久々にいかれた話を
2001年12月03日(月)


 講義を終えて学食に行ったら、後輩■■が何やら凄絶な話をしていた。
 ■■の近況と最近覚えたことについてに話である。
 率直に言うが■■は、学年に比して年齢が高い。彼は単位を同じ学年の同期と比べて、非常に多くの単位を残しており、体育や語学も残っている。そんな■■が、再履クラスで知り合った多浪生・留年生と連んで、潰れかかったサークルの部室で麻雀をし、朝っぱらから酒を飲んで、猥談やカネ儲けの話ばかりしているとのこと。ここの人々が考えることと言ったら、女とまぐわることか、酒のこと、車・バイクのこと、いかに楽するか、あるいはいかに楽してカネもうけるか、に尽きるらしい。
 そこの人々がやっている金儲け法、例えばボロ車を板金工場や自動車修理工場から安く買いたたいて、自分でそれを修理してネットオークションで売る話、金券ショップの活用法などは序の口、様々な方法でカネをもうけようと企んでいるらしい。■■もここの人に教えてもらって、パチスロの必勝乱数表を頼りに勝負を挑んだらしいが、うまくいかずに玉砕したとか。
 まあ、他にも金融がらみのすばらしい話を何かと聞けましたわい。私の知人でも、債権の取り立てとか、倒産した会社の物品の差し押さえ・占拠やっている奴もいるし、学内で教員・職員からの取り立てやっている奴も知っているからね、まあ、学生でも様々な奴がいるものですわい。あまり詳しく書きたくないけど。


 こんな話は、「ウィザードリィ」で言うとリルガミン城から降りた地下一階の、階段周辺のようなものだ。まだまだ下には下というか、恐ろしいことはいくらでもある。ちょっと底辺なバイトなんかしてみると、大学ちゃんと出てマジメにやりたくなる、まっとうな職に就きたくなるというものだ。だから■■は、自分ではほとんど大したことに手を染めずに、肉体労働のバイトで手っ取り早く日雇い日払いをしている。肉体的にはかなり過酷だが、恐るべきバイトに比べたらまだ気が楽というものだ。
 しかし、こういう話をしていると、1年生とか若い者はびびるようだ。
 世の中の表層、薄皮一枚分の世界観を信奉したいのか。自分が知らない、あるいは遠い世界のことだと思っているおどろおどろしいことが、すぐそこにあると受け入れられないのか。私はこういうドス黒い話を聞くのだ大好きなのだが、どうも若い者の中には、そうした話を聞くだけで絶望する者がいるようだ。なぜか?


 同じクラスやゼミの中に、借金の催促をしている者がいるかもしれない。同じ大学のキャンパスを歩く者の中には、新宿の奥地で不良外国人に殺されかけた者がいるかもしれない。学食で同じ列に並んでいる者の中には、高校時代から無免許で引っ越し会社の運転手をやっていたのがいるかも知れない。講義の最中居眠りしている後ろの奴は、女子高生を車で拾って山でまぐわり、そのまま捨ててきているかもしれない。
 ドス黒い話に絶望する者は、これらのどうでもいい可能性を否定して、何もかもはっきりした世界観を信奉し続けていたいのだろう。学生に占めるこれら人々の割合は、とんでもなく低いかもしれないし、私の予想よりはやや高いかも知れない。だが、学生の誰もが、「テキトーに講義出て、バイトはせいぜいコンビニやメシ屋で。大学時代にまぐわる相手は1人か2人、あるいはゼロで、サークルに出て軽く安酒飲んでちょっとくだを巻き、そして会社か役所に就職して大学生活を終える」というような、自分と同じよう人間と見なさないと落ち着かない人間もいるようで。
 だが、知るがいい。自分の足下は、不法行為やとんでもない横暴、理不尽で支えられているかもしれないことを。小綺麗に見える街角は、どんな構造になっているか。なんてことのない商売は、どんなメカニズムで商品やカネが回っているか。自分の隣人が、あるいはよく見知っているつもりの知人友人が、実はとんでもない別の一面を持ち合わせているかもしれないことを。


