合宿の送迎バスで見た景色を思い出しつつ、バスの中では談笑して過ごす。
 そして「成東海岸」で降りる。路線バスで小川荘と行き来したことがあるのは私だけだ。停留所から少し歩けば、道はわかるだろう。そう思ったのだが、交差点を一本曲がると、見たことのない景色が。停留所近辺の景色は似ていたが、やはり間違った停留所で降りてしまっていたのである。
 そう思いつつも、少し歩いた。やはり、違う。ある程度歩いて、道を引き返す決意をする。闇雲に歩いても事態は好転すまい。道に迷ったときは、戻るのも必要だ。П氏が地図を貸してくれと言うので、持っていた地図のコピーを手渡した。そのとき、瓶の破裂音が。П氏が持っていた酒の袋を、アスファルトの路面に落としてしまったのである。
 П氏は「酒代を弁償して、買い直します」とのことだが、私も参謀長も、酒袋をП氏に持たせっぱなしであったし、そもそも一応企画立案者の私が道を間違ったのも原因の一つだ。П氏を責めることはできない。さっそく、割れた瓶の破片をビニール袋に集め、ブランデーと微細なガラス片にまみれたつまみとビールを隔離する。

人の店の敷地に・・・

 そしていきなり参謀長は、つまみとビールを持って、無人のスナックへと駆け出す。廃店舗なのか夜になれば営業するのかはわからない。声をかけたが人気はなかった。

さらに水道不正使用

 そして参謀長は、外にある水道を開き、ビールと袋詰めのつまみを洗い出すではないか。見つかって怒られても、謝ればそれで済むことだが、さすがは参謀長。やることが大胆だ。
 参謀長曰く「旅がおもしろいのは、トラブルがあるからだ。こういうときに、私の出番がある」とのこと。目的のためには手段を選ばないこの行動力には恐れ入ったわい。

 こうして瓶の破片をかき集め、別のビニール袋に洗った缶ビールとつまみをまとめた後、我々は再び歩き始めた。「成東海岸」のバス停に戻ったあたりで、進行方向の案内標識に「蓮沼」との表示を見つけた。このまままっすぐ行けば、目的地である蓮沼に着くということか。非常に距離が遠い気もしたが、少し歩いてみることにした。


 途中、目に付いた酒屋でブランデーを買う。現有のビール3本ではあまりにも少量だからだ。サントリーのVSOPを買う。そしてついでに道を聞いてみる。店のおばちゃん曰く、ここから蓮沼までは、とんでもなく距離があり、歩いてはとても行けないとのこと。タクシーを呼ぶしかないな・・・そう思ったが、店のおばちゃんは、小川荘に電話して迎えをよこすように言ってやる、とのこと。若い貧乏な旅行者が、困っているのを放ってはおけないとのこと。
 ありがたい。電話を頼んだが、オフシーズンの小川荘に迎えに来る余裕はなかった。車を運転できる人が今出払っているとのこと。まあ、送迎を約束したわけではないし、いきなりこんな電話して来てくれなくても文句は言えない。そしたらおばちゃんは、今度はバス会社に電話して、どう行くのが適切か聞いてやるとのこと。重ね重ね親切に。おばちゃんが書いてくれたバスの乗り継ぎのメモと時刻を頼りに、我々は再び出発することとした。しかも持っていた割れた瓶まで引き取ってくれて、大層世話になりましたわい。やはり田舎の人間はこういう面では、親切だ。
 丁重に礼を言って、店を出る。下の画像が、世話になった酒屋兼民宿の「さかえや」さんである。

お世話になりました


 我々が降りた「成東海岸」から成東駅方向へバスに乗り、「本須賀」で降りて、「本須賀」の反対側のバス停から「南浜行き」のバスに乗る。これがおばちゃんの教えてくれた道である。蓮沼方面へは、この「南浜行き」しかないそうな。それだけわかれば十分であった。
 「本須賀」で「成東行き」のバスから降りて、近くのセブンイレブンでヒマをつぶす。田舎のバスはそう何本もない。この間、私は道路地図を見て小川荘に一番近いバス停を探す。「南浜」でいいようだ。随分と立ち読みし、茶を喰らい、タバコを吸った。そして早めに「本須賀」のバス停へ向かう。このコンビニはバス停の近所といえども、200メートルは離れている。途中で「南浜行き」と書かれた別のバス停もあったが、必勝を期すために「本須賀」へ。そうして「南浜行き」のバスに乗り込めたが、我々がコンビニの近くで見た「南浜行き」のバス停の前でバスは左折してしまった。複雑な・・・必勝を期しておいてよかったわい。

