■アメリカ人の祈り
アメリカは、イギリスから迫害を逃れて新大陸に逃れ住んだピューリタンが作った国家とされています。
現代に於いてもアメリカは信心深い国民性を有しており、学校でダーウィンの進化論を教えることは、1970年代近くまで許されていませんでした。「ヴィザードリィ」などのファンタジーRPGに対しても、「このような(邪悪な)多神教的観点に基づくゲームを、子供に与えることは許されない」という反発が起こったのもつい最近のことであります。
もちろん言うまでもなく他の宗教の自由も認められ、様々な宗教の信徒がアメリカ国民にはいますが、事実上、アメリカは歴然としたプロテスタント国家なのです。そして信心深いアメリカ人にとって、祈りは欠かすことのできない日課なのです。
ここでは、アメリカの国民性を理解するために、アメリカ人の祈りについて紹介します。
これは信心深いアメリカ人が、毎晩欠かさず行う祈りのコトバです。
This is my rifle. |
これぞ我が銃。 |
There are many like it,but this one is mine. |
銃は数あれど、我がものは一つ。 |
My rifle is my best friend. |
銃は我が最良の友。(注1) |
It is my life. |
我が命。 |
I must master it as I must master my life. |
我、命を制すごとく銃を制すなり。 |
Without me,my rifle is useless. |
我なくして、銃は役立たず。 |
Without my rifle,I am useless. |
銃なくして、我は役立たず。 |
I must fire my rifle true. |
我、的確に銃を撃つなり。 |
I must shoot straighter than my enemy who is trying to kill me. |
我を殺さんと欲する敵よりも勇猛に、銃を撃つなり。 |
I must shoot him before he shoot me. |
撃たれる前に、必ず撃つなり。 |
I will. |
我誓う。 |
Before God I swear this creed. |
神かけて、この信条を。 |
My rifle and myself are defenders of my county. |
我と我が銃は、祖国を護る守護者なり。 |
We are the masters of our enemy. |
我らは敵には征服者。 |
So be it until there is no enemy,but peace. |
敵が滅び、平和が現れるその日まで、かくあるべし。(注2) |
Amen. |
アーメン。 |
注1)どこの国でも、小銃・歩兵銃こそが歩兵の最良の友と言われるのは同じである。
いかに機械化が進み、威力の高い兵器が配備されようとも、最後にものを言うのは歩兵であり、歩兵の銃である。市街や建物を占拠するのも、捕虜の管理をするのも、支配地域を維持するのも、歩兵以外の何者にも為しえない。
注2)アウグスティヌスの正戦論から引き継いだ、実に一神教的な価値観。一神教の下では、しばしば平和とは、敵を圧倒的な力で支配している状態である。このような価値観の下では、「平和」と、「秩序」「権力」「武力」とはほぼ同義語として扱われる。社会科学が発達すると、平和状態として「勢力均衡」という概念が出てくるが、非武装や非暴力が平和だという発想はまず出てこない。