高校時代の旧友と
2002年02月16日(土)


 久々に、高校時代からの友人・総統(仮名)と会った。
 本当はナイワン(仮名)と3人で集まり、私の壮行をしてくれる予定だったのだが、ナイワンがカゼで寝込んでしまったため、サシでの飲みとなった。


 澳門帰りの総統の話は、相変わらず興味深かった。
・今日の山手線の車内に、工具のノミを握った男がいた。
・廈門での現地採用は20人。1人使える奴がいればそれでいい。現地ではバイトと仕事の区別があまりなく、辞めるのも辞めさせるのも簡単。
・現地での生活は4人部屋。キャベツ1個買ってきて炒める。そして1人につきご飯2膳。これが食事。
・南京虫は娼婦からうつされる。うつされるのは勝手だが、職場や寮に持ち込む奴がいて大変。
・現地は自発的なモノカルチャーがはびこる。例えば、椎茸が儲かると思えば、村ごと椎茸一色になる。風がふけばふっ飛ぶ。村ごとつぶれる 300軒とか、そういう規模で一瞬にして椎茸農家が潰れていく。
・そうした村の子供が廈門や上海なんかに流れ出て路上生活。いっぱい居るが、新聞なんかでは取り上げられない。そういうことを書くと中国での取材活動ができなくなる。
・現地採用の人は、故郷のナントカ省ではよくて200元の仕事しかない。だから廈門に出て800元の仕事をする。こうしたカネは故郷に仕送りをし、休暇は鉄道で片道3日かけて帰る。往復だけで休みはなくなる。

 などなど。そんな話をしていた。


 さて、あまり遅くならないうちに解散。私は京王線で帰路についた。
 新宿を出た列車は、明大前で止まる。そこで乗り込んできた学生、何かおかしかった。足下がおぼつかず、目はどのぐらい見えているのかもあやしい。そして口元に何かが見える。歯か?ぶん殴られて、歯でもやられたか?それでフラついているのか?
 違う。炭水化物だ。食品だったものがはみ出ているのだ。みく見たらこの学生、全身に炭水化物らしきものがこびりついている。吐瀉物だ。様子がおかしいと思ったが、泥酔しているのだ。自分で吐いて、そこに倒れ込みでもしたのだろう。それでもなお彼は、必死で歩いて電車に乗り、そして帰ろうとしているのだ。
 どんな事情があってこんなに酔ったのかはわからない。飲まされたのか、自発的に飲んだのか、とにかく、誰かと飲んでいたはずである。しかし彼と一緒に飲んでいた人々は、彼を棄てた。最初から世話する気がないのか気が付かなかったのか、面倒で途中で見捨てたのか。それとも改札あたりまで送って、それでよしとしたのか。


 こんな、人としての尊厳もなにも無くし、歩くことも、立つこともままならず、目の前の景色さえどれだけ見えているか不明で、意識も混濁しきっている状態の人間を放置するなど、とんでもないことである。我が棒術部ではこんなことは決してありえない。もし、誰かがここまで泥酔したとしても、最後まで見捨てない。終電がなかろうと、明日予定があろうと、自分が帰られなくなろうとも、我々は必ず家まで送る。一人暮らしならば泊まって介抱する。家が遠ければ、自分のアパートに運びこむ。いざというときは救急車を呼ぶ。少なくとも放置はしない。
 我が棒術部でも、(一気の強要はしないまでも)泥酔者を発生させないことそのものに細心の注意を払っていたか、といえば改善の余地はいくらでもある。自発的泥酔者の発生阻止にはまだまだ甘いところがある。それで人様に迷惑をかけたこともあった。だけれども、部員が泥酔しても放置して捨て置くようなクズサークルには成り下がらない。
 といういうことをある後輩にメールで書いた。すると返事はこうである。
「もし棒術部が泥酔者を放置するようなクズサークルになったら、私は全力で棒術部を潰します」
 頼もしいコトバである。
 人間も集団も、堕ちようと思えばいくらでも堕落する。だが、例えバカをやり、いかれたことをやろうとも、こうした理性・・・踏みとどまるべき一点は、常に保持する。魅力のある人や集団というのは、その一点を墨守する姿にするのかもしれぬ。


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