最終ミーティング
2001年12月07日(金)


 今日は、現体制最後の棒術部全体ミーティングであった。
 ミーティングは、棒術部にとっては国会であり、内閣でもあり、報道センターでもある。だが、昔から当たり前のように今のミーティングがあったわけではない。かつては、不定期に指導者の気の向いたときに、そのつどどこかで集まるだけであった。人数が少ない時代はそれでも十分にことは足りたが、近年の何十人と部員が存在するに至った棒術部では、「何月何日何時から、どこでミーティングを開く」という連絡さえも十分には回らなくなった。そのため、ミーティングは決まり切った日時に決まり切った会場で定期的に開かれることとなった。
 そして、かつてのミーティングは、ただの遊び仲間の集まりに毛が生えたようなものであり、冗談や悪ふざけで場はしばしば支配され、議事は進まず、権威も低かった。そのため、重要ことがらが審議されず、やってくるよう指導者が命じたことやマジメな問いかけもしばしば軽視され、その混迷の代償は一部の現場の実務家の献身的かつ自己犠牲的な働きのみによってあがなわれていた。そうしたミーティングを巧みな情報操作とイメージ付けによって権威化し、棒術部運営の中核的位置を不動にしてそれを認知せしめたのは、当年度主務の黒天使氏(仮名)である。
 その黒天使氏による最後の全体ミーティングが今日この日であった。


 棒術部はもちろん棒術の稽古をするためのサークルだが、こうしたミーティングや実務は軽視されがちであった。稽古指導者の都合で、容易に実務家の努力は覆され、時間を無視した稽古によって混乱したスケジュールを立て直すのに実務家が奔走しても、スケジュールがうまくいかなかった責任は、事前の取り決めを破った稽古指導者ではなく実務家に問われるばかりであった。あたかも、稽古指導者という王の元に、実務家が家産官僚として隷属しているかのようであった。
 実務家も稽古人として稽古し、また学生として学んでいるのと同時に、他の人間よりも実務という重い責任と負担を抱えている。こうした努力によって棒術部は稽古が出来、部として存在していられているというのに、ほとんどの人間が実務家の働きを評価せず、部の運営を簡単な情緒や稽古の理念、さらにはその場の稽古のノリだけで決めようとする。棒術部内だけならばまだしも、外部とも様々な契約を結んで存在していられる棒術部に、もはやテキトーな行動は許されなかった。
 こうした「文武対立」に立ち向かったのが、かつての私であり、黒天使氏であった。
 私は疑問符を頭の中の疑問に止めず、行動で正そうとし、黒天使氏は実務というものの価値と権威を合議と制度化という知的所作によって確立していった。その象徴というのミーティングの最終回が今日であった。


 黒天使氏はこの場に於いて、実務とは部のための公共の仕事だと説き、部の行政の価値を後輩に伝えて教壇を降りた。このあとは、後輩が彼に花束なんぞをくれたそうな。
 黒天使氏は言う。この花束も、もらえば嬉しいし、自分の今までやってきたことの成果だ。しかし、こうした棒術部での成果は社会に於いては全く価値はないし、誰に話したところで通用しない。ミーティングでの権威や後輩が認めてくれたことも、「子供銀行券」であり、自分の自己満足にすぎない、と。
 それはその通りである。だが、こうした経験に於いて努力し、考え、そして(例え自己満足であろうと部内価値に終始しようと)実績を上げてきた人間は、ただ威張り腐るだけ威張り散らして卒業した人間や、何事もせずにただ在籍して4年間終えた人間よりは、何某かのものは得ていることであろうて。明日は納会、行政府たる内閣も含めて政権交代である。黒天使氏には私からも、お疲れさまと言いたい。


 ちなみに、黒天使氏がこの日もらったものは、花束だけではなかったことを付記しておく。怒りに満ちた抗議も受け取ったそうな。内容については書くわけもないが、こうした怒りの声さえももらえなかった人間から見ると、黒天使氏は大きな役割を担っていたことが伺えよう。


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