不良論
2001年10月15日(月)


 「第三艦橋大破!」などとアホなことほざきながら、歯を食いしばってやっと今日のカリキュラムを終え、ようやく人心地ついた夕方。後輩の■■とメシ喰いがてら少しアホ話した。どうも生活時間や受講カリキュラムが大きく違うようなので、■■とは今年度に入ってからあまり会話する機会がなかったが、久しぶりにアホ話をしまくった。


 街を歩いていると、ターボ過給器をうならせて、ギアチェンジのたびにいかれた排気音を立てる車をしばしば見かける。街のど真ん中で白昼深夜問わず猛スピードで加速するその手の車を見ると、よく苦笑したものであった。しかし■■は、ここ最近おかしくなって、その過給器の音が病みつきになりつつあるとのこと。どうやらいかれた友人が出来て、よくシルビアの助手席に乗ってダウンヒルを体感しているとのこと。
 ■■の友人は、某山に行って、コーナーを滑らせながら坂を下る。キチ@イ的走りだ。山の登りは車重の軽いバイクにあおられまくり、そして下りは制動に有利な車がバイクをあおりまくる。そんないかれた山に、■■自身もバイクでよく馳せ参じているらしい。毎週日曜の早朝、夜間通行禁止の某山にキ@ガイ連中が集まり、山のゲートが開くと同時に数十台というバイクが一斉に先を争って、突進する。「北斗の拳」の野盗か!そうした山の風景について■■は語ってくれた。


 ■■自身も含めてバイク乗りというのは、車の走り屋以上に頭がおかしいとのこと。NSXやフェラーリも凌駕するバイクの急発進で、一気に加速して脳が後ろに置いていかれる感覚が病みつきになり、ハングオンでコーナーを回るのが快楽になるとか。長いストレートのトンネルでは230q/hまで引っ張って走り、レッドゾーンを軽くオーバーする。そんなとき、エンジンからオイルが噴き出すこともある。マシンの限界。こんなことが当たり前のように行われている某山、ここに集まる人間はいかれた連中ばかりだと■■は言う。
 1BOXで山に乗り付け、車に積んできた車検に通らず、もちろんナンバーなしの改造バイクを引っ張り出し、それで走る者。それが恐ろしく速い。米軍基地の兵隊で、裸同然の格好でバイクをとばす黒人ライダー。コケたら肉をそぎ落とされ、皮は剥げ落ちること必至なのだが、何を求めて彼はそんな奇矯な格好で乗るのか。そして凄絶な走りを見せ、バイクや服に「死」や「極楽」の文字を背負って走る男が、メットを取ったらオッサン、それもどこにでもいそうなオヤジだったりということも少なくない。その手のバイクには、「勝負師」「最速」「天国」などの文字が踊り、火の玉みたいなメットかぶってかっ飛ばしている奴も、どんな恐ろしい奴かと思いきや、ただのどこにでもいそうなにーちゃんだったり。しかも、空き缶やゴミをちゃんと捨てるという真っ当さ。
 そして事故もしばしば見る。同じカーブに増え続ける「死亡交通事故現場」の看板。ビニールテープで貼り付けた「オイル」のサイン。次のコーナーで事故があり、オイル漏れを警告するサインだそうな。さらには過去の事故で指が欠損しても乗り続けるバイカーも。私にしてみたら終末世界である。


 彼らは、早朝山に集まってくるが、昼前には解散してしまうそうな。昼からには家族連れなどの一般車がやってくるので、その前に帰るとのこと。さらには、バイカーにはそれなりの年の人間も多く、午後は家族サービスに費やすために帰るという意味合いもあるらしい。
 そう、彼らバイカーはどんな極道者かと思いきや、普通の人間が多いとのこと。日頃は、会社員や労働者、大学生。しかもメットを取った顔はどこにでもいそうな、ややもすると目立たないオッサンやにーちゃんだったりもするらしい。中大生である■■の他に、大学生は東大、早稲田、一橋、学芸大、それに院生などなど・・・。学生も社会人も、普段は公序良俗を守り、まっとうに仕事や学業に励み、家族持ちなんかは善良ないいお父さんだったりもする。
 だが、日曜日にライダースーツを着込み、メットをかぶってバイクにまたがるときだけ、頭の脳内麻薬が煮えたぎる。早朝山に集まり、ゲートが開くと同時に、山の2つの入り口双方からバイクが疾走。どちらのゲートから入ったバイクが早く中間地点を突破するか争い、もっとも速く走り、それを為した者が「勝った!」と叫んで喜び勇む。勝ったところで賞金も金メダルもない。張っているのは命と高価なバイク、そして社会的立場。事故ればザクロ。死ななくともカネをかけてチューンしたバイクを失い、もし他者を巻き込めば賠償金に交通刑務所。■■も、彼の友人も、同じ山を走っている他のバイカーも、そんなことはわかっている。山奥といえども無茶な走りをするのは決していいことではないとわかっている。だけれども、やめられない。この、限りなくわずかな栄誉と、自分自身の愉悦を求めて、休日だけはメットをかぶる。まったくやくざな世界である。


