5回目の白門祭、敢えてOB批判を
2001年11月01〜04日(木〜日)


 5回目の白門祭。今回は全面禁酒令が出され、酒類の販売はされず、例年バーを出していたサークルもノンアルコールバーとして参加するなど、その様相は大きく変わっていた。禁酒令は、例年飲み過ぎや強制的な一気などにより、周辺地域の救急医療機関や消防の希少資源を浪費することに対して発令されたもの。病院や救急救命機関からの圧力が大学当局にかかったとあれば、もはや大学当局としては禁酒せざるを得なかったのだろう。もしかすると、前年までが学内で飲酒できた最後の学祭だったのかもしれない。
 そして、私自身の立場は棒術部ではOBに過ぎない。前夜祭等にはもちろん参加しないし、できない。出店の商売も一切手を出さない。あくまで遠くから見物するだけである。だから、せいぜいちょっと売っている食い物を買って喰ったり、ちょっと後輩連中の様相を写真に撮るに棒術部との関わりは止め、あとは誰ぞの講演会を聞いたり、そこいらで出し物を楽しんだりして終わった。白門祭に参加する基盤として、サークルなり何かがないと、ずいぶんヒマなものである。空いている図書館で読書なんぞもしてみた。


 私が常々考えていることだが学祭でとみに思ったことは、OBともなった私が棒術部と、現役部員と関わっていくのはそろそろ限界であり、潮時ということである。私は来年以降、幸運にも職を見つけ、東京からも離れるが、東京に残り続ける者や、大学院や留年で中央大学そのものと関わっていく者は、こうした距離感覚が肝要となっていくことであろう。いい年こして、学生の間でデカいツラしていい気になるクズ、あるいは昔いた学生サークルしか依拠する空間がない空虚な人間にはなりたくないものだ。
 このような念を強く持っていた私は、棒術部の打ち上げにも参加しないつもりだったが、後輩から説得されて参加するに至った。曰く「先輩が参加されるとされないとでは、我々にとっては大きな意味があります」と。まあ、私は未だ大学を生活の場としている今年のうちは、飲み会ぐらいは出てもいいだろう。居酒屋の片隅で杯を傾け、優れた聞き役として現役部員と関わるのが良好な関係というもの。


 自制と距離感覚をとかく気にした私とは、正反対の行動をとるOBもいた。
 白門祭に於ける棒術部最大の見せ場、演武会は11月4日。この前日に何人かのOBが集まり、昔なじみの居酒屋で飲んだそうな。別にこれ自体はどうでもよろしい。問題はその後である。彼らは飲んだ後、こともあろうか現役部員■■のアパートに押し掛けた。もう時刻は午前になっていた。電話の一本もなく、遠くから猥歌を放歌し、「オラ、■■出てこい!」などと叫んで闊歩し、危険を察知して電灯を消した■■宅のドアを蹴る。「おんどれがおるのはわかってんじゃ!開けんかい■■ーッ!」などと怒鳴り散らして暴れる。このままでは近所の人間や大家が目を覚ます、と仕方なく■■がドアをあけると、不良OBどもは部屋が汚いだの散々ケチをつけながら無遠慮に上がり込み、■■宅で再び酒をかっ喰らい、朝まで明かしたとのこと。
 この不良OB連中が学生であり、現役部員ならばまだ笑い話ですんだかも知れない。しかし、私はこの所行を決して、笑い話や武勇譚として片づけるつもりはない。例え■■が許しても、この不良OBどもの所行は同じくOBである私は処断したい。


 真夜中に電話も一本もなく大騒ぎして押し掛けるなど、どこのやくざ者か。わざわざ遠隔地から新幹線や夜行バスを使って東京までやってきて、何も考えずに酒を飲んで、テキトーに近場の後輩宅に転がり込むなどいい年こいた社会人のやることではない。やっていいことでもない。近所迷惑は言うまでもなく、近所や大家から■■がどのような不利益を受けるかはわかったものではない。さらに、翌日に棒術部員最大の見せ場・演武会が控えている前夜に後輩宅に乗り込み、朝まで酒を飲み続けるとは迷惑千万。暴力そのものだ。■■がいかなる気持ちでドアを開いたことか。もし■■が嫌がっていても迷惑で仕方がなくとも、■■は不良OBどもが敷居をまたぐのを断れなかったであろう。
 先輩たる自分自身がすばらしい人柄だから、あるいはおもしろい場を提供するから、後輩が受け入れる、などという思い上がりは持たないことだ。先輩というのは、常に支配力持つ存在であり、常に自重しなければ後輩の尊厳を踏みにじり、時間などの希少資源を奪い、成長の機会を剥奪し、自由裁量を蹂躙する暴力的な存在となることを、まるで考慮に入れていない。こんなクズOBが跳梁跋扈するようでは、棒術部の未来は暗い。


