■後年記■
私は学部時代について「何も為さなかった」とは思わない。後に大学院に入るときは政治学については1から学び直したし、語学についても然り。ましてや学部時代に「法学嫌い」を自認し「履修制度を熟読して法学部生でありながら法学科目を殆どまったく取らずに卒業する」などし、さらには政治学徒として天下国家を喧々囂々しながら地味な技能を身につけるなんて考えもしなかったが、結局後々法学や経理などの勉強をゼロからすることにもなった。それでも「何も為さなかった」とは思わない。学業は足りなかったが、若者らしい根拠薄弱な自信と共に仲間と部の運営から天下国家に至るまで語り、些細な奇行愚行をもって自分は特別な日々を送っているとの自負を得たことは、やはり財産という他ない。
ただ、そうした日々の行いについて、思い返せば煩悶することは多い。しかしながら、学業ならばもう少ししたりしなかったしたかもしれないが、自分がより罪がなく、あるいはより器用に立ち回るようなことが出来たかと言えば、それは出来なかったと確信する。何を為したかどうかではなく、自分の振る舞いについては、煩悶なくして思い返すことは出来ぬのである。 |