銃は他者を撃つために存在する
2001年12月24日(月)
前々から計画していたことだが、今日は射的を行うこととした。私は部で射撃を行おうと、安物のエアガンを撒いてきたが、的を貼って撃つという行為はなかなか実現できなかった。まず場所や機会がなかなか見つからず、エアガン所有者も少ない。だが、やっと今日は2人という少人数ながら射的を行うことが出来た。
ただ、丸いターゲットを撃って、点数を競い合うのもわるくはない。だが、ここは敢えて人物をターゲットに用意した。もちろん銃には、紙に描かれた点を撃つためのスポーツ用品としての側面もある。だが、私は敢えて銃の武器としての側面を強調したかった。撃つのが楽しい、撃ちたくなる、ぜひとも撃ってやりたい人物を撃つ。娯楽としては、こうした攻撃的で邪悪な行為の方が燃えるというものである。銃は他者を撃つためにこそ、存在する。
私がプリンターでスーパーファイン専用紙に印刷したのだが、写っている人物についてはもちろん書かない。まあ、学祭のときに某サークルが出し物として、某国大統領や某テロ組織の首班を的にして、客に撃たせていたが、今回私が作ったターゲットはそういうヤバイものではない。これだけは明言しておきたい。
ただ、物言わぬ紙を撃つ遊びと、実際に人間を撃って殺傷することとの間には、とてつもなく大きな距離があることを承知して貰いたい。こういう遊びをしていると、「お前はそのうち、動くものを撃ちたくなる。いや、きっと人を殺したくなってくる」・・・としたり顔で言ってくるアホが必ず現れる。意味不明な確信に基づいた、他者を異常者と認定したくて仕方がない発言はカンベンしてもらいたいものである。
もっとも、人間の行動に対して自分にわかりやすい理由を求めてやまない人間は、こうした強烈な遊びを見ると、「こいつはキチ@イだ」「こいつの中には強烈な殺意が渦巻いているに違いない」「そのうち動物や人間を殺すようになる。こういう奴が人を殺すのだ」という確信を持ちたがる。こうした人間は、「なんか、紙撃っている奴がいるな」で認識が終わらず、「なんでこいつはこんなことをやっているのか」「こいつはどんな人間なのか」について、確固たる結論を出さずにはいられない。こうして出された結論は、「〜ではないか」ではなく、揺らぎのない確信である。例え目の前に、その確信に反する光景が見られても、自分の確信を疑わず、目の前の事象の方を疑う確信である。絶対的な確信というのはタチがわるい。
私が的として用意したのは、そういう類の人間である。それが有名人か、身近な人間か、誰かは言わないが・・・。
ターゲットの数々。某所に於いて、木にロープを張り、つり下げた。 |
一発ずつ、確実にターゲットに穴をうがつ。厚手のスーパーファイン紙は、着弾の音がはっきりしていて、手応えがある。 |
S&W・M649。携帯用のスナップノーズだが、DAリボルバーは引き金が重く、一発一発に気合いが入る。 |
とにかく撃つ!だが、セミオートかリボルバーなので、的はなかなか雑巾にはならなかった。弾込めが面倒。 |
S&W・M4506。マグライトを持った左手の甲に、右手を強く押しつける。どこかの州の射撃教本の載っていた撃ち方である。 |
Cz75。スライドレールの長い後期型。一番装弾数が多く、爽快な射撃を楽しめた。 |
一仕事終えた後。ホールドオープンにして、人差し指はトリガーガードに。基本的な安全対策。 |
モーゼルHSc。パワーはいまいちだったが、至近距離からの速射に使った。 |
射撃を終えた後は、П氏(仮名)宅にて夕食の世話になった。 パークリングワイン2本と肉の数々。なかなかの馳走である。私がメシを作ったとしても、米を炊いて、あとは一品程度しか作らぬのだが、大した世話になったわい。
その後やってきた黒天使氏(仮名)とともに、3人で晩餐としたのであった。残念ながら、黒天使氏は、時間の関係で、すぐに帰ってしまったのだが。なかなか有意義な日であった。