 以前にも不良OBは、現役部員(女性)に夜中いきなり電話して、「(別の女性部員)の好きな奴教えろ」などというセクハラかつ余計なお世話の電話をしたり、「あの部員は調子に乗っている、今の現役部員には注意できないだろう」と称してOBの分際で説教なんぞしくさったものであった。学生時代に一緒に部員であったわけでもなんでもない、OBになってから1度か2度会っただけの現役部員に、男女関係について聞き出そうとするなど、常軌を逸している。また、例え問題がある部員がいたとしても、OBがしゃしゃり出て好き勝手に説教するなんぞも、学生サークルにとっては死と同じだ。私はこうした不良OBの狂った所行を幾度となく制止し、注意し、後輩からの不満や怒りの声を聞いてきたが、彼ら不良OBにはもう何を言ってもムダである。
 いつぞや、「誰それに説教する」などとある不良OBが抜かしたので、私は「余計なことをするな、現役部員の顔を潰す気か」と警告した。そのときは、「『公人』としてではなく『私人』としてならいいだろう」と不良OBは返してきた。私人ねえ、そんな公私というコトバに何の意味があるというのか?第一、1度か2度しか会ったことのない後輩に対して、「お前は思わせぶりな態度をとるから、異性の部員が勘違いする」などと説教をすることに、どういう私的な正当性があるというのだ。私人として、つまり部という媒介なく、ただの1度か2度しか会ったことのない男が、若い女に「思わせぶりだ云々」と言う・・・これはただの変態セクハラおやじである。私は「棒術部と良好な関係でいたいのならば、そんなバカなことは止めろ」と警告したが、彼は結局思い上がった説教なんぞを実行したようで、しかも次にその部員と会ったとき、彼はその部員に「この前はゴメンね。酔っててわけわかんなかった」などと。謝るなら最初からするな。本当に前後不覚であろうとなかろうと、いい年こいたOBが学生にやったことへの言い訳として「酔っていた」が通るとでも?


 私はことあるたびに、不良OBに電話で、口頭で注意してきた。だけれども、彼らの行動は少しも変わらないばかりか、私に「不良OBの横暴による被害/迷惑」について訴えてきた現役部員に対して、逆恨みを持つ始末。「奴ら後輩連中は俺たちOBを排除しようと計略練っていて、お前も含めて我々OBが排斥されるぞ」などと私を切り崩そうとし、「なんだよ▲▲、気分わりーな」「■■の奴め今に見ていろ」などと後輩に対して呪いのコトバまで聞かせてくれる始末。
 別に、OB排斥が実施されたとしても、現役部員がそれを求めるのならば私は甘んじて従うつもりだ。そんなくだらん文言で、私に対して何か影響力を与えられると思っているんだろうか。極言すると、今の私にとっては、後輩が充実した学生生活を送る場として棒術部があることこそが重要であり、これが今なお棒術部に関わる私の最大の価値基準である。OBが過去にどんな貢献をしようとしなかろうと、OBのために学生サークルがあるのではない。社会的・精神的弱者のOBのための保養施設でも、偉くなった錯覚を与えてくれる施設でもない。


 今日の白門祭打ち上げに向かう電車で、私はたまたま現役部員●●と一緒に、他の部員と離れたドアから電車に乗った。これは、本当にただの偶然である。だが、不良OBの一人は、1区画離れたドアの前から、私と●●が2人でいることを、やけに気にして頻繁にこちらを伺っていた。人混みの中、やたらと首を延ばしてアゴを浮かせ、目を細めたり寄せたりして、異常にこちらを注視し、不快そうに神経を使っていた。その様を見ていると、私も怖くなってきた。おそらくその不良OBは、過去に自分のことを不当に私に陳情してきた●●が、またしても自分のことを不当に私に訴えている、とでも思ったのであろうか。


 こんなクズ共と雁首ならべて、学生の中でデカい面して酒のみたくなどなかったから、打ち上げには出たくなかった。後輩が説得してくるので出たのだが、部の飲み会の場でも不良OBどもの振る舞いは看過ならなかった。
 現役部員時代はただのクズで当時の同期や後輩に多大なる迷惑をかけたのにも関わらず、自分がいかにも偉大な存在であるかのように振る舞い、自分がいる飲みの場を支配し、当部では古から禁止されている一気の強要までやらかす始末。それもほとんどコトバも使わずに、意味不明な音声で現役部員をからかい、手で触り、殴り、しまいには何の脈絡もなく負ぶさるわで、見ていて怒りを持つと同時に居たたまれなかった。
 社会人の貴重な時間となけなしの給料はたいて東京までやってきて、やることはこれかい。コミュニケーション「らしき」ことをして、学生連中の中で自分が偉大な人間であるかのような接待を受け、偉そうなアジ演説の一つもし、意味不明な動作と音声で「他者と触れ合っている」という感触を求めてさまよい続ける。それも、気の弱そうな奴、孤立していそうな奴など、自分にとって脅威とならない人間ばかり探し求めて、選んで横暴な振る舞いをする。ただのクズじゃねーか。彼らは現役の学生だった頃も決してまともな人間ではなかったが、不良OBどもは、OBになってから人間としてのコミュニケ能力が激しく劣化しているように思えてならなかった。 