田舎型コンビニ。1時間以上たまってました


チェックイン

宿のマダムと再会


 ようやく小川荘に着いたのは、午後4時過ぎであった。棒を携えて小川荘に乗り込んだ我々に、宿のおばちゃんは奇声をあげた。電話では「中央大学棒術部」と言わなかったが、一目でわかったようだ。棒を持っていけば当然だが、少なくとも私の顔は覚えいたようだ。「知らない仲じゃないんだから、今度から電話で言ってよ。私たちにとっては息子みたいなものなんだからぁ」とのことである。
 説明なくてもいいね、とのことで、食事の時間だけ知らされて、部屋に案内される。どうやら我々しか客はいないらしい。一般世間での夏休みは終わり、泳ぐには寒い季節。不思議ではない。そして我々の部屋は小川荘でもっとも端の部屋であった。どれだけ騒いでもいい、とのことである。

なんと合宿場の冷蔵庫にビールが! さらにタバコまで吸う始末!

 ようやく、着いた。カバンを放り投げ、ビールやドクターペッパーを冷蔵庫に入れ、早速一服。
 いやあ、すばらしい。合宿場の冷蔵庫に酒があり、タバコを一服。合宿中は酒タバコなど厳禁だったし、冷蔵庫には師範・監督にお出しする茶・スポーツドリンク・牛乳・フルーツで埋め尽くされ、私的に使うなどとても出来なかった。タバコを吸うことは厳禁されていたが、それ以前に、落ち着いて畳に腰を下ろすヒマなどなかった。そんなことしていたら、「仕事しろ仕事!」などと言われて、蹴られるのが関の山だ。


 まあ、近年は人数の増加によって、仕事にずいぶんと余裕が出来たのだが、一部の精神主義者が「何もしないことは罪」「誰かが仕事しているときに、別の者がゆっくりしているのは罪」とでも勘違いして、「働け!」「サクっと行こうぜ、サクっと!」「パッパやれよ!」などと意味不明なコトバを吐き散らしているらしいが。何かする必要ないときには何もしない、休めるときに休む、というのは、実際重要なことであり、意外とつらいことなのだが・・・休むのが罪とでも思っているかのような人々が怒号を発しても、やることがない人々は何かをしているふりして右往左往するのが関の山である。もっとも、怒号を発する者とて他にやることがないから、「指示を出して仕事をしている」かのように振る舞いたいだけなのだが。
 いやあ、今日この場には、そんな葛藤も闘争も何もない。すばらしいことだ。


 さて、一服入れた後、棒持参で、稽古場であった海岸へと繰り出すことに。 


蓮沼海岸

稽古場にて


 さて、成東海岸にやってきた。合宿中は、夜明け過ぎに起き出し、睡眠不足と前日の稽古で重い身体を引きずって、砂と汗にまみれたままの冷たい道着を来て繰り出してきたものであった。春合宿は3月。3月の蓮沼海岸の早朝は、氷点下には至らないものの、身体の芯まで冷え切り、棒を持つ手や砂を踏む足の感覚が失われる。そんな記憶が一番強烈だ。夏の終わりに、靴と厚着でやってきたこの蓮沼海岸とは、別の空間のようだ。

堤防は、やっと見えるといった程度 解像度600で拡大

 さて、海に向かって立ち、右を見てみる。遥か遠くに防波堤らしきものが見える。上の画像がそれである。左上が無望遠で撮ったもの。右上が、その写真を最大限引き伸ばしたもの。正確な距離は測っていないが、キロメートルの単位はあろう。
 合宿では、この岸壁まで、奇声を発して銃剣突撃する。正確には銃剣突撃のように、腰溜めに棒を突き出しつつ、全力疾走する。そういう稽古法もあるのだ。「神風アタック」と正式に名付けられたこの技は、端から見るとかなり怖い。自分に向かって突進されてくると、逃げ出したくなる。
 2000年3月の春合宿のときは、この岸壁に中学生の男女連れがいたのだが、我々の集団神風アタックに恐れを成して逃げ出してしまった。気の毒に。

