事故目撃
2001年11月26日(月)


 私はしばしば大学から家まで、歩いて帰ることがある。四六時中高尾山に行くことなどできないので、せめてもの有酸素運動というわけだ。こういう軽く、継続的な運動というのは、案外クセになるものだ。途中、棒を抱えて大学へ向かう後輩と挨拶なんぞして、いつものように歩いていた。
 途中の交差点で信号待ちをしているとき、激突音を聞いた。
 反射的にその音の方向を見ると、メットと、靴が宙を舞っていた。
 ヘコんだ乗用車、転がった原付。
 何が起きたのかは一目瞭然であった。


 靴やメットに人体のパーツが入っていないかと、内心恐れていが、靴もメットも空っぽだった。原付の運転手は車の影でうめいていた。この運転手がやがて微動だにしなくなっていったのには、背筋が寒くなったが。携帯電話で119番なんぞしてみたが、近所のコンビニ店員の通報の方が早かったらしく、場所と状況について念をおされて、ならばもう通報を受けている、との返答であった。
 救急車が到着したのは、事故発生からだいたい13分後。救急車というのはなかなか動かないもので、原付の運転手を収容してから、再び動き出すまで10分は近くの待避スペースで車内作業をしておった。


 さて、この原付の運転手が、どの程度のケガなのか、亡くなったのかはわからない。どういう状況で起きた事故なのか、どちらのドライバーにそれぞれどのような過失があったのかも、事故前の状況を見ていたわけではないのでわからない。だが、免許を持つ身としては、事故は他人事ではない。
 若くても健康でも、人が突然死ぬのが交通事故。身体は無事でも、社会的・経済的に過酷な状況に陥るのが事故。来年以降、私は間違いなく日常的に運転をすることとなるが、目の前で事故を見ると怖くなってくる。
 私はガキの頃から、家の前で事故を起こした血まみれのライダーや、近所の民家に突っ込んだ車を見てきているし、知人友人・親類縁者でも事故に出会した人間は何人もいる。親兄弟の職業柄、事故の当事者の過酷な境遇もよく知っている。だが、目の前でみると、改めて恐ろしい。


 ちなみに、釧路にいた頃は、北海道新聞・釧路新聞に交通事故の記事は細かく出ていたのだが、東京では毎日あるような交通事故についてはあまり報道されないようだ。地元紙は東京新聞ぐらいしかないが、事故などほとんど載っていなかった。もちろん朝日読売などの全国紙は、交通事故など大事故か特筆すべきことがないとまず載らない。先日の事故の詳細が気になったのだが。
 警察庁ホームページで調べたが、昨日管内で死亡事故は0だった。ということは死ななかったのであろう。まあ、「死亡事故」というのは事故発生してから早期に死んだもののことで、数日後に死んだらカウントされないのだが・・・。


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