 飲み会が終わった後は、路上でアスファルトに寝っ転がって腕相撲をとろうとしたり、くだらないどーでもいいアジ演説おっぱじめて場を支配したりと、やっていることはならず者であった。現役部員は、これから場を締めて、二次会に向かう者とそうでない者とに分けなければならないというのに、騒音と怒号で過去の存在たるOBが場を支配するとは。しかも、路上で。
 不良OBが中心となってアジ演説を行うと、何も知らない若手部員はその周囲に群がる。後ろから自動車が近づいてきても気づいていないのか、気にしていないのか、不良OBは車道に膨らんでなおもいい気分で大声を上げ、踊るように車道に出る。心ある後輩が「〜さん、車来てます」「通行の邪魔になります」と必死に注意を喚起しても、一切耳に入らない。自分が気持ちよくやりたいようにやることが最優先で、これに反するコトバはすべて無視すればいいとでも思っているんだろうか。


 私も苛立ち、こういう不良OBに少し攻撃をくわえた。
「連絡もなしに後輩の家に夜中突然押し掛け、大声上げてドア蹴って乱入するなんぞ常軌を逸しています。まっとうな人間がやっていい行動ではありません」
「このようにして大声上げて幹事と幹部の進行を妨げることに、何か生産性があるのでしょうか」
「いい年こいて**くんだりから、なけなしの給料と貴重な休みを使って上京して、自分がさぞ偉大な存在であるかのように振る舞い、場の支配者足らんとするなんて、なんて卑小な人間なんでしょうかね」。
 このコトバを聞いた、不良OBの言うことはこうである。しかも、私に直接言わないで、近くにいる別の部員に対して言う。
「東京は冷てえなあ」
 東京も**県も関係ない。現役部員は、OBに夢みせるために日々努力し、貴重な学生生活の時間と労力となけなしのカネを投入して、イベント・行事を起こしているのではない。OBとなってからも学生時代の部にやってきて一杯やるのも、OBと学生が交流するのもすばらしいことだ。だが、主役はあくまで現役部員であり、それ以外の何者でもない。しかし、不良OBはそれがわかっていない。自分は単に好きなようにやって楽しんでいるだけでも、後輩の貴重なる日常を侵害し、情緒を掻き乱すということを、まったくわかっていない。
 だから、私は同じOBとして唯一彼らへ発言力を持っているため、彼らを批判し、攻撃する。


 OB批判というのは、もちろんアンチテーゼであって、テーゼではない。OBと現役部員との間に、人間関係とやらがちゃんとあれば問題ないのだが、1度2度しか会ったこともない人間に、かつて在籍した部の後輩だ、というだけで横暴な振る舞いをするから問題になる。自分が在学中に後輩が自分の話を聞いてくれていたとしても、そのときは実は部員であり、幹部であったからこそ話を聞いてくれただけだったかもしれない。そうした関係がなくなると何も残らないのかもしれない。それを勘違いすると、大した親しくもないのに、横暴な振る舞いをすることとなる。
 このまま不良OBが跳梁跋扈し続ければ、現役部員は怒り狂い、本当にOB排除法を施行してしまうかもしれない。アンチテーゼをテーゼとさせてしまうかどうかは、OB自身の行動と、後輩と冷静かつ対等な対話関係を築けるかどうか、にかかっている。今後不良OBどもがどうなっていくのか、予断を許せない。
 私は大学卒業と同時に遠方に引っ越し、簡単に東京へ来ることもできないので、我が身を処分するのにはちょうど良かったのかもしれない。遠方に引っ込んでからも、私がどれだけ後輩と関係を保持していられるか。これが、私の5年間の秤となるであろう。


■後年記■
 この文章、特に最後の一文は、当時かなりのインパクトを周囲に与えたようである。卒業して何年も経ってみて、「5年間の秤」がどう現れたのか。学部時代の人付き合いは稀になったが、それでも機会を見てささやかながら集まることはあるので、私は生存することを僅かなりとも赦されているのかもしれない。
 しかし札幌に移転したことは痛手ではあった。東京にいれば、半ば以上惰性的であれ同時代を部で過ごした連中と、より広く関係を保ち続けることが出来たかもしれない。また、親しかった後輩達が闘争の末に退部し、私がその背後にいると疑われた(のではと恐れた)こともあり、さらに、仕事が上手くいかず自信を失ったこともあり、関東に戻ってからも、部の連中と連絡を取る決断がなかなかできなかった。
 こうした条件が違えば、もう少し部の連中と関係を広く保ち続けられることが出来たのか。そうではなく、付き合いが稀になったのは私の不徳のせいか。あるいは時間と共に学部時代の関係は乏しくなっていくものなのか。しかし卒業後も尚、私とそれなりに付き合う人々がいることもまた、事実である。


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