 さて、海岸に立って、今度は左を見てみよう。何も見えない。
 見えないが、目のいい棒術部監督には右上の建物が見えるらしい。合宿では、上の堤防まで走ってから反対側を向き、今度は出発地点を通り越して、はるか遠くに見える「あの赤い屋根の建物」まで突進するのだ。監督が号令を出して、全員突進する。その場合は、神風アタックではなく、棒を身体の前に水平に突き出して、全力疾走する稽古をする。我々の使っている棒は、機械的に圧縮された代物で、同じ長さの木材よりかなり重い。長さは六尺・約180センチだ。この棒の端を両手で持ち、肘を伸ばして肩の力を抜き、腰で支えるようにして突進する。なかなか鍛えられる稽古法だ。
 自分の稽古に酔ったバケモノ稽古人が、「あの赤い建物」を通り越して突進し、全員がどこまでも突進し続けたこともあった。そのときは、工事中で海岸の遙か向こう側に柵が出来ていたから、ようやく止まった。稽古に集中するのはすばらしいが、宿との時間の関係というのがあるし、いくら稽古がノろうと、契約である宿との約束を無視してよい訳ではない。また、自分一人他を省みず、どこまでも自分を試すような自慰行為のために、他の稽古人を必要以上に走らせるのもいかがなものか。年も性別も体力も、皆違うというのに。
 海岸に立つと、様々な稽古風景が浮かんでくる。 

焚かれている火に近づき・・・ とんでもないものをぶち込む

 さて、海岸には、どこのアホが火を焚いたのか、木材が燃えていた。田舎の人間は、とにかくゴミは燃やせばいいと思っているのであろうか。

「よし、今度はあの堤防まで行ってみよう」
 私はそう言って、逃げるようにこの場を後にした。
 火は、遥か遠く離れた、堤防からもオレンジ色の炎が視認できた。

突き。本気で入れれば人を殺せる これを合宿では何百回やることか
モザイクで検閲済
神風アタックはここに至って停止する 一人、型を

 さて、堤防では、棒を振り回して稽古のふりをし、砂浜に罵詈雑言を書き込んで遊んだ。
 頭上には成田空港に向かう飛行機が数分間隔で飛んでいた。合宿の稽古中でも、空を見上げると飛行機が見えたものであった。しかし、数日前にハイジャックされた旅客機が高層ビルに突入するのをみたばかりでは、落ちねーだろうな、と少し気になったが。
 暗くなってきた。我々は風呂と食事の時間に間に合うように、宿に戻ることとした。
 火はまだ燃えていた。


風呂とメシ

風呂上がり


 宿に戻って、すぐに風呂に。三人しか客が居ないのに、ボイラーで風呂を沸かして採算がとれるんだろうか?まあ、風呂に入ることに。
 合宿では、一日二回稽古があるが、砂と汗にまみれた身体を洗い流せるのはせいぜい一日一回。運が良くて二回入られるが、それも湯船にのんびり漬かっている時間などない。両国予備校の寮みたいだ。だが、今回は、思わず長風呂してしまいましたよ。いやあ、広い風呂に漬かっていられるのは極楽ですわい。 

食堂へ

 風呂から上がり、タオルや脱いだ衣服を部屋に放り込んで、食事に。普段自炊しても、米と納豆と漬け物程度の私にとっては、久々に豪勢な食事であった。サンマは頭をとって、そのまま骨も皮もすべてそのままにしてかぶりつけと厨房のマスターから言われた。苦みが利いていてうまい。あとは、千葉名産の落花生、苦瓜、マグロ納豆などなど。これだけ副食があったら、何食メシが食えるであろうか。 

メシじゃメシじゃ なかなか豪勢っす

酒と大グモ襲来

合宿場にこのような光景が繰り広げられるとは

 メシを食った後は、一息ついて、酒である。風呂上がりでまだ火照っている身には、ビールは浸みる。合宿場でビールが飲めるとは、極楽じゃわい。稽古で限界に来ているときには、とても飲む気になれないドクターペッパーをやるのも一興じゃ。そしてブランデーを湯飲みに注ぐ。ブランデーの料金は、П氏が立て替えると言っていたが、私も参謀長も割り勘で払う。
 長旅と道に迷って放浪したことで、心身疲れていたのであろう。あんまり飲まないうちに、眠くなってきた。米国テロ事件関連のニュースをつけっぱなしにしたまま、少し横になる。参謀長は、一人布団を敷いて眠りなどしおる。私も座布団を丸めて転がり、意識が落ちかかっていたとき、П氏の声に起こされた。


