後期納会・・・ようこそ老人席へ
2001年12月08日(土)
後期が終わったというシメ・反省会であると同時に、棒術部の政権交代の儀式と人事の改編、春合宿や新勧に向けての方針も発表される後期納会。それが行われた。
私は納会稽古や納会そのものには出ず、打ち上げの飲み会から参加した。私は一応OBなので、納会に出る必要は別にない。ただ、私の最初の後輩である4年生連中が、稽古納めにどうように振る舞い、納会でどのようなコトバを述べたのかは興味があったのだが、私は敢えて立川北駅のOB用待ち合わせ場所で待機した。この意図は二つ。いい年こいていつまでも部内を跳梁跋扈し、デカい顔をしたくないということと、もう一つは納会の終了時間を少しでも縮めること。特に後者。
ちなみに後で聞いた話によると、主将.32グラム氏は最期に「クズ演説」を行ったとのこと。あらゆるタブーを破り、それでいてあらゆる人間を非難し、自己批判をも行うという名演説だったそうだが、聴きたかったものである。
納会は、まず稽古が延び放題延び、納会も延びまくるのが慣例である。そのため、大荷物を持ったまま駅まで全力疾走を強要される「納会ダッシュ」などの悪習を残し、予約してある打ち上げの店に多大なる迷惑をかけ、幹事が大変苦労する。
大分、部内価値の完遂のみに際限なく没頭するのでなく、社会契約を守る方向に向かってきてはいるが、まだまだ時間は守られることの方が少なかった。私一人が抜けても焼け石に水だが、一人分の発言時間が短縮できる。稽古や儀式、発表が際限なく延ばされても調整とスケジュールの乱れの責を実務者のみに負わされる構造を変革し続けないと問題は解決しないのだが、少しでも時間を縮めてやろうというのがかつて実務者であった私なりの心遣いである。
ちなみに、2040時がOB集合時間で、2100時から飲み会がはじまる予定であったのだが、OBと現役部員が待ち合わせる立川北駅に現役部員一団を現れたのは2125時。飲み会がはじまったのは、当然もっと遅かった。
飲み会はそれでもなんとか終わり、二次会はカラオケであった。しかも、徹夜カラオケ。私はOBとなった今年度、ほとんど二次会には参加しないでいたのだが、4年生連中が私と同じロートルになった様を見物したかったのと、終電がなくなりかけていたことから、カラオケに参加することとした。
カラオケはDAM。孫悟空よりはマシだが、二次元曲が欠乏しているカラオケである。ハイパージョイやパセラのような特殊なカラオケに慣れてしまうと、えらく歌う曲がない気がする。それでも、来たからには最大限歌う。
私が歌った曲目は、「愛国行進曲」「ムーンライト伝説」「若き血」「乙女のポリシー」「Catch
you Catch me」「らしく行きましょう」「infinity〜∞」「あしたのジョー」「御旗のもとに」「檄!帝国華撃団」「花咲く乙女」「思い立ったが吉日!」「ダンバインとぶ」「未来型アイドル」などなど。もっと歌った気もするが。
古典や一般的な有名どころはDAMでもそこそこ入っているが、これぞという萌えアニメの曲はほとんど存在しないのが痛い。「鋼鉄天使くるみ」とか「シスプリ」とか「花右京メイド隊」なんかの曲はまずなかろうて・・・。
さて、私は夏休みあけから一度もあごヒゲ・口ヒゲを剃っていない、ヒゲ面である。そんな私が「セーラームーン」や「シュシュトリアン」の歌を歌うのがよほど面白いらしく、1年生あたりは始終笑い転げておった。部の公式行事では二次会にほとんど行かない私は、1年生連中とカラオケを歌ったことはほぼ皆無。なるほど、めずらしいわけだ。もっとも、ヒゲだまるたる課長(仮名)なんぞも、道路工事のおっさんみたいなツラで「サクラ大戦」の歌なんぞ歌いまくっていたが・・・。
ただ意外だったのは、「シュシュトリアン」を歌っていると、特殊な趣味持ちとは思えない1年生からも歌声が聞こえてきたこと。かの番組は1993年放送。1977年生まれの私はだいたい16歳で、高校生。私があたまのおかしい人間と言えども、さすがにリアルタイムでは観なかった。しかし、1年生で現役つまり1982年生まれだったりすると、当時は11歳、小学生。小学校高学年の女子がどれほど特撮を見るのかはしらないが、まあ自然にかの番組を見ていてもふしぎではないわけだ・・・。ジェネレーション・ギャップ。
棒術部がおかしいのか、時代なのかは知らないが、他の部員もアニソン率はかなり高かった気がする。一般曲を歌うのに「フツーですいません」と、あやまってから歌う者まで現れる始末。まあ、どんな曲でも歌えるのが我が部であるのだが。
画面に「Feeling Heart」のロゴが出るだけで部屋から怒号が沸き上がり、ほぼ全員で合唱。「私の彼はパイロット」を男同士がデュエット。「カードキャプターさくら」の歌をヒゲ面が歌う。なかなか終末世界なカラオケであった。ただ、もともと女性ボーカルの曲を女性が歌うということは、かつての棒術部ではあり得なかった。そしてこの日、たまたま男だけの部屋が出来て、「セーラームーン」の曲あたりを野郎の野太い声だけでうなるのが、返って新鮮だったりも。まあ、棒術部的なカラオケであった。