  ■■曰く、「不良」とは本来こういうことだという。普段はまっとうでややもすると大人しそうな人間が、ある一瞬だけは血をたぎらせて命を張る。バイクは車と違い、些細な事故で首が飛び、ガードレールに胴を断たれ、電柱の鉄線が手足を落とす。死んだところで自分の責任。それも法と社会秩序を犯しての所行。世間の目は冷ややかであり、それは正当な評価でもある。それを覚悟で走る。■■はそうした終末世界にハマってしまったようだ。
 車ならばシルビア、GT-R、インプレッサにランエボと、スポーツカーはしばしば見るが、レーサーなバイクはなかなか目にしない。街中ではほとんど見かけることのないスパルタンなバイクが、山に行けばあここそこを走る。あたかも希少鳥獣保護区のようだ。そしてそこでは世間の価値観が一切通用しない。技術とマシン性能を徹底的に追求し、独自の栄誉と快楽の価値が存在する。駐車場を占拠してドンチャン騒ぎするだけのガキどもや、カッコウだけつけて群れなければ何も出来ず、群れても暴力と騒音しかまき散らさない族連中とは全く違った存在のようだ。


 族連中のようなバラガキと■■の言う「不良」との違い。バラガキは自分が生きる日常自体がつまらなく、誇りもプライドも持てず、自分自身の存在価値も見出せない。そんな空虚な存在が、暴力や騒音で自らを誇示することでしか満足感を得られず、気を晴らすための他の方法も知らない。とにかく何かをぶっ壊したくなる。築くことなど知らない。失うものなどないので何でもするが、元々自分自身に自信も能力もないので、群れなきゃ何も出来ないという低落。そうしたクズが族らしい。
 一方、「不良」というのは、まっとうな日常生活を送り、仕事や学業に成果を上げてやり甲斐も覚えている自らに自信ある大人。仕事や家族と失うものがあるので普段は法や秩序を守る、善良などこにでもいそうなとっつぁんやにーちゃん。そんな人間がある一瞬だけ、命を張って、心に忍ばせている一振りの刃を見せる。それが「不良」だそうな。
 なにやら法政大学に学んだインテリ極道の草分け・安藤昇氏の生き様を聞くようではないか。自らにプライドと自信を持ち、自己に戒律を課しながらも、一端だけ引けないところで暴力の火を散らした学生やくざ。私は安藤氏のやくざ人生に惹かれるところがあるのだが、某山に闊歩するライダー連中と少し共通するところを見た気がする。
 余談だが、■■の言う「不良」は、山にカッコウだけの族が入ってきたら、過酷な山道で嫌と言うほどあおり潰すとのこと。やはり、やくざ者である。


 最後に、はっきり言っておこう。私は損保や自動車と非常に密接な生活を送ってきたため、交通事故の身体的・精神的・社会的・経済的な悲惨さは嫌になるほど知っている。親類縁者や知人友人にも、事故で人生を狂わせた者、取り返しのつかないほど身体をいかれさせてしまった者、生命をも失った者も何人かいる。また、自分自身の満足のためにスピードと技術を追求している走り屋に、私自身が運転しているときにどれだけ肝を冷やされ、一触即発なことになったことか。
 どれだけ自戒があろうと、公道でいかれた走りをする者を肯定するつもりはない。一般世間の価値が通用しない空間で、軽佻浮薄なバラガキとは違う先鋭的な挑戦をする姿勢には少々共感を覚えはするが、決して公道に於ける先鋭的な運転を肯定するつもりはない。それだけは明示しておく。 


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