「うわっ、最悪だ」
 別に大声ではなかったが、とんでもないことが起きたと察知し、私は飛び起きた。テレビで新しい天変地異でも報じられたのか?何事かと、П氏が指さす方向を見ると、エアコンの下から大グモが出てくるところであった。その大きさは、成人男性の手のひらを超えるもの。十数センチはあったであろう。私はあんな巨大なクモを見たことがない。外国からの貨物便に紛れ込んできた毒グモか!?
 私もП氏も、各々スリッパや丸めた新聞を手にするものの、叩きつぶせない。この手のクモは跳ぶからだ。それに、壁に奴の粘液を塗りつけて、弁償でも求められたらたまらん。クモの行方を警戒しつつ、スリッパを身構える膠着状態が続く。そして、熟睡している参謀長を叩き起こす。奴が参謀長の布団に紛れこんで、毒でも注入したら大変じゃ。


 目を覚ました参謀長は、クモを発見するや否や、事もあろうと素手でクモをつかもうとする。
「何やってんだ!喰われるぞ」
 私はそう叫んだが、参謀長は言う。この手のクモに毒はありません、と。そして生き物をみると捕まえたくなる、と言ってクモを追いかける。クモの方も、秒速1メートルはあろうかという高速で逃げ出す。
「ええい、ぶっ殺せ!」
 私とП氏は叫ぶが、参謀長曰く、クモは益虫です。殺す必要はないとのこと。別の知人もそう言ったのを聞いたことがあるが、どうして南国出身の人間はクモをありがたがり、殺そうとしないのか。益虫であろうとなかろうと、我らがテリトリーを侵す生物は抹殺あるのみだ。
 などと言っているうちに、クモは寝室を出て、洗面台の下に潜り込んでしまった。とりあえず、寝室との境にある戸を閉めて、封鎖する。その間、П氏はフロントに電話をし、宿のオヤジさんがこれを使えと掃除機を持ってきた。だが、クモはもう姿を消してしまっている。


 宿のオヤジは掃除機を置いて去り、我々はクモと居室を封鎖したことで一息ついた。
 参謀長は言う。北方の人間はムシやクモに対する耐性がないが、私はガキの頃からムシやクモを捕まえて、足もいで遊んでいた、と。言われてみれば、私は北海道、П氏は東北出身。参謀長は九州だ。П氏もかように巨大なクモをみたことはないが、九州ではザラにいたそうな。参謀長曰く、あのクモは何も悪さをしないので、放っておけば大丈夫だ、とのこと。しかし、私とП氏は言う。
「あの容姿、存在そのものが罪だ。美しくないモノに生きる権利はない。醜い存在は、もっと世間様に申し訳なさそうにするべきだ!殺せ!」
 参謀長は、それはかわいそうだ、家に持って帰って、放し飼いにしてゴキブリを喰わせよう、とのこと。そうすれば、溜まり場になっている参謀長宅には誰も行かなくなることであろう。そして、封鎖した洗面所に陣取り、クモの様子を観察するではないか。ま、人がいる限り出てくることはないとのことで、あきらめたが。

クモを待つ男

 そして酒を飲み直し、我々は本格的に寝ることとした。恐る恐る私は洗面所に足を踏み入れ、歯を磨こうとした。すると、鏡に足を広げた巨大な、かの物体が見えるではないか。背後の壁に張り付いていやがった!
「野郎、いやがった!」
 とりあえず私は洗面所から待避し、参謀長がつかまえようと入れ替わりに駆け込んでくる。しかし、人の気配を察して洗面台の下に逃げ込んだ奴が、再び出てくることはなかった。とりあえず、また戸をしめて封鎖。寝ることとした。奴が寝ている隙にはい出してきて、何かするのでは・・・とも思ったが、気がついたら安眠していた。


早朝、再び海岸へ

朝っぱらはガスかかっている 風は強い

 私とП氏は早く起きて、朝食前に海岸へと行くこととした。
 師範・監督に朝食や茶を出すこともなく、睡眠不足で重く、稽古で節々が痛むからだを引きずることもなく、汗が冷えて体温を奪う道着を着ることもなく(汗が雑菌を繁殖させて愉快な臭いを出す夏よりはマシだが)、ただ散歩がてらあの海岸に行けるとは。
 参謀長は、下のように眠り続けていたが・・・。