 ホント想像力がないんだね。別に、クラスの女が幼少期に変態写真集に出されていたかもしれなくても、そんなことどうでもいいじゃねーか。サークルの仲間が、中学生のときに同性の変質者に迫られたかもしれなかろうと、どうでもいいじゃねーか。親父が実は、極道の人と酒飲んでいるかもしれなくても、そんなことどーでもいいじゃねーか。そんな些細な可能性を考えただけで、あるいはそういう話を聞いただけで、別の宇宙に迷い込んだかのように惑わなくてもいいだろうに。確固たる世界観を抱いていないと、そんなに不安になるんだろうか?それとも、自分の薄皮一枚の世界認識に異物を提示されると、今まで「信奉していたもの」のすべてが、「信じられなくなる」とでも?なんと許容力がない。
 別に、私や■■が何を言おうと、他の誰かが何を言おうと、そんなのただの情報にすぎない。ただの情報でしかない音声や文字列を、ウソか真実かに二分し、心を掻き乱すことは「これはウソだ、ウソに違いない」「そんなことがこの世の中にあり得るわけがない、あり得るわけがない・・・」と念じていないと、ダメなんでしょうかね?客観的事実というものは、そこいらに転がっているのだが、人間がそうしたものを全て摂取することは不可能である。ならば、何が起こっても、とりあえず物理的にありそうなことならば、何を知っても絶望しないでもらいたいし、多少のことは覚悟してもらいたい。それに、いちいちどうでもいい情報を、何が事実で、何があるわけがない、などと区別するのはナンセンスである。


 しかし、■■は言う。棒術部でこうしたまっとうな若者と話すと涙が出る、と。みんな棒術なり部の運営の仕事なり、頑張ってやって打ち込んでいる、いい奴らだ、とのこと。どうも■■が入り浸っている空間では、とかく疲れること、苦労、面倒なことが忌み嫌われ、刹那的快楽の追求と一攫千金と安楽のみが至上価値として扱われているらしい。さらには、何かしろと言われたら、「イヤだ」などという白■のごとき返事を返す奴らばかりだと。
 いや、もちろん嫌なことは断れる限り断っていいのだが、「イヤ」はないでしょう。手短に言うことが美徳とれれる場合もあるが、いい年こいて「イヤ」は脳を疑われるというもの。いやはや。


 一通り、裏街道の仕事・バイトについて述べた後、■■は言った。学生時代のバイトはともかく、将来の仕事に於いては、やりたいことをやりたい、と。私はこの意見には共感しない。私が仕事に求めるものは名誉と地位、そして少々のカネだ。さっきまで、ドス黒い話を聞くだけで落ち込んでいた後輩が不思議そうに言う。「え!?名誉ですか!?やっぱカネですよ」
 さっきまで何を聞いていたんだ。カネだけを追求すれば、いくらでもやばい仕事はあるのだ。もちろん、儲かるといっても、バカみたいに大金がつかめるわけではないし、それなりの苦労と努力は要る。安定などもしていない。だが、やばい方面に足を突っ込んだら、なかなか元には戻られなくなるのだ。
 例えば極道の人。こういう人は高級外車に乗って、荒稼ぎしているとのイメージを持っている人もいるだろうが、大抵の人々はそんなに羽振りよくない。産業廃棄物の処理から裏ビデオ販売まで、彼らとて必死で働いているのだ。上納金払えないと大変なことになるし、働きたくてももう他の手段では稼げなくなっているのだ。楽して儲けたい、だけど肩で風切って歩きたい。そうした楽を求めた結果、結局裏稼業のシノギに精を出すしかなくなっていく(ちなみに、私の某所での先輩には、元極道で前科持ちの人がいます)。
 そういう人生について私はとやかく言えないが、少なくとも私は、小さくとも太陽の下で胸を張って生きられる名誉とその誇り、肩書きだけでそれ相応の信用を得られる社会的地位が欲しく、それらの名誉・地位に基づいた仕事でカネを稼ぎたいのだ。やりたいこと・・・?仕事なんてやってみないとわからねえ、一介の大学生である私が、やりたいことなどというおこがましい目標は持てない。


