演劇観賞後、焼き肉屋にて南北問題を
2001年12月14日(金)


 劇団The座楼の演劇「おりつる」を、棒術部員で連んで観に行った。
 紙で折り鶴を作ることが特殊技能となった時代に、折り鶴職人やそれを商う人々、研究者が繰り広げる騒ぎを描くというもの。私は演劇に関してはまったくの素人なので論評はできないが、棒術部4年にして劇団The座メンバー・べーやん氏(仮名)、劇中で棒術を披露してくれるとは。


 さて、この後は棒術部員で焼き肉へ行った。幹事の参謀長(仮名)が事前に予約していた焼き肉屋へ。この手の予約は、人数の計算が難しい。テキトーに人数を言っておくことは出来ても、実際にどれだけ来るのかは、劇場を出て、いざ二次会に行くという段階にならないとわかりにくいものだ。
 参加人数は25人。予約していた座敷の許容量をオーバーしたため、5名が飛び火地たるテーブル席に座り、残り20名が座敷へ。私はあえてテーブル席に座った。
 焼き肉屋のプランは食べ放題。1500円のプランで、注文できるのはカルビ・キャベツ・枝豆の3品だけである。すばらしい貧乏プラン!肉は一種類!これは凄絶な食事になりそうだ。ビールは事前に幹事が頼んだ瓶ビールだけだが、私の座ったテーブル席には5人しかいないのに、4瓶も来たような。自腹としてジョッキも頼んだところなのだが。まあ、軽く飲める量ではあるが。
 私の座ったテーブル席のメンバーは、私と.32グラム氏、課長、PGO氏、ヤックル氏(いずれも仮名)の5名。平均年齢はちょうど22歳。オッサン席とも呼ばれた。焼き肉屋でスーパードライやりながらカルビとは、まるでオヤジである。


 奥の座敷から一斉に乾杯のかけ声が聞こえた。こちらもスーパードライで乾杯する。
 座敷席の人々は焼き肉がありがたいらしく、先を争って肉をコンロにぶち込み、我先に肉を喰らっていた。普段の飲み会よりも安い焼き肉パーティー、それも一品目しかなくとも、肉がありがたいらしい。焼き肉とはかくも権威化された食い物だったのか。そんなに高価なものでもあるまい。
 一方、我々の方は、最初から肉を争うなどという貧者の発想はなく、いかにして目の前の死肉を加熱処理し、いかにその物体を胃に流し込むか、しか考えていなかった。我々は2.5人にコンロ1つ。肉の量も多い。一方、座敷席ではコンロも肉も不足がちだった。これぞ南北問題。センターのセンターとペリフェリーのペリフェリー。


 PGO氏が肉だけ喰おう、野菜を食いに来たのではないと主張して、キャベツをコンロの鉄板に置いて、その上に焼き上がった肉を置く。曰くこれは「肉のためのベットだ」と。一方私は、我々は農耕民族なので野菜も食うと、キャベツも焼いて喰らっていたが。
 PGO氏はキャベツを食わずに火にくべ続けていたが、やがてキャベツが火を噴いて燃え上がった。炭化して食えなくなった肉も、脂身が燃え上がる。すかさずタバコをくわえて、その火でタバコをつけるPGO氏。焼き肉は彼の手に掛かれば遊びとなる。いや、儀式というべきかも。二神教的に善神の力で肉を焼き、それが悪神の力によって炭化してしまわぬうちに肉を喰らう儀式なのだ!などと我々はバカなことを言いつつ肉をあぶっていたような。
 我々のテーブルでは、すぐに1種類しかない肉に飽き、そして腹は満たされつつあった。しかし、ここで注文の手を休める我々ではない。別に「食べ放題だから元を取るまで喰おう」などという貧乏根性ではなく、どれだけ単調に運ばれてくる肉の皿を始末できるか挑戦しているのである。


 いくら網から油が落ちると言えども、こうも焼き肉を喰らっておると油脂を大量摂取することとなり、タレで塩分も過剰摂取することとしなる。我々のテーブルでは、最初満杯だったタレの入ったピンが、終盤には半分を切っていたものであった。安物と言えどもマシな肉なので、ハンバーガー300個大食いやったときよりはマシである。だが、それでも食い過ぎは苦しい。口の中も油と1種類の肉の味で気持ちがよくない。それでも肉を頼み続ける。座敷では肉が欠乏して貧民が争っているのに、こちらでは苦しみながらも肉を喰らうとは。余剰だとわかっていながらも、不良在庫を処理しなければならない、立ち止まれない資本主義経済の権化のごとく注文し、喰い続ける。まさに南北問題。
 最後の2皿を喰うときは、もう肉を焼く手が緩慢になっていた。となりのコンロでは、肉を焼く手が、完全に停止していた。そこで私は「安全保障のリスクの分担をしろ」「社会参加のコストを払えフリーライダーめ」と、肉をとなりのコンロに投げ込む始末。何を言っているのか意味不明である。さらには、「オレは仏教徒だから肉は食えない。お前が喰え」などとこの期に及んで白々しいコトバも。もはや、肉を喰うことは苦痛になっていた。


 そこで何をとち狂ったか、課長が自費で白米を頼んだ。もう満腹でどうしようもなくなっているというのに、米の味が欲しいとのことである。早速運ばれてライスに、「カルビを載せてカルビ丼にしましょう」「タレをかけて味を付けよう」と課長に迫る人々。課長は「オレはただ米の味が欲しいだけなんだ!やめてくれ。オレに一時の安らぎを楽しませてくれ!」と悲鳴を上げる。だが、「やすらぎとは蹂躙されるものだ。ホッブスが言うように・・・」「このアカのドン百姓め、自己批判しろ!」「リスクを分担しろ!」と飛び交う罵声。
 「飯頼んだだけで何でこんなに罵倒されなるんだ・・・」と課長。
 だが、課長は待望の米を一口喰っただけで、満腹時にライスの一杯を注文したことをすぐに後悔したのであった。結局、全部喰ったようだが。


 この日の会計は2100円。参謀長が、安い食べ放題に固定化し、酒を最初に注文した量に抑え、ドリンクは水を大量によこしてお茶を濁すという辣腕ぶりで、この金額に抑えたのであった。抑制しなければ、飲みに来たわけでもないのに大量に酒を注文する者、それも無計画に、時間内の飲めもしないのに頼む者がいるから始末がわるい。
 さらには、トンマの中には貧乏根性丸出しで、食べ物があるだけで嬉しくなってくる者がいる。声をかけるだけで食べ物が出てくると思っている者がいる。こういう手合いは、際限なくあらゆる食い物を注文する傾向がある。あたかも、声をかけるだけで「無料で」食べ物が出てくるかのように。普段どれだけ貧しい暮らしをしているのかは知らぬが、こうして注文されて出てきた酒・食い物は、自分の腹にほとんど収めて自分が支払うカネは微少だとしても、確実に他者の負担を増やしているのだ。だが、トンマは他者の負担のもとに自分の際限ない注文が出来ていることをわかっていない。だから、参謀長は厳しく注文を抑制し、この金額に抑えたのである。まあ、問題のない幹事であった。


 さて、PGO氏はこの後新宿まで出向いて、再びパセラで徹カラでもしようと計画したが、さすがに賛同者がいなくて解散と。他に誰かいたら、私も決行したかったのだが、まあまたの機会にでも。


 解散後は、参謀長宅にП氏(仮名)とまたしても転がり込んで、「ココロ図書館」なんぞ観ておりました。


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