午前5時にカラオケ店を出て、立川駅からモノレールないしJRでそれぞれ帰途についた。徹夜カラオケはノドも体力も摩耗する。このまま帰って、泥のように眠る・・・と思いきや、ある者たちは中央線で新宿まで出てバーゲンに参戦し、ある者たちは部員のマンションに集まりゲーム大会。酒まで飲み直す始末。さらには、池袋中の二次元店を放浪しに行った一団は、曲目の少ないDAMの不満を発散するかのようにパセラで再びカラオケを。元気なものである。
私は家に帰って、「どれみ」も観ないで昼まで寝ていました。まあ、誘いがあれば馳せ参じたかもしれないが。
ちなみに、棒術部には挨拶に敬礼をするという奇習がある。起源はおそらく、1997年(注)。
会ったとき、別れるときに右手で敬礼をするという光景は、日本の日常に置いてはかなり異質なものである。船舶や航空機の乗員、警察、自衛隊などでは当たり前のことなのだが、大学サークルで敬礼を習慣としている連中は、軍事マニアのサークルなどを除けばなかなかいまい。
電車の乗降の際にこそ、この風習はよく現れる。異なるホームで待っていた者同士が、先に電車に乗った者とホームで待つとで微動だにせず敬礼。電車から降りた者が、ホーム上にて車内の者に敬礼。電車が発進して互いが見えなくなるまで、去るまでそれを続ける。そして、今日の納会帰りでもその光景はみられた。私は立川北駅からなんかするモノレールに乗ったが、1駅ごとに何人もの部員が降りた。そして彼らは車中の我々に対して、直立不動で敬礼をするのであった。始発なので他に乗客はほとんどいないが、180pもの棒を持った集団が、ホーム上で微動だにせず敬礼を送る様には何事かと思ったことであろう。さらには、某駅で降りた1年生など、ここの駅で降りたのが彼女1人であるのにも関わらず、1人で敬礼をしたものであった。
私自身、棒術部で敬礼が始まった原因の1人なのだが、こうも広まって定着してしまうと、なんなともふしぎな気がしてきますわい。しかも、1年生など若い者ほど率先してそれをやるとは・・・。卒業して思い返すと、棒術部というのはふしぎな空間であった、と今以上に強く思うのであろうな。
注・・・
棒術部で敬礼がはじまった起源は、おそらくは1997年。つまりは私が1年生のときである。
「棒術部で敬礼をはじめたのはオレだ」「オレが広めた」「いや、普及させたのはオレだ」という声は複数ある。だが、敬礼という発想が部内に生じた原因は私である。
私はどうも、軍国主義者・軍事マニア・極右・軍人志望者と思われる節がある。これら4つはそれぞれまったくの別物なのだが、大衆にとっては大差ないらしい。高校でもあだ名は「軍人」であった。私は軍事マニアというほど軍事に詳しいわけではないし、せいぜい兵器の名前や特性、生産国・配備国をちょっと知っているだけだ。物理的・直接的な暴力−つまり武力・軍事力を、私は決して否定はしないが、自分で自分を軍国主義者と思ったことは一度もない。右翼・・・というのは定義が難しいが、私は決してラディカルな保守思想の持ち主ではない。自衛隊に入ろうと思ったことは大学院という目標を断念した大学4年次に、就職先として少し考えた程度。ま、視力が足りないのだが。
だけれども、人は私をラディカルな軍事思想の持ち主、軍事に関係するあらゆるものの象徴と思いたがった。若干の兵器知識や軍隊用語を口にしただけで、どうも人は日常の中に異物が入り込んできた気がするらしい。私を異質な存在と見なすのは勝手だが、一般人は、軍隊や軍事、兵器に関する匂いがする人間に対しては、徹底的に想像できる限りのレッテル付けしなければ気が済まないんだろうか。私に「軍事を匂わせる要素」が少しあるということのみを見て、私に関する他の情報を一切無視し、極端にあれこれとステレオタイプを膨らませられるのは決して気分のいいものではなかった。高校でも予備校でも大学のゼミでも、そして棒術部でも、私は軍事に関連しそうな全てのものの象徴と見なされた。
棒術部では、私に会うときに冗談として敬礼をはじめる者があらわれた。敬礼が近代軍隊の専売特許と思っているのであろうか。1997年の終わり頃には随分と敬礼する部員の姿があったことを鮮明に覚えている。当時の私にとっては、敬礼は私に対する極度のステレオタイプの象徴であり、正直かなり不愉快であった。
だけれども、こうした敬礼は1998年度以降、新しく入ってきた後輩に受け継がれ、ただの挨拶と化し、そして徐々に広がっていった。そして、ただの部に広がる挨拶となった。モノレールで乗降の度に繰り広げられる敬礼の風景。自発的に喜んで行われるその風景を見ているうちに、私の「棒術部に於ける敬礼」に対する抵抗は薄れていき、今は大分好感を持つに至っている。