銀座にて演劇鑑賞す
2002年02月09日(土)


 今日は、後輩が所属する劇団の公演。銀座小劇場まで観に行きました。
 なかなか面白い演劇であった。ストーリーも、小ネタも。


 小ネタについては、確かに面白かったし、本当に爆笑させてもらった。アニメネタなど、普段テレビなんかでは出会すことがないようなマニアックなネタが盛り込まれていたのは、マニアックな人間としては嬉しかった。だけれども、これを会場のどれぐらいの人がわかったかというと疑問。ザクとかキャスバル兄さんとか、女性や年輩者にはわからない人も少なくなかろうし、モノアイTシャツ、コミケカタログなどの小道具もわからない人はまったくわからないのでは。
 だが、わかる人間としてはかようなネタは、大爆笑かつ嬉しかった。わかる奴だけついてこい、ということか。なかなか潔い態度である。ちなみに、開演前にはFireBomberのサントラがかかっており、劇中でのBGMでも「未来型アイドル」なんかがかかっていたような。
 さらに言えば、そうした小ネタは多すぎるような気もした。でも、ストーリー展開を見失うことはなかったし、私としてはうんざりするようなことはなかったね。「やりすぎ」になる一歩手前かも。少しばかり集中力や見たことを脳内で再構成する力に劣る人は、肝心のストーリーを追えなくなったかもしれないとは思ったけど。


 ストーリーもなかなか面白かった。タイトル「Escape for living」が表すように、逃避の様が描かれたこの劇。これについて少し説明したい。公演は終わったので、ストーリーをバラしても差し支えないだろう。


 歌手や役者といった「夢」を持つ若者達がいた。彼らはいつの日にか歌手になろう、劇団でやっていこうとの思いを抱き続けるのだが、そうそううまかない。歌手を志望していた1人は、大学に入ってプロダクションの社員となり、自らが歌手となることを放棄した。彼女と組んでいた男は、いい年になっても歌手になるためテープの持ち込みなんぞやっていたが、うまくいかず腐っていた。もう止めようと思っていた。小さな劇団で演劇をやっていた3人は、劇団の運営資金を稼ぐために何にでも手を染めた結果、ただのやくざ者として生きるようになっていた。そんな彼らに劇団を続けることなど出来なかった。
 組の抗争に際して、劇団仲間だった3人は鉄砲玉としてかり出される。対抗組織に殴り込めば確実に殺され、鉄砲玉たることを拒否すれば今度は自分の組に殺される。この極限の危機状態を打破するために、彼らは強盗で大金を手に入れ、外国へ高飛びすることを考える。生きるための逃避をしようと。


 彼ら3人は強盗に入ったプロダクション会社で、歌手志望の2人や他の何人かの人々と鉢合わせになる。様々な悶着の結果、彼らは奪ったカネを山分けして、それぞれが人生の仕切り直しをしようと考える。何事もうまくいかなか中で、カネさえあれば人生やり直せる、仕切り直せる。あるいは、日常の閉塞感を打破して新しい生活をはじめられる。皆、そんな思いに期待を膨らませる。
 だが、劇団仲間だった3人は、抜けた組か対抗組織のどちらかはわからないが、強盗に入った会社の玄関先で撃たれて倒れる。やがて警察もやってきて、「カネを持って目の前の現実から逃避する計画」は頓挫する。


 それからしばらくたってから、歌手志望だった2人は再びグループを組んで、小さなライブハウスで細々と歌手活動を開始する。強盗の場に居合わせた他の人々も、会社や日常生活からの忌避を図っていたが、結局仕事をちゃんとやり、それなりに日常生活を享受していた。そして、強盗に入ったあの3人は、再び劇団を組んで芝居を再開したのであった。


 とまあ、こういう話である。「夢」とやらがうまくいかないのはカネがないから、カネがあれば「夢」を目指せる。閉塞した日常を打破したい、目の前の現実を仕切り直せば、あるいは目の前の現実から遠く離れれば、やり直せる。・・・要するに、逃避以外の何者でもない。まあ、確かにカネがなければ出来ないことは多いし、何かを目指すにしてもカネは要る。稼いでから何かを目指すにしても、年ばかり喰っていく。借金とか生活がうまくいかない、なんていうことも、まとまったカネが入れば仕切り直すことは出来るかもしれない。それはよくわかる。だが、カネが入ればうまくいくかと言えば、別問題である。結局この話では、カネの強奪は未遂に終わり、それぞれ日常の中で自分の出来ることをやっていくようになる。この結末に関しては、なかなか好感の持てる話であった。
 逃げ出した先に楽園なんかない、その先にあるのはやはり戦場だけだ。結局、自分の戦場で戦い続けていくしかないのである。だが、私は、仕切り直しは必ずしも失敗ではないと思っております。カネの強奪という犯罪的手段はさておき、1つの戦場にケリをつけ、あるいは逃亡し、次の戦場でうまく戦い抜くことだって出来るのではなかろうか。もちろん、失敗することも、前よりも惨めな結果になることもありそうな話ではあるが。逃避にせよ、仕切り直しにせよ、行き当たりばったりな犯罪で大金をせしめて、カネさえあればどうにかなるだろう・・・などという根性と無計画ではどうしようもないとは思うけどね。


 ちなみに、「努力もまた、逃避である」という劇中の言葉は、なかなか感慨深かった。努力しようと、どれだけの簡単辛苦に堪えようとも、うまくいかないときはうまくいかないのである。人事を尽くしても、いい結果が得られるとは限らない。そういう意味に於いては、やっていれば気が楽になるという努力は、逃避の一種にならないこともないのかも。しかし、人事を為さずに悪態だけつくのは、クズのやることだと私は思っております。
 なるようになるし、なるようにしかならない。だが、やるしかない。ここの「何かを為す」という姿勢までをも嘲り、何事も為さないようでは、人間として惨めである。まあ、「俺はこれだけ努力してきたのに、なんでこんな結果になるんだ。社会がおかしいからだ。誰ぞのせいだ。世の中間違っている」というのもまた、後頭部から12番口径の九粒弾ぶち込んでさしあげたくなるぐらい惨めな精神構造だけど。
 ま、なかなかおもしろい劇であった。後輩が出ているという贔屓を別にしても、また観てみたいとは思った。


戻る