眠り続ける・・・マスクは喉を痛めないため

 早朝の海岸は、ガスがかかっていて、先日よりも見通しは悪かった。堤防も赤い屋根の建物も見えないほどだ。こんな中、先が見えない絶望とともに稽古をするのもおもしろいかもしれない。
 潮が引いた海岸には、シジミがいたるところに散在し、それを採るバァさんもいた。こんなところで、鍋とコンロを持ち込んで、シジミをとって煮込んだらうまそうじゃ。と思ったら、実際に似たようなことをやっている人々がいおった(左下)。この寒空の下、よくやるわい。準備があったら、我々もやってもよかったが。
 あと、根ごと引っこ抜かれた海草も流れ着いていたが、なかなか珍しいモノを見たわい。海岸では日常的な光景なのかもしれないが。私は釧路出身といえども、海岸にはそう行かなかったものでね。

何かを焼いて喰っている奇特な人が 根こそぎ流れた海草

朝食、そして出発

朝飯

 宿に戻り、寝ていた参謀長を叩き起こして朝食へ。朝食は、鮭に卵、海苔に漬け物、納豆というオーソドックスなものだが、普段は一通りの組み合わせしか食さない私にとっては、なかなか食が進んだものであった。
 そして、布団やシーツを片づけ、チェックアウト。宿泊料は、一人7000円で、税込みで合計22050円。ここは念を入れて大金を持ってきていた私がまとめて払う。もちろん立て替えただけで、あとでしっかりともらうが。

密談風景?

 ちなみに上の写真は、チェックアウト直前に撮ったもの。使っていない大部屋にて。実はこの部屋、合宿ではミーティング・ルームであり、そして男性部員が雑魚寝する部屋でもあった。数々の闘争、葛藤、伝説、連帯、狂乱、冴えわたる冗談が生まれた部屋である。ついあやしげな会談風景を模して撮ってしまった。

宿の前にあるよくわからんオブジェ 看板の前にて

 そして、宿の主人夫婦に別れをつげて、記念撮影などして小川荘を後にした。


帰途

「南浜」

 「南浜」停留所から成東駅へ。このバス停で、立て替えた宿泊費を受け渡しする。別に、都会の真ん中ではないのだから、札ビラを受け渡ししても平気だ。武器もあるし。私が参謀長から札を受け取るその様は、チンピラが市民から不法にカネを巻き上げているようであった。

カツアゲ こんな大金を!

 そして、成東駅に至り、成東駅から千葉へ。千葉で昼食を取ることとした。駅構内の食堂は、メシ時ということもあって満員であった。参謀長が駅弁を食うことを提案。さっそく3つ弁当を買うことに。この弁当は、ホームのベンチで食ったのだが、参謀長は電車の中で食べるつもりだったらしい。
 下の写真のようなボックス席ならばともかく、千葉から東京方面に向かう電車は、ごく一般的な通勤電車だ。そこで弁当を広げるのはさすがに憚られた。まあ、ときの棒術部主将Г氏は、同じく千葉からの電車でカップラーメンを食ったという伝説を残しているが・・・。

館山に行こうとの話もあったが、疲れのため帰りました

 さて、あとは千葉から錦糸町、錦糸町からお茶の水、お茶の水から新宿、そして帰るだけである。やはり疲れていたのであろう。座席で随分と眠ってた気もする。アキバで降りて、放浪するとの話もあったのだが、それは後日ということで。まだ夏休みは残り少ないが存在する。
 かくして、学生時代最後の夏休みに残る、蓮沼旅行は終わった。一泊の他愛もない旅行であったが、この他愛もない旅行がなかなか出来ることではない。学生時代でさえも。社会に出てからだと、時間的にも人員の面でも、こうしたことは難しくなるであろう。あとは冬である。


 ちなみに、参謀長がこの旅行中に撮った写真をこちらに載せる。
 彼独自の感性で撮ったというこの写真、常人には解釈に苦しむことであろう。

 この100円銀貨。蓮沼の自販機でタバコを買ったときに、返ってきた釣り銭である。調べてみたが、これは約6割が銀で、表に稲穂が描かれている代物。現在の取引価格は鳳凰が描かれているものよりも安い。
 それにしても、この銀貨が返ってきたときは、蓮沼ではまだこのようなカネが流通しているのか、と笑ったものである。自販機で使えるとは、重さや厚みは現用の100円玉と同一なのだろう。


■後年記■
 このときは余所様の水道を使わせて貰ったが、厳密には不法侵入、窃盗(水)にあたるのではあるまいか。田舎なので快く赦してくれるというイメージに甘えて、大胆なことをしたものである。


戻る