 この、私の名誉・地位の文言に対して、今度は■■が言う。
「それは強く持っていないと、挫折・後悔しますよ。挫折するとつらいですよ」
 ■■め、言ってくれる。
 「やりたいこと」とかいう意味不明なことばっか追い求めているいても、挫折することはあるだろう。目に見えて、とりあえず価値がわかる名誉よりも、「やりたいこと」などという意味不明な目標の方が見失いやすいのではないか。大体、つらいつらくないばかり言うこと自体がガキだ。と■■に言ってやった。
 そう、私はよほどのガキのころはともかく、中学高校予備校、そして就職が決まるごく最近に至るまで、何かになりたいという明確・具体的な目標は持っていなかった。昔から、**になりたい、××になりたい、とその内容を知りもしない職業を掲げている奴をアホだと見なしていた。高校の頃、ある目標を掲げて大学を選んでいる友人に、「何になるつもりだ」と聞かれて「まったく考えていない」と応えたら、だらしのないクズ扱いされ、怒り狂ったこともある。予備校でも同じ経験がある。
 まあ、人様がどんな目標を抱えていようと知ったことではないが、将来の具体目標を決めないのは私のスタイルである。世の中なめているから、あるいはバカだから何も考えていないのではなく、考えた結果、具体的な目標を上げていないのだ。敢えて自信を持って口に出来る目標を掲げるとしたら、それは名誉と地位である。そのために、私はわかる範囲で出来る範囲で、それなりの努力はしてきたつもりだ。大学入試も、今年の就職活動も、名誉と地位の希求こそが原動力であった。そして、それなりの成果を収めていると自負している。


 そうしたら■■は言う。怒らないで下さいよ、という前置き付きで。
「晴天さんは極端です」
 その通り。理論というのは単純明快でなければならない。枝葉を払い、視点争点を明確にして、一言で言わなければ相手に伝えたい肝心の核が伝わらなくなる。「世の中にはBと言う意見もあるし、CやDという意見もある。それぞれもっともだが、私はこの問題についてはAではなかろうか、と考える。いや、この問題がいついかなる場合でもAであると言っているわけではないし、唯一絶対の真理として信奉するわけでもないのだが」と言おうと、「この問題はAだ!」と言おうと、言いたいことの核は同じである。だから私は極端に、敢えて極端に話し、そして書いているのである。伝えたいのは私の人となり・人格ではない。伝えたいのはただ一点の理論。そのためには極論を述べるのがもっとも効率的である。これが私のスタイルだ。
 後から来た無名氏(仮名)と、■■は口をそろえて言う。
「晴天さんはつきあっていると人となりがわかるが、誤解されやすい」
 うちの母親と同じこと言うね。
 その通りだ。私は極論を言うから、その極論の視座・争点でしか、ものを見られない、考えられない、すげー視野狭窄でラディカル・過激な何かの主義者に見なされるわけだ。


 ■■は言う。これは、カックンブレーキと遊びのあるブレーキの問題に言い換えられる、と。■■は遊びのあるブレーキを好むという。現に、■■が乗っていた原付は、ブレーキがほとんど利かず、止まる100メートル以上前からかけ続け、最後には足ブレーキをかけていた。まあ、これは余談。■■も無名氏も、遊びのあるブレーキのような論法と言い方を好むとのこと。だが、私はカックンブレーキを好む。
 ■■曰く、「カックンブレーキはレーサーしか扱えないようなタイトなものです」。それがいいんじゃねーか。難しいが強烈な代物を扱う快感。扱いは難しいが、強力に利き、そして反作用・反動が我が身を揺さぶる快感。それがよい。他者を叩く快楽。何かを信奉してやまない奴を攻撃し、追いつめ、逃げ道をふさぐ快楽。たまらんね。
 「しかし、使いこなすのにはプロの技が要りますよ」と■■。
 そこはハッタリだ!もちろん、自分の見聞きしている些細な情報なんなぞたかが知れているし、自分の見識や判断力、認識力とて疑わしいものだ。確かめても情報の信憑性や理論の根拠なんて、確実になどならないし、その手段などなかろう。デカルトではないけれども。私は不確定情報と戯れるのが好きなのだが、ものを言うときは、そうした不確定さや疑問と懐疑を切り捨て、自信満々にある一定の土台に上に理論を構築して提示する必要がある。まあ、最低限情報を調べ、そのソース・引用文献を覚えておくぐらいの努力は必要だが・・・。


 だが、カックンブレーキと言っても次のようなものは違う。
 例えば、キレイ事というか、ただ一つの絶対的価値基準を信奉した上の発言。
 「それは人権侵害です・・・!」とただ一言言えば、それですべてを否定したつもりになるとか。
 人権侵害、だからどうした。お前がそう考え、そのコトバを提示したからと言って、相手に影響を与えられるのか。自分を取り巻く環境を少しでも変えられるというのか、と言いたくなる。吉本隆明っぽく言えば、「関係の絶対性」は何を考えようと、何か一言言おうと何も変わりはしない。
 何かすばらしいことを言ったつもりで一言提示し、何かを絶対否定ないし絶対肯定したつもりになる。これはカックンブレーキですらなく、ただの壊れたブレーキである。本人は目一杯ブレーキペダルを踏んだつもりでも、油圧シリンダーに気泡でもあるのかその力は伝わらず、ブレーキは一切掛からない。それで電柱に激突して、「私はブレーキを目一杯踏んだんだ!」と主張しても、大した意味はない。
 棒術部では「仕事はみんなでやらないといけない」とか、そういう理想がここそこで謳われている。「みんなで」、だからどうした。その理想はわかった。それでどうする。どうしてくれる。何かを唱えていたらそれで世の中変わるのか。それで世の中変えられるのか。


 ■■は言う。棒術部の合宿を乗り越えたら、理想主義になる、と。どうやら、私は例外らしいが。
 私に言わせれば、理想や感情やキレイ事を口に出すのは、あくまで武器としてにすぎない。理想を言って、それが実現しないのは誰それのこういう動きのためだ、だから奴はクズだ!とか。あるいは、理想を言って、こういう組織運営を実現するためらには、これこれこういう政策が要るんだ!とかね。もちろん、理想も感情もきれい事も大切だし、物事を始める第一歩、スタート地点はそこにある。だが、理想を口にするだけでは何にもならない。


 そう、私と対立が絶えなかった◎◎という先輩は、言っている内容は私とほぼ同一なのに、私のコトバの一つ一つにケチを付け、自分のコトバで言い直さないと気が済まなかった。春合宿で私が書いた新勧に向けての文書も、◎◎は「Aと書いているけど、違うんだよ。こういうことではないんだよ。要するにAなんだ」と、結局同じことしか言っていなかった。 
 ■■は言う。「それだけ◎◎さんは部のことを思っているということですよ」と。私はすかさず言った。「だったら、自分を疑え」と。◎◎は決して自分を疑わない。言っていることが同じでも、同じことを求めていても、些細な体裁や言葉尻が気にくわないと、すべて自分で言い直さないと気が済まなかった。そんな意味のない行為に、どれだけ議事が遅れようと、本題のテーマの権威が失墜しようとおかまいなしだ。◎◎のような人間同士が対立すると、どちらか片方か双方が死に絶えるまで、対立は終わらないことであろう。妥協が要るのだろうけど、やらない。なかなかファンタスティックな対立であった。


 などという話をわずかな休み時間の間にしておりました。  


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